作者の中でラインハルトは幼女なんだ……だから強敵を見つけるとついワクワクしてちょっかいを出したくなっちゃう困ったちゃんなんだ……
「………この情報に、間違いはないんじゃな?」
「あ?こんなところで霞掴ませてどうすんだよ。間違いねぇよ。確かな筋からの情報だ」
店主のやたらと無愛想な返答に、バルガ・クロムウェルは大きくため息をつく。吟味をするため顎に指をやり、再び嘆息。巨大な老人の軽い唸りに、ただでさえ少ない店の足取りがどんどんと遠のいていく。
バルガ………通称ロム爺は、いわゆる情報屋のようなものに、ある依頼をしていた。脳筋そうに見えても、バルガの人脈はかなり広い。そのコネクションをフルに活用し、とある人物を探し求めていた。今日は居心地の悪くなった我が家との暇ついでに、その結果を聞きにきたのだが。
「ティフィ・シークペンス……七年前から行方不明の、グステコ貴族の息女の名、か」
「それも候爵家の、だ。ただ、正妻との子供とは言え、精霊との親和性が芳しくなかったそうでな。将来性や加護の方に期待を……ってとこで、行方知れずになったらしい」
大変だったぜ。名前だけで探せっつーんだからよ、とごちる強面の男。
実際、無茶苦茶を言っている自覚はある。名前だけわかっている相手を、わざわざこの広大な世界の中で探せと言うのだ。無茶も無茶。調べるだけとはいえど苦労は多かっただろう。バルガもダメ元で、まさか本当に情報が出てくるとは思わなかった。
もう片方のソアラという人物の情報は未だ見つかっていないが、一人見つかっただけでも奇跡と言えよう。とはいえ、ルグニカではなくグステコの名前が出てくるのは想定外だったが。
「………よく調べてくれた。金は払おう。もう一人の方も、よろしく頼む」
「まいど。ま、無理だとは思うんだがね。この子について調べるのも片手間とは言え一年近くかかったんだ。期間は長めに見といてくれや」
「わかっておるわい」
別に、調べて何をしたいわけでも無い。ただ、子供の願いを叶えるのが大人の役目だと思っただけだ。未だに『ティフィとソアラでフィアラ』を名乗るあの子供の姿が、少し不憫だったというのもあるが。
鷹揚に頷き、商売の邪魔になるのでと腰を上げかけたそのとき。店主が思い出したように、丸めた羊皮紙を放り投げてきた。
「あぁ、そういや。最近こんなもんが裏で出回ってんだ。これ、お前んとこの子だろ?気ぃつけとけよ」
「………手配書、か?」
「じみてるが、名目は人探しなんだと。ま、額がぶっ飛んでやがるし、払うつもりも毛頭ねーんだろうが」
巻かれたそれを開くと、そこには簡易な絵と、いくつかの特徴が箇条書きに書かれている。その中に、白と紫の珍しい髪色、男か女かわからない容姿、身売りしている可能性あり、という項目が目に止まる。
礼金は聖金貨500枚。相場を考えればそのまま500倍。肝心の見出しは、"金の雛鳥"と来た。
「……逃すつもりも毛頭なし、か」
「こんなのに食いつくのなんかよっぽどの奴だけだろうが……注意するだけしときな。魔女教の連中も、確かな情報を掴むまで滅多なことはしねーだろうが」
「そうか。恩に着る」
「気色悪ぃ。せめて金で返してくれ」
変わらぬ態度に苦笑し、バルガは男の店を去る。店は意外にも商店街のど真ん中。大人の倍はある自分の背丈が物珍しいのだろう。行く者去る者が、ジロジロとこちらを眺めてくる。
「くぅ、やはり日当たりの良いところは好かんの」
むず痒い視線を感じながら、逃げるようにバルガは路地裏へと入る。軽く埃っぽい空気を吸い、やはり性に合うと安堵のため息。
脳内で地図を広げ、いい加減ほとぼりが冷めたであろう盗品蔵に向かい、その足を進め始めた。
………どこか、嫌な予感を感じたからか。その足取りは早かった。
「……う、………あ……?」
視界に、白い星が舞っている。黒い世界と、チカチカと明滅する白の粒。頭が回らず、世界も変わらない。
どうも、頭を固いもので打ったらしい。その結論に至ったのは、たっぷり数秒をかけてのことだった。
状況に頭が追いついていなかった。聞こえてくる声は遠く、意識はモヤがかってはっきりしない。霞む目で、なんとか現状を確認しようと、ズキズキと痛む頭を起こそうとした。
「う、動くなぁっ!」
「がっ……!」
だが、頭を上げようとした瞬間。それよりも何倍も強い力でフェルトの頭が地面に押さえつけられる。露出した額が石畳に擦り付けられ、おろし金のような粗さを容赦なく伝えてくる。
「フェルちゃんっ!」
「………ふ、ふふ!ふふはっ!成功だ!成功したっ!や、やっぱり、あの手紙は正しかった!ツイてるなぁ、俺!」
聞こえてくるフィアラの声。それを無視するような、不快で一人よがりのくぐもった声。薬でもキメたかのような不規則な笑いを続けて、恍惚に浸っているらしい。
………どこかで、聞いたことのある声だった。決して良い記憶ではない。寧ろ、忘れたいのに忘れられない類のものだ。記憶の端の端に引っかかるその声の心当たりをありったけで辿る。
「……お願い。やめて。店長さん」
冷静を装った、ワントーン低いフィアラの声。それに反応したのか、フェルトを押さえつける手の力が少し弱まった。抜け出すほどでは無いが、顔の向きをずらすくらいはできた。
顔を無理矢理横向きにすると、黒だけだった視界が晴れ、その視界に自分を押さえつけている存在の正体を捉える。
それが誰だったかを理解した瞬間、フェルトは思わず声を荒げた。
「………てんめぇ!あの娼館の……!」
肉の塊と見間違えんばかりの太い体。張り付いたサイズの合っていないスーツに、取ってつけたような胡散臭い髭。見間違えるはずもない。フィアラを連れ戻した娼館で、店長をやっていた男だ。
興奮しているからかその額からは絶えず汗を流し、笑みのつもりか、口の端が気色の悪く歪んでいる。
が。その表情は、フェルトの顔を見た途端に一変した。怒りで目元が醜悪に顰められ、顔は腫れたかのように真っ赤に染まる。
「黙れクソガキ!お、お前さえ!お前さえいなけりゃな!俺のフィアラは逃げなかったんだ!お前のせいで!」
「だ……れが……てめーのだ!」
押さえつける力が増し、今度はフェルトの頬が潰れていく。だが、その力に逆らい、フェルトは嫌悪を口で表す。肉だらけの手の感触が、心底気持ち悪かった。足蹴にしたとき、そういえば同じような感覚があったのを思い出した。
「………店長さん、フェルちゃんを離して」
フィアラの声。再び、フェルトに加わる力が弱まった。力と共に、声をかけられた男の顔が華やぐように緩んでいくのがわかった。
「フィアラちゃん。……俺と君の話に、こんなクソガキは確かにいらないけど………でも、ダメだよ。このガキを甚振らないと、俺の気も済まなくてさ……」
一瞬手が離れたかと思うと、首元を鷲掴まれる。子供の体は男の膂力に抗うことが叶わず、腕一本で軽々と持ち上がってしまった。
「てめぇ……離し、やがれ……!」
抵抗しようにも、空中でできることなどたかが知れていた。もがこうにも、背後から殴られたせいか力が入らなかった。眼前のフィアラに見せつけるように、即席の貼り付けが完成する。
「ああ。そんなに穢れちゃって……今の君は、あの日会った時よりくすんで見える……やっぱり、フィアラちゃんの魅力を理解してるのは俺だけだ……」
「……そう。そりゃあ、嬉しい」
舐めるような視線でフィアラを凌辱しながら、意味不明な単語を羅列させる男。悪寒すら覚える自己中心さに、流石のフィアラの顔にも動揺が走っている。
「ねぇ、いい加減離して。その子、フィーの友達なの」
「………ふぅん。そう……そっか。そうなんだ。この子、友達なんだ………そっかぁ…」
咀嚼するように、無遠慮にフェルトを眺める男。首を絞められないように必死に抵抗するフェルトを見て、男は、何を思ったのだろう。想像したくもないが。
「ふんっ!」
「………あ、が………!?」
「フェルちゃん!?」
器用にも膝を持ち上げ、フェルトの腹に膝蹴りを見舞った。首から手は離れたが、代わりに意識すら飛びそうな一撃をモロに貰ってしまう。変なところに入ったせいか呼吸すら危うくなり、蹲ってえずいた。
男はフェルトに目もくれず、背後にいる他のゴロツキ達数人に目配せした。ゴロツキは視線の意図を汲んだのか、未だ呼吸を整えるフェルトを地面へと縫いつける。どうやら、依頼人というのはこの男らしかった。
「……が、ふ………ぐ…ぁ……!」
「お前ら……!」
「あぁ、勘違いしないでね。これは、あの日の蹴りの借りを返しただけだから。この子に関してはこれでチャラってことにするよ。フィアラちゃんの顔に免じて、ね」
怒りを必死に抑え、爆発寸前のフィアラ。その神経を逆撫でするように、男は呆気からんと言い訳してみせる。
ここからが本題だ、と。勿体ぶるように、男がフィアラに近づき。フィアラの頬を、無遠慮に撫でた。その感触に打ち震えるように、ぐぐもった不快な声で口を動かす。
「フィアラちゃん。
「………なっ!?」
その提案に一番驚いたのはフェルトだ。対照的に、フィアラは予想がついていたと言わんばかりに、小さく目を瞑って落ち着き払っている。
娼館に、戻る。フィアラが、また?
そのふざけた提案は、フェルトに熱を持つほどの怒りと不快感を与えた。
「──ふ……」
「おっと、静かにしてもらおうか。そのクソガキも、今ここで死にたくないだろ?」
ふざけるな、と声を発しかけたフェルトの口を男の手が塞いだ。そして首元に、処刑するかの如く剣を突き立てる。
ほんの数ミリ程度の距離の剣。コンマ1秒もあれば、それはフェルトの首を刎ねるだろう。いくらフェルトやフィアラが早かろうが関係ない。力で、絆で拘束してしまえば、動きは容易に止まる。
なんて、卑怯な。
フィアラ単身なら、この男達など相手にすらならない。焼き増しのように人の波を蹴散らし、悠々と逃亡することだってできる。
だが、今この時。フェルトがフィアラの足枷だった。フェルトを人質に取られたフィアラは動けない。例え男にその気がないことがわかったとしても、フィアラが動かないであろうことは容易に想像がついた。
「さぁ、フィアラちゃん。選ぶ………いいや。捨てるんだ。君の輝きに他人なんて必要ない。友人なんていらないんだよ。僕が、君の素晴らしさを教えてあげよう」
汚い手口を散々働いておきながら、そんな綺麗事を宣う男。フェルトがどれだけもがこうにも、大人の、それも複数に敵うはずもなく、虚しい抵抗に終わる。
頷くな。その提案を呑むな。何も言わなくていい。こっちは自分で何とかできる。
そう主張しようとして、そう答えたくて。けれど、どうやっても抜け出せない。
そしてその瞬間は、あまりにも無情にも訪れてしまった。
屈服を認めるように。屈辱に耐えるように。ゆっくり、ゆっくりと、桜色の唇が、自分の意志に逆らうように言葉を紡ぐ。
「…………わかった。言う通りに、する」
「〜〜〜ッ!」
俯きながらの言葉の最後を耳にして、男の顔が、悦びに歪む。それは、事実上の勝利宣言だった。
「──そうか!そうか!よかった!やっと正気に戻ってくれたんだね、フィアラちゃん!」
何が嬉しいのか。フィアラを馴れ馴れしくも抱きしめながら、飛び上がらんばかりに狂喜乱舞する男。フィアラの意図など完全に無視するその姿は、いっそ狂気すら感じさせる。
だが、フェルトの胸には、そんなことが気にならないほどの感情の嵐が渦巻いていた。もがいて、もがいて。なんとか先の発言を撤回させようと足掻いた。
結果的に。その努力は今更になって実を結んだ。
「──ッ!?コイツ、噛みやがっ……!」
「ぷはっ!……おいフィアラ!てめー、何考えてやがる!?」
体の拘束は外れないまでも、口だけは意地で解放して吠える。何度塞がれようが、噛み付いて、食いちぎる。この口だけは、何としてでも塞がれてやらない。
「アタシは大丈夫だ!気にすんな!お前なら、コイツらだって一発なんだろ!?お前が好きなようにしろ!アタシは……!お前に……」
「おい!早く黙らせ……」
「いいさ。別れの言葉くらい言わせてやるといい。もう、フィアラちゃんの目は覚めたんだからさぁ」
既に勝った気でもいるのか。男はさっきまでの焦りようが嘘のように落ち着き払い、余裕な態度で振る舞ってみせる。気に入らない。その手段も、態度も。何もかもがフェルトの神経に障る。
「お前は……また……また、アタシに後悔させんのか!?アタシを帰そうとして!守ったつもりになって!あの境界を越えるなって!そう言うのか!?」
思い出すのは、真実を知ったあの日のこと。フィアラは、娼館に踏み入ろうとしたフェルトに行ったのだ。
『帰って』と。
あの一言が、どれだけフェルトにとって重かったか。きっとフィアラにはわからないだろう。
だが、あんな風に気遣われることが。優しく帰りを促されるようなことは。少なくともフェルトにとって、屈辱以外の何物でもなかった。
頼ってくれればよかった。助けてくれと。逃げたいと。そう叫んで欲しかったのだ。
「またお前は……アタシに、帰れって言うのか!?お前の中でまだアタシは、守るべき対象なのかよ!?」
心の限り。思うままを叫んだ。
息が荒い。呼吸が追いつかなくて。見上げるフィアラの顔を、その目を。必死に見返していた。
フィアラは…………優しく、微笑んだ。
「………大丈夫。そんなに、心配しないで」
何もかもを見透かすような声音だった、音だった。その響で以って、フェルトの全てを震わせ、安らがせた。
フェルトの思い。その裏に隠された、真剣な心配。それらを、全て却下することなく受け止めて。
受け止めて。
「大丈夫だよ、フェルちゃん。フィーがいるべき世界は、元々こっち。フェルちゃんとロム爺が優しくしてくれて、勘違いしちゃっただけだから。何をしても、平気だよ」
フィアラは、フェルトの意志を拒絶した。
伝わっていないはずがなかった。聡いフィアラが、理解できないはずがないのに。あくまで庇護するように、フィアラはフェルトを肯定して。肯定して、拒絶する。
「待て……!待てよ、フィアラ!!アタシに嘘つかないんじゃなかったのか!?アタシとずっと一緒にいるんじゃなかったのか!?探したい奴がいるんじゃなかったのかよ!?そんな顔で、大丈夫なんてわかりやすい嘘つくんじゃねーよ!」
忘れたとは言わせない。フィアラは何度も、何度も。ずっと言っていたのだ。『フェルトから離れない』『フェルトに嘘をつかない』と。
フィアラが体を売ることをどれだけ嫌がっているか。そんなもの、あの日泣いていたフィアラを見れば、痛いほど分かった。今なお、その手は小さく震えている。そんな体で、そんな辛そうな顔で。大丈夫だなんて言うのが、嘘でなくて何だと言うのか。
二つの約束は、フィアラがずっと守ってきていたものであるはずだ。フェルトだって、鬱陶しがっても律儀に約束を守ることを好ましく思っていた。
それを、こんなところで。こんな形で。今更反故にすることを、許せるわけがなかった。
「……ごめんね。フィーのことは忘れて、どうか幸せに」
「待て……待てよ………待って、くれよ………アタシは、アタシはお前に、まだ……!」
背を向けようとするフィアラに、必死になって縋り付く。縋ることもできないのに、なんとか、なんとか。諦めが悪くあがき続けて。こんな理不尽を。理不尽な現実を認めたくないと、必死になって喚いた。
そんなフェルトに、フィアラは困ったように笑った。
騒がしくしようと、あまり笑わないフィアラが。優しく、優しく。慈しむように微笑んで。
「………最後のわがまま。赦して、くれる?」
フィアラと目が合う。目が合うほどの高さに、フィアラがいる。誘惑とは違う。艶やかさも、妖しさもない。ただただ、真っ直ぐな目でフェルトを見つめる青と赤が、優しくフェルトを包み込んで。徐々に、たしかに。近づいていく。
そしてその唇が、ほんの一瞬だけ、重なった。
望んで、望んで。ついさっき、あれほど欲したはずのフィアラの温度。それが、悲しいくらいに愛おしくて。
「フェルちゃん。───大好き」
初めての口付けは、ほのかな柑橘の香りと砂糖菓子のような甘さ。
「──バイバイ」
残りほとんどを、無力感という苦さが埋め尽くしていた。
店長のキモさは一時間半の賜物です。