目が覚めたら難易度ナイトメアの世界です   作:寝る練る錬るね

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フェルト√ 切り捨てられた未来

 自分がどれだけ呆気にとられた顔をしているのか。僕には、それがよく分かっていた。

 

「アタシは、お前を見るたびにずっと胸に棘が刺さったみたいになった。お前がロム爺と話してると胸がムカムカした。自分でも理由がわかんなくて、なんでだって。自分が自分じゃなくなったみてーで、最悪の気分だった」

 

 自分の。ティフィの慧眼()は、相手の思考どころか感情すら見通すものだ。無論、そこに例外などない。あってはならない。ましてやそれが、目の前の血統と逃げ足だけが取り柄の少女とあっては。

 

 心の奥深くにある感情すら、とうの昔に知っているはずだった。

 

 だというのに、少女は裏切りを紡いでいく。フィアラという幼子の想像に収まらない言の葉を、投げつけるように乱暴に、乱雑に。

 

「当然だったんだ。てめーに助けられることも、てめーと会うことも、てめーに揶揄われることも、大好きなロム爺と関わられることも。全部が嫌だったのはさ」

 

「……なに、言って…………」

 

 ()()()()

 

 言葉の真意も。その心が示す想いの在り処も。

 

 ただ漠然と、それが嘘でないということだけは、フィアラではなく、僕が一番理解していて。

 

「今のお前を見て確信した。アタシは、ずっとお前が嫌いだった。アタシよりもずっと強いくせに、アタシよりもずっと賢いくせに。つまんねーことでウジウジメソメソしてるてめーのことが、アタシはずっと気に入らなかった」

 

 分からない。分からない、が。

 

「気、に入らない……なら。なんで……」

 

『気に入らない』だの。『嫌い』だのと。疑問よりなにより、その言葉による怒りが口をついて出た。

 

 涙は枯れていた。暗い絶望が、憤怒という熱に焦がれて薄くなる。

 

「なんで……僕を……!」

 

 だって。そんなの、いくら何でも都合が良すぎるじゃないか。

 

 そんなに嫌いだったなら。どうして、もっと早くに言ってくれなかった。拒絶してくれなかった。

 

 見捨てればいい。嫌いなら、追い出せばよかった。こんな気持ちの悪い、得体のしれない子供。

 

 一年前のあの日に。娼館にたどり着いたあの時に。本気で泣いたあの日に。ねぐらに入り込んだあの時に。

 

 それなら、まだ傷つかずに済んだ。今この瞬間に言われるより、きっと何倍も。

 

 だというのに。どうして。

 

「あんまりアタシを見くびるなよ、フィアラ。テメーが猫かぶってたことくらい、アタシは見通してんだよ」

 

 全部とはいかねーがな。と、照れ臭そうにフェルトは呟いた。恐ろしいことに、悍ましいことに。そこには一切の欺瞞も、虚飾も含まれていなくて。

 

「アタシが嫌いなのは、猫かぶったテメーだ。自信満々で見せびらかしてたお前のハリボテを、好きになったことなんざ一度もなかった」

 

 嘘だ。嘘だ。

 

 そんなことが、あるはずがない。

 

 こんな()()()()()()()が、あっていいはずがない。

 

「アタシはこれでも、お前のことを家族と思ってた。お前のことを、理解しようとしてた。だから、お前が猫かぶってたって聞いて、却って腑に落ちたよ。アタシがずっと過ごしてきたのは、家族と思ってたのは。お前が作った『フィアラ』じゃなくて、『フィアラ』を名乗る、お前だったんだ」

 

「そん、なの……嘘だよ……全部、嘘だ……! 君と過ごしてた時間に、僕に……真実なんか……!」

 

「真実なんて幻想に囚われんな。馬鹿馬鹿しいにも限度がある。てめーが今。この瞬間に。心から笑ってんなら、泣いてるなら! それが真実じゃなきゃなんなんだ!」

 

 強い言葉が、心を揺らす。

 

 それに抗って。そんなことがあるわけがないと、必死に、必死に否定して。否定して、否定する。

 

「なぁ。本当に、全部嘘だったのか。本心から笑ってなかったからって。お前が本当の気持ちを隠してたからって。アタシたちの過去が、全部嘘だったのか!?」

 

「……嘘、だよ……! 嘘でしかない! 僕にはずっと、今この瞬間も、嘘しか……!」

 

「なら!」

 

 強く、強く。その言葉はただ強く、僕の心を掻き乱した。

 

テメーの本心はどこにあるんだ!? ティフィか!? ソアラか!? 違うだろ! お前は、お前って存在は! 他の誰でもないお前だけなんだろ!

 

 どうして。どうして、なのだろう。

 

 その言葉に何の正当性もないはずなのに。打ち破ろうと思えば、打ち破れる穴がある理論のはずなのに。

 

 焦がれてしまう。どうしようもなく。その熱が、心を浮かして止まないのだ。

 

「さっき悲しんでたお前が、今怒ってたお前が! 真実以外のなんなんだ!? お前は、お前だろ!」

 

 こんなにも、僕を探そうとしてくれている。無遠慮に、無造作に。躍起になって、僕自身ですら探すのを諦めた、僕という存在を見つけようとしてくれている。

 

「答えろ! お前は誰だ、フィアラ!!」

 

 ずっと問うて欲しかった言葉。ずっと、欲していた問いを前にして。

 

 そうだ。思い出した。

 

 あの日僕は、思ったんだ。

 

 この赤い瞳を見て、思ったのだ。

 

 ──なんて、真っ直ぐで綺麗な目なんだろう、と。

 

 全てを見通して、見透かして。重苦しく纏わりついた僕の鎖を軽く笑い飛ばしてしまいそうな、『傲慢』なその紅の瞳に。

 

 まるで、ティフィやソアラと一緒に見上げた、太陽のようなこの紅に。

 

 

 

 

 僕は…………

 

「…………僕は…………」

 

 息が、苦しい。

 

 胸の奥がジンジンして、腫れたように痛い。言葉を紡ぐということは、こんなにも辛いことだったろうか。

 

「僕は…………」

 

 

 僕は。

 

 

 ──恋を、したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいはぁい。寒い茶番は、そこまでにしてもらえますかぁ」

 

「……ぁ」

 

 けれど、その答えだけは。

 

 薄気味悪い闇夜に、溶けた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「盛り上がりのところ、横槍失礼しますぅ。お話の途中に割り込むのはどうかと思ったんですがぁ。でも、うちの大切な『レプリカ』ちゃんが誘惑されると、私とっても困っちゃうのでぇ」

 

「……誰だよ、アンタ」

 

 突然現れ出たその存在を、フェルトは気丈に睨みつけた。

 

 どこかフィアラに似た紫紺の髪。暗い室内で静かに熱を帯びる。眠たそうな瞳。気が抜ける口調に、やる気がなさそうな態度。しかしその裏には、経験と自信に裏打ちされた底知れぬ強かさを感じさせる。

 

 明らかな異常存在に、フェルトの脳内で警報が打ち鳴らされる。恐らくは、というより、確実に。フェルトでは足元にも及ばない、圧倒的強者。それも、フィアラに相当するほどの。

 

 そのフィアラは、女の存在に大きく動揺した様子を見せつつも、すぐさまフェルトを庇うようにして立つ。滴るその汗と切迫した表情を見れば、フェルトの思考が杞憂でないことは明らかだった。

 

「何の用だ。サクラ。話なら後で聞く。今は出て行け」

 

「…………あぁ。その子が、お母様の仰っていた『白駒』ですか。なるほどぉ。確かにこれは、代用品としては十分過ぎますねぇ」

 

 サクラ、と。そう呼ばれた女性は、フィアラの言葉に耳を貸すこともなく、無遠慮にフェルトを眺めた。フィアラの言葉を聞く限り、二人は既知の関係性にあるのだろう。

 

『白駒』。代用品。訳の分からない単語を羅列させつつ、礼を重んじるかのように。しかし嘲るように、女性はフェルトに相対した。

 

「一応、名乗っておきましょうかぁ。お互いの名前も知らないと、ちょぉっと不便ですしぃ」

 

 変わらずフィアラを無視して、女性は惚けた口調で、聞いてもいない自己紹介を始める。

 

「私はサクラ・エレメント。隠しても仕方ないですから白状しておきますと、そこの『レプリカ』ちゃんと同じお母様の娘。関係を強いて言えば、姉弟というところでしょうかぁ?」

 

 惚けてこそいるが、その口ぶりから嘘は見て取れない。フィアラの姉というのは、どうやら本当なのだろう。

 

 しかし、なんだ。ただの姉弟というには、フィアラの態度も、サクラの様子も。どちらもあまりにも、鬼気迫り過ぎている。

 

 というよりも。何か。フェルトは何か、大切なことを忘れているような。そんな予感があったからか、フェルトが警戒を解くことはなかった。

 

「姉……フィアラのねーちゃんが、こんなとこまで随分だな。何の用だよ」

 

「あらあらぁ? 随分と嫌われちゃってますねぇ。それに、フィアラ……フィ、アラ…………ふぅん。いい名前ですねぇ、リルちゃん?」

 

 フェルトの威圧に眉一つ動かさず、サクラは今まで無視し続けていたフィアラに流し目を向ける。耳慣れない名前を、他でもないフィアラに投げて。

 

 それに対するフィアラの反応は、またしても余裕のなさすぎるもので。

 

「……御託はいいから、とにかく──」

 

「帰りませんよ。だってここでおめおめ帰ったら、()()()()ちゃん、逃げちゃうじゃないですかぁ。私、お母様から結構キツく言われてるんです。金の鵞鳥を、絶対連れて帰ってこいって」

 

 気だるさの消えた声で。サクラ・エレメントは、初めて強い意志を見せつける。フィアラの語勢は、それによってか途端に弱くなった。

 

 そしてフェルトは、そのあまりにも勝手な言い分によって抱きかけていた違和感の正体に突き当たり、ハッと顔をあげる。

 

『母さん』と。

 

 平和ボケもいいところだ。フィアラがそう呼んでいた相手のことなど、たった一人しかいなかっただろうに。

 

「お母様……! 大罪司教『色欲』か!?」

 

「あら、そこまで話してたんですかぁ。意外ですぅ。アナタ、随分とフィアラちゃんに気に入られてるんですねぇ」

 

 のんびりした口調ながら、それはフェルトの言を否定しない。

 

 姉弟などとんでもない。フィアラにとってはまさに、サクラは過去からの刺客。トラウマの最深からやってきた、絶望の権化そのものなのだ。

 

 しかし、それならそれで疑問が残る。

 

「……でも、なんでだ。なんで、急にお前らみたいなのが出張ってきた」

 

 一年。一年だ。フィアラが『色欲』の元を逃れて、およそ一年。そのうちに、こうやって襲撃するチャンスなどいくらでもあった。フィアラを連れ戻したいのであれば、今よりも確実なタイミングは必ずあったはずだ。

 

 しかし、不確かなタイミングの今に。しかも、わざわざこのタイミングで、『色欲』一派が出張ってくるなど。あまりにもぞんざいというか。悪い意味で都合が良すぎる。

 

 たまたま偶然。そう結論づけるのは簡単だろう。しかし、ポカンと呆気にとられたかのようなサクラの表情は、フェルトの思考を肯定するように明確に浮かんでいた。

 

「あら、話してなかったんですかぁ? 私たちのこと──」

 

「やめろ!」

 

「──呼びつけたのは、フィアラちゃんの方だって」

 

 フィアラの制止は意味を成さず。言葉はそのままの形で、フェルトの耳に入ってくる、

 

「あはぁ。なら教えてあげます。私がここに来れたのは、フィアラちゃんが自分でこの場所を教えてくれたからなんですよぉ」

 

「黙れ……」

 

「フィアラちゃんはこの見た目ですからぁ。情報なんて、フィアラちゃんが制限しなかったら自然と漏れ出ちゃうんですぅ。私たちも見つけられませんでしたし。でも、最近になって急に、フィアラちゃんらしき目撃証言がすっごく増えたんです」

 

「黙れ……!」

 

 つまり。フィアラが統制をやめたから、今まで見つけられなかった『色欲』の派閥は、簡単にこの王都に的を絞れた、ということだろう。その目的はもう知っている。『色欲』のアジトに戻って、過去の記憶を取り戻すことだ。

 

「ところで…………アナタ、随分とフィアラちゃんと言い争いをしてらっしゃったみたいですけどぉ」

 

 しかし。それだけにしては、フィアラの態度はあまりにも狼狽が過ぎる。

 

 らしくもない。何を焦っている。今更何を言われたところで、フィアラに悪影響があるとは思えない。なら、なんだ。そこには一体、何が──

 

「黙れって、言って……!」

 

 フィアラが激昂し、サクラの口を命ごと止めようと動く……

 

「ガっ……!」

 

「フィアラ!」

 

 瞬間。フィアラの背後から迫っていた小さな何かが、自らの数十倍もの重量があるであろうその体を、あまりにも呆気なく吹き飛ばした。

 

「黙りませんってば。業腹ですけど、私に命令していいのはお母様だけですぅ」

 

 不満げに頬を膨らませるサクラに構わず、フェルトはフィアラを抱き起した。小さくうめき声を上げているので、死んでこそいない。が、何事もなく立ち上がるということもなく、地面で蒼白な顔をしながら必死に立ちあがろうともがいている。

 

「油断ですよ。フィアラちゃん。その子はぁ、ここ数ヶ月で出来た新種の毒蟲です。ホントは内臓から麻痺させる超猛毒なんですけどぉ。流石のフィアラちゃんでも、数分は四肢が動きませんよねぇ」

 

「毒、蟲…………?」

 

 虫。その言葉の意味を図りあぐねるフェルトに、サクラはポンと手を叩き、その力を示して見せる。

 

 ──即ち。背後の扉から蠢く、闇と錯覚せんばかりの小さな生物達。

 

「改めて。私はお母様の忠実なる娘。『蟲使い』サクラ・エレメント。よろしくお願いしますね。『白駒』ちゃん」

 

 虫で出来上がった螺旋を愛おしそうに抱きながら、サクラ・エレメントはそう宣う。あまりの悍ましさに、さしものフェルトも顔を青く染めた。

 

「……さっきから白駒、白駒と。アタシはフェルトってんだ。その足りねーおつむによく焼き付けとけよ」

 

「……家名はなし、ですか。これは、他人の空似の可能性が濃厚ですねぇ」

 

 それでも果敢に言い返すフェルトに、しかしサクラは不真面目だった。じっとフェルトを見つめたかと思えば、呆れたように首を振り、独り言を繰り返す。

 

「ああ、それで。話の続きでしたね。フィアラちゃんが、全部仕組んだと言う。そういう」

 

「……や、めろ……!」

 

 倒れ伏すフィアラが、なんとか静止の言葉を紡ぐ。

 

「お前らのところに帰ろうとしたことだろ。んなこと知ってる。無駄話してる暇あんなら、とっとと帰って……」

 

「ん? あぁ、言い方が悪かったですね。私が言っているのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()の話ですよ?」

 

「───は?」

 

 あまりにも突拍子のないサクラの発言に、フェルトは呆気に取られた。

 

 隙を作ってフェルトを欺こうとしているのか、と疑うも、当のサクラにはそんな素振りは一切ない。どころか、フェルトの無知を嘲るような様子すら見せて。

 

「本当に、知ってますかぁ? そのフィアラちゃんが、どんな化け物か。その子は、人の心も、空間も、未来すら支配できるんですよ。誰もが、その子の前では操り人形に過ぎない」

 

 支配、と。その言葉を聞き、真っ先にフェルトは鼻で笑おうとした。先の話と同じく、あまりにも壮大すぎる。誇大妄想。誇張の類だと。

 

「例えば──初対面で、あなたはフィアラちゃんに悪印象を持ちましたか? 持ちましたよね。それはこの子の常套手段。人間は初対面で悪い印象を与えた方が、却って後で良さが目立つ。記憶にも残る。長く付き合う相手にはこの手がよく効く。でしたよね」

 

 その考えは、サクラの言葉で一変する。

 

 初めてフェルトがフィアラと出会った時。フィアラは確か、貧民街のことを汚い、汚いと罵っていた。後々誤解だったと知るが、確かにその瞬間は、フィアラに悪印象を抱いたのは確かだ。

 

「真面目な空気が突然緩んだことは? 逆に、お遊びのはずが、突然真面目な空気になったことは?」

 

 それが全くの的外れであると、フェルトは笑い飛ばしたかった。

 

 思い返す。

 

『え!? 使っていいの!?』

 

『あれ!? 想像の百倍ウキウキしてる!?』

 

 思い返す。

 

『いや、にしてもこんなにボードゲームが上手いなら、妓女ってか賭博士みてーだよな。いっそそっちに転職しちまえばどうだ?』

 

『ちょっと本気で魅せてあげる。フェルちゃんのプライドボッコボコにするから。覚悟、すべし』

 

 ───ある。

 

 あまりにも身に覚えのあることに、背筋がスッと寒くなる。ここに来ることになった原因ですらも、サクラの言は的を射ていた。

 

「自分が触れられたくない話題は茶化す。触れたい話題は、空気そのものを歪めて触れさせる。空気が変われば、話題が変わったことになんて誰も気づかない。気づいたところで、だいたいは言い出せません。『そういうことを言える空気じゃない』んですから」

 

 フィアラが『そう』することに、フェルトは薄々気づいてはいた。ただそれは天性の空気の読めなさに起因するもので、決して意図したものではないと。そう考えていた。

 

 サクラの意見は突拍子もない。ない……が。ただ笑い飛ばすには、既に重くなりすぎていた。

 

 目の前の女がフィアラと少なくない時間を過ごしたと言う事実。フェルトの体験を、寸分違わず当てた事実。それらが積み重なり、フェルトの心で比重を増していく。

 

「その子にとって、現実なんてただの遊びなんですよぉ。人間もそう。空気と同じで、盤上のどうとでも動かせる(キャラクター)

 

「違、う……!」

 

「いいえ。違いません。アナタは拠り所にしたこの子ですら、心のどこかで見下している。操りやすいとせせら笑って。それがフィアラちゃん。アナタなんですよぉ?」

 

 勝手知った口調で、フィアラの必死の否定すら踏み潰し。サクラ・エレメントは、『フィアラ』を語る。

 

「教えてあげましょうか。その子がどれだけの人間を破滅させてきたか。教えてあげましょうか。その子がどれだけの人間をたらし込んできたか。教えてあげましょうか。その子が──どれほど股を開いて、縋って。性を貪り、悍ましく交わったか

 

「────ッ……!」

 

 サクラの言葉で、動けないフィアラの顔が、果てしないほどの苦痛に歪む。

 

 それは、自らの過去の辛さ故でもあっただろう。しかし何よりも、それを他でもない、フェルトに聞かれてしまったことによる──

 

 目の前が怒りで真っ赤に染まった。何も考えられず、ただ。サクラが許せないと、そのことだけで思考が埋め尽くされて。

 

「ほらぁ。そうやって()()()()

 

「ぐっ……あっ……!」

 

 しかし。飛びかかりかけたその動作は、それよりも早いサクラの反応を前に潰される。決して鈍く無いはずのフェルトの突進を軽く躱し、そのままフェルトを石畳へと押し付けた。『蟲使い』に。虫を使われるまでもない。一瞬の攻防だ。

 

「今の行動、無心だったでしょう? それが、アナタが知った気になっていたフィアラちゃんの力です。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を孕む人間以外は、全員あの子の操り人形。私や、お母様でないと御しきれない、『色欲』の『レプリカ』の力」

 

 頭を強く押さえつけられ、何も言えずにもがくことしかできない。

 

 いや。驚きで、もがくことすら叶わなかった。

 

 否定したいのに。否定したいのに。

 

 その言葉が出てこない。その言葉を否定するための材料が、今のフェルトの中にはない。

 

「自分の手を汚したくないから、他人を使って怒りを露わにする。それがフィアラちゃんなんです。その子はそれを、ずっと、ずぅっと。アナタと出会ったその日から、続けているんですよ」

 

 ──そんな化け物の。()()()()ちゃんは、何を知って、信じられるんですかねぇ。

 

 最後の言葉が、呪いとなってフェルトにまとわりつく。

 

 もし、フェルトが操られているのだとして。ならば、それはいつからだ。どこからだ。それすらわからない相手を。フェルトは、信じることができるのだろうか。

 

 それだけが頭の中を支配し、喉を塞いで。次に出る言葉も、反論も、何もかもを止めて。

 

 フェルトが出した答えは。無言だった。

 

 

「……さて」

 

 フェルトの様子に満足したのか。或いは、興味すらないのだろうか。サクラはフェルトの頭からあっさり手を離した。悪辣な雰囲気を霧散させて、にこやかにフィアラへと向かっていく。

 

「邪魔者も黙りましたし、本題に入りましょうかぁ。フィアラちゃん。私はあなたに、取引を持ちかけに来たんです」

 

 持ちかけられた側は。それはもう、怪訝を極めたような表情で、強い目力を伴い、強く、強く、サクラを睨む。

 

「……取引? 散々人の誹謗中傷してから、何様だよ、お前」

 

「……あはぁ。ちょっと昔に戻りましたねぇ、フィアラちゃん。その目、お似合いですぅ」

 

 フィアラの回復力は凄まじく、辿々しかったはずの口調は、あっという間に元に戻っていた。サクラはそれを面白そうに眺めて、クスクスと笑う。

 

「ええ、取引ですよぉ。私、力量差はちゃんとわかってますからぁ。今フィアラちゃんが本気で暴れたら。私は無事じゃ済まない。虫ちゃんたちを犠牲にして無傷になったとしても、逃すのは確実ですしぃ。だから、取引です」

 

 勿体ぶるように。自分に比べて圧倒的に強者であるはずのフィアラに、サクラは安堵と確信を胸に微笑む。

 

 妖しげに舌舐めずりをする余裕すら見せながら、サクラは。

 

記憶、ないんでしょう? ティフィちゃんたちの

 

 その名前が、フィアラにとって何よりも大切であると、知っているから。

 

「──んで、それを……」

 

「お母様が仰ってましたぁ。『戻ってくる理由があるなら、それはここに何かを置いてきたからだ』って。そこまで考えれば、お母様がその結論に辿りつかないはずがありませんしぃ」

 

 その様子だと、図星みたいで安心しました。と。言葉に反して驚きを見せずして、サクラは宣う。『お母様』とやらへの信頼が見え隠れする、歪な意思。

 

 そしてサクラは。『蟲』に囚われる狂気の少女は。狂い狂ったその脳で、何よりも賢く選択肢を提示する。

 

「だから、約束しましょう。リルちゃんが無抵抗で帰ってくれるなら、私はあなたの望みのものを差し上げますぅ。思い出話でも形見でも、あなたが欲しいものを、なんでも」

 

 それは、あまりにも魅力的な提案。フィアラにとっては、しがみついてでも縋りつきたい、可能性という名のか細い糸。

 

「なんでも。本、当に……?」

 

「もちろんですよぉ。フィアラちゃんを連れて帰らないと、私も酷い目に遭っちゃいますしぃ。一蓮托生、です」

 

 サクラは微笑む。微笑んで、ほくそ笑む。

 

 それは、取引としては巧緻を極めていた。

 

 フェルトをフィアラに対して幻滅させることで、『フィアラ』として生き続ける道を断ち。そこにフィアラの目的を達成する上での障害を取り除く、最低限かつ明確なメリットを示す。そして相手の利益のある方に、自分の利益を重ね、説得力を増す。

 

 フェルトでもわかる。サクラは、交渉役として間違いなく一流だ。相手の欲するものを見抜き、見定め。何が魅力的に映るかを知っている。

 

 あまりにも完璧な交渉。そこに穴などない。

 

 ない…………が。

 

「おい、待てよババア! 勝手にうちのフィアラを誘惑してんじゃねー!」

 

 その穴を作るのが、フェルトだった。

 

「────は?」

 

 初めて。余裕ぶったサクラの振る舞いが、フェルトの言葉によって崩れた。

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 恐らく、サクラには分からなかった。フェルトが立ち上がる理由も、フェルトの持つ、フィアラに対する執着も。

 

 サクラの言葉通り、もしフィアラが狂人のことを予測できないのだとしたら。サクラは、馬鹿の思考を読めない。

 

 交渉にはセオリーがある。説得にもセオリーがある。

 

 だがそれは、ある程度相手に知性があり、それらについての常識があることを前提とされたものだ。

 

 チンパンジーを相手に、交渉のセオリーが通用するか。発狂する殺人鬼を相手に、説得のセオリーが通用するか。

 

 答えは両方No。それと同じだ。

 

 サクラは、フェルトという少女を読み違えた。フィアラが拠り所にする……或いは、知らずのうちに自らの母親と似た姿を持つ子供に、同じ聡明さを期待したのかもしれない。

 

 故にこそ。通常の説得で。脅しで。フェルトにとってのフィアラの価値を下げることで、フェルトからフィアラを穏便に引き裂こうとした。

 

 だが、それは大きな間違いだった。

 

「サクラ()()()()。アンタ、勘違いしてるぜ」

 

『自分が、相手の計画に上手いように利用されている』

 

 その事実だけで。要するにムカついたという感情だけで。フェルトが後先考えず行動する愚物だとは、さしものサクラも考えが及ばなかったのだ。

 

 潰した。フェルトからのフィアラに執着する意味も、理由も。サクラは見事に、完璧と称していいほどに抹消した。自らをも駒として利用する化け物。そんなものを、誰がどうして欲しがる。手元に置きたがる。

 

 そう思うのが普通だ。嫌悪を覚えるのが当たり前だ。自分から遠ざけようとする人間だっているだろう。

 

()()()()()。フェルトが立ち上がったという事実は、それだけでサクラに衝撃を与えた。自らのプライドに懸けて行った仕事が失敗するというのは、交渉において最高峰の腕を持つサクラを大いに傷つけた。

 

 そしてフェルトは、何も考えることなく。ただただサクラへの『憤怒』を糧に。

 

アタシの目的はフィアラ(そいつ)の体だ!!そいつがどんなクズだろーが関係ねーんだよ!!!長ったらしい説明どーも!!バーカ!!!!

 

 口先三寸で、まさしく子供の口喧嘩同然に、サクラを罵った。

 

 あまりにも稚拙。あまりにも幼稚。先ほどまでのフェルトを見て、その言葉が真実であるなどと、誰が思おう。それがサクラを中傷するためだけの言葉であることは明白だった。

 

 実際。フェルトが立てたのは、まさしく奇跡だった。

 

 確かにフェルトは、サクラの言葉によって、フィアラに対して不信感を抱いた。今までの経験を疑ったし。或いはフィアラに対して、裏切られたという気持ちを持たなかったわけでもない。

 

 ただ。その気持ちよりも、感情が先走った。

 

『フィアラ』を盗られる。『フィアラ』がどこか遠くに行ってしまう。その事実が、フィアラの性格云々などと、複雑なことを考えるのをやめさせた。

 

 本当にそうなのか。いつからそんなことをやっていたのか。そんなことは、フィアラを取り返してから問い詰めればいい。

 

 フィアラが自分の元からいなくなるという恐怖。ほとんど依存に等しい感情に従って、フェルトは動いていた。たとえそれが、フィアラによって植え付けられた思考だったとしても。

 

 立ち上がって口汚く罵るフェルトを一瞥し、サクラは一つ、大きなため息をつく。

 

「───見え透いた挑発ですねぇ」

 

 変わらず、やる気のなさそうな声音で、サクラは面白くなさそうにフェルトを見下した。

 

 そして、腕を振る動作を一つ。

 

 

てめぇみたいなクソガキが一番イラつくんですよ

 

 瞬間。

 

「───は?」

 

 フェルトは顔面を強く殴られたかのような衝撃で、後方に大きく吹き飛んだ。

 

「ぐ、ぁ……が……」

 

 とてつもない膂力は、小柄なフェルトを容易に壁へと叩きつけた。運悪く扉の方向へと吹き飛ばされたフェルトは、その取手部分に強く背中を打ちつけてしまった。背中から伝う衝撃に、呼吸を危うくしながら床へ倒れ込む。

 

 起こった現象を、フェルトは理解できない。サクラとは充分な距離があった。一息で詰めたとしたなら、あまりにも早すぎる。フェルトや、それこそフィアラ以上だ。

 

 力も、フェルトが感じたのは女性が出せるものではない。ロム爺を思わせるほどの怪力。それが、サクラに出せるとは到底思えなかった。

 

「私はサクラ。『蟲使い』のサクラ・エレメント。得意なことは交渉。戦闘では、範囲殲滅を基本としてますぅ。集団戦闘がメインですからぁ、フィアラちゃんやあの女みたいに正面戦闘は得意じゃないんですけどぉ」

 

 呻きながら、辛うじてサクラを見上げる。するとそこには、驚くべき光景が完成していた。

 

 ──巨大な、拳。

 

 サクラの腕の数倍はあるだろうか。黒く反り立つ巨人の腕。サクラのすぐ横に、それが浮かび上がっている。

 

 何より不気味なのは、その形状だ。ぼやけた視界ではわかりにくかったが、意識がはっきりするにつれ、その輪郭がざわざわと蠢いているのがわかる。さらに、肘から下も存在しない。切り取ったような拳だけが、そこに浮かび上がっている。

 

 不意に、サクラがパチン、と小気味良く指を鳴らす。その瞬間。黒い拳はその形を解き、正体を顕にした。

 

 即ち。──恐らく一万匹を超える、羽虫の大群へと。先ほど見せた螺旋は、恐らく数百匹程度だった。

 

 だが、これは。

 

 これはあまりにも。数が多すぎる。

 

「こうやって虫さんたちを集めれば、不意打ちで人を殺すくらいできるんですぅ。あなたみたいな礼儀知らずなら、尚更」

 

 再度、サクラが指を鳴らす。すると虫は命令に従ってから、その姿を再び拳へと変えた。

 

 そして照準を、動けないフェルトの背に合わせ、のたうつように姿を揺らして。

 

「い゛ぁあっ!?」

 

 体を覆う圧迫感。群の拳は重量と運動エネルギーこそなかったが、代わりに羽虫の体が擦れることによる、摩擦と切り傷の熱を孕んでいた。まるで回転する刃に押し潰されているかのような痛みが、フェルトの背中を削り、引き裂いていく。

 

「あはぁ。お母様と同じ顔を嬲るの、ちょっとクセになっちゃいそうですぅ」

 

 痛みと苦しみに悲鳴を漏らすフェルトに対し、サクラは恍惚で応えてみせる。

 

 そのあまりの凄惨さに、今まで口を噤んでいたフィアラが口を挟んだ。

 

「サクラ! いくらなんでも、これは……!」

 

「もう。この程度で動かないで下さいよ。言っておきますけど、この子がもしお母様に見つかれば、こんなものじゃ済まない。それは一番、フィアラちゃんがわかってるじゃないですかぁ」

 

 フェルトの悲鳴をよそに、サクラはぷぅ、と似合わなく頬を膨らませ、拗ねてみせる。

 

「それとも。約束を反故にして、フェルトちゃんを助けに入りますぅ? 私はそれでもいいですけどぉ、その先のこと、分かってますよねぇ?」

 

「……そ、れは…………」

 

 その脅迫に、フィアラは黙り込んでしまう。頭の回転が早いからこそ。もしも、今フェルトの側につけばどうなるか。それを、フィアラは察してしまう。

 

 ティフィを選ぶか。フェルトを選ぶか。その二択は、フィアラの思考を止めるのに、あまりにも十分過ぎた。

 

 そうして、沈黙が続いたその時。折れるように、サクラが再度ため息をつく。

 

「…………ま、いいですよ。もう萎えちゃいましたし。この辺りで勘弁してあげますか」

 

 指を弾く。すると、虫の脈動はあっけないほど簡単に終わり、主人であるサクラの元へと帰り着いた。

 

 痛みで気絶する寸前のフェルトの首筋に、ふと。触れる温かい感触があった。

 

「……て、め……フィ…………」

 

「…………ありがとう、フェルちゃん。本当に、嬉しかった。でも、今度こそ本当にお別れみたい」

 

 もう立ち上がれたのか。フェルトの脈を取ったであろうフィアラは安堵の表情を浮かべ、そんな言葉を残して去ろうとする。

 

 それすらも演技で、フェルトに自分たちを追わせないためのものだとすれば。なるほど、大したものだ、その言葉だけで、救われたと感じてしまう自分がいる。もう十分に、頑張ったじゃないかと囁く自分がいる。

 

 だからこそ。

 

「待、てよ……まだ。話は、終わって……ねぇ……ぞ」

 

 血まみれになりながらも。フェルトは、フィアラの足へと縋り付く。白磁の足に、フェルトの血潮がこびりついた。

 

 フィアラの反応は、もう感じられなかった。

 

「───ほんっとうに、ムカつくガキですねぇ」

 

「ぐ……ぁ……」

 

 不機嫌そうに呟いたサクラのブーツの爪先が、寸分違わずフェルトの鳩尾を貫いた。

 

 もはや虫すら使わない、純粋な暴力。

 

 石ころのように蹴り飛ばされ、フェルトは倒れ伏す。

 

 痛い。苦しい。熱くて、痛くて、たまらなくて。

 

 

 その消えかけた視界に、去り際のサクラとフィアラを見た。

 

「こんな風に命を無駄遣いして、それで満足ですかぁ?」

 

 ズタボロになって。ボロ雑巾のようになって。嘲笑われながら、フェルトはその姿こそが自分にお似合いだと笑う。

 

 でも。でも。

 

 このまま諦めることだけは、心のどこかが許さなかった。

 

 そしてフェルトは。この状況を自らの思うように変える術を。たった一つだけ、知っていた。

 

()()()……」

 

 その呼びかけに、フィアラは答えない。憐れむような目でフェルトを見て、そしてゆっくりと、サクラの方へと歩き出した。

 

 賭けですらない。それは数式を解くように、薬を使うように、結果が分かりきっていること。フェルトの想定が間違っている可能性など、考えることすら馬鹿らしい。

 

 知っていた。ずっと知っていたとも。その言葉を口にすれば、きっとフェルトの目的は果たされる。()()()()()()()()()()()

 

 きっと、それだけが。それだけこそが。この状況を解決する、唯一の手段だったのだ。

 

 後悔は残るだろう。フェルトはきっと、この決断を許せない。自身を一生恨んでいくことになる。自分のわがままで、自分の独善で。フィアラという人間の一生を歪めてしまう。

 

 笑いが込み上げる。それは他の誰でもなく、数瞬前の自分に対して。

 

 ──フィアラが、フェルトの全てを予測し、操っていて。フェルトが発そうとしていた言葉すら操っているのだとすれば。

 

 それは、あまりにも滑稽すぎる。もしそうあってくれたなら。フェルトが悩む必要など、これっぽっちもなかっただろうに。

 

 いや。或いは。

 

 フェルトはもう、囚われていたのかもしれない。囚われて、逃げたくて。それでも、手放したくなかったのかもしれない。

 

『フィアラ』という、深すぎる狂気を。

 

 だから。今ここで、フィアラを失うくらいなら。例え、代償に正気を喪ったとしても───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………アタシを、助けてくれ

 

 

「───」

 

 例えば。

 

 それが命令であれば、フィアラは動かなかったのだろう。

 

 例えば。

 

 それがフィアラを思っての言葉であれば、フィアラは動かなかったのだろう。

 

 それ以外のどの言葉でも、きっとフィアラは動かなかった。

 

 その懇願もそう。決して、その言葉自体に心が動かされたわけではない。

 

 止まったままの心が。凍りついた意思が。僅かにだろうと、動いたはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 ただ。

 

 一年間、ずっとそばで見続けてきた少女の言葉に。嘘でありながらも、大切に思ってきた少女の言葉に。

 

「────……ッ!」

 

 無防備なサクラの頬を、鈍色の塊が掠る。自らの肌に迸る紅と疼痛に、『蟲使い』は瞳孔を見開いた。

 

「…………い、まさら……抵抗ですかぁ!?」

 

 心ではなく、体が先に動いていた。

 




フィアラが化け物云々という話は、実は本編にも繋がる重要なファクターです。

次話はほぼ完成してるので、本当に嘘偽りなく明日投稿です。そしてフェルト√ 最高峰のクオリティです。

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