今回は三女編のこの子のお話になります。ちょっと前二人とは話の展開を変えてみました。楽しんでいただければいいのですが。
では、どうぞ。
万里の抱いていた悩み、蟠りを解いてから数日後のある日。この日は政務が滞りなく終わったため、伊万里と九峪による鍛錬があった。
「一、二、一、二…」
「いち、に、いち、に…」
城の中庭。いつものところに腰掛けて娘たちの様子を見守っている九峪から少し離れたところでは、伊万が上乃とともに掛け声をかけながら槍を振っている。他方、
「かかさま、もういっぽん!」
「いつでも」
「やあっ!」
伊万里を相手に、万里が打ち込み稽古をしている。その二人の様子に、ぎこちないところはない。
(うんうん…)
愛娘たちの様子が戻ったことに九峪は内心で満足そうに首肯していた。伊万と万里はそれぞれお互いに思うところがあったようだが、今は解消されている。その証拠に、休憩時間などでは以前のような仲の良い光景が見られるようになったのだ。
(あの子たちに何も落ち度はないんだけどな…)
気負いや柵、周囲の大人たちの勝手な思惑で余計な重荷を背負わせていたことに九峪はもう何度目になるかわからない申し訳なさを感じていた。己が選んだ生き方のために、父親とはいえ常に側にいてやることができない自分のふがいなさが一番悪いのは間違いない。だが当時は、こうしなければ収まりがつかない状況でもあったのもまた紛れもな事実だったのだ。勿論、沢山の美女たちと関係を持てるというスケベ心も当然あったが。
(全く…我ながら度し難いよな…)
台替わり…というか、実権は各知事や女王にとっくの昔に譲った身ではあるが、それでも九洲…耶麻台国において神の遣い…九峪の威光や威名には衰えはない。狗根国から九洲を取り戻し、耶麻台国を復興させた張本人であり、それがまだわずか十年前のことなのだから当然と言えば当然のことなのだが。しかしそのために、こういった当事者たちが望んでもいないような余計な厄介ごとが起こることもあるのだった。とはいえ、今回の行幸に関していえばもう大丈夫そうだった。
(大人になれば否でもこういったことには首を突っ込まされるんだから、せめて子供の時分ぐらいは好き勝手に過ごしてもらいたいもんなのにな…)
上手くいかないよなぁ…と心中で嘆息し、そして誰にも悟られないように小さく溜め息をついた。と、
「うん、大分腕を上げましたね」
仁清のそんな声が聞こえて顔を上げる。そこには、もう一人の愛娘である伊里に弓を教えている仁清の姿があった。
「ほんと!?」
仁清に褒められ、伊里がパアッと顔をほころばせる。
「ええ」
その反応に嬉しくなったのだろうか、仁清もまた笑顔を見せた。
「伊里様は流石に筋がいい。やはり伊万里…っと、伊万里様の御息女です。血は争えませんね」
「ははうえ、そんなにすごかったの?」
「ええ」
仁清が頷いた。
「もっぱら頼みにしていたのは剣ですが、弓の扱いも一流でした。昔の話にはなってしまいますが、伊万里様は実に山人らしい山人でしたよ」
「そうなんだ…」
あまり聞いたことがなかったのか、母親のそんな一面を聞いて伊里が表情を輝かせた。
「ねえねえじんせい、もっとははうえのおはなしきかせて」
「はい…と言いたいところなのですが…」
仁清が言葉を濁らせる。
「? どうしたの?」
その仁清の姿に伊里が首を捻った。
「…いえ、ただ今は鍛錬の時間ですので、それはまた今度に」
「ええーっ?」
「申し訳ありません、伊里様」
「ぶうっ!」
頬を膨らませて抗議をする伊里。その姿に苦笑しながらなんとか宥めすかして鍛錬を再開させる仁清。その様子に微笑ましくも苦笑した九峪だった。何故苦笑したのかというと、伊万里が自分の名前を出したあたりか仁清を睨んでいたからだ。余計なことは言わないようにという無言の圧というやつである。それを感じ取ったからこそ仁清は口を噤み、そして九峪もそれがわかったからこその苦笑だった。
(あんなにプレッシャーかけることないのになぁ…)
とはいえ、そんなことを馬鹿正直に言ったら今度はこちらに飛び火しそうなので右へ倣えして口を噤む。そうしながら、九峪は伊里の様子を見ていた。
(伊万と万里は余計なもの背負いこんでたけど…)
見る限りでは、伊里にそういった様子は見えない。そのことにホッとしつつも、伊万と万里だけに個人的な時間を割いたのもまた事実なので、そのうち伊里にも父娘の時間をとるかなと考え、九峪は引き続き鍛錬を見学したのだった。
同日夜、寝所。
「……」
九峪が頭の後ろで手を組んで天井を眺めながらあることを考えていた。それは伊里についてである。鍛錬の後の勉強、そして夕食、入浴、睡眠といつものルーチンをこなしている間、伊里の様子を特に窺っていたのだが普段と全く変わる様子がなかった。つまり、伊里には現状で何か起こっているわけではないのだろう。それはありがたい。それはありがたいのだが…
(もう少し甘えてくれてもいいと思うんだけどな…)
九峪としてはそれが不満だった。いつもと変わらないということはつまり普段通りということであり、この場合の普段通りとは父親がいない日常ということになる。それに対して何も変わらないということは、少なくとも伊里にとっては九峪のいない日常に違和感はないということとも考えられた。
(伊里…お父さんは悲しいぞ…)
一年のうちに数か月しか一緒にいないのに何を言っていると言われても仕方ないことではあるのだが、それでも父親として子供に見向きもされないというのはそれはそれで非常に悲しいことである。
(少しは父親らしいことしてやらないとな…)
このままではどんどん伊里の中では父親認定が薄くなってしまいかねない。そういう意味での焦燥感というか恐怖感を感じながら、九峪は近いうちに折を見て時間を取らなければと改めて決意していた。と、
「んっ…」
すぐ側で寝息が聞こえ、慌てて九峪が視線を移した。隣にいる伊万里は寝息を立てた後少し身じろいだものの、起きる様子もなく気持ちよさそうに眠っている。その様子に九峪はホッと胸を撫で下ろした。
本日も当然お勤めという名の夫婦の営みはあった。何しろ一年で数か月しか一緒にいられないため、どうしてもその期間は求められることになるのだ。仕方のないことではあるので九峪としては断る選択肢はない。だが、耶麻台国にきてからかれこれ十年は経ったというのに九峪とこの時代の人間たちの体力差は一向に縮まらなかった。そのため、夫婦の営みでもほぼ毎回こちらがギブアップするのだが、今日に限っては珍しく伊万里の方が先に力尽きてしまって眠りに就いたのだった。
(珍しいこともあるもんだよな…)
こういったことが今までもなかったわけではないが、それでも数にしたら両手で余るぐらいの回数しかなかったため九峪は驚いていた。まあその分、こちらも今日はゆっくりと休めるので有難くはあるのだが。
(ハッスルし過ぎたのかねぇ?)
満足そうな表情を浮かべながらぐっすりと眠っている伴侶の姿を見ながら九峪はそんなことを考えていた。普段の政務に加えて娘たちの鍛錬、それに何より九峪との再会で、自分は抑えているつもりでもボルテージが上がっていたのかもしれない。そのため、知らず知らずのうちにいつも以上に体力を使ってしまい、ここでスタミナが切れてしまった。そんなこともまあ、考えられないことはなかった。
「……」
そんな、勝手な推論を考えながら伊万里に視線を移した九峪だったが、やがてその一糸纏わぬ肢体を抱き寄せると、自分も同じように目を閉じた。
(明日はまた、搾り取られることになるのかね?)
身体の密着している面から感じられるその体温を感じながらそんなことを考え、九峪もやがて眠りに落ちたのだった。
翌日。
「ふう…」
中庭で伊里が一人額に滲んだ汗を拭っていた。今日も政務が順調に終わったため、伊万里たちによる鍛錬があった。それが終わり、九峪との勉強も終えたのだが、今日はそれでも時間が少し余ったため夕食までに思い思いの時間過ごすことになったのだ。そして伊里は再び中庭に戻り、再び弓の訓練に励んでいたのである。
「ううん…」
不満げな表情で首を捻る伊里。昨日は仁清にああは言われたものの、今日は昨日から一転して調子が悪かった。的に当たる矢は二回に一回ぐらいしかない。
「はぁ…」
どうにもひどい結果になってしまったことに溜め息をつきながら、放った矢を拾いに歩き出した。と、
「伊里」
不意に、名前を呼ばれた。
「え?」
名前を呼ばれるとは思わなかったため驚いて振り返る。そこには、九峪の姿があった。
「あ、ちちうえ!」
父の姿に、伊里がぱあっと表情を輝かせた。そんな伊里に手を挙げて九峪は近寄る。
「熱心だな」
「えへへ」
父である九峪に褒められた伊里がはにかんだ。
「まだ続けるのかい?」
「たんれんのこと?」
「ああ」
「ううん…」
伊里がプルプルと首を左右に振った。
「あまりちょうしがよくないので、きょうはもうおわりにしようかなって」
「そうか。それじゃ、片づけを手伝おうか」
「いいの?」
「ああ」
「ちちうえ、ありがとう!」
元気よく答えた伊里の頭をポンポンと軽く撫で、九峪は矢を拾いに行った。その後ろを、伊里もトコトコとついていく。そして二人は手分けをすると、伊里が射た矢をすべて回収したのだった。
「これで全部かな?」
最後の一本と思われる矢を回収した九峪がキョロキョロと周囲を見渡した。一応、目につくところにある矢は回収したはずだが、見落としがあるかもしれない。と、
「えっと、あと、あっちに…」
何かを思い出した伊里が慌てて走り出す。その先には小さな茂みがあった。
「?」
どうしたのかと思った九峪が首を捻っていると伊里がその茂みの中へ突っ込む。そして、すぐにそこから出てきた。その手に、一本の矢を持って。
「何だ、そんなところにもあったのか」
「えへへ」
自分のところに戻ってきた伊里にそう尋ねると、今度は少し恥ずかしそうな表情になる。
「じつはいっぽんへんなところにとんじゃって…。ぜんぶおわったらひろおうとおもっていたから…」
「そうか」
納得した九峪の横で、伊里がその拾ってきた矢を回収した矢弾の中に戻す。
「これで全部かい?」
「うん!」
元気よく返事をした伊里に九峪は顔をほころばせると、その矢弾を一つに束ねた。
「ちちうえ、ありがとう!」
「おっ、ちゃんとお礼を言えるな? 偉いぞ!」
「えへへ…」
褒められ、撫でられた伊里は顔を赤くしてまた表情を綻ばせた。
「もう少ししたら夕飯だけど、まだちょっと時間があるな」
「そうだね」
「ああ。ということで、父上と少しお話でもしないか?」
「え? う~ん…」
九峪からそう振られ、伊里は少し考えこむ。
(伊万と万里は喜んで応じてくれたのに…)
その反応に、やはり伊里は自分に対する優先度は低いのかと思わされ、九峪は内心で滝の涙を流していた。が、
「たまにはいいかな」
そう結論づいたらしく、伊里がトコトコと歩き出した。
「お、おい、伊里」
その後ろを九峪が追う。九洲を救った英雄ではあるが、このときばかりはその勇姿の片鱗も見えなかった。やがて伊里はいつも九峪が腰を下ろしている縁側のそばまでくると、いつもの九峪と同じようにそこに腰を下ろす。少しおいて追いついた九峪もまた腰を下ろした。と、
「伊里」
「ん?」
到着早々、九峪が伊里に視線を向けると口を開く。
「なに? ちちうえ?」
「父上は悲しいぞ?」
「? なにが?」
何のことを言っているのか本当にわからないのだろう。伊里はきょとんとした表情で首を傾げていた。
「父上を無視してさっさと行っちゃうなんて…」
「えぇ~…」
さめざめと泣き真似をし始めた九峪に、伊里は慌てるどころかイヤそうな表情を浮かべた。
「そんなことでなかないでよ。おとななんだから」
「うっ」
マセているというか大人びているというか妙に冷静というか、とにかくどう表現していいかわからないが予想外の伊里の反応に九峪は言葉を詰まらせた。
(泣き落としも効かないのか…)
強敵だなと内心で冷や汗をかきながら泣き落としをやめる。
「いや、すまなかった」
「すぐあやまるんならやらないの」
「む…」
泣き落としが効かないどころか窘められ、九峪もタジタジである。上二人が、言ってはなんだが扱いやすかったのとはまるで真反対な末娘に、どうしたものかと九峪は頭を捻った。と、
「それで?」
間髪を入れずに伊里が尋ねてきた。
「ん?」
「どうしたの? おはなしなんて」
「あー…その…な…」
「うん」
伊里がコクンと頷くと、九峪の次の言葉を待つ。だが残念ながら、九峪には妙案がなかった。もう少し時間があれば色々と考えられたが、予想外の反応を見せられた上に態勢を立て直す時間も与えられなかったとあって、話に入るいい切り口が思い浮かばなかった。
(ええい、ままよ!)
仕方ないと九峪は割り切りった。そして、
「なあ、伊里」
「うん」
「伊里は、父上に何か話しておきたいことないのか?」
「え?」
と、話を切り出す。だがその言葉に、また伊里がきょとんとした表情になった。
(無茶苦茶だな…)
その伊里の姿に、九峪も内心で冷や汗をかいている。自分から話でもしようと振ったのに、相手にそんなことを聞いてどうするんだと改めて後悔していた。まあそれだけテンパっていたとも言えるが。さてでは、話を振られた伊里はというと、
「……」
最初こそきょとんとした表情をしていたが、すぐにその表情は胡乱気なものに変わった。そしてジト目になる。
(う…)
近年ではあまり感じることもなかった嫌なプレッシャーを感じ、九峪の表情が歪んだ。勿論、それは内心でのことであり、表面には出していないのだが。と、
「ちちうえ」
徐に伊里が口を開いたのだった。
「は、はい」
何故か敬語になって返答する九峪。だが、そんな九峪に構わずに伊里は先を続ける。
「すわってください」
「え?」
その伊里の言葉に九峪は首を傾げた。というのも、もう既に座っているからである。それなのに座れとは…
「いや…」
どう返答したらいいかわからずに口ごもる九峪。と、
「ちゃ・ん・と、すわってください」
噛んで含めるように伊里がそう続けた。その口調、そして雰囲気に、九峪は慌ててその場に正座して座り直した。
「ええっと…」
迫力に押されて思わず正座した九峪の正面に、伊里が仁王立ちする。それも、手に腰を当てた状態で。その愛娘の姿に遥か昔のことになってしまうが、教室で教師に怒られているときのような感覚を感じていた。と、
「…いいたいことはあるけど、まずはじめに」
「は、はい」
「あねうえたちとおなじようになるとおもったの?」
「え?」
再び九峪が首を傾げる。その様子に、やれやれといった感じで伊里が盛大に溜め息をついた。
「あねうえたちともなにかおはなししたんでしょ? ふたりともようすがかわったもん」
「あー、うん」
「それで、わたしともおなじようにおはなししようとした。でしょ?」
「うん、まあ…」
そう答えた九峪の鼻先に、伊里がビシッと人差し指を突き付ける。
「あねうえたちがよろこんだからって、わたしもおなじようになるとおもったの?」
「う…いや…まあ…」
「まったく…」
完全に見透かされる形となった九峪に、伊里が今度はむくれた。
「いい、ちちうえ?」
「は、はい」
「あねうえたちがちちうえとおはなししてよろこんだからって、わたしもそうだとおもったらおおまちがいだからね!」
「はい!」
「まったく…あねうえたちだけなく、ははうえもちちうえにはあまいからしかたないけど、わたしはちがうから!」
(うわあ…)
まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった九峪だったがどうしようもない。が、
(いや、待てよ…)
この伊里の反応に九峪はふと我に返った。
(考えようによっては、自我が順調に芽生えているともとれるか。まだ六歳だと思っていたが、もう六歳ともいえるわけだし。そう考えれば、この反応も着実に成長している証でもあるのか)
立場上、いつも一緒に入られないため再会するたびに成長に驚かされるが、これもその一環と言ってもいいのかもしれない。六歳といえば、個々の性格に筋道も見えてくるころだ。たとえ三つ子の姉妹であっても、似るべきところと似ないところはハッキリと現れ始めてくる。そう考えれば、この状況も喜ばしいとも言えた。
(間近でその成長を見れないのは残念だけどな)
それでも成長の証であることに間違いはない。そのことに思い至った九峪が思わずクスッと微笑んでしまった。と、
「なにがおかしいの!」
それを目の当たりにした伊里が真面目な話をしているのに笑われたと思ったのか、語気を強める。
「い、いや、違うんだ!」
慌てて否定しようとするが、火が点いてしまったのか伊里は聞く耳を持ってはくれない。
「だいたいちちうえは…」
怒った表情もまだあどけない伊里だったが今の九峪にそれを指摘できるわけもなく、平身低頭、やり過ごすしかなかった。しかしその後も収まらず、伊里の九峪に対するお説教は結局、夕食の時間になるまで続いたのだった。