後半、日本語にしか聞こえないロシア語を操る方々が登場しますが、[ ]内のセリフに関してはロシア語と思ってください
ロシア語なんです
若狭基地 1800
能登防衛基地から出発して数時間後、能登から戻った面々が若狭基地に到着したのは、既に日が落ちた頃だった
「吹雪っ!!」
力強く執務室の扉を開けた山下
その後ろには長門と浦風、そして阿賀野の姿があり、4人ともまさに必死といった表情で執務室に入ってくる
「あ!司令官!お帰りなさい!…早かったですね」
執務室には吹雪が1人、秘書艦補佐の執務机にちょこんと座り、いつもの笑顔で山下を出迎えた
「……はぁ…はぁ……」
拍子抜け
執務室には山下の息を切らした呼吸音しかしなかった
「予定より早かったんですね!…一言電話を頂ければ基地前までお迎えに行ったのに…」
席を立ち、残念そうにトコトコと山下に近づく吹雪
「…吹雪」
そう吹雪の名を呼んだ阿賀野の表情は固い
それもそのはず、山下を除いて先の能登の件を実体験者から唯一直接話を聞いた若狭の艦娘であった阿賀野は当然吹雪を警戒していた
「…はい?」
「いつもの服装じゃないのね…何かあったの?」
極めて冷静に、いつも通りを貫き阿賀野は吹雪に問いかける
「はい。インクをこぼしてしまったので着替えたんです」
この時吹雪が来てた服は普段彼女が着てる長袖セーラー服ではなく、予備で支給された別の冬用色違いの長袖セーラーだった
「…そう」
「なぁ吹雪……俺たちがいない間、何も起きなかったか?」
「はい!問題ありませんでした!」
吹雪、元気に敬礼
しかし山下は気が気でならない
吹雪の笑顔を見れば、高橋から聞かされた話を吹雪に当てはめることができないのだ
阿賀野も浦風も何も言えずそこに立ち尽くす
沈黙の封を切ったのは長門だった
「バスの中で話したのだ…もし我々が居ない間、基地で問題事等が起きてないのであれば本日の執務を早めに終わらせようか、とな…」
3人に比べて冷静な、いつもの長門がそこにいた
「…執務を、ですか?」
吹雪は薄眼で長門を見上げる
「そうだ。早く戻ったとはいえ、我々は無事演習を終わらせてきた。任務を終わらせてきた。…提督はお疲れだ…疲れた状態で執務作業ができるものか?……どうだ?駄目か?秘書艦補佐殿?」
「…うーん…そうですね……はい、わかりました」
吹雪は腕を組んで考えはしたが、長門のいつも通りの"普通"な態度に特に不審がることはなく、素直に頷く
「ウチらは今日の合同演習の反省会じゃ、執務室使うけぇね」
浦風も笑顔で吹雪に言うと、吹雪もにこりと笑い
「そうですか……では私はもう上がりますね!皆さん演習、お疲れ様でした!おやすみなさい」
そう言って吹雪は執務室を出て行き、艦娘寮のある方へ歩いていった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
能登防衛基地 執務室
山下達が若狭へ到着する頃、高橋は電気の消えた執務室、執務椅子に座りタバコの煙を肺に入れていた
そこへ執務室の扉が開く
「…何よ…電気も付けないで…」
秘書艦の曙だった
「…まぁ、なんだ…センチな気分なもんでな…」
高橋は片方の口元を吊り上げ笑う
「…若狭の提督のこと考えてたんでしょ?」
「…わかるのか」
「当然でしょう…」
高橋はタバコを咥え、煙を口から喉に、喉から肺に入れ、溜めた煙をため息のように吐く
「…あの若造…モタモタしてると一人ぼっちになっちまうかもな…」
遠い目をした高橋がそう呟く
「…そんな事より…今日も、その…するの?」
曙は顔を恥ずかしそうに赤くし、高橋の服の裾を掴む
「ああ…悪いな…」
そう呟き高橋は椅子から立ち上がり曙の前に両膝を付く
「…仕方ないわね…」
曙は右手のぐるぐる巻にされた包帯を外す
すると、右手の肘から先にあるはずの手首、掌、指は無く、手首の切断面は薄い膜の様な治りかけの皮膚が張った状態になっていた
そんな曙を前に、両膝を床に付いた高橋は曙の右手の指も掌も無い丸くなった先端を両手で優しく握ると顔を伏せる
「…ぐ…ぅぅ……あ、曙…っ!」
「…もう、気にしてないのよ…?」
高橋は涙を流し、懺悔するように、祈るように曙に呟く
そんな高橋の頭を曙は左手で優しく、愛でるように撫でる
「俺が…もっとしっかりしてれば…天霧も…朧も……!…ごめんっ…ごめんなぁっ!」
ある時期よりこのやり取りが高橋と曙の日課となっている
吹雪が能登をめちゃくちゃにした日、直接被害を受けたのは高橋だけではなかった。
高橋に立ち場が近かった曙にもその被害を受け、吹雪の気まぐれによってその右手を切断されたのだ
それを知った高橋は吹雪の狂気を見定められなかった責任感、そして何もできなかった無力感に苛まれ、毎晩曙を執務室に呼んではこうして涙ながらに懺悔の様な行為をしている
(…こんな姿見たら…クソなんて呼べないじゃない…)
例の件が起きるまでは彼をクソ提督、と呼んでいた曙も、泣きじゃくる彼を見てそう呼べなくなっていた
「…アンタは十分よくやったもの…誰もアンタを責めたりなんてしないわ…だから元気だして……」
「……提督」
能登防衛基地の夜の海は、高橋と曙という小さな灯火を優しく見守る様に静かだった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で?提督はどうするつもりですか?」
若狭基地、執務室
吹雪が執務室を離れた後、山下をはじめ長門、阿賀野、浦風、利根、加賀、浦波、北上という演習メンバーが集まっていた
能登からの帰りのバス内で山下が能登の案件もとい、吹雪による能登基地へのクーデター事件を伝えられた者達である
「お、俺は…吹雪を信じて、更生「吾輩は反対だな」
山下の意見をバッサリ断ち切ったのは腕を組み、険しい顔をした利根だった
「提督よ…吾輩は今駆逐艦や軽巡達に戦い方…身の守り方を教えておる。それは何故か…誰かに守られるだけの存在になって欲しくないからだ…」
「一人でもきちんと戦えるようにするために、各々の心を、身体を強くなる様に育てておる」
「しかし練度はまだまだ…そんな未熟な者達にとって危険となる存在が身内にいるなんて許されるのか?いや、例え仲間であろうと身内に居てはならぬ!危険物は…即解体だ!」
「…利根」
山下が利根の名を呼ぶも利根は意見は変えないといった風に眉間に眉を寄せる
利根は若狭基地の古参の一人
吹雪轟沈の件から"個々の能力向上"が艦娘轟沈数をゼロにする事だと信じ、日夜駆逐艦や軽巡の訓練に力を注ぐ重巡
「…私は、まだ様子を見るべきだと思うわ」
利根に続き加賀も手を上げる
「即解体?結論を出すのが早すぎる気がするわ。勝手に解体して不当解体として上から指摘されれば現状提督に被害が及ぶのよ?…まず様子を見て、手に負えないと判断してから憲兵察なり北陸支部なりに引き取ってもらう方がいいんじゃないかしら」
加賀も利根や阿賀野達と同じく若狭の古参の一人である
利根と同じく吹雪轟沈の件から色々考え、とにかく慎重に慎重に"情報を得た者"が艦娘轟沈数をゼロにする事だと信じ、空母部隊の訓練では主に索敵能力を上げるよう指導している
「ふん、元戦艦の正規空母様は相変わらず無駄に慎重だのう…それでその判断が遅れたらどうするのだ?」
「考えもなしに即解体の判断ができる利根型のネームシップの頭の中が知りたいわ」
「…お前ら…喧嘩はやめろよ」
利根と加賀が静かに火花を散らすも山下が一声
「…えーと…阿賀野はどうだ?」
「…私は…吹雪を軍病院へ連れて行くべきだと思う…1度ちゃんと精神科の検査を受けるべきよ」
「病院なんて…そんな悠長なことでは他の艦娘にも被害が及ぶと言っておろうに!…って、北上!?どこへ行く気じゃ!?」
一人席を立ち上がる北上
彼女はいつも通りの飄々とした態度で手を振りながら扉の方へ向かう
「なーんかさ、あたしの頭じゃわからない話みたいだから先上がるわ〜。役割が決まったらその通りに動くからさ〜」
皆に顔も向けずに執務室を出ていく北上
「…うーん…」
各々が発言している中、腕を組み難しい顔をしている陽炎型がひとり
「…浦ちゃ…浦風?どうしたの?」
横に座る阿賀野が問いかけても、浦風はまだなにかを考えながら
「…なんか…変な感じがするんじゃ…」
浦風がそう一言発すると、騒がしかった執務室が静まり返った
「…と、言うと?」
利根でさえ浦風に注目する
「…この話、今すぐに結論出さんといかんか?」
浦風が問うと、皆山下に視線を向ける
「…いや…そんな事はない…が…」
「…なら、もう今日はやめといた方がええんと思うんよ…演習は無かったけど、バス移動で皆疲れとるし…」
浦風の言葉に一同頭を冷やし冷静になる
一息入れると、先に声を発したのは加賀だった
「…利根、ごめんなさい…失礼な事を言ってしまって…」
「ゔ…いや…吾輩こそ…余計な事を言ってしまった…すまぬ…」
加賀と利根は気恥しそうにお互い謝罪する
そんな二人を長門は横目で見て
「そうだな…どうだ、提督よ…今日は皆疲れている…また日を改めて相談した方が良いのではないか?」
「え?…ああ…ああ!そうだな!…そうしよう!」
長門の提案で議会は終わり、各々執務室から出ていく
誰も口には出さないが、浦風は物事の綻びにいち早く気づく事が多く、"変な感じ"や"おかしい"と彼女が言いだすと大抵良くない事が起きる事を皆知っている
よって浦風の言葉もあり、利根も加賀も冷静に考え直すことができ、喧嘩は起きなかった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ねぇ浦ちゃん?」
「なんじゃ?阿賀姉?」
執務室の会合を終え、各部屋に戻った演習メンバー
そして阿賀野と浦風も二人で部屋に戻り、ベッドでくつろぐ浦風に阿賀野が声を掛けた
「…さっき言ってた変な感じって…何だったの?」
「…あー…」
浦風は頭をポリポリと掻きながらベッドに座り直す
「…吹雪がね…素直すぎたなー思てね…」
「…吹雪が?」
「うん」
阿賀野は思いだす
反省会をする、と浦風が言った時確かに吹雪は素直に執務室を後にした
長門の話から吹雪の行動を予想すると、そんなことを言えば無理矢理にでも執務室に居座り、演習メンバーの話を一言一句聞き逃すことなく笑顔のままその場で聞いていたはずである
長門達も吹雪がいれば演習をした提で適当に話をするつもりだった
「…おやすみなさーい、ってすぐ居なくなって…その後加賀さんと利根さんが険悪な雰囲気なって…まるでこうなることが分かってたって感じがしたんじゃ」
「…ふーん…」
「それに皆も疲れが溜まっとったし、どちらにしてもいい案は出んかったじゃろ」
阿賀野は淡々と語る浦風の顔をじっと見る
「…ん?なんじゃ阿賀姉?」
「…浦ちゃんは凄いなって…」
「はぇ?……なんじゃそりゃ…」
この夜、軽巡と駆逐艦の二人部屋には小さな笑い声が夜遅くまで続いた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…ちっ…アイツも…邪魔だなぁ…」
真っ暗な部屋、スピーカーの付いたラジオのような機械の前で自身の耳に付けていたヘッドホンを外し、吹雪は舌打ちをして拳を握り文句を吐く
「…せっかく仲間割れしてくれる流れだったのに…あーあ…つまらない…」
現在吹雪のいるこの暗い部屋は秘書艦補佐、吹雪の一人部屋である。
そして吹雪が聞いていたのは執務室からの音声、つまり盗聴した音声であった
「…私以外…うん、司令官の周りには艦娘なんていらないんだから…」
吹雪は真っ暗な部屋で片足をカタカタと揺らしながら盗聴機器をカチャカチャといじる
「…それよりも……明日の訓練は…ふ、ふひひ……いひひひひ…楽しみだなぁ」
暗がりの部屋、目を見開き引き笑いをする吹雪
その心に巣食うものは一体何なのか…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日1000
朝食を終え、日課の利根のトレーニングを終えた駆逐艦、軽巡の水雷班は海上訓練所にて砲撃訓練に入っていた
「では次の訓練メニューに移る…次は3人一組での砲撃訓練。目標はあの的じゃ。有効射程距離まで近づき、敵を砲撃せよ!」
利根が指す遥か先、訓練海域沖にはドラム缶に砲台の模造品を積んだ的がいくつか、ぷかりぷかりと浮いて海上に並んでいた
「ご苦労じゃったな、吹雪よ」
利根は横に並んだ秘書艦補佐に言葉をかける
「いえいえ!お任せください!」
両手を前に笑顔で返す吹雪
昨日の内容の無いトレーニングをした事を利根に怒られ、罪滅ぼしにと砲撃用の的を一人で準備した吹雪
「では1班、訓練開始!」
「1班出ます!」
そう元気よく返事をしたの1班旗艦、軽巡阿武隈だった
後ろに子日、若葉を連れ海上を滑る
「うむ!次!2班!」
「2班、出撃!」
次いで由良、夕立、風雲が出撃
「よし!次、3班…ん?響、どうしたんじゃ?その装備は」
天龍、響、睦月の編成の3班が出撃しようとした時、響の装備する主砲を見て訓練の流れを止める利根
響は自身の装備を見てああ、と頷き
「司令官から装備変更の指示をもらってね。試作品みたいだよ」
若狭基地の駆逐艦の主装備は共通して12.7センチ連装砲B型である
しかし山下から装備変更指示されたという試作品の装備は15センチ連装砲特改という、どちらかといえば軽巡や重巡向けの装備だった
響は自分達より少し離れた距離にいる吹雪を横目で見て
「…直接司令官に指示されたわけじゃなかったからね…昨夜天龍さんと一緒に…念の為試し撃ちをしたけど問題は無かったよ。利根さん」
「うむ……そうか。ならよい」
響の説明を聞き、安堵する利根
「では改めて3班、出撃せよ!」
「了解!天龍班行くぜっ!」
勢いよく3人は海上へ出た
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
訓練海域沖に向け、航行する天龍班
「単縦陣展開!目標、距離8000!」
「砲撃準備!」
睦月が先導し、天龍が指示を出す
「…さて…やりますか」
響がそう唱えると、3人は主砲を構え
「砲撃開始!!」
放たれた3つの砲弾は浅い弧を描き目標のドラム缶へ飛んでいく
うち、響の放たれた砲弾が命中
着弾したドラム缶を見て響は驚く
「…!?…徹甲弾…?」
昨夜天龍と試し撃ちをした響
しかし夜の海で目標も用意しなかった為、まさか火薬無しの徹甲弾だとは思わなかった
「なんだ、不発か?もういっちょ行くぞ!」
3人は再度砲撃
一度目より距離は近づいたものの天龍、睦月の砲弾は海面に落ち、響の砲撃のみ命中
「…うーん…なーんか調子悪いな…」
「凄いね!響ちゃん」
天龍は自身の攻撃が当たらなく、少しテンションが下がり、睦月も攻撃は当たらなかったが、命中させた響に明るく声を掛ける
どうも今日は響の方が調子が良いのか、次々と的へ命中させる響
爆発は起きなくとも段々と穴が空き、歪み、凹んでいくドラム缶
「…砲径の割には反動は少ないし…排莢もスムーズ…この装備は悪くないね」
「でも砲弾の種類が他のチビどもと違うんだろ?…別けるのめんどくさそうだな」
「…まぁ、司令官からの贈り物だからね…大事に使うさ」
「あっ!目標、オイルが出たみたいだよ!?」
睦月がそう指差した先、的であるドラム缶の側面から何か液体が噴き出していた
「よーしっ!次で終わらせちまえっ!」
天龍は響に向け、悪戯な笑顔になり急かす
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同時刻、他の艦娘も待機する訓練所にいた吹雪は天龍達の砲撃訓練の様子を見ていた
「…っと…もっとだよ…響ちゃん」
小声でそう呟く吹雪は自身の下腹部に手を添える
「…ふ…ふぅ…ふぅ〜…」
更に吹雪の息が荒くなる
「…もっと…もっと…もっと…もっと撃って…」
足元をもじもじとさせながら嬉しそうに悦に入り小声で呟く吹雪
「…さいっ高っ…!ふ、ふひひ…いひひひひ…」
「……ぁっ……!」
身体に電気が走ったかのように、一人身体をビクつかせ、誰にも見られないように吹雪は下腹部に添えられた手を更にその下へと延ばす
「…ふ、ふふふ…ふふふふ…」
その時の吹雪の表情は言葉に出来ないほど嬉しそうに、そして絶頂を迎えたように甘い表情をしていた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うむ。8班も終わったな!皆よくやった!これにて海上砲撃訓練を終了とする!…が」
訓練に参加した艦娘達の前で腕を組む利根は3班、天龍と睦月の方をじっと見る
「艤装を装備するのは基本実戦と訓練だけではあるが…手入れ、整備はきちんと行っておくように!…それでは訓練の成績表は午後に参加した者に渡そう。以上解散!」
「「「ありがとうございました!」」」
利根が場を締め、艦娘達も利根に敬礼して午前の訓練が終了する
各々がドックへ戻って行く中、吹雪は響に声を掛けた
「響ちゃん!…装備、どうだった?」
「…吹雪!……ああ、悪くないよ…火薬無しの徹甲弾だったのが気にはなったけども…敵を制圧するなら十分かな?」
響は表情を変えず淡々と答える
それを聞き笑顔の吹雪
「そう?良かった!きっと司令官も喜ぶね」
「ああ、そうだと良いね。それじゃあ」
響はそう返し、皆と同じく足早にドックへ向かう
訓練所に一人残る吹雪
「……喜んだのは……私だけどね…」
吹雪はボロボロになったドラム缶的達に視線を向け
「…さーて…片付けますか」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
執務室 1300
秘書艦補佐吹雪がまだ訓練で使った的を片付けている頃
昼食を終えた山下と秘書艦長門は執務室にて執務作業に勤しんでおり、ソファーには本日非番の霧島と榛名が座ってお喋りをしていた
「ん?…提督よ。北陸支部より入電だ」
長門がそう言い、白紙の用紙を引き出しから取り出し、何か文字を書き、山下に渡す
「…チ…0?…ああ、そうか…」
「何かの暗号だろうか」
「ああ…北陸支部より正式に命令が下った」
山下の顔つきが変わる
軍人のそれに
「以前話していたAN作戦だ。決行は8月18日」
「AN作戦…了解した」
「…そういえば…AN作戦って具体的にはどういった内容なんですか?」
かつて自身の眼鏡が勝手に割れるという奇跡を披露した金剛型の頭脳が長門に問う
「ANってちょっとエッチな響きですよね」
「榛名、シャラップ!」
ぽへー、とした雰囲気の天然な姉に鋭いツッコミを入れる金剛型の四女
「…ああ…当日の詳しい作戦内容はまだ伝えられないが…簡単に言うとロシアと中国との三国共同作戦だ」
山下は書類の束をぱらぱらと捲りながら答える
「…共同…ですか?」
「そうだ。千島列島の、ある無人島で深海棲艦が泊地を展開していてな…ざっくり言えばそいつらの殲滅、及び島の奪還が目的だ」
「…奪還」
「…ウチだけじゃなく北海道支部や北陸支部直下の鎮守府はほとんど出撃する作戦だ…大規模作戦だよ」
「提督」
長門が山下の名を呼び、目的の書類を渡す
「おお、サンキュ…そんな訳で…霧島と榛名にもバッチリ前線に出てもらう事になりそうだ…悪いな」
霧島と榛名はお互い目を合わせ
「いえ…それは問題ありませんが…千島列島って…その…北方領土の北の方…ですよね?」
「ん?…あー…そう、かな?」
霧島の質問によくわかっていない山下は適当に返す
「…よくロシアと共同作戦が確立できましたね…」
「ん?…あ、ああ…」
霧島の言葉を全く理解していない山下は長門の方に視線を向ける
そんな山下からの視線を感じた長門はふふ、と笑い霧島達に説明
「…最初はロシアも日本と共同をする事に難色を示したが、どうやらアメリカと中国が間に入ってくれてな…それに今は領土云々より人間の敵である深海棲艦を滅する事が優先事項となったんだ」
「そ、そういう事だ!うん」
「…なるほど」
長門の説明が終わると山下は席を立ち上がり、窓の方へ歩いていく
「…それでだ。今回の作戦…昨日の演習の時と同じく長門に艦隊編成をお願いしたい…」
窓の方を見てそう言った山下の声は少し震えていた
「…提督…」
長門も席を立ち上がり山下の背後に少し距離を置いて立つ
そんな二人を見つめる金剛型姉妹
「…"一緒"に、考えよう。提督」
「…ああ、わかった」
作戦、演習、訓練…
編成を決める時山下は大抵長門や利根に選別させる
それは以前吹雪を沈めさせてしまった事がトラウマになり、自分が選べばまたあの悪夢が蘇ってしまうのではないかという恐怖があるからだ
「さて、私達もそろそろ行きましょうか、榛名」
「…ええ、そうね霧島」
山下と長門のやり取りを見て、霧島達は今ここには居ないほうが良いと判断し、ソファーから立ち上がる
そこへ吹雪型の長女が執務室の扉を開けて入ってきた
「司令官!吹雪、戻りました!」
いつも通りのを笑顔の吹雪
その吹雪を見て山下は決意を決める
「…お疲れ様、吹雪…早速で悪いけど、たった今より君を秘書艦補佐から外す」
はっきりと、長門、霧島、榛名がいる前で吹雪にそう伝える
「…は?…」
突然の山下の決定に笑顔から驚きの表情になる吹雪
「…え、いや…なんでですか?」
「…北陸支部より入電があってな…若狭基地はこれよりAN作戦の準備に本腰を入れることになった。作戦が終わるまでは秘書艦の長門に主な執務を担当してもらう」
「…訳…わかん「吹雪。提督命令だ…下がれ」
言い返そうとする吹雪を長門が先に牽制
直後、吹雪は長門を睨む
「でも!私なら「吹雪、3度目はないぞ」
山下、霧島はそうはっきり言い切る長門を見て
(うわぁ、怖っ…)
…と頭の中でシンクロする
怯むことなくはっきり言い切る長門
つい先日までの吹雪に対しての低姿勢ではなく、戦艦らしく、堂々とした態度だった
それに対して拳を握り、顔を真っ赤に小刻みに震える吹雪
空気を読んで文字通り空気になろうとする霧島と榛名
「…ふぅ、吹雪…必要な事があればちゃんと伝えるから…今は下がるんだ」
長門に反し、山下は優しくそう言うと、吹雪ははい、と小さく返事をして眉間にシワを寄せたまま執務室を出ていった
「……心臓に悪いです…」
凍った執務室の空気を和らげたのは榛名だった
「…すまない…しかし吹雪のあの態度はよろしくなかったものでな…つい」
「いや、助かったよ長門…それに霧島も榛名も…3人が居てくれたから俺もハッキリ言えた…」
「…確かに、さっきの提督…いつもの球技馬鹿な提督よりも実に提督らしかったですよ」
何故かいつの間にか眼鏡が割れた霧島が冗談を言うと4人は笑いあった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1900
午後の執務、件の作戦実行メンバーも無事決める事ができ、そのままの足で食堂で夕食を食べ終わった山下は演習場を一人散歩していた
「…ああ…吹雪が近くにいないと…なんか楽だなぁ…」
一週間と少し前…初めて今の吹雪が来たときは本当に嬉しかった
しかし嫌がらせともいえる吹雪の態度、言動、そして能登の件
山下の中で吹雪の存在が揺らぎ始めていた
「…はぁ……ん?…あれは…」
演習場からフェンス越しに、見知った顔の少女がふらふらと歩いていた
「…よっ!何してんだ?」
「あ…司令官…」
ひどく疲れた表情の浦波だった
「…いや、本当にどうしたんだ?腹でも痛いのか?」
「…う…うぅ…姉さんが…」
突然泣き出す浦波に焦る山下
「磯波姉さんが…どこにもいないんです…」
「…え?」
浦波は山下に縋るようにしがみつく
「昨日の夜…寮に戻っても磯波姉さんが居なくて…花壇のお世話でもしてるんだと思って待ってても帰ってこなくて…」
山下はなだめる様に浦波の頭を撫でながら話を聞く
浦波は泣きながら
「…ヒック……今朝からも…ずっと捜しているのに…どこにも居なくて…私…磯波姉さんに何かあったら…私…」
「大丈夫…大丈夫だ…浦波…」
山下は浦波の手を取り執務室へ向かった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2000
基地内ホールで緊急集合がかかる
「嘘…磯波ちゃんが?」
誰かがそう呟く
「そういう訳で急ですまないが皆!磯波を探すのに協力してくれ!」
艦娘達が整列する中、壇上で力強く山下は捜索の協力を仰いだ
「勿論です。空母部隊、空から捜索します。行くわよ」
「「はい!」」
加賀が山下に即答すると空母達を連れ早足でホールを出ていく
「うむ!…念の為!駆逐、軽巡は2名から3名で班を組み、基地敷地内から基地周辺まで捜索じゃ!」
利根もそう言うと、駆逐艦、軽巡も駆け足でホールを出ていく
「…霧島、頼むぞ」
「了解」
長門が霧島に向け一言、すると霧島は残った艦娘達の方に向かって指示を出す
「残る人達は近海捜索!戦艦、重巡は海上を、潜水艦は海中を捜索してください!」
霧島の指示を聞き、残っていた者達は敬礼をしてホールを出ていった
「霧島、利根…もし何かあればすぐに私に知らせてくれ…加賀にも伝えといてほしい」
「了解じゃ」
「分かったわ」
長門の言葉に利根と霧島は返事をして、二人ともホールを出ていった
「ぐ…俺も行くぜっ!…んぐえっ!」
「駄目だ。提督が此処を離れてどうするのだ…貴方には貴方のやるべきことがある」
飛び出そうとした山下の襟首を掴み、そう説得する長門
「…はい…」
ホールには山下、長門、浦波
そして吹雪が残った
三人が吹雪に視線を向けると吹雪は浦波に近寄り、その手を取る
「大丈夫!磯波ちゃんは…ゼッタイ私が見つけるから!」
笑顔の吹雪は浦波の手を取ったまま力強くそう言い放ち、浦波の手を離すと駆け足でホールを出ていった
「…皆……司令官、長門さん…ありがとうございます…!」
「…浦波も一日中探し回って疲れたろ…執務室でお茶でも飲んでゆっくりすると良い」
山下の言葉に浦波はいえ、と断り
「皆さんが探してくれているのに私だけ休んでなんていられません!…私も行ってきます!」
そう言って浦波もホールから出て行ってしまった
「…いい子だな…提督よ」
走って行く浦波の背を見て長門は思わずそう零した
「…ああ、流石吹雪型…」
「…さあ、捜索は皆に任せて、私達は執務に戻ろう」
長門がそう言うと山下は諦めたように両手を上げ
「…ああ、俺達は俺達の仕事を、だろ?」
首元が赤くなった山下と長門もホールを出ていく
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
基地施設内のほぼ全ての照明を点け、海と空にサーチライトを照らし、磯波を探す為大規模な捜索活動が繰り広げられた
そんな中、基地の屋上にて索敵機を飛ばす数人の空母達の姿があった
「…ええ、そう…分かったわ」
加賀が索敵中の妖精さんと交信し
「…申し訳ないけど、もう一度お願いね」
着艦した索敵機をもう一度発艦させる翔鶴
「加賀さん…基地近くの森林はどうしますか?」
「…勿論」
祥鳳の問いに答え
「加賀さん!西の海上には居ないみたい!」
「なら次は北の海上よ。お願いね、瑞鶴」
瑞鶴に指示する
索敵機とはいえ発艦には体力と精神力を使う
照明が多いとは言え、夜の離着陸
空母達の額には汗が滲む
「…皆、私達の訓練の成果を出す時よ。辛いだろうけど…なんとか踏ん張りましょう」
「「「はい!」」」
加賀の言葉に元気よく答える面々
加賀は屋上の手摺に手を乗せ、基地の周りを見渡す
「…ん?…あそこは…」
気になったのは訓練所近くの入り江にある小さな洞窟だった
(…確かあそこは大して奥行きも無い小さな洞窟……一応念の為…ね)
加賀は駆逐、軽巡に打電する
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「加賀さんからじゃ…!……入り江の!?…了解じゃ!ウチらの方が近いけぇ見てみるわ!」
加賀の入電を聴いた浦風、阿賀野はすぐに入り江の方を目指す
「…磯波ちゃん…!無事でいて!」
「…」
阿賀野の言葉に浦風は何も返さない
否、返せなかった
捜索が始まった時から嫌な予感はしており、正直な所、あの時と…吹雪が沈んだ時と同じ雰囲気を感じたのだ
(……いや、考えたらいかん!…早く行かんと!)
月の光が照らされた入り江の洞窟に辿り着いた浦風と阿賀野
「はあ、はあ…つ、疲れた…」
「…結構距離あったからね…阿賀姉はここで待っとって!ちらっと見てくるけぇ」
肩で息をする阿賀野に浦風は笑顔でそう言った
「…だ、大丈夫!…私だって…」
「ええから…なんかあったらすぐ大声だすから!」
「…うん、ごめん…すぐ追いつくから…」
「うん!」
そう言って浦風は洞窟の中へ入っていく
と、言っても洞窟内の奥行き距離は8メートル程度しかなく、昼間なら洞窟入り口から中を覗けば奥の岩盤まで見えるほどだ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『う…み、皆……』
浦風より全体入電があり、皆動きを止める
『そう、捜索……終い…じゃ』
震える浦風の声
『浦風!どうした!浦風!』
通信を聞いた長門が応答する
『……磯波………発見……じゃ』
浦風の言葉を聞いて長門は眼を見開く
通信を聞いていた山下も動かしていた手を止め、ペンを落とす
そう、浦風は磯波を発見したと言った
保護、でもなく見つかった、でもない
『みんな…ごめん…ごめんなさぃ……』
そしてただ一人、浦風の通信を聞いて満面の笑みを作る駆逐艦が一人いた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「はっ!…はっ!…はぁっ!……ぁ、ああっ!」
基地から全力で走ってきた山下
洞窟の前には既に数人の艦娘達が集まっていた
「…はぁ、はぁ、はぁ…」
洞窟入口横では顔を両手で抑え、泣き崩れる阿賀野
その阿賀野の横には放心状態の浦風が座りこみ、鳳翔と翔鶴が2人の背に手を当てていた
「…磯波…っ!磯波っ!!」
洞窟の前には長門、加賀、利根が立ち、長門は毛布に包まれた何かを両腕で大事そうに抱えていた
「…提督…」
走っていた山下の足の運びが減速する
加賀も利根も俯き気味に、長門に至っては顔を天に向け、まるで涙を堪えるような動作をしている
「…な…長門……もしかして…"それ"が……磯波……なのか…?」
毛布に包まれてるため分かり辛いが、長門の抱える"それ"は山下の知る少女の身体にしては小さく、まるで平均的な幼稚園児の身長に近いそれだった
「…は、はは…磯波が、そんな…子供みたいな身長な訳…ないだろう…」
山下は両膝を砂浜に力なく落とす
「…磯波…」
磯波の名を呼んだ長門は鼻を啜り
「…磯波には…下半身がなかった…だが………この子は間違いなく磯波だ」
山下の目から涙が溢れる
「…そ、嘘だろ…嘘…嘘だ…」
「…加賀」
長門は隣に居る加賀の名を呼ぶ
「…もう憲兵察には連絡してあるわ…こっちに向かってる…」
「…利根」
次に利根の名を呼ぶと、彼女は腕を組み…しかしいつもの自信を感じられる表情とは程遠い表情で小さく答える
「…皆は寮に戻っておる…誰も部屋から出ないように、と伝えてな…」
「長門…磯波の……顔を見せて…くれ…」
涙と鼻水でボロボロになった山下は這いずりながら長門に近づくも
「…駄目だ…提督には…見せられない」
悔しそうに奥歯を噛み締め
「…見れば…提督が壊れてしまう……!!」
ようやく絞り出したかのような長門のその言葉を聞き、山下の動きが止まり、砂浜に額を押し付け声にならない声で叫ぶ
「ーーー!!!!!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2300
憲兵察が到着し、磯波の遺体は救急車で運ばれて行った
今回磯波が艤装を装備していない事。また轟沈、撃沈等海上での戦闘ではない事により、殺人または事故と判断され、基地責任者の山下、第一、第二発見者の浦風と阿賀野が事情聴取される事になり、三人が福井憲兵察署から開放されたのは実に8時間後であった
0800
「…長い時間、お疲れ様でした。皆さん」
そう言って三人にコーヒーを淹れてくれたのは憲兵察の中年刑事だった
福井憲兵察署 日本国軍総合課
日本をはじめ、世界各国の警察組織…もとい憲兵組織には軍絡みの事件、事故を担当する課がある
ここもその1つである
とはいえ下手をすると事件によっては相手が政府になってしまうこともあるので、この課の権限はそれほど強くはない
そんな課の会議室。刑事達に何度も同じ話をして、浦風、阿賀野、山下の三人は疲れ切った顔をしていた
浦風は机に伏せ、阿賀野もパイプ椅子の上で膝を抱え小さくなり、山下も柵のついた窓から外を見ていた
「…つい先程、司法解剖が終わりました」
「…死因が分かったんですか?」
刑事の言葉に山下が反応
「ええ…一般人にはまず解剖結果を細かく教える事はありませんが…相手が海軍士官の方なら、知っておくべきことでしょう」
刑事は何かの書類を見ながら顔をしかめる
「しかしまぁ…こりゃあ酷い…まず砲撃箇所…頭部に2発、胸部に1発、腹部に2発、腕に1発…そして顔面に無数の深い切り傷…恐らく誰だか分からなくするためでしょう…歯も全て抜かれている…ペンチか何かでしょうか…一部歯茎ごと持ってかれています…」
「う……ゔぇぁあっ!!」
刑事の報告を聞いていた浦風は思わず近くのゴミ箱に駆け、嘔吐する
「…げほっ…げほっ…」
その浦風の背を擦る阿賀野
「…ほ、砲撃?」
「…そして1番酷いのは下腹部…下半身ですね…恐らく火薬調整された魚雷で爆散したものと見られます…彼女の体内から魚雷の破片と見られるものが検出されました…そして最後は石油を掛けられて…ですかね?……恐らく魚雷の爆発による引火、と言ったところですね…正直どれも直接の死因に繋がるものばかりで、どれが原因とははっきり言えませんね」
淡々と答える刑事を睨みながら山下は口を開く
「…う……深海棲艦の…仕業ということですか…」
「それはほぼありませんね…その証拠となったのは砲撃された箇所です…使われたのは火薬の無い徹甲弾でしょう。全身に石油引火の火傷の跡は見られますが砲撃された傷口に火傷の跡はありませんでした。火薬のない徹甲弾を深海棲艦が使うといった事例は聞いたことがない」
「…刑事さん…お詳しいんですね」
「ええ…この課に配属されるまでは深海棲艦や艦娘の事なんてわかりませんでしたが…いろいろと学びました」
刑事はさて、と一言
「…若狭基地の駆逐艦…もしくは軽、重巡の中で…火薬を使わない徹甲弾を使う娘はいませんか?」
「…そんな奴…いるわけ無いでしょう!」
「…え?……あ…」
啖呵をきる山下に続いて何かを思い出したかのように声が漏れる浦風
「…いるんですね?」
「…いるわけ…無いよな…?」
鋭い目つきになる刑事
信じられないとばかりに浦風に詰め寄る山下
「………」
口に手を当てたまま何も言えない浦風
そんな浦風を見て阿賀野は1つ息を吐くと、諦めたように口を開く
「…はい、一人駆逐艦で…居ます…でも!その子は誰かを傷つける様な娘ではありません!」
最後の方は声を荒げ、刑事に訴える阿賀野
「…それは君が決めることではないよ?…少し…待っててください」
刑事は椅子を立ち上がり、会議室扉から部屋を出ていく
「恩田ー!青嶋!…あと和久!若狭行くぞ!準備しろ!」
会議室の外から今の今まで話していた刑事のものとは思えない彼の大声に驚く三人
数人の返事が聞こえると再度会議室の扉が開き
「…じゃあ、一緒に行きましょうか…若狭基地へ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
パトカーに乗り込み、一時間程走ると山下達の視界には見慣れた建物が映り込んできた
「…ん?」
若手の刑事に運転させ、助手席に座る先程の刑事が前方を見て疑問顔になる
「…山下さん…少佐にもなるとセンチュリーなんて乗り回せるんですか?」
「え?…は?」
山下にとって聞き慣れない単語を言い放つ刑事に思わず後部座席から身を乗り出す
「…しかもあの色は精華…マフィアのボスでもいるんですか?…ははは…」
「…ぁあ!」
「…提督さん?」
遠目に見える車を見て山下は何かを思い出したかのように声を上げ、浦風に心配される
「…最悪だ…井ノ上少将が来てる…」
脱力する様にシートに背を預ける山下
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
若狭基地の門前、3台の黒塗りの車と、1台の白銀の高そうな車が停められていた
その後ろ側に福井憲兵察のパトカー2台も停められる
パトカーから降りた山下達はすぐに門から基地敷地内に入る、門に入ったすぐ側で海軍士官と見られる男性数人と響が、そして対面する様に若狭の艦娘達が士官達と睨み合っていた
「な、何なんじゃ!?…どうなっとるんじゃこの状況は!?」
浦風がそう声を張ると、襟に桜の徽章を付けた士官服の男性が山下の方に視線を向けた
近付き、すぐさま山下は敬礼
「おはようございます!井ノ上少将!」
井ノ上少将
日本国軍海軍北陸支部少将
その見た目はインテリ老将校といったところ
細身で背は高く、オールバックに纏めた白髪に深い皺を顔中に刻み込み、薄い赤色の色付き眼鏡を掛けた齢70代の男性将校である
「…山下少佐…随分早かったですね」
山下を見下すように静かに、しかし鋭く吐き捨てる井ノ上
「…あの…いえ…申し訳ありませんでした…」
敬礼のまま身体が硬直する山下
「提督!大変だ…響が!」
そんな山下を気にする訳もなく声を張る長門
「…え?響?」
よく見ると井ノ上少将の横には浮かない表情の暁型駆逐艦が山下を心配そうに見つめている
「…井ノ上少将。…響を…うちの駆逐艦をどこに連れていくん…でしょうか」
井ノ上は眼鏡をくいっと上げ
「直通通信で話したろう?…彼女をロシアへの賠償艦として連れて行く」
山下、阿賀野、浦風に福井憲兵察の刑事は驚く
「いや…いやいやいや…何を…いや、聞いてませんよ少将!」
「…君の秘書艦に伝えましたよ?聞いていないなら君の落ち度では?」
井ノ上はそう言って響の腕を掴む
「長門からは何も聞いていませんよ!…少将!」
「長門?…君の秘書艦は吹雪型だろう…了承ももらっている。秘書艦の了承は提督である君の了承だ。だから私もロシアに連絡を入れた」
淡々と響の腕を引きながら答える井ノ上
「…は?…え?…」
理解の追いついていない山下
それを見て長門が答える
「一昨日の…合同演習のあった日だ…」
「…え、あー…?」
「あの日って確か吹雪が臨時秘書艦をしてたわ!」
「…あ!そうだった!」
阿賀野の言葉でようやく思い出した山下
「…我々はここで失礼しますね。あちらの方々がお待ちなので」
「おい!待てよ!」
響を連れて行こうとする井ノ上の背に向かって大声で待ったをかける艦娘が一人
軽巡、天龍だった
「チビなんかより俺を連れてけ!」
「旧式のオンボロには用はありません。向こうは暁型を欲している…それでは…」
「…ってめぇ!」
大声の主に目もくれず立ち去ろうとする井ノ上の態度にカッとなった天龍は腰の刀に手を添える
「おぃ!やめろ天「抜くんですか?小娘如きが…」
刀の柄に手をかけた天龍に対して井ノ上も声を大きく張る
「ここで刀を抜けば上官へ敵意を向けたとみなし、処罰しますよ?」
井ノ上がそう言うと近くに立っていた士官達が警棒のようなものを取り出す
「ああ!?…ざけやがって…」
「…提督」
「え?…ぅぉ…長門…」
気づけば山下の後ろに長門が立っており、小声で山下の名を呼ぶ
「…貴方が命令してくれれば我らは彼等と戦うつもりだ…さぁ、提督」
長門の言ってる事が山下には理解出来なかった
(何故長門がそんなことを言う?何故艦娘達は俺をそんな期待の眼差しで見てる?…そんなこと…命令できるわけ…)
なんだかんだで天龍も山下からの命令を待っている
鞘に収められている刀の柄を掴む手がふるふると震えているのが見える
(響が…なんで…いや、待てよ)
山下は更に後ろに立つ刑事のことを考える
(…ここで響が少将に連れて行かれれば憲兵察に捕まらないんじゃねぇか?…軍の規約だと…たしか軍の命令なら…あー…あんまり覚えてないけど………うん)
(…捕まらないはずだ!それに賠償艦たって奴隷になるわけじゃない…響なら実力あるし、上手く行けばロシア海軍の主力艦隊として選ばれるかもしれないし…)
(何より今の響の状況はマズイ!今回の事件の犯人としての証拠も集まってるっぽいし…憲兵察に捕まらないって事で考えれば……!)
よし、と山下は1人頷く
(そうだ!そうだそうだ!色々落ち着いた頃にロシアと親交のある井ノ上少将に頼んで響を若狭に戻してもらえば…オールオッケー!?)
山下は深く息を吐くと天龍に向かって
「…天龍!やめるんだ…」
「!?」
天龍も長門も、この場にいる艦娘達は山下の言葉に驚く
「井ノ上少将…部下が失礼致しました…響の事、どうかよろしくお願いします」
「…司令官…」
響は目元に涙を溜め、弱々しい声で山下を呼ぶ
「…っ!?…チビ!……くっ…」
天龍は力を込めてた手をだらりと下げる
「…」
山下の背後にいた長門は、悲しそうな目で山下の背を見つめる
「…い、嫌だ!嫌だ!司令官!…天龍さん!」
そう叫ぶも、響は井ノ上に手を掴まれたまま白銀の車、その後部座席に乗せられる
「司令官っ!…司令官っ!!…お願いだよ!私を捨てないで!…司令
バタン、と後部座席の扉が閉まり、スモークの掛かった窓は中の様子が見えなくなる
(…響…少しだけ我慢してくれ…!すぐに助けるからな!)
「それじゃあ、また。山下少佐」
井ノ上もそう言って白銀の車の助手席に乗り込むと、黒塗りの車達とともに若狭基地から出発する
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
立ち退く黒塗りの車を無言で見送った艦娘達は諦めたようにゾロゾロと基地内へ入っていく
そんな中、加賀が山下の方へツカツカと歩いてくる
「か、加賀さん!?」
瑞鶴が加賀を呼び止めるも加賀の足は止まらない
「…か、加賀……これは…仕方なかったんだ…こうでもしないと…っ!」
周りにいた者たちは山下の言葉は最後まで聞けなかった
乾いた音が一発響く
加賀が山下を平手打ちしたからだ
「…加賀…」
「……貴方には…失望しました…」
涙を浮かべた加賀はそう言って基地内へ走って行ってしまった
「…あー…」
一部始終を見ていた刑事はバツの悪そうな顔で頭をボリボリとと掻き
「…被疑者、賠償艦の命により、か…一応他の艦娘に聞き込みしておくか…」
そう言って部下たちを連れ基地内へと入っていく
「…提督…説明してくれるな?」
長門も諦めたように山下に問いかけるが、阿賀野が長門の方へ近づき
「私から説明するわ…多分、提督さんの考え…わかるから…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
1000
執務室
朝の騒動から数時間後、長門、利根、北上には阿賀野から山下の思惑を説明し、空母勢には加賀の代わりに祥鳳と鳳翔に説明をした
こうして山下への疑いの眼は一時的にだが晴れることとなる
その後山下と長門、阿賀野の3人が執務室に呼んだのは一連の騒動の渦中にいるであろう一人の駆逐艦だった
長門が問う
「…何故呼ばれたかわかるな?」
「…さあ?わかりません」
「…まずは響の件だ…何故井ノ上少将からの連絡を報告しなかった…?」
「井ノ上少将は当初吹雪型を欲してました…でもその時は私は臨時秘書艦で艦隊から外れることはできませんでしたし…深雪ちゃんは練度低すぎたし…元々のモデルが吹雪型の暁型でも問題ないと判断したので、井ノ上少将のお話を了承しました。"この程度"なら報告の必要が無かったと思ってたので…次は気をつけますね」
「……次に磯波の件だが…犯行に使われた兵器が響の使っていた兵器の線が強いということだ…響に試作の兵器を渡したのは吹雪だと聞いたが?」
「はい、工廠で出来上がった試作兵器…どうせなら駆逐艦の中でも練度の高い響ちゃんに使ってもらった方が効果実験もしやすいと思って…司令官にも確認の連絡を入れましたよね?」
吹雪の問いを聞いて長門は山下の方を見る
「…ああ、許可した…だがこんな事にな「提督」
山下の言葉を止める長門
「…最後の質問だ…これは私の…個人的に吹雪に聞きたいと思った事だ」
「…何でしょう?」
「…磯波が殺され、響が連れて行かれ…お前はどう思ったんだ?何を感じたんだ?」
「…」
声を少し震わせ、拳を握り長門は吹雪に質問をぶつける
そんな長門を見て阿賀野は思った
きっと…これが長門さんからの最後のチャンスなんだろうな、と
長門の問いになんて答えるか
その答えによって長門がどう動くのか
長門に問われた吹雪はあいも変わらず笑顔のまま、しかし声を低くして
「…別に何も?」
「…たかが駆逐艦の一人や二人…また建造すればいい事ですよね?そんな娘の事いちいち考えてられないですよ…長門秘書艦もそうですよね?」
吹雪のその心ない言葉を聞き、長門は席をゆっくりと立ち上がる
その眼は怒りで満ち溢れる
「…長門!」
「…なんだ、提督」
「あ、や…その…」
長門を止めた山下だったが、あまりの長門の迫力に次に出すはずの言葉に詰まる
「…じゃあ、もう用がないのであれば私は失礼しますね!」
吹雪は笑顔でそう言って敬礼し、執務室を出ていく
「…」
「…」
「…」
時の止まる執務室
長門は目を瞑り1つ大きく息を吐いた
「…提督…すまないが私はもう上がらせてもらうよ…部屋に戻って頭を冷やしたい」
「あ、ああ…その方が良い…ですね」
何故か後半敬語の山下
長門は口元だけでふ、と笑うと執務室を出ていく
「…長門さん…」
阿賀野は名残惜しく長門の名を呼ぶ
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…よいっしょ…よいっしょ…」
執務室を出ていった吹雪型の長女は若狭基地敷地内にある、主に走り込み訓練で使われる浜辺で何らかの作業をしていた
「ふぃーっ、と…」
良い汗をかいたばり笑顔で額をハンカチで拭う
「…そろそろここもお終いだろうしなぁー…」
吹雪は遠い目で何かを思案する
「………良い…所なんだろうなぁ…本当は」
「…ふ、ふふふ…ひひひ…いひひひ……」
一人狂ったように静かに引き笑いをする吹雪
しかしその背中はなんとなく、寂しいものが見える
吹雪の頬には一滴の雫が流れる
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…なぁ、阿賀野…」
「…何かしら?」
執務室、長門が出て行き十数分。
何も喋らなかった山下が阿賀野に声をかける
「…俺、どうすればよかったんかな…」
「…」
「…加賀も、長門も…泣いてたよな…」
目線を下げたまま、問い続ける山下
「…ねえ、提督さん」
阿賀野の声で顔を上げる山下
「…もう…いい加減…眼、覚ましたら?」
その声は震えていた
久しぶりに山下と二人きり
更に話の内容が内容のため阿賀野の緊張はピークに達していた
「…眼?」
阿賀野はその両の拳で執務机を叩く
「もうあの子は…っ!吹雪はいないのよ!」
山下は驚く
まるで喉奥に手を突っ込まれ、内臓を引っ張られる様な錯覚に陥り、心のどこかで無意識に考えていた事を当てられた気分だった
「…ぁ…い、や…何を…言ってんだ?」
「とぼけないでよ!いつまでもあの子の事をひきずって…!新しく来た吹雪と重ねて!…どんなに提督さんが想っても今いる吹雪はあの子じゃないのよ!」
「そんっ!そんな事っ!!」
「分かってないじゃない!提督さん…いつでもどんな時でもあの吹雪をさり気なく守ろうとしてたよね!?」
山下には思い当たる節だらけである
磯波の件も、響の件も吹雪が何かしら絡んでいる、もしくは彼女の仕業ということ事はわかってはいた
しかしそれでも山下は吹雪を責められず、なんとかして更生させて、自分の元に留めようとしていたのだ
詰られても嫌味を言われようとも、あの頃の吹雪を今の吹雪と重ねてしまい、それすらも生き返った彼女と認識し、無意識に喜んでいた
「……そんな…こと……」
「磯波ちゃんも…響ちゃんも…!今の提督さんを見てどう思う!?喜ぶと思う!?」
「……ぁぁぁああああああ!!!!」
遂に決壊
山下は執務机を全力でひっくり返そうとするが重くて持ち上がらない
「…ああああ!!」
代わりに、隣に置いてある秘書艦補佐用の少し小さめな執務机をひっくり返すと、阿賀野の方へ向かう
勢いよく阿賀野の肩に掴みかかり、壁へと追い詰める
「じゃあ俺はどうすりゃあ良かったんだよ!馬鹿な俺でなにができるってんだよ!!…そうだよ!俺は今の吹雪に昔の吹雪を重ねてるよ!」
「忘れられるわけ無いだろ!…吹雪は…ずっと……俺と一緒に……ぐっ…ぅっ……あ…あぁ…」
阿賀野の足元に泣き崩れる山下
そんな山下から阿賀野は目を逸らさない
「…私ね。提督さん」
「…?」
「あの日…あの子を助けられなかったあの時から私も心を、感情を押し殺して生きてきたの…あの子を見殺しにした私にはもう誰かの前で笑う資格は…無い、って思ってね…」
「でも浦ちゃんは…そんな私の姿が長門さんや加賀さん…浦ちゃん自身を助けたって言ってくれたの…」
(…ああ…そうだった…)
阿賀野の言葉に過去の自分を思い出す
吹雪が沈んで、荒れていた自分を誰か立ち直らせてくれた?
自分の力で立ち上がったか?
沈んだ吹雪が自分を支えて助けてくれたか?
違う。
山下を立ち直らせたのは何も言わずに立ち続けた彼女の姿だ
(誰よりも吹雪に近かった阿賀野…きっと俺とよりも一緒の時間が長かった阿賀野…吹雪が沈んで誰よりも辛かったのは阿賀野だ…だがそんな阿賀野が涙を見せず、凛とした姿で立っていた…)
「…阿賀野…」
「…でも…私だって…阿賀野だって本当は辛いよ…泣きたいよ…!」
(そう…そうだよな…阿賀野だって…艦娘だって普通の女の子とおんなじだよな…)
阿賀野は座り込み、山下に視線を合わせ山下の両手を握る
「…吹雪が好きだったからっ!…浦ちゃんやみんなの事が大好きだから!!…提督さんの事も……好きだからっ……!」
「………」
「お願い…提督さん…私を…皆を助けてよ……提督さんしか…出来ないことなんだよ…!」
「…ごめん…ごめんな…阿賀野…」
ぼろぼろと泣く阿賀野の頭に手を乗せ、撫でる山下
「…そうだよな……俺がしっかりしなくちゃ、だよな…」
(……磯波…響………ごめんな。馬鹿な俺で)
「…提督、さん?」
「…なぁ阿賀野…俺は…これからいろんな判断をすると思う…でも勘違いしないでほしい…その判断は…いなくなった吹雪の為のものじゃない…」
阿賀野は山下の目を見る
泣いた跡があり、少しばかり赤く晴れている
「これからの俺の…いや、俺とお前達との…未来のための判断だ」
「…今一度…手伝ってくれないか?…阿賀野…」
そう言って山下は未だぼろぼろ泣く阿賀野にハンカチを渡す
阿賀野は山下からのハンカチを受け取り
『ズビビビビビビビッ!!!』
盛大に鼻をかむ
そしてハンカチを山下に返し立ち上がると、グッと拳を握る
そう、今山下の目の前にいるのは静かで、誰とも触れ合うこともなく孤立した少女ではなく
「…もちろんよ…」
「…最新鋭の軽巡阿賀野!…今度はゼッタイ本領発揮しちゃうからね!」
懐かしくも、あの頃の笑顔を取り戻した軽巡阿賀野だった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
7月15日未明
『カチャ』
艦娘寮の阿賀野、浦風の二人部屋の扉がそっと開く
「…!?」
目を開けずとも、扉の僅かな音、そして人の気配で起きたのは浦風だった
ぎし、ぎし、と誰かが床を歩く音が聞こえてくる
いつもなら賑やかな艦娘寮、床の軋む音など気にもならないが今はまだほとんどの者が眠る時間帯
真っ白な音の無い空間にその軋みの音はよく際立っていた
「…はぁ」
浦風はため息
「…昨晩はお楽しみじゃったんか?…阿賀姉?」
「ギックゥー!!」
ベッドから起き上がった浦風は部屋の壁沿いをひっそりとスニーキングする阿賀野の背に声を掛けた
「…あ、あはは…おはよう…ございます…」
シャワーを浴びたであろう阿賀野の顔は火照り、真っ赤になっていた
そんな朝帰りをしてきた阿賀野に呆れながらも浦風は
「…提督さんと…仲直りできたんじゃね?」
「…あ…うん…」
恥ずかしそうに首を縦に頷く阿賀野
そんな阿賀野を浦風は抱き寄せ
「…良かった…良かったねぇ…」
嬉しそうに抱き締める
「…ありがとうね…浦ちゃん…」
阿賀野が礼を言うと浦風はすぐに阿賀野から離れて悪戯な笑顔になり
「……でもエッチな事はまだいけんよ?」
「……ゔ…ごめんなさい…」
まるで豆粒のように小さくなる阿賀野だった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
若狭基地1000
若狭基地の中庭、あまり広くないこの中庭の一角に、1畳ほどの範囲の花壇が造られている
磯波が大事に世話をしていた花壇である
「ありのーままのー…ほにゃららーらーららー…」
麦わら帽子をかぶり、首からタオルを下げたまま花壇の世話をするのは山下だった
どこかで聞いたことのある歌を口ずさみながら小さなシャベルで土いじりをする
「なーにーもー…こわーくーなーい」
「何してるんですか?司令官…それに…なんですか?…その変な歌…」
山下の背後に立つのは笑顔の吹雪だった
「…変とか言うなよ…アナ雪だぜ?」
山下は振り返ることもせずに土をいじりながら吹雪に返答する
「…今街で上映してる映画ですよね?…私は見たことありませんけど…」
「…俺もだ…でも街に出ればよく聞く歌だからな…なんとなく覚えた」
「……」
「……」
山下と吹雪は会話が止まる
聞こえてくるのは蝉の鳴き声のみ
そんな中、吹雪は違和感を感じていた
地面は砂利が多い為、コンクリートの地面のように太陽の熱が反射してとても暑い、と言うことはない
湿度もここ最近では変化は無く、毎日ジトジトしている
吹雪が違和感を感じていたのは目の前にいる山下のせいである
(…なんなの…今日の司令官…)
昨日までの山下と全くと言っていいほど雰囲気が違っていたからだ
吹雪の予想では磯波と響の件で怒り狂うほど発狂しているハズの男がのんびりと歌を口ずさみながら土いじりをしている
(…昨夜の盗聴も電波悪かったのか全然執務室の声が聞こえなかったし…)
(…それよりなにより…あの司令官が私を呼び出すなんて…)
「…あの…私を呼んだ理由ってなんですか?…まさかその変な歌を聞かせる為じゃ「これ、返すわ」
山下が吹雪に背を向けた状態でぽーん、と何かを投げる
山下の頭上を飛んだ小さなそれは上手いこと吹雪の足元にかしゃん、という音を立てて落ちる
「……」
吹雪が見下ろすとその足元に落ちたガラクタは吹雪が執務室に仕掛けた小型盗聴器だった
「…なんですか…これ…」
「阿賀野がな…"執務室の中を変な周波数が通ってる"って教えてくれてな…追跡したら吹雪…お前の部屋に続いてたってさ」
「…」
先に阿賀野を消せばよかった…そう後悔する吹雪
吹雪の笑顔が固まる
「…あと…今何してるかって聞いたよな…?こりゃーあれだ…今は次の作戦準備で忙しいからな…落ち着いたら磯波の葬式でもやってやろうかと思ってな…」
変わらず吹雪の方を見ずに花壇の手入れをする山下
「…で、お前を呼んだのは他でもない…」
パッパッ、と手のひらを払い、山下は立ち上がる
そしてゆっくりと吹雪の方へ向く
「ちゃんと…ケリつけたかったからな…」
その顔は今までのへらへらした色黒青年ではなく、頭を使うことをすれば挙動がおかしくなるスポーツバカの運動男でもなく
北陸支部直下、若狭基地の提督。
山下勲という一人のピシリとした雰囲気の軍人の顔だった
「…ケリ…ですか…私と何をケリつけるって言うんですか?…そんなことより今は執務中ですよね?こんな所で油売ってる暇「駆逐艦吹雪!」
「!?」
艦娘のとしての本能で動いてしまい、思わず背筋を伸ばす吹雪
「本日…いや、たった今をもってお前には海軍特別治療院への入院を命令する…異論は無い」
これが昨晩阿賀野に言った、山下の判断である
利根の提案した即解体
加賀の提案した様子見
山下には利根の様な決断力は出来ず、加賀の様にしっかりと周りを見回すことも満足には出来ない
そこで阿賀野の提案した"吹雪を入院させる"を選択したのだ
海軍特別治療院
艦娘達の中でも知らないものはいないとされる艦娘専門の病院
ここに入った者は永遠に出られないと噂される
そんな病院へ入院する事が決まった吹雪は目を丸くし、驚く
「…意味、わかんない…」
「なんで!私がっ!?」
「…提督命令だ…お前は病気だ…治療院で治療させる……ん?」
山下は吹雪の背後に見えた人影に気づく
山下の視線が動くのを見て吹雪も後ろを向くと、浦波が立っていた
「…浦波?…なんで…」
一昨日長門からの命令で艦娘には基本的に食事時、火急の用事、もしくは提督命令時以外では寮から出ない様言われている
ここに浦波がいる事はあるはずがない
「…どうしたの?浦波ちゃん?今は寮から出たら……」
吹雪が浦波に声を掛けるも浦波は何かぶつぶつと喋りながら吹雪の声が届いてない様に見える
「…さん…ってて……なで…弁当……お……け……ょう…」
異様な雰囲気の浦波を見て山下も吹雪も固まる
そして浦波がゆらりと動いたと思うと、吹雪に向かって走り出してきた
「……き……」
手にはカッターナイフを持って
「…っきいぃぃいいいいい!!!!」
吹雪、状況を確認して一歩脚を引く
そして向かってくる浦波に対して戦闘姿勢をとる
「…うらっ!…やめっ!…!」
浦波が吹雪に向かってカッターナイフを突き出しながら突進
「…ふぅっ!!」
しかし姿勢を低くした吹雪は一瞬で浦波の首元を狙い、カウンターの様に拳を打ち込む
「ギョブッ!!」
凡そ女子中高生の見た目からは想像できないなんとも間抜けな叫び声を上げ、浦波は仰け反り半回転しながら地面に倒れる
「…浦波っ!?」
山下は浦波に近づこうとするが、間には吹雪がいるため近づけない
「…ギョッ…ギッ!…ブフッ……かっ!……かっ!…」
倒れた浦波は自身の首元に両手を当て、両足をバタバタと動かし苦しんでいる
「浦波っ!!…吹雪!浦波になにした!」
「…喉を潰しました。もう"しばらく"息出来ませんよ…ふふふ」
「…っ!…浦波ィイッ!!」
吹雪など関係なく浦波の元へ駆け寄る山下
山下が見たのは白目を剥き、口と鼻から泡を吹く吹雪型の末っ子の姿だった
喉のど真ん中には真っ青になっており、数センチ程陥没している
「浦波っ!」
山下が名前を呼ぶとバタバタしてた浦波の足は動かなくなり、スカートには小便のシミが広がる
「汚いっ!…浦波ちゃんバッチッチーだよ!」
「…ぁ…ぁわわ…」
冗談を言うようにケラケラと笑う吹雪と、何がなんだかとあたふたする山下
そんな山下を見て吹雪は山下に覆いかぶさる
「しれーかん♪」
「…つ!ふ、吹雪…って…お前っ!」
「んふふ…んふふふ…ひひひっ…」
山下の背に覆い被さりながら吹雪は山下の両手を後ろに持ってこさせ、首に巻いていたタオルを剥ぎ取ると山下の両手を後ろで縛った
「やまっ…やめろお前!…んな事より浦波を…っ!」
「…知らない。そんなヤツ…」
「!?」
両手を縛られ、座らされた山下の目の前に吹雪は見下すように立ち、そう低い声で吐き捨てた
「っつか…先に襲ってきたのはコイツですよね?なら正当防衛…寧ろ評価されてもいいくらいですよ?…なんせコイツは"司令官"を狙ったんですから…」
「…っな訳ねえだろうがっ!…早くこれ!…タオル取れ!吹ぶぁっ!!!」
山下は最後まで名前を呼べなかった
吹雪が地面の砂利を山下の口に突っ込んだからである
「ん…んもっ!…んんひっ!はえお!」
「んもー…司令官ったら…私も大好きですよ」
いつもの笑顔で山下の口の中に無理矢理小石を詰める
「…あっ♪」
花壇の整備用に山下が持ってきた道具箱に布テープが入ってるのを確認
『ビィィイイイ』
吹雪は布テープを引っ張り千切る
そしてテープを、山下が石を吐き出さないように口にしっかり貼り付ける
「……ん…んむ…」
更に吹雪は自身の履いているスニーカーを片方脱ぐと、更に靴下も脱いだ
「…じゃーん!吹雪の靴下です!生脱ぎですよ…ほらほらぁ」
ひらひらと吹雪を睨む山下の目の前に自身の脱いだ靴下をチラつかせる
「…司令官って…野球好きなんですよね?」
「……?」
吹雪は脱いだ靴下に小石を入れ始める
(おいおいおいおい…いくら俺でも分かる…これはヤバいっ!)
「んー!んんーんー!」
脂汗をかきながら山下は必死に吹雪に訴える
「えっ!?本当に!?…ふふふ、良かった…大好きなんですね?野球」
「んーえー!んんーおー!」
靴下に小石を入れ、しっかりと靴下の口を結ぶ
「…よしっと…」
死刑台に座らされた山下
目の前のそばかす顔の笑顔を顔に張り付ける小さな処刑人はずっしりと重量の増えた鎌をぶんぶんと上下に振り回す
「…勝手に執務から逃げ出した悪い司令官には…顔面フルスイングの罰ですっ♪」
ゴツゴツとした口の中
手は自由が効かず
視界は涙でセルフモザイク
自分の顔目掛けて高速で近づいてくる角ばった靴下
「んーんおーーー!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「全く!何やっとるんじゃあのおバカ提督は!」
「提督さーん!!」
浦風と阿賀野は基地内廊下を全力で走っていた
浦風は阿賀野から"山下が吹雪と話し合いをする"と話を聞いた。しかしあの吹雪が話し合いで事を済ますはずは無いと浦風は睨み、こうして基地内で山下も吹雪を探しているのだ
「…ごめんっ!浦ちゃん…私がもっと早く浦ちゃんに教えてれば…」
「…反省は後じゃ!提督さんならいつも10時きっかりにサボりおる!どっかで吹雪を呼び出して会ってるはずじゃ!」
執務室、艦娘寮、食堂、と二人は山下の姿を探したが見当たらなかった
残る場所は
「あとは基地の1階フロアじゃな!」
「…!…多分中庭かも…提督さん磯波ちゃんの花壇のこと気にしてたから!」
「…信じとるよ!阿賀姉!」
数分かけ、二人は裏庭に続く扉の前に到着
そして先に扉を開け、外を見た浦風はその光景に驚愕する
「……ぁ……」
「ちょっと、浦ちゃ……!」
次いで阿賀野も浦風と同じ光景を目にする
花壇の横、壁側に倒れている吹雪型のセーラー服の少女
そしてその近くには見馴れた純白の士官服…山下が仰向けに倒れており、その上に跨るのは後ろ髪を1つに束ねたセーラー服姿の少女。
吹雪だった
山下に跨る吹雪は真っ赤に染まった布袋を自身の頭より高く振り上げては、まるでメンコを地面に叩きつける様な勢いで振り下ろす
何度も、何度も
振り下ろす度、中庭には鈍い音が響く
「提督さんっ!!!」
「…っ!!」
阿賀野が叫び、浦風が一歩前へ跳び、すぐに艤装を展開
「おっどりゃぁぁあああ!なぁにしたんならぁぁあああああ!!!」
浦風は大声で叫び、両の手に持った連装砲を吹雪に向ける
「…っんぐぁっ!!」
しかし砲を構えた直後、浦風の視界が左斜め上に一瞬で変わる
(…え?)
艤装を展開したまま浦風は背中から後ろに倒れる
(!?…????)
左顎に激痛が走る
身体中が氷で冷やされたように寒く
左目が圧迫され片方の視界が動かない
辛うじて動く首と右目で吹雪の方を見ると、彼女も艤装をすでに展開しており、こちらに構えられた吹雪の主砲は煙を吹いていた
(…撃たれ…たんか…ウチ……アイツに…!?)
浦風は無意識に天に向かって砲撃
その祝砲の音は虚しく中庭に反響する
「浦ちゃんっ!!」
阿賀野が浦風を抱き上げる
「…ぅっ…ぇえぃあ…!いえ…いえれっ!あがぇえっ!!」
撃たれた本人は理解してないが吹雪の砲撃は浦風の唇の左側から左頬を通り、左耳の付け根前まで撃ち抜いた
まだ、頭が吹き飛ばなかったのは奇跡のようなもので、浦風はハッキリした意識と、言葉にできない程の激痛に襲われている
「…ぅ…いや…もうやめ…て…吹雪…!」
腰が抜けた阿賀野は浦風を抱き寄せたまま吹雪に攻撃を止めるよう乞う
吹雪はニタニタと笑いながら阿賀野と浦風にゆっくり近づく
「…ふ…ふひ、ひひひひひ…先に艤装を出したのは浦風ちゃんだから…これも正当防衛だよ…!」
「…んにゃあっぃおっ!んぇぇああっ!」
無理に喋ろうとする度に血が吹き出す浦風
その顔色は段々と青くなってくる
「…ひひひ…基地内での勝手な艤装展開…規則違反の浦風ちゃんは…」
「…!?」
ニタニタとした粘っこい笑顔を作っていた吹雪は、目を見開き、よだれを垂らしながら狂気すら感じる笑みを作る
「顔面皮剥の罰っ!!!!」
「「!?」」
阿賀野と浦風は嬉しそうな吹雪の顔を見て戦慄する
これが…
これが本当の吹雪
「止めなさい!吹雪っ!このままじゃ貴女本当にここに居られなくなるわよ!」
阿賀野は叫ぶ
「…五月蝿いなぁ…浦風ちゃんより先に…」
吹雪は阿賀野に主砲を向ける
「阿賀野さんからやっつけちゃいますね☆」
「…やめっ…!」
吹雪が主砲の引き金に指を掛けた瞬間
どん。と吹雪の背後から大きな音が聞こえた
何か重いものが空から落ちてきたのがわかった
「!?」
吹雪も阿賀野も身体が硬直する
驚きだけではない
身体が動けなくなるほどの"殺気"を感じたからである
「……随分と胸の熱くなるような事をしているな……吹雪……」
吹雪は背後から聞こえた声を元に、自身の記憶の中からある一人の女性を思い浮かべた
「…な、長門…秘書「動かなくていい。吹雪」
吹雪の背後に立ち、艤装を展開するのは若狭基地、秘書艦の戦艦長門その人だった
ギギキ、と油の切れた機械のようにゆっくりと後ろを向こうとする吹雪だったが長門に止められる
「…こ、これは違うんです!浦風ちゃんが暴走して艤装展開し!…司令官と浦波ちゃんを…!阿賀野さんもそれを見て錯乱して「吹雪」
長門からの圧は止むことがない
むしろ肌がピリピリするくらい殺気が強くなっていく
吹雪は長門が見える位置にいる阿賀野を見るが、阿賀野は吹雪の背後を見たまま歯をガチガチと鳴らせて怯えていた
「ははは…もうそんな無駄な嘘をつく必要はないぞ。吹雪」
まだ若狭に着任して日の浅い吹雪は感じた
いつも通りのをしっかりとした声、そして口調の長門
まるで執務室でのいつもの会話の様に感じるが…
なんとなく…なんとなくいつもと違う雰囲気
初期の頃より若狭に居る古参の阿賀野は感じた
いつもよりも少し低い声、そして普段よりアクセントの強い口調の長門
執務室はおろか、共に出撃した戦場でも聞いたことのない声
間違いなくキレている
それも相当に
なによりも阿賀野から見える景色
突然の長門の登場に驚きの表情で砲をこちらに構え硬直する吹雪、その背後には戦艦特有の大きな偽装を展開し、鬼も逃げ出すような憤怒の表情で吹雪の後ろに立つその姿はまさに威風ある山の様だった
「…う、嘘とかじゃ…」
「吹雪…他に何か言い残す言葉はあるか?」
「!?」
(…言い残す?)
吹雪は長門の発したこの言葉を理解する
長門は私を殺すつもりだ、と
そして当時に吹雪の中で怒りが湧く
(…私のせいじゃないのに…浦波ちゃんが勝手に襲ってきたから…私のせいじゃないのに!!)
(…いつだって私が悪者…!私はただ…鎮守府を良くしようと考えてるだけなのに…!)
(なんで?…なんでなの…?磯波ちゃんだって…浦風ちゃんだって…響ちゃんだって…邪魔な存在を処理して何が悪いの!?)
(私が…!私が主人公なの!…ヒロインなの!……司令官には頑張る私達だけを見てもらいたいのに…!なんで…!なんで…!なんで!!!!)
(そうだ!…本当の邪魔者はコイツラだ!…すぐにバラバラにしなきゃ!燃えないゴミの日に出さなきゃ!真由美さん!見ててね!ワタシガヤッツケチャウンダカラ!!)
「…な…よ…」
吹雪が何かを呟く
長門は何も言わずに吹雪の背後に佇んだまま
「…ん艦ごときが…調子…なよ…!」
「…吹雪…!?」
吹雪の目の前にいた阿賀野は吹雪の顔を見て更に驚く
吹雪は眼から涙を流し、唇も血が出るほどかみ締めていた
「…ン前ェみたいな奴に殺られマセンっ!…この…ゴリラおん
「そうか」
まさに瞬速
吹雪が長門の方に振り返ろうとした瞬間、そう一言答えた長門の右フックが吹雪の顔面に炸裂
轟音と共に吹雪の身体は吹き飛び、真横の建物の壁に頭から突っ込む
壁は漫画のように、ぶつかった吹雪の身体の形状穴が空く訳もなく、直径2メートル程の大穴が空き、歪な放射線状の亀裂も入る
「…っ!浦ちゃん!」
一瞬呆けた阿賀野だったが、直ぐに抱きかかえる浦風に声を掛ける
「…ぃ、いあい…ああお…ぇえ…」
「うん、うん…すぐにドックに連れて行くからね!」
浦風の意識がハッキリしているのを確認すると、安堵した阿賀野の眼と鼻から大量の水分が噴射する
「提督…大丈夫か!?」
長門も山下の元へ走り、抱きかかえるとゆっくりと口元の布テープを剥がす
すると大量の小石が山下の口から血とともに吐き出される
「…ぅえぶっ…ぶほっ…ぶほっ…な…ながろ……」
意識は半分飛んでいるのか、自身を抱き上げる長門の顔をぼんやりと眺め
「…うぅ…うらなみ…うらなみ…を…」
荒い呼吸をしながら倒れる浦波を力なく指差す山下
「…ああ、分かっている…もう大丈夫だ…ゆっくり休んでくれ…提督」
「………ぁ……あぁ…」
そう返し、山下の意識は切れた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
床も天井も壁も鉄で出来た輸送船の通路を、老将校と共に歩いている少女
「…」
賠償艦として井ノ上に若狭から連れて行かれた駆逐艦響
響は薄暗い世界を警戒しながら目的地も分からない冷たい通路を歩く
「…この輸送船に乗るのは初めてですか?」
井ノ上が振り返ることもなく響に問う
「…護衛任務で随伴しただけで…乗ったことは…ありません」
山下よりも上官が相手…
流石に響も敬語を使い引き続き警戒しながら答える
「…そうですか…」
「あの…少将…本当にこの先にロシア海軍の方が待っているんですか?」
「…さ、そこの扉です」
井ノ上の指すその先には大きな鉄の二枚扉が響達を歓迎する
「…駆逐艦響」
「……はい…」
不意に井ノ上に呼ばれ、返事を返す響
「…君がロシアに行く事になって良かった…君のお陰で我が北陸の船達は沈む事無く…暫くは路頭に迷う事もない…感謝しますよ。駆逐艦響」
響は頭を悩ませる
何を言っているのかこの老人は
とうとうボケでも入ったのか、と
井ノ上が扉を3回ノックすると、重々しい扉が開く
「ああ、これはこれは井ノ上さん」
扉から顔を出したのは、茶色のシャツを着た白い肌の外国人中年男性だった
「…"納品"に参りました」
井ノ上は1つ頭を下げる
「……?」
響は聞き慣れない単語に戸惑う
男性は響を見るや表情が明るくなり
「君がヒビキちゃんだね?井ノ上さんから聞いてるよ。さぁ、どうぞ?」
「…私はここまでだ…行きなさい。駆逐艦響」
「…え…い、や…でも…」
「いいからいいからっ!」
躊躇する響の手を男性は無理矢理掴み部屋の中へ連れて行く
通路には老将校だけが残り、扉は再度重い音を立て閉まる
「…悪く思わないでください…駆逐艦響…怨むなら…貴女の運命を怨みなさい」
そう呟き井ノ上は来た通路を戻っていく
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
部屋に入れられると、そこは大部屋だった
衣類や食べかけの食料品が辺りに散乱し、女性として…少なくとも少女として決して見たいと思わない男性向けの過激な内容と見られる表紙の雑誌も散らかっていた
それになによりも耐え難い悪臭で部屋は充満していた
「お前らっ!来たぞ!」
「!?」
男性が大声を出すと、え、そこで寝てたの?という場所から軍人とは思えないラフな格好の外国人男性達がシーツを引っ剥がし、起き上がってくる
その数8人
[オイオイ、こりゃまた美少女じゃねぇか]
[たまんねぇなおい]
響に男達の張り付くような、イヤらしい視線が当てられる
(…ロシア語!?…それにこの人達…本当にロシア海軍?)
響は警戒して入ってきた扉の方に後ずさる
「あははは…大丈夫だよ。ヒビキちゃん…この人達は撮影スタッフだから!」
「…撮影?…スタッフ?」
男達はなおも響に寄ってくる
[あーいい匂いだぜ、とっととやっちまおうぜ]
[焦んなよ、またこないだみたいに逃げられるぞ]
[こないだの艦娘は両腕無かったからな…今回は楽しめそうだぜ]
男達は耳の腐るような内容を仲間内で喋る
残念ながらロシア語の分かる響には筒抜けであった
「…っ!」
危険を察知して扉の方へ逃げ出す響
「あっ…ちょっと!ヒビキちゃん!?」
唯一日本語を喋れるであろう男性が響を呼ぶも無視
「くっ…あ、開かない!」
響は扉に辿り着くも、艤装を展開していない響ではこの重い扉を開けることは出来なかった
[はははっ何やってんだいお嬢ちゃん]
逃げる響の姿が滑稽だったのか、男達は気味の悪い笑い声を上げる
「あ、開けて!ここから出して!」
「んょいしょっと!」
シャツの男は響の髪を掴み、再度部屋の中央へ引きずる
「…ぃっ!…や、やめっ…!!」
(なんで!?…艤装が出せない!)
響は艤装を展開して彼等を牽制しようとしたが、艤装の反応が全く無かった
「ヒビキちゃん…駄目だよ?オイタは」
床に伏せる響の目の前にしゃがみこむシャツの男
「ああ、そうだそうだ…忘れてた…僕の名前はグリゴリー…ロシアの…うん、映画会社の者だよ。ヒビキちゃんはウチの会社でデビューする事になったから。よろしくね」
シャツの男…グリゴリーは改めて笑顔で自己紹介をする
吹雪のモノとまた違う不気味な雰囲気の笑顔に響は身体を震えさせる
「お、お願い…します…帰して…帰してください」
[…おーい…カメラ回せー]
グリゴリーがそう言うと、若いスタッフがカメラを響に向ける
「…!?…」
「…ふふふ…大丈夫大丈夫…痛いのは最初だけ…後から良くなってくるから、さ」
「…ぅ…」
グリゴリーが響の制服のボタンに指をかける
「んん~…この船は本土に着くまでゆ~っくり進むからねぇ…1ヶ月はこの船で生活を共にするんだ…仲良くしようねぇ」
「ぅぅぅううあああっ!」
「んほぉっ!?」
響はそのか細い腕を使い、全力でグリゴリーを押しのけ、再度扉に向かって逃げ出す
そしてがんがんと扉を両手で叩き
「司令官!司令官!天龍さん!…助けて!助けてっ!!」
普段の彼女からは想像できないほど響は錯乱し、涙を流し声を張る
[おらっ!こっち来んだよ]
「嫌だっ!触るな!…司令官!司令官!司令ぁぁあああっ!!」
男の一人が響の腕を掴むが響はそれを振り払い扉を叩く
しかし艤装を展開できない少女の力が大人の男性にかなうはずも無く、そのままずるずると引きずられる
[お前ら!遊んでやれ!オモチャ使っても良いぞ!ゴムも要らねぇ!女の喜び教えてやれ!…1から10まで全部ビデオに収めろよ!]
グリゴリーの言葉にテンションが上がる男達
中には服を脱ぎ、全裸になる者もいる。
部屋の中央まで引きずられた響はもう逃げる事も出来ず、自身の両肩を抱き締め震える
これから自分が何をされるか、唯一わかるのはそれは想像を絶するものだろうという事だけである
「…司令官…司令官…司令官…司令官っ!」
(…助けて!)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……ん……あ……あ?…ここは…」
俺はゆっくりと目を開ける
最初に目に入ったのは、知らない天井だった
アイボリーカラーの天井、俺の身体を持ち上げるふかふかの感触
…そうだ、ベッドの上か
なんで…
「提督!」
「…提督!」
加賀…?と谷風が、泣きながら俺を見ていた
っつーか二人共私服だから一瞬分からなかったわ
「…か、かがぁ…はにかじぇ…」
あれ?…
なんか言葉が…
おかしいな……
あ…痛い…
なんか…いたたた…
…そうだ…
俺…吹雪に……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
福井県 敦賀医療センター
「…よっは!?…よっはも寝へ…寝へたのか…」
顔中包帯とガーゼで覆われた山下が病院のベッドで目を覚ましたのは吹雪の暴行事件から凡そ4日目の昼だった
「…ええ、一時は生死の境を彷徨ったとお医者様が…」
「本当に…良かった…良かったよぉう…!」
涙を払いながら説明する加賀とぼろぼろと大粒の涙を流し、喜ぶ谷風
「…お前ら…めいわふ…かへたな…」
そう言って山下はまだ痛みのある腕を持ち上げヘッドの縁にいる谷風の頭を撫でる
一瞬嬉しそうにする谷風だったがすぐに表情は曇り
「…提督…」
「ん?」
加賀と谷風は並び、二人して頭を下げる
「「ごめんなさい」」
突然の謝罪に驚く山下
「…あの時…貴方の気持ちも考えずに…叩いてしまって…」
「…た…あたしも…その…入渠の件で……」
ああ、と山下は思い出す
「…気にふんなっ…ほれに…俺にも落ち度はある…いろいろ、ごめんな…二人共…」
加賀と谷風に対して山下も頭を下げると病室の扉が開く
「…提督!?…良かった…気がついたのだな!」
入ってきたのは秘書艦、長門だった
「長門…あっ!浦波は!?うらかじぇは!?…いだっ…いたたた…」
興奮して声を張るも痛みで頬を抑える山下
「…落ち着いてくれ…二人共ちゃんと生きている…浦波は別の病室に…浦風は基地で入渠している」
「…ほ、ほうか…良かった…」
「そうだな…色々と…説明しよう…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
長門の話だと、吹雪はそのまま利根に確保され基地の営倉へと入れられた
浦波と浦風もすぐに病院へ運ばれ、緊急手術を施術
浦波は声帯に障害が残り、浦風も傷跡が残る事になったが命に別状はなし
艤装を展開しないで負傷した浦波は未だに山下と同じ病院に入院、艤装を展開していた浦風は術後1日で病院から基地のドックへ運ばれた
そして翌日は天龍が長門に自主解体の申請を申し出、何度も止めたが天龍の意思は固く、その後天龍の姿を見たものはいない
そして山下本人に関しては殴打による傷や腫れはあったが脳へのダメージ、また頭蓋骨の骨折も無く、診察した医師も驚いていた
しかし口内は悲惨なことになってしまい、舌は裂け、口元には消えない切り傷、歯もいくつか折れ、また欠けてしまった
「…お医者様も驚いていたよ…流石脳筋は違うな…」
皮肉るように長門がそう言ってきた
「うるへー…お前には言われたくない…」
山下はそう吐き、病室にいる加賀、谷風、長門を見る
「…阿賀野は…?」
阿賀野の名を出すと3人は顔を俯かせる
「…阿賀野は…今メンタル的にダメージを受けてて…その……」
加賀が教えてくれた事にピンと来る
「…あー……そう、だよな…」
『…本領発揮しちゃうからね!』
一度は折れかけた心、しかしなんとか立ち直り、山下に告白し、自信を手に入れた直後、何もできずに目の前で大切な人達が倒れていく
もう阿賀野の心は限界を過ぎたのだ
山下はそう結論付けた
「…阿賀野さん…もう2日くらい寮の部屋から出てきてないし…心配だよ…」
そう悲しそうに話す谷風の頭を長門は撫でる
「…浦風もドックから出れればすぐに阿賀野の元へ向かうだろう…それで少しは元気をだしてくれればいいが…とにかく、提督が戻るまでは私の方で色々やっておこう…心配はいらない」
「…ありがとうな…長門…加賀、谷風…」
「…」
「…あー…長門…」
山下は一番気になっていた事がある
そう、吹雪だ
「…奴なら今入院をする為の準備をしているよ…もう提督と顔を合わせることもない…奴の事は気にせずにしっかりと療養してくれ」
やさしい笑顔を作り長門はそう伝える
「…そうか…」
何かが引っかかった気もするが山下も納得する
「さぁ、私達もそろそろ基地に戻ろうか…」
「ええ」
「はい」
加賀と谷風が返事をし、帰り支度をする
山下はぼうっと3人の姿を見る
「それでは提督…また来るよ」
「ああ…基地をよろしくな、長門」
長門達はそのまま山下の病室を後にする
「…吹雪…」
山下はベッドの上から窓の外を見つめる
外は夏の陽気で陽炎が揺らぎ、蝉の声が聞こえる
山下はポツリと零す
「…また……助けられなかったな……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
病院をあとにした長門達は用意していた若狭基地所有の軍用車に乗り、基地へ向っていた
「…提督、目ぇ覚ましてよかったよ!」
「ええ、本当に…」
「基地に戻ったら続きだな」
「…ええ」
「…え、と…長門さん…まだ…あれやるのかい?」
「なんだ谷風…今頃怖じ気づいたのか?」
「そ、そんなことないさ!…で、でも…もう3日目だし…あんな暴力…」
「あれは暴力じゃないわ……然るべき懲罰よ」
「そうだ…それに…奴も艦娘…艤装を展開していれば怪我をしても入渠すればある程度は元に戻る」
「……でも…」
「奴はそれだけのことをした」
「そうね」
「若狭を敵に回したんだ…なら…」
「磯波や浦風…浦波達がやられた事をやり返すのが私達の責務だ」
「…提督が退院するまで…ずっとね」
「うむ、提督が退院する前日にでも奴を病院にぶち込めばいい」
「…壊されては治されて、壊されては治されて…谷風さんだったら発狂しちゃうよ…」
「…ふふふ…大丈夫だ」
「最初から壊れてる者ならこれ以上壊れないさ」
長門達が吹雪に懲罰として何をしているのか…
それは彼女達にしか分からない