「中尉?…昇進!?…あらあら…スゴいじゃないの…流石は私の子ね…」
「中尉…君ももう子供じゃないんだ。いい加減大人として…日本国海軍の士官として自覚しなさい」
「そんな仕事してるんだ。給料だって良いだろう?家に少し入れてくれよ」
「大変だ!母さんが倒れて…!治療費が必要なんだ!」
だんだんと自分の心が、精神が黒いものに侵食されてきている
器の縁までそれらは溜まり、やがて…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昭和92年鹿児島県 大隅警備府
艶めく海面が窓から見える大隅警備府執務室。
執務机に両肘を乗せ、少し小柄な青年は小さくため息を吐く
「はぁ…」
男性、もとい警備府司令官、本郷岳人中尉はここ大隅警備府に2年前に着任した
大隅警備府は関東にある大本営、東海本営を筆頭に並ぶ各地方本営の1つ、西海支部直下の鎮守府である
この警備府に在籍する艦娘は約20名、本郷は指揮官として彼女達には無理な内容の任務などはやらせず、"本人達が出来る範囲でできる任務"を主にやらせていた
お陰で士気は上々、轟沈するものもいなかった…が、あまり前向きとは言えない艦隊運用のせいで戦果はまずまずといったところであった
「司令官さん?朝からため息なんて良くないのです」
視線を下げたままの本郷、彼にそう優しく声を掛けたのは本郷の秘書艦、暁型駆逐艦の電だった
「あ、あぁ…ごめんごめん…あの…昨日あまり寝てなくてね…」
本郷は心配してくれた電に引きつった笑顔で返答する、電はうーんと考え、小さな手をもじもじとさせて
「それは良くないのです。早めに執務を終わらせて午後はゆっくり休んだ方が良いのです」
心配そうにそう提案する電
「あ…いや…大丈夫大丈夫!…ほらこの通り!」
しかし本郷は椅子から立ち上がりラジオ体操の動きをする
「っ…ふふふ…何なのですか…その変な動きは…」
突然の本郷の行動、思わず小さく吹き出す電
「あははは…さぁっ!今日も頑張ろう!」
気分を変え、再度席に座ると執務室の扉がノックされる
「どうぞ」
がちゃりと扉が開くと、英国で生まれた帰国子女が元気良く入ってきた
「おっはようございマース!今日も元気な貴方の金剛デース!」
「ああ、おはよう金剛。今日も元気だね」
もう慣れた光景なのだろう。本郷は笑顔で金剛にそう返す
「もちろんデース!テートクの顔を見れれば今日1日tensionMaxデース!」
「もう…金剛さんは元気すぎてちょっとウザいのです!」
電も慣れた様子で毒を吐く
いや、電からすれば毒を吐いてるつもりは無く、むしろ仲のいい表現として金剛にはよく毒を吐いている
「ッガーン!…oh…電…今日も切れ味の鋭い突っ込みデース…」
両膝を付いて床に伏せる金剛
なんとも喜怒哀楽、と言うよりもリアクションが激しい少女だった
「あはは…まぁまぁ…金剛、明日の近海の哨戒任務。無理しないようにね」
そう声をかけると金剛はすくっと立ち上りびしりと敬礼
「任せてくだサーイ!帰ったらイチャイチャtimeデース!」
どたどたと騒がしく部屋を出ていく金剛
「…司令官さん…金剛さんを甘やかしすぎなのですよ?」
やれやれといった風に電がジト目で本郷を見る
もちろん本気で怒っていないのはわかっているので知らん顔をしてそっぽを向く本郷
「…さーて、何のことだろうね」
金剛が執務室を出て行って数分後、再度扉をノックされる
「どうぞ」
次に入ってきたのは軽巡洋艦の川内だった
「おはよう提督。なんか手紙来てたよー…封筒を見た感じ普通の手紙っぽいけど…」
そう言って川内は1枚の封筒を手渡してくれた
「ああ、ありがとう。川内」
「いいえ~守衛さんに頼まれたんだよ。あ!あとあと!また夜戦任務のある時は編成に私を入れてよ!」
「…はいはい…わかったよ。川内」
本郷の返しにご機嫌になった川内は明るく手をふって執務室を出て行く
「…前言撤回…金剛さんだけでなくてみんなに甘いのです」
「…そう睨まないでよ…」
あははと乾いた笑いを電に返す。
電は呆れながらも今日のスケジュールを確認し始めた
一方本郷は川内から貰った封筒を裏返し、送り主を見る
「……!!」
その送り主の名前を見て本郷は眠気が吹き飛ぶ
そしてスケジュールのファイルを確認している秘書艦に声をかけた
「…電…ごめん…ちょっとお茶貰えないかな?…喉乾いて…あ、いや、急がないからゆっくりでいいよ!」
少し慌てながら、しかしその様子を悟られないように本郷は身振り手振りで電にお茶をお願いする
「…?…はい、了解なのです!」
◇ ◇ ◇ ◇
「あら、おはよう、秘書艦さん」
「おはようございますなのです」
本郷へのお茶を用意する為、基地本館内の廊下を歩き給湯室へと向かう電。
途中廊下ですれ違った艦娘に挨拶され丁寧に返す
他の海軍基地よりもそこまで厳しくない規律、誰にでも優しい司令官、美味しく健康的な食事…
大隅警備府の艦娘にとってこの基地は大変過ごしやすい環境だった
大破進撃を良しとしない本郷は戦果を挙げなくても支部からの印象を悪くさせない為にわざわざ大隅警備府以外の執務業を請け負ったりと、事務作業に力を注いでいた
しかし電はわかっていた
「司令官さん…」
電は廊下の窓から外を見おろす
外では数人の艦娘達が、花壇の手入れを楽しそうに行っている
『ごめんごめん、昨日あまり寝てなくて』
そんな光景を見ながら司令官との会話を思い出す電
「嘘です…」
小さく呟く
実のところ、2週間程本郷は執務室からほとんど出ていない。
執務作業の量が多すぎて寮の私室にも帰っていないのだ。
そんな中当然睡眠など十分に取れるはずはなく、本郷の目の下にはうっすらと隈が出来ているのを電は知っていた
電がどんなに休んでください、と言っても大丈夫の一言で終わらせ、張り付いた崩れそうな笑顔で本郷はいつも返す
「…」
電は手を乗せた窓枠を強く握る
(手紙を見たときの司令官さんのお顔…)
電は思い出す
川内の持ってきた手紙
それを受け取り、送り主の名を見た本郷の顔は悲しそうで、かつ静かに怒りの感情の雰囲気を纏った顔だった
「…電はなんのための秘書艦なんだろう…」
大好きな司令官が困っている
しかし自分は何もできない。させてもらえない
きっと本郷の優しさなのだろう
しかしその優しさが、電にとっては鋭く、硬く冷たいナイフの刃のようだった
そう思いながら握っていた窓枠に肘をのせてぼうっと外を眺める電
さて、そろそろお茶を淹れに行こうかと思った矢先
「oh!電!?」
「…あ、金剛さん…?」
横から声をかけられた電、声の主を確認するために振り向くと、先ほど執務室に来た金剛が立っていた
「電、どうしたんデス?元気なさそうデース」
「いえ…ちょっと考え事をしていまして…」
あはは、と苦笑いをして半歩金剛から脚を退く
「もしかして提督の事デスか!?」
ワクワクした、希望に満ちた眼差しで電に詰め寄る金剛
…気のせいか、金剛の眼には星マークが浮かんでいる様にさえ見える
「え、まぁ…はい…」
「わかります!わかりますヨー!」
金剛は嬉しそうに、どや顔で電の真横に近づいてくる
「提督は優しくて、かっこよくて、いつでも朗らかでとても素敵な人デース…電が好きになるのはよくわかりマス!」
「…え…?」
「確かにこの警備府にはrivalは多いデスが…大丈夫!電にもチャンスはありマース!元気だしてくだサーイ!」
金剛は明るくそう言って電の肩をぽん、と叩く
しかし電は本郷の仕事のやり過ぎを心配していたのであって、頭の中お花畑の金剛が言う恋の悩みを持っていたわけではなかった
しかし電の人柄のせいではっきりと違うとは言えずにとりあえず無難に笑顔を作り…
「…あ、ありがとうごさいます…なのです」
「いえいえ!いつでも相談に乗りマスよー!」
(…違う…)
直接言えない分、電は心の中ではっきりとそう言い切る
そう、電はそれくらいしかできないのだ
「は、はい…えと、電は司令官さんにお茶を淹れに行くので…ここで失礼します」
「ハーイ!またね、電!」
電は給湯室の方へ、金剛は艦娘寮のある方へお互い真逆に廊下を歩き出した
数歩歩くと電は足を止め、振り返る
既に離れた金剛の背を見つめ一つため息
「…恋…か…」
しかしここは軍の基地…
日本国軍海軍の基地だ
恋がどうとかなんて言ってられない…
いや、きっと暁型の姉妹がいれば電ももう少し見た目相応の少女だったかもしれないが、大隅に着任する暁型は電のみ…
恋の話などとうつつを抜かしてはいられない
◇ ◇ ◇ ◇
電が出ていった執務室
届けられた手紙を片手で丸めてくず入れに投げ捨てた本郷は執務机の上に頭を伏せ、唸っていた
「…はぁ…どうしよう…」
本郷の頭の中をなんともいえない感情が駆け巡る
送られてきた手紙
そのこともあるが、余計なものを見てしまったせいで続けていた執務への意識が止まる本郷
「し、司令官…さん?」
声がし、伏せていた頭を上げると、本郷と向かい合うように執務机の向こうに電がおぼんにお茶を乗せて立っていた
「あ…電……電!?」
薄くなりつつあった意識が目の前にいた少女の存在によりはっきりとしてくる
「あ、えと…は、はい!」
「ごめんごめん…考え事してたら気がつかなくて…」
「え、えと…ノックをしたのですが、お返事がなかったので…大丈夫なのですか?」
電は心配そうに本郷を見つめ、そう問いかけた
本郷の心はぎゅっと小さくなった気がし、同様を悟られぬよう官帽をぴっと被り直す
「もちろんだよ。電…お茶をありがとう」
「…あ、あの!…司令官さん…!」
普段物静かな電と違い、少しばかりその愛らしい声を張って本郷を呼ぶ
「…ん?」
「あ、や…あの…そ、の……あ…」
少しばかり顔を赤らめて指をいじりながら本郷に何かを伝えようとした電だったが、ふとくず入れに入っていた先程の手紙が丸められて捨てられているのに気づく
「え…?」
「それ…さっきの…手紙、ですよね?」
電につられて本郷もくず入れに視線を向ける
それと同時に電の視線の先にあるものに気づき、焦る
「あ、いやいやっ!あははっ…なんか間違いで届いたみたいでっ…」
思わず意味不明なことを口走ってしまう本郷
まさか間違いで手紙を捨てることなどありえはしない
自分でもわかる程歪んだ笑顔を電に向ける本郷
「あ、あは…あはははっ…どうかしてるね!ごめんごめん!」
「し、司令官さん…」
クズ入れに捨てた手紙を制すぐに拾い、服の上着ポケットにしまう本郷
(…!?…そんな顔をしないでくれ…電…)
あまりにも不自然な本郷の行動
そんな本郷を泣きそうな顔で見つめる電
何も言えずに泣きそうな顔の電の頭に手を乗せようとする
「司令官さん…」
電の頭に乗せようとする手が止まる
「…お願いです…何か悩み事があるのなら…相談をしてほしいのです…電程度では解決できないかもしれませんが…それでも…それでもっ!!」
電の両手が震えている…きっとこの言葉を本郷に言おうとしたのも勇気を出したんだろう
見た目は中学生の様でもちゃんと人を見ている
自分よりも誰かを…味方だけでなく敵でさえも助けようとする所に惹かれて電を秘書艦にしたのもある本郷だった
(真面目で、優しくて…しっかりしてる電…こんないい子に……心配掛けられない、よな)
本郷はそう考えると一呼吸をし、電の頭に手を乗せる
「…大丈夫、大丈夫だよ…電…僕は大丈夫」
「…っ!!……」
電の頭を優しく、丁寧に撫でる
「電…これから3日間、君を秘書艦の任から外す」
ふるふると大粒の涙を流し電は首を横にふる
「い、嫌…司令……官さんっ…!」
「…頼む」
そう、電はここまでよくやってくれている
きっと泣くほど疲れているんだ
本郷はそう考え、一つの答えを出した
(電"には"休む時間が必要だ)
「…頼む、電」
「…はい…なのです」
本郷は白いハンカチを取り出し、電の目元を拭ってあげる
「このままこのハンカチは持っていて構わないよ。不必要なら処分してもらえるかな?」
「…いえ…必ず洗って、御返し…するのです」
電は本郷に一礼すると、執務室の扉へ向かう
その足取りは重そうだ
扉の前で電は本郷を一目見て、その扉を開けて執務室を後にする
本郷はまた独りになり、執務椅子にもたれ掛かり虚無にも近い心を落ち着かせる
ため息もでない。
気持ちが悪い。
何も考えられない。
「…僕は…なんのための提督なのだろう」
◇ ◇ ◇ ◇
その夜、艦娘寮
「はぁぁ…」
二段ベッドの上の段にて電は何度目かわからないため息を吐く
きっとここに提督に甘い姉妹艦がいれば
『まるでため息製造機ね!』
等と間違いなく笑われながら言われる
…間違いなく…
(…おだまりなのです、ダメ提督製造機め)
電はまだ見ぬ犬歯の見える笑顔を見せる姉妹艦に突っ込む
「電~…いい加減ため息を止めてくれよ?」
ベッドの下からあくび混じりの眠そうな声が聞こえてきた
「ご、ごめんなさいなのです。深雪ちゃん」
ギシギシとベッドがきしむ音がする
備え付けの梯子を上ってジト目で深雪の鼻から上がにゅっとあらわれる
「…どうしたんだよ?電」
「うぅ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ここまでの経緯の話をしていると、深雪は二段ベッドの上、電の横に座ると何も言わずに話を聴いていた
普段と違い、深雪が茶々を入れないのを良いことに電は泣きながら、思い思いの気持ちを話す
「うん…うん…頑張ったな。電」
深雪は優しく微笑むと電の頭を撫で、抱き締めた
深雪は電が本郷と出会う前からこの警備府に着任していた。本郷の初期艦だった
電は暁型、深雪は吹雪型で姉妹艦ではないが、電が基地に着任するとまるで本当の姉妹の様に接してくれ、優しくしてくれた深雪
「電は…秘書艦として何もできなかったのです」
「そんなことないよ」
「え?」
はっきりと言い切った深雪はふふ、と笑う
「電はこんなに司令官の事を考えて、心配してるんだ。きっと司令官だってわかってくれてるさ」
「深雪…ちゃん…どうしてそんなに電の味方をしてくれるのですか?」
「まぁ、その、あれだ…あたしにとって電は…その、勝手で悪いけど妹みたいな存在だからな!…深雪さまのスペシャルな妹分だから、さ…」
顔を赤くした深雪のそのセリフに電は言葉が出なかった
それと同時に電の胸が暖かくなっていくのがわかった
「ま、あたしよりも秘書艦の仕事が早くなって、旗艦もあたしよりもやったり一歩先に行かれたのは羨ましくもあり悔しいのもあったけどさ…」
「それ以上に、成長してくれる電を見るのが…自分の事よりも嬉しかったんだよな…!」
「…み、深雪ちゃん…ぅっうううう!!」
ごめんなさい
と、電はただその言葉だけを心の中で想い、深雪に謝る
「お、おいおいっ!…大丈夫だって…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「落ち着いたか?」
深雪は優しく電に問う
「はい…ありがとうなのです」
電が謝罪ではなく、礼を言うと深雪はにかっと気持ちよく笑い
「いいってことさ!…まぁとりあえず3日間…か」
「…はい」
「…じゃあ司令官の事だ。秘書艦としてだけでなく遠征や他の任務も電にはやらせないだろうな…」
「はい…前も五十鈴さんが働きすぎた時に同じような指示が出たことがあったので…」
そのときの事をふと思い出したのか、深雪も苦虫を潰したような表情をつくる
「…司令官…自分は無理するくせに他の奴が無理しようとするとわりとガチギレしてくるからな…」
「はい…たちが悪いのです」
そう、以前もブラック社員よろしくなレベルで勝手に自分の心を追い込んだ軽巡がいた
まさに今の本郷と同じく周りを見ないで、大破しても無理矢理遠征や哨戒任務にあたっていた所を本郷から強制的に止められた軽巡
後日しっかりと休んだ軽巡の少女は本郷や心配をかけた仲間達に謝罪をして事なきを得たが…
ぱんっ、と深雪は自分の足を叩く
「よっし!ならあたしが明日司令官に話すぜ!」
「えっ!?」
「司令官に直接言うのさ!周りから見ても無理してるのがわかります、休んでください、ってな」
「…そんな簡単に…」
「普通はいかないだろうな…でも今日の電の泣き顔見て、続いて初期艦だったあたしからの一言言われりゃあ流石にあの朴念仁でも気がつくだろ」
「それでも…ダメだったら…」
「力ずくで気絶させて医務室のベッドに縛り付ける。んでもって五十鈴さんか大井さん辺りに頼んで見張ってもらうよ」
(深雪ちゃん…恐ろしいのです)
脳筋な発言をした深雪に対して心の中で一歩退く電
「…流石…凄いのです。深雪ちゃん」
「ふふんっ!あたしに…お姉ちゃんにまっかせな!!」
今電の横にいるのは…
レディと言いながら背伸びをしている姉でもなく
白銀の髪を揺らした冷静な姉でもなく
甘やかせ上手な姉でもなく
ただのお友だちでもない
電の…
血のつがらない電のお姉ちゃんがそこにいた
「…だから、ゆっくりお休み…電」
「うん…お休み…なのです…深雪…おねえ…ちゃん…」
泣きつかれたせいか、電は深雪の心の暖かさを感じながら寝てしまった
「後は…お姉ちゃんに任せな…」
◇ ◇ ◇ ◇
翌日、執務室
本郷は昨日の電の事をひきずったまま執務作業を行っていたところ、深雪が執務室にやってきて、上官に働き過ぎだと注意をした
「…と、言うわけでさ…司令官はちゃんと休んだ方がいいよ!」
深雪の話の内容は電をはじめ、警備府の一部の艦娘達からは本郷に休んでほしいと声が挙がっているとの事だった
深雪自身は昨日の電とのやりとり…特に手紙の件については気付いてないようだったが
「…で、他に言い訳ある?」
脳筋に見えたこの少女は意外と抜け目がなく、本郷の苦しい言い訳もほぼ全て論破された
「いや…もう言い返す言葉もないよ…実は電も昨日僕を心配してくれてね…そうか…そう言うことだったのか…」
電はきっと深雪が今言ったことを本郷に言おうとしたのだろう
(…悪いことをしたな…)
本郷は椅子から立ち上り、深雪の目の前に立つ。
そして右手を彼女の頭に乗せる
「…迷惑を掛けたね…深雪…」
本郷がそう声をかけると深雪はにこりと笑い
「いいってことよ!確かに最近の司令官は毎日疲れてた感じしてたからな…心配してたんだぜ?」
「…心配…か…」
「まぁ、言いたいことは言ったし、とりあえずあたしもこれで失礼するよ…ちゃんと休むんだぞ!?司令官!」
「…わかってるよ」
深雪の言葉に少しだけ困った顔で返す本郷
その返しを聞いて満足そうに執務室を出ていく深雪
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
執務室隣の私室
仮眠用のベッドのあるこの部屋の明かりを消し、カーテンを閉める
深雪の言う通り、仮眠して少しでも休むために…
「…残りの執務は……もういいや…とにかく寝よう…」
本郷の身体はベッドに吸い込まれるように倒れ、そのまま眼を閉じる
一度は頭の中を真っ白にする
しかしこれまで培ってきた不安や焦燥感はそう簡単に消すことはできない
執務、任務、艦娘のこと、家のこと
見えないモヤが目を閉じる本郷を包む
吐き気がする
胃が痛い
頭がじんじんする
『母さんが倒れたんだ…うちじゃあ治療費が出せなくてな…』
頭の中に実家にいる兄の声が入り込んでくる
『月40万円だ…それでも足りないがな…なんとか協力してくれないか?20万円でもいい』
次に父の声が…
『本郷君、君の報告書読んだよ。戦果も出さずに無駄に出撃して…何を考えてるのかね?』
『本郷くん?君は働くのが好きなようだね。なら呉の鎮守府に異動させてあげようか?あそこは今忙しいみたいだからねぇ』
『本郷…お前だけ鎮守府の提督になれるんだってな、お前が蹴落とした同期みんなで喜んでるぞ』
『本郷君、出撃のわりには敵艦撃破数が少ないんじゃあないか?御国を守る気があるのか?』
『本郷君』
『本郷』
『岳人』
『本郷中尉』
『本郷君』『本郷君』『本郷君』
上官、かつての同期、家族
次々と本郷の頭の中に入り込んできては本郷の意識を支配していく
透明な水槽、透き通った水に一滴、また一滴と黒い水滴が落とされると、透明だったはずの水槽は徐々に黒く侵食していき、本郷の心を金槌で打ち付けてくる
「っぁぁあああっ!!」
眼が覚め、同時にベッドから飛び起きる
壁に掛けられた時計をみるとまだ10分も寝ていない
「だめだ…寝れない…寝れ…う、うぅうぅぅ…」
それから2時間…数分寝ては起きての繰り返しで逆に疲れてしまった本郷
「……行くか…」
ベッドから起き上がり、壁に掛けられたコートを手に取る
そのまま仮眠室で出て警備府の廊下を歩く
「…みんな…頑張ってるんだな…」
真昼の廊下の窓からは演習場が見えた
そこでは数人の艦娘達が砲撃訓練を行っていた
ここの艦娘はみないい顔をしている
希望に満ち溢れた
不幸も悲しみも知らないような純粋な艦娘達
誰があの娘達を守る?
そうだ、自分しかいない
本郷はそう決意して、演習場から視線を外して廊下を歩く
「…」
「あれ?提督?」
聞き慣れた少女の声
気が付かなかったが、向こう側から軽巡川内が歩いてきているのがわかった
「コートなんて着て…どっか行くの?」
首を傾げてそう問うた川内に笑顔を向ける
「ああ…ちょっと…ね」
「そうなんだ。気を付けてね」
いつもの優しい笑顔でそう言ってきた川内を見て本郷は考えた
きっと他の鎮守府の川内よりも面倒見の良いこの川内なら自分を評価してくれているのではないか?、と
「あー…川内…?」
「ん?」
本郷は自分の心臓が早くなっている感覚に襲われる
「僕の事…どう思う?」
「はっ?どうって…好きとか嫌いとか?ストレート過ぎるでしょ…提督」
…こんな聞き方をすればそういった反応になるな、と本郷は反省
川内は顔を少しだけ赤くして本郷をツッコむ
「あ、いやいや…そうじゃなくて…提督としてちゃんと仕事できてるかなって…」
「え…あぁ…そういう…」
本郷の冷静な返しに少しだけがっかりする川内
しかし問われたことはちゃんと返す軽巡
「…うん、ちゃんとこの警備府の事を良くしてくれてると思うよ。私たち艦娘のことも考えてくれてるし…他の警備府の提督を私は知らないからはっきりとは言えないけど…提督として、立派だと思う…きっとみんなも同じ気持ちだよ」
「…川内…」
本郷の目頭が熱くなる
自分が思っている以上に喜んでいるのがわかった
「…んっ?…と…」
思わず川内の頭に手を乗せ、優しく撫でる
きっと本郷の心はこの少女に…いや、この警備府にいる少女達に救われたんだろう…そう思った
「…ありがとう。川内」
川内はにこっと笑い
「どういたしまして。提督」
そう礼を言われ、川内と別れる
(こんな僕を慕ってくれる少女達のためにも…)
本郷は思う
きっと自分は仕事のし過ぎで不眠症になっているんだ…
この不眠症を治すためにも、まずはちゃんと病院へ行こう、と
そう決意しながら廊下を進む本郷だった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
基地本館から外へ出て、基地正面口に近づくと花壇に水をあげてる卯月に気づく
「あ!司令官だぴょん!」
「…卯月…訓練はどうしたんだい?」
じょうろを片手に嬉しそうに本郷に近づいてくる卯月
「えへへ…今日は非番だっぴょん」
「…そうなんだ…非番の日まで花壇に水をあげるなんて偉いね。卯月は」
そう言って本郷は卯月の頭を撫でる
「うぅぅん…司令官に撫でてもらえるなんて幸せぴょん!」
目を線にして喜ぶ卯月
そんな彼女を見ながら笑顔になる本郷
「あ!これあげるぴょん!」
そう言って手入れをしていた小さな花を一輪、本郷に渡す
「…薔薇?」
「ツルバラだぴょんっ!いつも頑張ってくれてる司令官へうーちゃんからのプレゼントだぴょん!」
ふふん、のドヤ顔の卯月からの贈り物をもらい、再度卯月の頭を撫でる本郷
「…ありがとう、嬉しいよ」
「…ところで司令官どこかへお出かけぴょん?」
「ん…?うん…ちょっとね…大丈夫、すぐに戻るよ」
本郷にそう言われ、彼に向けて敬礼をする卯月
「行ってらっしゃいぴょん!司令官!」
「…ふふ…ああ、行ってきます」
本郷も敬礼を返すと基地正面口から外へ出る
次回もどうぞよろしくお願いします