少し長めですが、どうぞお楽しみください
播磨町 播磨商店街
休日、そして出店のお陰でいつもよりも人の多い商店街の景色
窓にスモークが張られた車内で着替えながら商店街の入口を見て、その人の多さに田中は目を丸くする
「…おお…すげぇ人だな…」
「普段は閑古鳥が鳴くくらい買い物客が少ないらしくて、月に一度こうして出店や屋台を開いてお祭りをやっているんだそうです。あ、そっち停めますね」
ハザードランプをつけて路肩に停車
「モールの途中で広く開けた場所があります。そこに皆待機しているので、顔を出してあげてくだ「いや、行かねぇよ」…は?」
予想外だった返答を聞いて後部座席に座る田中の方を振り返る夢崎
着替え終わった田中は窓の外を眺めている
「…2週間もいなかったくせに演奏直前で顔なんか出せねぇって…」
「いや、なに言ってるんですか…そもそも少佐が始めたことでしょう?ならみんなに頑張れの一言くらい言ってあげた方が良いですって」
「…あー…離れて見てるよ…」
はぁ、とため息をついた夢崎は運転席の扉を開けて降りようとする
「そった思春期の中学生みでなごどすてねで…ほら、わもついでいぎますはんで」
「や、い、いいって!アンタはお母さんか!…ああもうわかったよ!…一人で行くって…」
顔を赤くしながらツッコんだ田中は、後部座席の扉を開けて車から降りる
商店街の中へと向かう田中の背中を見ながら夢崎は小さくため息
「いや、素直じゃねぇなぁ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
播磨商店街 広場
少し狭めの児童公園。その広場にある小さなステージ横に、"はりま2"と大きな文字が印刷された大きなテントが2つ並べられて立てられている
今日演奏する少女達の待機テントである
「…うう…緊張します…」
上下真っ白の第三種夏制服のような制服を来た赤城が、緊張した面持ちでトロンボーンを抱き締める
播磨音楽隊の制服はこの白い制服で統一していようである
そんな赤城の肩にぽん、と手を乗せる金剛
こちらも同じく上下真っ白な制服を着ている
「…赤城サン…大丈夫デスか?…お水飲みマスカ?」
「…あ、ありがとうございます…頂きます…」
申し訳なさそうに赤城は金剛から水入りの紙コップを受け取ると、ちびちびと飲む
「…ふむ…」
周りの少女達を見回す金剛
緊張しているのは赤城だけではない
もちろん金剛も緊張はしてはいるが、彼女以外の殆どの少女達の顔が強張っていた
だがそれも無理もない
今まで播磨鎮守府の外に出たことがほぼなかった彼女達にとって、人間だらけの外の世界は恐怖と驚きしかない
坂本と市川が同じテント内に居はするが、この二人がいなかったら、と考えると金剛は頭がいたくなる
「…だ、大丈夫かな…うまくいくかな…」
「おち、おちおち…おちついて…すーはー…すー…はー…」
「外にいるのはじゃがいも…外にいるのはじゃがいも…」
少しざわつき始めるテント内
この空気を変えようと立ち上がった一人の少女
「み、みんな!落ち着いてください!」
朧だった
彼女も赤城達と同じ白い制服を着て、スネアドラムを支えるベルトを肩から下ろした朧が声を上げた
「…お、朧?」
驚いた漣が朧の手を見る
彼女の指先は震えていた
「…きょ、今日は待ちに待った本番の日です!田中先しゅ…先生もいないですけど!…き、か、緊張したいると思いますけど!緊張しないでください!」
少女達は皆朧の言葉をしっかりと聞く
噛みながら、立ち上がったことでだれよりも緊張している朧の姿を見て、自分もしっかりしなければ、と意識を変えようとしているのだ
宗谷もぐっ、と拳を握る
「…よ、よし…そうですね…私も朧さんに負けな「よー。皆久しぶりー」田中せんせぇえぇぇぇあぁぁぁああ!!!」
そこへ突然テントの入口を開けて入ってきたのは田中だった
「…たっ…田中先生!」
田中の姿を見てぱぁっと明るい表情になる朧は、一歩田中へ近づこうとするも…
「せぇんせぇぁぁあああ!!!」
朧より先に田中に抱きついたのは宗谷だった
涙と鼻水を撒き散らしながら田中へ抱きつく宗谷を見て一同苦笑い
「…や…おまっ…鼻水で制服汚れるって…」
宗谷をなんとか引き離した田中は朧の方を見て笑う
「…よく勇気を出して言ったな。朧…台詞の内容はともかく、お前がやろうとしてくれたことは正解だと思うぜ」
田中にそう言われ、朧は照れながら頭をぽりぽりと掻いている
宗谷に続いて三隈も田中の目の前に立つと、浅く一礼
「…お久しぶりです。田中先生」
「…よぉ三隈…って久しぶりか?…俺の記憶が間違いじゃなければ一昨日お見舞いに来てくれたよな?」
「…っ!…し、知りません!」
ツンとしながらも嬉しそうにそっぽを向く三隈に坂本も苦笑い
「…"最低"2週間の入院とお伝えしたはずですけど…」
「…だから"最短"の2週間で退院したんだ。駄目だったか?」
テントに入ってきたスーツ姿の坂本も、首を横に振り、にこりと笑う
「…いいえ、駄目じゃありませんよ…お帰りなさい、田中少佐」
ああ、と坂本に返した田中は咳払い
「…あー…なんだ…皆心配かけたな…お陰で俺の方はバッチリだ…まぁそれはそれで良いとして…」
田中はテント内の少女達を見回すと、くっくと笑う
「…なんつー顔してんだお前ら…今日まで練習頑張ったんだろう?ならいつも通りに演奏すりゃあいいさ」
「「…」」
田中がそうは言っても少女達の表情は浮かない
「…見てくれる人はお前らの敵じゃあない…お前らはお前らで演奏を楽し……むのはまだまだ早いか…ああ、そうだな…」
うん、と一人頷く田中
「今まで練習してきたものをそのままやれば良い…安心しろ。演奏を間違えたからって死ぬ訳じゃあないし…なんかあっても坂本や夢崎達もついててくれてる」
「…先生」
朧がつい呟くと、坂本も笑顔で
「…田中君もついててくれるんですよね?」
「いや、俺はあれだよ…焼きそば食いてぇからとりあえず買ってくる…買い終わったら演奏見に来るからよ」
田中の渾身の照れ隠しに、坂本は生暖かい眼差し彼に送る
田中と坂本のやりとりを見ていた少女達も、くすくすと笑っている
どうやら田中と坂本のコントに皆の緊張がわずかばかり解れたようである
ユーフォニアムを持った鳥海が勢いよく立ち上がり、拳を握る
「…ぃよっしゃ!皆!気合い入れていこうぜ!田中先生にアタシらも出来るってところ見せつけてやろうぜ!」
「おお!」
「もち!やるよ!」
鳥海の鼓舞に声をあげる面々
田中もにやりと笑う
「おーおー…んじゃあ俺は特等席で見物させてもらうぜ」
そう言ってギプスで巻かれた右手をあげ、テントから出ていこうとする
「…田中先生!」
テントから出ていこうとする田中を呼び止めたのは意外にも赤城だった
「…お?…お、おう…なんだ、赤「私達の分の焼きそば!お願いしますね!」
食べ物のことだけに、まさに食い気味でリクエストしてきた赤城の眼は心なしか輝いて見えた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
演奏開始時刻
公園のステージには譜面台が立てられ、ステージ後方にはティンパニや木琴、鉄琴等の鍵盤や鳴り物楽器が並べられ、ステージの前には地元商店街の人達が老若男女問わず少女達の登場を楽しみにしていた。その数ざっと60人
「播磨鎮守府の艦娘さんやって!」
「私艦娘さんを近くでちゃんと見るの初めてやわぁ」
「いやー楽しみやな…あ、ビールビール…」
賑やかなステージ前
そんなステージ前をテント入口の隙間から覗く者が数名…
「…漣ちゃん~…それはお行儀が悪いんじゃあ、ないの~?」
「そ、そうよ…そ…わ、私にも見せて…!」
「…待って待って……あ、田中先生いた!」
漣、山雲、親潮の3人だった
何故か漣達の足元には霰がしゃがみ、漣達と同じくステージ前の様子を見ている
「……イカ焼き食べてる…」
「イカっ!?」
霰の呟きを聞いて赤城の眼が大きく開く
そんな赤城をジト目で見つめる鈴谷
「…赤城さんって…そんなキャラでしたっけ…」
「…はっ!…こ、これは失礼しました…」
少女達の緊張が先程よりも更に解れたことを確認した坂本は、腕時計を見て頷く
「…さぁ皆さん。行きましょう」
テントの入口カーテンが開かれた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
白い士官服のような制服を着、帽子を被った40人の少女達が各々の楽器を手に、ステージに上がり2列の横隊を作る
おお、と歓声が上がり、見に来た人達が盛り上がる
そんな中、イカ焼きを食べながら彼女達の登場を見ていた田中がふふ、と笑う
「…見た目はまるで海自の音楽隊だな…坂本め…いいセンスしてやがる」
田中は幼少の頃、海上自衛隊の頃に行われていた音楽隊祭のビデオを見たことがあった
その時は音楽の事など全くわからなかったが、楽器を演奏しながら隊列を組む演奏者の姿を見て憧れたものである
いつかはこの舞台に立ってみたい、と…
それが今では艦娘達を使って音楽隊を創っている
きっかけは吉津根への反骨精神だとしても、結果としては皆で音楽を楽しんでもらえたらな、と田中は強く思う
『ほな本日のメインゲストで来てもろた。播磨音楽隊の皆さんです…一言挨拶お願いしますね~」
商店街の役員と見られる司会の中年男性がマイクを手に、彼女達をそう紹介すると、少女達の一番前に立つドラムメジャーの漣にマイクを手渡す
「…え。…ええ!?…はっ…こ…これっ…ぅえ!?」
予定のなかった突然の絡みにキョドる漣
司会の男性は朗らかににこにことしている
坂本達が待機しているであろうテント前の方を漣がちらりと見るが、坂本達は商店街の関係者と見られる中年の男性と話をしている
「……ぅ…」
そ、と渡されたマイクを受けとる漣
赤城と金剛も心配そうに漣を見つめる
自分が出ていって適当にそれらしく喋れば場を収まるだろうが、演奏準備が終わった者が勝手にステージを降りるのはよくはない
それに、そもそも少女達がいるのは鎮守府の外…いわば敵だらけの世界に来ているのだ
勝手なことをして睨まれて、何かされてしまうかもしれない
未知の恐怖が彼女達を襲う
楽器を構えた宗谷も田中の方をちらりと見るが、田中は真顔でじっと漣を見ている
「…た、田中先生…」
田中のいる方を見て不安そうに呟く漣
だが田中の方は口の端をつり上げ、なにも言わない
まるでその姿が「こんなことで俺に助けを求めるのか?」とでも言いたげだった
「……」
漣は俯く
確かにこんなことで田中に…誰かに助けを求めるのは違う、と
たかが挨拶…
何を臆することがあるのか、と…
漣は息を吸い、顔を上げる
その顔は決意を決めた顔だった
ステージ前に立つ人々が漣に注目する
『…こ…』
スピーカー越しに漣の声が公園広場、そして商店街内に響く
『…こんにちは!…播磨音楽隊です』
ここまで聞いて、テントの中にいた坂本がはっとして振り返る
テントの入口から見れば漣がマイクを片手に挨拶しているではないかと驚く
「…あ、あれ?…そんなっ…」
テントの外へと行こうとした坂本の腕を、市川が掴んで止める
「…少佐、落ち着いてください…今出ていくのはよくありませんよ」
「…っ」
大方、予定になかったことということで、漣に緊張させまいと自分が代わりにステージに出て喋ろうとしたのだろう
市川は思う
"田中少佐に負けず劣らず、坂本少佐も過保護だな"と
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『…ほ、本日は…商店街のお祭りに私達をお招きくださりありがとうございます!』
マイクを手に喋る漣はステージの上からペコリとお辞儀をする
それに倣い、ステージに立っている他の少女達も頭を下げる
『…ぇと…ふだ…常日頃より播磨町の皆々様にはお世話になってい…おり、きょ、今日は少しでも普段の恩返し出来ればと思いまする!』
漣のコメントに、ステージの上でベースドラムを背負う曙はふふ、と笑う
「…まするって…ふふふ…馬鹿ね。漣…」
小さく呟くその言葉とは裏腹に、曙は嬉しそうだ
ステージ前にいる人々…特に御老体の方々は暖かい眼差しで漣のコメントを聞いている
漣のマイクを握るその力も強くなる
『…大切な……今日は大切な仲間と共に精一杯演奏させていただきます!お、応援の程、よろしくお願い致します!!』
そう言って漣はお客さん達に向かって深く頭を下げると、漣の挨拶に皆笑顔で拍手や指笛を吹いて皆答える
「いいぞー!」
「頑張れよー!」
応援の声も聞こえてくると、楽器を持って待機していた少女達の顔を少しだけ綻ぶ
頭を上げた漣はお客さんの中に混じっている田中と目が合うと、田中はにかっと笑い、漣に向かってサムズアップ
顔を赤くして頷いた漣はマイクを司会の人間に返すと再び振り返り、少女達と向かい合うと、皆視線で合図を送り合う
播磨町には彼女達の敵なんていない
本当は最初からわかっていたことだった
でなければ町の住民が支援物資なんて寄越してくれなかったし、播磨鎮守府への扱いももっと酷かったはずだ
ましてや商店街で演奏してくれなんて依頼もなかった
皆播磨の少女達を応援してくれているのだ
今ようやく悪い緊張のなくなった少女達は楽器を構える
そして漣も指揮棒を構え…
「…ワン、ツー……ワン、ツー、スリー……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
かつての播磨町の人間にとって、海軍は決して良き隣人とは言えない存在だった
過去、播磨鎮守府の建設が決まった時も反対意見が上がるほど…
いつ自分達の住む町が戦場となるかわからない
きちんと自分達を守ってくれるかわからない海軍に対して、町の大半の人は否定的だった
だがある時期より、播磨鎮守府の艦娘達の存在を知る
深海棲艦と対等に渡り合える人ならざる存在
町の人達は艦娘に対しても恐怖していた
しかし守衛の古川達に聞けば、どうも想像していたものとは違ったらしい
"少女達は他の基地から蔑まれてきた存在"
もちろん内部の詳しい事情を知らない古川達は深くは話せはしなかったが、海軍に対して恨みがあること、少女達がどれだけ傷ついているか、海軍の支部からの食料などの支援物資が全くと言っていいほど薄いこと等を説明した
少女達の話を聞いた播磨の人達は少女達の境遇を聞いて困っているなら、と一念発起
定期的にではあるが、食料や衣料品などを援助することにした
それからは播磨の少女を気にかけるようになり、今日に至る
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少女達の演奏はお世辞にもとても上手なもの、とは言えないものだった
金管は所々音を外し、木管はたまに音が消え、太鼓は途中リズムが崩れて鍵盤は大事なところでタイミングがバラける
だが彼女達のやる気と必死に演奏しようとする頑張りはしっかりと見える。聞こえる
なにより鎮守府を出て、自分達や播磨町のために彼女達が演奏する姿を見て、播磨の人々は皆喜んでいるのだ
他の人に混じり、少女達の演奏を聞いていた田中が口の端を吊り上げ笑う
「…んだよ…かっこいいじゃんか」
そう呟いた田中の視界が潤う
それは一筋の涙だった
これまできっと彼女達は大変な日常を過ごしていたことだろう
場所によっては人として扱われていなかったかもしれない
だが今は違う
皆同じ制服で身を包み、1つの音楽を一生懸命に奏でている
少し粗削りなところもあるが、それはまさしく1つの調和
田中は思う
きっとこれが、この小さな商店街のステージが彼女達にとっての新たな門出になるだろう
彼女達の心が囚われる窮屈な世界からの解放
なにも音楽だけが全てではないが、戦うことだけが全てでもない
「…これは最初の一歩だな…あいつらの新たな人生の…」
いや、と田中は眼を瞑り、頭を小さく横に振る
「…プレリュード…ってところか」
田中の隣にいたおじさんが、田中の呟きを聞いてお酒を吹き出していた
恥ずかしいセリフを聞かれた田中は顔を赤くして俯く
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
テントの中から少女達の演奏する姿を見ていた夢崎と市川
「全ぐ…《ズズッ》…立ぢ演奏だはんでどいってあの姿勢は良ぐねな!…《ズズッ》…ちゃぺ背の奴もいるす…あーあー…目線すっかり上げねばまいねびょんが…《ズズッ》…」
腕を組みながら、鼻を啜りながらぼそぼそとそう呟く夢崎を横目に、市川はくすりと笑うと、ポケットからハンカチを取り出す
「…夢崎中尉…涙が…よろしければお使いください」
夢崎に差し出されたハンカチ
見れば夢崎は彼女達の演奏を見ながらぼろぼろと泣いていたのだ
「…す、ずまねぇ…ぐすっ…」
「…あはは…確かに…たった2週間とちょっとでよく頑張りましたよね…あの娘達…」
市川から受け取ったハンカチで夢崎は…
「ヂーンっ!ぶじゅるるるる!!」
鼻をかんだ…おもいっきり
「ちょっ…僕涙って言いましたよね!?涙!」
…仕切り直して
夢崎と同じ様に少女達を見つめる市川は、小さくため息をはく
「…ここまで色々とありましたけど…あんなに頑張っている彼女達を解体するなんて…やっぱり間違っていると思います…それに田中少佐達も…悪い人達なんかじゃありませんよ…」
田中はお客さん達と一緒におり、坂本も彼女達の演奏が始まったと同時にテントから出ていった
故に本来の目的を話すには絶好の機会
市川の言葉に夢崎も唇を真横一文字に結ぶ
「…そんなことわかっている……今日の報告も吉津根先生には俺からうまいこと話しておこう…」
「…ええ。よろしくお願いしますね。夢崎中尉」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
正直言って、演奏をしている間のことは全くと言っていいほどあたしは覚えてなかった…
漣が挨拶して…
田中先生が前で見ててくれていることに気づいて…
…ずっと隣で叩く神風に音を合わせることだけを考えて…
…あー…沢山間違えたし、音も合わせられなかった…
あのビデオの様にはいかなかったな…
あたし下手すぎ…
…でも…
演奏が終わった後…
みんな拍手してくれた…
笑顔になってくれてた…
嬉しかったし、楽しかった…
うん…
楽しかった…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
播磨商店街 12時半
演奏を終え、テント内の椅子にぐったりと項垂れる少女達
たった10分程度でも、人前で演奏するのは精神的に疲れるものである
特に初めての人前での演奏なら尚更である
「…あー…ちかれた…」
最初に呟いたのは制服の首もとのボタンが開き、制服を少し着崩した鳥海だった
そんな時、テントの入口を開けて田中、坂本が入ってくる
「おーおつかれー」
「皆さんお疲れ様でした」
相変わらずの軽い話し方の田中と、いつも通りな言葉遣いで丁寧に少女達を労う坂本
「先生!」
「先生ー!」
二人の登場に殆どの少女達が復活し、椅子から立ち上がる
「ぶぁぁあああっ!!田中先生!宗谷!宗谷がんばりむぁぁぃ!」
泣きながら田中へ飛び付こうとした宗谷を止める三隈
朧も立ち上がり、田中の前へやってくる
「田中先生!……ぁ、ど、どうでしたか?…あたし…達の演奏…」
元気よく田中を呼ぶも、自信のなさからなのか少しだけ声のトーンが下がる
田中達より遅れて夢崎と市川もテントに入ってくる
二人は発泡スチロール製の衣装ケース大の大箱を持っていた
朧に問われた田中は皆の顔を見る
なんとも自信なさげで、明らかに演奏中の失敗を気にしている者ばかり
皆の顔を見回した田中は大きくため息をはくと…
緊張し、少女達の顔が強張る
夢崎と市川も大箱を折り畳みのテーブルに乗せながら気まずい空気を感じとる
「…鳥海、有明…まずお前らその首もとのボタン空いたまんまでステージ出ただろ…最初に言ったけどマーチングは統一美が絶対だ。他と違う格好することなんて論外だ」
田中に注意され、鳥海と有明は顔を下げる
「……ああ…」
「…はい」
「…んで神風。確かにお前にセンターを任せたが、一人で突っ走りすぎだ。オナニーじゃねぇんだ。もっと周りの音を聴いて叩きを見ろ」
「…はい…」
神風もスティックを両手で握りしめて悔しそうに返事をする
「…神鷹。間違えたからって演奏中に首をかしげるな…悪目立ちする」
「…すみません…です」
流石に止めようと坂本が田中の肩に手を伸ばす
「…が、だ…」
少女達が顔を上げ、田中に注目
田中はふ、と笑い
「鳥海…先に息が切れたイクのフォローは見事だった…ブレスのタイミングは要確認だ」
まさかのフォローに鳥海は眼を丸くして驚く
「…あ、ああ…わかっ…た…です」
「有明も…夕雲と宗谷との三人のユニゾンはなかなか良かった…お前…案外フルート向いてるのかもな」
「…はっ…や…別に…自分の仕事しただけだし…」
そう言いながらも有明は顔を赤くして照れる
「…神鷹…もし間違えても堂々としなきゃ駄目だ…いいか?マーチングバンドってのはカッコつけなきゃ駄目なんだ…間違えて焦る気持ちはわかるが、首をかしげんのは無しにしてくれ。そうすりゃあお前さんは十分かっこいいんだからよ」
「は、はい…!」
そして田中は神風と目を合わし
「…マーチングパーカッションは心臓だ…お前達がいなけりゃあバンドが死んじまう…中でもスネアセンターっつーのは、パーカッションを引っ張るために、よりメジャーの出すテンポに貪欲に食らいつかなきゃならねぇ…こと本番に関してはもしもメジャーが出すテンポを間違えたりしても絶対にそれに合わせなきゃならねぇんだ…責任ある仕事をこなす。それがセンターだ」
やはり自身も太鼓の人間ということもあり、熱く語る田中
神風もはじめの方はきょとんとしながらも、自分に課せられた役割の重要性を理解して大きく頷く
田中は再び皆の顔を見て、にかっと笑う
「…まぁなによりも、だ…お前らの頑張ろうって気持ちは伝わった…エナジーっつーのかな…うん…カッコ良かったぜ…100点だ!」
田中の言葉に、ぱぁっと明るくなる少女達
「…っつーか技術では点数はつけらんねぇわな…半年練習して今日の結果っつーんなら元気一杯に0点つけっけど…お前ら楽器やり始めて2週間とちょっとじゃんか…それで今日の演奏したっつーのは…まぁまぁ頑張ったんじゃねぇの?…知らねぇけど」
皆をそう褒める田中に坂本は驚く
「…意外でした…もっとひねくれたように褒めると思ったんですが…案外素直ですね。田中少佐」
坂本の態度と逆に、市川は眉をピクリとさせる
「…え。これで素直な方なんですか?僕にはツンデレのそれにしか聞こえなかったんですけど」
「うるせーなお前ら」
坂本と市川へ田中が突っ込むと、そのコントのような流れを見ていた少女達はくすくすと笑う
そこへテントの入口が空いて中年男性が入ってくる。先ほど少女達が演奏中に坂本と話していた男性だ
男性は少女達の顔を見渡し、にこりと笑顔になり
「いやー!今日はありがとうございました!お陰で今月の出店は盛り上がりましたよ!」
ありがとう、ありがとうと坂本や金剛達にぺこぺこと頭を下げる男性
赤城は田中にこっそり耳打ちする
「…あちらの方は…」
「…ああ。商店街の組合長だ」
「いやー!あっはっはっは…本当に皆さんにお会いできて嬉しく思います!ああ、お弁当も御用意させていただきましたので、もしよろしければどうぞ食べていってくださいね!」
そう言うと、夢崎達が運んできた大箱を開ける組合長
箱の中には大量のお弁当が入っており、それを見た少女達は先程の疲れなどどこへやら、勢い良く弁当の入っている箱へと群がる
「やったー!」
「お弁当ー!」
「ぎゅ…牛焼き肉弁当だってー!」
テンションの上がる少女達を見てうんうんと嬉しそうに頷く組合長
坂本と赤城が組合長に近づき、頭を下げる
「ここまで用意していただいてありがとうございます」
「私からも御礼を言わせていただきます。ありがとうございます」
礼儀正しく頭を下げる坂本と赤城にいえいえと返す組合長
田中はこっそりとお弁当を貰おうとしたところ、宗谷に勢いよく抱きつかれている
「…正直なところ、播磨鎮守府の皆さんにはずっとお会いしたかったんですよ…いや、本当に元気そうな姿が見れて播磨商店街…いや、播磨町一同嬉しく思いますよ…ああ、これ…僅かながら出演料ということで…」
そう言って取り出すは茶封筒
察した赤城は差し出された封筒を受け取らない
「いえ、そんな…普段から様々な物を援助して貰っておきながら更にお金まで受け取れません!…私たちはお金の為に演奏したわけでは「いやいや!どうか受け取ってください!」ひぇえ…」
組合長の圧しにやられた赤城はしぶしぶ封筒を受け取る
「みなさん!お弁当だけでなく、是非とも商店街の出店でもお好きなものを買って…いやいや、貰っていってください!みなさんは播磨の大切な住民でもありますからね」
ご機嫌な組合長の言葉に少女達は喜び、お弁当を食べる箸も進む
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…どうしてここまでやってくれるんすか?」
1600
播磨商店街を夕日が照らす
曙、神風、赤城の手によって宗谷を引き離して貰った田中は、テントの外の喫煙所で組合長と話していた
突然問われた組合長は一瞬驚くも、あははと気恥ずかしそうに笑う
「…いやー…ははは…こんなこと言うのもあれなんですがね…彼女達を放っておけないと言いますか…播磨の少女達を娘や孫のように見ている人…多いんですよ」
そう言って煙草の煙を吸い、ため息のように煙を吐く組合長
「…私も同じようなものです…私ね…かつて沖縄で艦娘達に助けられた事があるんですよ」
「…へぇ…沖縄って…助けられたってことは沖縄空襲の時っすか?」
ええ、と組合長は頷く
「もう15年以上前かなぁ…親戚の集まりで徳之島に行ってましてね…いやぁ…地獄でした…」
当時の事を思い出して暗い表情になる組合長だが、あはは、と渇いた笑いを田中に向ける
「…ま、まぁその時は色々とありましてね。危ないところを当時の佐世保鎮守府の艦娘達に助けて貰いまして…それからはなんとか海軍…というか艦娘さんへ恩返しがしたいなと思ってはいたんですがね…」
手に持っていた煙草を灰皿に押し付ける組合長
「…気がつけば何年も経っていましたよ…いやはや…時間とは経つのは早いものだ…」
「…」
組合長の話を聞いていた田中は、もう一本どうぞといわんばかりに組合長に自分の煙草を差し出す
「…はは。どうも…まぁとにかく。これは恩返しでもあるんですよ…でも助けているつもりがいつの間にか私も彼女達のファンになってしまいましてね…あははは」
「…ふふ」
組合長が嬉しそうにそう話している姿を見て田中もつい笑ってしまう
「…播磨音楽隊…是非ともこのまま続けてあげてください…あの娘達の輝く姿…私もまだまだ見たいのでね」
「ええ。もちろんっすよ…任せてください!」
笑顔でそう返し、咥え煙草のまま左腕でサムズアップをする田中
組合長がふと一人の少女の存在に気がつく
「…おや…ほら、行ってあげてください」
組合長の言葉で田中が振り返ると、両手にわたあめを持った朧が立っていた
本番時の白い制服のままだった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
人通りの多いアーケードで並んで歩く田中と朧
見ればあちこちの出店で白い制服の少女達が楽しそうに店の主人達と話したり、たこ焼きやあんず飴などを頂いたりしていた
遠目には何故か扶桑と夢崎が並んで化粧品店前で店主と話している
「…あの組合長さん…いい人でしたね…顔は少し怖かったですけど」
隣で歩く朧は田中にそう話しかける
「…ああ。なんか皆を使って金儲けでもすんのかなって思ってたけど…いい人だったわ」
「…田中先生のほうが酷いです…」
「そうか?…ああ。わたあめサンキューな…久しぶりに食べると旨いなこれ」
「ふふふ…よかったです」
楽しそうに二人してわたあめを食べている姿はまるでカップルの様
そんな二人を、少し離れたイカ焼きの出店の前に立つ少女達が悔しそうに睨んでいた
「…くっ!…何故私にはこんなにくじ運がないのですか!本当なら田中先生の横にいたのは私なのに!」
「…宗谷ちゃん?落ち着きなさい…でも私も田中先生と腕組みたかったわ…」
「…羨ましい…です」
「…あー…ぼろってばぐいぐい行くようになっちゃってー…」
「…くまりんこ…」
宗谷、愛宕、霰、漣に三隈だった
どうやら田中との商店街デートをする権利もくじ引きで決めたようだった
悲しみの表情でイカ焼きを頬張る宗谷
「おじさん!イカ焼きもう一本!」
「…あ、あいよっ…」
イカ焼きの店の親父さんも宗谷の怒涛のおかわりに若干退いていた
「…イカ臭くなるわよ?」
宗谷には愛宕の声は聞こえない
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…あ、あの…田中先生」
「ん?どうした?」
アーケードから細い路地に入ると、朧は足を止めて田中の方を見る
「…えと…そ、その…」
顔を赤くしながらもじもじとする朧
田中は首をかしげる
朧は姿勢を正して田中へ頭を下げる
「…きょ、今日はありがとうございました!…あんまり上手じゃなかったけど…人前で演奏できて…あたし…あたし凄く楽しかったです!」
「…そっか…」
そう一言返す田中は嬉しそうだ
頭を上げた朧は照れながらちらちらと田中を見上げる
「…その…た、田中先生が前にいてくれたから…あたし…えっと…あ、あの…勇気持てたというか…その…頑張れ…ました…」
恥ずかしそうに小声でそう言う朧の頭に手を乗せる田中
「なに言ってんだ…そりゃあお前らの…いや、朧の努力の結果さ…俺は何にもしてねぇよ……いや、マジで入院してただけだし」
「そ、そんなことありません!」
むん、と頬を膨らませた朧は咳払いし
「…あの…田中先生…明日の練習終わりの後とかってお時間あったりしますか?」
面と向かって田中へ問う朧
田中は朧の頭から手を下ろし
「…ん?…ああ……今んところなんも用事はないと思うけど…」
「…よ、よかっ…あ、…いや……で、でしたら明日の夕方…練習が終わったら音楽室に来てもらえませんか?」
「…?…ああ。いいよ」
田中がそう返すと、朧は嬉しそうに笑顔になり、小さくガッツポーズ
「…ほ、ほんとうですか!?……やった…!」
見た目相応に愛らしく喜ぶ朧を見て、田中は心が洗われるような感覚に陥る
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「…播磨のおねぇちゃん!」
坂本と出店を回っていた赤城は突然小さな男の子に呼び止められ、男の子の元へ行くと、足を止めてしゃがんで男の子の目線に合わせる
小学校低学年と見られる男の子は手に持っていた水風船を赤城に差し出す
「…あ、えと…これは…」
「さっきの音楽のお礼や!あげる!」
驚いた赤城は坂本の顔を見上げる
坂本は笑顔で頷いた
「…折角ですから、受け取ってあげてはどうでしょう」
「…そう…ですね…」
うん、と赤城は頷いて笑顔を男の子に向けると、水風船を両手で受け取る
「…私達こそ…演奏を聞いてくれてありがとうございます…これ。ありがたく頂きますね」
「うん!」
水風船を受け取った赤城はじっと男の子の顔を見る
男の子はきょとんとして首をかしげている
「……ぁ…ご、ごめんなさい…」
少しだけ困ったように笑う赤城は男の子に謝り、立ち上がる
「…よかったですね。赤城さん」
「……ええ…」
自分達から離れていく男の子を遠い目で見つめる赤城
その目元は少しだけ濡れている
「…赤城さん」
坂本はハンカチを取り出して赤城へ差し出す
「…あ、ご…ごめんなさい…私ったら…」
「…いえ…」
坂本からハンカチを受け取った赤城は涙を拭う
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
「きゃーー!」
午後7時
日が沈み、商店街の盛り上がりも落ち着いた頃に突然女性の悲鳴が上がり、商店街がざわつく
田中と朧が人を掻き分けて悲鳴のした方へと駆ける
「…どうしたっ!?」
人混みを抜けると、駄菓子屋の前で一人のガタイのいい色黒の男性が、女性の胸ぐらを掴んでいた
「……!?鳥海!」
田中が叫ぶ
男性が胸ぐらを掴んでいたのは播磨の少女、鳥海だった
彼女の後ろには小さな男の子と、その子を守るように摩耶が座り込んでいる
「…た、田中先生…!」
胸ぐらを掴まれた鳥海は横目で田中を見て苦しそうに名を呼ぶ
「は、離して!鳥海を離しなさい!」
摩耶は立ち上がり、鳥海の胸ぐらを掴んでいる男性を止めようとするも、男性は逆の空いた手で摩耶の頬を掴む
「ぁあ?うるせぇよ…っつかお前らなかなか可愛いじゃん…俺と遊んでほしいのか?ちょっと待ってなって」
「みゅっ」
男性はそうほくそ笑み、摩耶の頬を離す
勢いよく頬から手を離され、尻餅をつく摩耶
「…た、田中先生…」
朧は隣に立つ田中の顔を見て顔を青ざめさせる
田中のこめかみには青筋が立ち、眉間には強くしわが寄せられる
「…テメェ!なにしてんだゴラァ!そいつ放せ!」
田中が怒鳴ると、ゴツイ指輪をつけたちゃらそうな色黒男性は田中の方を睨む
「あ?んだテメェは…関係ねぇだろ。すっこんでろよギプス野郎」
「…ぁあ!?テメェの身体もギプス巻かれるぐらいにすんぞ!」
今にも飛びかかろうとする田中を朧が止める
そこへ駆け足でやってきたのは組合長だった
「な、なにがあったんですか!?君!その娘を放しなさい!」
組合長が男性をなだめようとするも、男性は鳥海から手を放すことなくにやにやしている
「…っせーな…つーかさ…もともとはそこのガキがわりぃんだって…俺は被害者よ?それがなんで俺がワルモンみたいになってるわけ?」
男性がそう言うと、胸ぐらを掴まれた鳥海が男性を睨む
「…っげぇだろうが!テメェがそこのボウズにイチャモンつけたんだろうが!」
「…んのアマァ」
男性が鳥海に凄んでいると、3人組の男性が近づいてくる
「あれ?あれあれ?なにしてんすかマサヒロ君?」
「あれ?新しいオンナっすか?コスプレしてるしオッパイでかいっすね」
「っつかタクヤ車で待ってるっすよ?早く行きましょうよ」
ゴツイ指輪をした色黒男性…マサヒロと同じ様に色黒の若い青年三人組
「おう!シンゴ!ゴロー!ツヨシ!聞いてくれよ!なんかコイツらが俺にイチャモンつけてきてよー」
マサヒロは鳥海の胸ぐらを掴んだまま三人組に話し始める
そんなことも気にせずに田中はマサヒロに近づき、鳥海を掴んでいる手首を掴む
「…ぁあ?…ででででっ!」
「…だから…放せっつってんだよ」
田中が握力を込めてマサヒロの手首を掴むと、鳥海を掴んでいた手が離れる
「げほっげほっ」
「鳥海!」
倒れこむ鳥海を摩耶が支える
「大丈夫!?鳥海!」
「げほっ……ああ…」
摩耶と鳥海のやり取りを見ていたマサヒロの顔が怒りでぴくぴくと欠陥が浮いてくる
「…テメェ…そいつらぁ俺らの今夜の遊び相手だぞ?マジテメェ死んだからなっでででで!!」
「マサヒロ君!」
「テメェマサヒロ君から手ェ放せゴラァ!」
青年三人組が田中を囲むも、田中は臆することなく青年三人組を睨む
「…うるせぇよ…テメェら4人とも色黒くて見分けつかねーんだっつの…コピペ野郎共が」
「先生!!」
「ぎゃっ!」
朧が叫ぶと同時に、青年三人組の一人が後頭部を押さえながら倒れる
「…!?ゴロー!」
「いでぇ…いでぇよ…」
地面に倒れ、頭を押さえるゴロー
見れば地面には角が欠けたレンガが落ちていた
「このクソガキ共が!とっとと播磨から出ていかんかい!」
人混みから現れたのは商店街に店を構える左官工の老人だった
青筋を浮かべ、手にはレンガを持っている
「…てめっ…くそじじぃぅぉぁああっ!!」
次いでシンゴの顔にもばしゃっと何かが投げつけられる
「…ぅっ…おっ!…くっ…くさっ!!なんだこれ!?」
倒れこんだシンゴは自分の顔に投げつけられた茶色い泥のようなものを見て驚愕
「なんや、おい…親にまともな躾もされてねぇ野郎がピーチクパーチク鳴いとったらあかんわい」
左官工の老人に次いで人混みから現れたのは商店街のペットショップ店の女性店主だった
両手にゴム手袋をつけ、片手には肥やしの入ったバケツを持っている
「ひぃ!?…こ、これって…うわっ!ぺっぺっ!」
シンゴは顔に付けられた茶色いモノを必死に手で落としている
その間にも商店街の住民が青年達を囲み始める
殺伐としたその空気を読み、流石の田中も若干退いた
「…お、おいおい…」
そんな田中の肩に手が触れられる
田中が後ろを振り向くと、シャベルを片手に持った老人がにこりと微笑む
「鳥海ちゃんらを守ろうとしたあんたの姿勢にようやく目ぇ覚めてん…おおきにわい。若いの」
じりじりと青年達を囲む住民達
そんな住民達を前に4人は身を寄せあって震える
「ち、ちっ…やっ…やめろ!やめてください!」
そこへもう一人、真ん中で分けた所謂一昔の髪型、ロン毛のチャラい色黒青年が現れる
「…マサヒロくーん…いつまで……え?何これ…」
4人のチャラい青年が商店街の人々に囲まれている
しかも皆怒りの表情で…
異様な空気を感じたロン毛の青年はたじろぐ
「たっ!タクヤ!…おい!逃げんぞ!」
マサヒロはそう言って我先にとロン毛青年、タクヤがやってきた方へと走り出す
残りの3人もそれに続いてまさに脱兎の如し逃げ出す
「…あっ!おい!テメェら!」
田中が怒鳴るも青年達はアーケード入り口の方へと走り去ってしまった
「…なんなんだよ…あいつら…おい!鳥海!大丈夫か!?」
座り込む鳥海に田中が問うと、鳥海はぐったりした様子で手を上げる
「…げほっ…ああ…ワケねぇよ…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
再びテントに集まった播磨の面々
摩耶達から何かあったかの説明を受けた金剛は悔しそうに唇を噛み締める
「…シィット…ごめんなサイ…摩耶、鳥海…私も一緒にいるべきでシタ」
鳥海に頭を下げる金剛
鳥海は焦るように首を横に振る
「よ、よしてくれよ金剛さん…あたしが勝手なことしたから…」
「いや。子供に絡んでたんだろ?お前が動かなきゃどうなってたかわかんねぇ」
鳥海を諭すように田中がそう言うと、赤城も坂本も頷く
話を聞いていた組合長も大きく頷く
「…鳥海さんのお陰ですよ。なんと御礼を言えば…ああ、ありがとうございます!」
組合長がそう礼を言うと、恥ずかしそうに顔を赤くする鳥海
坂本がうん、と頷く
「…ですがまさか播磨にあんな人種がいたとは驚きましたね…」
「…人種っつーなよ…ありゃ多分県外…関東の人間だろ…訛り全然なかったし」
田中の返答に組合長も頷く
「…あんな5人組を見たのは私も初めてです…」
はん、と鼻で笑う田中
「ま、どーせもう会うこたぁねぇさ…播磨商店街の凄みにあいつらションベン漏らしてたからな。なぁ?鳥海」
まさか自分に触られるとは思わず鳥海もきょとんとする
「…あ、ああ…漏らしてた…かも…な」
「…そういやぁ夢崎と市川はどうしたんだ?」
きょろきょろとテントの中を見渡す田中
テントの中には約40人の少女…そした組合長と坂本と田中だけだ
扶桑が小さく手を上げる
「…あの…夢崎先生と市川先生はマイクロバスを取りに行くと仰ってました」
ああ、と納得する田中
「そっか。教えてくれてサンキューな、扶桑」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数分後、テントに戻ってきた市川の案内のもと、播磨の面々は組合長に礼を言ってテントから商店街の裏路地にあるマイクロバスが止まっている場所まで移動した
しかしマイクロバスの近くまで来ると、田中達はなんとなくおかしな空気を感じる
「…夢崎中尉は?」
運転席が見えるものの、運転手の姿がない
しかしマイクロバスはエンジンか掛かっており、ハザードが点滅し、搭乗口は開いたままだ
市川も首をかしげる
「…あれ……"俺はバスで待ってるからメンバーを呼んでくれ"って言われたんですが……ん?」
市川と田中はマイクロバスの後方。バスの後ろ側で何者かの影が動いたように見えた
坂本と市川に少女達を任せ、恐る恐るバスの後ろには回る田中
「……は?…んだ…こりゃ…」
バスの後ろには見たことのある5人組の青年が
並んで正座させられており、その前には腕を組んだ夢崎が彼等を見下ろしていた
青年の一人が田中に気づく
「…あっ!てめっ…やっ…あんたはさっきの!?」
先ほど商店街でイチャモンをつけてきた5人組だった
そのリーダー格のマサヒロが田中を見て指を指した
「…?…おや、少佐…少佐のお知り合いですか?」
腕を組んだ夢崎が田中に気付き、問うてくる
流石は海軍の尉官だなと田中は感心
「…いや…さっき………まぁ色々あってな…こいつら何かしたのか?」
「…何か、というよりも…まぁ、あれですね…」
そう言って夢崎はバスの10メートルほど後方に停められた車を指差す
黒いワンボックスカー
その上にはサーフボードが何枚も積まれている
それを見た田中はつまらなさそうにマサヒロに詰め寄る
「…おぅ…てめぇら…なんだ…波乗り行ってたのか…どこでだ?」
「…」
「…ゆ、弓ヶ浜…」
黙っていたマサヒロの代わりにタクヤが白状する
マサヒロは顔を赤くして正座列の端に座るタクヤを睨む
「…てめぇ…タク…余計なこと言うんじゃねぇよ!」
田中と夢崎は肩をすぼめ、頭を抱える
「…海での波乗りは禁止されてんだろうが…ウェーブプールあんだからそっち行けよ…コウベレイカーズとか…」
「…だ、だってやっぱ海人としては海での…その…板やりてぇし…」
マサヒロの返しに夢崎が項垂れ、ふるふると震えている
「おめら!今日本の海がどんき危険なのがわがってらのが!?漁業だって海軍護衛のもど行わぃでらどいうばって…!おめらのような馬鹿な奴がいるはんでいづまでだっても被害減ねのだ!」
夢崎がそう声を荒げると、青年達はぎょっとする
「…な…今なん……ぅえ?」
きょろきょろとするマサヒロ
彼のことを夢崎がきっ、と睨むと、恐怖で肩を落とす
そんな彼等を田中は見下ろし
「…確かにあの板…ボード剥き出しで載せてあったら憲兵察もそうだし海軍としても声かけるよなぁ」
田中の一言にびくりと肩を跳ねあげる青年達
「「…海軍…?」」
海軍という単語を聞いて、マサヒロ達はピシリと石のように固まる
本来、日本国軍所属の音楽隊は日本国軍の関係する式典や観艦式、国際的軍事イベント等に参列し、演奏を行うのが基本
それ以外の民間のイベントでは当然各支部、更には大本営である東海支部から許可が下りられなければ日本国軍を名乗ってイベントに参加することは、当然してはいけない
故に、今日退院したばかりの田中を除いて、坂本、夢崎、市川の3人は士官服を着ずに、海軍を名乗らずスーツで播磨音楽隊のサポートを行っていたので、マサヒロ達からすればまさか海軍がこんなところにいるとは思わなかったのだろう
マサヒロは震える指でバスの向こうに立つ白い制服の少女達を指差す
「…ちょっ…やっ…じゃ、じゃあ…あれ?…あんときヘッタクソな演奏してた女どもが海軍っぽい制服着てたのは…」
ずい、と夢崎はマサヒロの顔に自分の顔を近づける
「ぽい、ではなく本物の海軍だ」
夢崎に言われ、段々と顔が青ざめていく青年達
「…へったくそね……さーて…こいつら憲兵察につきだすか」
田中の無情な呟きに、ばっと顔を上げる青年達
「…や…す…すいません…でした…」
正座しながらゴローが震える声でそう呟く
「違うんです!一番悪いのはコイツなんです!マサヒロ!」
ゴローは脂汗をかきながらマサヒロを指差し、大声を上げる
するとツヨシとシンゴも大きく頷く
「そ、そう!マサヒロく…マサヒロが波乗りに行こうっつって…言い出したんですぅ!」
「しかも行ったら行ったらで変な女にめっちゃ殴られて…!結局海出てないんですよぉ!」
憲兵察に通報されたくない青年達は正座のまま仲間割れを起こす
あまりにも不毛なやりとりに夢崎は退き、坂本と市川は遠い目をし、田中は大きなため息を吐く
「…おめぇらよ…っつーか俺の生徒に手ェ出しといてなんもナシってわけにゃあいかねぇだろ」
ギプスが巻かれた腕をぐるぐると回し始める田中
「…あー…なぁ、田中先生。ちっといいか…?」
今にもギプスでラリアットをかまそうとする田中を止めたのは鳥海だった
彼女の隣には摩耶も立っている
「…おう。どうした?」
「…や…もうあたしは気にしてねぇからさ…その…許してやってくんねぇか?…そいつら…」
少し気恥ずかしそうに鳥海がそう言うと、マサヒロ達の視線が彼女へ集中する
「…ぁあ?………まぁ今回はお前が絡まれたわけだから…お前がそう言うんなら…まぁいいか…」
田中がそう言うと、夢崎がむむ、と唸る
「…ですが」
「…別にいいんじゃん?鳥海も怪我はなかったし…サーフィンも実際現行犯じゃねぇと憲兵察もちゃんと動けねぇんだろ?」
マサヒロ達は安堵し、田中達へ正座のまま頭を下げる
所謂土下座である
「「「「「すいませんでしたー!」」」」」
田中はちらりと青年達の乗ってきた車のナンバーを見る
「…おう。次ぁねぇかんな?…っつーか波乗りしてぇんだったらせめてもっと近場でやれよ」
マサヒロが顔を上げる
「…ち、近場とは…」
「いや、横浜とか館山とかあんだろ?海岸」
坂本はうーん、と首をかしげる
「…助長させないでください…やるなら室内施設で「あ、静岡とかいいんじゃね?あそこならうるさい奴もいなさそうだしな!良いじゃん静岡!」
市川は思う
田中は本気で言っているのだろうか…
静岡と言えば三大鎮守府がある県
そんな基地が密集する海での波乗りなど、下手をすれば事故に見せかけて殺される可能性もある
「…ま、僕には関係ありませんが…」
「…つーワケで…おめぇらのこたぁポリ公にゃチクらねぇからよ…」
田中が土下座している青年達の前でしゃがみこみ、彼等の顔をじっと見て、にっこりと笑う
「とっとと失せろ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇
翌日
播磨鎮守府 ホール
1600
「よーし。んじゃ今日の練習終わり…明日は朝からホール使うから楽器はそのままでいいぞー」
相変わらずのジャージ姿にギプスをはめた田中がそう言うと、少女達は皆疲れを感じさせながらも元気一杯返事をする
まるで中高生の部活動のような空気に、朧は疲れながらも心地よさを感じる
「…って、あ…今日掃除当番だった…」
練習場所のモップ掛け等の掃除は日替わりで決めている
しかし朧は今日の掃除のことをすっかり忘れていた
「…ど、どうしよう…このあと田中先生と約束してるのに…」
何人かはすでにホールから出てった者もいるが、まだ数名少女達が残っている
パーカッションの指導をしていた田中と、管楽器の指導をしていた市川は少女達からの質問を受け付けていた
朧はちらりと田中の方を見る
「愛宕、お前楽器持てるようになってきたな…身体大丈夫か?」
「あら?もしかして心配してくれているんですか!?嬉しい!」
「やめろ、抱きつこうとするな。宗谷と違ってお前は……色々とダメだ…っておい!」
「…む…」
愛宕に抱きつかれている田中を見てむっと頬を膨らませる朧
「…すぐに掃除おわらそう」
朧がホールのロッカーからモップを取り出し、掃除に取りかかろうとすると、少女が二人が待ったをかける
「…ねぇ朧。今日は私達でやるから貴女はもう上がっていいわよ」
同じスネアドラムセクションの神風と霰だった
「…え。や…でもあたし掃除当番だし…」
「…朧ちゃん…今日、用事あるんでしょう?」
霰が問うと、朧は顔を赤くして俯く
「…あ…や…ん…でも…「はいはい。今日は私達がやっておくから、次の私達の当番の時によろしくね」
朧が言い淀んでいると神風が朧からモップを奪い、床を拭き始める
霰もモップ片手に朧へサムズアップ
「…ファイト」
「…ありがとう。神風、霰」
朧は神風達に礼を言い、ホールから出ていった
女の子は勝負の前には色々と準備がある
神風は田中と約束していたことを事を、空気を読んで分かっていたし、霰も昨日の朧と田中たのやりとりを聞いていたので、敵に塩を送る気持ちで朧を行かせた
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
播磨鎮守府 音楽室
1620
田中が音楽室の扉を開けると、夕日が窓から差し込み、ノスタルジックで不思議な空間に入り込んだような錯覚に陥る
「…よぉ、遅かったか?」
田中は音楽室の窓辺に立つ少女にそう声をかける
「…いえ…あたしも…今来たところですから」
"私も今来たところだから"
言ってみたかった台詞を言えたことに、朧はなんとなく心が跳ねる気持ちになる
「…で?俺なんかを呼んで…なんか用か?」
「…ぁ、はい…あの…」
昨夜と同じくもじもじとする朧
ちらちらと田中の顔を見ては気持ち顔を背けるようなその態度はまるで告白する直前の少女のような仕草
「(…あれ…?これってもしかして…もしかするのか?)」
夕日の差し込む二人きりの音楽室…
目の前でもじもじとする少女…
田中健二もそこまで朴念仁ではない
ここまで完璧とも言えるほど整った環境に淡い期待を持ってしまう
「(…いや…いやいやいや…何を考えているんだ俺ぁよ…俺は海軍として…基地提督として朧だったらありだな…全然あり…っつーかこれって俺ロリコンになるのか?でも艦娘って見た目どおりの年齢ってワケじゃねぇし…っつか確か艦娘と結婚とかって出来…たっけ…か…?くそっ!こんなことなら兵学校でもっと真面目に「田中先生?」
「…はっ!?」
意識が遠くに行っていたところを朧に呼び止められて我に返る
「…むー…聞いてましたか?」
頬を膨らませる朧につい見とれる田中
「(…っつか…どーも最近ちょくちょくとこいつがかわいく見える様になっ…)」
そこまで考えてふるふると頭を横に振る田中
「…あ、わりっ…えと…なんだっけ?」
「…もう…やっぱり…」
若干呆れながらも、朧は咳払いをしてから田中に改めて向き直り…
「…あたしに個人練習…してくれませんか?」
「…は?…練習?」
それは田中の予想していなかった言葉だった
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朧の話によれば
スネアドラムを担当するようになってから、自分の技術の不足さに悩んでいたとのこと
「…今回の商店街の本番でつくづくあたしって下手だなって感じて…神風はやっぱり上手だし、霰もテンポセンターの神風に音合わせるの上手だし…なんかあたしの叩く音だけ浮いてるように聞こえちゃって…」
ずーん、と暗くなる朧を見ながらもしかしたら朧から告白されるかもと邪な期待をしていた田中は、自分の愚かさを反省
「…いや、昨日も言ったけど…この短い日数でよくここまで叩けるようになったって誇るところだけどなぁ…まぁわかった。俺でよければ練習見てやるよ」
田中がそう言うと、朧は目に見えて表情を明るくさせ、嬉しそうに目を細める
「…やった!ありがとうございます!田中先生!…じゃ、早速用意しますね!」
楽器を用意するため、パタパタと小走りで楽器準備室へ入っていく朧
田中は窓の外を見ながら小さくため息
「…ま…俺なんかにゃあ…ねえよなぁ…」
きっと朧もそのうち誰かを好きになる…
そしてその相手は自分なんかじゃあないだろう、と田中は少しだけフラれた気持ちになる
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数分後、予備のスネアドラムをスタンドに立て、向かい合わせになって1つのドラムを叩く田中と朧
なお田中は左手のみで叩く
「…うん。右から左に切り替わるときにテンポが甘くなる…気持ちに左手の入りを早くしよう」
「はい!」
「…ダブルの粒が狭い。クローズ気味になってるから2発目の跳ねをもっと感じて」
「はい!」
「…うーん…ストロークがまだ弱い…手に力が入ってんな…」
「うう…その…その力の抜き方がいまいちよくわからなくて…」
個人練習が始まって1時間…
音楽室を照らしていた夕日も半分ほど沈み、先程よりも部屋が暗くなる
「…ふむ…スティック握って、打ち下ろす時に指の開きが狭すぎるのかもな」
口だけの説明だと朧の理解は薄いと感じた田中
指導で熱の入った田中は、説明しながら向かいに立つ朧のスティックを握る右手を掴むように自分の左手で補助する
「…あ」
「手のしなりはこんな感じで、指の開きは……」
ぴくっとした朧の手
それを見て田中ははっとし、顔が青ざめ、左手を彼女から放す
「……!……あっ…わ、悪いっ!…その…つい、な…」
無意識とはいえ、結果として女性の手を許可なく握ってしまった田中
変態だのロリコンだのと言われてもそれは仕方のないこと
"朧から何を言われても、とにかく謝ろう"
心のスローガンを掲げて、田中は恐る恐る朧の顔を覗く
「……ぇ、あ…いえ……あたし…こそ…」
いつもの倍以上に顔を赤くして、まるで上目遣いのように田中を見上げる朧
田中はどきりと心臓が跳ね上がるような感覚すら感じる
照れているのか恥ずかしいのか、朧もぐぐっと強く眼を瞑る
田中は下唇を突き出してぎこちなく笑顔を作る
「(これはなんだ!?この反応はもしかするんじゃねぇか!?まさかなのか!?くそっ!まともに女の子と付き合うことなかったからわからねぇよ!教えて坂本先生!だいたい女の子と手を握ったのなんて初め…あ、いや…姉ちゃんと繋いだことはあったな…あれはガキの頃か…あー…姉ちゃんいつもお菓子ばっか食ってたから手ぇベタついてたこと多かったなぁ…ジェノベーゼチョコとか誰が食うんだっつの…いや、いやいやんなことどうでもいいわ!っつか朧の手を握った訳じゃねぇし!今のこの俺の状況を分析して理解して対応せねばならな「せっ先生!」
遠い世界へ行こうとしていた田中は、朧の声と左手の違和感を感じて再び我に返る
ヒッコリー素材のスティックが床に落ちる
小気味のいい音が音楽室に響く
見れば顔を赤くした朧がスティックを落とし、田中の左手を両手で掴んでいるではないか
「お、おぼ…おぼおぼおぼおぼぼさん!?(手ぇ柔らか…)」
「……っ!…」
田中は朧との距離の近さに驚くも、彼女はそんなことを気にせずに田中の眼をじっと見つめる
「…あっ…あたし…あたし!……」
「誰か使ってるんですかー?」
誰かの声と共に音楽室の扉が開けられる
入ってきたのは宗谷だった
窓から差し込む暗めの夕日をバックに、田中と朧が手を握っている場面を直視した宗谷は口を大きく開けて更に眼も見開く
「 」
宗谷の出現でばばっと手を放す朧
田中も冷や汗をかきながらおどおどとしている
「…やっ…あのっ…ちがっ違うんだ!これは…そっ…宗谷さん?」
「 」
宗谷は固まっている
「…っぷぁあっ!!」
否、再び息を吹き返した
「な、ななななな…何をしていたんですか!?先生!この…!…宗谷の手ですら握ってくれなかったのにぃ!」
涙を流しながら謎に左右に揺れだす宗谷に田中は退いている
「…そ、宗谷!違うの!…あのっ…「うわぁぁああん!聞きません!宗谷は聞きません!言い訳は聞きませんよぉ!!うわぁぁああ」
朧の言葉ですら聞き入れずに床に転がってじたばたする宗谷
「せっ…先生に叩き方を教えてもらってたの!変なことしてたワケじゃないよ!」
朧が必死にそう訴えると、宗谷は顔を手で隠して床で丸くなる
「……ぅっ…ううう……ほ、本当ですか…?」
これを勝機と見た田中と朧は大きく頷く
「そ、そう!そうだ!朧に叩き方を教えてたんだ!指導方法の1つとして…あのっ…やってたんだよ!」
「本当だよ!朧もっと上手になりたかったから田中先生に無理言って付き合ってもらったの!」
「……ヤってた…?……突き合って…貰った…?」
宗谷は立ち上がり、鼻をずずずっと啜ると袖で鼻を拭く
「わがりまじだ…」
しゅんとした宗谷はそれだけ言って音楽室からとぼとぼと出ていった
田中と朧はため息
「…あー…今日はここまでにしとくか…」
「…そう…ですね…すみません…付き合ってもらって…ありがとうございました」
冷静になった田中と朧はそのまま楽器を片付け、音楽室を後にした
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
それから3日後
「…次の本番が決まった!」
播磨鎮守府 グラウンド 1000
朝イチのトレーニングを終え、休憩も済ました少女達は朝礼台に立った田中の言葉に驚く
「…ほ、本当ですか?」
トロンボーンを片手に持った赤城が問うと、ギプスを巻いた田中は大きく頷く
「ああ。実は来月の末に播磨町公民館の音楽ホールで…サマーコンサートがある!そのコンサートに参加することになった!」
ギプスの巻かれた右腕を天に伸ばし、誇らしく説明する田中の言葉に金剛はグッと拳を握る
「…リベンジ…デスね!」
少女達は皆4日前の商店街の本番での演奏に満足してはいなかった
むしろ低レベルな演奏をしてしまったと恥ずかしがる者が圧倒的に大多数…
故にあの時の失敗を挽回するためとも言えるサマーコンサート参加に非常に前向きだった
そんな意気込む少女達のオーラを感じながら田中はにやりと笑う
「…しかも。今回は地元や市外の中高生の吹奏楽部が参加する…他の上手いバンドを勉強するいい機会だし…俺らの実力を見せつける絶好の機会でもあるわけだ!」
田中がそう続けると、鳥海が両拳をぶつける
「っシャア!…やってやろうぜ!皆!」
「…鳥海…もっと女の子らしいリアクションしなさいよ…」
相方の摩耶に突っ込まれながらも、少女達は皆テンションが上がる
「…たっ…田中少佐ー!」
田中の名を呼びながら基地本館の方から坂本が走ってくる
「…あん?どったん坂本」
息を切らしながら、肩で息をする坂本
「はぁっ…はぁっ…お、とにかくホールへ!早く!」
「…お?…お、おお…腕引っ張るなって…」
田中の左腕を掴む坂本が田中を基地本館へと向かわせようとする
その物々しい雰囲気に少女達も坂本達についていく
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『ええ!普段より地元の皆さまにお世話になっていまして、今回の演奏はその恩返しと考えています!』
基地本館ホールに設置されたテレビから流れているのは4日前の播磨商店街のアーケードでの映像
どういうわけかテレビにはスーツ姿の夢崎と、その隣に扶桑が映ったが姿が流れている
田中、坂本、市川に夢崎…そして先程までトレーニングをしていた少女達も、テレビのその映像を見て驚く
「…なに…これ…」
田中も口をあんぐりとさせてテレビに眼が釘付けだ
『…はい、播磨商店街とても盛り上がっています!今回残念ながら彼女達の演奏する場面は見ることが出来ませんでしたが
ぶつ、とテレビの電源が消される
「なになになになに!?俺こんなの知らねぇんだけど!?」
混乱した田中が騒ぎ始めると、少女達も皆がやがやと騒ぎ出す
「うそ!…私らテレビ映ったの!?」
「…げ、芸能でびゅうってやつ…?」
「…信じられない…」
田中は夢崎の元へ行き、胸ぐらを掴む
「ど、どーいうことだおい!…なんであんたがインタビュー受けてんだよ!?っつか言えよ!取材が来てたこと!」
「…あー…いえ…知っていたのかと思いましてね…っていうか帰りがけにあんなことあったから忘れてまして…」
「はぁぁああああ!?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
播磨鎮守府 執務室
1100
聞けば全国で放送されるニュース番組、『マザマステレビ』内の企画の1つで"田舎の商店街イベント"を撮影していたとのこと
実は4日前の播磨商店街のお祭り、毎月行ってはいるが、今回だけは3日間開催していた
当初商店街側とテレビ局側との話では1日目だけを撮影という話だったが、何故か播磨音楽隊が演奏する最終日にも撮影に来ており、カメラに撮られていたようだった
ソファーに田中、坂本が並んで座り、向かいのソファーには市川、夢崎が座る…そしてお誕生日席には少女達を代表して赤城が座り、5人で相談をしていた
「…これ…組合町知ってんのか?」
田中が坂本に問うと、坂本は首を横に振る
「…はい…先程電話をしたら声が裏返るほど驚いていました」
坂本に続いて市川も頷く
「…組合町は我々の為にと思ってテレビ局には1日目だけ撮影して、翌日の朝には帰ってもらう予定だったらしいです」
「…じゃあ無許可じゃねぇか…良いのかよ、それ…」
ちらりと赤城を見て、夢崎が咳払い
「…あー…私がインタビューを受けている時に撮影スタッフが話しているのが聞こえたんですが……"寂れた商店街に楽器演奏をするコスプレ少女達"の絵がウケる、と言っていました」
夢崎の話を聞いてずーん、と赤城は項垂れる
「…こ、コスプレ…」
坂本は苦い顔をする
「…この番組、朝5時半頃から放送してまして、今のテイクで3回目の放送らしいです…播磨商店街にはあの少女達は何者かってひっきりなしに電話が鳴っているそうですよ」
田中はソファーの背もたれに体重をのせ、天井を眺める
「……んー…まぁでもあいつらの知名度は上がるかもってことだよな?」
田中の呟きに夢崎が焦る
「…ち、鎮守府や海軍のことはなにも話していないので…」
市川は渋い顔
「…海軍関係者なら艦娘が映っただけで即わかるんじゃありませんか?」
市川の艦娘発言に赤城はむっとする
市川は赤城に平謝り
「…でも一般人にはわからないだろ。商店街の人達を除いてな」
「組合町が言うには商店街の方々は何があっても口を滑らさないと思うと仰っていたので……ああ、まぁどこまで信じていいかはわかりませんが…」
坂本の説明を聞いて、田中はソファーから立ち上がる
「…全国の海軍基地に播磨の存在が知られたんだ…これで吉津根中将も表立って解体だのなんだのは出来ねぇんじゃねぇか?」
立ち上がった田中は執務机の方へ行き、ポケットからタバコの箱を取り出すと、一本タバコを取り出して口に咥える
市川はむむむ、と眉を歪ませる
「…夢崎中尉…吉津根中将は播磨音楽隊の事をご存じなんですか?」
「ん?…ああ。音楽隊のことは知っている。だが田中少佐達では艦む…いや、赤城達とは平和的に、友好的にバンドは組めないと吉津根中将は言っていた」
うん?と坂本が首をかしげる
「…商店街での演奏のことは…なんと報告を?」
「…彼女達は不本意ながらも音楽隊活動に協力し、商店街で演奏をした、と伝えました……吉津根中将は『絶対に失敗する。不本意で参加させられたのなら音楽隊の存続は当然無理だろう』と笑っていましたよ」
夢崎の言葉に赤城は険しい表情をつくる
「…不本意だなんて、そんな…」
険しい表情の赤城を諭すように夢崎は小さく笑う
「…安心しろ。そんなことないことはわかっている…嘘も方便だ。その言い方の方が吉津根中将も信用するからな」
「…あんたそんな風に笑うんだな…」
「…失礼ですよ。田中少佐」
はいはい、と田中は咥えたタバコに火をつける
赤城からの"ここは喫煙所ではありませんよ"という視線はこの際無視である
「…ま、どちらにしても 本来の目的の1つ、播磨音楽隊を世に…公に出すっつー目的は果たされたわけだな…まぁこれから先、俺らは変わらずあいつらを人前で演奏できるレベルにすれば良いさ…きっと吉津根中将も嫌がらせとか出来ないと思うしな」
あっけらかんとした田中の言葉に市川はうーん、と考える
「…本当にあんな人前で演奏させて良かったのでしょうか…」
隣で悩む市川を横目に夢崎は笑う
「…ふっ…公になったのは播磨を拠点とする少女達の音楽隊、播磨音楽隊のことだけだ…海軍の名前も、艦娘としても公開してはいない…ならば吉津根先生も怒ることはしないだろう」
元々スパイ、工作員のような存在として播磨に転属されてきた市川と夢崎
実のところ、吉津根からは直接播磨の艦娘を解体しろ、とは二人は命令されてはいない
東海支部…特に吉津根と共にいる時は彼の発言を元に空気を読んで行動することが多く、今回も同じ様に行動しようとしていた
田中と坂本が播磨へ着任してから…正確には二人が着任する前から吉津根から播磨の艦娘を解体せねば、存在を消さなければ、と話だけ聞いていた。
まだ会ったことのない者達…夢崎と市川は自分達で勝手に播磨鎮守府の彼女達のイメージを作り上げた
悪い、悪人のイメージに…
だからこそ転属の話を聞いて、『つまり我々が艦娘達を解体すればいい』と極端に解釈
しかし実際に播磨の少女達と出会い、関わってその眼で見たものは、吉津根の話していたこととは全く違っていた
「…それに…今のお前達ならば…ああ、俺が吉津根中将からきっちり守ってやろう…お前達にはその価値が…希望がある」
ソファーに深く座り、腕を組んで赤城に微笑む夢崎
市川もふふ、と笑う
「…俺"達"ですよ。もちろん僕も協力します」
ぷふー、と田中はタバコの煙を吐く
「…その顔ではずい台詞言うのはなー…」
「顔は関係ねびょんが!顔は!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇ ◇
同時刻
東海支部
『今日の最下位はごめんなさい。双子座の方です。事態は急変、今一度身の振り方を見直してみては?ラッキーパーソンは金色じゃない方の
薄暗い執務室、つけられていたテレビの電源がぶつりと落とされ、一人の男性が小さくため息を吐く
「…あー…失礼…確か田貫大佐双子座…でしたっけねぇ…」
執務椅子に深く腰掛け、執務室入口前に立つおどおどしたちょび髭の小太りな中年男性佐官に話しかけるは吉津根中将
「…ふぇえ…えっと…あの…い、いえ…お、覚えてていただき恐縮です…」
田貫(たぬき)大佐
東海支部通信課に所属する中年男性
その見た目とは裏腹に声が少し高めで誰に対してもおどおどしている
普段から寝不足なのかストレスなのか、彼の目の回りは常に隈が出来ている
務椅子に座って肩を震わせる吉津根
「…ふ…ふふっ…ふっ…ふっふっ…くふふふ…」
すぅ、と吉津根は息を吸い…
「…んファーっク!」
テレビに向かって青筋を立てて叫ぶ
「ひぇぅっ!」
「ファック!…ファック!ファック!ふぁぁっっきゅぅううううう!!!はっ!あはっ!あーっはっはっはっ!!ひゃあっはっはっはぁー!」
狂ったように、声が裏返りながら笑う吉津根に退く田貫
「ファック!ファック!ファック!ファッーっク!ぁあああああ!!!…ファーックファックファックファックカァーメラァー!!!はぁっはっはっはっひゃあっはっはっはっはぁーーー!!!」
ひとしきり狂い笑うと、吉津根は執務室からゆっくりと立ち上がる
「…夢崎中尉ぃ…聞いていた報告と随分違うじゃあないんですかぁ…?…機密事項である艦娘をテレビで映すだなんて…ええ…私を裏切りましたねぇ…?…くくっ…くひゃっ…」
「きっ…吉津根中将…?」
「夢崎中尉もぉ…市川少尉もぉお…田中少佐も坂本少佐もぉおお!!…黙って私の思う通りにだけ動けば良いものをぉ…何故…何故私の思う通りに動かなぃぃいいいいい!?」
「なぁっぜ!なぁあっぜぇぇえあっ!!!」
吉津根はがっ、がっ、と執務机を力強く叩きつけると、じろりと田貫を睨む
「…田ァ貫ィ大佐ァ……下がりなさぁい」
「ふぁっ…ふぁい!失礼します!」
今にも襲いかかってきそうな吉津根の雰囲気に圧された田貫はびしっと敬礼してすぐに執務室から出ていく
一人執務室に残る吉津根はポケットから携帯を取り出し、電話帳アプリを開く
「…私の部下の癖に私の考えがわからないんですかねぇ…私の思う通りに動かないなんてそんな子は悪い子ですよねぇ…言うこと聞かない子はぁあ…ぅお仕置きですよねぇ…」
ある人物の連絡先を押し、電話をする
「………ああ、お久しぶりです…吉津根です……ええ。息災で…そちらは?…………ええ。少しばかり貴方の手を御借りしたくて…」
電話をしながら窓の方へ近づく吉津根。その顔は無表情だ
「……その節は色々とお手伝いさせていただきましたからねぇ…そのお返し、ということで…」
吉津根は外を見ながら口元を楽しそうにつり上げる
「……例の鎮守府…播磨鎮守府ですよ………ええ、そうです…貴方と大きく所縁のある、あの播磨ですよ……ええ、貴方ならきっと協力してもらえると思いましてね……詳細はまた後日…それでは」
そこで吉津根は通話を終わらせる
携帯をポケットに入れ、執務椅子に深く腰掛ける
一仕事終わったかのように彼は深いため息を吐く
「……馬鹿、ですねぇ…」
今の時代、艦娘がテレビに映ること実は珍しくはない
寧ろ日本国軍海軍のイベントがあれば何人かの艦娘がカメラに収められ、夕方のニュースやライブ映像で観ることができる
しかし田中達が行ったものは全く違う
海軍の名を伏せ、艦娘達の制服も本来のものではない
楽しそうにしている彼女達をテレビ越しで見て、夢崎が言っていた"本意ながらも"には到底見えなかった
「…やってくれましたね…田中少佐」
だが吉津根が懸念していたのはそれだけじゃない
海で戦うことが主な艦娘達が、楽器を持って大勢の人達の前で演奏をしたことを他の基地、鎮守府の人間も知ることとなった
故に疑問が生まれてしまう
"何故海に出て戦わないのか、戦えない理由があるのか"…と
「…これ以上播磨に注目が集まる前に…手を打ちますか…」
感情の無いような低い声で吉津根は呟くと、鬼のような形相で笑う
「…全て……全て壊してあげますよ」
東海支部、吉津根の執務室に彼の不気味な引き笑いがこだまする
はい
お疲れ様でした。
これにて少女達のプレリュード、終わりにございます。
いやいや、半端じゃねぇか!…と思われるかとは思いますが、これで良いんです。
というのも次回からがですね、いつか作中にも出てきた"播磨水上特攻作戦"のお話に繋がるわけです。
何が言いたかったかというと、ここまでが播磨水上特攻への前奏曲、プレリュードとなるわけです。
…さて、吉津根さんがようやく本格的に動き始めます。
おそらく次の章からいつもの大本営の資料室ワールド復活するかと思います。
播磨鎮守府の誰が海の鎮守府に来るか予想していただけると、また違った面白さを感じられるかもしれませんね
それと後悔…というか反省としては…
もう少し青春感というか…音楽のシーンは書きたかったですね…色々とエピソードは考えていたんですが…
はい。
ではまた次回もよろしくお願いします