マグル学教室へようこそ   作:BellE

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序章 Once upon a time ...
第1話 マーガレットは魔法使い


 1983年の夏のある日、一人の青年がある店の前で足を止めていた。

 

——アンティークの販売・買取・修理 マッカーデン商店(McCudden's Shop)

 

 古びた看板に掲げられた店名と地図に示した目的地を何度も見比べ、ここで間違いないことを確認する。店先のショーウィンドウにはテディベアやフランス人形、またブランド品のティーカップや手巻き式の懐中時計が飾られていた。

 その隙間からは店内の様子が見え、青年はカウンターで読書に耽る10、11歳くらいの少女を見つけた。託された封筒の宛名を確認し、彼女が「マーガレット・マノック」であろうと確信する。そして、彼がここに来た目的を果たすため、入り口の扉に手をかけた。

 

 

 

 チリンチリンと軽やかにベルが鳴る。誰かが店にやってきたことに気がついたマーガレットは本から視線を上げた。彼女の膝の上で微睡んでいたペットの鴉も首を持ち上げ、入り口の方を向く。

 そこには暑い夏の日だというのにスーツを着て、紫色のネクタイをきっちり首元まで締め、さらにその上からローブを羽織った若い男がいた。彼女は内心では変な恰好と思いながらも、普段どおりに「いらっしゃいませ」と声をかける。

 青年は声をかけてきたマーガレットに対してぎこちない笑みを浮かべていた。その目はキョロキョロと動き回っていて、緊張しているのかどこか落ち着かない様子だ。マーガレットは彼がなにか探し物をしているのではと考えた。

 そこで彼女は膝から鴉を下ろし、彼に近寄った。すっかり目を覚ました鴉はマーガレットの後ろをちょこちょこと歩いてついて来る。

 

「なにかお探しですか? わたしでよければお手伝いします」

「い、いえ。わ、わ、私が探しているのはみ、み、ミス・マノックです」

 

 未婚女性を表す言葉(Miss)に違和感を覚えたものの、マーガレットはきっとこの青年は母のことを探しているのだと合点した。

 

「母になにか御用ですか? 今、呼んできますね」

「お母様ではなく、そのわ、わ、私がお会いしたかったのは、マーガレット・マノック、き、君なのです」

「わたし、ですか?」

 

 マーガレットは小首を傾げる。ついでに彼女の足元でも、鴉が飼い主と同じように首を捻っていた。

 マーガレットの頭の中にはなぜ、どうしてとたくさんの疑問が浮かんでいた。彼女が困惑しているのは、青年がわざわざ何かしらの術を使わなくともわかるようなことである。

 青年は意を決し、一つの封筒を少女に差し出した。

 

「こ、これをき、き、君に渡すようにと」

 

 マーガレットは分厚い羊皮紙の封筒を受け取った。そこにはエメラルド色のインクでマッカーデン商店の住所と「マーガレット・マノック様」と宛名が書いてある。恐る恐る封筒を裏返してみると紋章入りの封蝋がしてあった。

 

「あの、開けても?」

 

 マーガレットが尋ねると青年は黙って頷いた。彼女は丁寧に封を開け、中の手紙を広げる。そして、思わず声を上げた。

 鴉も飼い主がなにに驚いているのか知りたかったのか、少女の肩にとまって手紙をのぞき込んでいる。

 

 その手紙はマーガレットが聞いたこともないような勲章や肩書をたくさん持った校長の名前から始まり、彼女がホグワーツ魔法魔術学校への入学が許可されたことや返信にはふくろう便なるもの使わなければいけないことが書かれていた。どれも彼女には馴染みのない言葉だ。

 

「ホグワーツ、魔法魔術、学校?」

 

 マーガレットの頭の上には数えきれないほどの——もちろん目には見えない——クエスチョンマークが浮かんでいた。目を白黒させ、手紙とそれを持ってきた青年のことを交互に見る。

 

「ホグワーツはそ、そ、その名の通りま、魔法使いの子供たちにま、ま、魔術を教えるためのが、学校です」

「魔法使い? 魔術を教える学校?」

 

 少女は今し方聞いたことを復唱し、目をつぶって考え事を始めた。その間、何度かうーんと小さく唸っていたが、考えがまとまったのかゆっくりと目を開けた。その青い瞳はきらきらと輝いている。

 

「なら、わたしも魔法使いってこと、ですか?」

「そ、その通りです」

 

 マーガレットは息を呑んだ。

 

「き、き、君は魔法使いです。だから、こ、こうしてホグワーツから迎えに来ました」

「それなら、あなたも魔法使い? それから、その学校、えっと……ホグワーツ! そう、ホグワーツ魔法魔術学校から来たのなら、あなたは先生なんですか!」

 

 マーガレットは畳みかけるように質問をした。興奮を抑えきれず、顔には満面の笑みを浮かべている。彼女が急に前のめりの姿勢になったからか、左肩につかまる鴉は一瞬バランスを崩していた。

 青年は少々気圧された様子ではあったが、その一方で少女の好奇心の強さに感心していた。魔法使いの卵をホグワーツに迎え入れるという目的のため、そして少女の期待に応えるため青年は口を開いた。

 

「も、もちろん私も魔法使いです。わ、わ、私はホグワーツでま、マグル学の助手を務めるクィリナス・クィレルという者です。ど、どうぞよろしく」

「クィレル先生、はじめまして! こちらこそよろしくお願いします」

 

 マーガレットはクィレルがぎこちない動作で差し出した手を握ると、白い歯を見せて笑う。それから、彼のことをまじまじと見つめ、「魔法使いって本当にいたんだ」と呟いた。

 

 

 さて、マーガレットにはこの魔法使いに聞きたいことが山ほどあった。ホグワーツはどこにあるのか、魔法使いはどんなことを勉強するのか、それから先ほどの会話で聞いたマグル学とはいったいどのような学問なのか……。いくら質問しても、彼女の知りたいことは尽きないだろう。だからこそ、彼女は最も知りたいことについて彼に聞いた。

 

「あの、先生は魔法が使えるんですか?」

「も、もちろん。ま、ま、魔法を見たら、もっと驚きますよ」

 

 クィレルはローブから一本の杖を取り出した。マーガレットはその一挙手一投足を見逃してなるものかと食い入るように彼のことを見つめる。彼女の左肩にとまる鴉も青い双眸をじっと彼の方に向けている。

 クィレルは杖を構えたまま今一度店内、そして外の様子を確認した。この店は車通りに面した場所にはあるが、幸い、今は人や車の往来もなく、また新たに客が入ってくる気配もなかった。ここには自分と自分を見上げている少女と少女の肩にのる鴉しかいないようだ。

 非魔法族(マグル)に魔法を見られる心配がないことを確認したところで、今度はどのような魔法を見せようかと考える。そして、年季の入ったレジスターの横に様々なブリキの玩具が並べられていたことに気づいた。

 

「そ、それでは」

 

 クィレルが杖を軽く振るうと、ぜんまい仕掛けの鳥の玩具がふわりと宙に舞い上がった。彼がもう一度杖を振ると小鳥はくるくるとマーガレットの上を飛び回り、やがて彼女の手のひらの上に舞い降りた。マーガレットは感動のあまり言葉を失っていた。

 

「ミス・マノック、こ、これが魔法です」

 

 11歳の少女は目の前に立つ若い魔法使いのことを尊敬のまなざしで見上げていた。

 

 

 

「これが魔法……」

 

 いつの間にかマーガレットの瞳からは一粒の涙が零れていた。今まで自分が生きてきた世界の常識を覆すような衝撃的で神秘的な出来事に心を奪われ、瞬きをすることすら忘れていたらしい。鴉はそんな飼い主の頬にぴったりと顔を寄せ、一緒になって魔法使いのことを見つめている。

 

「すごい、本当にすごいです! 先生、もう一回。もう一回見せてください!」

 

 マーガレットは胸を高鳴らせ、弾むような声でクィレルにお願いする。浮遊呪文(一年生で習うような初歩的な呪文)でもこんなに称賛されるのかとクィレルはすっかり気を良くしていた。

 再び杖を振り、今度は飛行機の玩具を浮き上がらせる。あっちこっちへ縦横無尽に飛び回る飛行機を見上げ、少女は「すごい! 夢みたい!」と歓喜の声を上げていた。

 右旋回、左旋回、急降下からの一回転。そして、実際の飛行機が着陸するときのようにカウンターを走らせてから玩具の動きを止めると大きな拍手が沸き起こった。鴉も飼い主の拍手に合わせ、くちばしを「カッ、カッ」と鳴らしている。

 

 すっかり魔法に魅入られたマーガレットの頭の中は、自分も魔法を使えるようになりたい、早くホグワーツに行きたいという思いでいっぱいになっていた。

 

「先生! わたしをホグワーツに——」

「マーガレット、そんなに大きな声を上げてどうしたの?」

「お母さん! ねえ、お母さん聞いて! わたし、魔法使いだったの!」

 

 なにやら騒がしい店内の様子を見に来たメアリー・マノックは、「わたし、魔法使いだったの!」という娘の突拍子のない言葉に面を食らったようだった。

 

「魔法使い?」

「うん、魔法使い。先生も魔法使いなの」

 

 娘が「先生」と呼んだその男は、夏だというのにスーツの上に外套——それこそ魔法使いが着ていそうなローブ——を身につけた不審な人物だった。彼は少女の母親と目が合うと「こ、こんにちは」と硬い笑顔を向けた。

 一方のメアリーは怪訝な顔をしていた。娘の腕を引き、謎の男から遠ざけるとそっと耳打ちする。

 

「マーガレット、本の読みすぎよ。魔法使いなんてファンタジー小説のなかのもの。本当にいるわけないでしょ」

「本当だよ。だって、クィレル先生が魔法を見せてくれたの」

 

 娘が親しげに「クィレル先生」と呼んだことで、メアリーのこの男に対する警戒度がぐんと高まった。娘を隠すように男の前に立ちはだかり、両手を腰に当てる。

 

「どこのどなたか存じませんが、娘に変なことを吹き込むのはやめていただけます?」

 

 顎を前に突き出し、出て行けと無言の圧をかける。母親が娘の身を案じ、自身を追い払おうとする気持ちもわかる一方で、このまますごすごと引き下がるわけにもいかないクィレルはどうしたものかと困った表情を浮かべていた。

 マーガレットも大人たちの不穏な空気を察したようで、母親の陰からひょいと顔を出した。いつの間にか鴉は彼女の頭の上に移動していて、縦に並んだ二つの顔がクィレルのことを見つめている。

 

「先生、もう一度魔法を見せてください。そうすれば、お母さんも信じてくれます!」

「マーガレット! いい加減にしなさい!」

 

 メアリーはマーガレットの両肩に手を置き、娘と目線を合わせた。彼女は娘が嘘をついているとばかり思っていたが、その父親譲りの青い瞳は自信と期待に満ちていた。

 

「お母さん、ほら見て」

 

 マーガレットは頭上を指さした。メアリーが少し目線を上げると、鴉もくちばしで上を指している。メアリーがさらに上を見上げると、小さな飛行機の玩具が円を描きながら飛んでいる。彼女は信じられないものを見たといった様子で頭を振ったが、飛行機はまだ彼女の頭上を飛び続けていた。

 ふと背後の男に目をやると、彼は右手で持った杖の先端を飛行機に向けていた。娘が「先生」と呼ぶこの男が本当に魔法を使っているのだとメアリーは理解してしまったのだ。

 メアリーが再びマーガレットの方に顔を向けると、少女は「ほらね」と悪戯っぽくウインクをした。メアリーは驚嘆し、ただ一言こう呟く。

 

「お父さんたちにも見てもらわなきゃ」

 

 メアリーはふらふらと立ち上がると、そのまま店の奥へと消えていった。やがて慌ただしく階段を上がる音が聞こえ、ついで落ち着かない様子で動き回る足音や陶器が割れる音、また「なんだって!」と叫ぶ男性の低い声が聞こえていた。

 マーガレットは鴉を腕に抱きかかえ、クィレルの隣に立った。彼女は階上の喧騒をよそに、「どうやって魔法をかけているんですか?」だとか、「杖はどうやって手に入れるんですか?」とクィレルに質問し続けている。彼は少女の疑問の一つ一つを丁寧に答えていたが、彼女の母親が老夫婦を連れて戻ってきたために話を途中で切り上げた。

 

「彼が魔法使いなのかい?」

 

 白髪の紳士は静かに口を開いた。メアリーが頷くとマッカーデン氏は小さく唸り、整えられた口髭を撫でた。

 

「魔法使いが実在するとは、私は聞いたことがないのだが……」

「でも、本当にこの人が……。あの、先ほどの()()をまた見せてくださいませんか?」

 

 メアリーはこわごわとクィレルに尋ねた。彼は二つ返事で了承すると、慣れた手つきで杖を振るった。今度はテディベアを浮かび上がらせ、目を丸くしている三人の大人たちの前まで運ぶ。そして、もう一度杖を振るとテディベアは華麗なタップダンスを披露した。

 一曲踊り終えたテディベアが恭しく一礼すると、マーガレットは「ブラボー!」と歓声を上げた。新たな魔法を目撃し、彼女の興奮は最高潮に達していた。対して、彼女の母親と祖父母は口をぽかんと開けたまま放心状態にあった。

 

「い、いかがでしょうか。これでま、ま、魔法使いの存在を信じていただけますか?」

「ね! クィレル先生は魔法使いなの。だから、わたしはホグワーツ魔法魔術学校で先生に魔法を教えてもらうの!」

 

 奇跡と呼ぶにふさわしい光景を見せられ、三人のマグルたちは魔法の存在を認めるしかなかった。魔法使いの実在など子供の頃にしか信じていなかった彼らだが、大人になってからそれが本当であったことを知ることとなった。

 

 しかし、彼らが見たのは可愛い愛娘になぜか「先生」と呼ばれている男が魔法を使ったという事実だけである。そう、マーガレットが魔法使いかどうかはまだわからないのだ。

 

「それで、マーガレットも魔法使いなのです?」

 

 そうクィレルに問いかけたのはマッカーデン夫人だ。彼女は一度咳払いをしてから言葉を続けた。

 

「この子があなたのように魔法を使ったところなんて、あたくし一度も見たことがないの。なのに、マーガレットが魔法使いなのですね」

 

 メアリーとマッカーデン氏も無言で頷いていた。彼らもマーガレットが魔法を使っているところを今まで一度も見たことがなかった。

 そして、それはマーガレット自身も同じで、彼女にも自分が魔法を使えたという憶えは全くない。彼女は鴉をぎゅっと抱きしめ、心配そうにクィレルのことを見つめていた。

 

 さて、その肝心のクィレルだが、彼はこのような質問がくることをすでに想定していた。ホグワーツでこの仕事の準備をしている際、他の教授陣から新入生とその家族に魔法の存在を認めさせる——つまり魔法を実演してみせる——のは簡単であることを聞いた。

 そして、もっとも苦労するのは子供が魔法使いであるということを信じられない家族を説得し、ホグワーツへの入学の許可を得ることだというのも聞いていた。そこで、クィレルは前もって練習してきた言葉を口にした。

 

「ほ、ホグワーツの入学者リストには、11歳の誕生日までにま、魔法の才能を示した者の名前が自動的に記録されます。もちろん、そこにみ、ミス・マノックの名前もありました。つ、つまり、ご家族の知らないうちに、そして彼女自身も気づかないうちに魔法を使っていたのではないでしょうか」

 

 マーガレットは胸を撫でおろし、嬉しそうな表情を浮かべた。しかし、彼女の保護者たちはまだ納得がいっていないようで訝しげな顔をしている。

 

「しかし、しかしだね、私たちはそのボク、いや、ホグヴォーズだったか——」

「ホグワーツ。ホグワーツ魔法魔術学校」

「ありがとう、マーガレット。……さて、ミスター・クィレル。私たちはそのホグワーツなどという場所を見たことも、聞いたこともない。そんなよくわからない学校に私たちの大切なマーガレットを通わせるわけにはいかないのだよ」

 

 祖父の言葉を聞き、マーガレットの顔が再び曇った。いくら自分が魔法使いであるとはいえ、それまでマグルとして生活してきた彼女は魔法界のことをなにも知らない。だから、ホグワーツ魔法魔術学校のことも今はまだ名前しか知らないのだ。それゆえ、家族を説得できるだけの知識など持ち合わせていなかった。

 今、この場で三人の大人たちを説得できるのは、魔法界から来たホグワーツのことをよく知る年若い魔法使いだけである。だから、マーガレットはクィレルにすがるような視線を向けていた。

 

「そうです。それに、マーガレットはこの子の父親が最期まで愛し、守り通した娘ですもの。もし、またこの子になにかあったら、あたくしたちは彼に顔向けできませんの」

 

 ここで父親の話題が出たことはクィレルにとって好都合だった。なにせ彼はマーガレット・マノックの家族を説得させるためのとっておきの情報を得ていたのだから。

 彼は自分のことをじっと見つめている少女に目配せをし、それからマーガレットを魔法使いたらしめるもう一つに理由について語った。

 

「……み、ミス・マノックのお父様はホグワーツの卒業生です。彼は魔法界の生まれで、そ、それも代々優れた魔法使いを輩出する家の出だったそうです。と、とても優秀な生徒だったと当時を知る先生方が話していらっしゃいました」

 

——マーガレットの父親(マイケル・マノック)は魔法使いだった。

 

 この衝撃の事実に彼の娘も、妻も、義理の両親も言葉を失った。鴉もマーガレットの腕の中で瞼を閉じていた。

 クィレルには時間が止まってしまったかのように思えたが、表の通りを走る車の音からそうではないことがわかる。

 

 メアリーは口元に震える手を寄せ、「マイケル……」と亡き夫の名前を口にする。その瞳には涙が浮かび、今にも溢れ出してしまいそうだった。マッカーデン氏はしきりに、「そうか、そうだったのか」と繰り返し、自分を納得させるかのように頷いている。マッカーデン夫人は「たしかに、彼らしいわね……」と呟くと、あとはただ黙って天を仰いでいた。

 そして、マーガレットは俯いたまま鴉のことを優しく撫でていたが、ゆっくりとその動作を止めた。

 

「先生、本当にお父さんは魔法使いだったのですか?」

 

 顔を上げたマーガレットからは笑みが消えていた。そのため、一見すると悲しんでいるようにも、落ち込んでいるようにも思えた。しかし、その青い瞳はしっかりと前を見つめ、希望に輝いている。

 クィレルは言葉での返答の代わりに力強く頷いた。その答えを見届けたマーガレットは三人の大人に向き合い、一言一言を噛み締めるように言葉を紡いだ。

 

「お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。わたし、お父さんのことがもっと知りたい。お父さんがどんな人だったか、もっと教えてほしい。だから……、だからホグワーツに行きたい。お父さんと同じ場所に行きたい、同じものを見たい、同じものを学びたい。だって……、だって……」

 

 鴉はマーガレットの腕の中から床に降り立つと、彼女のことを見上げた。青い二対の瞳が見つめ合う。マーガレットは覚悟を決めたように頷き、その小さな拳をぎゅっと握りしめた

 

「だって、わたしはお父さんのこと、()()()()()()()()から。だから、少しでもお父さんに近づきたい!」

 

——それは11歳の少女の心からの叫びであり、願いであった。

 

 メアリーは拳を握り、小さく震える娘のことを強く、強く抱きしめた。そして、頭を撫でながら優しく娘に語り掛ける。

 

「マーガレット、行っておいで。マーガレットが知りたいもの、見たいもの、聞きたいものをたくさん吸収してきなさい」

 

 マーガレットは顔を上げ、しっかりと母と向き合った。メアリーはもう一度だけ娘の頭を撫でた。そのせいで母親から受け継いだマーガレットご自慢の黒髪は少し乱れていた。

 

「だって、あなたはパパの自慢の娘なのだから」

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

 それらからの話は恐ろしいほど順調に進んだ。あれほど愛娘をホグワーツに通わせることを渋り、クィレルに対して疑いの目を向け続けていた大人たちは、人が変わったかのようにマーガレットが魔法使いとしての人生を歩むことに賛成し始めたのだ。

 

 クィレルはホグワーツでの教育や学生生活の過ごし方、また入学に向けての準備について説明した。彼が少し話を進めるごとに保護者たちは息を呑み、目を見開き、ときには小さな悲鳴を上げた。しかし、彼らは驚くべき魔法界の実態をどれほど知ろうと、マーガレットのホグワーツ入学を取り消すということだけは決してしなかった。

 そしてマーガレットだが、彼女は始終楽しそうにクィレルの話を聞いていた。時々、膝の上に座る鴉に視線を落としてはなにか語りかけ、にこにこと笑っている。

 

「そ、そ、そ、それから、ホグワーツへの入学にあたって教科書やが、学用品を揃える必要があります。そして、それらの品はま、魔法界でしか購入することができません。そのため、非魔法族出身やま、魔法に触れずに育ってきた子供たちは教員が引率し、か、か、買いに行くことになっています。で、ですので、み、ミス・マノックを魔法界に連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

 メアリーはそれを了承し、一週間後にマーガレットとクィレルがダイアゴン横丁へ行くことが決まった。9月1日よりも前に魔法界へ行けると知り、少女は顔をさらに輝かせた。

 

 

 

 最後にいくつかの確認をすませ、クィレルが表に出た時にはもうずいぶんと日が傾いていた。それほど長い時間この場所にいたのかと驚いたが、苦痛だったとか疲弊したと感じることはなかった。

 

「先生、今日はありがとうございました。先生に色んなことを教えてもらえて、とっても楽しかったです!」

 

 自分を見送るために外に出てきたマーガレットの言葉を聞き、クィレルも自身が今日の仕事を楽しんでいたことを自覚した。一週間後、この少女がなにに驚き、なにに感動するのか。そして、その度に彼女が自分にどんな質問をしてくるのかが、今から待ち遠しいと思った。

 

「こ、こちらこそ。一週間後が楽しみですね」

「はい、とっても! 先生のこと、お待ちしています!」

 

 鮮やかな夕焼け空の下で二人は握手を交わした。マーガレットが見上げたクィレルの表情は、彼が夕日に背を向けていたためによくは見えなかった。が、彼のグレーの瞳が自分のことを優しく見つめているのに気がついた。

 彼女には憶えがなかったが、父親というのはこういう目をしている人なのだろうかとふと思った。

 

「で、では、また会いましょう」

 

 マーガレットは遠ざかっていくクィレルの後ろ姿を見つめていた。そこには、もしかしたら彼が新たな魔法を使うかもしれないだとか、箒を使って空を飛ぶかもしれないといった期待もあった。しかし、一番の理由はあの魔法使いのことをもっと見ていたかったから、もっと知りたかったからであった。

 

 クィレルはある路地の前で立ち止まると、吸い込まれるようにそこに入っていった。マーガレットは少し離れた場所からその様子を眺めていたが、そこが行き止まりであるということを思い出し、急いで彼の方へ向かった。駅に向かうにはもう一つ奥を曲がらなければいけないところ、彼が道を間違えたのだろうと思ったのだ。

 

 マーガレットが路地の入口に立ったちょうどその時だった。

 

——ポン。

 

 突然、路地の奥から大きな音が聞こえてきた。

 マーガレットは路地の中をのぞき込んだ。しかし、建物の外壁に沿って道が曲がっているため、外からだとこの奥でなにが起きたのかまでは確認することができない。

 危ないから人目のつかない場所には一人で勝手に行かないように、と彼女は保護者たちから厳しく躾けられている。そのため、本来ならこういった場所にはできる限り近づかないようにはしているのだが、今はあの音がなんだったのか確認したいという好奇心の方が勝ってしまっていた。それにこの先に誰かいるとしても、それはあの魔法使いであるはずという安心感もあった。

 

 マーガレットは一歩ずつ慎重に路地を進み、一番奥の行き止まりまでたどり着く。しかし、そこにクィレルの姿はなかった。もちろん、途中で彼とすれ違うというようなこともなかった。

 この行き止まりは三方を高い壁で囲まれている。つまり、この路地から出るならば——壁をよじ登らない限りは——道を引き返さなければならず、要するにマーガレットとすれ違わなければならないはずだ。

 しかし、クィレルがこの路地に入っていく姿を最後に、マーガレットが彼のことを見つけることはなかった。あの若い魔法使いはまるで手品(magic)のように忽然と姿を消したのだ。

 

 そこで、ようやくマーガレットはクィレルが魔法(magic)を使ってこの場から消えたのだということに気がついた。魔法ならこの不可思議な現象のことも説明できてしまう。

 

 昨日までのマーガレットなら、人が突然姿を消したことに恐怖を感じていただろう。好奇心に負け、この路地に入ってしまったことも後悔しただろう。 

でも、今日からの彼女は違う。マーガレットは魔法を知った。そして、自分の知らないことが世界にはまだまだたくさんあることを改めて知った。だからこそ、それらを学べることが楽しみで仕方なかった。

 

 

 

 不意に背後から鴉の鳴き声が聞こえた。マーガレットが振り返ると、そこにはあの青い目をした鴉がいた。

 

「ネモ、迎えに来てくれたんだね。さあ、帰ろう」

 

 マーガレットが両腕を前に伸ばすと、ネモと呼ばれた鴉は彼女の胸元に飛び込んできた。マーガレットはネモも抱きしめ、優しくその頭を撫でる。

 

「ねえ、ネモ。魔法ってすごいんだね。わたしも先生みたいな、それからお父さんみたいな魔法使いになりたいな」

 

 マーガレットがネモに語りかけると、ネモはそれに答えるかのように小さく「カア」と鳴く。

 マーガレット・マノックはこれから始まる新しい日常への期待に胸を膨らませ、夜の気配が近づく空を眺めていた。

 




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