その日、マーガレットは鴉の鳴き声で眠りから覚めた。まだ朝早いというのに、ネモは飼い主の体の上で元気よく飛び跳ねている。
今はホリデーシーズンで授業がない。そのため、朝早くに起きる必要もないので、マーガレットとしてはまだベッドに横になっていたいのだが、ネモは少しでも早く飼い主に起きてほしいらしい。
「おはよう、ネモ……」
鳴り止まない目覚まし時計を止める時のように、マーガレットはネモの頭に手を伸ばした。しかし、鴉は鳴きやまない。飼い主に二度寝をさせるつもりはないようだ。
とはいえ、マーガレットもなぜネモがこれほどまでに興奮しているのかはわかっていた。彼女は仕方なくベッドから起き上がり、ぐっと体を伸ばす。外は一面の銀世界で、窓枠には綿菓子のように真っ白い雪が積もっていた。
「雪、降ったんだね」
道理で今朝は肌寒いはずだ。マーガレットはガウンを羽織り、靴下がぶら下がる暖炉に火をくべた。パチパチと音を立てながら、炎はゆらゆらと揺らめく。マーガレットは暖炉の前に座り込み、その赤い炎に手をかざす。
「暖かい……。ネモもこっちにおいで」
ネモはベッドの上からマーガレットの膝の上へと移った。マーガレットは鴉の頭を撫でると、吊り下げていた靴下を暖炉から取り外す。ネモは「M」と「N」の文字が縫いつけられた赤い大きな靴下のことをじっと見つめていた。
「ネモ、メリー・クリスマス! 今年はどんなプレゼントが届いたかな?」
マーガレットは靴下の中に手を突っ込んだ。検知不可能拡大呪文のかかった靴下の中からプレゼントを引っ張り出すとネモはくちばしを鳴らして喜んだ。
「最初のプレゼントは……」
マーガレットは箱にかけられたリボンを解く。いくつになってもこのプレゼントを開ける瞬間というのはドキドキする。
最初のプレゼントの中身は「
マーガレットとしては一年間ずっと楽しみにしていたお菓子なのだから、すぐにでも食べてしまいたい。しかし、まだ朝食も食べていないし、こういったクリスマスのお菓子は家族といった大切な人と一緒に食べるからこそおいしい。だから、マーガレットは自分の気持ちをぐっと堪え、封印もかねて箱にリボンをかけ直した。
「お次は……」
マーガレットは再び靴下の中に手を入れた。そして、次から次へとプレゼント取り出していく。祖父からは本を、
さて、靴下の中のプレゼントも残るは一つとなった。
「きっと、これがお母さんからのプレゼントだね。今年はなにかな?」
メアリー・マノックは毎年クリスマスに手作りの品を家族に贈る。ある年はお揃いのクリスマスセーター、またある年はミトンの手袋。彼女がなにを編んだのかは、クリスマスの朝になるまでわからない。
マーガレットは「
母のプレゼント、それは手編みのマフラーだった。
マーガレットは自分とネモの首にマフラーを巻いた。それだけでマーガレットは心も体も温かくなったように感じる。マフラーを身につけたネモはぴょんぴょん跳ね、全身で喜びを表現していた。
「ネモ。わたしたち、幸せだね。こんなに素敵なプレゼントを、こんなにたくさんもらえて」
もちろん、マーガレットもプレゼントをただもらっていただけではない。祖父には書き心地の良い羽根ペンを、祖母にはグラドラグス魔法ファッション店で見つけた星の刺繍のスカーフを、母には魔法界で人気の作家の新作を、それと魔法使いの友人たちにはロンドンから取り寄せた紅茶とお茶菓子の詰め合わせを贈った。どれも相手の喜ぶ顔を思い浮かべながら選んだ品だ。
しかし、マーガレットにはまだ渡せていないプレゼントがあった。
マーガレットはサイドテーブルの引き出しから、丁寧にラッピングされた一冊の本を取り出した。別に送り忘れていたわけではない。ただ、このプレゼントだけはどうしても自分の手で渡したかったのだ。
「先生、喜んでくださるといいな」
プレゼントを抱え、マーガレットは小さく笑った。
マーガレットは闇の魔術に対する防衛術の教室の前に来ていた。例のプレゼントを抱え、コンコンとリズミカルに扉を叩く。
「先生、マノックです。いらっしゃいますか?」
教室の中で人が動く気配がした。しかし、扉は一向に開かない。マーガレットはもう一度——今度は少し強めに——扉を叩いた。
「あの、開けていただいてもいいですか? 先生にお渡ししたいものがあるんです」
コツ、コツという足音が徐々に近づいてくる。その間、マーガレットは髪を触ったり、左肩にのるネモのことをちらっと見たり、どこか落ち着かない様子だ。
扉の向こう側の気配が足を止めた。錠を外す音が聞こえ、扉がゆっくりと開く。防衛術の教室に充満していたニンニクの臭いが漏れ出し、マーガレットは思わず顔を手で覆う。
「み、み、ミス・マノック、ど、どうかしましたか?」
今日のクィレルはまた一段と疲れているようであった。顔色は悪く、声も震えている。そして、それを誤魔化すために上げている口角も、無理をしているせいかピクピクと痙攣していた。
「お休みのところすみません。あの、先生にこれを受け取っていただきたくて……」
マーガレットはラッピングされた一冊の本を差し出す。しかし、クィレルはその贈り物をなかなか受け取らなかった。
「こ、これは? わ、わ、私にですか? ど、どうして?」
「クリスマスのプレゼントです。先生、メリー・クリスマス!」
「め、メリー・クリスマス……」
プレゼントがようやくクィレルの手に渡った。彼はマーガレットからの贈り物をまばたきもせずに見つめている。それは嬉しいからというよりも、どうして自分がプレゼントをもらえているのかを理解しきれていないからといった様子であった。
「く、クリスマス……。あぁ、そうか。今日はく、く、クリスマスでしたか」
クィレルはうっすらと笑う。それは先ほどまでの作り笑いとは違う、いくぶんか自然な笑みだった。
「こ、今年はいったいど、ど、どのような本でしょうか。み、ミス・マノック、開けても?」
マーガレットはこくりと頷いた。クィレルがマッカーデン商店の包み紙を丁寧に開けると、一冊のハードカバーが姿を現す。
「今年はわたしの好きな本を先生にお渡ししたくて……。もうお読みになっていたら……、その、ごめんなさい」
「い、いえ、本はいくらあってもこ、困りません」
青い表紙には「
「か、『海底二万里』ですか」
クィレルはネモに一瞥をくれた。彼がパラパラとページをめくると、本の間から一枚のしおりが滑り落ちる。
「これは……」
「家の庭にアスターが咲いていたので、押し花にしてみました。よかったら、そのしおりもお使いください」
クィレルは押し花のしおりを拾い上げる。その青いアスターの花は夏の庭で摘んだままの美しさを保っていた。
「アスター……。あ、アスターは花占いの花でしたか」
「はい。『その花の占いを神々の
「で、ですが、その代わりこ、こうして花の姿をとどめることができます。き、き、君もずいぶんとお、押し花作りが上達しましたね……」
「それは、もちろん——」
マーガレットはにっこりと笑う。
「先生に教えていただきましたから!」
「そ、そんなこともありましたね……」
対して、クィレルはひどく沈んだ顔をしていた。
「み、ミス・マノック、こ、こうしてプレゼントをもらった以上、き、君にもなにかお返しをしたのですが、わ、私は今日がクリスマスだということを忘れていてな、なにも用意できていません。お返しはす、少し待っていただいてもいいですか」
「いえ、お返しは気になさらないでください。これもわたしが先生にお渡ししたくて持ってきただけですし」
「で、ですが……」
マーガレットは考える。優しい恩師のことだから、彼女がいらないといってもなにかしらお礼を用意することだろう。しかし、ここ最近の彼はクリスマスのことを忘れてしまうくらい疲れているようだ。そのような人物に自分へのお返しを用意してもらうのは彼女も気が引ける。
「それなら……。先生、あとで一緒にケーキを食べてくださいませんか? 祖母がブッシュ・ド・ノエルを送ってくれたのですが、わたし一人で食べるにも少し大きくて。先生も一緒に食べてくださると嬉しいです」
「そ、そ、それではわ、私がもらうばかりでは」
「でも、わたしが先生のお時間をちょうだいしてしまうわけですから……。だから、これでおあいこにしませんか?」
「わ、わかりました」とクィレルはマーガレットの提案を受け入れた。
「ありがとうございます! 去年はついにケーキを一人で丸々食べられる! と喜んだはいいものの、そのあと夕食が食べられなくなってしまって……。ブッシュ・ド・ノエルはネモに食べさせてあげるわけにもいきませんし、先生がいてくださって助かり——」
そんなことを話していると、マーガレットのお腹がグーと鳴った。彼女は途端に顔を赤らめ、恥ずかしそうに俯く。
「えっと……。その、すみません……」
マーガレットが顔を上げると、クィレルは顔を伏せたまま口元に手を当てていた。小刻みに肩が揺れていることから、彼が笑っていることがわかる。
「き、き、君は……。君はほ、ほ、本当に変わりませんね」
「あはは、そうですね。こればっかりはずっと、
朝食の席はとにかく賑やかであった。食器の擦れる音や話し声、それから魔法のクラッカーの大砲のような爆発音など、ありとあらゆる音を耳にした。ホリデーシーズンであり、多くの生徒たちが帰省しているのだから普段よりも人は少ないはずなのだが、それを感じさせないくらい大広間は活気に溢れていた。
それから、普段は厳しく生徒たちを見守る教師たちも、今日この日ばかりは肩の力を抜いていた。和やかな雰囲気の中、彼らもクラッカーを鳴らしては中から飛び出してきた帽子を被ったり、ジョークを読み上げてはクスクスと笑ったりと生徒たちと一緒になって年に一度のクリスマスを楽しんでいた。
その大広間の賑わいと比べてしまえば、マーガレットが今いるマグル学教室はとても静かだった。どれくらい静かかというと、七面鳥のローストやクリスマスプディングをお腹いっぱい食べ、今は飼い主の腕の中で眠るネモの寝息が聞こえるくらい静かであった。
マーガレットはネモを抱きかかえたまま杖を振った。すると、蓄音機から聞き慣れたクリスマスソングが流れ始める。マーガレットが鼻歌交じりにもう一度杖を振ると、教室に飾ってあったクリスマスツリーに灯りがともった。
「ネモ、見てごらん。とってもきれいだよ」
今度はマーガレットがネモを起こす番だった。ネモはゆっくりと瞼を開けると、光り輝くツリーを見上げて「カア」と感嘆の鳴き声を上げる。
マーガレットは懐中時計を見た。長針と短針が12の位置でぴったりと重なったその瞬間、誰かが教室の扉をノックした。
「先生、お待ちしてました!」
扉を開けると、そこにはマーガレットの予想どおりクィレルが立っていた。彼は古いチェス盤を両手で抱えている。
「魔法使いのチェスですか? 懐かしいですね」
「も、もし、君さえよければひ、ひ、久しぶりに遊んでみませんか?」
「いいんですか! ぜひ喜んで! 今日こそは負けませんよ」
クィレルを迎え入れるため、マーガレットは教室の扉を大きく開けた。
「そうだ。こうしてこの教室で先生とお会いすることは多かったですが、今日はわたしが出迎える側なんですね」
「そ、そうですね」
マーガレットは悪戯っぽく笑う。
「先生、マグル学教室にようこそ」
クィレルはひどく懐かしい言葉を聞いたような気がした。
「び、ビショップをC5へ。——チェック」
「えっと……。クイーンをC5へ」
白のクイーンが黒のビショップを盤の外に弾き出した。しかし、マーガレットの表情は晴れない。
「ナイトをH5へ。——チェックメイト」
クィレルはニヤリと笑った。負けたマーガレットは天を仰ぎ、大きなため息をつく。ネモは飼い主を励ますため、彼女の左頬に体を寄せた。
「負けました……。去年一年は論文を書くために、また一からチェスの勉強をしたり、マクゴナガル教授にも相手をしていただいたりして、少しは上手くなったつもりだったのですが……。あはは、やっぱり先生はすごいです」
「そ、そうでしょうか」
「そうですよ! だって、わたしは今まで一度も先生に勝てていないんですから」
ネモの頭を撫でながら、マーガレットはあっけらかんと笑った。勝ちたいという欲がないわけではない、負けて悔しくないわけでもない。しかし、マーガレットにとって、このクィリナス・クィレルという人物は常に自分の一歩も二歩も先を歩く人であり、彼女がずっとその後を追ってきた人である。
だからこそ、彼に
「た、たしかに、チェスはいつも私がか、か、勝っていますね。で、ですが、それはき、君の手筋がわかりやすいからで……。あ、あぁ、み、み、ミス・マノックがへ、下手だというわけではなく、き、君と何度もチェスをするうちに弱点がわ、わかったといいますか……」
だからいつも勝てないのか、とマーガレットは納得した。マーガレットもなんとなく恩師の戦術などはわかっているつもりでいたが、それはお互い様であったわけだ。
「た、たしかに、み、ミス・マノックのチェスの腕は上がっていました。で、ですが、君の戦い方の癖は変わっていなかった。だ、だから、君に勝つことができた」
「先生がお気づきになった戦い方の癖を、わたしにも教えてくださいませんか? 先生みたいにもっとチェスが上手くなりたいんです!」
クィレルは思い出した。かつて、「先生みたいにもっと魔法が上手くなりたいんです!」とマグル学教室に何度も足を運んでいた少女がいたことを。そして、そのなんでも知りたがる少女に自分はなんでも教えようとしていたことを。
「そ、そ、そうですね……。例えば、君はキングを守ることにばかり集中してしまう。たしかに、キングを取らせないことはなによりも重要です。しかし、キングを守ろうとするあまり、相手のキングを狙うことがおろそかになってしまっては、どんな試合も勝てませんよ。それから——」
そして、クィレルは思い出した。今、自分が話しかけているのは魔法界のことをなにも知らない“マグル育ち”の少女ではないことを。そして、その少女がホグワーツの教員として自分と肩を並べられるようになるまでに成長していたことを。
「ミス・マノック、この話はこれくらいにしましょう。こ、これ以上、君が上手くなったわ、わ、私が勝てなくなってしまう」
「そうですか……」
マーガレットは見るからにしょんぼりとしていた。
「昔のように、なんでもかんでも先生に教えていただくわけにはいきませんもんね……」
しかし、彼女ももう大人である。次の瞬間にはパッと明るい顔になり、何事もなかったかのように笑う。
「先生、そろそろケーキでもいかがですか? もう少し遅くなってしまうと、わたしがまた夕食を食べられなくなりそうですし」
「そ、そうですね。そろそろ、食べましょうか」
「では、準備してきます! 先生、少しお待ちくださいね。おいしい紅茶も淹れてきますから」
マーガレットはネモを連れ、ティーセットが置いてある
一方、一人マグル学教室に取り残されたクィレルは頭を抱え、小さな呻き声を漏らす。
「マノック、君は本当に変わらないな」
そう呟く彼の顔には自嘲気味な笑みが滲んでいた。
前回の投稿から二週間以上あいてしまいました。お待たせしてしまい申し訳ありません。
このようなのんびり不定期更新の作品ですが、お気に入り登録をして次話を待っていてくださる方や、評価や感想で応援してくださる方がたくさんいてくださり、とても嬉しいです。
さて、前回のあとがきで触れました書き直しについて、この場でご報告させていただきます。書き直した内容についてと、どのように取り入れたのかという自分なりの解釈についても述べさせていただければなります。(なお、ホグワーツの謎のネタバレとなる記述もありますのでご注意ください)
①ホグミス主人公たちとクィレル先生の関係性(第1章第3話)
書き直し前→授業を教えたこともないし、直接話したこともない。城内で見かけたり、マーガレットとの会話の中で話題になったことがあるといった程度
書き直し後→授業を教えたことはないけれども、インタビューを受けたことがある
「ホグワーツの先生達の特別なお祝い!」クエストは2年次から遊べるそうですが、本作では3年次(マーガレットが4年生の年)にあったイベントということになっています。マーガレットが4年になる年にクィレル先生が助手から教授になるという本作の設定とすり合わせるため、このように解釈しました。「もうすぐ長期の有休休暇でヨーロッパを旅する」というクィレル先生の発言とはずれが生じてしまうのですが、そこは本作での設定の方を優先させていただきました。(クィレル先生が長期休暇を取ることをマーガレットは卒業式の前日まで知らなかったので)
ちなみにですが、ホグミス主人公の性別や所属寮はあえて決めないで書いています。
②マグル学教室の内装や授業風景(第1章第5話)
書き直し前→机と椅子と黒板だけといったシンプルな教室。大学にあるような大教室のイメージ
書き直し後→教室兼資料室。様々なマグルの製品で溢れている。授業では今や懐かしきOHPを使う
ホグワーツでは電化製品が使えないとされてますが、これに対する作者なりの考えと本作での設定を書かせていただきます。魔法が干渉するから電化製品は本来使えないのですが、本作では動力を電気以外に置き替えられるか否かをホグワーツでも使うことができるかの線引きにしています。ですので、OHPは電球ではなく炎などを光源に使えばOK(とはいえ、かなり無理がありそう)、今回の話で出てきた蓄音機はそもそもぜんまい式だからOKといった感じです。反対に、音を電気信号に変えて伝える電話などはその性質上ホグワーツでも使えるようにするのが難しいのかなと思います。
今後もこういったホグワーツならではの電化製品を登場させられたいいなと考えております。
長々としたあとがきでしたが、お読みくださりありがとうございました。