「クィレル君、いよいよ明日は君の初仕事だねえ」
シカンダー教授に声をかけられ、クィレルはびくりと顔を上げた。彼の灰色の目の下にはうっすらとくまができている。
「仕事熱心なのは大いに結構。しかし、最近あまり眠れていないようだが、大丈夫かい? 大切な仕事の前だ。今日はもう横になった方がいい」
「い、いえ……。た、大切な仕事ですから、なおさらし、失敗するわけにはいきません」
そう言いながら、クィレルは羊皮紙の封筒にエメラルド色のインクで書かれた住所を手元においたロンドンの地図で何度も確認していた。
「し、心配なんです。し、失態を演じてしまうのではないか、わ、わ、笑われてしまうのではないかと……。シカンダー教授。わ、私はやはり教師にはむ、む、向いていない。い、今からでもチャリティを助手にした方がよいのではないでしょうか?」
「バーベッジ嬢かね?」
「チャリティならだ、誰を相手にしていても常に堂々としていますし、こ、この入学証を届ける仕事もマグルの家に行けるのだと喜んだことでしょう。……わ、私よりもよほどこの仕事向きだ」
チャリティ・バーベッジはクィレルよりも一年早くホグワーツを卒業した女性で、今は新進気鋭のマグル学の研究者だ。クィレルは自身よりも彼女の方が教師としての能力も、研究者としての熱意もあるように感じていた。
「たしかに、彼女はこの仕事に関してなら喜んでやってくれただろうねえ。だが、バーベッジ嬢にはホグワーツで働くことはできないと断られてしまったのだよ。教師となってしまえば、ここからはあまり離れられない。彼女は研究室で集めた文献を読み漁るだけよりも、実際にその目で世界を見てまわりたいそうだ。いや、フィールドワークとは羨ましい」
そう語るシカンダー教授はどこか遠い目をしている。
「しかし、いい時代になったものだねえ。数年前までは研究のためにホグワーツを出るなど危険すぎて考えもしなかったよ。だが、『例のあの人』がいなくなった今はこそこそと隠れて論文を書く必要もないし、城の外にいる家族の心配をする必要もない。それに、バーベッジ嬢やクィレル君のように、マグル学を好きだとか楽しいと言ってくれる若者も少しずつ増えてきている。僕が長くこの仕事を続けてきたなかで今が最もいい時代だよ」
「な、ならば、私などにあとを任せず、まだ続けられたらいいではないですか」
「クィレル君、君は定年というものを知っているかい? なんでもマグルはある年齢まで歳を取ったら仕事を辞めるそうじゃないか。ならば、マグル学教授である僕もマグルの流儀にのっとり、後進に道を譲るべきだと思うのだよ。それに、定年後のマグルは悠々自適な第二の人生を謳歌するそうだが、僕にもやってみたいことがあってねえ」
シカンダー教授はデスクの引き出しの奥から飛行機の玩具を取り出すと、それを魔法で浮かび上がらせた。ブリキの飛行機は教授の杖の動きに合わせてクィレルの頭上を飛び回る。
「クィレル君、君は飛行機には乗ったことはあるかい?」
「は、はい。旅行の際に何度か」
旅が好きだったマグルの父の影響で、クィレルも幼い頃からよく旅行に出かけていた。そのため、ヒースローからダブリンやシャルル・ド・ゴールに向かう飛行機にも彼は乗ったことがある。
「そうか。いや、なんとも羨ましい。クィレル君、僕は飛行機に乗りたいのだよ。行先はどこでもいい。ただ飛行機に乗りたい。というのも、僕は飛行機に一度も乗ったことがない。僕にとって飛行機は下から見上げるだけものだった。おかしな話だろう? 授業で生徒たちにはマグルの素晴らしい発明だと教えているのに、その教師が一度も体験したことがないなど」
シカンダー教授は長いこと上を見上げていたが、ふとクィレルに目線を向けた。
「だから、クィレル君に次の教授になってくれないかと声をかけたのだよ。君は僕とは違う新しい知識を持っている。その知識をこれからのマグル学のため、ホグワーツのために生かしてほしい」
「しかし、わ、私では……」
「なに、心配することはない。マグル学は僕が長年誇りを持って教えてきた教科。それを君になら任せたいと思ったのだ。それだけ君に期待しているということだよ。これでも僕は目利きには自信があってだね、君は君自身が感じているよりもずっと教師に向いていると思うのだよ」
クィレルはこの教授が自分のどこに教師の適性を見出しているのかわからなかった。だが、面と向かって「期待している」と言われてしまうとどうにも断れない。
自分の力を認めてもらえるのなら、自分のことを必要としてくれるのなら教師の仕事も悪くはないのかもしれない、そう思ってしまうのだ。
「き、期待にこたえられるようど、努力します」
「その調子だよ、クィレル君。それに君は明日のことで色々と心配しているようだが、なに大丈夫さ。相手は魔法界のことはなにも知らないマグル出身の子供。こういう簡単な魔法を一つ見せてあげるだけで奇跡だと大喜びだよ」
シカンダー教授が杖を振ると玩具の飛行機は空中停止した。彼がもう一度杖を振ると、今度は垂直降下でデスクの真ん中に着陸する。その動きがクィレルにはヘリコプターのように見えた。
「だ、だといいのですが……。じ、実は私が今回入学証を届けにいく生徒は教授がおっしゃるようなま、ま、マグル出身の子供とは少々違うようなのです」
「おや、そうなのかい?」
「ち、父親がホグワーツの卒業生とのことで……。し、シカンダー教授、マノックという名前はご存知でしょうか?」
「マノック?」
シカンダー教授の顔が驚きの色に染まる。彼がなにか知っている様子なのは誰の目から見ても明らかであった。
「まさか——。クィレル君、君が明日会いに行くその新入生の名前は?」
「ま、ま、マーガレット・マノックという生徒です」
「ということは、あの時の……」
「か、彼女のことをご存知でしたか。ど、どんな子供なのでしょうか?」
シカンダー教授は首を横に振る。
「いや、名前だけだよ。彼女の父親と祖父のことなら、まあそれなりに知っているのだがね」
「そ、そ、祖父のこともですか?」
今度はクィレルが驚きの表情を見せる番であった。新入生の父親について聞くつもりが、まさかそのまた父親についても話を聞けるとは思ってもいなかったのだ。
「ああ。マノックは僕の同級生だったのさ。マノックの家系は代々レイブンクローに組分けられるようで、彼自身ももはや執着といってもいいほど知識欲が強い孤高の人だった。その息子のマイケル・マノック君も賢く、優秀な生徒でね。あんなことさえなければ今頃は……」
教授の言う「あんなこと」がいったいなんであるのかがクィレルにはわからない。だが、教授のどこか苦しそうな顔を見てしまうと軽々しく尋ねることはできなかった。
「でも、そうか。その子供も魔法使いだったのか。クィレル君、これはまだ僕の想像でしかないのだが聞いてほしい。明日、君がその入学証を渡すマノック嬢だが、彼女はきっと好奇心旺盛なお嬢さんだよ。だから、君の話だって興味津々に聞いてくれるさ」
「それならと、とてもありがたいですが、な、なぜそうお考えになったのですか?」
クィレルに問われ、シカンダー教授は笑みを浮かべる。どうやら教授は自身の予想に相当な自信を持っているようだ。
「なぜって、彼女はあのマノックの家の子だ。首席の祖父と、12ふくろうの父を持つ娘。彼らはもうこの世にいないとはいえ、彼女にはその
強い好奇心と高い探究心を持ち、知識に貪欲。マーガレット・マノックがこのとおりの少女であったことを、クィレルはそう遠くないうちに知るのであった。
マーガレット・マノックとクィリナス・クィレルが初めて出会ったのは1983年の夏のこと。そして、二度目の出会いはその一週間後、三度目の出会いはそのおよそ一ヶ月後の9月2日のことであった。
この日、所用で図書館へと出かけたマグル学教授に代わり、クィレルは教室の後片付けをしていた。作業自体は物を運んだり、器材の掃除をしたりと簡単なものである。だが、こうして一人で黙々と仕事をしていると、どうしても今日の自分の仕事ぶりが頭をよぎってしまう。
「……私はマグル学の助手を務めるクィリナス・クィレルです。どうぞよろしく」
生徒たちを前にして何度も言葉を詰まらせた自己紹介も、独り言ならば自然に言える。シカンダー教授はクィレルのことを教師向きだと評していたが、彼自身あまりそうは思えていなかった。
やはり自分には教師の仕事などできっこないのではないか、とネガティブなことばかり考えてしまう。
だが、教室の扉をノックする音に彼の思索は邪魔をされた。シカンダー教授なら自分の教室なのだから勝手に入ってくるはずだろうし、放課後のこの時間にわざわざ訪ねてくる生徒がいるようにも思えない。だがしかし、このまま扉を開かないわけにはいかなかった。
クィレルは恐る恐る扉を開ける。すると、そこには肩に
「クィレル先生、こんにちは!」
「み、ミス・マノック、こんにちは……」
マーガレットはクィレルの姿を見て、顔をぱっと輝かせる。「またホグワーツで会いましょう」とは言ったものの、まさかこんなに早くやってくるとは思っていなかった。だが、あまり悪い気はしない。
「先生、時計とそれからアイスのお礼をお渡ししにきました。その、受け取ってください」
「あ、ありがとうございます」
クィレルはマーガレットが大事そうに抱えていた緑色の包みを受け取った。「
「紅茶とビスケットです! とってもおいしいですよ!」
「こ、これは……。あぁ、ロンドンの老舗百貨店のものですね。い、いいものをいただきました。ありがとう」
クィレルの言葉を聞き、マーガレットはほっとした表情を浮かべた。この少女は本当によく表情が変わるものだ、とクィレルは思う。
「み、ミス・マノック、よくこの教室がわかりましたね」
「監督生さんに聞きました。行き方を忘れないようにメモもとったんですけど、何度か迷ってしまいました」
「それは……。た、大変だったでしょう」
マーガレットはこくりと頷いた。彼女の肩の上の鴉も首を縦に振っている。
「でも、色々なものが見られてとっても面白かったです! ホグワーツってこんなに摩訶不思議なところだったんですね。もうすっかり気に入っちゃいました」
「ならよかったです」
楽しそうに語る少女の姿を見ていると、クィレル自身もなぜだか楽しい気持ちになる。だからだろうか、彼はつい口を滑らせた。
「それはよかった。そ、そうだ。み、ミス・マノック、この教室まで来るのに疲れたでしょう。一息入れるついでに、少しお話していきませんか? き、君が持ってきてくれた、ビスケットでも食べながら」
自分にはまだ仕事がある。それに、人と話すこともあまり得意ではない。けれど、今だけはそんなことなど忘れ、ただ彼女と話がしてみたいと思ってしまった。
「いいんですか! ぜひ喜んで!」
クィレルからの誘いにマーガレットはとびきりの笑顔でこたえる。白い歯をのぞかせるその心の底から嬉しそうな笑い方はクィレルに安心感を与えた。
クィレルは教室の扉を大きく開け、彼女のことを迎え入れる。
「ミス・マノック、マグル学教室へようこそ」
クィレルは向かい合って話ができるよう研究室にマーガレットを通した。少女はふかふかのソファーに腰を下ろすと、目をきらきらと輝かせながら部屋中を見回している。彼女の膝の上の鴉も飼い主と同じように首をせわしなく動かしている。
「み、ミス・マノック、紅茶はお好きですか?」
「はい! もちろん大好きです」
「そ、それはよかった。す、すぐ用意できるのが、それくらいしかないもので」
そう言って、クィレルは軽く杖を振った。すると、湯気が昇る二つのティーカップがテーブルの上に姿を現す。マーガレットは息を呑み、ベルガモットが香る紅茶と向かい側に座るクィレルのことをまじまじと見つめていた。
「クィレル先生、その、今のも魔法ですか?」
「は、はい。これも魔法です」
マーガレットは大きく息を吐く。
「すごいです! こんなことができる魔法もすごいし、それを使いこなす先生もすごいです!」
「い、いえ。こ、こ、これくらいはたいしたことありませんよ」
魔法界との接点をもたずにずっとマグルとして生活していたため、マーガレットは目にする魔法のすべてに驚き、感動していた。だから、魔法界での生活が長いクィレルからしてみれば彼女の反応というのは少々大袈裟にも感じられる。
だが、自分のことを「すごい。すごい」と称賛してくれるこの生徒の存在が彼にとっては非常に心地よかった。
「そうですか? でも、わたしはそんなことないと思いますよ。だって、わたしは先生みたいには魔法を使えないですから。あの、今日は変身術の授業があって、マッチ棒を針に変える呪文を習いました。でも、ちっともうまくいかなかったんです。その、ようやくわたしも魔法を使えるんだってとっても楽しみだったのに……」
マーガレットは見るからにしゅんとしている。
「は、初めはみんなそうですよ。それに、わ、わ、私もどちらかといえば実技が不得意な方でした」
「先生がですか?」
「は、はい。き、き、君と同じくらいの歳の頃は呪文がうまく唱えられずに、く、苦しい思いをしました。いくら練習をしても、そ、それでも授業では失敗ばかり。ま、ま、周りからはいつもか、からかわれていました」
あまり振り返りたくない過去について語ってしまい、クィレルはしまったと思った。ふと顔を上げ、マーガレットの表情を確認する。だが、そこには彼が恐れていたような蔑みや嘲りの色はなかった。
「あの、クィレル先生の気持ちが少しわかります。わたしも事故のあと、できないことやわからないことが多くてつらかったです。それに、周りの人のことが怖くなることもありました。だって、みんなが知っていることを、その、わたしだけが知らなかったんですから……」
マーガレットはネモを胸に抱きしめ、悲しそうな顔をする。クィレルは彼女もまた自身の触れたくない過去について口にしたのだということを悟った。
「……す、少し紅茶が冷めてしまいましたね。それから、び、び、ビスケットも食べましょうか」
クィレルは再び魔法で紅茶を用意し、マーガレットのお礼の品の中から円筒型の缶を取り出した。
「み、み、ミス・マノック、君は甘いものが好きでしたね。あ、甘いものを食べるとし、幸せな気持ちになりますよ」
「ありがとうございます、先生」
ビスケットを口にし、マーガレットはみるみるうちに笑顔になる。
「うん。久しぶりに食べましたが、ここのビスケットはやっぱりおいしいです!」
「ひ、久しぶりでしたか」
「はい。その、前にわたしとネモで全部食べてしまって、お母さんに怒られちゃったんです。だから、なかなか買ってもらえなくて……」
クィレルは思わず苦笑いを浮かべた。フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリームパーラの一件で知ってはいたことだが、この少女は好奇心だけでなく、食欲も相当強いらしい。
「そ、それなら、今日は思う存分食べていったらいいですよ。いざとなれば、このビスケットの数を増やしたり、大きくしたりすればいいのですから」
「それも魔法ですか?」
クィレルが頷くとマーガレットとネモは喉を鳴らした。それがおかしくて、クィレルはよけいに顔を綻ばせる。
彼の言葉に甘え、マーガレットは再びビスケットに手を伸ばした。クィレルはその様子を見つめながら紅茶を啜る。
「さ、先ほどの話の続きになりますが、か、かつての私はたしかにろくに呪文も唱えられないような、そんな学生でした。で、ですが、今の私は違います。現出も消失も、肥大も縮小も魔法で思いのまま。わざわざ呪文も唱える必要もなければ、ホグワーツでは学べないような闇の魔術も知っている。私を馬鹿にした誰よりも本を読み、勉学に励み、知識をつけることで私は力を手にすることができました。そう、知識は力なのです」
言い終わってから、少々話し過ぎたかもしれないとクィレルは思った。マーガレットが相手だと彼はどういうわけか
「知識は力……。あの、それならわたしもクィレル先生みたいになれますか?」
「わ、わ、私みたいにですか?」
「はい! たくさん勉強して、いろんなことを知って、わたしも先生みたいな賢い人になりたいんです!」
マーガレットは屈託のない笑みを浮かべる。彼女の青い瞳はきらきらと輝いていた。
「だって、先生はわたしの憧れですから!」
マーガレットのなにげない一言にクィレルは一瞬思考が止まった。「先生はわたしの憧れ」——その言葉を頭の中でなんでも反芻する。
「ふっ……。ははは、はは」
突然、クィレルが声を上げて笑い始めた。彼がなぜ笑っているのかがわからないマーガレットはきょとんとしている。
「クィレル先生? あの、その……。わたし、なにかおかしなことを言っちゃいましたか?」
「いいえ。いえ、ちっとも! むしろ、憧れと思われていることが嬉しくて……」
劣等感に苛まれ、みんなを見返してやりたいと思いから学問に打ち込んだ少年時代。どんなに闇の魔術の理論に通じようと、どんなにマグル学では優秀な成績を修めようと彼の欲求は満たされぬままだった。
しかし、今この時は違う。彼の対面にいるマーガレット・マノックという少女は彼が求め続けていた尊敬のまなざしを向けてくれる。それに、彼がほしくてたまらなかった賛美の言葉も贈ってくれる。
どうりで、どうりで彼女の存在が心地よく、口も軽くなるはずだとクィレルは合点する。
「私が憧れ、ですか……。ならば、君の夢が叶えられるように私も力を貸します。ミス・マノックの知りたいこと、学びたいこと。そのすべてを私が教えましょう」
自分が知識を授ければ、自分が力を見せつければ、この少女は惜しみのない称賛を浴びせかける。クィレルはそう理解した。
一方、マーガレットはその下心に気づくことなく、クィレルに対して熱い視線を向けている。
「ありがとうございます、クィレル先生! その、学びたいことが、知りたいことがたくさんあるんです。でも、どうしよう。いっぱいありすぎて、まずはなにを教えてもらえば……」
マーガレットは目をつむり、うーんと小さな唸り声をあげた。彼女はずいぶんと悩んでいる様子だ。
「ミス・マノック、それならこの呪文はどうですか?」
クィレルは杖をマーガレットの方に向け、変身させたいもの輪郭を思い浮かべながら杖を振った。すると、マーガレットの膝の上でネモがグルグルと回り始め、次の瞬間にはゴブレットに姿を変える。
「ネモが変身しちゃった……」
マーガレットはぽかんと口を開けたまま、漆黒の杯を見つめていた。
クィレルがもう一度杖を振ると、ゴブレットは
「これは『
クィレルの言うとおり、まだマッチ棒を針に変えることもできないマーガレットにとって、動物を無機物に変えるこの呪文の習得は難しい。しかし、だからこそ彼はあえてこれを選んだのだ。
呪文が難しければ難しいほど、習得に時間がかかればかかるほど、この少女は自分のことを頼ってくるはず。そして、自分が教え導き続ける限り、彼女からの感謝と称賛を一心に浴びることができる。
「どうですか? 一緒にやってみませんか?」
クィレルの誘いにマーガレットは大きく頷いた。裏の事情はどうであれ、クィレルの魔法はたしかに少女の心を掴んでいた。
「わたし、頑張ります! クィレル先生のように、きっと知識を力にしてみせます!」
こうしてクィレルとマーガレットの最初のマンツーマンレッスンが始まった。
理論を説明すればマーガレットは興味深そうに相槌を打ちながらメモを取り、杖の振り方を実演すればその無駄のない動作に感嘆の声を上げる。そして、その反応の一つ一つがクィレルを喜ばせた。
だから、マーガレットにとっても、クィレルにとっても、この時間はとても楽しく、心地の良いものだった。しかし、楽しい時間というのはいつもあっという間に過ぎてしまう。
「クィレル君、お客さんかい?」
クィレルもマーガレットも会話に夢中になっていたものだから、その声が聞こえるまで部屋に誰かが入ってきていたことにも気がつかなかった。マーガレットは後ろを振り返るとそこには高齢の男性が立っている。
「し、シカンダー教授!」
「いや、教室の片付けが済んでいないようだったからどうしたのかと思ってね。よかった、ここにいたのか」
「す、す、すみません……」
クィレルは肩をすくめた。マーガレットの相手をしていた時とは真反対の自信のなさそうな顔をしている。
「クィレル先生、ごめんなさい。その、わたしがお邪魔をしちゃったんです」
「い、いえ。君を誘ったのはわ、私ですから」
「おや、誰かと思えば君はマノック嬢か!」
シカンダー教授はぽんと手を叩くと、その手をマーガレットに向けて差し出した。
「僕はマグル学を教えているシカンダーだ。どうぞよろしく」
「わたしはマーガレット・マノックです。その、よろしくお願いします」
マーガレットとシカンダー教授は握手を交わす。その間、教授は彼女の青い瞳をじっと見つめていた。
「なるほど。君はお父さんともおじいさんとも同じ目をしているね」
「シカンダー教授はお父さんを知っているんですか!」
マーガレットは驚き、思わず大きな声を上げる。
「もちろん。君のお父さんは僕の教え子の一人だったんだ。それから、君のおじいさんは僕の同級生でね。僕はマノックと名のつく人にはなにかと縁があるようだ」
「あの、ホグワーツでのお父さんはどんな人だったんですか?」
「うむ、そうだね……」
マーガレットの問いかけに、シカンダー教授は少々悩んでいるようだった。
「そうだな。彼は君も着ているその青いローブにふさわしいような、真面目で賢い生徒だったよ」
「お父さんもレイブンクローの生徒だったんですか!」
興奮しているのか、マーガレットの顔が赤くなる。彼女の青い瞳の輝きもますます強さを増した。
「マノック嬢はお父さんと同じレイブンクローで嬉しいのだね」
「はい! まさかお父さんもレイブンクローだっただなんて……。お父さんとも、クィレル先生とも同じでとっても嬉しいです!」
「そういえば、クィレル君もレイブンクローだね。でも、そうか。君がこうして喜んでくれるのなら、マノック君も君がホグワーツにいること、同じレイブンクローの生徒になったことをきっとあの世で喜んでくれているさ」
シカンダー教授の言葉を聞き、マーガレットはにっこりと笑う。だが、シカンダー教授の方はなぜだか悲しそうな顔をしていた。
「さて、諸君。そろそろ夕食の時間だ。マノック嬢、君は急いで大広間に向かった方がいい。入学したばかりなら、この城はなにかと迷いやすい。常に時間には余裕は持っておくことが大事だよ」
マーガレットは新品の懐中時計を見た。たしかに夕食の時間が刻一刻と迫ってきている。
「本当だ……。でも、わたしはまだクィレル先生と——」
「み、み、ミス・マノック、この続きはまた今度にでも。も、もとより、今日一日ですべて教えられるとは思っていません。わ、わ、私は君に時間をかけて教えていければと考えています」
「あの、クィレル先生。それなら、また会いに来てもいいですか?」
「もちろん。私はいつでもここで、き、君のことを待っていますよ」
クィレルは柔らかい笑みを浮かべ、しっかりと頷いた。
「ありがとうございます! 先生が待っていてくださるだなんて、とっても嬉しいです」
マーガレットは呪文の練習台にされて疲れ果てているネモを抱きかかえると、すっとソファーから立ち上がる。
「今日はもう戻りますね。その、お邪魔しました。シカンダー教授、もしよろしかったらまたわたしのお父さんのことを教えてくださいませんか? わたしはお父さんがどんな人だったのかもっと知りたいんです。それから、クィレル先生。今日は本当にありがとうございました。先生のおかげでわたしも少し魔法を使う時のコツがわかってきました。だから、これからももっともっとたくさんのことを教えてください! それと、紅茶とビスケットもとってもおいしかったです!」
一度は部屋の外に出たマーガレットであったが、扉の隙間からもう一度だけ姿を現した。
「先生、また会いましょう!」
そう言って、マーガレットは手を振りながら研究室を去っていた。
「……クィレル君」
「は、は、はい」
授業の後片付けをすっぽかしていたのだ。シカンダー教授からお叱りを受けるものだとばかり思い、クィレルは身構える。
「君、ずいぶんとあのお嬢さんに懐かれたねえ」
「す、す、すみません?」
「おや、どうして謝るんだい? もう生徒から慕われているなど、とてもいいことではないか」
シカンダー教授は嵐のように去っていった先ほどのあの少女のことを思い浮かべていた。
「好奇心旺盛で勉強熱心。それに鴉も連れているとはさすがマノックの子供だ。だが、彼女はちゃんと甘えられる大人を見つけられたようで安心したよ。クィレル君、あのお嬢さんにどんなことを教えてあげたんだい?」
「へ、変身術を教えていました。で、で、ですが、彼女はまだまだま、魔法には不慣れでしたので、まずは杖の握り方やイメージも持ち方といったき、基礎的なことを中心に話しました」
「なるほど、生徒の出来に合わせて教え方を変えたのか。僕が思ったとおり、やはりクィレル君は教師に向いている。だから、あのお嬢さんだって君にまた教わりたいと思ってくれたのさ。クィレル君、人に物事を教えるこの教師の仕事というのは案外面白いものだろう?」
青年は少女を通し、理想の自分の姿を見た。そして、少女もまた青年を通して憧れの父の姿を見ている。
——順調に回り出したかのように思われた運命の歯車にはわずかな狂いが生じていた。
これが書きたかった!!(Part2)
頭のいい男性キャラクターが年下の女の子にクソデカ感情を向けるのが大好きなんだ……。
まあそれはそれとして。
前任のマグル学教授のお名前はホグミスに登場するマグル学の先生から拝借しました。名前は同じだけれども全くの別人という設定です。
もともと原作にはバーベッジ教授がいるのに、ホグミスがわざわざオリジナルキャラクターを用意するってことはもしや敵なのでは? 作者は訝しんだ。