「マーガレット、誕生日おめでとう」
「こうして君の誕生日を祝えて嬉しいよ」
「ケーキにアイスクリームにチョコレート。あなたが好きなものをなんでも用意したわ」
1992年7月26日。今日はマーガレット・マノック21歳の誕生日。
家族四人と二羽の
「今年もありがとう!」
マーガレットが22本のろうそくを吹き消すと、盛大にクラッカーが鳴った。鴉の親子もくちばしをカチカチと鳴らしてお祝いしている。
メアリーはバースデーケーキをホールのままマーガレットの元に運び、ネモの前にはカップケーキを置いた。マーガレットはそのカップケーキにろうそくを立て、火を灯す。
「こうしてお祝いするのは16度目だね」
そう、今日の主役は一人ではなかった。
7月26日、それはマーガレットの誕生日。そして、ネモの誕生日。
「ネモ、お誕生日おめでとう!」
今度はネモがろうそくを消す番だった。鴉は羽を大きく広げ、思い切り羽ばたく。
「ネモはどんなお願いをしたのかしら」
ろうそくから立ち上る煙を見つめながら、メアリーがそんなことを呟いた。
ちょうど夏休みの期間ということもあり、マーガレットが誕生日を実家で家族と共に祝うのは毎年の恒例となっていた。
母が作った絶品のケーキを朝から頬張る。それが今も昔も変わらないマーガレットの誕生日の過ごし方。
そして、誕生日のお楽しみはもう一つあった。
「マーガレット、私からのプレゼントだ」
マッカーデン氏は一冊の本をマーガレットに手渡す。祖父からは毎年、彼が選んだ珠玉の一冊をもらう事がお決まりとなっていた。
「ありがとうございます」
年季の入った革の背表紙とそこに箔押しされたタイトルを見て、マーガレットは目を見開いた。
「『
「そう、そのまさかだよ。およそ百年前に出版されたものだ」
ページは多少茶色に変色しているものの、目立った傷や汚れもない。ずいぶんと大切に扱われてきた本のようだ。
「その本は私の父が残したコレクションの一つでね。言ってみれば、家宝のようなものだ。だが、このままでは宝の持ち腐れ。こういうものは知識と同じように受け継がれてこそ意味がある。マーガレット、受け取ってくれるかい?」
「こんな貴重なものを……。もちろん、大事にします」
マーガレットはたくさんの想いが詰まっているこのプレゼントがとても嬉しかった。
「喜んでもらえたようでなにより。実は、君が成人したら渡したいと、ずっと考えていたものなんだ」
「成人したら、ですか?」
マーガレットは首を傾げる。
彼女はすでに酒を嗜んでいるし、姿現しの試験にも合格している。マグルとしても、魔法族としてもすでに成人しているのだが。
「えっと……。そういえば、昔の法律は21歳で成人、でしたっけ?」
「そのとおり。君が生まれる少し前に変わってね。今は18歳で成人とされているが、やはり21歳の誕生日にもなにか特別なお祝いがしたい。そう思ったのさ」
アンティークショップを営むというだけあり、マッカーデン氏は歴史や伝統を重んじる人である。
「だが、こう何度もお祝いをしていたら、その特別感もなくなってしまうかな?」
「いえ、とっても嬉しいです。だって、こんなに成人を祝ってもらえた人なんてそうそういませんから。
17歳の時に魔法族として、18歳ではイギリス国民として、そして今日とマーガレットは3度も成人を迎えた。だから、21歳の誕生日はいつもよりも少し特別な記念日になったのだった。
その夜、マーガレットは本を読んでいた。読んでいるのはもちろん祖父から譲り受けたばかりの初版本だ。
「そうだ、ネモ」
マーガレットはふとペットの鴉に声をかける。
「ネモは自分の名前の由来を知っている?」
ネモはマーガレットに向かって「カア」と鳴くと、本の背表紙を軽くくちばしで叩いた。
「そう、よく知っているね。ネモの名前はこの『海底二万里』のネモ船長からもらったの」
そう言って、マーガレットはオルガンを弾く男性の挿絵を指さす。
「実はね、ネモが生まれた日におじいさまからもらった本も『海底二万里』だったの。お父さんが一番好きな本だったから、なんだって」
マーガレットは本棚から一冊の本を取り出した。箔押しされた題字が少し掠れていて、持ち主がその本を何度も読んでいることを物語っている。
「ネモと初めて会った時、わたしがこの本を持っていたからネモって名前になったの。ネモ船長にちなんでネモ。そういえば、主人公のアロナクスっていう案もあったかな。もしかして、ネモはそっちの方がよかった?」
マーガレットの問いにネモははっきりと首を横に振った。
「あはは、そうだよね。わたしがネモに最初にあげた誕生日プレゼント、気に入ってくれてて嬉しいな」
マーガレットは本をベッドサイドに置き、ネモのことを抱きしめる。そうしていると、なぜだか心が温かくなった。
「お誕生日おめでとう。ネモ、これからもよろしくね」
マーガレットはネモを抱きしめたまま、眠りについた。
——マーガレットは夢を見ていた。
「マーガレット、お誕生日おめでとう」
母がそう言った。
「こうして君の誕生日を祝えて嬉しいよ」
祖父がそう言った。
「ケーキにアイスクリームにチョコレート。あなたの好きなものをなんでも用意したわ」
祖母がそう言った。
1979年の7月26日。今日はマーガレット・マノック7歳の誕生日。
家族
だが、主役の表情は暗かった。
少女はまだ事故の傷が癒えない片腕を三角巾で吊り、パーティーハットの下には包帯を巻いている。彼女は数日前に病院から戻ってきたばかりだった。
「誕生日と退院のお祝いだから、たくさん食べてね。でも、その前に……」
少女の母はライターを取り出すと、ケーキのろうそくに火を灯す。八つの小さな炎がゆらゆらと揺れていた。
「マーガレット、火を消して」
「消せば、いいの?」
「そう。心の中でお願いごとをして、一気に吹き消すの」
「どうして?」
わざわざつけた火をどうしてすぐに消してしまうのだろうか。少女には理由がわかない。
だが、博識な祖父がそのわけを教えてくれた。
「誕生日にするおまじないのようなものさ。そうすると願いが叶うと言われているのだよ」
「そう。どんなお願いでもいいのよ。お菓子がいっぱい食べたいでも、本がたくさん欲しいでも。……きっと、叶うから」
少女は考える。自分の願いとはなんだろう。こういう時、なにを願えばいいのだろうか。それが彼女にはわからない。
そう、
だから、少しでも早く、少しでも多くのことを思い出したい。そう思った。
「
少女がろうそくを吹き消すと、パンッとクラッカーが鳴った。色とりどりのテープが少女の視界に飛び込む。
母は慣れた手つきでケーキを四つに切り分け、一番大きなピースを少女の皿に取り分けた。その様子を祖父母は微笑ましそうに眺めている。
「さあ、どうぞ」
「砂糖をたっぷりと入れたミルクティーはいかがかな?」
少女の前に数々の大好物が並べられていく。
だが、彼女の手は動かないままだった。
「マーガレット、大丈夫?」
「利き手が使えなくて食べづらいのでしょう? それなら、あたくしが食べさせてあげますわ」
祖母が一口大にしたケーキを少女の口元に運ぶ。
しかし、少女は口を固く閉じたままだった。
どうしたものかと大人たちは顔を見合わせる。楽しいはずのパーティーは重い沈黙に包まれた。
「……マーガレット、やっぱりパパがいないと寂しい?」
母の質問に対し、少女はうつむいた。どう答えればいいのかがわからないのだ。
彼女には記憶がない。父との思い出も忘れた。大好きだったはずの父のことを何一つとして憶えていない。
だから、母の言う「寂しい」という感覚がわからない。
けれど、心にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚だけはたしかにあった。なにか大切なものを失ってしまったのだということは今の彼女にもわかる。
「その、ごめんなさい。憶えてなくて、ごめんなさい」
少女が口にしたのは謝罪の言葉だった。
甘いお菓子がどんなに好きだったのか憶えていない。本を手に取ることがどんなに楽しかったのかもわからない。そして、父のことをどんなに愛していたのか思い出せない。
それが、少女には苦しかった。怖かった。そして、悲しかった。
「マーガレット、謝らないで。あなたはちっとも悪くないのだから」
母は娘を抱きしめる。そして、祖父は孫娘の頭を撫でた。
「君が憶えていないこと、君が知りたいことはがなんでも教えよう。大丈夫、ゆっくり思い出していけばいい」
「そうです。だから、甘いお菓子で元気を出して。マーガレット、
少女の小さな口にケーキが運ばれた。
それは彼女にとっては
甘くて、おいしい。それは記憶喪失の少女にも変わらずに芽生えた感情だった。
「……おいしい」
少女の顔にこの日初めての笑みが浮かぶ。大人たちも嬉しそうに笑っていた。
「いっばい食べてね。マーガレットに喜んでもらいたくて、おばあちゃんと一緒にたくさん作ったの」
母と祖母からのプレゼントはすっかり少女の心をつかんだ。甘いお菓子を食べれば食べるほど、心の隙間を埋められるような気がした。
少女がお腹いっぱいになるまでケーキを食べた頃、祖父が包みを一つ差し出した。
「マーガレット、これは私からのプレゼントだ」
少女が受け取ったプレゼントは片手だけで持つには少し重かった。
「毎年、私は君の誕生日に本を贈っているんだ。今年はなににするか迷ってね、これを選んだよ」
両手を使えない少女の代わりに母が包みを開ける。中から現れたのは青い表紙に金の箔押しでタイトルが書かれた一冊の本。
「『海底二万里』。マイケルが、君のお父さんがもっとも好きだった物語」
「人の想像力は素晴らしい! と、よく言っていたわ。『地底旅行』に『八十日間世界一周』。『透明人間』や『タイム・マシン』。パパはそういうお話が大好きで、あなたによく読み聞かせていたの」
この本がどんな物語なのかが少女にはわからない。けれど、父が好きだったというのなら、きっと自分も好きになれるように思う。
「ありがとう。その、大事にするね」
「君が気に入ってくれれば、きっとマイケルも喜ぶよ」
少女は父との思い出の本を胸に抱いた。そして、誕生日パーティーの間も、パーティーが終わってからも手放さなかった。
そうしていると父の存在をほんの少しでも感じられるような気がしたから。
だから、少女は本を抱えたまま眠ろうとした。けれど、隣の部屋から聞こえる
「この声……」
少女はベッドを降りると本を小脇に抱え、廊下に出た。そして、鍵のかかっていない隣室の扉を開ける。そこは父が仕事場として使っていたという部屋だった。
少女よりもはるかに背の高いキャビネットと本棚。たくさんの写真を飾ったコルクボード。道具が置きっぱなしにされた作業机。
そして、窓辺に置かれたクッションの上で一羽の
「えっと、ロウェナ?」
母に教えてもらった名前を呼ぶと、鴉は鳴くのを止めた。まるで誰かが来るのを待っていたようだ。
少女は恐る恐る鴉に近づき、声をかける。鳴き声に気づき、部屋に駆けつけた大人たちはその様子を見守っていた。
「あの、どうしたの?」
少女は鴉の足元は肌色のぶよぶよとした謎の物体があることに気がつく。
「産まれたのね!」
母が歓喜の声を上げた。祖父母も「奇跡だ」とか、「まさかマーガレットと同じ日に」などと興奮気味に話している。
けれど、少女の数少ない記憶の中にそれに関する知識などなかった。
「あの、あれは?」
「この子はね、ロウェナの赤ちゃんよ」
「ロウェナの赤ちゃん……。ごめんなさい。わたし、この子のことも憶えてない。なんてお名前なの?」
少女は申し訳なさそうに呟く。父のことを憶えていないと口にした時と同じように、また家族を悲しませてしまうと思ったから。
けれど、少女の母はにっこりと笑っていた。
「マーガレット、わたしたちもこの子のことはまだなにも知らないわ。だって、この子は生まれたばかりだから」
「それに、名前だってまだない。マーガレット、君がこの子の名前を決めてあげればいい」
この赤ん坊のことをまだ誰も知らないと聞き、少女は安心した。けれど、彼女はまたすぐに困ってしまった。
名前というのは、どのようにつければいいものなのか?
「マーガレット、それなら物語の中から選ぶのはどうだい? 君が好きなキャラクターの名前をこの子につけてあげるんだ」
少女は自分が好きだった本のことも憶えていない。けれど、彼女の手元には大好きだった父との思い出の一冊の本がある。
——
父がもっとも好きだったという物語。
「これ……」
「海底二万里か。たしか主人公の名前はアロナクス。なら、この子の名前はアロナクスにするかい?」
「あら、海底二万里といえばネモ船長じゃありませんこと?」
「ネモ……」
「ネモ。この子の名前はネモにする」
青い瞳がきらりと輝く。
「お誕生日おめでとう。ネモ、これからよろしくね」
これがマーガレットとネモの出会いだった。
連載1年半以上が過ぎ、やっっっと原作2年目を始められそうです。
本作の完結とファンタビの完結、どっちが先になるのかな……。