マグル学教室へようこそ   作:BellE

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第8話 秘密の茶会

 この日もまたマーガレットは医務室にいた。ネモが石になってから季節は春になり、そして今は夏が近づいている。授業と見回りと眠るとき以外はこの場所にいる生活もすっかり当たり前になっていた。

 

 あれからさらに「秘密の部屋」の怪物の被害者は増えた。レイブンクローの監督生ペネロピー・クリアウォーターとハーマイオニー・グレンジャーが物言わぬ冷たい姿となって発見された。言わずもがな、どちらもマグル生まれである。

 そして、ホグワーツで起きたことはそれだけではない。この一連の騒動を形だけでも収めるために、森番のハグリッドがアズカバンに連行された。また、十二人の理事の協議の結果、ダンブルドアは停職となった。

 だというのに、怪物の脅威は未だ消えず、「秘密の部屋」を開けた犯人も見つかっていない。

 

 けれど、ただいたずらに時がすぎているわけではなかった。

 スプラウト教授によるとマンドレイクの収穫が迫っていて、今夜にでも薬が調合できるそうだ。現に今もマダム・ポンフリーとスネイプ教授がその打ち合わせをしている。

 マーガレットは石のネモの頭を撫でた。こうしているとほんの少しでも心が落ち着く。

 

「朝食の席で姿が見えないと思えば、こちらに」

 

 マダム・ポンフリーとの話を終えたスネイプ教授が声をかけてきた。

 

「やけ食いの次は断食かと噂されておりますぞ」

「その、断食だなんて。えっと……。あの、トースト一枚はちゃんと食べていますよ」

「あなたにしてはずいぶんと少ないのでは?」

 

 スネイプの指摘の通り、ここ最近のマーガレットは食事があまり喉を通っていない。気がつけば、紅茶数杯だけで夕方まで過ごしてしたということもしょっちゅうだ。

 あれだけ愛してやまないお菓子への執着も今は薄れている。昨年までホグワーツにいた()()に準えて、マノック教授は人が変わったとまでいう者もいた。

 

「それにずいぶんと疲れがたまっているご様子。マノック教授、我輩が『生ける屍の水薬』でも処方いたしましょうか?」

「生ける屍の……。でしたら、その、助かります。近頃、あまり眠れていないので……」

 

 だが、マーガレットの感謝の言葉を聞き、スネイプは鼻で笑う。

 

「まさか、かつては首席にともなったあなたがこの薬の効果を忘れたと? 生ける屍の水薬は非常に強力な眠り薬。それこそ、飲んだ者が一生眠り続けるほど。ただ眠気を誘うだけならば、眠りの水薬で十分ですな」

「えっと……。そう、でしたね」

「あなたが正しい魔法薬の知識を答えられなかったのは、これが初めてだ。それほどまでに自身が弱っていることをあなたは自覚された方がいい」

 

 それだけ言い残し、スネイプはさっさと医務室を出て行った。不愛想ではあるが、多少は同僚として気にかけてもらえているということだろうか。

 だが、こうした日々もきっと今日でおしまいだ。夜には最愛のペットが目を覚ます。そうすれば、一緒に甘いお菓子をお腹いっぱいになるまで食べることもできるはずだ。

 

「ネモ、またあとで来るからね」

 

 長く続いた日々のルーティンも今日が最後になるのだろう。ベッドサイドの花瓶に()()()ネモフィラの花を生けた。

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

 夜になれば、襲われた生徒たちがみな目を覚ます。明日になればすべての謎が解ける。誰もがそう思っていた。

 だが、事態はそれよりも早くに動いた。

 

「生徒は全員、それぞれの寮にすぐ戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集りください」

 

 午前の授業がもうすぐ終わろうかというとき、マクゴナガル教授の声が廊下に響き渡った。マーガレットはざわつく生徒たちを落ち着かせ、寮へと戻るよう改めて指示を出す。そして、教室に誰も残っていないことを確認してから職員室へと急いだ。

 

 職員室には続々と教授たちが集まっているところだった。みな当惑や恐怖の表情を浮かべている。

 

「とうとう起こってしまいました」

 

 マクゴナガル教授が静かに口を開いた。

 

「生徒が一人、怪物に連れ去られました。『秘密の部屋』そのものに中へです」

 

 マーガレットは息を呑む。マクゴナガル教授は蒼白な顔で新たに見つけられた伝言について全員に聞かせた。

 

「あの、それで、その、連れ去られた生徒は誰なんですか?」

 

 マーガレットが震える声で問う。

 

「ジニー・ウィーズリー」

 

 そう答えるマクゴナガル教授の声も震えていた。

 

「全校生徒を明日、帰宅させなければなりません。ホグワーツはこれでおしまいです。ダンブルドアはいつもおっしゃっていた……」

 

 そのとき、職員室のドアがバタンと開く。そこには遅れてやってきたロックハートが立っていた。

 

「大変失礼しました。——ついうとうとと——なにか聞き逃してしまいましたか?」

 

 先生方の視線が一点に集中する。そして、スネイプ教授が一歩進み出た。

 

「なんと、適任者が。まさに適任だ。ロックハート、女子学生が怪物に拉致された。『秘密の部屋』そのものに連れ去られた。いよいよあなたの出番がきましたぞ」

 

 そういえば、今年の防衛術の教授は輝かしい功績を持ったまさに怪物退治の適任者ではないか。

 

「そのとおりだわ、ギルデロイ。昨夜でしたね、たしか、『秘密の部屋』への入口がどこにあるのか、とっくに知っているとおっしゃたのは?」

「私は——その、私は——」

「そうですとも。『部屋』の中になにがいるか知っていると、自信たっぷりにわたしに話しませんでしたか?」

「い、言いましたかな? 覚えて——」

「あの、ロックハート教授」

 

 スプラウト教授、フリットウィック教授に続いて、マーガレットが口を挟んだ。

 

「その、ロックハート教授がそこまで『秘密の部屋』のことを解き明かしているとは、知りませんでした。ですから、どうか少しでも早くこの問題を解決してください。そして、その、ネモをあんな目に合わせた犯人を懲らしめてやってください。どうか、お願いします!」

 

 マーガレットは深く頭を下げる。そのおかげで、絶望的な目で唇をわなわなと震わせるハンサムからは程遠い顔をしたロックハートと、憎しみに満ちた目を彼に向ける教授たちの姿を見ずにすんだ。

 

「よ、よろしい。へ、部屋に戻って、し——支度をしてきます」

 

 ロックハートは一人で出て行った。

 

「さてと。これでやっかいばらいができました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒になにが起こったのかを知らせてください。明日一番のホグワーツ特急で生徒を帰宅させる、とおっしゃってください。他の先生方は、生徒が一人たりとも寮の外に残っていないよう見廻ってください」

 

 マクゴナガル教授の号令に合わせ、教授陣も一人また一人と職員室をあとにする。もちろん、マーガレットもそのうちの一人であった。呼吸を整え、一歩を踏み出す。今は自分の仕事に集中しなければ。

 「秘密の部屋」の問題の解決も、石になったペットとの再会も、その時が来るまでただ待つことしかできないのだから。

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

 その夜の医務室はこれ以上ないほど賑やかであった。普段ならばこのような無秩序を許さないであろうマダム・ポンフリーも今回ばかりは目をつむっている。

 なにしろ、マンドレイク蘇生薬のおかげで石になっていた生徒たちが次々と息を吹き返し、それを祝いにパジャマ姿のまま駆けつけた友人たちがそこらじゅうにいるのだ。

 

「マノック教授」

 

 ネモの番を待っていたところ、アーガス・フィルチ氏に声をかけられた。彼の腕の中には目を覚ましたばかりのミセス・ノリスがいる。

 

「あなたに、これをお返しする」

 

 そう言って、彼は乱暴に麻袋を突き出してきた。中をのぞくと二足のローラースケートが入っている。「秘密の部屋」のあれやそれやですっかり忘れていたが、まだ返してもらっていないのだった。

 

「今後はくれぐれも生徒に——とくにあのウィーズリーには遊ばせないようにしていただきたいですな」

「そうですね。わたしもよく注意しておきます。あれ……。えっと、これは?」

 

 袋の中をよく見れば、底の方に五角形の箱が入っていた。取り出してみれば一目瞭然、これは蛙チョコレートだ。

 

「蛙チョコレート?」

「それは、あれだ。没収したものが誤って入ったのだろう」

「没収品。でしたら、その、お返ししないとですね」

 

 だが、マーガレットが差し出した箱をフィルチはいっこうに受け取ろうとしない。

 

「いつどこで没収したかも憶えとらん。だから、このままマノック教授の物にしていただいてもかまわない」

「いえ、ですが……」

「なら、ミセス・ノリスからの見舞いの礼だ」

 

 それだけ言って、フィルチはとっとと医務室を出て行ってしまった。

 

「没収品が誤って……。それも、わたしが好きなチョコレート……」

 

 マーガレットは思わずくすりと笑う。きっと本人を問い詰めたところで本当のところはわからないのだろうが、これはあの管理人がわざと入れたものなのだろう。

 マーガレットはありがたくこのチョコレートいただくことにして、ローブのポケットにしまい込んだ。

 

「お待たせしました、ミス・マノック。これで最後になります」

 

 マダム・ポンフリーがネモに蘇生薬を投与する。すると、たちまち大鴉(レイブン)の青い目に光が宿った。

 

「……ネモ」

 

 ネモは飼い主の顔を目にすると、ゆっくりと目をつむって小首を傾げる。まるでなにか思い出そうかとしている様子であった。

 

「ネモ、大丈夫だよ。『秘密の部屋』の怪物はもう倒されたんだって」

 

 そう語りかければ、ネモはくちばしを何度も打ち鳴らした。マーガレットは久方ぶりに最愛のペットを抱き上げる。

 

「わたし、ネモがいないととっても寂しかったんだ」

 

 マーガレットはネモをぎゅっと胸に抱きよせ、黒い羽根に顔を埋めた。たしかに聞こえるトク、トクという心臓の音にこれ以上ない安心を感じる。

 

「だから、これからもずっとわたしのそばにいてね」

 

 マーガレットの言葉にネモは「カア」と鳴いた——のだが、その鳴き声は飼い主の腹の虫の鳴き声にかき消された。

 

「驚かせちゃってごめんね。安心したら、なんだか急にお腹が空いてきて。これから大広間でパーティーがあるんだって。もちろん、一緒に行ってくれるよね?」

 

 白い歯をのぞかせ、マーガレットはにっこりと笑う。今度の「カア!」という鳴き声は彼女の耳にもしかと届いていた。

 

 

▽ △ ▽

 

 その夜、彼女はふと目を覚ました。枕元を見れば、まだ大鴉(レイブン)はすやすやと眠っている。

 眠れる鴉を起こさぬよう、ゆっくりと体を起こす。彼女の青い目が月明かりを浴びて輝いた。こうやって夜空を眺めたのはいつ以来だろう。

 いつもベッドサイドに置いている懐中時計を手に取った。日付はとっくに変わっているとはいえ、夜明けまではまだ時間がある。まだ()()()()()()()()()()()はまだ時間がある。

 彼女はローブを身にまとい、それから()()()を手にすると独り部屋を抜け出した。

 

 

 

 宴会中はあれほど賑やかだったのに、今のホグワーツ城はしんと静まり返っている。壁の肖像画たちも目を閉じ、うつらうつらと船を漕いでいる者もいた。

 すっかり片づけられた大広間を通り過ぎ、中庭に出る。はるか頭上の月は雲で隠されていた。

 彼女は噴水の縁石に腰をかける。そして、部屋から持ち出したローラースケートを履いた。これはきっと今夜だからこそできること。

 

 彼女がローラースケートで遊ぶのはずいぶんと久しぶりのことだった。だが、こういった一度経験したものは意外と体が覚えている。左、右、左……と噴水の周りを軽やかに滑り始めた。

 次第に速度が上がっていく。しばらく味わえていなかった風を切る感覚が心地よい。だが、ここ最近の中ではかなりの運動になったからだろうか、あっという間に息が上がる。

 少し休憩しようかと縁石に腰を下ろしたとき、ある男が現れた。

 

「……ダンブルドア校長先生」

 

 アルバス・ダンブルドアはそのブルーの瞳を三日月型に細める。視線を交わせば思わず吸い込まれてしまいそうになる、そんな目だ。

 

「こんばんは。どれ、隣に座ってもよいかな?」

 

 相手が頷くのを待ってから、ダンブルドアはゆっくりと腰を下ろす。

 

「今は一休みといったところかのう。それならば、紅茶はいかがかな」

 

 ダンブルドアが杖を振ると、二人の間にティーセットが現れた。その芳醇な香りからしてアサッムだろうか。たっぷりの砂糖とミルクを加え、よくかき混ぜる。

 

「いただきます」

「どうぞ召し上がれ。それと、飲みながらで構わぬのだが、少々わしの話に耳を傾けてはくれぬかのう。わしが君に聞いてほしいのは『秘密の部屋』であったことについてじゃ」

「ハリーくんたちによって怪物が倒されたということは、もうわたしも聞きましたが」

「それよりもさらに詳しい話じゃ」

 

 そして、ダンブルドアは語り始めた。

 ジニー・ウィーズリーが「スリザリンの継承者」によって「秘密の部屋」に攫われたこと。その「秘密の部屋」をハリー・ポッターとロン・ウィーズリーが見つけたこと。

 「秘密の部屋」の怪物とはバジリスクであったこと。そのバジリスクを操るスリザリンの継承者とはかつてホグワーツにいたトム・リドルという男子学生であったこと。

 ハリーとロンがバジリスクとトム・リドルを倒し、ジニーを救い出したこと。そして、彼らの偉業に参加できなかったとある作家(詐欺師)のこと。

 

「ギルデロイがしたためた冒険譚。あれらはすべて他人のものじゃ。人から聞いた話を記憶ごと奪い取り、ギルデロイは自分のものとした」

「どおりで。あの人、なんだか胡散臭いと思っていました」

「おや、()()あまり驚かないのじゃな」

 

 半月型の眼鏡の奥でブルーの瞳が爛々と輝く。

 

「……ところで、そのトム・リドルは何者だったんですか? 50年前の生徒が、どうしてホグワーツに?」

「トム・マールヴォロ・リドル。当時はまだ学生じゃったヴォルデモートその人。君が一年前に戦った『闇の帝王』の若き日の姿じゃ」

 

 ロックハートの真実はともかく、トム・リドルの正体にはさすがに驚きを隠せなかった。

 

「どうしてまたヴォルデモートが? まさか去年のクィレル先生のように、また誰かが憑りつかれていたんですか!」

「クィリナスの時とは少し状況が違うのう。どちらかといえば、今の()のようなことをトムはしていたのじゃよ」

 

 ダンブルドアは懐から一冊の日記を取り出す。その黒い日記の真ん中には大きな穴が開いていた。

 

「これが『分霊箱』と呼ばれるもの。不死を手にするために、人を殺すことで引き裂いた己の魂を閉じ込めた器。……君にも心当たりがあるじゃろう、()()

 

 青い目の魔女(ネモ)は否定も肯定もしない。だが、その瞳はこの夜空のように暗かった。

 

「今回の一件で確信した。ヴォルデモートはやはり分霊箱を作っておる。それもこの日記帳一つではない、複数じゃ」

「……ダンブルドア先生、どうしてそんな重要なことをわたしに聞かせようと思ったんですか? だって、わたしはヴォルデモートと同じ()()()ですよ」

 

 自らのことを()()()とまで言い切った者の顔を、ダンブルドアは直視できない。だが、それでも彼は話し続けるほかなかった。

 

「だからじゃよ。トムは——ヴォルデモート卿は自分と他の者とは違う、自分こそ特別と思っておる。だからこそ、ヴォルデモートは分霊箱を作ることができた。そして、そんなことができるのは自分しかいないとも思っていた。じゃが、そこにマーガレットと君が現れた。君たちはスリザリンの血を引いているのでもなく、純血一族の出身でもない。ヴォルデモートからしてみれば何一つ特別なところなどないはずなのに、特別な自分と同じく分霊箱を作り上げた。それをあやつは快く思わないじゃろうな」

「だから、わたしやマーガレットがいずれまたヴォルデモートに狙われると?」

 

 ダンブルドアが頷く。

 

「ネモ、君は以前『マーガレットの大切なものをなんだって守りたい』と言っておったな。そして、君も気づいているとは思うが、その願いの中には君自身も入っておる。では、これから君はどうやってマーガレットのことも、君自身のことも守る? 君が杖を握るには、こうしてマーガレットの体を借りなければならないなかで」

「それは……。えっと、トム・リドルのように、わたしも自分の姿を現すことができれば……」

「それはおすすめできないのう。まずマーガレットへの負担が大きすぎる。それに、君自身も本当の姿は見せたくないじゃろう」

 

 ダンブルドアの指摘はすべてがそのとおりであった。マーガレットを守るためにマーガレットを苦しめるなど本末転倒。そして、己の正体はマーガレットにもっとも知られたくないことだ。

 

「じゃから、一つの答えとしてこれはどうじゃろうか。経験を積み、マーガレット自身に強くなってもらう。そのための()()なら、わしにも心当たりがあるものでのう」

「それは、つまり——」

「では、君もスケートの練習はほどほどにのう。君が無茶をすると、またマーガレットが眠り続けてしまうのでな」

 

 ダンブルドアが去ったあと、青い目の魔女(ネモ)はぼーっとしていた。東の空もぼんやりと白み始めている。

 「分霊箱」——人を殺すことで引き裂いた己の魂を閉じ込めた器。思い出したくないあの日のこと。けれど、忘れてはいけないあの時のこと。その記憶が頭の中を駆け巡る。

 

「そうだ……」

 

 ローブのポケットに手を突っ込み、五角形の箱を取り出す。そういえば、チョコレートはずいぶんと長いこと食べていなかった。

 蛙チョコレートといえば思い出すことが一つある。マーガレットがホグワーツ特急で初めて蛙チョコレートを買ったときのこと、彼女はロウェナ・レイブンクローのカードに夢中になりすぎて肝心の蛙の形をしたチョコレートに逃げられてしまったのだ。ネモが必死にそのことを伝えようとしていたのに、である。

 今夜は逃げられてしまわないよう、慎重に箱を開ける。そして、左手で掴んだ蛙を口の中に放り込んだ。

 久しぶりに食べたチョコレートの甘さが体中に染み渡る。「甘いものを食べると元気がでる」。マーガレットがよく口にするその言葉の効果はたしかであった。

 

 

▼ ▲ ▼

 

 そして、また一年が過ぎた。マーガレットも里帰りをし、今はマッカーデン商店の店番をしている。

 この骨董品店はあいかわらず客足が遠く、そのおかげで読書が捗る。

 

「それにしても、まさか全部嘘だっただなんて……」

 

 マーガレットの独り言に、鴉は「カア、カア」と気のない返事をした。昼食のあとだからか、ネモは飼い主の膝の上で微睡んでいる。

 マーガレットが読んでいるのはあのギルデロイ・ロックハートの最新作にして、おそらく最終作の『私は誰だ(Who Am I)?』である。ともにホグワーツで働いている間にもいくらか違和を感じることはあったが、まさかその功績すべてが他人のものだとは思ってもみなかった。

 それもただ自分のものにするだけでなく、記憶ごと奪い取ったのである。記憶がないことで苦しい思いをしているマーガレットとしては強い憤りを感じざるをえない。

 だが、そのロックハートすらも今は記憶を失っている。それを自業自得だと笑うべきか。罪の意識すらないとはおめでたいと呆れるべきか。それとも、罪を償う機会すら失ったのかと憐れむべきか。

 

「ネモ。やっぱり今度、聖マンゴに行ってみようか。あちらがどこまで憶えているのかはわからないけれど、改めてロックハートさんとも話がしてみたい。もしかしたら、わたしの記憶喪失についても、なにかわかるかもしれないしね」

 

 今度はネモもなにも答えなかった。寝てしまったのだろうか。

 ペットの寝顔をのぞき込もうと視線を動かしたとき、入口のドアノブが回るのが見えた。

 

 チリンチリンと軽やかにベルが鳴る。誰かが店にやってきた。姿勢を正し、普段通りの挨拶を。

 

「いらっしゃい、ませ……」

 

 その男の客は暑い夏の日だというのにスーツを着て、紫色のネクタイをきっちり首元まで締め、見慣れたローブを羽織っていた。緊張しているのか彼の手は震え、口元にはぎこちない笑みを浮かべている。

 マーガレットは鴉を膝の上からカウンター台へと移すと、彼に近寄った。そして、愛想のよい笑顔で話しかける。

 

「……なにかお探しですか? わたしでよければお手伝いします」

「い、いえ。わ、わ、私が探している人はもう目の前にいるもので……。お久しぶりです、ミス・マノック」

「クィレル先生! こうして()()お会いできる日をずっと、ずっと楽しみに待っていました!」

 

 マーガレットはクィレルの両手を包み込むように握りしめた。その様子を青い目の鴉は穏やかな顔で見守っている。




——「秘密の部屋」編、閉幕。

連載を始めてから2年が過ぎ、ようやく原作2年目の終了までたどり着くことができました。長かったような、短かったような。いまやこの作品を書いていることが、すっかり人生の一部となってしまいました。このまま7年目まで書き続けたいな……。

さて、第1章のあとがきでは主人公マーガレットについて語らせていただきましたので、今回は青い目の鴉こと「ネモ」についてご紹介させていただきます。
ネモの名前の由来は作中では『海底二万里』の「ネモ船長」としていますが、構想段階ではギリシャ神話の記憶の女神「ムネモシュネ」からの連想で「ネモ」という名前を思いつきました。
その後、記憶喪失の7歳児がムネモシュネを知っている、ましてやペットの名づけに使うのはおかしいのではと思い、現在の「ネモ(誰でもない)」に落ち着きました。
ですが、記憶の女神の名前を元にしているだけあり、ネモは主人公の失われた記憶のまさにキーパーソン(キーバード?)。主人公の活躍とともに、ネモの動向にも注目していただけたらと思います。

次回からは主人公がクィレル教授とも再会し、いよいよ第3章のスタートです。
作者自身もびっくりするような筆の遅さ、それによる不定期更新上等な本作ですが、のんびりお付き合いいただけると幸いです。
それから、新章開幕に向けて今までの感想や評価をいただけると、とても作者の励みになります。ぜひ気が向いたときに、お一つよろしくお願いいたします。
それでは、また。
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