マグル学教室へようこそ   作:BellE

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——これはありえたかもしれない「もしも」の物語。


第3章 「アズカバンの囚人」(July,1993~)
断章 Once upon a July


▽ △ ▽

 

 

「ここが魔法界!」

 

 7歳の誕生日を迎えたその日、少女は初めて魔法界を訪れた。彼女は青い瞳を大きく開き、隣にいる父親に話しかける。

 

「ここにいる人はみんな魔法使いなの?」

 

 その問いかけに父親は「そうだよ」と頷いた。少女はますます目を輝かせる。

 

「ロンドンにはこんなにたくさんの魔法使いがいるなんて、わたしちっとも知らなかった!」

 

 レンガの壁に向こう側にまさかこんな世界が広がっていたとは。

 三角帽子を被った魔女、すれ違う人々のカラフルなローブ。店先に並べられた鳥かごや叩き売りされている大釜。そのどれもが少女にとっては目新しい。

 

「ここはダイアゴン横丁。ここなら魔法使いに必要な物がなんでも揃っているんだよ。だから、魔法使いの子供はここで魔法学校の入学準備をするんだ」

「魔法学校! もしかして、パパもその学校を卒業したの?」

 

 父親は小さく頷いた。

 

「本当に! なら、わたしも魔法使いなんだからそこに通えるんだ! もしかして、9月からはその学校の生徒になるの?」

「いや、まだもう少し先だよ」

 

 残念そうに肩を落として歩く娘の頭を父親が優しく撫でる。

 

「11歳の誕生日を迎えたら入学証が届くんだ」

「なら、あと4年も待たないといけないの?」

 

 少女は不満そうにくちびるを突き出した。その顔が愛らしくて、父は思わず口元を緩める。

 

「4年なんてあっという間だよ。そんなことを言ったら、ホグワーツでの7年間の方がもっとあっという間だ」

「その学校、ホグワーツって言うんだ。不思議な名前」

「そうだね。その名前のようにすべてが摩訶不思議で、魔法界一興味深い場所だよ」

 

 まだ名前だけしか知らないけれど、少女はその魔法学校のことがとても好きになれるような気がした。

 

「魔法界ってとっても素敵。わたし、もうこの世界が大好きになっちゃった」

「……そうか。それならよかったよ」

 

 これからどんどんと育っていくであろう娘のことを見て、父は小さく笑う。

 

「よし。それじゃあ、このダイアゴン横丁で君の誕生日プレゼントを探そう! 普通では買えないような玩具や本がここにはたくさんある。さて、なにか欲しい物はあるかな?」

「あのね、もう欲しい物は決まってるの!」

 

 少女は父の手を取り、にっこりと笑った。

 

「わたし、杖がほしい! パパが持っているのみたいな魔法の杖!」

 

 「お願い、パパ」と少女は甘えた声を出す。そうすれば、父が多少のわがままも聞いてくれることを彼女はこの歳ですでに理解していた。

 もちろん、父親も可愛い娘の願いはなんだって叶えてやりたい。今だって彼はそう思っている。

 だが、時には父だろうとできないことがあった。

 

「ごめんね、杖はまた今度にしよう。杖は君がもう少し大きくなったらね」

「もう少し? それなら、クリスマスのプレゼントならいい?」

「……もっとかな。ホグワーツへの入学が決まったら、一緒に買いに行こう」

 

 わずかなうめき声を上げ、少女はその場に立ち止まる。彼女は青い瞳を見開き、父のことを見上げた。

 

「4年はちっとも()()()()なんかじゃない! わたし、そんなに待てない!」

 

 少女は頬をめいっぱい膨らませる。その姿はまるで餌を頬袋にため込んだリスのよう。

 

「パパ、わたしももう魔法が使えるんだよ? だから、お願い。わたしもわたしだけの魔法の杖が欲しい」

「いいかい? あの時も教えたけれど、子供は魔法を使っちゃいけないんだ。魔法は便利だけど、とても危険なもの。だから、学校でちゃんと勉強してからじゃないと使えない。もしも杖を持っていたとしても、それをこの前みたいに振ってみることだってできないんだ」

「それでもいいから! 例えば、お部屋に飾っておくだけ! ね? ちゃんとお約束は守るから」

 

 そう言って、少女は父親に思いきり抱き着いた。ずいぶんと勢いがあったものだから、父は思わずよろめく。

 けれど、彼の意志は揺らがなかった。

 

「ちゃんとお約束は守る、ね。それなら、ポシェットの中を見せてもらってもいいかな?」

「ポシェット? それなら別に——あ」

 

 なにかを思い出し、少女は肩から掛けていたポシェットを体の後ろに回す。

 

「隠していたって、パパには全部お見通しさ」

 

 その言葉に観念したのか、少女はポシェットを黙って差し出した。その中には水筒やメモ帳のほかに、キャンディ包みのチョコレートがたくさん入っている。

 

「この前、ママとどんな約束をしたか憶えているかい?」

「……このチョコレートはしばらく食べちゃだめって。わたしが一人でいっぱい食べちゃったから……」

「そうだね。それなら、今の君はちゃんと約束を守れているのかな?」

 

 少女は首を横に振り、「ごめんなさい」と呟いた。その小さな後頭部を父の大きな手が優しく撫でる。

 

「わかってくれれば、それでいい。このことはママには内緒にしよう。誕生日にこれ以上叱られるのは君も嫌だろう? さあ、気持ちを切り替えてプレゼントを探しに行こう」

 

 父に背中を押され少女は再び歩き出した。

 

「杖は買ってあげられないけど、このダイアゴン横丁には素敵なものがまだまだある。例えば、ここは『イーロップのふくろう百貨店』。魔法使いはふくろうを使って手紙や荷物を届けるんだよ」

 

 店の前を通りすぎる少女のことを籠の中の白いふくろうがずっと目で追っていた。

 

「わたし、ふくろうよりも大鴉(レイブン)の方が好き」

「パパもさ。さて、君が気に入りそうな店となると……。そうだ、『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』はどうだろう? 魔法界随一の品揃えを誇る本屋さんだよ」

 

 本屋という言葉に少女は興味をそそられる。少女は読書を趣味としていたから、魔法使いの読む本にも関心があった。

 けれど、すれ違う人々が持っている魔法の杖の方が少女にはどうしても魅力的に見えた。

 

「魔法界の本というのはとっても面白いよ。例えば、『怪物的な怪物の本』という本があるんだ。あの本は生きている本でね、すぐ暴れて噛みついてこようとするんだよ。って、こんな危ない本はまだ渡せないか。さて、パパのお姫様(プリンセス)はなにが欲しいかな?」

 

 父は横を歩く娘のことを見る。けれど、そこに娘の姿はなかった。

 

「——マーガレット? どこだ? マーガレット!!!」

 

 

▽ △ ▽

 

 

 マーガレット・マノックはダイアゴン横丁を走っていた。父の目を盗み、一目散に魔法の杖の店へと向かう。

 歪んだ外観の銀行、ショーウィンドウに飾られた箒、ペットショップの見慣れない生き物たち——。走れば走るほど、彼女の眼前に広がる世界が変わっていく。

 けれど、一つ困ったことがあった。

 

「——きゃあ!」

 

 石畳に足を取られ、少女は勢いよく転ぶ。スカートからのぞくひざ頭には真っ赤な血がにじんでいた。

 

「……痛いよ。……それに、ここどこ?」

 

 少女がダイアゴン横丁に来るのは今日が初めてである。よって、杖の店がどこにあるのかなどちっとも知らなかった。

 つまり、彼女はどこに行けばいいのかもわからずに走り続けていた。そして、今どこにいるのかすらもわからないのだ。

 

「ごめんなさい、パパ。わたしがちゃんと約束を守らないから……」

 

 少女は青い瞳から涙が零れ落ちる。こんな悪い娘のことなんて、父は嫌いになってしまったかもしれない。

 今の彼女は心細くてたまらなかった。

 

「だ、だ、大丈夫、かい?」

 

 少女が顔を上げると、一人の()()が手を差し伸べていた。

 

「ひ、ひどいけ、怪我だね。じ、じっとしていて」

 

 少年は人目を忍ぶように黄褐色の杖を握る。

 

「え、エ、——癒えよ(エピスキー)!」

 

 少年が小声で呪文を唱えると、少女の擦り傷はたちまち癒えた。これこそ少女が憧れてやまない魔法(magic)

 

「ありがとうございます !お兄さん!」

 

 少年の手を取り、少女は満面の笑みを浮かべる。その青い瞳から涙はすっかり引いていた。

 

「お兄さんも魔法使いなんですね!」

「そ、そ、そうだね」

「わたしも魔法使いなんです!」

 

 少女はえへんと胸を張る。けれど、いくら自分が背伸びをしたところで、この少年には到底届かない気がした。

 

「でも、お兄さんみたいには魔法を使えません。……杖もまだ持っていないんです」

 

 少年の杖を少女はじっと見つめる。

 

「そうだ、杖! お兄さん、その杖はどこで買いましたか?」

「ど、どこで買ったか? ど、どうして?」

「わたし、パパとはぐれちゃったんです。パパにまだ早いよって言われたのに、わたしがどうしても魔法の杖が欲しくなって……。それで、一人で杖のお店を探していたんです」

 

 なるほど少女が一人で泣いていたのは、彼女が迷子であったからかと少年は合点した。

 

「だから、杖のお店に行けばパパも探しにきて——きっと探しにきてくれると思うんです」

「こ、こ、この杖は『オリバンダーの店』でか、買いました」

「オリバンダーの店……。 お兄さん、そのお店への行き方を教えてくれませんか?」

 

 ときおり言葉を詰まらせながらも、少年は道順を丁寧に伝える。少女はメモを取りながら、真剣に彼の話を聞いていた。

 

「——と、これがオリバンダーの店へのい、行き方。わ、わ、わかったかい?」

 

 少年が尋ねれば、少女は笑顔で頷く。しかし、手元のメモに記された字は拙く、彼女がまだ幼いことを物語っていた。

 そんな少女を再び一人にしてしまうのは、いくら人付き合いが苦手な少年でも気が引ける。

 

「や、やはりわ、わ、私が案内します。つ、ついてきて」

「本当に? ありがとう、お兄さん!」

 

 少年のあとを一回りも小さい少女が追いかける。その様子は、はたから見ればまるで兄弟のよう。

 

「お兄さんはホグワーツに通っているんですか?」

 

 それも少女が少年のことを「お兄さん」と呼ぶのだからなおさら。

 

「そ、そうだね」

「なら、もう魔法の勉強をしているんですね。いいな。わたしはあと4年も待たないとホグワーツに行けないんです。お兄さん、ホグワーツでの生活は楽しいですか?」

 

 少女はきらきらとした目で少年のことを見上げていた。

 

「た、た、楽しい、かな」

 

 少女は再び、「いいな」とうらやましそうな声を上げる。

 

「……ほ、ほら、見えてきた。あ、あそこがオリバンダーの店」

 

 少年が指さした先にはこの古い建物が立ち並ぶ横丁のなかでも特に歴史を感じさせる店があった。

 

——オリバンダーの店 紀元前382年創業 高級杖メーカー

 

 文字が剥がれかかっているが入口の扉にはそう書いてある。少女は窓から店中をのぞくが、父の姿はまだない。

 が、代わりに店主と思しき老人と目が合った。彼は少女に向かって、おいでと手招きする。

 

「入ってもいいのかな?」

 

 少女は扉に手をかけると、吸い込まれるように店の中へと入っていった。ここまで連れてきてしまった以上は彼女を放っておくわけにもいかず、少年もあとに続く。

 

「いらっしゃいませ」

 

 老人は柔らかい声をしていた。特徴的な銀色の瞳が薄明りの中できらりと光る。

 

「こんにち——きゃあ!」

 

 少女が声を発すると同時、床から積み上げられていた箱の山が突然崩れた。驚いた少女は思わず少年に抱き着く。

 

「わたしがぶつかっちゃったんだ。ごめんなさい」

「お嬢さんのせいではありません。お気になされるな」

 

 落ちた拍子にいくつかの箱は開いてしまったようだ。少女が目をこらすとそこには杖が入っていた。

 少女はそのうちの一つを拾い上げる。

 

「この杖、とっても素敵。真っ白で、パパの黒い杖とは正反対」

「それはマツの木にユニコーンのたてがみ。27センチで驚くほど振りやすい。たしかに良い杖ではあるが、お嬢さんの杖ではないのう」

 

 老人は杖を一振りすると、あっという間に店内の様子を元通りにしてしまった。

 

「この杖がどうやらお嬢さんに早く会いたがっているようなのじゃ」

 

 老人が一本の杖を差し出す。

 

「ブドウの木の杖は相性がいい者が部屋に入ってくると、魔法を発することがあってのう。どうもこの杖はお嬢さんを持ち主に選びたいようじゃ。なにせ、お嬢さんが店の前にやってきただけで、箱ごとわしの手元に飛んできてのう」

 

 少女が利き手で杖を取った瞬間、杖の先から金色の光の粒が溢れ出した。

 

「まるで妖精の粉みたい……」

 

 少女はうっとりとした様子で雪のように降り注ぐ光を見つめている。少年もその幻想的な光景に心を奪われていた。

 

 しかし、彼女たちは唐突に現実へと引き戻される。

 

「ごめんください。ここに黒い髪の女の子はきま——マーガレット! マーガレット! 探したよ、マーガレット」

 

 父は娘を抱き上げると、強く抱きしめた。

 

「パパ、とっても心配したんだ。本当に無事でよかった。もう二度と、勝手にいなくなってはいけないよ」

「ごめんなさい、パパ。わたし、どうしても魔法の杖がほしいと思っちゃったの。けれど迷子になって、とっても後悔したの」

「迷子に? でも、よくこの店を見つけられたね」

 

 父は少女を下ろし、不思議そうな顔をする。

 

「それはね、お兄さんがここまで連れてきてくれたの。わたしが転んで怪我していたところを助けてくれて、とっても親切だったんだよ」

 

 父親は娘の恩人の手を握った。

 

「君がマーガレットをここまで連れてきてくれたんだね。本当にありがとう。僕はなんとお礼をしたらいいか」

「い、い、いえ。彼女がこ、ここにくればき、きっとお父様がさ、さ、探しにくると言っていたので」

 

 少年は父親と少女の顔を順に見る。二人とも深く、澄んだ色の青い瞳をしていた。

 

「ところでマーガレット。その杖は?」

 

 父親に指摘され、少女ははっとする。そうだ、杖はまだ持たないと約束しているのだ。

 

「この杖がわたしに持ってほしいんだって……。でも、返してくるね。だって、パパと約束したから」

 

 少女は杖を店主の老人に返す。だが、次の瞬間にはたしかに老人に手渡したはずの杖が再び彼女の手の中にあった。

 そのまさかの出来事に少女は目を白黒させている。

 

「その杖はお嬢さんのことをえらく気に入って、離れたがらないようじゃのう」

「つまり、マーガレットはこの杖に選ばれたと? まさか、こんなに早く杖が見つかるとは……」

 

 父親は大きなため息をついた。そして、バッグの中からガリオン金貨の入った財布を取り出す。

 

「オリバンダーさん、これをいただきます。マーガレット、誕生日プレゼントはこの杖でもいいかな?」

「うん! パパ、ありがとう! ずっとずっと大事にするね」

 

 こうして少女は予定より4年も早く杖を手にすることとなった。老店主に見送られ、三人は店をあとにする。

 

「さて、よければ君になにかお礼をさせてもらえないかい? この子をオリバンダーの店で見つけられたのは、君のおかげだからね。そうだな……。例えば、『フローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラー』のサンデーなんてどうだろう?」

「アイスクリーム・パーラー! そんなお店もあるんだ! お兄さん、一緒に行きませんか? わたしもお兄さんにお礼がしたいです」

 

 少女は父親に「それは君が食べたいだけだろう」と咎められた。

 

「でも、わたしはお兄さんともっとお話ししてみたいの。ホグワーツのこととか、お勉強のこととか」

「す、す、すみません。じ、実はよ、予定があるのです」

「そんな!」

 

 少女は悲鳴にも似た声を上げる。

 

「そうか。それなら仕方がないね」

「ゆ、友人と会うことに。だ、だから、わ、わ、私はもうい、行かないと」

 

 本当は予定などなかった。友人と会うなど真っ赤な嘘。少女と話す時間ならいくらでもある。

 けれど、この少女とこれ以上親しくなることが、この少女にこれ以上自分の中に踏み込まれることが怖い。そう少年は感じていた。

 

「お兄さん、それならこれを持っていってください!」

 

 少女はポシェットの中のチョコレートを一掴み、少年の手に握らせる。

 

「わたしからのお礼です。それから、これはお兄さんがお友達と一緒に食べてください」

 

 そう言って、少女は持っているチョコレートをすべて少年に渡してしまった。

 

「あの、お兄さん。また会えますか? わたしももう少し大きくなったら、ホグワーツにいけるんです。だから、そこでまた私のことを見つけてくれませんか?」

「……ど、どうかな。君が入学する頃にわ、私はもうホグワーツを卒業しているから」

 

 口の中が苦い。まるでダークチョコレートを食べたかのよう。それが少女の初恋の味だった。

 

「……そうですよね。でも、今日お兄さんに出会えて、本当によかった!」

 

 少女の青い瞳はなぜだか輝きを増している。

 

「だから、いつかきっと()()()()()()()()!」

 

 7歳の誕生日、少女はちょっとだけ大人になった。

 

▽ △ ▽




ご無沙汰しております。

元々書くの遅い方なのに最近はさらに進みが遅く、気分転換と執筆の練習もかねて本編とは断絶した「もしも」の話を書いてみたら予想以上に筆がのりました。
本来はまたあとがきにでも掲載するつもりだったのですが、それにしては長くなってしまった。
少女と年上男の交流を書くのはやっぱり楽しい。
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