マグル学教室へようこそ   作:BellE

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第2話 教師と癒者と作家

 聖マンゴ魔法疾患障害病院は首都ロンドンにある400年近い歴史をもつ魔法病院だ。だが、マーガレットがここを訪ねるのは今日が初めてであった。

 その理由は二つ。一つは幸運にも今までこの病院に通うほどの病気や怪我をすることがなかったから。

 そしてもう一つ。マーガレットは病院という場所があまり好きでない。今の彼女にとってのもっとも古い記憶———入院していた頃のことをどうしても思い出してしまうのだ。

 記憶喪失についてなにかわかるかもしれないと、マーガレットは何度か聖マンゴを訪れることも考えていた。が、どうしても決心がつかずにいた。

 けれど、そんな折に転機が訪れる。ある朝、ホグワーツからのふくろう便がマーガレットの家に大きなトランクケースを届けた。

 

——この荷物を聖マンゴ病院にいる持ち主に渡してください。

 

 添えられた手紙にはエメラルド色のインクでそう書かれていた。

 

 

 

 マネキンに手招かれ、マーガレットとネモは『パージ・アンド・ダウズ商会』の流行遅れなショーウィンドウを突き抜ける。聖マンゴ病院の受付はロンドンの街中とはまた違った喧噪に包まれていた。

 絶えず悲痛な声を上げている若い魔法使い、笑い続ける魔女、風船のように宙に浮かんでいる幼い娘とその父親。英国魔法界きっての大病院というだけあり、マーガレットが本でも読んだことがないような症例の患者がここには多くいた。

 

 マーガレットは案内係の列に並ぶ。職員の座るデスクの後ろの壁一面には掲示やポスターが張られていた。そして、聖マンゴの癒者(いしゃ)にしてホグワーツの校長も勤めたディリス・ダーウェントの肖像画——もっともこの日、彼は不在であった——も掛けられている。

 

 順番がきて、マーガレットが案内魔女に要件を伝えると五階に上がるようにと言われた。

 マーガレットは大きなトランクケースを抱きかかえ、両側の壁に肖像画がかけられた階段を上がる。額縁の中の癒者(いしゃ)たちはマーガレットたちの姿を見つけると病状がどうだ、治療法がどうだと好き勝手に話し始めた。

 とくに中世の魔女と思わしき癒者(いしゃ)はネモに向けてポリジュース薬での変身の解き方を熱弁している。もっとも、マーガレットに言わせればネモは生まれてからずっと大鴉(レイブン)なのだが。

 

 そうこうしているうちに一人と一羽は五階にたどり着いた。『呪文性損傷』という札が廊下の入り口に掛けられている。

 

「あなたがマノック先生ね」

 

 ライムのような緑色のローブを纏い、髪にディンセルの花輪を飾った癒者(ヒーラー)が声をかけてきた。彼女は柔和な笑みを浮かべている。

 

「はじめまして。ヤヌス・シッキー病棟担当のミリアム・ストラウトよ」

「マーガレット・マノックと申します。お忙しいところ、わざわざ時間を設けてくださりありがとうございます」

 

 ストラウト癒師(いし)は微笑んだまま首を横に振った。

 

「いいのよ。なにせ彼のお見舞いに来てくれたのは、あなたが初めてなの。さあ、どうぞ。病室まで案内しますね」

 

 癒者(いしゃ)はドアを開け、廊下を奥へ奥へと突き進む。そして、「ヤヌス・シッキー病棟」と書かれたドアを杖で指し、解錠呪文(アロホモーラ)を唱えた。

 

「ギルデロイ、お客さまよ!」

 

 名前を呼ばれ、ベッドの上の男は顔を上げる。ブロンドの髪が揺れ、ブルーの瞳がマーガレットの姿をとらえる。

 

「おや、あなたは?」

「お久しぶりです、ロックハートさん」

 

 ロックハートは首を傾げたまま、目を瞬かせていた。そして、ときおり「あー」とか「うー」と幼児のような声を上げる。

 

「……その、わたしはロックハートさんとご一緒に働いていたんです。一年間だけ、ですが」

「私と? 私はいったい、どんな仕事を?」

 

 ロックハートには記憶がない。彼は「秘密の部屋」で忘却術を浴び、なにもかも忘れてしまった。もちろんマーガレットのことも、そして自分自身のことも憶えていない。

 だから、この長期療養者向けの隔離病棟に入院させられているのだ。

 

「えっと……。その、学校の先生です。ロックハートさんはホグワーツ魔法魔術学校で闇の魔術に対する防衛術を教えていらっしゃいました」

「私が? 教えて? ——私が?」

 

 ロックハートは狼狽え、何度も同じ言葉を繰り返していた。かつての彼ならば、ホグワーツの教師というその輝かしい功績を嬉々として語っていたことだろう。

 だが、今のギルデロイ・ロックハートからはかつて一世を風靡した語り手としての才すらも失われていた。

 

「あの、今日は荷物をお持ちしたんです。ロックハートさんが教室や部屋に飾っていらっしゃった写真や肖像画。それから、本もありますよ」

 

 マーガレットは重たいトランクを床に下ろし、中から比較的小さな写真立てを取り出す。華美なローブを身にまとった被写体はにっこりと白い歯を見せて笑っていた。マーガレットがよく知るロックハートその人である。

 

「これが——私?」

 

 たった一枚の写真をロックハートは食い入るように見つめていた。あまりにも長く見ているもので、しまいにはあの——あくまでも写真だが——ギルデロイ・ロックハートが照れ始める。

 ただ、それほどまでに写真の中の自信たっぷりな男の姿と現在の自身の姿がどうしても結びつかないようだった。

 

「これは……なんでしょうか?」

「それはロックハートさんのサインですよ」

「サイン?」

 

 ロックハートは写真に添えられた特徴的な丸文字を指で丁寧になぞる。そして、彼は満足そうに笑った。

 

「私の名前はこう書くのですね」

 

 あぁ、そうかとマーガレットは得心する。昔の彼女と同じように、彼も自分の名前の書き方さえもわからないのだ。

 

「あの、実際にサインを書いてみませんか? ロックハートさんはそれはたくさんのサインを書いてらっしゃいました。だから、なにか思い出すきっかけになるかもしれませんよ」

 

 マーガレットはインク瓶と孔雀の羽根ペン、それとまだサインの書いていない写真の束をベッド脇に並べる。こうすると彼がしばしば開催していたサイン会のようであった。

 

「これも私の物ですか?」

「そうです。この羽根ペンはロックハートさんがよくお使いになっていたものなんですよ」

 

 ロックハートは羽根ペンを握るように持つ。そして、ペン先をインクにどっぷりとつけた。

 だが、ロックハートがその加減を忘れてしまっていたため、余分なインクがぼとぼとと滴る。真っ白なシーツに黒いシミが広がった。

 

「あらあら、きれいにしましょうね」

 

 ストラウト医師が杖を振ると、あっという間にベッドが整えられる。そして、彼女はインク瓶の蓋を固く閉めた。

 

「ギルデロイにはまだ難しかったかしら」

 

 ストラウト癒師(いし)はあいかわらず微笑みをたたえているが、対するロックハートの顔には悲しみや焦りの色がうっすらと浮かんでいる。

 その姿が記憶を失い、未知に怯えていた幼き日の自分自身のようにマーガレットには感じられた。

 

「あの、よろしければ、これをどうぞ」

 

 マーガレットはポケットに差していた一本のボールペンを差し出す。彼女が普段から使っていたもので、もちろんラッピングなどもされていない。だから。贈り物には不適当な物。

 しかし、マナーだとかを考えるよりも先に体が動いていた。

 

「すみません。その、プレゼントとして用意したものではないのですが」

「それは?」

「バイロー*1です。えっと、バイローというのはマグルがよく使う文房具で、インクがペンと一体になっているからすぐに字を書くことができるんです」

 

 カチッという小気味よいノック音、滑らかな書き心地。マーガレットお気に入りのメーカーの一品というだけあり、使いやすさは保証書つきだ。

 ペンを受け取ったロックハートはゆっくりとサインを書き上げる。その出来は以前に彼が書いたものとは比較のしようもない。

 しかし、その拙い字を見てロックハートは満足そうにしていた。

 

「簡単に字が書けますね! これならば、いくらだってサインも書けるでしょう!」

 

 無邪気に笑うロックハートにつられ、マーガレットも小さく笑う。

 記憶を失うということは——例え、それが己のしたことへの罰であったとしても——悲しいこと。その苦しみがマーガレットにはわかる。

 だから、ほんの少しでも自信(自身)を取り戻したロックハートの姿が彼女には好ましく思えた。

 

「プレゼントまでもらって。よかったわね、ギルデロイ。では、マノック先生。少し、お約束していたことについて話しましょうか」

「おや、もう行ってしまうのですか? ぜひ、またお会いしましょう! このバイローのお礼に私のサイン入りの写真をお渡ししなければなりませんから」

 

 ロックハートの言葉にマーガレットは頷く。ネモも飼い主を真似て首を縦に振った。

 

「わかりました。では、またうかがわせていただきます。バイローも気に入っていただけてよかったです。今度は替え芯もお渡ししますね」

「おや! それでは写真を2枚——いえ、さらに増やさなければ!」

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

「ありがとう、マノック先生。あなたが来てくれたおかげで、ギルデロイもずいぶんと楽しそうだったわ」

 

 ストラウト癒師(いし)はマーガレットを病室からは離れた空き部屋に通した。

 

「いえ、こちらこそありがとうございます。このように忘却術についてお話をうかがう機会をいただけて」

「気にしないで。それに、お礼はキアラ*2に。彼女がぜひあなたに協力してあげて、と。彼女から紹介を受けた際に少し聞いたのですが、マノック先生は記憶がないそうですね」

「はい。7歳になる前に事故に遭い、それまでのことをすべて忘れてしまいました」

 

 先ほどまでは穏やかな表情をしていたストラウト癒師(いし)の目つきが、みるみるうちに真剣なものへと変わっていく。

 二人が向かい合うように座っていることもあり、まるで診察が始まったようであった。

 

「そうなのね。忘却術が原因で?」

「いえ、それがなにもわからないままで……」

「記憶が一つも戻らないとなると、やっぱり忘却術が原因かしら……。でも、マノック先生は——こう、なんというか——それにしては()()()()としているわね。記憶が全部なくなったというのに」

 

 ストラウト癒師(いし)の奥歯にものが挟まったような言い方に、マーガレットは眉を寄せる。

 

「ごめんなさいね、マノック先生のことをおかしいと言っているわけではないの。これはあくまでも癒者として多くの患者を診てきた者としての意見ね。よく知られているように、忘却術は適切に使用すれば一部の記憶だけをピンポイントに消すことができるわ。例えば、昨日の夕食のメニューとか。そして、もし忘却術で昨日なにを食べたのかを思い出せなくても、生活に大きな支障は起きないでしょう? 忘却術師もその支障が起きない程度の記憶修正を行うの」

 

 ストラウト癒師(いし)はなおも話し続けた。

 

「でも、この聖マンゴのように運ばれてくるような患者は違うわ。そのほとんどがギルデロイのようになにもかも——そう、記憶以外にも多くのものを忘れた人。ほら、ギルデロイは言語能力に問題があるわ。入院当初よりは多少よくなっているけれどね。でも、時にはもっと酷くて、歩き方すら忘れている人だっているのよ。だから、そういった患者と比べるとマノック先生からは後遺症のようなものがあまり感じられないの。キアラからなにも聞いていなかったとしたら、先生が一度記憶を失っていることにもまず気づかないわ」

 

 ストラウト癒師(いし)は首を傾げ、マーガレットのことをまじまじと見つめている。

 

「そう。言うなれば、記憶だけが——思い出だけが消されたよう。失礼だけど、その事故というのは?」

「それは交通事故で——その、マグルの自動車に轢かれました。わたしは一命を取り留めましたが、父はわたしをかばって……。だから、医者には事故のショックで過去を思い出せなくなったのだろうと言われました」

 

 その当時は家族も、そして彼女自身もこの診断を受け入れていた。だって、非魔法族に伝わる記憶喪失の原因はおおよそこのようなものだから。

 しかし、魔法を知った今となってはもっと他の理由があったように感じる。そして、それはストラウト癒師(いし)も同じ意見のようだった。

 

「不思議ね。その事故の際に忘却術をかけられたのだとしたら、どうして記憶を全部消す必要があったのでしょう? それに、自動車というのは魔法族(わたしたち)の命を奪うほどのものだったかしら……」

 

 忘却術にはかなりの知見があるストラウト癒師(いし)でもこれ以上はお手上げのようだ。彼女は申し訳なさそうに肩をすくめる。

 

「ごめんなさい。あまりお力になれなかったわね」

「いえ、とても勉強になりました。あの、それともう一つ。ロックハートさんの記憶は——忘却術によって消えた記憶というのはやはり元には戻らないのでしょうか?」

「そうですわね。日々の生活と治療によって多少の改善がみられることはあります。ですが、すべてを思い出すことはありませんわ。それが忘却術ですもの」

 

 マーガレットが魔法界にやってきて、すでに10年以上の時が過ぎた。けれど、記憶が戻る兆しは未だに見えない。

*1
ボールペンのイギリスでの呼び方

*2
「ホグワーツの謎」に登場する癒者を目指しているハッフルパフ生キアラ・ロボスカのこと




ホグワーツ・レガシーの発売おめでとう!&7月のswitch版の発売を心待ちにしています!
およそ110年前のマグル学の教室にも行けるとのことで楽しみです。
ホグワーツ城の資料はいくらあっても困らない。

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