1993年の9月1日は朝から冷たい雨が降っていた。叩きつけるような雨の音。それと、暖炉で燃える炎の音に耳を傾けつつ、マーガレットはある新三年生の時間割に目を通していた。
「九時、『占い学』。同じく九時に『数占い学』。それから——『マグル学』も九時。新学期早々、ミス・グレンジャーも大変ですね」
「えぇ。ですから、
この時間割の制作者であるマクゴナガル教授がマーガレットのこと見つめる。彼女の事務机の上には金色に光り輝く「
「もちろんです。時間旅行中はなにに気をつけるかとか。タイムパラドックスを起こさないためにはとか。そういったことなら、いくらでもアドバイスできるかと」
「こればかりは私やアルバスよりも、よほどあなたの方が慣れているでしょうからね。それに、ミス・マノックの前例があったので魔法省への説得も順調にいきました」
「それなら良かったです」
マーガレットは小さく笑う。
「あなたのときはずいぶんと渋られたのですよ。貴重な『
「……それなら良かったです」
マーガレットはあいかわらず笑みを浮かべていた。だが、それはどこか貼りつけたような笑顔——。
マーガレットのことを誰よりも知っている賢いネモがくちばしで飼い主の頬をつねる。
「どうかしましたか?」
「い、いえ。その、ネモはお腹が空いたのだと思います。たぶん、きっと。……ほら、口を開けてね。いい子、いい子」
口止め料代わりのファッジを与え、マーガレットはネモの頭を撫でた。だが、青い目の鴉はまだ足りないとばかりに口を開けている。
マーガレットはもう一度ローブのポケットに手を突っ込んだ。そして、賄賂をもう五粒取り出す。ネモは目を細め、喉を鳴らした。——交渉成立。
「さて、詳しいことはまたグレンジャーが来てから話しましょう」
マクゴナガル教授は「
「生徒たちの到着まではまだ少し時間がありますね。ミス・マノック、紅茶のお代わりはいかがです?」
「ありがたくいただきます。教授も追加のお茶菓子はいかがですか?」
「では、あなたのおすすめをいただきましょうか」
マーガレットは
マクゴナガル教授はティーリーフビスケットを摘み上げ、マーガレットは淹れたての紅茶が注がれたティーカップを持ち上げる。
とその時、一羽のふくろうが部屋の中に滑り込んできた。雨に打たれたふくろうは羊皮紙をくわえている。
「ふくろう便、でしょうか? あの、まさか去年のようなことがまた!」
マクゴナガル教授はマーガレットと顔を見合わせた。ハリーとロンがホグワーツ特急に乗り遅れ、フォード・アングリアが空を飛んだ日のことを思い出す。
ふくろうは手紙をマクゴナガル教授に受け渡すと、燃える炎の前で暖を取っていた。
「差出人は——新しい防衛術の教授からです。ホグワーツ特急でなにかあったのでしょう」
マクゴナガル教授は真剣な表情で手紙を読んでいる。その間、マーガレットはふくろうのびしょ濡れの体を乾かしてやっていた。
「あぁ、これは——」
「手紙にはなんと?」
「ホグワーツ特急が
マクゴナガル教授は紅茶をぐいと飲み干して立ち上がる。それに合わせ、すっかり熱を取り戻したふくろうも飛び立っていった。
「だから、アルバスは
マクゴナガル教授は猫の守護霊を医務室へと走らせ、自身は校長室へ足早に向かう。
一方、部屋の留守を任されたマーガレットは抱いた腕をさすり、窓の外の暗い空を眺めていた。そして、灰色の空に一段と黒い靄のようなものが漂っているのを見つける。
「
北海に浮かぶ孤島の監獄「アズカバン」。
魔法省は「殺人鬼」シリウス・ブラックの捜索と捕獲のため、
マーガレットがこの
黒いベールの中身、なぜ
知識への興味よりも、
「ネモも
マーガレットが声をかければ、ネモはこくりと頷いた。そして、飼い主の頬にぴたりと身体を寄せる。
「どうしたの、ネモ?」
どうやらネモはディメンターのことを怖がっているようだ。マーガレットは小さく震える大鴉を肩から下ろし、胸に抱きかかえた。
「ネモ、大丈夫だよ。ディメンターは人間にしか興味がないんだって。それに……。ほら、見て」
マーガレットは杖を握り、ゆっくりと目を閉じた。そして、最も幸福な記憶を思い浮かべる。
彼女の胸をよぎるのは自分が魔女だと知ったあの日のこと。
本物の魔法使いに出会ったことへの興奮。目の前で繰り広げられた
そして、父も自分と魔法使いであったとわかった時、マーガレットの心は大きく動いた。
「——
マツの木の白い杖の先から青白い靄が噴き出す。だが、広がった光はすぐに霧散していった。
「やっぱり、マクゴナガル教授のようにはいかないか……。でも、これなら少しは心強いでしょ?」
マーガレットはさらに強くネモを抱きしめる。こうしていれば、
「ネモ、あなたのことはわたしが守る。だから、大丈夫だよ」
飼い主とペット。互いが互いを大切に思い、守るべきものだと考えている。
けれど、青い目の鴉の思いを青い瞳の魔女が知ることはない。
「……そのために、わたしももっと学ばないといけないけれど」
そう言って、彼女は胸に——内ポケットにおさめた「両面鏡」に手をかざした。静かに目を閉じ、ゆっくりと一呼吸。
だが、マーガレットは突然くすくすと笑い始めた。そして、ぽかんと開いたネモの口にビスケットを詰め込む。
「甘いものを食べると元気がでる。わたしがいつも言っているでしょう?」
マーガレットはあきらかにサイズの合わないポケットにクッキー缶を捩じ込みながら、空いた右手で杖を振った。机の上のティーセットが戸棚のもとあった場所に並べられる。
「——
暖炉に風を送れば、炎はさらに勢いを増した。暖かい空気が部屋全体を覆う。
さすがに抱きしめられたままでは暑かったのだろう。ネモはマーガレットの腕から抜け出し、定位置である左肩の上にのる。
どこからか子供達の声が聞こえてきた。ホグワーツ城が賑やかさを取り戻そうとしている。
マクゴナガル教授が二人の生徒——ハーマイオニー・グレンジャーとハリー・ポッターを連れて戻ってきた。
彼らは固い表情で椅子に腰を下ろす。が、なにかと縁のある若い女教授の姿を見つけると少し緊張が解けたようだった。
「ルーピン先生が前もってふくろう便をくださいました。ポッター、汽車の中で気分が悪くなったそうですね」
軽いノックの音が聞こえ、マダム・ポンフリーが慌ただしく部屋に入る。
「
マクゴナガル教授が怒りを露わにしたように、マダム・ポンフリーも魔法省に不満があるようだ。彼女はハリーの前に屈み込み、その額に手を当てる。
「倒れるのはこの子だけではないでしょうよ。そう、この子はすっかり冷えきっています。恐ろしい連中ですよ、あいつらは。もともと繊細な者に連中がどんな影響を及ぼすことか 」
「僕、繊細じゃありません」
「ええ、そうじゃありませんとも」
ハリーの脈を取りながら、マダム・ポンフリーは上の空で答えた。
「この子にはどんな処置が必要ですか?」
マクゴナガル教授が校医に問いかける。
「絶対安静ですか? 今夜は病棟に泊めたほうがよいのでは?」
「そうね、少なくもチョコレートは食べさせないと」
マクゴナガル教授とマダム・ポンフリーとハリーとハーマイオニー——この小部屋に集まった全員の視線がマーガレットに注がれた。
「チョコレートですね。とびきり甘いものなら、ハワイのマカダミアナッツチョコレートはいかかでしょう?」
例のポケットからアメリカ土産の定番を取り出す。小さなポケットの中からその何倍もあるはずの大箱が現れたことにハリーは少々面を食らっていた。
「マノック先生、チョコレートはもう食べました。ルーピン先生がくださいました。みんなにくださったんです」
「そう。本当に? それじゃ、『闇の魔術に対する防衛術』の先生がやっと見つかったということね。治療法を知っている先生が」
去年とは違って、ということをマダム・ポンフリーは言外ににおわせる。
「ポッター、本当に大丈夫なのですね?」
「はい」
「いいでしょう。ミス・グレンジャーとちょっと時間割の話をする間、外で待っていらっしゃい。それから一緒に宴会に参りましょう」
ハリーとマダム・ポンフリーが廊下に出るのを待ってから、マクゴナガル教授は話し始めた。
「ミス・グレンジャーが希望した科目すべての履修が認められました。ですから、あなたは人よりも多くの授業を受けなければなりません。なので、これを渡しましょう」
マクゴナガル教授が逆転時計を手渡す。ハーマイオニーはその黄金に光輝く魔法具にすっかり魅了されていた。
「これはなんですか?」
マクゴナガル教授はマーガレットに目配せを送った。そもそも、マーガレットがマクゴナガル教授の事務室に呼ばれたのはこれが理由である。
「それは『
ハーマイオニーは信じられないという顔をしているが、無理もないことだ。時間旅行は全人類の夢。それを叶えようというのだ。
かつてのマーガレットだって、今のハーマイオニーと同じ顔をしていただろう。
「もちろん、『
ハーマイオニーは「はい」と答えた。首から下げた『
きっと
「『
ハーマイオニーはとても嬉しそうな顔で頷く。
「では、宴会へと参りましょう」
部屋の外ではハリーが待っていた。四人は大理石の階段を下り、組分けを終えたばかりの大広間へと入る。
生徒二人はグリフィンドールのテーブルに座り、マーガレットとマクゴナガル教授は教職員テーブルへと向かった。今年も闇の魔術に対する防衛術の教授——たしかマクゴナガル教授が「ルーピン先生」と言っていた人物——の隣の席が空いている。
一昨年は皆様方が気を利かせてくださったため。昨年は誰も座りたがらなかったため、今ではすっかりこの場所がマーガレットの定位置だ。
「お隣、失礼します」
マーガレットが声をかけると、新しい防衛術の教授は軽い会釈をした。
彼の顔には疲労色が濃くにじんでいて、髪は白髪混じり。それに身にまとうのは継ぎを当てたローブ。少々老けて見えるが、クィレルの少し年上といったところだろうか。
ダンブルドアが挨拶のために立ち上がった。毎年、このタイミングで校長がいくつかの注意を行うのだが、今年はとくに重要なことを述べていた。
「誰一人として
ネモが呻くような低い声で鳴いた。
「楽しい話に移ろうかの。今学期から、嬉しいことに、新任の先生を二人、お迎えすることになった。まず、ルーピン先生。ありがたいことに、空席になっている『闇の魔術に対する防衛術』の担当をお引き受けくださった」
マーガレットは隣の席の人物に向けて拍手を送る。やはり彼がホグワーツ特急からふくろう便を出し、ハリーたちにチョコレートをあげた人物というわけだ。
「もう一人の新任の先生は——ケトルバーン先生は『魔法生物飼育学』の先生じゃったが、残念ながら前年度末をもって退職なさることになった。手足が一本でも残っているうちに余生を楽しまれたいとのことじゃ。そこで後任じゃが、うれしいことに、ほかならぬルビウス・ハグリッドが、現職の森番役に加えて教鞭を取ってくださることになった」
先ほどよりも大きな拍手がハグリッドに対して送られた。ハグリッドの目には嬉し涙が浮かんでいる。
「さて、これで大切な話はみな終わった。さあ、宴じゃ!」
ダンブルドアの合図に合わせ、金の皿や盃が目の前に現れた。マーガレットがこよなく愛するデザートの数々もすでにテーブルに並べられている。
だが、食事に前に彼女にはするべきことがあった。マーガレットは改めて隣に座る新任の教授に声をかける。
「はじめまして、マグル学のマーガレット・マノックです。どうぞよろしくお願いします」
「リーマス・ルーピン。先ほどご紹介にあずかったとおり、闇の魔術に対する防衛術の担当だよ。こちらこそよろしく」
マーガレットはふとルーピン教授の視線が自分の手元に注がれていることに気づいた。つられて目線を落とせば、マカダミアナッツチョコレートの箱を持ったままだったことを思い出す。
「……ルーピン教授はチョコレートがお好きですか?」
「ああ、失礼。おいしそうなものを持っているなと思ってしまってね。たしかに甘いものは好きなんだ」
気恥ずかしそうに笑うこの教授に対し、マーガレットは親近感を覚えた。今年はどのような人物が防衛術の教授の席に座るのかと多少心配していたが、彼とならそれなりに友好な関係を築けそうだ。
「あの、よろしければお近づきのしるしにどうぞ。わたしも甘いものが大好きで、その気持ちがよくわかりますので」
初めは遠慮していたルーピンであったが、最終的にはマーガレットの熱意に押し切られる形でチョコレートを受け取ったのであった。
朝から降り続いていた雨はパーティーの間に止んでいた。ただ、窓の外では青白い月が冷たく輝いている。
宴会でご馳走をたらふく平らげたネモはすでに夢の中にいた。白いシーツの上でその真っ黒い身体が規則正しく膨れたり、縮んだりしている。
髪を下ろし、
「……クィレル先生」
マーガレットが自分の顔に向かって語りかけると、「両面鏡」にクィレルの顔が映し出された。
「こんばんは、先生。遅くなってしまい、ごめんなさい」
「いえ、気にしないでください。ホグワーツの宴は盛り上がるものですから。新学期のご馳走は楽しめましたか?」
「それはもちろん!」
マーガレットが笑うとクィレルも口元を綻ばせる。
「それはよかった。さて、今日の話は手短にすませましょう。明日の君は朝から忙しいでしょうから」
クィレルの気遣いがこの時ばかりはもどかしい。いつだって恩師との会話が楽しいのだから。
「実はホグズミードに引っ越すことになりました」
「ホグズミードに、ですか?」
「はい。ホグズミードに」
マーガレットは青い瞳を大きく見開いた。クィレルはつい数か月前までアメリカにいたというのに、今度はホグズミードだ。物理的にも精神的にもその距離がぐっと近づいた。
「閉心術の訓練をする場所を探していたところ、よいコテージを紹介してもらえましてね。ホグズミードならホグワーツからも近いですし、君の負担も軽くできるかと思いまして」
「あの、とっても嬉しいです! 先生がホグズミードにいらっしゃるなら、いつでもお会いできますね!」
嬉しくて、たまらずマーガレットが大きな声を出したものだから、
「ネモ、ごめんね。起こしちゃったね」
安眠を妨げられ、ネモは不機嫌そうに鏡面をつつく。
「こらこら、駄目だよ」
「し、失礼しました。ミス・マノック、また連絡します。おやすみなさい。ネモも……いい夢を」
マーガレットも「おやすみなさい」と伝え、コンパクトミラーを閉じた。そして、ネモを抱きしめたままベッドに横たわる。
クィレルも言っていたように明日は朝から忙しい。けれど、今夜の速まった鼓動のままではなかなか寝つくことができなかった。
本編の主人公は第1章幕間2のあとがきとは違い、クィレル教授へのストーカー行為『
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