マグル学教室へようこそ   作:BellE

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——「賢者の石」編、開幕。


第1章 「賢者の石」(June,1991~June,1992)
第1話 ミス・マノックはマグル学教授


▽ △ ▽

 

 

——マーガレットは夢を見ていた。

 

「マーガレット、君のお父さんは——」

 

 口髭を蓄えた白髪の紳士が少女に語りかける。

 

「君のお父さんは勤勉で、とても賢い人だった。彼はマッカーデン商店のため、私たち家族のため、そして君のためによく働いてくれた。彼は覚えが早くてね、教えた私よりもよほど仕事ができた。例えば——」

 

 マッカーデン氏は少女の手のひらに上に小さな宝石箱を置いた。少女がバラのカメオのついた蓋を開けると、音楽が流れ始める。

 

「これはマイケルが修理したオルゴール。きれいな音だろう。これはパーツの痛みがひどくてね。私も修理できず、お手上げ状態だったよ。でも、彼は諦めずこれを元通りに直してみせた。いや、本当に見事だった。魔法でも使ったのかと思ったよ」

 

 マッカーデン氏は静かにオルゴールの蓋を閉めた。音楽が止まり、二人を静寂が包み込む。

 

「……マーガレット、これはお父さんが君に残したものだ。だから、大事に持っていなさい」

 

——ありがとう、おじいちゃん。

 

 少女が顔を上げると、そこにはもう祖父の姿はなかった。その代わりに、今度は美しいグレイヘアの女性が少女の方を向いて微笑んでいる。

 

「マーガレット、あなたのお父さんは家族思いで、優しく誠実な人だったの」

 

 マッカーデン夫人は優しく少女の頭を撫でた。

 

「彼はいつもあなたを喜ばせようと、楽しませようとしていた。憶えていないとは思うけど、彼はあなたに色んな物語を語り聞かせていたの。グリム童話にアンデルセン童話、それから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()もあったの。きっと今のあなたも気に入るようなお話よ」

 

 マッカーデン夫人はもう一度少女の頭を撫でた。

 

「だからね、マーガレット。あたくしは、あなたが彼のことを思い出せると信じているの」

 

——ありがとう、おばあちゃん。

 

 少女が瞬きをすると祖母の姿は消え、今度は黒髪の若い女性が現れた。少女は目を赤く腫らした母のことを見上げる。

 

「マーガレット、あなたのパパはね——」

 

——わたしのパパ。わたしのお父さんは……。

 

 

▽ △ ▽

 

 

「夢か……」

 

 マーガレットはソファーの上で目を覚ました。昨夜は読書の途中で眠りに落ちたらしく、胸の上には読みかけの小説がのっかっている。

 押し花のしおりを本に挿み、マーガレットはゆっくりと上体を起こした。サイドテーブルにおいた懐中時計で時刻を確認すると、普段よりも早くに目が覚めてしまったようだ。もう一度眠ることもできる時間ではあったが、なんとなく再び横になる気にはならなかった。

 

 マーガレットはソファーにもたれ掛かり、先ほど見た夢について考えていた。彼女は家族から父親の話をよく聞かされていた。だから、マーガレットは父の記憶を失いながらも、彼の()()を知識として知ることができている。もっとも後付けの知識であるのだから、憶えているとも、思い出したとも言えないのだが。

 今回の夢の内容もこうした今までの知識の一つでしかなく、どれもマーガレットが記憶を無くした直後に家族から聞いた内容である。「夢のお告げ」によると、夢の解釈は未来を占うもっとも大切な方法だそうだが、今日彼女が見た夢は未来の予言などではなく過去の再現でしかない。

 

 マーガレットは大きくため息をついた。そろそろ支度でもしようかと体を動かしたところで、膝の上になにかがのっかっていることに気づく。目線を下ろせばつぶらな青い瞳と目が合った。

 

「ネモ、おはよう」

 

 マーガレットが頭を撫でながら声をかければ、ネモは「カア」と元気よく鳴いた。

 

「久しぶりに夢を見たの。お母さんたちがいてね……。そろそろ会いに行かないとね」

 

 この一年間、マーガレットは実家に帰っていなかった。というのも、彼女がホグワーツの教員になったからである。学生の頃はクリスマス休暇などで帰省していたため、家族の顔を丸々一年見ずに過ごすということはまずなかった。

 しかし、ホグワーツの教員になった以上そうもいかない。教師の仕事はなにも生徒に教えるだけではない。()()()()()()()()()()()()ことも大切な仕事だ。そのため、生徒が学校に残るような休暇はマーガレットも城を離れるわけにはいかなかった。

 

 ホグワーツでの寮生活を通し、家族と離れて暮らすことにも慣れたマーガレットではあったが、一年間も帰っていないとさすがに実家を恋しく思った。今は生徒がいない夏季休暇中であるから、すぐにでも帰ることはできる。しかし、マーガレットにはこのホグワーツで待たなければならない相手がいた。

 

「もう一年経つんだよ。だからもうすぐ——」

 

 ちょうどその時、マーガレットのお腹が鳴った。グーという音が部屋中に響く。マーガレットはネモを抱き上げ、気恥ずかしそうに笑った。

 

「お腹空いたね。朝ご飯、食べに行こうか」

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

 普段なら生徒たちで溢れかえる大広間も夏季休暇中はがらんとしている。今朝はマーガレットたちが一番乗りだったらしく、他の教授たちはまだ誰も来ていなかった。

 

 別に急いで食べる必要もなかったのだが、空腹だったこともあり、マーガレットはあっという間に朝食を平らげた。マーガレットはオムレツとハムステーキ、サラダにポタージュ、それからバターをたっぷりと使ったクロワッサンを、ネモはゆで卵とベーコンとブルーベリーを食べた。さらに、マーガレットはデザートして出てきたカップケーキも別腹ということでぺろりと食べてしまった。

 食後の紅茶で一息ついていると、背後から声をかけられた。

 

「ミス・マノック、今朝は早かったようですね」

 

 特徴的なキーキー声を聞き、マーガレットは振り返る。彼女の予想通り、そこにはフィリウス・フリットウィック教授が立っていた。

 

「おはようございます、フリットウィック教授」

「張り切っていますね」

「いえいえ、いつもより早く目が覚めただけですよ」

 

 教授は眉を上げ、「おや」と呟いた。わたしが早起きするのはそんなに珍しかっただろうか、とマーガレットは不思議に思う。

 

「そうですか。てっきり、今日はクィリナスが戻って来るから早起きしたのだとばかり」

「今日ですか!?」

 

 マーガレットは思わず声を上げた。そろそろクィレルがホグワーツに戻って来る頃だとは思っていたが、それがまさか今日だとは思いもしなかった。

 

「聞いてなかったのかね?」

「はい、なにも。研究のお邪魔になってもと思って、この一年はあまり先生とも連絡を取っていませんでしたから……」

 

 マーガレットの発言を受け、フリットウィックは本当に驚いたような顔をしていた。

 

「私も先ほど聞いたばかりだったが、まさか君もなにも知らなかったとは……」

「でも、そろそろ戻っていらっしゃる頃かとは思っていました。研究室の片付けも昨日終わらせたところだったので、ちょうどよかったです」

 

 クィレルが戻ってくる以上、そうゆっくりもしていられない。マーガレットはネモに合図をし、椅子から立ち上がった。

 

「ミス・マノック、昼過ぎに迎えの馬車を出すそうだ。君も行ってくればいい」

「はい、そうさせていただきますね。色々と教えていただき、ありがとうございました」

 

 マーガレットは教授に礼を言い、大広間から立ち去った。待ちに待った恩師との再会の日というだけあり、彼女の足取りは軽い。ただ、フリットウィックは彼女の後ろ姿を心配そうに見つめていた。

 

 

▼ ▲ ▼

 

 

 馬なし馬車——かつては自動車がそう呼ばれたこともあるそうだが、この魔法界においては()()()()()()()()()というものが実在する。いや、正確には「いない」のではなく「見えない」のだが。

 

「セストラル。天馬の一種で『消える魔力を備えるが、縁起が悪いと思っている魔法使いが多い』。その理由は、見た人にありとあらゆる恐ろしい災難が降りかかると言われているから」

 

 マーガレットは虚空を見つめながら、「幻の動物とその生息地」の一節を暗唱した。

 

「でも、本当にセストラルの姿を見ることができるのは、『死』を見た者だけ。……たしかに、見えないでいられる方がいいのかもね」

 

 マーガレットはホグズミード駅でクィレルの到着を待っていた。その間、彼女はホグワーツから乗ってきたこの「馬なし馬車」のことを観察していた。

 マグルは科学技術によって馬を必要としない「馬なし馬車」を生み出し、魔法族は目には見えない馬に引かせることで「馬なし馬車」を編み出した。ある目的のために、それぞれが歩んだ過程の違いとそれによって変化した結果というのは、マグル学を研究するマーガレットにとっては興味深い比較対象だ。

 

「次の論文のテーマはこれにしようかな? でも、セストラルの姿が見えないと難しいか。ネモはどう思う?」

 

 マーガレットが話しかけると、ネモはクイッと首を傾けた。

 

「うーん。やっぱり難しいのかな」

 

 ネモにつられ、マーガレットも首を捻る。そして、その様子を後ろから見ている者がいた。

 

「み、ミス・マノック?」

 

 懐かしい声が聞こえ、マーガレットは振り返る。そこにはスーツと暑そうなローブをまとい、頭に大きなターバンを巻いた青白い顔の男がいた。彼はマーガレットの顔を見ると、ピクリと頬を動かした。

 

「先生! お久しぶりです。お元気でしたか?」

「は、は、はい。ま、まあ」

「一年間の研究休暇、お疲れさまでした。また、こうして先生にお会いすることが嬉しいです」

 

 マーガレットは握手をしようと右手を差し出した。しかし、クィレルはその手を見つめるばかりで、一向に握り返そうとしてこない。

 

「先生?」

「あぁ。こ、こうするのも久しぶり、ですね」

 

 彼は恐る恐るといった様子でマーガレットの手を握った。緊張しているのか、表情が硬い。

 軽い握手を交わしながら、マーガレットはクィレルのことをまじまじと見つめていた。一年ぶりに再会したからか、彼の姿や様子がかなり変わっているように感じる。見慣れないターバンはもちろんだが、顔もやつれてしまっている。

 マーガレットはこの一年の研究休暇の間、クィレルの身になにかあったのではないかと心配になった。

 

「先生、本当に大丈夫ですか? どこかお体の調子が——」

「い、いえ。な、長旅で少し疲れが溜まっているだ、だけです」

「そうですか……。あの、先生。わたしにできることがあれば、なんでも言ってくださいね。だって、わたしは先生の助手ですから。きっと、お力になれると思います」

「……それは心強いです」

 

 クィレルはぼそぼそと喋った。その声を聞き、マーガレットはどこか安心する。服装や顔つきはたしかに一年前とは変わっている。しかし、その声は間違いなく彼女が()()と慕う男のものだった。

 

「ここでな、長話をするわけにもいかない。ほ、ほ、ホグワーツに行きましょう」

「それもそうですね。ホグワーツに帰りましょうか、先生」

 

 

 

 一行を乗せた馬車は鬱蒼とした森の中を進んで行く。マーガレットは向かいに座るクィレルのことを見ていた。彼は頻繁に目を動かしたり、ずっと手を揉んでいたりとどこか落ち着かない様子だ。彼女の視線に気づき、クィレルは俯けていた顔を上げた。

 

「な、なんでしょうか?」

「あぁ、すみません」

「なにかき、き、気になることでもあ、ありましたか?」

 

 クィレルはぎこちない笑みを浮かべる。

 

「はい。その、頭に巻いてらっしゃるターバンが気になりまして」

「こ、こ、これですか! こ、これは……」

 

 クィレルは肩をぶるっと震わせた。

 

「これは、ぞ、ぞ、ゾンビをやっつけた際にあ、アフリカの王子からも、もらいました」

「ゾンビ! 先生はゾンビに会ったのですか!」

「は、はい」

 

 少しでも冷静になって考えれば実に怪しい話ではあるのだが、マーガレットはゾンビが実在するらしいということと、それをクィレルが討伐したらしいということにすっかり興味を惹かれていた。

 

「ゾンビが本当にいるだなんて知らなかったです。ドラゴンやユニコーン、トロールと空想上の生き物だと思っていたものが本当にいるのがこの魔法界ですが、まさかゾンビまでいたなんて! 先生、どうやってゾンビを倒したのですか? やはり頭を狙うのでしょうか? それとも、インセンディオで全身を燃やしてしまったとか? それから、ゾンビに噛みつかれると、噛みつかれた人もゾンビになってしまうのですよね? 先生は大丈夫でしたか? あれ? でも大丈夫じゃなかったら、こうして戻ってきてくださらないですね」

 

 マーガレットの畳みかけるような質問の嵐にクィレルは思わず苦笑する。

 

「ミス・マノック。ゾンビに噛まれた相手もゾンビになるというお約束は、マグルの映画が——うっ」

 

 クィレルは急に呻き声を上げ、頭を抱え込んだ。肩が激しく上下に動いている。マーガレットは膝にのせていたネモを下ろし、彼に近寄ろうとした。

 

「先生!」

「な、なんでもない。なんでもな、ないです」

 

 クィレルは手を突き出し、しきりに「なんでもない」と呟く。それはマーガレットに対してだけでなく、自分にも言い聞かせているかのようであった。

 

「でも、先生。わたし、先生のことが心配です」

 

 マーガレットは改めてクィレルのそばに寄ろうとした。右手を彼の震える肩に伸ばす。しかし——

 

「私に構うな!」

 

 差し出した手はクィレルによって振り払われた。パチンという乾いた音が客車に響く。マーガレットは呆然としながら、じんわりと痛む手を引っ込めた。

 

「ごめんなさい。出過ぎた真似をしました」

「ミス・マノック、き、君を傷つけるつもりは——」

 

 クィレルの顔はひどく青ざめていた。マーガレットに手を上げてしまったことに動揺し、そんな自分に対して怯えているかのようだった。

 

「いえ、大丈夫です。音をしましたけど、痛くはなかったですし」

 

 マーガレットは相手を安心させようと笑みを浮かべる。一方で、彼女の膝の上にいるネモはクィレルのことをじっと睨みつけていた。

 

「ですが、わ、私のしたことは……」

「先生、本当にお気になさらないでください。たまたま、先生の手とわたしの手が当たってしまっただけですよ」

 

 マーガレットはニッと笑う。そんな彼女のことをクィレルは眩しそうに見つめていた。

 

 ちょうどその時、馬車が止まった。窓の外を見ると、そこはもうホグワーツ城の入り口だった。

 

「着きましたね。降りましょうか」

「そ、そうですね」

 

 一行が客車から降りると、馬車は森の中へと消えていった。その車だけが走り去っていく姿はマグルの「馬なし馬車」(自動車)とあまり変わらないな、とマーガレットは思った。

 

「わ、わ、私はダンブルドア校長と話すことがあるので、まずこ、校長室に向かいます」

「わかりました。それなら、先にトランクを研究室まで運んで置きましょうか?」

「だ、大丈夫です。じ、自分で持って行きます。で、では……」

「はい、また後で」

 

 二人は入り口で別れた。一人は校長室のある東の塔へ向かい、もう一人と一羽はマグル学教室のある北塔へと歩みを進めた。

 

 

 

 研究室へと戻ってきたマーガレットは、クィレルを待つ間に昨夜の読みかけの本でも読んでいようかと考えた。しかし、なぜか集中力が続かない。本にしおりを挿み、ソファーに体を投げ出す。

 恩師も帰ってきた。なのに、なぜ自分の心はざわついているのだろうか。マーガレットは胸に手を当て、大きく息を吸った。

 

 気を紛らわすため、なんとなく昨日掃除をした部屋の中を見回していると、デスクにオルゴールが置かれたままであったことに気がついた。このマグル学研究室の本来の主がいつ帰って来てもいいようにと部屋に置いていた私物は全て片付けたつもりでいたが、あのオルゴールだけはしまい忘れていたらしい。

 

 マーガレットは魔法でアンティークものの宝石箱を浮かび上がらせ、慎重に自分の手元まで運んだ。三回ネジを巻き、バラのカメオがついた蓋を開けると、オルゴールは「トロイメライ」を奏で始めた。

 マーガレットは膝上で丸まっているネモを撫でながら、聞き慣れたメロディーに耳を傾けていた。オルゴールの調べと手のひらから伝わるぬくもりに癒され、次第に瞼が重くなる。今朝、普段よりも早起きしたこともあり、このまま目を閉じてしまえば眠ってしまうことはわかっていた。だが、あまりの心地よさに睡魔に抗うこともできなくなっていた。

 

 

▽ △ △

 

 

——マーガレットは再び夢を見ていた。

 

「マーガレット、あなたのパパはね……」

 

 メアリーは少女のことをじっと見つめ、静かに口を開く。

 

「あなたのパパはとっても勇気のある人だったの……。だから、だから彼はあなたを守って……」

 

 メアリーは少女のことを強く抱きしめた。メアリーの頬を一筋の涙が伝う。

 

「パパはあなたのことを誰よりも愛していたわ。だから……。だから、どうか忘れないで。マイケルのことを……」

 

 少女は母の腕の中で独りごちる。

 

——ごめんなさい、お母さん。ごめんなさい、お父さん。わたし、なにも憶えてない。

 

 

△ ▽ △

 

 

 コンコン、という扉を叩く音でマーガレットは目を覚ました。慌てて髪を結え直してから扉を開けると、そこにはエメラルド色のローブを着た魔女が立っていた。

 

「ミス・マノック、こちらにいましたか」

「マクゴナガル教授、いかがされましたか?」

 

 マクゴナガルはマーガレットの姿を見つけるとほっとしたような表情を浮かべたが、すぐさま普段どおりの厳格な顔つきに戻った。

 

「ミス・マノック、至急校長室まで来てください」

「承知いたしました」

 

 マーガレットはネモを肩にのせ、マクゴナガルとともに校長室に向かった。ホグワーツで働くようになってからは何度か校長室を訪ねることもあったが、学生の頃の感覚が抜け切らずいつも緊張してしまう。いったい今日はどのような用なのだろうかと考えていると、不意にマクゴナガルに声をかけられた。

 

「ミス・マノック」

「はい、なんでしょうか」

 

 教授は後ろを歩く元生徒のことをちらりと見た。

 

「この一年、ホグワーツで働いてみてどうでしたか?」

「どうでしたか、ですか? その、感想ということでしょうか?」

「えぇ。教員となって、あなたがどのようなことを感じたのかをぜひ知りたいのです」

 

 急に求められた感想ほど難しいものはない。「簡単でした。教師の仕事は楽ですね」だとか、「大変でした。もうこんな仕事はしたくないです」などと言うわけにはいかない。もっとも、マーガレット本人はそんなこと微塵も思っていないのだが。

 

「ミス・マノック、難しく考える必要はありませんよ。あなたの素直な感想を聞かせてください」

「そうですね……」

 

 マーガレットは軽く目を閉じ、頭の中の考えをまとめた。

 

「教師の仕事は、自分にとても合っているように感じました。もちろん、教師としてはまだまだ力不足ですし、学ばなければならないことはたくさんあります。でも、自分が今までに覚えた知識だとか、身につけた技術を人に伝えるというのはとても楽しいですし、しっくりときました。この仕事に巡り合えて、本当によかったと思います」

 

 マーガレットの言葉を聞き、マクゴナガルはふっと口角を上げた。

 

「ホグワーツにとっても、あなたのように勤勉で熱意に溢れる教師を迎え入れられたことは幸運でした。さて、着きましたね。——爆発ボンボン!」

 

 マクゴナガルが合言葉を唱えると、石の怪獣像はまるで生きているかのようにピョンと飛び跳ねた。石像の背後にあった壁が左右に割れ、螺旋階段が現れる。

 

「ミス・マノック、校長がお待ちです。あなたに大事な話があるそうです」

「はい、わかりました」

 

 緊張の面持ちでマーガレットは階段に乗った。エスカレーターのように動く螺旋階段は一人と一羽を上へ上へと運んでいく。

 階段の先では輝くような樫の扉が彼女のことを待っていた。マーガレットは一度大きく深呼吸をしてから、グリフィンを象ったドアノッカーに手をかけた。

 

「マノックです。失礼いたします」

 

 扉が音もなく開く。マーガレットは円形の部屋の奥、事務机に座る立派な髭を蓄えた老人の姿を見つけた。アルバス・ダンブルドアはマーガレットに気がつくと優しく微笑み、手招きして彼女のことを呼び寄せる。

 

「やあ、マーガレット」

「あの、どのようなご用件でしょうか?」

「そう緊張せずともよい。君といくつか話したいことがあるのじゃ。まずは、そうじゃな……。最近、君が気に入った菓子はあるかのう?」

「気に入ったお菓子ですか?」

 

 大事な話があると聞いていたものだから、マーガレットはその予想外の質問に驚きを隠せなかった。ぽかんとしている彼女を見て、ダンブルドアはくすくすと笑う。

 

「おいしい菓子を食べたいのなら、君に聞くのが一番だと耳にしたことがあってのう」

「はあ……」

 

 マーガレットが甘いもの好きなのは、このホグワーツでもまあまあ知られていることだ。マグル学に教壇に立っていたこの一年の間にも、何度か寮点狙いの生徒からの貢ぎ物——もちろんすべて断った——があったほどだ。

 それくらいに知られた話ではあるのだから、いつの間にか校長にもその噂は伝わっていたのだろう。

 

「そうですね。最近の好きなのはオーガニックのビスケットでしょうか。ザグっとした食感で、食べ応えのあるところが気に入っています。それから、紅茶にもワインにも合うので、どんな時にでもおいしく食べられるのがいいですね。ロンドンにいる家族が手紙と一緒によく送ってきてくれるので助かっています」

「それはなかなかおいしそうじゃな。わしもロンドンに行ったときには食べてみようかのう」

「はい、ぜひ」

 

 自分の好きなものについて話したからか、マーガレットの緊張は和らいでいた。自然と口元も緩み、心も軽くなる。その様子をダンブルドアは微笑ましそうに見つめていた。

 

「お気に入りのお菓子についてなら、いくらでも話せるかと思います。ですが、大事なお話というのは、このことではないですよね?」

「そうじゃな、そろそろ本題に入ろうか」

 

 ダンブルドアは明るいブルーの瞳をマーガレットに向けた。すべてを見透かすようなまなざしで見つめられると、マーガレットはなぜだか居心地の悪さを感じた。

 

「マーガレット、これからの君の仕事についての話じゃ。この一年、教授のいないマグル学教室をよくぞ支えきってくれた。これからも助手として、その能力を遺憾なく発揮してほしいと思っておる。じゃが、ちと問題があっての」

 

 マーガレットはごくりと唾を飲み込んだ。心臓の鼓動が徐々に早まる。

 

 彼女はなぜ自分が呼び出されたのかを考えていたが、ある一つの可能性に思い至っていた。それは自身のマグル学教授の助手という仕事に関することだ。

 このホグワーツでは、それぞれの教授が助手を置くことは滅多にない。今は教授であるクィレルも元々は助手であったが、あれは前任のマグル学教授が高齢で引退を考えていたからであり、教授職の後継者を育てるためであった。

 

 対して、マーガレットはどうか。ホグワーツに留まり、研究を続けられるようにするために助手という道を選んだのであって、彼女自身は次の教授を目指しているわけではない。言ってしまえば、校長や教授たちの恩情によって雇ってもらえているだけで、いつクビになってもおかしくない立場なのである。

 そして今日、マグル学教授がホグワーツに戻ってきた日にマグル学助手が呼び出された。一年の研究休暇を経て、もし先生の考えが変わっていたとしたら? 校長に助手はいらないと伝えてあったとしたら?

 

——もしかしたら、自分はもうホグワーツにいられないのかもしれない。

 

 マーガレットはダンブルドアからは見えない位置で拳をぎゅっと握りしめた。

 

「そこでじゃ。マーガレット、君をマグル学教授として正式にホグワーツに迎え入れることとなった」

「そうですか。わたしがマグル学の教授に——」

 

 よかった、まだホグワーツに残ることができる。マーガレットはまず安堵した。次に自身が教授として認められたことへの喜びを感じた。だが、なにかがおかしいことに彼女はすぐ気がついた。

 

「わたしが教授ですか? クィレル先生がいらっしゃるのに?」

 

 マーガレットは混乱していた。口を開くも続く言葉が出てこない。彼女の右肩にとまるネモもくちばしを半開きにして首を捻っていた。

 

 そもそも、ホグワーツは各教科に対して教授が一人いる。言い換えれば、それぞれの教科に教授が二人以上いることはない。そして、マグル学にはすでにクィリナス・クィレル教授がいる。だからこそ、マーガレットはマグル学教授にはなれないはずである。そう、クィレルがマグル学教授を辞めない限りは。

 

「そのクィリナスじゃが、来年度はマグル学ではなく闇の魔術に対する防衛術を教えることとなった。したがって、マグル学教授が不在となる。だからマーガレット、君が新たな教授となってほしいのじゃ」

 

 たしかにマーガレットの恩師はマグル学だけでなく、呪いやそれに対抗する防衛呪文への造詣も深い。マーガレットも在学中は何度も彼から実技を教わってきた。深い知識と確かな技術を持ち合わせるクィレルが闇の魔術に対する防衛術の教授に任命されるのは納得の人選ではある。

 だが、マーガレットはどうしても「なぜ」という思いを捨てきれなかった。なぜ、あの教師がホグワーツを去っていく教科をクィレルが教えなければならないのか、と。

 

「ダンブルドア校長。クィレル先生が闇の魔術に対する防衛術を教えることとなったのは、他にあの教科を教えられる人がいなかったからでしょうか?」

「たしかに、そのことが一つの要因でもある。じゃが、クィリナスは自ら闇の魔術に対する防衛術の教授に志願したのじゃ。マグル学はどうするのかとも聞いたのじゃが、あとはミス・マノックに任せるとのことじゃった」

 

 マーガレットは静かに目を閉じた。恩師の姿が瞼に浮かんでは消えていく。

 

「そうでしたか……」

「クィリナスからは、なにも聞いていなかったようじゃの」

「……はい」

 

 マーガレットはわずかに頷く。ダンブルドアは手を顔の前で組み、小さく唸った。

 

「あぁ、クィリナスと一番親しい付き合いがあったのは君じゃったが……。そうか……」

 

 しばしの沈黙の後、ダンブルドアが再び口を開いた。

 

「マーガレット。今、このホグワーツのマグル学を任せられるのは君しかいないのじゃ。頼まれてくれんかの?」

 

 マーガレットは一年前のことを思い出していた。あの日、恩師と交わした約束を、胸に抱いた決意を彼女が忘れることはなかった。そして、これからも忘れはしないだろう。

 

 ゆっくりとマーガレットは目を開けた。覚悟を決めた青い瞳はただ前だけを見つめている。

 

「かしこまりました。マグル学教授の任、謹んでお受けいたします」

 

 こうして、マーガレット・マノックはマグル学教授になった。




今後は週に一回程度を目安に更新していきたいと考えています。
「賢者の石」編完結まで時間がかかってしまいそうですが、どうぞよろしくお願いします。

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