11月に入り、寒い日が続くようになった。校庭には毎朝霜が降り、夜は吐息が白くなる。だんだんと冬が近づいているのだ。
ネモは肌寒いのか、先ほどから飼い主にぴたりと体を寄せている。マーガレットは目を細め、膝の上で丸くなっているネモをローブで包んだ。9月の頃は多少暑苦しく感じたローブも今ではちょうどよい。
「週末に向けて、どの寮も盛り上がっていますね」
賑やかな大広間の様子を眺めながら、マーガレットは隣に座るクィレルに話しかけた。彼は口に入っていたサンドイッチを飲み込み、口元を拭う。
「く、く、クィディッチ・シーズンですからね。こ、今年はど、どの寮が優勝するのでしょうか」
ハロウィーンのパーティーが終わり、ホグワーツのクィディッチ・シーズンが始まろうとしていた。クィディッチの勝敗は寮対抗杯の行方をも左右する。そのため、代表選手であろうとなかろうと、この時期の生徒たちの話題はクィディッチ一色となる。
「わたしとしましては、やはりレイブンクローに勝ってもらいたいところですが……。今年はグリフィンドールも応援したいです」
「百年ぶりのさ、最年少シーカー……。ハリー・ぽ、ポッターがき、気になりますか」
「はい。わたしも最年少の教授ですから、最年少のシーカーである彼に少し親近感を覚えまして」
マーガレットはグリフィンドールのテーブルに座るハリーの姿を見つけた。彼の周りにはロンやハーマイオニー、同じチームの仲間であるウィーズリーの双子が集まっている。
本来ならばクィディッチのチームには二年生からしか参加できない。しかし、一年生のハリーは特例としてチームへの参加が認められ、シーカーとして試合に出場することが決まっていた。彼がシーカーであることは極秘のようだったが、その
「マクゴナガル教授の特別措置もありますし、彼がどんな試合を見せてくれるのか楽しみですね」
グリフィンドールの寮監がハリーにニンバス2000を送ったことは、これもまた
「ということは、み、ミス・マノックの週末の予定はグリフィンドール対スリザリンですか?」
「はい、そのつもりです。先生も見に行かれるのですか?」
「は、はい。せ、せっかくの機会、ですから」
マーガレットは相槌を打ちながら紅茶を綴っていた。ミルクティーの優しい甘さが体を温めてくれる。
食後の紅茶でほっと一息ついていると、不意にクィレルが口を開いた。
「み、み、ミス・マノック、もし君がよければ、い、一緒に試合を見ませんか?」
マーガレットは目をパチクリさせていた。そして、その次の瞬間には顔をパッと輝かせた。
「一緒に、ですか?」
「き、君が嫌でなければ」
気恥ずかしかったのか、それとも別の理由があったのか、クィレルはマーガレットから目をそらした。そのため、隣に座る女が満面の笑みを浮かべていることに少し遅れてから気づいた。
「ぜひご一緒させてください! そういえば、先生とクィディッチを観戦するのは初めてですね」
生徒たちの集まる寮の席と教員や来賓の集まる席は場所も——それから高さも——違う。そのため、マーガレットは今まで一度もクィレルとクィディッチを観戦したことがない。
「週末がとっても楽しみです!」
「そ、そうですね。わ、私も週末に向け、
「準備」という言葉を聞き、マーガレットは不意になにかを思い出した。彼女は懐中時計を取り出し、今の時刻を確認する。
「あ、もうこんな時間なんですね。そろそろ戻らないと」
マーガレットは紅茶を最後の一口まで飲み干すと、膝の上にのっかっているネモを抱き上げた。
「すみません、先生。次の授業の準備があるので、お先に失礼しますね」
「わ、わかりました。ご、午後も頑張ってください。……そ、そうだ。み、ミス・マノック」
クィレルはかつての教え子を呼び止めた。マーガレットは足を止めて振り返る。二人の視線が絡み、しばし沈黙が流れた。
「……。す、す、すみません。なにを聞こうとしたのかわ、忘れてしまいました」
「そうですか。思い出したら、またいつでも声をかけてください」
マーガレットはにっこりと愛想のよい笑みを浮かべた。
「では、またあとで。先生も午後のお仕事、頑張ってくださいね」
ネモを抱きかかえたまま、マーガレットは小さく手を振る。クィレルも今度ばかりは遅れることなくそれに気がついた。
クィレルも手を振り返す。しかし、その動作はどこかぎこちなかった。
マーガレットは一人研究室で次の授業の準備をしていた。先ほど本棚から抜き出した本とあらかじめ作っておいた書名リストを交互に見比べる。どうやら一冊の漏れもなく、目当ての本はすべて用意できたようだ。
ローテーブルに積み上げた本をマーガレットは慎重に持ち上げた。魔法を使えば簡単に運べるのだが、なんとなく本は自分の手で持ちたかった。それに扉の先のマグル学教室にまで運ぶだけなのだからそこまで大変な仕事ではない。
「ネモ、そろそろ行くよ」
マーガレットが声をかけると、デスクの上に鎮座していたネモは首を持ち上げた。じっと狙いを定め、飼い主の左肩にぴょんと飛び移る。マーガレットはネモがいつもの定位置にいることを確認し、慎重に隣の教室まで歩みを進めた。
「グリフィンドールとレイブンクローのみなさん、マグル学へようこそ」
教室にはすでに生徒たちが揃っていた。彼らは赤や青、緑色のビニールチェアに座り、教科書を読んだり、隣の生徒と話したりして授業が始まるのを待っている。マーガレットは机に本を並べ、教室にいる生徒全員の顔を見回した。
マグル学の教室は一学年の生徒を全員収容できるくらいの広さがあるのだが、今は二寮を合わせても十数名の学生しかいない。もっとも、マグル学の受講者は毎年このくらいである。この教室が人で溢れているところをマーガレットは——それから、その先代、先々代のマグル学教授たちも——見たことがない。
「それでは授業を始めましょう」
受講生が少ないため、出席の確認もすぐに終わってしまう。マーガレットは出席簿を閉じ、理髪店にあるようなパーマ機のついた椅子に腰を下ろす。彼女が机に置いてある
このホグワーツ城には様々な魔法がかけられている。その影響でホグワーツの中ではマグルの作った電子機器は正しく動作しないとされている。たしかに、このマグル学の教室にはブラウン管テレビやビデオデッキ、公衆電話などが置かれているが、それらが実際に使われているところを生徒に見せることはできない。
しかし、一方でこのホグワーツでも使うことができる機械というのも存在する。それを発見したのは先々代のマグル学教授であり、動力に電気以外を用いるといった彼の改良のおかげで疑似的に動かせる電子機器というのも増えた。例えば、このOHPもその一つである。電気でランプを光らせる代わりに瓶に詰められた炎を光源にすれば、マグルが学校やオフィスで使うのと同じようにこの機械を使うことができるのだ。
というわけで、マーガレットが電球代わりの瓶詰の炎をOHPにセットすると、黒板代わりの白いスクリーンがパッと明るくなった。
「さて、ふくろう試験を控えた皆さんは自分が将来どのような仕事をしたいのか考えている時期かと思います。マグル学を学ぶあなたたちのなかには、マグルと関わりのある仕事——例えば、魔法省の魔法事故惨事部を目指している人もいるのではないでしょうか。では、将来忘却術士になるかもしれない皆さんに一つ問題を出しましょう」
マーガレットはファイルから慎重にフィルムを取り出し、OHPにのせる。スクリーンにはマーガレットが昨夜、紅茶を飲みながら描いた額から角を生やした馬の絵が投影された。
「あるマグルの子供がこの絵を描き、『これはユニコーンだ』と言いました。さらに、その絵を見た親は『ユニコーンの角には不思議な力があるんだよ』と子供に教えました。さて、繰り返しますがこの絵を描いた子供も、それを見た親も魔法族とはなんら関係のないマグルです。しかし、彼らはユニコーンのことを知っています。では、もしあなたが忘却術士だった場合、あなたは彼らの記憶を修正しますか?」
一瞬、教室にざわめきが起きた。それは当然だとばかりに頷いている生徒もいれば、この子供のような経験があるのか投影された絵をじっと見つめている生徒もいる。
そして、一人の男子生徒が「僕を指してくれ」と言わんばかりに、まっすぐと手を挙げていた。
「では、ミスター・ウィーズリー」
教授の指名を受け、パーシー・ウィーズリーは自信満々に口を開いた。
「『幻の動物とその生息地』には『魔法生物や怪物について、マグルが常に無知であったわけではない』との記述がありました。マグルもドラゴンやグリフィン、ユニコーンといった魔法生物のことを知っています。しかし、それは想像上の生き物としてであり、マグルは魔法生物が実在することまでは知らないとされている。つまり、この絵のユニコーンはマグルの考える架空のユニコーンであり、彼らがユニコーンの実在を知らない以上は記憶を修正する必要はないと考えられます」
「そのとおりです、完璧な答えでしたね。グリフィンドールに5点」
マーガレットはユニコーンの落書きの他に、「貴婦人と一角獣」といった魔法生物を描いた芸術作品をスクリーンに投射する。
「このようにマグルの芸術作品には多くの魔法生物が登場しています。それに、絵画や彫刻だけではありません。神話や童話、小説など、マグルの文学にも魔法生物はたびたび登場します。つまり、マグルにとってもドラゴンやユニコーンといった魔法生物はよく知られた存在なのです」
マーガレットはフィルムを取り替えた。次のフィルムには、マグルの文学作品がぎっしりと書き込まれている。
「では、今日はマグルの文学を参考に、マグルと魔法生物の関係性について学んでいきましょう」
ギリシャ神話のケンタウロス、エジプト神話のスフィンクス。さらには「狂えるオルランド」のヒッポグリフやシェイクスピアの書いた
マグル学教授は説明を終えるまでに三回もフィルムを交換していた。これは彼女が読書好きであるためについ多くの作品を紹介してしまったせいでもあるが、それくらいマグルにとって魔法生物の登場する物語はありふれているという証拠でもあった。
「『アーサー王物語』が実在の魔法使いマーリンの活躍を後世に伝えているのと同じように、魔法生物の存在というのも数多の物語を通じて語り継がれてきました。それは口から口へと伝わり、いつの間にか魔法族にも非魔法族にも広まる共通の物語になったのです。しかし、ある頃から魔法界をマグルから守るためにその存在を秘匿する必要がでてきました。魔法史でも、マグル学の最初の授業でも教わったであろう『魔女狩り』があった頃のことですね」
マグル学はマグルの生活や文化、それらを支える科学技術のことなどマグルに関するものを多岐に渡って教える学問だ。しかし、三年生が受ける初めてのマグル学で教えることはいつも、そしてどの教授でも同じなのである。
魔法族と非魔法族がなぜ別れることとなったのか、つまりは国際魔法使い機密保持法が生まれた歴史的背景を教えることなっている。これは
「暗黒の日々を経験した魔法使いたちは『国際魔法使い機密保持法』を制定しました。そして、それと同時期にあった国際魔法使い連盟のサミットでは、どうすれば魔法生物の存在がマグルに気づかれないかということが話し合われました。この討議の結果、魔法生物をマグルの目から隠すということ、こうした生物は想像上のものであって、実際には存在しないとマグルに思い込ませることが決まりました。つまり、マグルから魔法生物の実在を隠すことはできても、存在を忘れさせることはできないと結論づけられたのです。すでに魔法生物の物語は時代も、言語も、国も超え、マグルたちにも広く知れ渡っていたため、世界中のマグル一人一人に忘却術をかけることも、魔法生物について記された本をすべて焼くことも、もはや不可能になっていたからですね。……さて、ここまでは大丈夫ですか?」
生徒たちがノートを取り終えたことを確認し、マーガレットは机の上に散らばっていたフィルムを片づけた。
「ですから、マグルも魔法生物の存在を知っているのです。しかし、マグルは魔法生物が実在していることまでは知りません。ミスター・ウィーズリーが答えてくれた通り、彼らが知っているのは物語に出てくるような架空の存在としての魔法生物であり、魔法使いの知る魔法生物と必ずしも同じというわけではありません。では、その一例を紹介しましょう」
マーガレットが新たなフィルムをセットすると、スクリーンの中心に大きなトロールの絵が現れた。もう一枚フィルムを重ねると、絵の左側にトロールの説明が投影される。
「ハロウィーンの一件もありましたから、トロールを例に挙げて説明します。ニュート・スキャマンダー氏の『幻の動物とその生息地』では、トロールは『身の丈4メートル、体重1トンにもおよぶ恐ろしい生き物』であり、『けた外れの力と並外れてばかなことの両方が特徴』と述べられています。そして、M.O.M.分類も
マーガレットは再びフィルムを重ねた。今度はマグルの物語に登場するトロールの特徴がまだ空いているスクリーンの右側に現れる。
「もちろん、トロールのこともマグルは知っています。マグルにとって、トロールは北欧の国々の伝承に登場する妖精の一種です。大きな体を持ち、怪力であること。また、凶暴だが知能があまり高くないところなど、わたしたちの知るトロールと同じ生物のように思えますね」
国や地域によって多少の違いはあるものの、マグルの知るトロールの特徴は魔法界で知られているものと大きくは変わらない。その昔、トロールを見てしまったマグルやマグルに話を聞かせてしまった魔法使いがいたということなのだろう。
「しかし、マグルが知っているのはあくまでも伝承上のトロールです。伝承、つまりは人から人へと伝言ゲームのように受け継がれてきたものですから、その途中で内容や真意が誤って伝えられてしまうことがあります。例えば、太陽の光を浴びて動かなくなったトロールのことを過去の魔法使いたちは『石になる』と表現しました。皆さんにはあまり馴染みのない言い回しかもしれませんが、最近ですとギルデロイ・ロックハート氏の『トロールとのとろい旅』でこの表現が出てきましたね。あぁ、少し話がずれてしまいました。もちろん、この言葉は『石のように動かなくなる』の意味ですが、それを伝え聞いたマグルは言葉の通りに解釈し、トロールが『石になる』のだと思い込みました。そうしてマグルたちは凶暴なトロールが石に変わるという物語を新たに作り上げ、魔法使いから見ても架空の魔法生物を生み出したのです」
マーガレットは机に並べていた本を一冊手に取り、適当にページをめくった。
「わたしたちのような実在の魔法生物を知っている者からすれば、その物語が事実とは違うとわかります。しかし、マグルにはそれが正しいのか、間違っているのかは判断できません。だからこそ、より面白く、より楽しい物語こそが彼らの答えとなるのです。それは……わたしたちが耳にするような噂話とよく似ているのではないでしょうか。本当はその真偽を確かめることもできるのに、人から人へと広まるうちに大きくなっていった噂に面白みを感じ、真実とは異なる偽りの物語に満足してしまう。これは魔法使いもマグルも関係ない、人の性なのかもしれませんね。もっとも、そのおかげで魔法界の秘密を守ることができているのですが」
マーガレットは椅子から立ち上がり、杖をOHPに当てた。「——
「今日はここまで。宿題はマグルの文学に出てくる魔法生物は実際の魔法生物とどう異なるのかをまとめてきてください。本は自分が持っているものを選んでもいいですが、わたしの蔵書もお貸ししますので借りたい方は前に取りにきてください。レポートの提出と本の返却は一週間後です。では、また」
マグル出身の生徒でも、相当な本好きでなければ教科書以外の本をわざわざホグワーツに持ってこない。魔法界出身の生徒なら、なおさらマグルの文学など持っていない。
というわけで、マーガレットはほとんど生徒に本を貸し出すこととなった。そして、今は教室に最後まで残った女子生徒の相手をしているところだ。
「ペネロピーはどの本にしますか。あらすじなら説明しますよ」
「本はこれにしようかと。小さい頃に読んだことがありますから。実はマーガレットさんに聞きたいことがあって残ってたんですよ」
ペネロピー・クリアウォーターはレイブンクローの生徒であり、マーガレットが監督生になった年に入学してきた後輩でもある。そのため、マーガレットが教師となってからも、こうして時折会話を交わすような仲であった。
「最近の噂のことなんです……。マーガレットさんなら本当のことを知ってらっしゃるだろうから」
「なんでしょうか? あ、わたしに菓子を渡せば寮点がもらえるというのは嘘ですからね」
「そんな噂もありましたね。でも、わたしがお聞きしたいのは……ハロウィーンの夜のことなんです」
あの夜、なにか噂になるようなことはあっただろうか? なにも思いつかず、マーガレットは首を傾げた。
「トロールを退治したのはクィレル教授だって噂されているんですけど、違いますよね? 防衛術の授業でも常にビクビクしていらっしゃるから、クィレル教授がトロールに立ち向かったとは思えなくて。マグル学を教えていらっしゃた頃ならまだしも……」
「わたしもあの場にいましたが、トロールを退治されたのはクィレル先生ですよ」
「なんですって?」とペネロピーは驚きの声を上げた。彼女があんまりにもショックを受けているようだったで、マーガレットはあの夜の出来事をすべて話すことにした。
ある一年生たちがトロールに襲われていたこと、その生徒たちを助けようとしたら今度は自分が窮地に立たされたこと。そして、絶体絶命の瞬間にネモとクィレルが助けに来たこと。
一連の話を聞き終えると、ペネロピーは妙に納得した様子で「だからですか」と呟いた。
「クィレル先生はトロールのことにも詳しくて、わたしが今日の授業で話したような知識も、かつて先生から教えていただいたものばかりです。さて、そろそろ教室を閉めますが、他になにか質問はありましたか?」
「いえ、大丈夫ですよ。トロールのことだけじゃなくて、あの噂のこともわかりましたから」
「あの噂? どんな噂ですか?」
それは純粋な好奇心からの質問だった。しかし、ペネロピーは少々気まずそうな顔をすると、「本は一週間後にちゃんとお返しします!」と言い残し、慌ただしくマグル学教室を出て行った。
「ネモ。わたし、なにか噂になるようなことあったかな?」
マーガレットが問いかけるが、ネモはなにも答えなかった。つぶらな瞳で飼い主のことをじっと見つめ返すばかりである。
「わたしが知らないなら、ネモも知らないよね」
マーガレットはほんの少し寂しそうに笑った。ネモはそんな飼い主の肩をいつもよりほんの少しだけ強くつかんでいた。
【追記】
ホグワーツの謎にマグル学の教室が実装され、教室の内装が判明したので教室の様子や授業の行い方などを書き直しました。(2020/12/12)