銀色の水平線〜舞鶴鎮守府の少年たち〜 作:パツ矢
「本日から舞鶴に配属された岸尾、です……。佐世保からの不束者ですが、よろしくお願いします……」
「私は岸尾司令の秘書艦DD-378こと、マハン級15番艦のスミスです! 皆さん、よろしくお願いしますね〜」
――そう言って、対照的な少年少女ふたりがぺこりとお辞儀をし、島田たちに向けて挨拶をした。
あれから数週間経って6月に入り、佐世保鎮守府から少年提督と駆逐艦の戦艦少女ひとりが、この舞鶴の地へと配属された。島田たちは、まさかこのタイミングで追加の提督が来るとは思っておらず、倉竹から聞いた時にはびっくりしていた。しかし、せっかく同年代の提督が増えるのだから、仲良くやって行きたいと――そう思っていた、が。
島田は岸尾と握手しようと、彼に向けて手を差し出した。
「岸尾くん、初めまして。この春から舞鶴鎮守府に所属してる島田です。よろしくね」
「……」
しかし、岸尾はそれに応じることはなく、ただ、黙って頷いて後ろへと引いた。
島田は思わず口元を引きつらせる。
(え……えぇ〜……。先が思いやられるぞ、これ)
そう、男子同士ならコミュニケーション能力がある島田ですら、どう接していいか分からないぐらいに、岸尾は暗かった。ここで比較的大人しめなシャーリーですら、根はそんなに暗い少年ではないし、島田も相応に対応できるわけだが――この岸尾だけは、どうにも簡単にはいかないようだ。
島田は手を引っ込めて、引き下がる。そして、自分の隣に立っているクラクストンに耳打ちした。
「なぁ、クラクストン。ちょっとあれ、どう思うよ。もしかして、あの子……僕が怖いの?」
「こ、怖いというより……人見知りするだけなんじゃないかと。そうだ、私はスミスさんに挨拶しますね」
クラクストンは苦い笑みを浮かべながら島田にそう言うと、スミスの方へと歩み寄った。
「スミスさん、初めまして。私はDD-571、フレッチャー級のクラクストンです。司令官さ……島田さんの秘書艦です。よろしくお願いしますね」
「クラクストン! あなたが噂の!」
と、
「あなたの活躍は当時から耳にしてましたよ。戦争を戦い抜いたアメリカ駆逐艦同士、仲良くしましょう!」
「はい、こちらこそ!」
(ああ、良かった……スミスさんとは仲良くやれそう)
クラクストンは明るく朗らかに接してくれるスミスに強い安心感を覚えた。彼女の相方である岸尾があの様子だから、スミスもどうなのかと不安になってしまっていたのである。
一方で、島田は岸尾について、スミスに質問した。
「スミス。岸尾くんについてだけど、彼はいつもあんな調子なのかい?」
「あぁ……はい、そうですよ。昔はもうちょっと明るかったんですけど、今はちょっと」
「……」
(この様子、ワケありか?)
自分の質問に対し、顔を曇らせて答えたスミスを見る限りでは、そうとしか受け取れなかった。しかし、スミスはすぐに笑顔になる。
「でも、ここに来たからには、ちゃんと仕事しますよ! それに、司令のサポートをするために、私はここにいますからね。何かあったら、私経由で教えてくれると嬉しいです!」
「ああ、ありがとうスミス。そうしてくれると助かる」
(現状、彼には話しかけづらいからなぁ……)
と、島田は、チラッと岸尾へ目を向けた。
岸尾は島田と一度目が合うものの、そのままふいっと顔を明後日の方向へと向けて、島田のその視線から逃れた。島田は、「うーん」と首を傾げて、頭を抱える。そして、後ろで見守っていた倉竹にバトンを渡した。
「倉竹さん。あとの案内はそっちに頼みます」
「了解。こういう子の扱いは慣れてるから」
「すみません、ありがとうございます」
困った時の倉竹頼りだ。
倉竹は島田からバトンを受け取って、島田の代わりに前に出た。
「岸尾くん。ようこそ、舞鶴鎮守府へ。俺が鎮守府代表の倉竹です」
「……どうも」
「何かあったら遠慮なく俺に言ってください。俺もちゃんと言うから」
「……はい」
「倉竹司令、お気遣いありがとうございます!」
スミスは笑顔で頷いて、岸尾の腕を引っ張った。
「えっと、その様子だと、まずは鎮守府内の案内ですよね? お願いしていいですか?」
「もちろん。じゃ、行こっか。島田くんたちはいつも通り、各々の仕事をお願いね」
「はーい」
「了解しました」
「分かりました」
島田たちが倉竹にそう返事をすると、倉竹はそのままスミスと岸尾と共に、鎮守府の中の案内をするために、部屋から出て行った。
3人が外に出ると、少年提督たちは「あー」と、体から魂が抜けたように、肩からガクッと力が抜けた。シャーリーは部屋の扉を見ながら、言う。
「岸尾くんだっけ。舞鶴の方向性には合ってそうだけど、接し方が分からないよ……」
「佐世保からの来訪者だろ? んまぁ、あそこでやっていけるんだったら、舞鶴でもそれなりにやっていけるだろうけど……ここ、ちょっと集落みたいなところあるから、それに耐え切れるかどうかだな」
「おい、集落ってなんだ。そもそも集落って言うほど人もいないぞ、この鎮守府」
島田は、大原のその例え方に思わず突っ込みを入れた。
とはいえ、舞鶴鎮守府が集落気味になってるのは、島田としても微妙に否定はできなかった。そもそも舞鶴鎮守府自体、少人数制ということで他の鎮守府よりも採用条件は厳しいものになってるらしく、横須賀は合格できても舞鶴は面接で落とされる、なんてこともよくあるらしい。
「まぁ」と、島田は続ける。
「彼がここにいるのは月単位ぐらいで、ずっとここにはいないらしいし、あまり深く関わる気にもなれないのかもしれないな。何かあったら彼の秘書艦がやりとりしてくれるし、その面での心配はいらないとは思うんだけどさ」
「ふーん、島田としては、アイツに深入りしないって方針ってことか」
「それで良いと思うよ。スミスさんの様子を見る限り、何かあったみたいだし」
シャーリーは島田の意見と、大原のそのまとめに、コク、と小さく頷いた。
「岸尾くんと一緒に出撃するのは明日なんだっけ?」
「うん。その時にちょっと話せればいいと思うけど……」
島田は顎に手を当てて、首傾げた。
(うーん……やっぱり、さっきのスミスの言葉は引っかかるよなぁ)
岸尾とスミスは倉竹の案内のままに、足を運んだ。
倉竹が次々と鎮守府内について案内してくれる中で、スミスは岸尾の左横を歩きながら、彼に小声で話しかけた。
「ちょっとちょっと、司令〜。さっき、島田さんが握手しようとしたのに、スルーしたでしょ〜」
「え……あ……だって、そんなに親しくないし」
と、岸尾が小声で返すと、スミスは呆れたように言った。
「親しくなくても、ちゃんと握手には応えなきゃダメですよ。司令だって、握手しようと手を出して無視されたら、嫌な気持ちになるでしょ?」
「別に……こっちから握手なんてしないし」
「んも〜、そういうことじゃないってば〜!」
スミスは小声ながらも、強く続けた。
「あのね? 良いですか、司令。私たちはちゃんと目的があってこの鎮守府に来てるんですから、怪しまれないように振る舞わなきゃダメです! 握手拒否なんて怪しまれても仕方ないですよ!」
「そう……かな……。向こうはそういう奴だって受け取ったみたいだけど」
「もー。まぁ、やりとりのメインは私が引き受けますけど、司令もちゃんと最低限の受け答えぐらいはしてくださいね。なんでもかんでも私に任せっきりじゃ、提督としての名が廃りますよ」
「提督なんて、ここでの勤務が終わったら辞めるつもりだし……どうでもいい。そんなに気にするなら、スミスが全部やればいいだろ。オレはやるべきことをやるだけだから」
岸尾はそう言うと、隣にいるスミスよりも早歩きで倉竹の方へとついていった。スミスはいつも通り歩きながら、そんな彼の背中姿を見て、手に持っていた旗を両手でギュッと強く握り締めた。
(最初、司令に出会った時は本当にこんなんじゃなかったのになぁ)
スミスと岸尾が出会ったのは、佐世保鎮守府に備え付けられている図書館だった。
少なくとも、根のインドアな性格は今とは変わってこそいないが、今よりは目が生きていたし、自分の目的に対しても希望を持って仕事に臨んでいた。こっちにもよく笑いかけてくれたし、こちらのサポートも全面的に喜んで受け入れてくれていた。そして、そんな彼となら将来永く付き合えそうだ、と思っていた。岸尾は恋愛に関しては奥手であり慎重すぎるため、こちらに手こそは出してこないものの、態度や言葉の節々から、自分と同じ気持ちでいてくれているんだろうな、ということは薄々察している。それだけは今でも変わっていない、彼の要素だ。この要素がなかったら、岸尾のことはとっくに見限っていただろう。
そんな彼の性格が崩壊するような出来事が起きたのは、今年の4月に入ってからのことだった。
その時、彼が提督になった目的へと到達したのだが――その事実はあまりにも残酷だったのだ。
岸尾はそれからすっかり心を閉じ、提督を辞める決断をし、宿舎に引きこもりがちになった。スミスはそんな彼を懸命に支えつつ、なんとか出撃に向かわせたりなど、とにかくやらせなければいけないことは何とかやらせてきたものの、彼が提督を辞める決断は一切変わることはなかった。
そうして、5月の大型連休が明けた頃、岸尾は「とある提督」に何か言われたようで、舞鶴鎮守府への異動を希望した。そして、それは受理されて、今に至るのである。
異動の切っ掛けがどうであれ、スミスの中では、この舞鶴勤務が彼の何かを取り戻してくれるかもしれない――という希望が微かにあった。舞鶴は人こそは少ないものの、岸尾と同年代ぐらいの少年たちが集っており、岸尾が自分を戻すとしたら、もうこのタイミングしかないと思っていた。ここで彼が戻ることができなかったら、もうそれまでであると。
スミスとしては、それこそ彼が提督を辞めても、普通の少女として無理矢理ついていくつもりだし、そもそも彼の状況では誰かが側にいなければ不摂生一直線だ。
(舞鶴の人たちも、戦艦少女の人たちも、優しそうだった。けど、司令がそれをどう受け取るかは別問題なんだよね)
スミスは小走りをして、再び彼の隣へと辿り着く。そして、岸尾へとまた話しかけた。
「ねぇ、司令? この鎮守府はどうですか?」
「……佐世保より人少ないわりに、うるさそうだなって思う」
「そりゃ、年頃の男の子が3人もいますからねぇ」
スミスはその感想に、思わず苦笑いしてしまった。
「でも、同年代同士なんだし、任務云々は置いといても、ここにいる時ぐらいは交流持っておいた方がいいですよ。疑われないようにってのもありますけど」
「けど?」
「司令にだって、そういう相手がいたって良いわけじゃないですか。なんて言いますかね、馬鹿なことして騒げる相手っていうか」
「……いらない」
と、岸尾は首を横に振った。
「というか、仲良くしてくれるだけならスミスがいるし、オレはそれで良い。スミスはそれじゃダメなの?」
「司令、恋人と友達は別ですよ、別。私は司令の恋人にはなれますけど、友達にはなれませんからね。だって、恋の相談とか乗れないし」
「……言いたいことがあったら直接言うから、恋の相談とかもよく分からない」
「ま、まぁ……司令はなんだなんだで素直な人ですから、相談とか必要ないのかもしれませんね〜」
(こういうところだけは変わらないんだから、この人……)
と、スミスが内心困惑していると、
「ふたりとも、そろそろお腹空かないかい? この先に食堂があるんだけど、案内ついでに何か食べて行こうと思ってるんだけど」
倉竹が少し早めの昼飯を提案してくれた。
一応、朝食自体は食べてきたとはいえ、もう数時間前のことであり、そろそろ何か食べたいとスミス自身も思い始めてきた頃だった。
スミスは笑顔で頷く。
「はい、私もそろそろ何か食べたいなーって思ってた頃なんですよね。司令もお腹空いてません?」
「えっ、オレは……」
「司令」
「……」
――スミスからの圧力である。ここは会食をしておくべきであるというスミスの赤い瞳からの訴えが、岸尾へとビシビシと襲いかかってくる。
岸尾はスミスのその圧力に負けたらしく、横に振りかけた首を無理やり縦へと動かした。
「……はい。オレも、そろそろ何か食べたいなと」
「良かった。じゃあ、一緒に何か食べよう。メニューについては偏りあるけど、気にしないでくれると嬉しいな」
「わーい! 楽しみです! ねぇ、司令?」
「……うん」
――こうして、岸尾とスミスの舞鶴での生活は幕を開けたのであった。