銀色の水平線〜舞鶴鎮守府の少年たち〜 作:パツ矢
それは、7〜8年前ぐらいの出来事だった。
場所は沖縄県那覇市の最南端の地域。時期としては大体夏休みぐらいの頃で、夏真っ盛りも良いところなぐらいの暑さであった。
そして、建物に「邸」が付くほど大きめな一軒家。そこでは、とある未就学児の少年が、関東の兵学校へと入学するために、日々、猛勉強を重ねていた。蝉がミンミンとうるさい中、少年はソーダ味のアイスキャンディーを片手に鉛筆を動かし、分からないことがあれば暑い中、わざわざ近くの図書館に行って本を借りるなどしている。お陰で少年の机の上やその周りは、貸し出し中の本が折り重なっていた。たまに夏休みで東京から来ている従弟が勉強の邪魔をしたりはするが、それもそれで良い暇つぶしでもある。
そんな夏休みを過ごしていた彼の人生が大きく変わるような出来事が、8月に入って起こった。
それはひとつの呼び鈴から始まった。
両親が何かに気付いたように少年を呼び、少年は呼ばれるがままに玄関へと向かった。そこには従弟の姿も。
矢先、少年の目の中に飛び込んできたのは――パステル調の青いワンピースを着た、銀髪のツインテールの可愛らしい、自分と同い年ぐらいの女の子だった。前髪に飾られている青いクローバーの髪飾りもまた、特徴的だった。
そんな彼女の隣に立っているのは、白い半袖のワイシャツと黒いズボンを着ている中学生ぐらいの少年だった。彼は真面目そうな方の男児の姿を見ると、目線を合わせるようにしゃがみ込み、そちらへと声をかけた。
「えーっと、君が
「はい、初めまして。僕が小禄大千です」
男児・大千はぺこりとお辞儀をして、目の前の少年へと挨拶した。少年はそんな大千を見て、クスッと笑った。
「話に聞いてた通り、すごくしっかりした子だね。俺のことは倉竹って呼んでもらっていいよ」
倉竹はそう言うと、女の子の肩に自分の両手を置いて、言う。
「突然で申し訳ないけど、この娘をしばらくここで預かって欲しくて、尋ねたんだ。大千くんは兵学校志望なんだろう?」
「はい。それとこの子に何の関連性が……?」
「えぇっと……この子はこれからいろいろ体験して、立派なヒーローにならなきゃいけないんだけど」
と、
「そのためには海があるところじゃないと意味が無くて。で、海に関連する職業に興味ある子がいる家庭の方が、手っ取り早いと思ってね。ご両親には先に連絡してあるんだけど、君はどうかなって思ってさ」
「いえ……僕は別に良いですけど」
大千はジッと女の子を見た。女の子はその目線にビクッと体を震わせて、一歩後ずさった。
「あ、あの……」
女の子が怯えている中で、大千は続ける。
「君、名前は?」
「えっ、あの……えっと、クラクストンです」
「クラクストン? じゃあ、クラちゃんだね。どこに住んでたの?」
「あ、アメリカ生まれですけど、今は日本で……」
「そうなんだ。沖縄ってアメリカの名残が多いから、すぐ馴染めると思うよ」
大千は笑みを浮かべて、
「ところで君、すごく可愛いね! 今まで見てきた女の子の中で一番!」
「え、えぇっ……あ、あの……」
「良かったら僕の部屋でお話ししない? あ、でも、本ばっかでちょっと狭いかなぁ」
「ちょっと、兄ちゃん! あんまりまくし立てるなって!」
そんな大千の背後にいた従弟の少年が止めに入る。少年は想定外の大千の反応にビックリしているのであろう、結構な困惑が表情から見えた。
大千は止めに入った自分の従弟に、怪訝そうに言い放った。
「
「いやいや、兄ちゃんと話したがる女の子はいるから、その子たちと話してあげてほしいだけだよ! でも、この子そうでもないじゃん!」
「……そうなの?」
「『そうなの?』じゃなくってさぁ……えっと、クラクストンちゃんだっけ? ごめんね、急にコイツが話しまくってて」
大千の従弟・
クラクストンは「い、いえ……」と遠慮がちに首を横に振り、まじまじと大千を見た。
「あの……大千様は将来提督になりたいんですか?」
「うん。たくさん勉強してヒーローになれるって、すごいことだと思うし。あっ、お父さんお母さん、あとはよろしくね」
大千は倉竹のことを両親に任せ、自分は利空と共にクラクストンを部屋へと案内した。クラクストンは家の広さに少々驚いているようで、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いている。大千はそんなクラクストンを見るなり、微笑ましく感じたのか、小さく笑み浮かべていた。
フローリング製の廊下を歩きながら、大千は言葉を続ける。
「でね、小学校の代わりに入れる兵学校があるって聞いて、せっかくだし挑戦してみようかなーって思うんだ。もしかして、クラちゃんも興味あるの?」
「あ、その……私も、将来は海に出て戦わなきゃいけないんです」
と、
「でも、いい司令官様に出会えるか少し不安なんです。私の思い描いている司令官様って、優しくてカッコよくて……でも、どこか親しみやすくて、しっかりした人なんです」
「へぇ、君には君の理想の提督像があるんだね」
「けど」
と、
「一番は、どんなに大変でも諦めない強い人。きっと、大変なことが多くて、挫けることもあると思うんです。でも、それすら跳ね返せる強い人って、素敵だと思うんです」
クラクストンははっきりと、ふたりにそう言い放った。その目があまりにも真っ直ぐすぎたもので、利空は思わず目線を逸らしてしまった。自分が彼女の目を見るには、あまりにも淀みがなさすぎて、直視できないのだ。
けれども、大千はそんな彼女と10秒ぐらいは見つめ合っていた。大千は彼女と見つめ合った後、何か考えてから、「そっか」と、返事をすると、そのままクラクストンに向かって笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、僕が君が思い描いてる通りの司令官様ってやつになれば良いんだね」
クラクストンはそんな大千の言葉を聞いた途端、目を丸くして非常に驚いている様子だった。クラクストン、そして利空は大千の言葉を聞いて、10秒ぐらい黙っていると、利空から先に口を開いた。
「ち、ちょっと……兄ちゃん、それ本気? いくらなんでもその約束は厳しくない?」
「厳しいって、何が?」
大千は利空の言葉にきょとん、と首を傾げる。
「だって、彼女がそういう司令官を求めるなら、それを聞いた僕が目指したって良いじゃない? 理想なんて人それぞれだけど、彼女のその理想は、とても納得できるものがある」
「そ、そうじゃなくってさぁ……」
と、利空は続け、
「まぁ、仮に兄ちゃんが司令官ってか、提督になれたとしてさ。それでクラクストンちゃんに巡り合えるかどうか分からないのに、そういうこと言うのって無責任ってやつだと思うよ」
「うーん……僕はそう思わないけどね」
大千は利空のその意見に対して、首を軽く横に振った。
「似たような場所で働くなら、絶対どこかで巡り合えるって僕は思ってるよ。それに、クラちゃんは可愛いから、それまでに理想的な司令官様ってやつに出会えるだろうけど、僕個人が目指す人物像としても、十分すぎる目標でもあるしね」
「ま、まぁ……兄ちゃんがそう言うなら、俺もこれ以上何も言わないけど……。クラクストンちゃんとしてはどうなのさ、その辺」
「わ、私ですか?」
クラクストンは自分に話の矛先が向けられ、思わずビクッと体を跳ね上げつつ、答える。
「わ、私は……それで、大千様の背中を押せたのなら、それで良いかなって……」
「あー、そう? 兄ちゃんもあくまでも目標にするんだから、それでクラクストンちゃんに会えなくても文句言うなよー」
「わ、分かってるって……あ、そうそう、ここが僕の部屋だよ」
利空に念を押されて、うっ、と言葉を詰まらせつつ、大千は目の前に来た扉のドアノブをギィッ、と開いて、クラクストンと利空を部屋の中へと招き入れた。
「……わぁ! 本がたくさん!」
クラクストンは大千の部屋の中を見るなり、部屋の中にある本の多さに、その丸い青い瞳をキラキラと輝かせた。クラクストンはそうして彼の部屋の中へと足を踏み入れて、早速、本棚へと向かった。
クラクストンはキョロキョロと本棚を見渡しながら、どれを取ろうか迷っているそぶりを見せた。大千は、そんな彼女の様子をクスクスと笑みを浮かべながら眺め、彼女のところまで歩み寄った。
「クラちゃん。その辺はちょっと難しい本ばかりで、利空もすぐ読まなくなった本が多いんだよ」
「そ、そうなんですか? 絵本は無いんですか?」
「絵本……? んー、最近勉強に使えるものばっか引っ張り出してるから、すぐ出せそうなものはないかも。クラちゃん、絵本が好きなの?」
「はい!」
クラクストンは快く頷き、
「絵本見るのすごく好きです。綺麗で可愛いものを見ると、こういう絵本を作ってみたいなぁって思うんです!」
「そうなんだ。綺麗で可愛い絵本……多分、この家にはない気がするなぁ」
「じゃあ!」
大千が頭を悩ませている横で、クラクストンが名乗り上げた。
「私が大千様に絵本作ってあげます! そうしたら、大千様も読むでしょう?」
「ああ、君の作る絵本になら興味はあるかな」
「ふふ、決まりですね。そうなったら、お話はふたりで決めたいですね」
クラクストンは嬉しそうに笑みを浮かべて、大千にそう言うと、その場で思い出したように次の言葉を続けた。
「そうだ、大千様の家ってスケッチブックとか、クレヨンとかありますか?」
「うん、使ってないものならあるよ。絵本作るのに使うの?」
「そうです〜」
クラクストンはコクコクと頷き、
「普段なら、私が自前で持ち歩いているんですけど、大千様と作るなら専用のスケッチブックが欲しいと思ったんです」
「へぇ……いいね、それ」
大千はクラクストンの提案に賛同して、首を縦に振った。そして、そこにさらに自分の意見を追加した。
「でも、僕との専用のスケッチブックなら、親に頼んで新しく買ってもらおうか? 僕のスケッチブックもそんなに使ってないけど、君と共用するなら、新品の方が身が入ると思うんだ」
「わぁ……いいと思います!」
と、
「今日の晩ご飯の時にでも、ふたりで頼んでみましょう〜。きっとOKしてくれると思います!」
クラクストンが笑みを浮かべて喜び、大千がそれを笑みを浮かべて眺めている間にも、利空が大千の肩をツンツン、と突いてきた。
大千は「?」と首を傾げて、何事かと自分の従弟の方へと顔を向けた。利空は、ジーッと半目になりながら、大千へと言葉を放った。
「兄ちゃんさぁ、思ったよりあの子に熱入ってる感じ?」
「熱入ってる……っていうか、裏表もないし、それが可愛くて良いなって思ってるだけだよ」
大千が苦笑しつつそう答えると、利空は「そうじゃなくてさぁ」と、続ける。
「あの子に『一目ボレ』……ってやつ、してるんじゃないの兄ちゃん。これまでの女の子たちと態度違うもん」
「……そう、なのかな。よく分からないや」
大千は利空に言われて、クラクストンへと改めて顔を向けた。クラクストンは本棚の下の方にある分厚い本を手にして、ページをめくっていた。その文字の多さに目を眩ませているようで、「おお……」と声を上げながら、難しい顔をしている。
利空はそんなクラクストンを見ている大千に、再び話しかけた。
「まぁ、俺はジャマする気はないよ。だって、カタブツ兄ちゃんがこんなに可愛いって褒めてるのが面白すぎるし」 「利空……お前なぁ」
「でもねぇ」
と、
「彼女、裏表がない分、結構無意識に兄ちゃんに負担かけてくるようなこと言ってくるかもしれないから、その辺は注意した方がいいよ。なんだろうね、愛情表現が重そうな気がするんだ」
「初対面でそこまで分析できるお前の方が嫌だよ、僕は。でもまぁ、そうか……」
大千は怪訝そうな表情で利空を見てから、再びクラクストンへと目を向ける。
クラクストンが本から顔を上げて、大千と目を合わせると、こちらに対して嬉しそうにニコッと笑みを浮かべてきた。大千はそのクラクストンの笑みを見るなり、ドキッと心臓を鳴らして、つい、目線を逸らしてしまった。
利空はそんな大千をプッと笑う。
「真っ直ぐすぎるのも、なかなか恥ずかしいことではあるけどねー。兄ちゃん顔真っ赤でおかしいのー」
「う、うるさいなぁ、もう」
大千は自分の顔が真っ赤なのを指摘され、不機嫌そうに振る舞うも、また、クラクストンへと目線を向けた。
(……もっと、彼女のことが知りたい)