銀色の水平線〜舞鶴鎮守府の少年たち〜 作:パツ矢
8月31日。
とうとう、クラクストンと大千がふたりで過ごせる最後の1日を迎えてしまった。
大千はクラクストンに告白されてから、どうやって彼女に自分の気持ちを伝えようか、ずっと考えていた。もっとロマンチックな場所で伝えるべきか、とか、彼女が好きそうな場所で伝えるべきか、とか、年齢に似つかわしくないロマンチックな悩みを抱き、結局のところ、家で告白するのが一番であろう、という結論が出た。
大千はいつも通りクラクストンの絵本作りに口を出しつつも、その傍らで勉強して、そのタイミングを伺っていた。そして、そのことばかり気にしてしまって、どうしても勉強に集中できない。
――今日言わなければ、二度と今の気持ちを伝えられなくなる。
大千は顔を上げて、ノートから目を離した。そして、その視線をクラクストンへと向ける。クラクストンは床にスケッチブックを置いて、クレヨンで絵を描いていた。
大千は椅子から離れて、クラクストンの方へと歩み寄り、彼女の視線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「……クラちゃん?」
そして、彼女に声を掛けた。
クラクストンは大千から話しかけられると、スケッチブックに向けていた顔をこちらへと向けて、笑みを浮かべて答えた。
「はいっ、大千様。なんでしょうか?」
「あの……その、ちょっと話が」
と、
「この前、君が僕に告白してくれた件についてなんだけど」
「は、はい……?」
「僕も、言われてばかりじゃなくて、ちゃんと口にしなきゃって思って」
大千は彼女の手の上に、自分の手をそっと置いた。冷房が効いてひんやりとした彼女の感覚が、大千の手のひらへと伝わった。
大千は恥ずかしさから、クラクストンから目線を逸らしたり、泳がしたりしつつ、かなりの緊張を見せた。そして、そんな時間が数秒ぐらい経ってからだろうか。クラクストンの不思議そうな表情に見つめられながら、大千は言った。
「その……君のこと、ひと目見たときから可愛いって思ってたし、口にもしてたけど」
と、
「多分、それって君に一目ボレってやつをしてたからだと思うんだ」
「ヒトメ……ボレ?」
「初めて出会った時に、大好きだなぁって思うことかな」
大千は続けて、
「僕は恋愛については本当知らないし、自分のこの気持ちをどう表現していいのか分からないんだ。僕が今言った一目ボレだって、君の想定している感情とは違うかもしれない」
そして、
「でも、君のことを好きなのは確かなんだよ。それだけは絶対」
――言い切った、と、大千は表面上冷静に取り繕いつつ、内心かなり緊張していた。
大千はそこからは黙って、クラクストンの返答を待った。彼女の様子なら否定的な言葉は言わないだろうと思いつつ、もし万が一のことがあったらどうしようとか、そんな不安ばかり脳裏を過ってしまう。
クラクストンは大千のことをジッと見つめて数秒程度してから、声を出した。
「大千様」
「う、うん」
大千はドキッとして、クラクストンを再び見る。
クラクストンは優しく笑みを浮かべ、続ける。
「恋愛について分からない、自分の感情についてもそうなのか分からない、と仰ってましたけど……ひとつ、それが分かる方法があります?」
「方法?」
「はいっ」
クラクストンは笑みを浮かべて、頷いた。
「大千は、私と結婚したいと思いますか?」
「……け、結婚!?」
大千は彼女の口から飛び出た言葉に、思わず変な声を出して反応してしまった。
クラクストンは改めて、と、言わんばかりに、こほん、と咳払いして、大千に言った。
「大千様……いえ、未来の私の司令官様。大きくなったら、あなたの『奥さん』になりたいです!」
「……!」
大千はその言葉で、ハッとしたように、目を丸くした。
クラクストンは続ける。
「大千様はどう思ってますか? 私のこと、奥さんにしたいですか?」
「う、うん……したくないって言ったら、どう足掻いても嘘になる……と思う」
「……なら、良かったです」
クラクストンは嬉しそうに声を弾ませた。
「私の好きと大千様の好きは、きっと同じです。大きさの程度はあるけど、恋愛としての好きに変わりはないと思います」
「クラちゃん……」
「だから、私のこと堂々と『好き』って言っていいんですよ、大千様。今の私から言えるのは、それだけです」
大千の言葉聞いて、ニコニコと嬉しそうに笑みを浮かべる彼女の顔が、幼い大千の目の中に、非常に強く焼き付いた。
大千はクラクストンの頭をポン、と、撫でて、そのまま照れ混じりに、慣れていない言葉を口にした。
「クラちゃん……その、好き、だよ」
「もっと言ってください!」
「す、好き……」
「もう一声!」
「だ、大好き……だよ」
と、大千が顔を真っ赤にしながら言い切ったところで、クラクストンは「はい」と頷いた。
「うふふ、満足です〜。この後、kissもすれば完璧なんでしょうけど、それは大きくなってからです」
クラクストンは自分の口元に人差し指を当てて、悪戯に笑みを浮かべた。
「大千様。もし、将来また出会えたら、よろしくお願いしますね。これから私たちが歩いていく世界は、そう簡単に巡り合えるような世界ではないんです。狭く見えて、広いんです」
そのクラクストンの笑みは、大千から見て、寂しそうに見えた。折角、「好き」を言い合える相手とこんなところで巡り合えたというのに、ここから別れて、それぞれお互いの道を歩んでいってしまう。その先で一緒になる確率はとても低く、クラクストンもそれを分かっているのだ。
しかし、大千は言う。
「……なら、絶対に見つけ出して、迎えに行く」
「え……?」
「時間はたくさんある。だから、君と巡り合えることを諦めたりしないよ」
と、大千は笑みを浮かべ、
「僕は……ずっと、君のことを好きでいる。再会するまで何かがあったとしても、僕は君をまた好きになる」
と、
「――また、一緒になろう、クラクストン」
――そして、そこまで描かれた思い出は、目の中に飛び込んできた暗い光景とともに、掻き消えた。
小禄大千――改め、島田は、背中から伝わるひんやりとした床の感触や、夏入りかけとは思えない冷たい空気を感じながら、ただ、ぼーっとしていた。寝起きで頭が混乱して、自分の置かれた状況が思い出せなかった。
(僕……あれ……あっ……そうか、結局誘拐された、のか?)
とりあえず、まずは気絶する前に起こった出来事を思い出し、状況整理をした。
岸尾とスミスコンビの裏切りや、ジュッサーノ率いる新海軍の襲撃など、衝撃なことはたくさんあったが――島田にとって一番気掛かりなのはクラクストンだった。
(クラクストンも誘拐されてるのかな……。ってか、眼鏡がないから視界がボヤけてて、気持ち悪い……)
と、島田は上半身を起こした。
(……それに)
自分が先ほどまで見ていた夢――自分の記憶の底に沈んでいたものが、夢となって放出されたのであろうか。
これでも夢になっているのは断片的な記憶であるため、完全に思い出したとは言えないが――島田はこれでクラクストンと自分が幼い頃に出会っていたことを、はっきりと思い出せたわけだ。
(僕が二度も彼女を好きになった、っていうのは、そういうことか。でも、なんで、こんな大事な記憶が抜け落ちていたんだろう。これだけ印象的なら、忘れるはずないのに)
島田は、これでもそれなりに記憶力には自信がある方だ。で、なければ、提督などやっていけないし、そもそも良成績も叩き出すことは出来ない。そんな彼が、幼い彼女との記憶全般を忘れているというのだから、外からの圧力によって忘れている可能性が高い――のだが、さすがに、そこまで思い出すことはできなかったようだ。
ただ、彼女が自分を忘れていることは把握してる以上、自分の記憶が外圧で消されたのはほぼ確実だろうし、倉竹もそれを了承した上で、自分を舞鶴へと招いたのだろう。彼女と自分を、どうにか引き合わせるために。
同時に、島田はクラクストンに対して申し訳ない気持ちで、胸の中が溢れ返った。
(クラクストン……ごめん。忘れないって言ったのに、忘れちゃったよ。当時の僕は、何があっても絶対忘れないって思ってたはず。僕だし)
と、
(こんな大事な思い出を君だけが抱えてたなんて、そりゃ出会った時に温度差があるに決まってる。ダブルベッド注文したって無理ないさ。当時は一緒に寝てたんだから)
島田は額に手を当てた。
(もし、僕が君のことを覚えていたら、僕たちの今の関係だってもっと進んでたに違いない。君から求められても、全部受け入れることだって出来た。でも――僕が忘れてたせいで!)
島田は前髪をグシャリと、右手で握り締めた。右手は自分の右目を覆っており、露出しているのは左目のみ。しかし、その左目だけでも島田の今の心情が分かるぐらい、彼の目の中には水分が溜まっていた。
今にでも決壊しそうな感情を抑え込みつつ、島田はなんとか立ち上がって、周りを見た。
(……っ、ここには、クラクストンはいないよな、さすがに)
島田は岸尾、クラクストンはスミスに拐われているはずなので、それぞれの場所に置かれていると思われる。岸尾は島田の収容は、このよく分からない、暗い部屋にしたようだ。
島田はそのまま、急ぎ足で出口を探し始めた。あの夢を見た後で、ここでのんびりなんてできない。あっちこっちをひたすら周り、触り、扉を探し当てようと必死になった。
(クラクストン……今すぐ君に会いたいよ。どうしてこんなタイミングで思い出しちゃったんだよ。せめて、彼女が隣にいる時に思い出させてくれよ!)
――もし、彼女が隣にいれば、すぐに抱きしめて、自分の気持ちを有りのままに伝えることが出来るのに。現実とは、なんて無情なのだろうか。
そして数分ぐらいして、ドアノブらしきものに手が触れた。
(これか!)
島田はそのドアノブに手を伸ばし、握り締めて、ガチャガチャと荒々しく引っ張った。しかし、外から頑丈に鍵がかけられているらしく、扉の方がピクリとも動こうとしない。
(くそっ……!)
島田はそれから扉に対して、体をぶつけたり、蹴ったり、殴ったりして扉の破壊を試みてみたが、12〜13歳の未発達な男子の体では、扉はびくともせず、島田の前に立ちはだかるのみだった。
とりあえず、何か主砲が使えることができたらそれが一番なのだが――そんな都合のいい話なんてあるわけもなく、島田はその場で項垂れた。
(どうやってこの扉を壊せば……)
と、島田が悩み始めたところで、ガコン、と、何か大きい鉄が落ちたような音が、島田の耳の中へと飛び込んできた。
島田はハッと顔を上げ、その音がした方向へと目を向け、部屋全域に通る声を上げた。
「誰だ!」
さすがに自分以外誰もいないと思いたいが、深海軍がこちらの目が覚めるのを待ち伏せしていた、なんてことが有り得ない状況でもない。
島田は扉から離れて、ズカズカと音の下方向へと進むと、その島田の声を聞いた少年が返すように、弱々しく声を上げた。
「ひ、ヒィッ……す、すみません、怪しいものじゃない……です」
「!」
その声が島田の耳の中に入ってきた瞬間、懐中電灯のような光がこちらへと差し込んできて、辺りを照らした。その光はあっちこっちへと泳ぎ、気弱な持ち主の心情を表現しているようだった。
そうして、明かりに照らされて島田の目の前に現れたのは、こちらと似たような制服を着た少年と――もうひとり、少女の姿。少年は不健康的そうな隈がある目、少女は銀髪を細長く括っている髪型と、それぞれ特徴的な見た目を持ち合わせていた。
特に少年は島田を見てビクビクしているようで、島田は苦い笑みを浮かべて、少年に言った。
「あっ……えーっと、ごめん。てっきり深海軍の誰かが待ち伏せしてるのかと思っちゃって。とりあえず、そんな警戒しなくても良いから」
「……えっ……あ」
少年は、どこかそわそわと落ち着かない様子で目線をあちらこちらへと動かし、何か気付いたような表情をして、島田に問いた。
「あ、あの……もしかして、舞鶴の島田さん……ですか?」
「う、うん、そうだけど。眼鏡もないのによく分かったね」
「……も、申し遅れました」
少年はその場で、ビシッと敬礼した。
「お、オレは横須賀鎮守府所属の吉川です。こっちは秘書艦のホーエル」
「フレッチャー級、タフィー3のホーエルです。よろしくお願いします」
少年と少女改め、吉川とホーエルはぺこりと島田にお辞儀して、顔を上げた。
島田もそれに合わせて、「は、はぁ……」とお辞儀をして、吉川とホーエルを見た。吉川は、コホン、と咳払いした。
「じ、じゃあ……事情説明からしましょうか」