闇の広がる巨大な工場内のような空間。
鋼鉄の柱が均等に立ち並び、無機質な天井が頭上に広がっている。
高さはおよそ30メートルといったところか。似たような景色が奥まで続いている。
明かりは少なく、とても暗い。
そんなレイヴン選定試験の会場の景色は、今も私の脳裏に焼きついている。
多分、試験終了を告げるのがあと十分、いや、一分でも遅れていたら、私は絶対に発狂していただろう。
暗い闇の中、私の背中を追い立てる規則正しい足音。
私の姿を求めて彷徨うセンサーの、紅い無機質な光。
無限とも思われる時間の中、十数体ものシュトルヒに追いかけられ続けたあの時のことは、今でも時折、夢に見る。
その夢を見たときは、いつも私自身の悲鳴で飛び起きる。
そして、生きている自分を、レイヴンである自分を確認して、思うのだ。
狩られる側などに二度となるものか、と。
それなのに。
あの日、試験会場と似たような景色の拡がるプラント内で、私は新たなトラウマと屈辱を与えられてしまった。
「ねぇアリス、いい加減、元気だそうよ」
ルーユエが愛車のミニのステアリングを切りながら、助手席の私に声をかけた。
「ほら、もうすぐアリスの好きな夕暮れの時間だよ」
ハイウェイを走るミニの頭上を、天井光が淡い夕焼け色に変わりはじめた。
「ほんと、高層ハイウェイの景色って綺麗よねえ。何だか、切なくなりそう……」
「ゴメン、ルーユエ……」
「なに、突然?」
「泣きそう」
「マジ?」
顔を伏せ俯いた私を見て、ルーユエはミニをハイウェイの路肩に寄せた。
私は停車したミニから降り立ち、手すりに駆け寄って身を乗り出し、眼下に広がるスモッグに沈む街並みに向かって――
「うぁああああああ!!!!!」
力いっぱい、声の限りに叫んだ。
「あああぁあ、畜生、すっきりしないっ!」
手すりに握りこぶしを叩き付け、腹の底から泣き声をあげた。
「……相変わらず、女の泣き方とはとても思えないよね」
ルーユエが指で耳を塞ぎながら、傍にやってきた。
「泣くって言うより、まさに哭くって感じだもん。いや、むしろ吼える?」
「ほっとけ!!」
しおらしく涙を流す程度じゃ、この胸のうちに溜まったものを吐き出すのに何日かかるか知れたもんじゃない。
「しかも、このあと自棄酒に付き合わされるし」
ルーユエがため息混じりに呟く。おや、それを言うか。
「飲まなきゃやってられないって、誘ったのはルーユエでしょ」
「まぁね。ムラクモの悪趣味男と交渉する私の苦労も判ってよ」
まったくだ。
プラント制圧後、依頼主であるムラクモは私たちに対してプラントの損害請求を突きつけてきた。
必要以上の破壊行為を行ったというのだ。
だが、ルーユエは私のマネージャーとしてムラクモと交渉し、請求を跳ね除け、見事に報酬の全額をむしりとってきたのだ。
「そもそも、実力制圧に至るまで事態を悪化させたのは企業の責任でしょうに。それをあの陰険ヤロウってば……」
今度はルーユエが、私の隣で街を見下ろしながら愚痴り始めた。
「……もともと安い依頼料でしかないのにケチってんじゃないわよ、バカーーーー!!!」
結局、彼女も吼えた。
「人のこと、言えないわよ」
「女の涙は男に見せるためにあるのよ。アリスの前で見せたってしょうがないじゃないの」
ちなみに報酬は、ルシフィルの修理費に全て消えた。
骨折り損のくたびれ儲け。トラウマもおまけで付いてきた。
私の前に立ちはだかった重ACのレイヴン。奴がどんな依頼を、誰から受けていたのか。その理由は、意外と早くに知れた。
プラント制圧から幾日も立たぬうちに、そのプラントはムラクモから別企業へと売却されたのだ。
しかも、相当の安値で。
買い取った企業は“クローム”。北の大企業だ。言うなればムラクモのライバル企業といったところか。
そんな相手に安値で自プラントを売るとは常識では考えられないが、ムラクモにはそうせざるを得ない理由があった。
実はプラントの売却自体はだいぶ前から決まっていたことだった。
無論、それ相応の値段で、だ。
ところが、その売買契約の直前になって、突然プラント側がムラクモに対し、もっと高値で売却するように求め始めた。
その原因は、プラント労働者たちの間で流れたデマだった。
ムラクモはこのプラントを、ただ同然で売り払う気だ。
出所不明の噂は、対象となるプラントだけではなく、そこのプラント地区全域に広がっていた。
「……そしてデマに踊らされるがままに暴動、か。レイヴンまで参加して、変に希望まで持ったでしょうね」
私の推測に、ルーユエも頷いて言った。
「結局、暴動は鎮圧され、その損害によってプラントの価値は大暴落。デマどおりに安く叩かれちゃった、と。得したのは誰かな?」
「クローム。多分、はじめから損害は考慮ずみ。あのレイヴンがわざわざ最深部に陣取っていたのは、プラントが破損しても、最悪、中央制御室だけは無傷で守り切れって依頼だったのかも知れない。戦闘の矢面に立たなかったのは、目立つことによって真の依頼主の存在を匂わせないため」
「でもさ、アリスにはバラしていたよね。依頼主が違うって言うこと」
「口にしただけなら、真実もブラフも区別ないわ。とっ捕まえなきゃ証拠にならなかった」
「………完敗だったね」
結局、一番割を食ったのは、踊らされた労働者だろう。私の脳裏に、破壊したMTの姿が浮かび上がった。
撃ち抜いてしまった操縦席。
私たちはしばらく、ハイウェイからの景色を眺めていた。
天井一面が優しい、そしてもの哀しくなりそうなほど、美しい色に染まっていく。
その色は静かにスモッグの雲の上に降り注ぎ、灰色の雲は揺らぎながらその色と混ざり合い、どう形容してもしきれないような、幻のような景色を産み出していた。
「あ……」
傍らで、ルーユエが遠くを指差した。
私たちの視界の彼方、そのスモッグの雲海から一機のヘリが浮上していた。
それは雲の中を泳ぐように、ビルとビルの隙間をかいくぐりながら飛び去っていく。
「AC用の輸送ヘリ……。レイヴンよ」
きっと、どこかでまた紛争があるのだろう。
それは、企業というシステムの中、ビジネスという言葉に置き換えられた狩だ。そこにあるのは弱肉強食の論理のみ。
そこに必ず現れるレイヴンは、はたしてどんな存在なのだろう。
企業に利用される飼い犬か。それとも戦場の死肉をあさるカラスか。
レイヴンとはこの世でもっとも自由な存在であるはずだ。
自由に空を羽ばたける存在であるはずだ。
しかし、この世界に空は無かった。
いやだ。
「ルーユエ、私は強くなりたい」
「へ?」
「強くなる。絶対強くなる」
「どうしたのよ、急に。……あっ」
ルーユエが慌てて耳を塞ごうとする前に、私はまた叫んだ。
力の限りに、声の限りに、天に向かって。
この天井の向こうに拡がっているはずの、本当の空に向かって。
私は、レイヴンだ。
―――了―――