アーマードコア~空のない世界で~   作:PlusⅨ

4 / 10
第2話 依頼

 ハイウェイの空気は澄んでいる。

 

 愛車のルーフを上げ、吹き付ける風に髪の毛をなびかせる。

 

 アクセルをさらに踏み込めば電磁モーターが甲高い音を上げ、同時に、次々と周囲の車を追い越していった。

 

 乱立する円筒形の高層ビルの間をかいくぐる様に伸びるハイウェイを、私は走る。

 

 巨大なビル群はそれぞれが、各階から直接ハイウェイに繋がっている。地上からこれらを見上げれば(と、言ってもこの世界自体が地下にあるのだが)高層ビルという巨大な幹からハイウェイという枝が伸びる大木の森だ。

 

 いま私が走っているハイウェイは、その中でもかなり高層に位置していた。

 

 ビルとビルの間をすり抜け、緩やかに上昇し、柔らかい光を放つ天井光を存分に浴びる。まるで空を飛んでいるような感覚だ。

 

 本物の空もこうだろうか。

 

 空のないこの世界で、ここは最も空に近い場所だ。下を見下ろせばちゃんと雲も見える。ビルや生産プラントから排出されるスモッグの雲だ。

 

 よどんだ重い空気は、下層に沈む。澄んだ空気を味わいたければ、上へ来ることだ。ここなら、雲が天井光を遮ることもない。

 

 天井光が淡い夕焼け色に変わりはじめた。

 

 この瞬間が私は一番好きだ。

 

 天井一面が優しい、そしてもの哀しくなりそうなほど、美しい色に染まっていく。その色は静かに雲の上に降り注ぎ、灰色の雲は揺らぎながらその色と混ざり合い、どう形容してもしきれないような、幻のような景色を産み出す。

 

 その上を走り抜けるこの瞬間を味わうために、私は毎日、高額の通行料を支払ってまでハイウェイを走るのだ。

 

 昔、人は死ぬとその魂は天井を越え、地上へと上っていくのだと聞かされたことがある。

 

 地上とはとても美しいところで、限りなく広いのだと言う。

 

 人として正しく生きなさい、罪を犯さず、神に祈りなさい、そうすればきっとお前の魂は地上に行けますよ、と、母は幼い私に言って聞かせた。

 

 私の生まれ育った地区は、地下都市の中でも最下層に位置する場所だった。

 

 そこは一言で言うなれば、ゴミ溜めだった。

 

 もう少し言うなれば、ゴミと、ガラクタと、下水と、スモッグと、ネズミと、酒と、貧乏人の溜まり場だった。

 

 さらに詳しく言うなれば、そこはビルの下水パイプやプラント郡の設備の骨組みが縦横無尽に張り巡り、道という道は常に配管から滴り落ちる汚水で濡れており、狭い路地には人があふれ、少し広い通りには安酒場とジャンク屋とイカサマ師とペテン師とマフィアにあふれ、そしていつも決して晴れることのない重いスモッグがたちこめていた場所だった。

 

 母はそんなありふれた地区の、ありふれた一軒の安酒場で踊り子をやっていた。

 

 薄暗い照明、きしむステージの上で、プラント帰りのくたびれた労働者の男達を相手に母が踊っていた頃、幼い私は店の裏の路地に座り込んで、母を待っていた。

 

 店の裏口のすぐそばに、空の酒瓶や空のケースが雑然と積み重ねられていた。それと、その脇にある大きなゴミ箱の隙間が、私のいつもの場所だった。

 

 そこは同時に私のねぐらでもあった。

 

 酒場が店終いすると、裏口から踊り子達が出てくる。母もそこから出てくると、私を連れて家へ帰るのだ。

 

 だが、中には正面から出ていく者もいる。そういう場合は大抵、客を伴って出てくる。

 

 母も時々、私の待つ裏口から帰らず、正面から帰る事があった。そして私とでは無く、酒場の客と家に帰り副業にはげむのだった。

 

 そんなとき、私はその場で夜を明かす。朝になり、母が迎えに来るときはいつも、甘いお菓子を持ってきてくれた。

 

 そんな商売をしながらも母は信心深かった。いや、そんな商売だからこそ、か。

 

 彼女は小さな十字架を肌身離さず持っていた。そして家へ帰るとき、母はいつも私の手を引きながら、空いた手で天井を指し示し、地上の話をしてくれた。

 

 幼い私は天井を見上げてみたが、そこに見えるのはいつもスモッグの白い闇だった。そしてジャングルプラントに生えている大木のような、いや、本当の大木など見たことはないが、そのような感じのビル群の影が白い闇の向こうに透けて見えるだけであった。

 

 地上には空というものがあり、そこには神様がいらっしゃるのだと母は言った。

 

 地上の話は週に一度、母と二人で訪れる教会でも聞くことが出来た。黒い服を着た神父が、分厚い本を片手に熱心に語るのを、私は母と二人、教会の入り口の脇でいつも聞いていた。

 

 母は決して教会の中に入ろうとはしなかった。神父がそれに気付き、中に入るよう促しても母はそれを断った。

 

 今にして思えばきっと、自分の仕事を恥じていたのだろう。だが私に言わせれば、母は恥じる必要など無かった。

 

 なぜなら教会の中はいつも、神に恵を請うための浮浪者や浮浪児と、神に許しを請うための罪人たちで溢れていたからだ。

 

 とにかく私は、そこで地上の話を聞き、天井を見上げては、そこにある地上の世界に思いを馳せた。

 

 幼い私は、この最下層地区しか知らなかった。

 

 だから私は、常に頭上を覆っているスモッグ雲の向こうに地上が在ると信じて疑わなかった。

 

 そして今、私はそのスモッグ雲の上にいる。

 

 そこは決して地上ではなかった。

 

 だがここは下層地区とは別世界だ。地下都市では、高い所へ行くほど世界は美しくなる。同時に住む人も少なくなる。

 

 ここは選ばれた人々だけが住まうことの許される世界なのだ。

 

 天井光が徐々にその色を落として行く。

 

 短い夕暮れ時は終わり、地下都市は夜の闇に包まれた。

 

 私は懐から懐中時計を取り出し、時間を確かめた。そのチェーンに一緒に括りつけられた小さな十字架が手元で揺れる。

 

 予定の時間が迫っていた。このドライブももう終わりだ。私は懐中時計と十字架を懐に直し、ステアリングを切った。

 

 愛車はこのハイウェイから別のルートへ向かい、地下都市の中を下層へと下りていった。

 

 やがて目前にゲートが見えてきた。ゲートにはハイウェイの管理者「ムラクモ」の文字が光っている。

 

 このゲートを境に、ここより上層部、つまり私が今まで走っていたハイウェイはこの「ムラクモ」という大企業の所有物であり、ここを走ることが出来るのは、高額の通行料を支払った者か、「ムラクモ」の人間だけである。

 

 ゲートの向こう側は公共の道路だ。

 

 私の周囲にスモッグが立ちこめ始める。夜の闇がそれに加わり、ライトをハイビームにしても視界はほとんど得られない。

 

 また、道路の舗装が良くないので、上層部のハイウェイを走っていたときとは比べものにならないほどノロノロと走らなければならない。

 

 時折、私のそばを、乗客を満載したバスが追い抜いて行く。

 

 そのすぐ脇の反対車線から大型トラックが猛スピードで突っ込んできた。それは私の目前で、さっき私を追い抜いていったバスと、正面衝突しそうな勢いですれ違った。

 

 一歩間違えれば大事故だが、大型トラックはそんなこと気にも止めていない様子で、ちっとも速度を落とさずに私のそばも通りすぎていった。

 

 こんな事は、ここでは良くあることだ。

 

 私は命が惜しいので、慎重に運転を続けた。やがて、正面に巨大な岩壁が姿を現した。道路は岩壁に幾つもあいているトンネルに続いている。

 

 ここが地下都市の果てだった。

 

 だが、このトンネルの向こうには、また別の地下都市が存在する。分厚い岩盤にトンネルを通し、東西南北に点在する地下都市はそれぞれ密接に繋がれている。私が今いるのは、東の地下都市だ。

 

 やがてトンネルに入った。

 

 トンネルは狭いモノでも片側二車線、高さは10m近くある。外の夕焼けに似た、オレンジの色彩がトンネルを照らしている。内部は空調が効いていて、スモッグはもう消えていた。

 

 速度を上げ、十五分ほど走るとやがて、開けた空間に出た。

 

 地下都市と地下都市の間には、縦横無尽に走るトンネルの他、いくつかの小規模な地下空間が存在する。

 

 小規模と言っても地下都市と比べての話であって、実際には小さな街が存在できるほどの空間だ。

 

 ここが私の住む街だ。

 

 まあ、街といっても安ホテルと酒場が二~三件ほどあるだけの、ホントに小さな街だ。

 

 だが、地下都市を結ぶ交通の要地に位置するだけに、人やモノの流れは活発だ。お陰で酒場はいつも流れ者で賑わっている。

 

 こういった街は、堅気でない人間には住みやすい。私のような人間にとっても、だ。

 

 酒場やホテルのあるメインストリートから離れ、暗い街の外れに入る。

 

 やがて地下空間の端近く、岩盤が近くにまで見えてきた。

 

 このあたりは巨大地下都市ほど設備が充実していないので、昼間でも薄暗い光しか入ってこない。この街はいつもトンネルの夕闇のような色に染まっている。

 

 町はずれの空き地に停車している、一台の大型トレーラーの前で私は車を停めた。重機運搬用の巨大コンテナが連結してある。

 

 これが私のねぐらだ。

 

 トレーラーには通常の運転席の他、居住施設が設けられている。といっても狭い簡易シャワーとトイレ。携帯ガスコンロがあるだけのキッチンが、狭いスペースに取り付けられているシロモノだ。ちなみにベッドは運転席のシート。

 

 そして後ろのコンテナには私の大切な商売道具が納められている。

 

 トレーラーに乗り込むと、運転席の方から耳障りな電子音が鳴り響いた。運転席にある個人端末の呼び出し音だ。

 

 懐中時計を取り出す。約束の時間にはまだ早い。

 

 端末のスイッチを切る。それで無機質な電子音が止んだ。その間に着替えてしまおう。

 

 そう思ってクローゼットの扉を開けようとした時、また耳障りな音が鳴り始めた。

 

 ビービーと気に食わない音だ。呼び出しの主が判っているだけに、不快感に拍車がかかる。

 

 もう一度切ってしまおうかと考えたが、またすぐ掛かってくるだろうから、同じ事の繰り返しだ。運転席に座り、呼び出しに応じることにする。

 

 目の前の映像端末に若い男の顔が映し出された。

 

『何故すぐに応じない』

 

 そいつは開口一番にそう言い放った。

 

 なかなか良い声だ、テノール歌手のような声をしている。この男の唯一の美点だろう。

 

『指定した時間も守れんのか。ビジネス相手を待たすなど問題外だ』

 

 声以外は最悪だった。

 

 まず目つきが悪い。つり上がった細い目には陰険な光が宿っている。次に顎が尖りすぎだ。神経質な性格が如実に現れている。

 

 そして服装が悪趣味だ。頭の先から爪先まで、全部ムラクモ製の商品で固めているなど正気の沙汰でない。

 

『聞こえているのか? 聞こえているなら返事ぐらいしたまえ』

 

 私の軽蔑した視線に気が付いたのか、悪趣味男は眉間にしわ寄せ、こちらを睨んでいる。おかげでさらに目つきが悪くなっている。

 

「………十分よ」

 

 私は手にしていた懐中時計を示して言った。

 

「今は16:50、指定した時刻は17:00ちょうどのはず。十分早いわ」

 

 悪趣味男はそれを聞き、慌てて自分の腕時計を見た。あきれたことに、その腕には三つも腕時計が付いていた。最近の流行りらしいが実に滑稽だ。

 

『私の時計では17:00ちょうどだ、間違いない。きみの時計が遅れているのではないのかね』

 

「………私が指定した時間は統一標準時の17:00よ。東部の時計で計らないでくれる?」

 

 私がそう指摘すると、男は苦々しい表情になった。

 

 地下都市では東西南北それぞれの都市ごとに別々の時間を用いる。何故そうなっているかと言えば、その理由は簡単だ。

 

 その都市を支配している企業の仕事スケジュールに都合がよいように改変されているのだ。大企業が行政を仕切っている都市では時間ですら、その支配下にある。

 

 私は懐中時計をモニターに示しながら言った。

 

「他社とのビジネスのさいには統一時間を用いるのは基本じゃないかしら。悪いけどかけ直してくれる?」

 

『かけ直せだと? 我々は忙しいのだ、そんな悠長なことをやっている暇など無い。文句を言わずに、仕事の話を聞け』

 

「私はムラクモの社員ではないわ、レイヴンよ」

 

 私がそう言うと、男はフンと鼻を鳴らして言った。

 

『ずいぶんと不遜な物言いをしてくれるじゃないか。ムラクモの社員ではないから統一時間を使えだって? 確かに企業同士の取引ではそうかも知れない、一般においてね………だがね、あくまでもそいつは一般企業の話だ。君は自分が何者で、今、誰と話してるつもりかね? 宅配業者のヨツコシか? 町工場のイリミツか? それとも下っ端警察業者のヤクザどもか? そいつら連中となら君も勝手にやりたまえ。だがな、我々をそんなクズどもと一緒にするな。いいか、我々はムラクモだ。東部を支配する大企業だ。我々に肩を並べる存在などありはしない! なのに、それなのにだ、貴様は何だと? 統一時間を使え? かけ直せ? 自分は何様だと思っている、思い上がりも大概にしとけよ。ビジネスの基本がどうした、新米レイヴン風情にビジネスも統一時間もへったくれも有るか。貴様らレイヴンどもは仕事がもらえるだけでもありがたいと思え!!』

 

 男は一息でそれだけ言ってしまうと、モニターの向こうでゼェゼェと息を吐いた。はっきり言って、あんたらに比べればヤクザの方がまだ可愛いだろうに。

 

「………気は済んだかしら? 言いたいことが他に無ければ、そろそろ今回の依頼の話に移りたいのだけれども。無駄話のせいでそろそろ17:00になってしまうわ。統一時間でね」

 

 私がそう言うと男はまだ何かを言いかけたが、それをやめて仏頂面になった。

 

『くそっ、時は金なり、だ……今回の依頼内容はプラント労働者の暴動鎮圧。場所は東部マイシャン街第4層。報酬金額は8000com。任務終了後、指定の口座に振り込まれ………』

 

 男は先程の強気な口調からガラリと変わって、事務的な口調でしゃべり続けた。

 

 口では大企業だ何だのと言ってはいるが、結局は、もめ事の解決に私のような人間を雇わなければ対処できないような企業だ。

 

 しかし、それにしても安い仕事だった。私は気付かれないよう、心中で溜め息をついた。くやしいが、この男の言うとおりだ。

 

 新人レイヴンに仕事を選ぶだけの余裕は、まだない。

 

『…………確認事項は以上だ。他に何か質問はあるかね』

 

 この言葉に一瞬肩が震えた。

 

(何か質問はあるかね)

 

 耳の奥に記憶と供に張り付いている嫌な言葉だ。

 

 あの日、そうレイヴン選考試験のあの日、生まれて初めて味わった死の恐怖と供に。

 

「何もないわ、マネージャーとの打ち合わせ通りよ」

 

 私は平静を装い答えると、すぐにモニターを消した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。