「嘘?エスリン様、ヴェルダンシルクでウェディングドレスを作ったの?いいなー」
「ええ、生地選びの為にミレトスまでわざわざご自身が出向かれまして、それをシアルフィ城付きの仕立て職人の手で」
「きっと素敵なんだろうな…スクルド様はもうご覧に?ねえどんなデザインだったのお?」
「楽しみは後にとっておいた方がよろしいかと。是非今度の式で公女様ご自身の目でお確かめ下さいませ。」
「えーずるい!ずるい!ねえシグルド様も御存じなのでしょお?ちょっとだけ…触りだけでいいから私に教えて下さいな」
「ああ…うーん、どうだったかな?」
ティルテュとスクルドの和やかな歓談の声に生返事と不出来な愛想笑いで応対し、主や賓客のためにと料理人たちが腕と贅の限りを尽くした料理を切り分け、掬い取る銀器のカチャカチャとこすれる音だけがシグルドの耳と頭に妙に残り反響した。
(いきなりティルテュ公女を嫁になどとレプトール卿は何をお考えなのだ?これを断れば半島への派兵の件も白紙になんて事になりかねない…だが私にはディアドラが……)
この宴が始まって幾度となく浮かんだ疑問が再度鎌首をもたげ、シグルドの思考と味覚を塗りつぶす。
今自分が口にしているのは肉なのか魚なのかはたまた野菜なのか、ひょっとしたら砂なのかもしれない。料理人が聞いたら激怒しそうな事を考えながら、全く味のしない料理を喉の奥に押し込む。
「シグルド公子どうかされたのか?顔色が優れないようだが口に合わないものでも?」
「いえ、そのような事は…」
流石にホスト役であるレプトールを前に「お前の提案のせいで折角の料理やワインが砂や泥水にしか感じない」とは口が裂けても言えず、シグルドは口ごもっていると
「『急な婚儀の話で面食らって料理どころではない。トラキア派兵の件もあるし、無碍には断れないしとんだ毒まんじゅうを喰わされた』といったところか…やれやれ、先刻の件に関してもそうだが貴公はどうにもこうにも考えていることが顔に出過ぎるな。そんな事ではバーハラの宮廷雀たちにいいようにされてしまうぞ?」
「いや!そのような訳では決して!」
「もうよい、その件については婚儀の是非に関わらず協力させて貰う。今さら反故になどしたりはしない。もうよいのだ」
そう言うや否やレプトールはグラスにわずかに残ったルビー色の液体を口に流し込み、傍に控えていた給仕からむんずとワイン瓶を奪い取り、それを空いたグラスになみなみと注ぐ。
「お父様?もう酔われているのではないのですか?」
「ティルテュ、儂は酒になど酔ってなどおらん。ただ少しだけ…年甲斐もなくありえぬ未来を夢想し酔うていただけよ。シグルド公子とお前が手を取り合い子を生せば、シアルフィと我等フリージも諍いをやめ手を取り合えるではないだろうかなどという愚かな夢に…公子、つまらぬことを言って迷惑をかけた。忘れてくれ」
今にも中のワインがこぼれ出しそうなワイングラスを手でもてあそびながら、グランベル宰相は言葉を紡ぐ。
「閣下、私や父とて両公国の融和について夢見ぬ日はございません!それに先ほども申しあげたように、決してティルテュ公女の女性としての魅力に不満があるという訳ではありません!これだけは本当です!ただ私には既に心に決めた相手がいましてですね、これだけは譲れぬというか」
「ほお、既に懸想しているご婦人がおられるという事か?それは興味深い。良ければ詳しく聞かせては貰えないだろうか?堅物で通っているシグルド公子ののろけ話などバーハラ宮といえどそうは聞けまい」
グランベルの宰相が持ちかけた大陸の未来すら変えかねない政略結婚、それに対し大真面目な顔で一国の公子という立場も忘れて損得とか考えず本当に、本当に益体も無い事言ってのける。そんな主の様子を頭を抱えて見ていたスクルドは独り小さくごちる。
「まあ分かってた事だがシグルドだしこうなるわな…」
「あらあ?スクルド様?わたしひょっとしてフラれちゃった感じですかねー?」
「うーん……ですかね?」
◇
晩餐の宴が終わりシアルフィからの来客をおのおの寝室にまで送った後、フリージ家のプライベートルームにてプラチナの燭台の灯りに照らされた二つの影が揺らめく。
「ティルテュ、お前も飲め」
二つの影、レプトールとティルテュはワイン瓶の置かれた小さな机を挟み座っていた。そしてレプトールは白磁のように白く細い手で握られた透明なグラスに、血のような赤いワインを注ぐ。その所作はどこか錬金術師が意思も命も持たぬ人形に生命を吹き込む秘儀のようにも見えた。
「お父様ったら今夜は随分とご機嫌なのですねえ。珍しい」
紫がかったプラチナブロンドの髪を揺らし、少女は父に笑いかける。
「ああ、久々に面白いものが見れた。ティルテュ…儂のトールハンマーをその身に受けて無傷な人間がいると言ったらお前は信じるか?」
「はあ?ブルーム兄様ならともかくお父様の使うトールハンマーでしょ?ないない、無傷どころか普通死んじゃうってば」
老人は少女の至極真っ当な意見を聞き小さく笑い何も語らない。そしてその沈黙が事の真偽を雄弁に語る。そしてそれはフリージの一人、十二聖戦士が一人魔法騎士トードの血と誇りを継ぐティルテュに大きな衝撃を与えた。
「まさか本当なの?だってトールハンマーは正真正銘、天雷の一撃でしょ?それにお父様の魔力が乗っかるんだよね?だったら無傷はおかしいじゃない!…あ、そっか私分かっちゃった。シグルド様だ!シグルド様がティルフィングを持っていたって言うんでしょ?あはは、だったら無傷はないけど生きてたって話も分かるかも!もー、お父様はちょっと話盛り過ぎだってばあ」
聖剣ティルフィング…トールハンマーと同じくかつての聖戦において聖戦士が振るった十二の神器の一つ。その切れ味は言うまでもなく、特筆すべきはその剣の所有者とその周囲に強力な抗魔の力を与えるという。
かつてグランベル王国内で起こった内紛時、バイロンが率いたグリュンリッターは遠隔戦術魔法が飛び交う戦場を縦横無尽に駆け回り、わずかな被害でその乱を鎮圧したという神話じみた話が何かの戦術教本に載っていたのを思い出した。
(見た時はこんなのなんの参考にもならないじゃんって思ったけど、トールハンマーと同じ十二の神器、聖剣ティルフィングならきっと不可能なんかじゃない。)
だがその予想は
「シグルドではない。隣にいたあの小娘だ」
即座に覆された。
「え?隣って…まさか…スクルド様?えー、あー、うん、お父様流石にそれはないかなって。だってスクルド様ってまだ私とそう変わらない女の子だったよ?」
「そうだ。その年端もいかない娘にトールハンマーを防がれ、いや防ぐ価値も無いとばかりにあしらわれ儂は殺されかけたのだ」
にわかに信じられない。父と彼が扱うトールハンマーが少なくとも真正面からぶつかりあって敵対者の生存を許す、ましてや殺されかけるなんて慮外の事。
ティルテュは幼き頃より父の力を間近で見てきたからこそ分かる。身に染みてなんて甘い話ではない。まるで神を信ずる信仰者のように父の絶対性を信じていた。
「あの…お父様…」
「そしてそんなバケモノを従えるシグルド公子…くくく、いかようにも操れると思っておったあの昼行燈がトラバントとその軍を潰すと吠えたのだ。先ごろ予定外の軍事演習をシアルフィ領内で行ったとは聞いておったが、まさかあそこまでの覇気を持っていたとは」
アルコールのせいであろうか?それともグランベル王国内で敵を屠り続け、栄華を貪り続けてきた宰相レプトールがその晩年で初めて出会った恐怖と自身を超える野心に触れたせいであろうか?レプトールは己が理性を越え、身体が高ぶっていくのを感じる。
「軽挙妄動な若造なのか?それともこの大陸を変えてしまう大器か?儂はシグルドという人間をもっと見てみたくなった。だからティルテュ、儂の目の代わりにあれにつき従い、あれがどうやってトラキアの大火を鎮めるのか、フリージが歩調を共にするに足る男なのか見定めてこい」
「えええ?嘘でしょ?だから今日無理やり食事に誘ったの?ブルーム兄様で良いじゃん!」
レプトールの指示に反発し、分かりやすいくらい頬を膨らませるティルテュ。
とはいえ父の命令を背けるはずもないと分かっているのでヤケ酒とばかり手に持ったワインを煽る。
「あれはそういう役には向いておらん。そもそもシグルドに必要以上の敵愾心を抱いておるし公正な評価を下せるとも思っておらん…それに今は奴の嫁御にいらぬ情報を与えたくはないのだ」
「ヒルダ義姉様?確かに義姉様に知れたらめんどくさい事になりそうだよねえ。ヴェルトマー家に逐一うちの情報流してるみたいだし、まあ別にいいんだけどさ」
兄の劣等感、義理の姉の気性の激しさ、狡猾さを思い出しティルテュは乾いた笑いがこみ上げる。
なるほど、確かにこの役はブルームには不適格だと。
「それに将来の旦那の飛躍の第一歩くらいは自分の目で見た方が良いのではないか?」
「その件はシグルド様にきっぱり断られたじゃん、お父様ボケちゃった?」
「ふん、想い人がいるからそれがどうした?お前もフリージの女だ、もしシグルドがシアルフィ公国に収まらぬ大器と感じたなら自力で奪い取るが良かろう?」
そこまで言い終わるとレプトールは傍らに置いていた魔術書と指輪をティルテュに押し付ける。
「トローンとスピードリングだ。もしシグルドや北トラキアのグズどもが敗死しようとこれで自分の身くらいは守れるであろう。明日からは出陣の戦備を整えろ、将や副官は好きな人間を見繕がいい」
「わー大盤振舞だね。でもいいの?もし私がシグルド様をみそめたらトローンとその軍でお父様とフリージを滅ぼしちゃうかもよ?ほら私って尽くすタイプだもん」
「戯言はいい。さっさと明日に備えろ」
言うべきことは全て言い終わったとばかりに、レプトールは虫を払うようなしぐさでティルテュに退室を求めた。
「はいはい、あ!私がトラキアに行ってる間にクーデターとかアグストリアへの侵攻なんてしちゃだめだよ?お父様と兄様だけじゃ成功するわけないんだし」
かくしてフリージ家の陰謀の夜はふけていく。