レプトールとの密談の後、シグルドは一月を待たずに7000の軍をまとめシアルフィを発ち、バーハラにてティルテュ率いるフリージ軍6000と合流を果たした。
数年前より寝所にこもりがちであったアズムール王が自ら執り行った盛大な出征式のあとにシグルドを総司令官、ティルテュを副司令官としたシアルフィ・フリージ遠征軍はエッダ領を抜け、軍は事前に北トラキア側の使節と協議し取り決めてあった合流ポイントにして北トラキア諸国連合の西の要所、メルゲン城を目指す事となった。
「総勢1万3000とはいやはや壮観、壮観。しかしレプトールのハゲも随分張り込んだものだな、あの時の約束の倍も兵を出すなんて。やっぱり未来の婿殿への支援は惜しまないって訳か?いやはや義父の期待が重いですな、シグルド君」
「茶化すな!ロプ…スクルド!その件についてはあの時はっきり断ってるんだ!それにレプトール卿といえどやはり人の親…初めて戦場に送るティルテュ公女に出来る限りの事をしてあげたかったのだろうさ」
「ハゲもあの姫君もそんなタマか?」
数多の将と万を超える兵を従える一軍の長とその副官は進軍する馬上でじゃれ合いながら、二人はその視線をこの軍においてシグルドに次ぐ席次を持ちそんな肩書が似合うようにはまるで見えない、幼くも不思議な色香を持つ少女に向ける。
「シグルド様?スクルド様?どうかされたのですかあ?あ、この辺で一時休憩にしちゃいますかあ?私のお馬さんも疲れたって言ってますし」
二人の視線の意図に気付いたのか?はたまた意図を気付いていながら分からないふりをしているのか、今から戦場に向かうとは思えないほど底抜けに陽気な声をフリージの将はあげる。
とはいえティルテュの言にも一理あった。出征式で意気軒昂となったシグルドや兵たちが知らず知らずの内に進軍速度を上げてしまったせいなのか、グランベル国境を抜けメルゲン領に入ってから不慣れな地理の行軍が災いしたのか、僅かづつではあったが軍全体が疲労の色を見せだしていた。
「確かに合流予定時刻よりも大分余裕がある…それにここなら見晴らしもよく遮蔽物もわずかだ。トラキア王国軍から奇襲や伏兵なんて心配もない。うん、難所となるメルゲン渓谷を前にここらで最後の休息を取るのも悪くはないな」
「シグルド様、どこぞの司令官は見晴らしのよい自軍首都に続く街道で奇襲を受け討ち死にされた…なんて例もありますが?」
蒼のローブに身を包んだ褐色の美少女はニタニタと意地悪げな表情をシグルドに向ける。
そんな副官の軽口を無視し愛馬の轡を預けると、シグルドは旗下の各将に手早く全軍休息の意とその間の周辺の警戒と地形と進軍経路の下見を行う部隊の編制、行軍再開の時刻等々を告げるとティルテュの元に駆け寄る。
「ティルテュ公女、忠言感謝する。どうにもこの戦、私は気が急いてしまっているらしい」
「いえいえ、女だてらに出しゃばるような事を申し上げお気を悪くなされませんように。それとシグルド様、ここはフリージの屋敷でもバーハラ宮でもありません。戦場にいる間は私の事はティルテュ、ただのティルテュとお呼び下さい」
「いやそれは不味い。それにフリージの寵姫をシアルフィの馬鹿ボンが『ティルテュ』などと呼んではフリージの将兵も面白くはないだろう、ティルティ・エスニャ両公女はフリージの白百合と呼ばれフリージ公国内で敬愛されているという評判はシアルフィまで届いてるほどだよ」
どこぞの黒とかげの影響を受けてしまったのか、らしくもなくシグルドは芝居がかった声でティルテュに向けいたずらめいた表情を浮かべる。
からかわれていると気付いたティルテュはその端正な表情をちょっとだけ歪ませながら拳を振り上げる真似をしながら怒っているような拗ねているような、照れているような態度を露わにした。
「もうシグルド様ったら!私をからかってるんですかあ?シグルド様と連携取れてないと戦場でいざって時に困るなって、私だって恥ずかしいのを押し殺してこんな提案したのに!」
「ははは、悪かった悪かった。それにティルテュ公女が美しいってのは本当だな、うん」
「そういう恥ずかしい事、さらっと言わないでもらえませんかあ?なんか調子狂うなあ」
紫がかった銀の髪を振り乱し朴念仁の他意のない言葉に耳まで真っ赤にしたティルテュ。特に意味もなく女性に意味ありげな言葉を振りまくのは実際に一度死んでも治らないらしい。
数瞬後にシグルドの言葉に困惑するだけ損だと理解したフリージの姫は、フリージ兵が自身の主のためにと休憩用のテントの準備しようとするのをそれには及ばないと手で制し、ちょうど腰掛に出来そうな岩に腰を下ろし今度は岩の空いたスペースをポンと叩きシグルドを隣に招きよせる。
そして彼女は目の前に広がる光景…休憩中にもかかわらず装備の点検を行う者、今後の予定を何度も何度も確認する者、せわしなく動き回る将兵たちを目で追いながら口を開く。
「シグルド様はさっきは事を急いてるっておっしゃってましたが、それ無理ありませんよ。私は勿論ですけどうちの歴戦の兵達だって今後の激戦を予見して武者震いが止まらないって表情ですもん。シグルド様…この戦争の勝算はいかほどお持ちですか?」
先ほどまでの表情とはうって変わり、目の前の少女はフリージ家当主の代行役としての顔を浮かべ言葉を続ける。
「失礼ですが見たところシグルド様の軍の多くはこれが初陣の新兵、私の兵も父レプトール直下のゲルプリッターから一部借り受けたとはいえ将の私が初陣。数だけは揃えたとはいえこれで大陸全土に悪名と威名を轟かせたトラバントに勝てるんでしょうか?」
シグルドはティルテュの言葉を受けじっと黙りこくる、そして…
「分からん」
「ふえっ?」
予想外のシグルドの答えにティルテュは思わず素っ頓狂な声を上げる。
「だが勝つよ」
「ど、どうしてですか?どうしてそんなこと言われるんですか?なにか確信でも…」
「確信なんかないさ。いつだって不利な状況で戦ってきた。一度だって必ず勝てると思えた戦争なんかなかった。それでも」
「それでも?」
おかしい。ティルテュは直感的にそう感じとった。たしかにシグルドは数年前に初陣を済ませている。だがそれはどちらかと言えば公爵家嫡子としての儀式的な物で、不利ましてや勝算の読めないような戦で行うようなものではなかったはずだ。だとするなら目の前にいるシグルド公子はいったいいつの話をしている?誰に向かって話をしている?
ティルテュがシグルドの言葉の真意を測りかねていると、
「それでもねティルテュ、私はトラバント如きに躓く為にこんな遠くまで来たわけじゃないんだよ」
シグルドは立ち上がったかと思うと小さく誰に聞かせるでもない言葉を残し、兵たちの中に消えていった。
「グランベルから北トラキア…そんな遠いかな?ってシグルド様?今ひょっとして私の事ティルテュって呼んでくれましたか?」