「キュアン王子、北西の街道より1万余の大軍が!青地に片手剣正位置、シアルフィの軍旗です。すぐ後方にはフリージ!間違いありませんグランベルからの救援軍です!」
「シグルド、待ちかねたぞ!」
「お待ちください、キュアン王子!お一人でどこへ?」
「知れた事よ、窮地の我等を救いに来たわが友シグルドを迎えに行く、馬を出せ!」
黒と金を基調にした軍装を身にまとい、豊穣なマンスターの大地を体現したかのような濃い茶色の髪を持つ貴公子、女騎士ノヴァの裔にしてレンスター王国の王子、キュアン=フォン=レンスターは兵卒の報告を最後まで聞くこともせず、側近の達も置いてきぼりに矢も楯も堪らないといった様子でメルゲン城に備えられた設備の中でも一際高い物見櫓を滑る様に駆け下りていく。
このグランベル王国の介入がこの後のトラキア半島の行く末を歪めることも知らず、今の彼は無邪気な少年のように友の友誼を喜んでいた。
◇
時を同じくしてメルゲン渓谷を進軍中のシアルフィ・フリージ連合軍にも一報が飛び込む。それは先遣隊として斥候の任を帯びていたアレク隊からの早馬であった。
その兵はシグルド達の隊列に駆け寄ると即座に下馬し兜を脱ぐと、主の前でひざまづくと息を切らせながらも本分を果たす。
「失礼します!アレク隊より放った第三斥候部隊が無事メルゲン城を確認しました。このまま街道沿いに8㎞ほど進軍願うとの事です」
「任務ご苦労。輜重隊からワインを受領した後にアレク様に伝えろ。メルゲン市街へは本隊の到着を待ち入城、貴隊はそれまで陣を整え、くれぐれもシグルド公子、ティルテュ公女ひいてはグランベルの威信を傷つける振る舞い無きように務めよ!と」
「は、失礼いたします!」
スクルドの命を聞くと先ほどの逆まわしのように兵は馬に乗りこみ自身の隊に駆けていく。受領表を渡そうとした褐色少女の手は宙ぶらりんと虚しく空を踊る。その後姿を目を細めて見送ったのはバイロンより遠征軍の軍監として付けられた老騎士スサールであった。
「あやつめ、命令はきちんと全て聞かぬか。副官殿がせっかく気を利かせてワインを持っていけと言っておったのに、渇いたのどで何を伝えるつもりなのか……アレクのいい加減さが下の者に伝播しておるわ」
「まあまあスサール卿、大過なくメルゲン城まで辿り着けて兵達も気が勇んでいるんですよ。あれだけ元気なら酒など無くとも無事に隊まで戻れるでしょう」
ジジイの小言に巻き込まれるなど御免蒙るとばかりにスクルドは竜族の誇りなど路傍に捨て去って実に人間臭くなだめすかし、スサールの怒りを軟着陸させようと話題を変える事を試みる。
「しかし流石スサール卿ですな。急遽膨れ上がったフリージ軍によって不足が懸念されていた糧秣、輓駄馬、秣の問題を即座に解決されるとは」
「あんなものはどうという問題ではないぞ?スクルド殿。若君も幕僚共も馬鹿正直に考え過ぎよ…そしてスクルド殿もだ。見えているはずのものが見えておらん、利用できるはずのものを利用しておらん。バーハラとメルゲンの間には何があるかね?」
スサールはまるで不出来な学徒に、万象の理を説き学ばせる教師のような態度でスクルドに問いかける。
「エッダ公国ですかね…あとは…海?」
「そう。そしてエッダ領の周囲には内海があり、その海は交易により大陸中の品が集まる自由都市ミレトス、大穀倉地帯と軍馬の名産地を数多く有す我が愛しのシアルフィ公国を繋いでおる。だとするならば3000ばかりの兵が増えたところで何の支障もない」
「まさかエッダ公国…いやエッダ教団をこの遠征の物資集積、中継基地として利用したと仰るのですか?」
「そのまさかじゃ」
スサールはあっけらかんとした顔でとんでもない事を言い放つ。
エッダ公国…グランベル6公国の一つで大司祭ブラギの興した国。ただしユグドラル大陸に住まう者にとってこの国はもう一つ重要な意味合いを持つ。
(ユグドラル最大宗派、グランベル国教エッダ教の総本山を戦争に巻き込んだというのか?クロード公爵はそれを受け入れたと?政治・軍事一切に関与しない代わりに、王国内での絶対中立の立場と教団の独立性を勝ち得たあの日和見をどうやって口説き落としたんた)
勿論シグルドやスクルド、さらにはレプトールとてこの案を考えないわけではなかった。グランベル王国内に置いて砂漠と荒野のみに面しなんら政治的、戦略的価値を持たぬはずだったエッダ公国をこの際利用せぬ手はないと。
そしてトラキア遠征計画がまだ具体性を帯びる前から、エッダ公国の支配者にしてエッダ教最高指導者、クロード公爵と接触し宰相直筆の書状まで携え交渉を行ったが俗世の争いが云々、神託の結果が云々と話をはぐらかされ取りつく島もないと有様でズルズルと時だけを浪費し頓挫、軍の通行権だけをようやく認め、当初の計画は絵に描いた餅となり果てた。
「しかしどうやって…?こちらが提示した港湾や一部地域の貸与条件を見ても鼻も引っかけて貰えませんでしたが?」
シアルフィ家の金庫番、財務卿パルマークが見たら卒倒しそうな金額を提示したつもりだったがクロード公爵からは一瞥もくれずに却下された情景を思い出し、なんだかむかっ腹が立ってきたスクルド。
だからブラギは嫌いなんだ…いつもいつもすまし顔で…ああそういえばあの時もそうだったわ…と周りから怪訝な顔されるのも無視して赤いバラのつぼみのような唇には不似合いな、竜族時代の不満がボロボロとあふれ出す。
「ずいぶんと面白そうな話をしていますな、スサール卿、スクルド殿。宜しければ後学の為に私にも一つ御教授いただけませんでしょうかな?」
「これはグスタフ侯爵、このようなところまでいらしてご自身の部隊はどうされました?」
スクルドとスサールの会話と間に割り込むように軍馬の首をねじ込ませてきた声の主はブルーム公子を政治・軍事の両面で支え良将として誉れ高いフリージ第二軍の将、グスタフ侯爵。
本来であれば彼は今この時ティルティ率いるフリージ軍の副将として進軍の指揮を執っていなければならないはずであったのだが…。
「いやなに、公女のお守りをするつもりではるばるトラキア半島までついてきたのですが、それが副官のヴァンプ共々あれでなかなか優秀でしてな。一緒に連れてきた兵も若くて綺麗な少女に指揮される方が良いと懐いてしまい先遣隊の指揮をしておったわけですが、メルゲン城到着後にアレク殿でしたかな?彼に後事は自分がと気を遣われてしまいすごすごフリージ本隊の列にトンボ返りしている最中という訳ですよ、この年になると軍の中でどこにも居場所がなくて困ったものです」
「何を情けない事を…卿はまだ50そこそこであろう?儂が卿の年の頃はバイロン様と共に…」
(おいおいふざけるなよ、一気に私の周辺の加齢臭がキツくなってきたぞ。ジジイがジジイを説教するとかここは地獄か?平日昼間の喫茶店か?若者はそんなに悪ですか?)
実年齢で言えば1000をゆうに超え、軍における平均年齢を引き上げる主原因は自分の事など棚に上げていた。
「で、スサール卿先ほどの話ですが…」
「おお!それよそれ。済まぬなスクルド殿、すっかり失念しておったわ」
「私にも是非。フリージの軍官吏も今回の事ではクロード公爵に手酷くあしらわれたようでして…」
ふむ、とスサールは浅く一息つくと二人に問いかける。
「お二人はエッダ公国が何を一番欲しがっておるのかをきちんと把握しておるのか?あの国が欲しているのは莫大な金か?では余人が目を眩ませるような名誉か?政治的地位?強力な軍?そうではなかろう…そんなものは必要ない、いやそんなものは黙っていてもあとから付いて来ると言った方が分かりやすのかもしれんな」
ああ…なるほどとスクルド、グスタフは同時に同じ答えと辿り着く。
「「教徒か」」
「そう。大した産業も税収も無いあの国が何故我等6公国と同じ地位であり続けられるのか?畏れ多くもバーハラ王家にすら比肩しうる信望を得ているのか?大陸各地より集められるお布施と毎年数百、数千万の人が巡礼者としてエッダ公国に立ち寄る。それこそがあの国の力の源泉よ」
「ということはマンスター地方からの巡礼を困難にしているエッダ~メルゲン間の悪路の整備あたりを条件に?」
グスタフは今まさに自分たちが進む街道というにはあまりにお粗末な街道を見つめる
「トラキア王国打倒後に、現在国交が断絶して立ち遅れているトラキア南部への布教の援助あたりもありそうですね」
スクルドは遥か南方、トラキア山系の向こうにある彼の都を夢想する
「まあそのへんは各々の想像にお任せするよ」
だがちょっと待ってほしい。
確かにその解は正しいのかもしれない。
それであるならばきっとエッダ公国は条件を喜んで飲んだに違いない。だが
「スサール卿、それを実現させるためには一体どれほどの費用が?」