「確かにそれならばクロード公も食いついて来るでしょう。ですが、いかにシアルフィ・フリージ両国といえどそれらの条件を実現するのは容易ではないかと…この件についてシグルド様とレプトール公はご存じで?」
「無論知らぬよ」
やはりか…と、心の中で大きな、本当に大きな溜め息をつくスクルド。
彼女の懸念は現実のものへと変わる。確かに本遠征においてエッダ公国という中継基地を得れるか否かは、今後の戦局の大きな分水嶺となるのかもしれない。そして本遠征の成否如何によっては、シグルドの大願である聖戦回避への道程を大きく遠回りさせてしまう事になるのかもしれない。だが、
「スサール卿…まだ遅くはありません、シグルド様に本件を包み隠さずご報告ください。このままではよしんばトラバントの首を挙げ、トラキア王国悉く攻め平らげたとしてもシアルフィとフリージ……我等に明日はありますまい」
「た、たしかに。私からもレプトール公に口添えさせていただこう。スサール卿、卿がこの遠征の成功のために精力を傾けた事誰も疑いはせぬ。だが少々いきすぎてしまった事を正そうというだけの話。もとはといえば今回の問題は我が国の編成の通達の遅れが招いた事。公とてそれを咎めたりはせぬし、私もさせぬ」
何がスクルド、グスタフをこんなにも焦らせているのかというと、スサールがエッダ側に提示した条件にあった。
スサールが口をつぐんでいる以上具体的な内容はうかがい知れないが、さきほどの口ぶりから推察すると要旨はこの一点に集約される……シアルフィ・フリージによる戦後トラキア半島におけるエッダ教の布教拡大の支援。
一見すると何をその程度などと思うかもしれない。だが立ち止まって考えてみて欲しい、占領地住民に対し信教の強制を行うことの困難さを。
戦争終結後の荒れ果てた半島の復興、開発だけでも重荷になるのは分かり切ってる。その最優先事項としてエッダ公国向けの交通インフラ並びに治安維持に割くコストはいかばかりになるであろうか?いやこの際金銭など問題ではないのかもしれない。
前述したようにユグドラル大陸において最大宗派はエッダ教でそれはトラキア半島でも例外ではない。ただし裏を返せば最大シェアを誇るということはそれ以外の宗派も少なからず存在するという厳然たる事実。
北トラキアで今なお盛んに信仰される豊穣神エスニャ。南トラキア山岳部で見られる竜神信仰。そして前回世界で野火のように燃え広がったロプト教。これら土着の神々の信仰を捨てさせエッダ教に鞍替えさせる為に動くということは下手をすれば…いや確実にトラキア半島で戦と同じ以上の血が流れ、怨嗟の鎖は百年いや千年と連綿と紡がれていくに違いない。
そしてその矢面に立つのは他の誰でもないシアルフィ、フリージの両家…いやグランベル軍トラキア方面司令官となっているシグルド。
だとするならばスクルドの決断は決まっている。北トラキアの地が火に包まれようが、南トラキア住民が飢え死のうが、それこそ目の前の老人の首がはねられようがシグルドの枷になってしまうようなら本遠征ごと元の木阿弥に返すつもりであった。
(くそっ!とんとん拍子で事が進んで浮かれ過ぎていたのは否めないか。スサール卿の独断という事でバーハラの歴々を納得させられるだろうか?エッダ公国には協定破棄の侘びとして前回提示した額を贈るとして、事と次第によってはフリージにも犠牲を出して貰わねば…グスタフは今しがた確かに自身の軍備編成の非を口にしたな…ならば)
自身の友であり主への責任追及だけは避けねばと、指の爪をがじりと噛みほの暗い考えに囚われる褐色の少女。
スサールそれを見透かしたように眼でスクルドを捉え、語りかける。
「スクルド殿。卿の若ぎ、いや主シグルドへの忠誠心は確かに得難いものだが使い方を誤るものではない。それとお二人とも老人の策をもう少し信じて貰っても良いのではないか?儂とてロプト教弾圧を見て宗教の怖さは痛い程分かっておるつもりだ。いかに戦略的有利を得るためとはいえその愚を犯すつもりなぞないわ」
かの老軍師の言葉に立場を忘れ、スクルドは半ば怒りをぶつけるように問い返す。
「分かっておいででしたら何故そのような馬鹿な真似を!このままではシグルド様は生涯をこの半島に費やしながら民草や歴史書できっとこう語られることになるでしょう!高圧的な侵略者!宗教弾圧を引き起こした暗君と!」
「儂は確かにエッダ教に対し交渉はした。したとは言ったがクロード公爵にのみと誰が言ったのか?」
「はい?クロード公爵だけではない…おっしゃってる意味が…」
「分からぬはずはなかろう、聡明な貴公の事だ。エッダ公国とはどういう国かクロード公爵のお立場と出来る事、出来ぬことを整理してみれば答えなど勝手に転がってくる」
チョコレート色の肌を紅潮させ言葉を震わせながら語気を荒げるスクルドを嗜め征すように、出来の悪い愛弟子へ教え説くようにスサールは教鞭を持つ仕草をしておどけて見せた。
その様が妙に勘に触ったのかスクルドはブツブツと不満げに思考をめぐらすと
「エッダ領内でクロード公爵の出来ない事など…うん?いやしかし…まさか…それならば辻褄が合ってしまう」
「はっはっは!貴公が今思いついた事が恐らく正解だろう、どうだなかなかの策ではないか?」
「一体全体どういうことですか?失礼ですが私には」
勝手に納得し始めてしまった両者を尻目に、何が何やらわからないといった様子で慌てふためくグスタフ。
その様をさも面白げに手を叩いて喜ぶスサール。
「グスタフ卿…あくまでこれは私の勝手な見解です。笑わずにお聞きください…つかスサール卿は笑いすぎですよ!」
「これはこれは気を悪くされたかな?血の巡りの良い将官がシアルフィにいた事を喜んでおっただけなのだが。それとグスタフ殿なにも気落ちされることはない。これはエッダ公国の隣国でなければ分かりにくい機微だからな」
「なるほど、それで?スサール卿はどういった策を?スクルド殿はご存じなのでしょう?」
グスタフは答えを出せない悔しさより、答えを知りたくて仕方ないと言った様子で話を先にと促す。スクルドはちらりと横目でスサールを見ると、かの老人は自身で話す気はないとばかりに掌を上にスクルドへ向ける。
「ロダン大司教です、グスタフ卿。スサール卿はエッダ教ナンバー2にあたる彼へクロード公爵とは別条件で本遠征の支援を依頼した…違いますか?」
「ご名答。それでは部分点についての答え合わせもしていただこうか?」
スサールはスクルドの答えに満足したのかニカリと笑い先を促す。が、ここで一人話をまだ飲み込めていないグスタフが疑問を呈す。
「ロダン大司教へですか?確かにかの御仁はエッダにおける重要人物ですがクロード公爵と同等の外交裁量権を持っているとは…」
「そこがスサール卿の悪辣、いや巧妙な部分なのではないでしょうか?確かにエッダ公国における最高権力者は間違いなくクロード公爵です。ですがエッダ教団となるとまた話が違ってくるのですよ」
「エッダ教団の最高指導者とて同じ事では?エッダの聖痕を受け継ぎ、神器バルキリーの杖を振るえるカリスマはクロード公爵だけでは?」
グスタフの言葉を聞き終わるや否や静かに、しかし確かにその言葉を否を突きつける意を込め彼女は首を横に振る。
「残念ながら我々が思ってるほどあの教団は一枚岩じゃありませんよ。それにこれは近隣国では有名な話ですがクロード公爵はエッダ僧兵軍に対し実質的な指揮権を持ち合わせていませんし…」
「は!?冗談でしょ!?」
「冗談ではありませんよ。仮に…仮にクロード公爵がバーハラへ異を唱えるために決起したとしても彼はロダンの了解なしではエッダ兵一兵たりとも動かすことは叶いません」
(そうシグルドと共にクロードが灰になろうともな)
スクルドは本当に言いたかったその言葉の端をなんとかかみ殺し、次の言葉を吐き出すため小さく息を吸い込んだ