太古の昔、ユグドラルの蒼穹を支配してきた竜。
しかしその絶対に思われた支配は人の世が栄える事で突然の終わりを迎えた。土地の開発が進み飛竜の居場所を奪われ、また人の兵器の進化によって無敵を誇った彼らの鱗や翼は容易に貫かれ、文字通り高みより転げ落ちることになるのだが、ここトラキア半島の空では多少装いを異とするものの竜は昔と変わらず空の支配者として君臨していた。
「随分とメルゲン城に兵を集めているな、あれはキュアン王子の軍旗…ランスリッターまでいるとなると…奴ら近々この方面でデカい作戦でもやるつもりだろうか?」
「マゴーネ様、北の方角、メルゲン渓谷の山道に敵影を認めました。どこの所属かまではここからでは分かりかねますが……これは凄い!ざっと一万強の大軍、危険を承知で敵の砲台群の上を抜けてきたかいがありましたね」
メルゲンの山々の存在する渓谷を指差すのはまだ年若いが身に付けた兵装の優美さから将校、ただの将校ではなくトラキア王国の貴族であると察せられる青年。恐らくは将の副官といったところであろうか?
彼が跨る巨大な竜の背には鐙、凶悪な牙が備わる口には轡と人が飛竜を御するための器具を付けてはいるものの、飛竜の気まぐれ一つで背から振り落とされる危険性に対する備えには何一つとしてなっていないのだが、そんな事気にする素振りも見せず嬉々として母国の敵と合い見えた事を語る様は一種の狂気を感じさせた。
「北の連中がメルゲン渓谷をあの大軍で進軍することなどまずありえない。大方グランベルの貴族たちに助力を乞うたのであろう」
「トラキア人同士の戦いによそ者を手を借りるんですか?毎度のことながら見下げ果てた連中だ」
「まあそういうな、それだけ我等に北が追い詰められてるという事だ」
憤怒の色を露わにする副官をなだめるのは、このトラキア竜騎士団の将を務めるマゴーネ…かつての世界ではイード砂漠にてランスリッターのことごとくを躯に変え、キュアン・エスリン両名の首を上げた名将であった。そんな彼がなぜ国境を越えメルゲンの空で兵を率いているのかというと
「マゴーネ様、仕掛けますか?」
「トラバント王陛下からは西部戦線の様子をつぶさに報告せよという命令は頂いているが、敵軍を痛撃せよという命令は頂いていない。それに先ほどの砲火を抜ける時に少なくない損害も出ているのではないか?損害報告を」
「問題ありません!」
「問題あるかどうかは私が決める。聞こえなかった?損害報告を」
いきり立つ兵の言葉を遮り、自身の務めをを果たせとばかりに幾分高圧的な語気で再度命令を下すマゴーネ。
「戦死・墜落による行方不明がが100強、負傷兵とその護衛の為の撤退が200…残余1500騎を割っています」
「それであの大軍に当たるというのか?貴様は」
「ちょうどよい戦力差かと?それとも失礼ですがマゴーネ様はこの名誉ある統一戦争での戦死を恐れているのでありますか?」
またか、とマゴーネは半ば暗澹たる面持ちでこの年若い副官の言葉を聞いていた。
近年のトラキア王国で戦意高揚の為にとばかりにトラキア王国都市は言うに及ばず地方の村々にまで踊るようになった勇ましい標語、そして若手士官への思想教育。
確かに母国の困窮は今年に入りより一層の厳しさを増し、それを補わんと傭兵家業に飽き足らず口に出すのもはばかるような汚れ仕事まで軍が請け負うようになり、将軍の自分でも思わず滅入ってしまうようなお寒いお家事情で、兵卒などは半島統一事業という美酒に溺れてしまいたい気持ちはよく分かる。しかし意気軒高なだけで勝てるような戦争であれば我々はとうの昔にマンスターの地を取り返せているし、自分たちで流した強硬・積極論に兵を率いる立場の人間まで振り回され行動を制限されるようでは本末転倒というものでないだろうか?
(王よ、我らの歩む道は本当にトラキア王国の繁栄に続いているのでしょうか?)
マゴーネは遠くトラキア王都の玉座に座る自身の生涯を捧げた主に問いかけるが、当然答えなど返ってくるはずもなく、意識を現実に引き戻す。
ここは敵地で自分の部下たちが自分の指示を待っているのだと…
「敵を甘く見るな。それに貴官らにやすやすと死なれては困るな。貴官のような将校の育成にいくらの金と時間がかかる?加えて貴官の率いる熟練竜騎兵たちをむざむざ死なせれる程わが軍は豊かではない」
「ですが!」
「だが貴官らの心情もよく理解出来る。いいか?敵は狭い山道で細く長い布陣で進軍中だ…そこへ横っ腹へ一当たり行う。もう一度言う一当たりだ!一当たりで即座にこの戦場より離脱を行うぞ!各末端まで徹底させろ」
「ハッ!望外の幸せであります!」
(兵達のストレスを考えたら多少の損害は目をつぶってでもここで好きにやらせる。今後確実に起こるであろう決戦で暴走されるよりは遥かにマシだ)
マゴーネは手綱を緩め、ゆるりと高度、速度を落とすと同時に周囲の士官にそれと同様のハンドサインを送ると、それは周囲へ齟齬なく行動として伝わり一軍そのものが一匹の竜のように有機的に機動する。
そして彼は編隊の為上下左右へと広く散らばった竜騎兵すべてに聞こえるような大音声でもって命令を下す。
「聞け!我が精強な将兵よ!今より我が部隊はトラキア渓谷進軍中のグランベル軍へと強襲を実行す!トラキアの威をかの軟弱なグランベルに存分に示せ!トラバント陛下に勝報を捧げよ!トラキア王国に栄光あれ!」
その命令を皮切りに各竜騎兵はグランベル軍を目がけ急降下を始める。みな口々に叫びながら。
「トラキア王国に栄光あれ!」
* * *
一方敵の接近を確認後、慌てて設営したグランベル軍本営にて軍議は踊る。
「シグルド様、トラキア王国軍なお速度を上げこちらに迫っています!この速度差では振り切れずメルゲン城へ逃げ込むのも難しいかと…このままいくと30分…いえ20分後には足場が悪く大軍の利を活かせないこの渓谷での衝突になります」
アレク率いる先行部隊との連絡の為、一時本隊を離れたスクルドの代わりに副官を務めていたノイッシュは悲痛とも取れる声で現状を主君シグルドに伝える。
先ほど吹き荒れた砂煙のせいで上空への警戒の穴を突かれる形となったのが、バイロン時代からの幕僚の舌鋒は鋭くノイッシュと彼の不手際を貫く。
「ノイッシュ!いったい貴様の目はその時どこに向いていた!?順調な進軍に呆けていたのではあるまいか?進軍中の警戒なぞ軍法のイロハではないか!」
「然り!若…いやシグルド様への恩寵をいいことに自惚れておるからこのような事態になるのだ!いったいどういった始末をつけるつもりだ?敵は必ず高位を利して腹背を我らの突いてくるのだぞ?魔術・弓隊の配置は間に合うのか?」
「そもそも北トラキア連合も何をしていた!援軍に駆け付けた我らを矛をそらすための囮とでも考えているのではないか!?先にメルゲン城へ合流したアレク隊への早馬はまだ帰らんか?」
ノイッシュばかりか非難は北トラキア諸国にまでやり玉に上げ始まったあたりで、ノイッシュは耐え切れなくなったのか血の気を失ったような悲壮な顔で立ち上がりと震えた声で答える。
「身命に代えてもシグルド公子、ティルテュ公女の身はこのノイッシュ隊がお守りいたします…もしこの戦で生きていればこの咎はいかようにも受けましょう…それでは私は……」
「この阿呆が!責任を取ると言うのはそういうことではあるまい!ノイッシュ!聞いておるのか!」
彼の次期君主にしてこの軍の司令官は怒鳴り散らす幕僚を手で制し、ノイッシュの意などまるで理解してない。そんなあっけらかんとして声色で
「そうか分かった。ノイッシュ、お前は自身の騎兵部隊に戻り指揮に専念してくれ。こうなっては仕方ない、ここで一戦お相手するとしよう。アーダンにも伝えてくれ。慣れない対空戦闘になるが奮戦を期待すると」
告げる。
「ただなノイッシュ、あまり気負うてくれるな。こうなった原因はお前のせいでもなければ誰のせいでもない。大神ナーガでもない我々人の身に全ての事象を予測することなどかなわないのだからな。だから責任を感じて深追いなどしてくれるな、お前をこんなところで失うつもりはないぞ。もちろんそれはこの場にいる口うるさいご老人たちも同じ気持ちだよ」
「わ、わかりました、シグルド様…必ずや吉報をお届け致します、では!」
シグルドの言葉を聞き幾分緊張と気負いが解けたのか、股肱の臣は先ほどまでよりかは幾分柔らかい表情で自身の率いる部隊へ駆けていく。
その後ろ姿が見えなくなったのを見計らってか一人の幕僚がシグルドに近づきぼそりと呟く
「シグルド様、部下をあまり甘やかしてくださるな。奴やアレク、アーダンはいずれグリュンリッターの中核を担うのですぞ。この程度の窮地や叱責は自分で乗り越えて貰わねば」
「皆が本来私がやるべき憎まれ役を買って出て貰ったのは感謝している。すまない、苦労かけるな」
「若、勿体ないお言葉です」
そんなやりとり知ったことではないと、ノイッシュと入れ違いになる様に猛スピードで一頭の馬と一匹の竜が本営に駆け込み空気も読まずに…
「シグルド!なんか空から敵が来てるが大丈夫なのか?ノイッシュがしくじったか?やっぱわたしじゃなきゃダメだな!」