時をかける英雄   作:ブッシュ

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政略結婚とその意義 その1

「げほっげほっ!閣下、ご冗談でしょ……ティルテュ公女はいまだ14歳ですが?」

 

せき込むと同時、食前酒として供された上質なシャンパンの爽やかな酸味が災いしたのだろうか?喉と鼻に強烈な痛みをシグルドに与え、阿鼻叫喚の様相を呈していたのだがそれどころではない。

 

「あいにく私はその手の冗談が苦手でな」

「それに14歳で嫁ぐことなど我ら貴族の間では珍しくも無かろう、貴公も20の声を聞かぬのだし、それほど不釣り合いとは思わぬが」

 

レプトールの至極まっとうな意見に反論しようとするが傍に控えていた給仕から替えの酒杯を差し出され、口を開くタイミングをずらされる。

シグルドは震えそうになる手で杯を取りそれを飲み干し、動揺で乾ききった喉と思考に潤いを与えようとする。

 

(ここでの沈黙は不味い)

 

だがシグルドは失念していた。

いや、そもそも理解していないのかもしれなかった。

無計画に口に出す言葉などこの老獪な老人にとっては、急所をさらすだけなどだと。

 

「そ、それはそうですが。いやそうではなく!」

「シグルド様はわたしとの婚儀がお嫌ですか?」

「いやティルテュ、そういう意味ではなくてだな!もちろん光栄ではあるのだけれども!これはそんな簡単話ではなくて」

「ティルテュ、シグルド公子はこの婚儀、前向きに考えていただけるとのことだ。これは真にありがたいこと…うむ。そうだ今日は秘蔵のワインを出そう。フリージにもよいテロワールがあってその中でも出来年の物を公子には呑んでいただきたい。今宵はそれで両家の友誼に乾杯といこうではないか」

「お父様ったら、もう!ほどほどになさってくださいね」

 

(何をやっているのだ、わが主は。)

 

レプトールはおろか年端もいかないティルテュにすら手玉に取られてるシグルドに呆れつつ、褐色の美少女は血のように赤い紅玉の瞳を閉じ、思考の闇に意識を沈める。

 

(なるほど……考えてもみなかったがいやどうしてなかなか。なぜこの手を思いつかなかったのだろうか、自分は)

 

最初は何を馬鹿なと思わせたこの提案、考えれば考える程にシグルドや自分たちにとって妙手に思えてくる。

現状グランベル内部で問題になっている王子派宰相派の権力闘争とは、つまるところバイロン(シアルフィ家)とレプトール(フリージ家)の争いに他ならない。

 

この際、バーハラ王家については考慮する必要はない。

アズムール王はよく言えば太平の名君。悪く言えばレプトールの専横を許してしまった放任主義。ましてやここ数年の体調悪化によりますますその傾向は強くなり、宮廷内部の争いに介入する気力などあろうはずもない。

クルト王子についていうならもっと簡単。確かに彼は精力的な賢君なのかもしれない。ただ残念ながらその辣腕はバイロンという背景があればこそ奮える力。

彼個人の才気と権威のみで宰相派と伍するにはまだまだ長い年月を経なければならない。

 

(まああの老人は自身の信念と忠義を遂行しているだけで、権力争いなどしているつもりはないかもしれないがな)

 

シグルドとバイロン両者を知るものであれば、なるほどあのシグルドと父御であると誰もが理解するであろう愚直さ、寛容さ、厳格さを備えながらもどこか間の抜けた騎士道の権化ともいえる老人を思い出し、スクルドは自然と頬が緩む。

とはいえ、いやなればこそバイロンも権力闘争を理由にフリージのこの申し出を敢えて断ることはしないのであろう。

 

さて仇敵であるはずの両家、それも本家の人間同士が結婚するならどうなるだろうか?間違いなくグランベル内のパワーバランスは大きく動くことになる。

いや実際に動く必要などない。動いたとグランベル内外に思わせてしまえばそれだけで各国は既存の方針を大きく変えざる得なくなる。

そしてそれはあのアルヴィスとロプト教徒たちも同じ。

 

ここで少し前回世界でのアルヴィスの動きを考えてみよう。

意外な事ではあるのだが、アルヴィス本人がグランベル王国簒奪の為に表立って動いた事は驚くほど少ない。

イード砂漠でレプトールと彼の率いる親衛部隊、そしてシグルド軍が衝突したまさにその時に、レプトールを裏切った一度。

そしてヴェルトマー城から王都バーハラへ向かう街道で行われたあの偽りの凱旋式の一度。

実にその二回のみ。

それ以外の軍事・政治活動の一切はレプトール・ランゴバルト名義で行われていた。

 

勿論アルヴィスが直接手を下さず一歩下がることによって、レプトールたちが行った蛮行の穢れを逃れ、シグルド誅殺後に皇姫ディアドラの婿として貴族や民から批判を受けずにスムーズに権勢を振るえる一因となった。

だがそれはあくまで二次的な結果であって、アルヴィスが狙ってやった事ではないのではないだろうか?

 

(意図してやるにはあまりに危うすぎる。おやおや、あのアルヴィスもずいぶん綱渡りしたという事か。)

 

スクルドの妖艶な唇が先ほどとは違い酷薄ににんまりと緩む。

そう、あの計画はあまりにも不確定要素が強すぎるのだ。

もしシグルドが道半ばでヴェルダン戦役、アグストリア動乱、シレジア内戦で敗死した場合もっといえばレプトール達がシグルドを破ってしまった場合、ディアドラの婿という名分とロートリッターのみで肥大しきったレプトールの勢力をアルヴィスは止めることは出来たのだろうか?

恐らくはノー。ロプト教団が味方することを勘定に入れてもレプトールの専横は止められない。

 

だとするなら自然と答えははじき出される。

アルヴィス、ロプト教団は計画実行と戦後の主導権をレプトールに握られる危険性を自覚していながら、それでもレプトールを陣営に引き込まなければ事の成就は無理と判断したということだ。

逆にいえばレプトールを味方引き込めるという算段がなければ、アルヴィスたちの計画は土台から瓦解する。

全てが計算づくのように思えたあの陰謀は、クルト王子の戴冠を座して待っていては権力失墜は免れぬフリージ、レプトールを忌み嫌うクルト王子とそれを支えるシアルフィ家。というあまりに不確定な要素で成立っていたということになる。

 

これを前提に考えるとシグルドとティルテュの婚儀の価値は一層光り輝く。それこそ大陸の命運すら見誤らせるほどに。

 

(さて当のシグルドはどんな風に考えているのやら)

 

スクルドはそこで思索を一端打ち切り、血のように赤い瞳で己と同じ色のワイン見据えそしてそれを一息で飲み干した。

 

「閣下、フリージ産ワインは初めて頂きますが閣下の仰る通り素晴らしい味ですね」

「気にいってもらえて安心した」

「スクルド殿、気を付けてくださいね。これ味はいいけどすっごい度数高くて、お父様なんてよく悪酔いされるのですよ?」

「ははは、美味しいものなんて概してそんなものかも知れないですね」

 

ヴェルダン軍侵攻まであと3年

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