こちら艦娘広報室   作:たこ輔

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「あなたのことが好きな、私のままでいさせてよ!」

一つの悲劇から突き付けられた現実。深い悲しみの
群青に心を飲まれた青葉。変わってしまうことに不
安を抱く彼女は、自身の感情とどのように向き合う

変わるもの、変わらないもの、変えたくないものの
物語


C96にて頒布した小説の本文部分、pixivに投稿してあった作品をこちらの方にも投稿しました
メロンブックスにておまけを収録して委託してありますので気になった方はそちらもご覧ください
メロン:https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=603499


どこまでも広がる群青を超えて

 作戦から帰投した青葉を待っていたのは悲劇でした。

 

「そんな……」

 

 告げられた言葉の衝撃。全身から血の気が引いていくのを確かに感じます。

 鎮守府に設置された医療施設。受付の方は気まずそうに視線が下を向いています。

 ほんの一瞬、目の前が真っ暗になったような錯覚。すぐに気を強く持ち直そうとしますが、足元がよろめいてしまいました。

 

「青葉!」

 

 傍にいたガサが支えてくれたおかげで転ぶことはなかったですが、どんなに頑張ろうとしても足に力が入らず立っていることができません。よろよろと近くの椅子に腰かけます。

 

「あはは、冗談がキツイですよ」

 

 笑って誤魔化そうとしても、顔が引きつってしまってうまく表情が作れない。これは夢だって何度言い聞かせようとしても、作戦で受けた傷の痛みが、これは現実だと告げてきます。

だって、だって……

 

「司令官さんが、重症……だなんて」

 

 ほんの数時間前まではいつも通り、みんな楽しそうでしたのに……。

 

 ほんのり外から漂ってくる焼け焦げた臭い。夜明けの日差しが窓の外を照らし、砕けたコンクリートの山を露にします。

慌ただしく行ったり来たりを繰り返す鎮守府の職員や艦娘たち。

深海からの脅威が残した爪痕がくっきりと、青葉の目に焼き付けられました。そしてそれは司令官さんの負傷という事実という形で心にもしっかりと刻み込まれ……

 

「あ、あぁ……」

 

うつむき、溢れ出そうな感情を必死に抑え込みます。手のひらに爪が食い込むほど強く握った拳。

 

「青葉……」

 

ガサが不安そうな表情で青葉の顔を覗きこんできますが、今の青葉には言葉でも、仕草でも返す余裕はありません。ただただ、目の前に突きつけられた現実を受け止めようと必死に呼吸を繰り返すだけ。

頭の中でハッキリと響き続ける崩壊の鐘

なんで、なんでこんな……。

 

 青葉の脳裏には数時間前の情景が浮かびます。

 

『メリー・クリスマス!』

 

 その掛け声と同時に、パン、パパンとクラッカーの弾ける乾いた音が鳴り響きます。そして舞い散る色とりどりの紙吹雪、割れんばかりの拍手と喝采。

 

 皆さんの談笑がガヤとなり、BGMとなってこの催しの盛り上がり具合をよく表します。

 今日は鎮守府のクリスマスパーティー。本当のクリスマスはもう少し後ですが、皆さんの都合が合うという理由で少し早めのお祭り気分です。

 

 そんな楽しい空気の中、青葉は人だかりから距離をとり、壁にもたれかかります。

先ほどまでカメラを持っていた片手、今度は飲み物に持ち替えて皆さんの様子を眺めていました。今は少し休憩の時間。興奮のあまりシャッターの切りすぎで疲れてしまいましたからね。

 

 鎮守府の体育館を会場に、リースやバルーン、イルミネーションライトなどでカラフルな飾り付けをされ華やかに、折り畳み机の上には種類豊富なオードブル。料理が得意な方が持ってきた手作りのものもあり、このパーティーをより豪勢なものにしてくれています。

 

……まあ、中には怪しいオーラを放っている物もありますが、それについては誰も触れません。

 

 おかげで皆さん仕事終わりの遅い時間だというのにとても良い表情で笑っていて、青葉としても撮りがいがあるというものでした。緊張した笑顔や、おちゃらけて、ふざけ合った様子。今から写真の整理が楽しみです。

 

 ただ一つ、どうしても違和感を覚えてしまうのは、那智さんや隼鷹さんをはじめとした普段お酒を飲まれる方々が、この場で手にしているのはジュースだということ。事情が事情とは言えまあ、なんか変な気持ちになってしまいます。

 

「本当はよく我慢しているって褒めるべき場所なんでしょうけど、必死に耐えている姿を見ると、おかしくってニヤケちゃうんですよね。ああ、ほら。今にも飲みたそうに手をうずうずさせています」

 

 ちょうど青葉の前方にいた隼鷹さんがチラチラと周囲を気にしています。あれはきっと、こっそり部屋に戻ってお酒を取ってくる気なのでしょう。そのたくらみは一緒にいた飛鷹さんに気取られて、お説教という形で終わりを迎えましたが。

クスクス笑いをこらえながら青葉はその様子をしっかりとカメラに納めさせていただきました。

 

「ニヤケながら写真撮っているのは、あんまりいい趣味とは言えないよ?」

 

そんな青葉に声をかける人が。見ればそこには青葉が所属する艦隊の司令官さんがいました。いつもの制服姿ではなく、ジャージの姿。そのせいで普段のキリっとした印象とは打って変わって野暮ったく見えてしまいますがこれはこれで……。

 

そんな新鮮な格好で苦笑を浮かべながら肩をすくめています。思わず写真に収めたくなるような表情、少し、心臓が高鳴るのを感じます。顔、赤くなっていないでしょうか? バレていないでしょうか?

 

ですが司令官さんは本来ここには来ないはず。なんせ

 

「当直でこれないんじゃなかったんですか?」

 

「副直の衣笠にこっちはいいから行ってこいって言われたからね」

 

どうやらガサの計らいのようです。ナイスと心の中でサムズアップ。

 

「で、ニヤケ顔のカメラマンはちょっと怪しいと思うんだけど?」

 

「これも立派なお仕事ですよ。皆さんの様子を記録に収めておくというのは」

 

「間違いではないけどさ、青葉がやってると下心を感じるんだよね」

 

「あー、ひどいです。そんな風に思っていたんですね」

 

司令官さんの物言いに青葉はプイっと拗ねます。もちろん振りですが。すると司令官さんが困ったようにゴメンゴメンと謝ってきます。そのやり取りがおかしくて青葉は表情をほころばせました。

 

青葉につられて司令官さんも笑みをこぼします。とても、幸せ。心が温かいです。いつまでもこの時間が続けばいいのにと思わず考えてしまうほどに。

 

「それにしても、すごい盛り上がりだよね」

 

 皆さんの方を一瞥しながら司令官さんは言います。それほど人の多くない鎮守府ですが、今、この体育館の中にはぎっしりと詰まっていました。おかげで熱気がすごいです。冬だというのに暖房がいりません。それどころかほんのり汗ばむほど。青葉も先ほどまでは上着を羽織っていたのですが、今では半そででも平気なくらいです。

 

 本来このクリスマス・パーティーはもっと小規模で行う予定でした。しかし気づけばどこから聞きつけたかお祭り好きな方々が話を大きくしていき、他艦隊の艦娘だけでなく提督まで参加されることになり、最後は鎮守府全体を巻き込んで……現在に至ります。

 

突発的なことでしたが、これだけの方が参加してくれたということは、大成功と言っても過言ではないでしょう。

 

「これだけ盛況なのは青葉が企画してくれたおかげかな?」

 

「青葉は何もしていませんよ。ただ、皆さんが楽しそうな表情をしてくれればと思っているだけですから」

 

「いやそれでも本当に助かったよ。さっき挨拶回りに行ったとき、上もえらくご機嫌だったよ」

 

「きょーしゅくです」

 

 司令官さんの柔らかい言葉。実はこのパーティー、青葉が考えたものだったりします。もちろん頼まれたというのもあるのですが、そもそもの理由は……

 

「大きな作戦前です皆さん緊張していますからね、こういった方法で士気を高めるのもいいんじゃないかと思いまして」

 

 青葉たちはこの後、大きな作戦を控えています。この鎮守府が管理している海域、そこに侵攻してきた深海からの脅威との一大決戦。今は小康状態ですが、近々攻勢に出る予定なのです。

 

このパーティー、実はその決起会も兼ねています。だから今回お酒は無しだったんですよね。何かあったときのために、即応体制をとっておかないといけないですから。

 

「うん、皆が楽しそうな様子を見ていると、こっちまで楽しいし、幸せな気持ちになるからね。まるでケーキの上で揺らめくろうそくの火みたいに、ワクワクと温かさを心に灯してくれるよ」

 

柔らかい表情でパーティーを眺める司令官さん。少し回りくどい言葉。かっこつけているのか、ロマンチストなのか。

 

多分、両方なのでしょう。それがとても愛おしいです。

 

そんな感情を抱きながら青葉が司令官さんを見つめていると、彼はキョトンと首をかしげました。

 

「何か変なこと言った?」

 

「いえ、相変わらずキザな言い方をするなと思いまして」

 

「そんなに?」

 

指摘され、頬を赤くさせました。可愛い。

司令官さんはコホンと咳払いをして言葉を続けます。

 

「だけどこれはボクの本心だよ。そりゃ多少は言葉を選んだけども、偽りのない……ね。だからありがとう、青葉」

 

今度は青葉が赤面する番でした。慌て飲んだウーロン茶の冷たさで冷まそうとしましたが、頬は熱を持ったまま。

司令官さんの幸せのきっかけを自分が作れたことが、青葉にはたまらなく嬉しいです。

 

「えへへ……」

 

思わずふやけた笑みを浮かべてしまうほど。

 

「で、そんな幸せの企画者さんはみんなの中に入って行かなくていいの?」

 

「休憩中ですので」

 

「そうは言うけど、さっきから遠巻きに写真を撮っているだけだよね? 楽しそうではあるけど、それほど深く会話もしていないみたいだし。もちろんそれがダメな訳じゃないけど、少し気になったから」

 

 司令官さんの指摘に、青葉は言葉を詰まらせてしまいます。優しそうな瞳で、

見るところはしっかり見ているんですから……。

 

司令官さんの言う通り、青葉はあくまで撮影係に徹し、会話も二、三回軽くする程度でした。

だって……怖いですから。誰かと深くかかわるのは。

 青葉は心のなかで呟きますが、決して表には出しません。

 

「実は人見知りするタイプなんです」

 

 なんて当たらずとも遠からずな適当なことを言って誤魔化しを試みます。

 

「そっか、意外だね。ボクはまだ全然青葉のことを知らなかったみたいだ」

 

 司令官さん。口ではそう言っていますが、絶対誤魔化せていませんねコレ。目がまっすぐこちらをみています。そんなに見つめられたらまたドキドキが大きくなっちゃうじゃないですか。

 

それはともかく、それ以上追求してこないのはきっと彼の優しさなのでしょう。だから青葉はその優しさに甘えるように、冗談めかして言葉を返します。

 

「そうなんですよ、だからこれからもっと青葉のこと知ってくださいね?」

 

「じゃあ是非、青葉のことをもっと教えてほしいな。ボクに残された時間は少ないし、少しでも多く知っておきたいから」

 

「え……」

 

 さらりと言い放たれた衝撃的な言葉に、青葉はきょとんと首をかしげます。時間が少ないって、どういうことですか?

 青葉が聞き返す前に、司令官さんが話してくれました。

 

「春になったらボクは転属する予定なんだ。今はまだ内々示の話だけどね。ここにきて二年経つし、そろそろだとは思ったけど」

 

「あー……、そうなんですね。確かに司令官さんが来てもう二年になるんですか。時の流れは速いですね」

 

 何でもないような言葉を選んでいるつもりですが、口が動揺を隠せていません。気取られているでしょうけども、そのことに何も言ってこないのも司令官さんの優しさなのでしょう。だけど今度はその優しさが……。

 

司令官さん、いなくなっちゃうんですね。確かに司令官さんみたいな幹部の役職についている人は数年で異動になりますけども……。それにしたって急ですよ。青葉にはまだ、心の準備ができていません。

 

 暗い表情は出さないようにしていたのですが、きっと表に出てしまっていたのでしょう。司令官さんが優しく頭を撫でてくれます。大きな右手が心地いい。ちょっとゴツゴツしている男の人の手。それがとても温かいです。

 

「そんな表情をされると、心苦しいよ。だけど裏を返せば、こんなボクでもいなくなることを寂しがってくれる人がいるってわかって、少し嬉しいかな」

 

「あ、ごめんなさい。司令官さんにはどうにもできないことだってわかっているのに困らせてしまって。でもっ、いなくなってしまうことが寂しいのはその……本当です」

 

無理やり笑顔を作ろうとして、歪な形になってしまいました。何かを言おうとして、でも言葉が出なくて、誤魔化すように飲み物に口をつけます。ウーロン茶の本来あるはずの渋みは、全く感じませんでした。

 

 楽しいはずのクリスマス・パーティー、衝撃の事実を聞いた後の青葉はまるで蚊帳の外に追い出されたかのような寂しさを感じます。皆が幸せに浸る中、取り残されてしまったような。

 

 司令官さんも同じような気持ちなのでしょうか。決して特別な関係ではないです。特別な感情も抱いていないでしょうが、それでも、少しでも青葉と離れてしまうことを残念に思ってくれているでしょうか。

 

 そんなことを考えながら司令官さんの顔を見ると、視線は青葉ではなく皆さんのいる人だかりの方。ちょっとガッカリした気持ちになってしまいました。

 

でもよくみればその横顔は何か決意を固めたような……力強い瞳をしていました。

 

「うん、よし。……大丈夫」

 

小さく呟きながらこちらを向きます。なんでしょうかジッと青葉を見つめて。なんだか照れてしまいます。

 

「あのさ、青葉……」

 

 司令官さんは口を開きます。一つ一つ選ぶようにゆっくりと言葉をつなげていきます。

 

「この後話したいことがあるから、二人で――」

 

 

 ――ウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……!

 

 

 そこまで言いかけたところで突然、唸るように低いサイレンが会場に響きました。司令官さんはもちろん、青葉も、周りの皆さんも即座に反応を示します。空気が緊張した、ピリピリ張り詰めたものへと変わりました。

 

「あ、提督。いたいた!」

 

「ガサ?」

 

 慌てた様子の青葉の妹艦、ガサこと衣笠が駆け寄ってきます。彼女は司令官さんと一緒当直についていたはず。

それなのにこんな場所にやってきて、何やら司令官さんに耳打ちを。気になりますが、今はそちらに集中しているわけにはいきません。

 

 数秒の後サイレンは止み、その後アナウンスが流れました。

 

「非常呼集発令。時刻……」

 

「なんだって!?」

 

「なんですとっ!?」

 

 司令官さんと青葉の驚く声が重なります。頭に『訓練』とついていない『非常呼集』ということは、本当の緊急事態が起こったということ。つまりはこの近くに敵勢力が急接近していることに他なりません。

 

詳細がわからないため憶測になりますが、小康状態だった深海棲艦の艦隊が攻めに出たのかも。

その推測は、司令官さんの叫ぶような言葉で確信に変わりました。

 

「くそっ! 落ち着いていたと思ったけど、向こうから先手を打ってくるなんて」

 

 彼は悪態をつきながらもすぐさま他艦隊の提督さん同様、駆け出します。一刻も早く指揮所について出撃体制をとらなければならないですから。

 

ですが青葉は思わず引き留めてしまいました。

 

「あの! 司令官さん」

 

なんでそうしたかは、頭で考えてもわかりません。きっと感覚的なもの。先ほど言いかけた言葉が気になったからかも。

 

 司令官さんは立ち止まり、こちらを振り向きます。普段からは想像できないほど厳しい表情。背筋がゾクリとするような鋭い眼差し。だけどすぐさまいつもの柔らかい微笑みを浮かべると、

 

「終わったら、話したいことがあるんだ。いいかな?」

 

「はい……」

 

 小さく頷きます。彼の微笑みは安心するはずなのに……。

 

「みんな、悪いけどパーティーは一時中断だよ。だけど裏を返せば禁酒生活はこれっきりってことだ。終わったらパーティーを再開しよう。もちろんその時はお酒もオーケーだからね」

 

司令官さんが冗談交じりで会場にいる皆さんに声を掛けました。すると皆さんドッと笑い出します。緊張を保ちながらも場が和んだのを肌で感じました。士気もやる気も十二分。非常事態ではありますが、対処に問題はないでしょう。

 

 だけどなぜでしょうか、再び指揮所へと駆けていく司令官さんの背中を見ていると。青葉の胸はざわついて止まりません。

 

「ほら、青葉も行くよ!」

 

「あ、ごめん……」

 

 ガサに手を引かれて青葉は司令官さんとは別の方向へ。振り向いたときに見た彼の背中が、最後の姿でした。

 

 

 

 その後青葉たちは出撃。孤独な真冬の夜空を背に響く砲撃音、上がる水柱。爆発と怒号の嵐が飛び交うとても激しく、厳しい戦いでしたが、何とか勝利を収めることができました。これで近海の平和は保たれ、めでたし、めでたし。それで終わるはずだったのです。

 

 だけども帰投してみれば鎮守府だけでなく、周囲の街が黒煙を昇らせ、焼け焦げていました。ほんの一部とはいえ、あまりにも異常な光景。作戦も終わりホッとしていたところでこの仕打ち、ここに存在してはいけない戦場の香りに一瞬にして血の気が引くのを感じました。

 

何があったのか、近くにいた鎮守府職員に聞いてみたところ、先の作戦で敵の放った艦載機がこちらに攻撃を……特攻を仕掛けてきたとのこと。

 

 その艦載機に、青葉は見覚えがありました。艦隊戦の途中、青葉たちの頭上を通り過ぎて行った新型の航空機。およそ飛ぶのに適していない丸いフォルムと禍々しい武装。

 

 追いかけて撃墜すればよかったのですが、敵の猛攻がそれを許してくれませんでした。苦渋の決断の末、見逃した敵機がもたらした災い。

 

被害は建物だけで民間人に怪我もなかったのは不幸中の幸いとのこと。

 

……ただし、司令官さんを除いて。

 

 司令官さんは本来いるべき指揮所を飛び出し、民間人の避難誘導を行っていました。その際、突っ込んできた敵航空機から民間人を庇い、重傷を負ってしまった。

 

 そして今、鎮守府の医療施設で治療を受けている最中……。

 

赤く輝く手術中の文字が、青葉の不安を駆り立てます。

 

「大丈夫だから、ね?」

 

 ガサが背中をさすって慰めてくれました。その優しさに少しだけ落ち着きを取り戻せましたが、それでも胸のざわめきは収まりません。

 

「司令官さん……」

 

 司令官さんの怪我の程度も、命に別状があるのかもわからず、ただ待つしかできません。嫌な想像ばかりが浮かんできてしまいます。

 

もし最悪の事態になってしまったら……。想像しただけで胸が苦しくなりました。それだけは絶対に嫌だと、そう思うほどに司令官さんは青葉にとって大切な存在なんです。

 

「ほら、心配なのはわかるけど、そんなに怖い顔してガチガチな姿、提督が見たら笑われちゃうわよ」

 

ガサがそっと青葉の手を握ります。やさしい、未来に希望を抱かせる言葉。それまで震えていた青葉の手がようやく落ち着きを取り戻しました。

 

「ありがとう、ガサ」

 

「私にはこれしかしてあげられないから」

 

「ううん、とても心強いよ」

 

少しだけ、彼女のおかげで微笑みを浮かべることがでしました。

どうか、司令官さんを助けてください。何度も、何度も小さく呟き祈ります。普段は信じてなんかいない神様に、必死にお願いします。

 

そして、青葉の願いに対しての審判が下されるかのように、手術中の赤ランプが消灯。

 

「! ……とと」

 

 思わず立ち上がろうとしましたが、足に力が入らず椅子に軽く尻もち。ガサに手伝ってもらってもう一度立ち上がります。

 

 青葉たちが立つのと同時に、手術室の扉が開きます。中から、青緑の手術服を着たお医者さんが出てきました。

 

「司令官さんは! 司令官さんは無事なんですか!」

 

 青葉はすぐさまお医者さんに詰め寄ります。お医者さんは青葉の勢いに押され一歩引いてしまいました。だけどすぐさま冷静な口調で答えてくれます。

 

「大丈夫です、命に別状はありませんよ。意識もはっきりしています」

 

「よかったぁ……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、それまで張り詰めていた青葉の緊張の糸が一気にほぐれていくのを感じました。全身の力が抜け、床に座り込んでしまいます。ああ、目が潤んできちゃいました。

 

「よかったね青葉」

 

ガサも青葉の肩に手を置きます。目じりに涙を浮かべ、自分のことのように喜んでくれました。

 

 司令官さんの無事に安堵する青葉とガサ。だけど、お医者さんの表情はなぜか厳しいものでした。

 

「ただ……」

 

 再びお医者さんの口が開かれたとき、青葉の心臓がキュッと締め上げられるような感覚を覚えます。この後に続く言葉が、決して良くないものだと容易に想像できたから……。嫌な汗が首筋を滑り落ちます。

 

 そして何を言おうとしていたのか、青葉たちは聞くよりも前に見て……しまいました。

 

「先生、患者を病室にまで運びます」

 

 そう言って看護師さんがキャスター付きのベッドを手術室の中から押してきました。そのベッドの上にいたのは司令官さん。

 

「指令……官、さん?」

 

 目の前の現実に青葉は言葉がうまく出ません。あまりの衝撃に、未だ青葉は立てず、司令官さんを見上げています。

 

「ああ、お帰り。無事に帰ってきてくれて嬉しいよ」

 

 司令官さんの口から最初に出た言葉がそれ。いつもの優しい笑顔で青葉たちのことを気遣ってくれる司令官さん。手術後なのに上半身を起こして青葉たちに視線を向けます。

 

だけども、いつもと決定的に違う。

 

「司令官さん……腕が……」

 

 司令官さんの着ている患者服の右袖がひらひらと揺れています。袖口から本来出ているはずのものが姿を見せません。

 

ぺしゃんと潰れた袖……そこに何もないということを嫌でも認識します。

 

「これ? 慣れないことはするものじゃないね。だけど、これ一本で人の命が救えたならお釣がでるくらいさ」

 

 そう言って笑顔を浮かべる司令官さんの表情には、明確な疲れが見えました。無理やり作った表情。

 

「それに右手でよかったよ。ほら、ボク左利きだし。それに……いや、なんでもないや」

 

 青葉の方を見ながら空元気を振りまく司令官さんの姿があまりに痛々しすぎて、青葉は何も言葉が返せません。

 

 瞬間青葉の心が一気に冷え込むのを感じます。それはまるで深い群青に飲みこまれるよう。司令官さんの失われた右腕。もうこれっきり、あの手を握ることができない。あの手で撫でてもらうことができない。これまで通りが……失われてしまった。

 

その事実がそれまであった幸せを、これまでの温かな思い出を冷たく、悲しい思い出へと変えてゆきます。

 

 そしてなにより、彼がその腕を失った原因は……青葉にあるのですから。その現実が、自身の心に十字架として重くのしかかる感覚。

 

夜明けの日差しが青葉を、ガサを何より司令官さんを悲しく照らしました。

 

 

 

 そんな、悲劇のあった夜から一週間が経ちました。

 

作戦のあった次の日には鎮守府と民間に被害が出たことはすぐにニュースになりました。新聞だけでなく、テレビにまで取り上げられ、今でこそ落ち着いていますが、当時は鎮守府の前に報道陣が押し寄せるほどの事態に。

 

それどころか度々デモが行われ、一日中喧騒がやむことがありませんでした。

 

おかげで外に出ることもままならない始末。鎮守府の外に住んでいる方たちも泊まり込みを余儀なくされ、フラストレーションが溜まった様子。

 

数日間、鎮守府の雰囲気はずっとピリピリしっぱなしで、当時は居心地がとても悪かったのは言うまでもないこと。

 

「民間人に被害が出なかったおかげで大きなバッシングにならなかったのは、不幸中の幸いでしょうかねぇ……」

 

 医療施設の屋上で新聞を眺めながら青葉は呟きます。日付は今日の物。一週間ずっとこの話題で持ちきりでしたが、徐々に注目は落ちていき、今では新聞の終わりの方、隅っこに少し書かれる程度。おそらく明日か明後日には完全に話題の中から消え去ることでしょう。

 

「でも人々の記憶から無くなったとしても、青葉の記憶からはなくならないんだよね。だからこうして今日も、勇気が足りないままなんだから」

 

小さくため息。それから自嘲を浮かべます。

 

青葉はあれから毎日、司令官さんのお見舞いに行こうと医療施設に足を運ぶのですが、顔を合わせづらくて屋上まで逃げてくるということを繰り返していました。今日が退院の日だと聞きましたが、最後までこんな調子の自分に呆れてしまいます。

 

「それにしても、隻腕の英雄ですか……」

 

新聞には司令官さんのことが書かれていました。自らの腕を犠牲にしてまで人々を守った男、と。御大層に『隻腕の英雄』なんてあだ名なまでつけて祭り上げています。正直素直に喜ぶことなんかできません。

 

 司令官さんの怪我をくだらないエンターテイメントとして扱われているような気がしてしまうのもそうですが、なによりあの時、青葉が敵艦載機を追いかける選択をしていれば……。

 

何度後悔してもしきれない、もしもの話。だけどもう司令官さんの腕は戻らない。その変わらない事実が青葉はたまらなく嫌いでした。あの手で撫でてもらっていたという思い出が、もう感じられないという事実によって悲しみとなり、青葉の心を深い群青の底へと沈めていきます。

 

「はぁ……本当にどうしたらいいんでしょう」

 

 何かすべきなのに何もできない。そんなもどかしさが青葉の気持ちを更に暗くしていきました。先ほどからため息がとまらない。

 

 ため息を吐くたび幸せが逃げていくと言いますが、今の青葉には逃げていくほど幸せのストックはないです。

 

 そんなドンヨリ真っ盛りな青葉の肩を背後から誰かが叩きました。

 

「青葉、最近寝れていないとはいえ、ひどい顔しているわよ」

 

 振り向けばそこにいたのはガサ。彼女も司令官さんのお見舞いでしょうか。疲れた表情はしていますが、それでも笑顔を浮かべようとしてくれています。辛いのは青葉だけでなくガサや回りの方々も同じなのに、青葉は自分のことばっかり……ダメですね。

 

「そんな顔、提督には見せられないんじゃない?」

 

 冗談めいたガサの言葉。だけど青葉は半笑いでしか返せませんでした。それを見て彼女はすぐさま真面目な表情に変わります。

 

「大丈夫……じゃないわよね」

 

「うん、だいぶ堪えてる」

 

 震える自分の手を必死に抑えようとします。気を抜くとすぐにフラッシュバックしてくる一週間前の光景。ガサがそっと手を握ってくれて、気持ちと共に震えも収まりました。

 

「凄い無力なのを感じたよ。なんにもできなかったって。もっと、あの時こうしておけばよかったていう後悔が……ずっと止まない」

 

「だけど、この前の頑張りのおかげで、この辺の安定は約束されたじゃない? そこは誇っていいと思うわよ。私たちが立派に使命を果たした結果なんだから」

 

 ガサの励まし。だけどやっぱり青葉がそれを素直に受け取れないのは、司令官さんのことがあるからでしょう。ただ、そうだねとだけ返します。

 

ガサの方も、特に言葉を続けてこようとはしません。

 

 そこで会話が終了してしまい。二人の間に気まずい空気が流れてしまいます。顔を合わせられない……

居心地が悪いので何とかしたいのですが、そのための言葉を青葉は持ち合わせておらず、ガサ頼み。

 

 ちらりと横目で彼女の方を向くと、ちょうど口を開こうとしていたところでした。よかった、気まずい思いは終わ――

 

「それに、せっかく安定を手に入れたんだから、この際告っちゃいなさいよ」

「ふぇっ!」

 

 ガサの突然の言葉に、それまでシリアスになっていた青葉の表情は一瞬にして驚きに変わります。ガサの表情も心なしか楽しそうで、あ、これ、からかいに来ているなと直感でわかりました。

 

わかってはいても青葉の口はしどろもどろ。

 

「な、何のことかわからないよ」

 

「誤魔化しても無駄だって。提督のこと、好きなんでしょ?」

 

 意地悪な笑みを浮かべるガサ。青葉は司令官さんの顔を思い浮かべ、思わず赤面。口にはしていませんが、これでは答えたも同然ですね。

 

 想いはありますが口にはできず、青葉はただ口をもごもごするばかり。そんな青葉にガサは追撃するかのようにニヒニヒ笑みを浮かべます。

 

「いつまでも行動に移さないと、そのうち誰かに先越されちゃうわよ?」

 

「うぇっ! そうなの?」

 

 驚きのあまり変な声が出てしまいました。司令官さん、そんなにモテるんですか? いや、青葉調べでも鎮守府内の人気はそれなりにあるはずなのですが、それほどまでとは予想外でなりません。嬉しい反面、心がざわついてしまいます。

 

「だって年もそこそこ若くて、提督の地位もある人間なんて、それだけでモテるわよ。それに真面目な性格だし……」

 

「それだけじゃなくてね、普段柔らかい雰囲気だけど、作戦の時とかキリっとしているギャップとか、ちょっと気取って大人っぽくしようとして、でもそこが余計に子供っぽく見えちゃうとことか可愛くて……あ」

 

 ガサが司令官さんのいいところを言うものですから、思わず青葉も釣られて言ってしまいました。それもだいぶん早口で。自分でも気づかないくらいに興奮していたようです。冷静、客観的になってみればどれだけ間抜けなことをしていたかがよくわかります。

 

その証拠にガサがニヤニヤした表情で見ていました。うう……恥ずかしい。

 

「ほら、そんだけ好きなら告りなよ。なんで躊躇うの?」

 

「それは……」

 

 心の底から不思議そうに首をかしげるガサ。だけど青葉は言葉を詰まらせてしまいます。だってこの気持ちは多分、ガサにはわからないでしょうから。

 

 青葉は怖いんです。司令官さんとの関係が今と変わってしまうのが。

 

青葉は、司令官さんと今の関係で十分幸せを感じられています。

 

 それなのに欲張ったことをして……青葉が気持ちを伝えても断られてしまったら、拒絶されてしまったら……一緒にいることが辛くなってしまいます。一緒にいることができなくなってしまいます。

 

仮に受け入れてくれたとしても……でも、いつかは終わりが来てしまいます。次のない、これっきりの日がきます。

 

どれだけ先かは、どんな形でかはわかりません。だけどいつか確実に来る終わり。そしてその過程で突きつけられる緩やかな衰退。

 

 それが青葉にはたまらなく怖いんです。そのことを考えてしまうと、泣いてしまいそうなほどに、心が冷たくなっていってしまいます。群青の中に感情が沈んでいってしまうのです。

 

 想いを伝えなくても終わりは来ます。だけどもそれは、想いを伝えて迎える終わりよりはずっと傷つかないで済む。

深く傷つくくらいなら、憧れのままで終わらせたいんです。青葉は。

 

だから、今が一番居心地がいい。今ある幸せをずっと続けていたい……。

 そのことをガサに伝えても、彼女はきっと困ってしまうでしょう。そもそも、青葉自身も上手く言葉にすることができません。だから一言だけ。

 

「青葉は、そこまで強くないから」

 

「……うん、わかった」

 

 ガサはそう言って小さく頷くだけで、それ以上は聞いてきませんでした。気を、使ってくれたんでしょう。その優しさが、今は心苦しいです。

 

 彼女は小さなあくびを一つします。彼女もこの一週間、作戦の事後処理でほとんど寝れていません。目元に隈ができています。それでも笑みは絶やさないようにしていて、それのできない青葉はきっと、彼女の言う通り酷い顔なのでしょう。

 

「それじゃあ、私は行くね。青葉も、あんまり思いつめすぎないで」

 

 そう言い残して中へと戻って行きました。

 

 残された青葉は屋上からの景色を眺めます。壊された施設はもう復旧作業が開始されていました。おそらく来月には修復が終わるでしょう。

 

「来月……もう、年が変わるんですね」

 

 気づけば本当のクリスマスは終っていて、お正月を目の前にしています。そして数か月もすれば司令官さんが異動してしまいます。

 

 お別れ……司令官さんとのかかわりもこれで終わり。そう思うと急に寂しさがこみ上げてきました。

 

「やだよぉ……司令官さん……」

 

 寂しさと一緒に涙までが湧き出そうになりますが、そこは我慢します。だけど、嗚咽だけは我慢できませんでした。

 

 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。今が永遠に続けばいいのに。そう思えるほどにああ、やっぱり青葉は司令官さんが好きなんです。どうしようもなく、たまらないほどに愛しさを抱いています。

 

 だけどもこの気持ちがどれほど強くとも永遠に添い遂げられるわけではありません。人は、とてももろいんです。幸せは儚いです。あの夜明けの時、それを実感しました。

 

今回は腕だけで済みましたが、もし次があったらどうなるかわかりません。

 

 そうでなくても、永遠なんてないんです。どんなに望んでも。わかっている。それに……

 

「こんな青葉、簡単に愛想をつかされちゃいますよね」

 

 自嘲を浮かべます。気持ちにも、ずっとなんてないんです。何かの拍子に簡単に変わってしまう、そんな気まぐれな物。

 

 拒絶されるのが怖くて、青葉はずっと黙っているんです。

 

 だけど、それでも、ときどき吐き出したくなるほどにあふれる愛しい気持ち。後ろめたさや罪悪感はあるけれど、それでも心が司令官さんを求めてしまう。こんなわがままな自分に困ってしまいます。

 

「この気持ちは秘めたままですけど、それでも、顔を見に行くくらいは……いいですよね?」

 

 誰に確認するでもない独り言。きっと、自分に対する言い訳なのでしょう。そんな言い訳を勇気に変えて、きっと今なら司令官さんの元に行けそうです。

 

「それに、いい加減寒くなってきました」

 

 冬の空気は青葉の身体の芯まで冷やしてしまいます。さっきから震えが止まりません。急いで室内に戻ります。

 

 階段を下りて下の階へ。廊下を歩き、司令官さんのいる病室に向かいます。足取りは重いですが、一歩ずつ確実に。

 

「こんにちは司令官さん。調子はどうですか? ……よし」

 

 顔を合わせたらどんな表情で、どんなことを話そうかと頭の中で何回もシミュレートします。

 

「そういえば話したいことの内容、教えてくれるのかな」

 

 出撃前に交わしたやり取り。結局ずっと聞けずじまいでした。一体何をお話しするのか青葉には見当もつかないので気になってしまいます。でも、あの時の司令官さんの表情はとてもまじめなものでしたから、きっと真剣なことなのでしょうが……うーん。

 

「もしかしたら愛の告白……なーんて、ないですね」

 

 自分で言って自分で否定します。そんなことあるはずがありません。期待していないかと言えばウソですが、夢の見過ぎです。そんな希望的観測は裏切られて傷つくだけ。

 

「なにより、その言葉を受け取る資格なんて、青葉にはないんですから……」

 

うつむき、溢すように口にします。群青に沈んだ心が青葉の顔に陰を落とします。また、司令官さんに会うための勇気が足りなくなってきそう。

 

早く会いたいけれども足取りは重い。そんな二律背反に苛まれながらも、なんとかたどり着いた司令官さんのいる病室前。閉じられた扉の前に立ちます。

 

 扉に手を駆けようとして、止まりました。

 

「……声が、聞こえる?」

 

 中から微かに話す声が聞こえました。一人は司令官さんってことはわかりますが、もう一人は……。誰かがお見舞いに来ているのでしょうか?

 

 青葉はそっと、音をたてないように扉をほんの少しだけ開けて、中を覗きます。司令官さんは患者が着ているような服ではなく制服姿。荷物もカバンにまとめられていて退院の準備は完了のようです。抵抗なく揺れる右袖を見ると胸が痛みますが、元気そうで安心しました。

 

 ですが……。

 

「……調子はどうかしら?」

 

「悪くはないよ。痛みもないし、しばらくはリハビリに通わなきゃだけど、なんとかやっていけそうだよ」

 

「え……司令官さんと、ガサ?」

 

 扉の向こうで司令官さんと話していたのはガサでした。ガサとはさっきまで話していましたし、お見舞いに行くのも自然ではあります。ありますが、なんだか心に引っ掛かるものがありました。

 

 このまま何も気にせず入って行けばいいのですが、それができず、青葉は二人のやり取りを覗き続けます。

 

「今日も青葉は……来ない、か」

 

「そうね、やっぱり責任を感じていると思うわ。足を運ぼうとしているけど、なかなか……ね」

 

 ごめんなさい、今ここにいます……。うぅ、いたたまれない。

 

「青葉の責任じゃないんだから、気にしなくても……って言っても、抱え込んじゃうのが青葉なんだろうね」

 

「あんな風だけど、根はまじめなのよね、うちのお姉さんは」

 

 肩をすくめて苦笑を浮かべるガサ。彼女の仕草にムッとはしますが、それ以上に自分の話をされていることが恥ずかしくてたまりません。早く違う話題になってくださいと念を送ります。

 

「ねえ、聞いた?」

 

 どうやら青葉の念が届いたようです。という冗談はさておいて、タイミングよくガサが話題を変える一言を放ちました。司令官さんがうなずいて返します。

 

「ん、昇任が無くなった話? 知ってるよ。まあ、自分の役割を放棄して勝手な行動をしたんだから、当たり前だよね。むしろ処分がそれだけで済んでよかったと思うべきだよ」

 

「民間人を守って注目を浴びたから下手な処分ができないっていうのもあるでしょうけどね。不幸中の幸いかしら? 隻腕の英雄さん」

 

「やめてよそのあだ名。これはボクの身勝手による結果なんだから」

 

「そんな……」

 

 笑って茶化すガサ。苦笑を浮かべる司令官さん。とても軽い、世間話のような感覚で話す二人のやり取りでしたが、青葉は衝撃を隠し切れません。

 

 司令官さんが昇任するなんて話、青葉は初耳でした。そしてその話が無くなってしまったことも。原因はすべて敵の艦載機が鎮守府を攻撃したこと。それはつまり、青葉の判断ミスのせい。

 

 自分のせいで大切な人の未来を閉ざしてしまった、幸せを奪ってしまったという絶望が、罪の意識となってさらに心に重くのしかかってきます。

 

「でも異動の話はなくならないのね。融通の利かない」

 

 ちょっと不満げに頬を膨らませるガサ。だけど一方の青葉は、少しだけホッとしていました。司令官さんと会うことがなければこの、青葉の心の内にある痛みが少しは和らぐのではないかと。

 

……一瞬でもそんことを考えてしまった自分が嫌いになりました。

 

「このままボクを鎮守府に置いていたって役に立たないからね。追い出すにはいい機会なんだと思うよ。まあ精々後方で電話番くらいはできるさ」

 

 皮肉たっぷりな口調の司令官さん。それに笑って見せるガサ。ここでも青葉は取り残されてしまったような孤独感を覚えます。

 

それにしてもなんだかとても楽しそうな雰囲気。もしかして二人は……。

 

 そこでふと、先ほどガサが言っていた言葉を思い出します。『誰かに先を越されちゃう』って。もしかして……。

 

「それで、どうするの?」

 

「気持ちは変わらないよ。だから、お願いしてもいいかな?」

 

 司令官さんがとてもまじめな表情をしています。まるで想いと告げるかのような。

 

「いいわよ」

 

 ガサはあっさり了承。司令官さんの変わらない気持ちを、お願いを受け入れたガサ。ああ、やっぱり。

 

「いつもごめんね」

 

「いいのよ、あなたのその頼みは断れないんだし」

 

まるでとても親密な二人がするようなやり取り。

 

「その代わり……」

 

 そう言ってガサは顔を司令官さんの顔に近づけて……。

 

 青葉の心から熱が一気に引いていきます。そう、だったんですね。二人はずっと前から……。

 

 それなのに青葉一人だけ呑気な妄想に想いを馳せて、舞い上がって。まるでピエロ、バカみたいです。

 

「うん、ガサならきっと、司令官さんを幸せにしてくれるよね。……ああ、秘めたままでよかった」

 

 青葉は呟きます。この気持ちを出してしまっていたのなら、そしてこの現実を知ってしまったのなら、青葉の心は耐えられそうもありません。だから、やっぱり、こんな気持ちになるくらいなら……。

 

 青葉はそっと扉を閉じてその場を後にしました。

 

 医療施設を出て隊舎に戻る道すがら、頬に水が伝います。おかしいですね、

 

雨が降るような天気じゃなかったはずですのに。

 

「ああ、これは……」

 

 冷え切ったはずの心が落ち着かない。今にも何かがあふれ出てしまいそう。それをこぼさないためにも歩く速度は徐々に上がり、そして駆け出します。

 

 冬の空気に溶ける白い吐息。息を切らし、吐き出してしまいそうな声を、必死に飲み込みます。

 

 張り裂けそうな胸の内。だけど耐えて、耐えて、耐えて……。あと少し、もう少しで青葉の部屋。

 

 隊舎に入ると階段を一段飛ばしで駆け上がり青葉の部屋へ。ベッドに飛び込み、そのまま頭から毛布をかぶります。枕に顔をうずめ、そして……。

 

「う……、ぁ、あ……。ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 泣き叫びました。心の奥底から沸き上がってくるモノ全てを爆発させるかのように。

 

「司令官さん、司令官さんっ!」

 

 脳みそを経由せず、ただひたすらに心から出てきた想いを喉からぶちまけます。もはや絶叫にも近いような、言葉としてはあまりに不出来な、ドロドロで、グチャグチャの感情のスープ。

 

 止まらない涙が枕を濡らしていきます。

 

「青葉は……好きですっ! 好きなんです! どうしようもないくらいにっ!」

 

 どれだけ言い訳を並べてもこの気持ちに嘘はつけませんでした。本当はあなたのそばにいたい。どこまでも、いつまでも。遠くから見ているだけじゃ満足できない。憧れだけじゃ収まらない。あなたにも、自分を見ていて欲しい。愛して欲しい。

 

 だけどそれはもう叶わない夢。その瞳に映すのは自分ではない他の誰か。全部ぜんぶ手遅れだった。自分の判断ミスが招いた結果。

 

 刻まれた記憶のころから何も変わっていない。いつも大切なものを失ってしまう。これっきりでもう、終わり。

 

 このまま深い群青の奥底に沈んで消えていってしまいたい、そんな気持ちでいっぱいになります。

 

「でも、よかった」

 

 思わず出てしまった安堵の言葉。だってこれ以上深く傷つくことはないのですから。それまでの想い出が悲しいものに変わることはないですから。だけど今生まれた悲しみは青葉を飲み込もうと容赦なく攻めてきて……。

 

「ああ、どうしようもなく弱っちいですね、私」

 

 こんな、どうしようもない自分に自嘲を浮かべます。感情を爆発させたおかげか、少しだけ気持ちは落ち着きました。

それと同時に、こんな弱い自分では、到底好きな人といることなんかできないと再認識させられます。

 

 毛布にくるまったまま横になり、ただボーっと壁を見つめています。

 

 頭の中に色々と嫌なイメージが浮かび上がっては必死に振り払おうとして、また悲しくなって涙が漏れてくる。そんなことの繰り返し。

 

 だけども次第にそれすらも無くなって、気分はもう路傍の石ころです。ただひたすらに司令官さんとの楽しかった思い出を、少し悲しみに変わってしまった思い出を思い浮かべているだけ。過去の幸せに浸るだけ。

 

「もう、司令官さんに想いを抱くのも……これっきりなんだね」

 

口にしてまた、寂しさを感じます。置いていかれてしまったような孤独感。

 

 徐々に日も沈んで、部屋の中も暗さを増していきます。しかし青葉は電気をつけることすら億劫で、ひっそり、闇の中に溶けていきました。

 

「あ、暗闇ってなんだか落ち着くね。でもやっぱり少し寂しさを感じちゃって……不思議な魅力があるね」

 

 なんて感想を口にして、ただぼんやり。

 

 そんなことをしていると、不意に扉がガチャリと開く音が聞こえました。

 

「ただいま……って、暗っ!」

 

 驚きの声を上げるのは同居人のガサ。それは部屋に対してか、青葉に対してか。……たぶん両方ですね。

 

「青葉、何してるのよ」

 

 電気をつけた後、ガサは青葉の方を見て呆れたと言わんばかりの口調で言います。そんな彼女を拒絶するかのように青葉はガバっと毛布を頭からかぶります。

 

「放っておいてよ。青葉は今ミノムシなんだから」

 

「何で拗ねているのかわかんないけど……明日時間あるかしら? 外出も解禁された休日なんだし、息抜きに遊びに行きましょ」

 

「嫌。司令官さんとよろしくやってればいいじゃないですか」

 

「提督とって……あ、もしかして見てたの?」

 

 ガバっと毛布から飛び出して青葉はガサに詰め寄ります。

 

「見てたよ! あんな仲睦まじそうなやり取りを見せられたら……青葉は……」

 

 何か言おうとして、でも言葉が出ず、青葉はすごすごとベッドに戻り、またミノムシに戻ります。

 

 すると、ガサから返ってきたのは、

 

「あっはっはっはっはっ――」

 

 気持ちいいくらいの大笑い。だけど青葉としてはとても不愉快です。今のどこに笑う要素がどこにあったのですかと毛布から顔だけ出して彼女をにらみます。

 

 お腹を押さえ、目じりには涙を浮かべるガサ。そこまで笑わなくてもいいじゃないですか。

 

「ゴメンゴメン」

 

 ようやく笑いが収まったガサが、涙をぬぐいながら謝ってきます。むぅ。

 

「大丈夫だって、青葉が想像しているような関係じゃないわ。私と提督は」

 

「信用できないよ」

 

「ホントホント、そのうちわかるわ。あの人、想像以上に真面目というか一直線な人だから」

 

 ガサの口ぶりに何か引っかかるものを感じますがこの際、置いておくことにします。とりあえず彼女の言葉を信じて特別な関係ではないと思っておくことにしました。

 

「それよりも明日、遊びに行くわよ」

 

 言い切るガサ。どうやら決定事項のようです。まあ、なんだか考えるのも疲れちゃったのでもういいです。それで。ずっと外出もしていなかったですから、気分転換にはなるでしょう。

 

 青葉は小さく頷いて頭から毛布をかぶります。今日はもう、寝ましょう。疲れました。

 

「青葉、寝るなら電気消しておくわ。私はお風呂入ってくるから」

 

そう言ってガサはパチ、パチと電気を消して部屋を出ていきました。

 

再び暗闇に包まれた室内、青葉は目をつむります。

 

「司令官さん、よかった……」

 

 司令官さんとガサがそいう関係じゃないってことが分かって一安心。まだ、青葉は想いを馳せててもいいんですね。これっきりじゃ、ないんですね。

 

 だけど春になったら司令官さんとはお別れ。そのことを考えると、気持ちを伝えることはできそうもありません。やっぱり、弱いまま。

 

 どうすればいいのか考えても答えは出ず、やがて睡魔に飲まれて青葉の意識は夢の中に。

 

……その晩、夢を見ました。

 

 とても幸せだけど、とても悲しい夢。

 

 愛しいあの人が青葉に向かって微笑んで、青葉も愛しい人に微笑み返す。そんな温かい空色の世界。

 

「……青葉」

 

大切な人が自分の名前を呼んでくれる。とても幸せ。

 

 だけどもそれは決してあり得ない幻。どんなに手を伸ばしても届かない。

 

 胸の内にある憧ればっか大きくなって、想いばっか強くなって。ふとした瞬間、拒絶されました。

 

「……!」

 

青葉が触れようとした瞬間、その人は泡となって消えてしまいました。これっきり、もう触れることも見ることも……できない。

 

これっきり、次なんて……ない。永遠にそこで終わり。

 

するとそれまでの幸せが一瞬にして崩れ去り、それがどこまでも広がる群青となり、青葉を飲み込みます。

 

「やだっ! 置いていかないでっ!」

 

足掻こうとしても、ただただ沈んでいくだけ。息ができず、心を窒息させて来て……

 

「青葉、起きなさい!」

 

 耳元で大声を出され、青葉の意識は一気に覚醒させられました。

 

 ガバっと体を起こし、窓の外を見ると日はとっくに上りきり、部屋の中を明るく照らしています。

 

 そして大声の犯人であるガサが腰に手を当て呆れ顔。服はキッチリ出かける用のものに着替え、うっすらとメイクもしています。

 

あー……、と、気まずそうに青葉が時計に視線を向けると、指し示す時刻は朝を通り越してお昼に近かったです。

 

「さすがに寝すぎじゃない。……まあいいわ。シャワー浴びてきたら? このまま外に行くには、ちょっとひどすぎる顔よ」

 

 ガサに促され。青葉はシャワー室へ。そんなにひどい顔をしているのでしょうか? 疑問に思いながら、小さくあくびを一つ。備え付けられた洗面台の鏡に映った顔を見て納得。

 

「確かに……。これは人前に出れないね」

 

思わず苦笑を浮かべるほど、青葉の顔は酷いものでした。目は赤くはれ、頬には涙のあと。髪もぼさぼさでだらしなさ満載です。昨日泣きわめいてそのまま何もせずに寝てしまったので、それもそのはず。

 

 だけど何か、それだけじゃないような気がしました。思い出せませんが、何かとても悲しいことがあったような……。

 

「無理に思い出さないほうがいいこと、何でしょうね」

 

 忘れることで自分の心を防衛しているのだと、何かで聞きました。つまりこの涙の痕は……そういうことなのでしょう。

 

 青葉は服を脱ぎ、シャワーを浴びます。シャワーの滴が肌を伝い落ちていく。

 

冷えた身体を温めてくれますが、本当に冷たいのは……

 

「これは、シャワーでは温められませんね」

 

胸元を見下ろし、呟きます。手を当ててみれば規則正しい鼓動。 

 

こんな気持ちの時でもちゃんとリズムを刻んでくれる心臓。ちょっとだけ気が紛れました。

 

「暗い気持ちはこれっきり。切り替えて、いこう」

 

シャワーを終え、濡れた身体を拭いた後着替えます。ボーダーのシャツにサスペンダーのついたズボン、コートを羽織って小さなポーチに必要なものを詰め込めば、出かける準備は完了です。

 

「お待たせ、ガサ」

 

 青葉が部屋に戻ると、ガサは窓の外を眺め、小さなため息をついていました。アンニュイという表現が似合うような表情を浮かべています。何かをつぶやくように、小さく唇を動かしていましたが、言葉は聞こえませんでした。

 

「ガサ?」

 

「あ、ごめん青葉。準備できたならいこっか」

 

 青葉の存在に気づいた彼女は一瞬慌てたような素振りを見せますが、すぐにいつものガサに。そう言って彼女は何もなかったように青葉の横を通り過ぎて部屋を出ていきます。

 

 すれ違いざま、彼女の表情に明確な疲れというか……上手く表現できない、何かを抱え込んでいるような雰囲気を感じました。

 

そうです、なにも青葉ばっかりが辛いわけじゃないんですよね。ガサだって色々と思うところがあったのでしょう。それなのに青葉は自分のことばっかり……反省です。

 

 だから今日は、めいっぱい青葉が頑張ろう。いつもガサには迷惑をかけているんだからと思いながら、ガサの後を追いかけました。

 

 その一方でふと、昨日のガサと司令官さんのやり取りを思い出します。ガサの言う通り特別な関係でないのだとしたら……あのやり取りは何だったのでしょう。

 

「――あ、ガサ置いてかないでよぉ」

 

 疑問に思いながらも先ゆくガサに追いかけるため、頭の片隅に置いておいたら追いつくころにはすっかり忘れてしまっていました。

 

「それにしても外出は久しぶりだね」

 

 ガサと並んで歩きながら青葉は口にします。この一週間ずっと作戦の後処理で大変でした。そのうえでマスコミ対応もしなくちゃいけなかったのでもう、あちこちてんてこまいでしたよ。思い出すだけでため息が出てしまいます。

 

 それにはガサも苦笑を浮かべています。

 

「対応に追われていたからね」

 

「せめてマスコミ対応だけでもどうにかできれば、もうちょっと余裕はあったのに。余計な問い合わせばっかで、時間ばっかりとられたよ」

 

「あ、なんか聞いた話だとマスコミ対応するための部署とか作るみたいよ」

 

 青葉の愚痴にガサが答えました。そんな情報初耳です。なんかガサの方が情報通っぽくて、ちょっぴり悔しいですね。

 

「前々から検討されていたみたいね。マスコミだけじゃなくて、地域の人にもっと艦娘について知ってもらうための部署を作るって話。民間との窓口の役割を担う感じね」

 

「そうなんだ。確かにもっと青葉たちのこと知ってもらって、応援してもらえるなら嬉しいね」

 

「そうね。そういうの、青葉とか向いているんじゃない?」

 

「えぇ……青葉はいいよぉ」

 

 小さく手を振って遠慮を示します。やっぱり青葉には……無理です。拒絶されてしまったら、怖いです。

 

「ふーん……そっか」

 

 ガサはそれ以上深く言ってきませんでした。きっと気を使ってくれたのでしょう。早速気を使わせてしまい、申し訳ないです。

 

 ここから汚名返上……と行きたいところでしたが、青葉から話題を振ることができず、二人して無言で街を歩きます。う、気まずい……。

 

 この気持ちを紛らわすため、視線を街の景観に向ける青葉。修復のための囲いがあちこちに見えること以外、人々の様子はいつも通り。ただ……ここからでも見える敵艦載機の墜落跡は未だに残っています。

 

 恨めしい気持ち一杯ににらみつけると同時に、心が締め付けられるように苦しくなってきました。アレは……青葉の罪の証ですから。

 

「……ほらほらそんな怖い顔しないの」

 

 気持ちが表情に出てしまっていたのでしょう。気づいたガサが青葉と腕を組み、引っ張っていきます。また気を使わせてしまいましたと、心の中でまたもや反省。ここでもなにもできないという無力感に苛まれます。

 

 それでも彼女と腕を組みながら、次こそはと意気込みました。

 

 そうして……、

 

「うわぁ、すごい人ですね」

 

 青葉たちが出向いた先は鎮守府近くのショッピングモール。年末ということもあって、人でごった返しています。こんな状況なのも、ここが深海棲艦の攻撃から免れたおかげでしょう。そしてそれをやってのけたのは他でもない司令官さん。

 

ああ、確かに人々から祭り上げられてしまうのは、仕方のないことなのかもしれません。ここにいる人たちの顔を見ればそれが分かります。司令官さんは、この人たちの笑顔を守ったんですから。

 

 そんな、司令官さんが守った人々の笑顔を見ながら、青葉たちはショッピングモールの中を散策。

 

「あ、ちょっと待って」

 

……しようとしてガサが制止。早速出鼻をくじかれました。

 

「どうしたの?」

 

「先に用事を済ませるから」

 

そう言ってガサは近くのアクセサリーショップに入っていきます。よく雑誌に広告が載っている、女性に人気のブランドのお店ですね。でもガサの好みではないはずですが……。

 

青葉も一緒に入りますが、入り口付近のショーケースに展示されている商品を眺めながら彼女を待ちます。

「こんなところになんのようなんだろ……高っ!」

 

値札を見て、思わず驚きの声。青葉の想定より桁が一つ上を示しています。青葉のボーナス一回では払いきれない値段。眺めているだけで冷や汗が出てきそう。

 

「本当にガサはこんなところに……うわ、買ってる」

 

チラリとガサの方を見ると、店員さんから商品の入った紙袋を受け取っています。恐ろしい……

 

「お待たせ。……なにしてんの」

 

「ガサの金銭状況に畏怖してるの」

 

目玉の飛び出るような金額の物を買ってのけたガサを拝みます。変なことはやめてよと、ガサは恥ずかしそうに青葉の手を取りそそくさと店を出ました。

 

「だけどよくそんな高いもの買えるね」

 

「ん、あ、いやこれは……」

 

感心する青葉とは対称的にガサは歯切れが悪いです。なんかあるのでしょうか。うーん……

 

「まさか借金!?」

 

「違うって! もー、さっさと次いくわよ」

 

ガサに強めのツッコミを入れられ、青葉はまた引っ張られます。

 

気にはなりましたが、これ以上の詮索はしないようにしておきます。ガサも、それを望んでいるでしょうし。

 

そうして今度こそショッピングモール内の散策を開始します。

 

「あ、これとか可愛くない?」

 

 そう言って青葉が駆け寄るのは、ガサが好きな洋服ブランドのお店。冬の新作がマネキンに着せられて展示されています。

 ガサには似合いそうだけども、青葉にはちょっと派手かなと思える一品。値段は……高っ! これ一着で青葉の上下が揃えられますよ。なんか今日は値段に驚かされてばっかりです。

 

そんなものをガサは普段から来ているなんてと、青葉は思わず彼女をまじまじと見つめてしまいます。

 

「……別に全部が全部それでそろえているわけじゃないわよ? 気に入った物をワンポイントに後はシンプル。それで大体おしゃれに見えるから」

 

「はえー、勉強になる。さすがガサだね」

 

「青葉が知らなさすぎなのよ。もうちょっとおしゃれにも興味を持ちなさいよ」

 

「いやぁ、ファッション情報とかは好きだけど、おしゃれとかの技術系の話はさっぱりだから」

 

 アハハと笑って誤魔化す青葉に、ガサはため息。だけどその表情は楽しそうで、青葉は一安心です。この調子で彼女に鋭気を養ってもらえれば幸い。

 

その一方でもう一度マネキンをチラリ。司令官さんはこういった女の子らしい格好は好きなのでしょうか。青葉も同じような格好をすれば少しはチャンスが……。考えても仕方のないことですね。

 

 ガサとそのお店の物を見た後は、ガサが好きな雑貨屋に行きます。本屋ではガサの好きそうな本を見つけてきます。ガサのよく行くアクセサリーショップでガサの好きそうな装飾品を勧めて、フードコートでガサの好きなジュースを買ってきて……

 

「あのさ、青葉」

 

 フードコートの隅の一席、向かい合って座っているガサが口を開きます。

 

「なんでそんなに気を遣うの? 私の都合に合わせているっていうか……。嫌なんだけど」

 

 ジュースを一口飲んだ後小さくため息をついて、半眼のあきれ顔。確かに少し露骨過ぎたかもしれません。だけどもそれは青葉の気遣いなので。

 

「そうは言われても、青葉としてはガサが楽しんでくれればそれが一番だから」

 

「青葉にはないの? 行きたいところ」

 

 ガサに言われて青葉は考えますが、なかなか思いつきません。ぼんやりとしたものはあるのですが、明確にこれと言えるものは、青葉の中にはありませんでした。

 

 そんな青葉の表情から読み取ったのでしょう。ガサが苦笑を浮かべます。

 

「まあ、青葉らしいけどね。バカみたいに人のことばっか優先して、自分のことはおざなりなの」

 

 どう考えても褒められている気がしないそれを、青葉は乾いた笑いで誤魔化します。

 

「アハハ……」

 

「クリスマス・パーティーの件だって、みんなのためにってことで頑張ったのは知ってるから。青葉の美徳よね、そういうのは」

 

「や、やめてよ」

 

唐突に誉められて照れてしまいます。ですが……

 

「だからこそ同時に思うの。なにをそんなに怖がっているの?」

 

 核心を突く一言。青葉の心を鋭く射抜きます。おちゃらけた雰囲気はこれっきりと言わんばかりに空気が冷たく。今のガサはとても真剣な眼差し。あ……。

 

 青葉は視線を逸らします。だってそれは……。何か言おうとして口を動かしますが、声が喉から出てきません。

 

 ガサはいつも青葉の本質を見抜いてきます。それがたまらなく嫌だ。

 

「そうやって気を遣うのだって、自分を押し殺してまで避けたい何かがあるからなんでしょう?」

 

 容赦ない追撃。青葉は何も返せずうつむいてしまいます。手元のジュースに目線がいきました。パチリ、パチリと弾ける炭酸がまるで青葉を表しているよう。そういえば、昨晩見た夢もこんな泡がはじけるような光景……。ああそうだ、だからとても心が悲しかったんですね。

 

 唐突に思い出した夢の内容。それが引き金となって青葉の口からこぼれ落ちます。

 

「ねえガサ。青葉ね、夢を見たの。とても幸せだったけどとても悲しい夢」

 

 小さく、ゆっくりと、微炭酸のように言葉を紡いでいく青葉。緊張で口の中が渇いていくのを感じます。だけど飲み物に手をつけません。それを飲んでしまえばもう、言葉は出てこなくなってしまうから。

 

「大きな幸せに手を伸ばした瞬間全て悲しみに変わってしまったの。心が深い群青に飲み込まれていくような苦しさ。」

 

「………」

 

「そんなことになってしまうなら、幸せを求めなければ良かったって、今ある幸せがずっと続くことだけを願っているのは……変なことかな?」

 

 言い切って。だけどバツが悪くてガサの顔を見ることができません。とても感情的な言葉。おおよそ相手に伝えるようなものではないです。拒絶されても仕方のないこと。

 

 だけどガサから返ってきたのは優しい声。

 

「……うん、知っていたよ。それくらい」

 

「え……」

 

 思わず顔を上げます。ガサの表情は呆れたような、だけど柔らかな微笑みを浮かべています。

 

「私だって、青葉と同じ艦娘なんだよ? なによりあなたの妹艦。だから……知ってる。青葉が怯えていること。全部じゃないけど」

 

「ガサ……」

 

脱力したように、背もたれに体重をのせるガサ。大きく息を吐いて、それまでの緊張をほぐすよう。

 

「というか納得。それでうなされていたのね」

 

 どうやら青葉は昨晩うなされていたみたいです。あぁ、ガサには全部バレバレなんですね。

 

「ガサにはかなわないなぁ」

 

「そんなことないわよ。私の方こそ青葉に勝てないって思うこと、あるんだもん」

 

「どんな?」

 

 青葉は聞き返しますが、ガサに笑って誤魔化されてしまいました。彼女はジュースのカップに口をつけて、それから再び口を開きます。

 

「少なくとも私はさ、艦娘の前に艦として一度終わりを経験しているからなのかもね。余計に今が夢のようだと感じることがあるの。この夢が幸せだと思うの」

 

 あ、青葉と同じだ。彼女も、青葉と同じ感情を抱いていたようです。姉妹そろって同じというのは嬉しいような、隠し事ができないことを突きつけられて恥ずかしいような……。

 

 ガサの話は続きます。

 

「だけど夢なんだからいつかは覚めちゃう。覚めた後が幸せなんて保証はないし、そうなると残る寂しさの跡が頬に感じるのがたまらなく……怖い」

 

 青葉はうんうんと頷きながらガサの言葉に続きます。

 

「だからそうやって心を守ろうとすることは……自然なことだよね」

 

「そうね。それに今ある幸せを大切にしたいという気持ちは、ステキなことだから」

 

「ありがとう。青葉たち艦娘はどうしてもリアリストにならないといけない存在だから、仕方ないよね」

 

誰に向けたか言い訳のような言葉。だけどガサは笑って返します。

 

「なにそれ。ていうか、青葉は相当ロマンチストよ」

 

「えー、ひどーい」

 

 青葉は文句を口にして、それから二人して顔を見合わせてクスクス笑います。

 

 あぁ、ガサは青葉の本質を見抜いていたのではなかったんですね。自分もそうだから、わかっちゃっただけなんだ。

 

 そのことに、少なからず安心感を覚えます。

 

「そういうわけだから、青葉が先にある幸せを求めないっていうのも……わかるわ」

 

 いったん区切り、ただ……とガサは言葉を続けます。

 

「だけども終わりを知っているからこそ、後悔なく生きたいっていう感情が私の中にあるの。可能性がある限り、未来の幸せを掴みたいって、一歩踏み出すの」

 

「ガサは強いね。青葉にはない強さだよ」

 

 妹の存在がとてもまぶしい。自分とは違い強く生きようとする姿。

 

 ガサはよしてよと頬を赤らめ照れています。とても魅力的な表情、今のは青葉の心のカメラに収めておきましょう。

 

「青葉がそういうの無理だっていうのは知ってるよ」

 

 む、失礼な。……事実だけど。

 

「だから私はついついお節介を焼いちゃうのかもね。押し付けだってわかっていても、もどかしさを感じちゃって」

 

「あ、だから色々聞いてきたんだ」

 

 ようやく合点がいきました。これまで青葉の心を聞き出そうとしていたのは、彼女なりの気づかいだったのですか。それにしては随分とずけずけ人の心に土足で入り込んでくるような行為でしたが……。

 

「推測できても青葉の口から聞けなきゃ意味がないから」

 

 抗議的な表情を浮かべていたからでしょう。ガサが弁明を述べました。まあ、そういうことでしたら仕方ないのでしょうか?

 

「だけど聞けて良かった、うん」

 

 小さく何度も頷きます。それから横目でチラリと何かを見ました。何でしょう。その表情がとても寂しそうに青葉は感じたのは、なぜでしょう。

 

 彼女の視線の先を青葉は見てみますが、そこにあるのは人だかりで彼女が何に注視していたのかは結局分かりませんでした。

 

不思議な間が青葉たちの中に生まれましたが、すぐさまガサが切り替えるように、ニヤリと口角を上げます。

 

「そんな頑張った青葉に、衣笠さんが勇気を上げましょう」

 

 ガサは芝居がかった口調でそういうと、紙袋をテーブルの上に置き、青葉の前に差し出します。彼女がさっき恐ろしい値段のするアクセサリーのお店で買っていたものでした。よくよく思い返して見れば買っていたというよりは、注文していたものを受け取りに行っていたという雰囲気でしたが。

 

「くれるの? さすがにこんな高価なもの気が引けるよ……」

 

「違うわよ」

 

わざとふざけて振る舞ったら、睨まれました。……自重します。

 

「これ、頼まれていたものなんだけども。青葉、持って行ってくれないかしら?」

 

「誰に?」

 

「あなたが一番好きな人よ」

 

「し、司令官さんは別に……」

 

 反射的に否定しようとして、ハッと気づかされます。ガサの方を見ればしてやったりと悪戯っぽい笑みを浮かべていました。

 

「私は名前、言っていないんだけどなぁ?」

 

「いや、そうじゃなくて……えっと、その」

 

 しどろもどろになる青葉を見てケラケラ笑うガサ。ひとしきり青葉の反応を楽しんだのか、ふぅと息を吐きます。

 

「ホント、残酷のことを頼んでくるわ」

 

「え……?」

 

 彼女の声は小さく、周囲のざわめきでかき消されてしまい、聞き取ることができませんでした。だけどその表情は、とても寂しそうな……。青葉のよく知っている表情。青葉自身がよくする表情。

 

 ですがガサはすぐにいつもの明るい表情に戻ると、

 

「ほら、私はもう少しここらをぶらついているから青葉は早く帰ったら?」

 

 なんか青葉を追い返そうとしています。誘ってきたのは自分なのに。

 

 自分勝手なとは思いましたが、怒る気にはなれません。だってこれは彼女の優しさなんだから。 

 

受け取り、席を立ちます。

 

「わかったよ。ちゃんと持っていくからね」

 

「ん、行ってらっしゃい。大丈夫よ。あなたが抱いている想いは本物なんだから。一歩を恐れないで、お姉ちゃん」

 

 小さく手を振り見送るガサ。ああやっぱり、彼女には何でもお見通しみたいです。だからこうして背中を押してくれたのでしょう。

 

 それにしてもこの紙袋、何が入っているんでしょうか。あそこにあったのはどれも高価なものばかり。そんなものを購入した司令官さんはいったいなにを考えているのでしょう……。

 

「気になっちゃいますね」

 

 聞いたら教えてくれるでしょうか。そんなことを考えながら青葉は帰路を急ぎました。

 

 

 

 鎮守府に帰り、青葉は司令官さんを探します。医療施設はすでに退院していますのでそこではない。年末ですが、確か司令官さんは帰省の予定はなかったはずなので鎮守府内にいるのは確か。となれば自室にいると推測して向かいます。

 

 男性用の宿舎のため、女性は立ち入り禁止なのですが、そこは青葉。こっそりと忍び込みます。

 

 幸いなことに、廊下には誰もいないためすぐに見つかってしまうことはありません。

 

 足音を忍ばせ、周囲の音に集中しながら青葉は廊下を歩きます。司令官さんの部屋は一階の入り口に近い場所。おかげであっさりとたどり着くことができました。

 

「いませんね」

 

 扉をノックしてみても反応がありません。中に誰かがいる気配もないので、留守なのでしょう。まだ安静にしてないといけないはずなのですが……全く仕方がない人です。どこをほっつき歩いているのか。

 

喫煙者でもないので、喫煙所にいることもないでしょうし、他に行きそうなところと言えば……

 

「執務室、ですかね」

 

 青葉は辺りをきょろきょろと見まわし、誰にも見つかっていないことを確認すると、足音を立てないように来た道を帰ります。

 

 青葉のスニーキングミッションは特にハプニングもなく終了。外を出ればすたすたと執務室のある庁舎に向かいます。

 

 時刻はすでに夕方五時を過ぎており、冬ということもあって外は真っ暗です。鎮守府を照らす街灯だけが、青葉の歩みを照らしてくれました。

 

 庁舎にたどり着き、中に入ります。今日は休日ということもあって、中はシンと静まり返っていました。

 

 真っ暗な廊下。その中で一つ、明かりが漏れている窓があり、その周囲だけがぼんやりと明るくなっています。あそこは司令官さんの執務室。ということは……。

 

 覗いてみると案の定、司令官さんがパソコンに向かって真剣な表情を。退院したばっかなのに、もう仕事をしています。もう少し休んだ方がいいのにと青葉は思ってしまいましたが、らしいといえばらしいです。

扉に手をかけようとして、思いとどまります。

 

 正直、この扉を開けるのが、司令官さんに会うのがまだ怖いです。どんな顔をすればいいんだろうと悩んでしまいます。

 

「大丈夫……大丈夫」

 

 だけども、でも、ガサがくれた小さな勇気を手にもう一度向き合おうと意を決します。

 

「まったく、司令官さんはワーカーホリックですね」

 

 そう言いながら青葉は扉を開けます。呆れたように苦笑を浮かべながら。これが、今の青葉の精一杯の強がり。

 

「休んでいた間の仕事が溜まってたからね。年明け前には全部終わらせたくて」

 

 苦笑を浮かべながら返してきた司令官さん。言葉を続けます。彼は片手で器用にキーボードを叩いています。もう片方の手は……だらんと揺れる袖。心がくるしくなり、思わず目を背けてしまいました。

 

「来てくれて嬉しいよ。あれ以来全然会えなかったからね。今こうしてきてくれたことで、仕事の処理にため息しか出なかったボクのやる気はすっかり回復したよ」

 

 臆面もなくそんな恥ずかしいセリフを言ってくるものですから、青葉は思わず赤面してしまいます。ま、まあ言われて嬉しくないわけではないので……。

 

 そんな恥ずかしさを誤魔化すように、青葉は紙袋を司令官さんに差し出します。

 

「これ、ガサから持って行って欲しいって言われたものです。

 

「衣笠からね。……あはは彼女もだいぶ意地悪なことをしてくれるよ」

 

 袋の中を覗きながら、司令官さんは困ったような顔を浮かべます。ガサはいったい何をしたのでしょうか。司令官さんの持っている袋には何が入っているのでしょうか。青葉、気になっちゃいます。

 

「司令官さん、何を頼んだんですか?」

 

「これ? ちょっとね。前々から注文していたものがあったんだけども、入院のせいで取りに行けなかったんだ。そうしたら衣笠がとってきてくれるって言ったもんだから頼んだけど、まさかね。まだこっちの準備はできていないっていうのに」

 

 言葉を返してはくれますが、具体的なことは全く喋ってくれません。これは、聞き出すのはなかなか難儀しそうです。だけどもこれで納得です。司令官さんとガサの医療施設でのやり取りはこれだったんですね。それを青葉が勝手に勘違いして……恥ずかしい。このことは黙っておきましょう。

 

 ただ、ガサが勝手に喋んないように後で釘を刺しておかないと。

 

「まあ、ガサはイジワルですからねぇ」

 

 司令官さんに同調しながら青葉は笑います。彼も、笑い返してくれました。

 

 たった数言ですが、気づけば司令官さんに対する気まずさはどこへやら。もっともっとおしゃべりをしていたい。この時間を続けていたいという気持ちへと変わっていました。

 

「青葉、飲み物を入れてきますね」

 

 そう言って部屋の隅にある電気ポットのもとまで。もっと一緒にいる、きっかけづくり。司令官さんがいつも使っているカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、お湯を注ぎます。湯気と共に漂ってくるコーヒーのほろ苦くも香ばしい匂い。それを持って司令官さんのところへ帰ります。

 

「ありがとう」

 

お礼を言いながら、司令官さんは青葉からカップを受け取ります。一口飲んで、小さく吐息。その横顔は久しぶりに見たせいでしょうか、いつも以上に凛々しく思えてしまいます。思わずドキリとしてしまう、青葉好みの表情。カメラに収めたいですがここは我慢。

 

青葉が手近にあった椅子に座り隣に寄ると、こちらを向いて微笑みました。

 

「久しぶりだね」

 

 もう一度、そう言いました。ええ、本当に久しぶりです。

 

「青葉が、全然会いに行かなかったからですね……」

 

 歪な笑みを浮かべながら、目を逸らし、言葉を続けます。

 

「その……青葉のせいで――」

 

「それは違うよ」

 

 司令官さんが言葉を遮りました。

 

「青葉が何も気にすることはないよ。……とはいっても、そこで気にしちゃうのが青葉なんだろうけどね。そういう悩まなくていいところで悩んでしまうのは、青葉の優しさなんだろうね」

 

「違いますよ。ただ、臆病なだけなんです」

 

 ゆっくりと首を横に振ります。それだけで終わろうとしたのに、いつもはそれだけで済ましていたのに、今日はなぜか言葉が続いてしまいました。

 

 きっと、あなたの瞳がとてもまっすぐだったから。

 

「青葉、顔色を伺っちゃうんですよね。拒絶されるのが怖いんです。だから、その思い悩みもただの心の弱さからくるものなんです」

 

 楽しいことは好きです。誰かと楽しく話すこともできます。だけどそれまで。それ以上一歩踏み込むことが、青葉にはできません。上っ面の浅い関係が一番、心地いいんです。だってそれなら拒絶されても、深く傷つかないですから。お別れしても、これっきりになってしまっても、悲しまなくていいですから。

 

思わず暗い表情をしてしまう青葉に、司令官さんは作業の手を止めて、その手で青葉の頬を撫でます。いつもの右手じゃない、左手。辛いけれど、やっぱり嬉しいです。

 

「だけども……青葉はそのことをボクに話してくれた。拒絶されるかもって思っただろうけど。それが……ボクには嬉しいよ」

 

 ああ、やっぱりこの人は受け入れてくれた。その優しさが嬉しく、そして愛おしいです。きっとこの人なら、青葉のどんな深いところを見せても受け入れてくれることでしょう。だけどその優しさに甘えてしまっては、いけません。だって、大切に思う気持ちが大きくなると同時に、青葉の悲しみがどんどん深くなってしまうから。

 

 今が幸せであるほどそこに固執してしまう。未来へと歩むことなく、今への気持ちが深くなるほど壊れてしまった時の反動が大きくなってしまうことに怯える。

 

もうあの夜明けの感情は……味わいたくない。

 

 青葉がうつむいていると、司令官さんは小さく呟きます。

 

「ボクも、勇気を出そう」

 

あのクリスマス・パーティーの夜と同じ言葉

 

 紙袋の中をガサゴソと。小さな箱を取り出しました。手のひらサイズの、立方体。革製のいかにも高級そうな箱。

そして箱を開き、青葉の前に差し出します。

 

「これを、受け取ってほしい」

 

 それは指輪でした。小さなサファイアの埋め込まれたリング。深い蒼の石がキラキラと輝いています。だけども、なんでこれを青葉に? なにか……ありましたっけ?

 

 理由がわからず首をかしげていると、司令官さんは視線を逸らしたり、小さく咳ばらいをしたりと挙動不審です。だけども何度か頷いた後、一つ一つ言葉を選ぶように口を開きました。

 

「青葉、ボクは青葉が好きだ。だから、結婚……してほしい」

 

「……え?」

 

 言われた言葉の意味が分からず思考がフリーズ。一秒、二秒たってようやく理解し……

 

「ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 思わず叫びました。喉の奥から、目を見開いて。思いっきり。

 

 いや、え、血痕? 事件ですか。……じゃなくて、結婚? ケッコン? カッコカリじゃなくて? 聞き間違いじゃないですよね? そもそも、

 

「唐突すぎません!?」

 

「唐突も何もだいぶ前から好意は出して……。え、衣笠からバレバレって言われていたんだけど……気づいてなかった?」

 

 困惑する司令官さん。え、ガサは気づいていたの? それなら教えてよ!

いやいや、でもでも

 

「わかんないですよ。もっと主張してください!」

 

 勢いに任せて理不尽な怒りをぶつけてしまいます。というか、

 

「青葉と司令官さん、お付き合いしてないですよね? いろいろすっ飛ばしすぎじゃないですか?」

 

 ツッコミをいれますが、問題はそこではないですね。司令官さんが青葉のこと好きって、それって両思いだったってことですか。とても嬉しい、とても嬉しいですが……。

 

「確かにその通りだね。色々と急いてると思うよ。本当はじっくりと関係を勧めていくべきだと思っているし。付き合って三年くらいかけて切り出すべきことかなと思うよ」

 

 そこまで妙にきっちりした計画たてられていると、それはそれで重い気がしますが……

 

「だけど、春になればボクは異動になってしまうから……その前にどうしても伝えたかったんだ。受け取って……くれないかな?」

 

「……っ」

 

 ――なんで、素直に喜べないのでしょう。

 

 一瞬にして心は冷静さを取り戻し、思わず目を逸らしてしまいました。司令官さんからのプロポーズ、それは夢にまで見た……いえ、夢以上のステキな言葉。だけれどもその言葉が青葉の心に影を落としてしまうのは……。

 

 ……ああ、それはきっと。

 

「はい……青葉には、受け取れません」

 

 青葉も、司令官さんのことを愛しているから……。

 

 ゆっくりと首を横に振ります。

 

「そっか……」

 

 視線を上げれば司令官さんの悲しそうな表情。胸の奥がキュッと締め付けられ慌てて弁明します。

 

「あ、いえ。決して司令官さんが嫌いなわけじゃないですよ。むしろ好きというか……両思いで嬉しいです……!」

 

 慌てすぎて余計なことまで口走ってしまい、気づいて赤面。つられて司令官さんも顔を赤くして、二人の間に初々しい変な空気が流れてしまいます。

 青葉がコホンと咳ばらいをして仕切り直し。

 

「怖いんです。青葉は、変わってしまうことが」

 

 口角は吊り上がっていますが、眉をひそめどこか自嘲するような表情で青葉は語ろうとします。言葉が、なかなか思うように出てきませんが、喉の奥につっかかったものを取り除くようにゆっくりと、心の内をさらけ出していきます。

 

「司令官さんと今まで一緒に過ごしてきて、とても幸せでした。だけど異動になるというお話を聞いたとき、共にいることができくなってしまう。それが寂しいと思うと同時に、怖いと思ってしまいました。そして……司令官さんが右腕を失ってしまったとき、もうその手で撫でてもらえないと思った瞬間、もう戻らないものができてしまった瞬間、それまであった今まであった幸せが、心が、一気に冷たくなるのを感じたんです。変化は……青葉の心を苦しめるんです」

 

「だけど、変わることは悪いことばかりじゃない。それに幸せは未来にだってあるはずだよね?」

 

 司令官さんの意見はもっともです。何も悪いことばかりではありません。ポジティブなものだって存在します。幸せだって、なにも今ばかりではない。だけど……

 

「だけどいつか終わりは来てしまうんです。緩やかな衰退を経て。それを迎えるのが、今の幸せがずっと続げばと願っている青葉には、何よりも怖いんですよ。とても、臆病なんです」

 

 青葉のもう一つの臆病。それを司令官さんに告げていきます。考えすぎだって言われるかもしれません。でも青葉は……

 

「青葉は、一度終わりを迎えています。そして同時に多くの終わりを見てきました。そうなると、それまで楽しかった思い出が、全部悲しみとなって青葉の心を深い群青の底に沈めようとしてくるんです。そんな、これっきりの感情がたまらなく怖い……」

 

 うつむき、目をつむります。まぶたの裏に浮かぶ青葉の、船としての記憶。

 

 どんなに時が経とうとも決して変わることのない群青の悲しみ、楽しかった思い出が、もう戻らないものだと感じた時の苦しみ、寂しさ……。

 

「だから、それは受け取れないです。あまりに幸せすぎて、いつか変わってしまう悲しみにしたくないですから」

 

 そうとだけ告げて、青葉は椅子から立ち上がります。予想外のことがあったとはいえ、自分の思いを告げられた。それで満足です。それどころか、司令官さんの思いも聞けて、青葉にはもったいないくらいの出来事でした。ガサには感謝しないといけませんね。

 

 執務室を出ようと扉の方へ向かう青葉。その手を掴まれ、引き留められました。

 

「放してください」

 

「それは嫌だ。この手を放してしまったらもう、二度と青葉とは一緒にいられなくなってしまう」

 

 振りほどこうとしますが、上手く力が入りません。はやく、早くここから出ないとまた、感情が……。

 

「ダメなんです青葉は、司令官さんと一緒にいれないです。これ以上傷つきたくないんです。それに、迷惑をかけてしまいますからその腕だって……昇任だって……」

 

「……っ! そんなの関係ない!」

 

 語気を強めた司令官さんの言葉。ああ、この人はどこまでも青葉のことを大事に思ってくれています。

 

 だけど、だけど青葉は……。これ以上一緒にいたら、もっと大きな幸せを感じてしまったら、いつか、いつかくる悲しみの群青に怯え続け、純粋な気持ちを抱き続けることができなくなってしまいそうで。

なにより、その腕が青葉の罪を意識させてしまいます。あまりに自分勝手なことです。だけども、青葉の気持ちが歪んでしまいそう。

 

 だから……

 

「あなたのことが好きな私のままでいさせてよ!」

 

 青葉はヒステリックに叫びます。とてもワガママで自分勝手な言葉。自分が嫌いになってしまいそう。

それと同時に、司令官さんの手をはらいました。

 

 ドアノブに手を駆けようとして、しかし、司令官さんに肩を掴まれたかと思うと、身体を半回転させられます。扉に背を向け、司令官さんと向き合う形に。

 

 司令官さんの顔を見ていると、気持ちが溢れてきそうになってしまい、目を逸らします。それでもかまわず彼は言葉を紡ぎました。

 

「青葉は変わってしまうのが怖いって言っていたよね。だから今の幸せを大事にしたいって。それは、ステキなことだ。だけどボクは未来にある幸せも掴みたい。たとえどんなに変わってしまっても、変わらないものを抱いて。ボクの気持ちは変わらない。そして変えたくないものもある」

 

とても真っ直ぐで強い言葉。

 

一呼吸置いて続けます。

 

「青葉、君と一緒にいることを、ボクは変えたくない。キミといる幸せをボクは変えてしまいたくない。そのためならどんな努力だってするさ。もちろん、君が怖がっていることについても」

 

「ダメです……ダメなんです……。青葉はあなたを幸せにできません。青葉の隣で幸せには……なれないんです」

 

それでも青葉は言い返します。大切な人をこれ以上不幸にしたくない。

 

それなのに司令官さんは、人の気持ちも知らないで自分勝手な主張ばかり。青葉を幸せで満たそうとしないでください。

 

「それは青葉が決めることじゃない。むしろボクは、青葉と一緒にいれないことの方が不幸だ。そのうえでボクはキミと一緒に未来にある幸せを掴みたいんだ。ねえ青葉、悲しいのは、苦しいのはこれっきりにしよう」

 

 ――これっきり。青葉が嫌いな感情の言葉。だけど司令官さんのそれは優しい感情の言葉。

 

言われ、思わず顔を見てしまいました。それまでの真面目な表情とは打って変わって柔らかい微笑みを。だけどもその瞳はとても力強く青葉を見つめています。

 

「だから……君の心を沈めてしまう、どこまでも広がる群青を一緒に超えていこう。ボクと一緒に未来の幸せを求めるのは嫌……かな?」

 

ちょっとだけ困ったような笑顔で。そんな表情、ズルいです。そんな顔をされたら青葉は、青葉は……。

 

 差し出された手。その瞬間、青葉の心は決壊を迎えました。

 

「うっ、あ、あぁ……。ああぁぁぁ……!」

 

 うめくような嗚咽を漏らしながら、ふらふらと。司令官さんに近づきます。そっと彼の背中に腕を回し抱き着いて、そして……。

 

「ああああぁぁぁぁぁっっっ――! 司令官さん、司令官さんっ! 青葉も、司令官さんといたいです。離れたくありません! これっきりは、嫌なんです!」

 

 泣き、喚き、頬に水が流れるのを感じました。司令官さんの背中を掴む手に力を込めます。シャツをギュッと握ります。

 

 嫌です。ずっと一緒がいいです。あなたに対する気持ちは変わりません。そして、青葉だって変わりたくありません。

 

 そんな青葉を、司令官さんは優しく抱きしめ返してくれました。左手だけで。右手は、右袖はだらんと垂れ下がったまま。

 

 それがとても悲しくて、青葉の心を締め付けて、苦しめて、群青に沈めようとしてきます。

 

 だけどもそんなことは構わないと言わんばかりに、司令官さんの抱擁はとても暖かいもの。それが余計に青葉の心を溢れさせます。

 

「ずっと、ずっと苦しかったんです。どんなに司令官さんが許してくれても、その腕を見る度に青葉は思い出してしまいます。いつも撫でてくれたその手が無くなってしまったことが、青葉の胸を締め付けるんです! 気持ちが、歪んでしまいそうになるんです! 強く……ないんですぅ……」

 

 それは青葉の罪の証。どこまでも、いつまでも青葉の心を沈める深き群青。

 

「だから……青葉のはまだ……無理なんです。それを受け取ることが、怖いんです。受け取る資格が……ないんです。自分自身が、許せません」

 

「……そっか。それはきっと、いくらボクが赦しの言葉を並べても、手を引いても解決にはならないんだろうね」

 

青葉は頷きます。これは……青葉の問題。青葉の心の弱さによるもの。

 

「未来に進むための一歩が……踏み出せないんです。司令官さんと一緒に歩き出すことが、できないんです」 

 

「なら待ってるよ。そして青葉が自分を許せるようになったとき、一歩を踏み出せるようになったとき、もう一度聞いてもいいかな? もちろんその間でもボクは、何度でも青葉に言い続けるよ。ボクの変わらない気持ちを」

 

「はい……」

 

 嗚咽交じりに青葉は頷きます。司令官さんは待ってくれると言ってくれました。

 

変わらないと言ってくれました。その気持ちがとても嬉しくて、応えられない自分が悔しくて、だから……今できる精いっぱいを司令官さんに伝えます。

 

「司令官さん」

 

 青葉は司令官さんと抱擁したまま、顔だけを離します。そして少しだけ背伸びをし、彼の顔に近づきました。

 

「君の幸せを守れなくて……ごめん」

 

「申し訳なさそうの顔、しないでください。青葉はたくさん幸せを貰いました。青葉が勝手に今に固執して立ち止まっちゃっただけなんです」

 

心臓が高鳴ります。司令官さんに聞こえてしまいそうなほど強く。

 

頬が熱いです。だけど今はもう、隠しません。

 

「でも、司令官さんに少しでも追い付きたいから、未来にある幸せを掴むため歩き出せるよう、今できる精いっぱいですけど、青葉の変わらない気持ち。青葉も……司令官さんのことが――」

 

 彼の唇に、自身の唇を近づけました――

 

 

 

「おかえり、朝帰りとはやるわね」

 

 日が昇りかけの隊舎、窓から光がほんのりと射し込んで廊下を照らします。青葉は自室に戻ってくると、すでに起きていたガサが出迎えてくれました。口では茶化しながらも柔らかい、包み込むような微笑みを浮かべています。

 

 彼女はポンと青葉の肩を叩きます。その後、何があったかは聞かず、ただ優しく抱きしめてくれました。

 

 その温かさに、出し切ったはずの涙が目じりから溢れだしてきてしまいます。

 

「うぅ……、あ、あぁ……ガサぁ、青葉は……やっぱり弱いです……」

 

「よく頑張ったね。うん、大丈夫。青葉は弱くないよ。……ちゃんと向き合ったんだから」

 

 優しく背中をさすってくれるガサの言葉。先ほどまで心は確かに幸せを感じていたのに、だけどやっぱり何もかも、深い群青の悲しみに飲み込まれていきます。どうしようもない孤独感。

 

「ガサぁ、強く、なれるかなぁ……? 歩き出せるように……、うっ……もう一度、今度はちゃんと、あぁ……応えられるように……なるかなぁ」

 

「うん、大丈夫。ちょっとずつ強くなっていこう」

 

 ガサの抱擁は、どこまでも温かったです。

 

 

 

 あれから時間はあっという間に過ぎて、気づけば春。

 

「ホントに、行っちゃうんですね」

 

 段ボールだらけの執務室。司令官さんはほとんど物の残っていない机で書類を書いていました。結局司令官さんとはあれから、無難な会話しかすることができませんでした。

 

「そうだね……。今週末には引っ越しだよ」

 

「次の異動先って――」

 

「新しく設立される広報室、だよ。左遷……っていう扱いなんだろうね。ま、この腕だし恩情をかけてもらった方なのかもだけど」

 

 力なく笑います。

 

 司令官さんは今度、マスコミの対応と艦娘のことを世間にもっとよく知ってもらうためという名目で新設される広報室の室長になるそうです。以前ガサが話していたものですね。

 

そこは鎮守府が身近にない、内陸にあるそうで……つまりは鎮守府勤めの青葉とはもう関わる可能性はないということ。

 

 そのことを考えると、自分で断っておきながら後悔の念がとても強く、青葉の心を蝕みます。ギュッと下唇を噛んでしまいます。

 

「ねえ青葉、青葉はまだ……変わらない? 変えたく……ない?」

 

 不意に司令官さんが問いかけてきました。

 

青葉の、司令官さんに対する気持ちはまだ変わりません。やっぱり、あなたのことが好きです。そして、共にいたいという気持ちも……。

 

 だけどどんなに変えたくないと思っても、もう司令官さんとは離れ離れ。結局青葉の心も、この数か月で強くなるはずもなく、いまだ彼のがらんどうとなった右袖に目を向けると、胸が苦しくなってしまいます。自分のことを許せなく思ってしまいます。心が、群青に沈んでしまいそうです。あれだけ未来にある幸せを掴もうとしても、歩き出せていません。

 

 だけど一つだけ、変わったことがありました。いつもなら適当な笑みを浮かべ誤魔化していたこの状況。今はもう……偽りなくさらけだせます。

 

「はい……青葉は今も、司令官さんのことが好きです。変わりません、変えたくありません」

 

 力強く、まっすぐ彼を見つめ、頷きました。

 

 すると司令官さんは嬉しそうに微笑みを浮かべます。そして立ち上がり、一枚の紙を青葉に差し出しました。

 

「これは……?」

 

「もしよければ、申し込んでみてほしい」

 

 その紙には『広報室勤務の艦娘募集についての通達』と書かれていました。つまりこれは、司令官さんと一緒に広報室で働く艦娘を募集しているというお知らせ。

 

思わず司令官さんの方を向きます。

 

「言ったよね。一緒にいるためならどんな努力もするって。本来は各鎮守府から選抜された艦娘が来る予定らしいけど、無理言って募集枠を作ってもらったよ。隻腕の英雄の名前も、使ってみるもんだね」

 

 申し訳なさそうな、だけどどこかイタズラっぽい苦笑を浮かべる司令官さん。

 

 募集の枠は一人だけ。つまりは全国の鎮守府から一人だけ、司令官さんのいる広報室に行くことができる。どれだけの募集があるかは分かりませんが……。

 

でも、青葉にはこれ以上ないくらいの自信がありました。

 

 きっと以前でしたら簡単に諦めていたことでしょう。だけど今は変えたくないものがあります。これっきりは、嫌ですから。

 

 だから青葉は……、

 

「青葉、やっぱり今はまだ、無理そうです。だけどまた、今度はもっと強くなります。その時は司令官さんの気持ちを……聞かせてくれますか?」

 

「何度でも。ボクの想いにこれっきりはないからね」

 

 司令官さんは優しく頷いてくれました。それから青葉の頭を撫でてくれた手は、変わらず暖かかったです。

 

「青葉、もう一つ君に渡したいものがあるんだ。この前のは断られちゃったけど。それでもせめて、贈りたいから」

 

そう言って司令官さんは青葉に小さな箱を差し出しました。あのときとは違う箱ですが、何が入っているかは容易に想像ができます。

 

「ボクのワガママを聞いて貰って、いいかな?」

 

「はい、聞かせて……ください。青葉に応えさせてください。」

 

今度はちゃんと、受けとることができました。

 

――そうして司令官さんはあっさり異動となりました。離れ離れになってしまいましたけど、青葉の心は群青に飲まれることはありません。

 

 だって……

 

「この気持ちは……絶対に変わらないですから」

 

 胸に手を当て、微笑みます。もう片方の手に、広報室への異動願いを握りしめながら。

 

未来にある幸せのために、歩き出します。

 

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