寒い朝に感じる幸せの物語です。
ヒンヤリした空気で目が覚めた朝。お布団よりも幸せなことが、匂いとなって伝えに来ました。
「むにゃ……ん、寒っ」
見慣れた寝室。だけど自分のものではない、ちょっと特別なベッドの中。ぼんやり眠い目をこすりながら、青葉は身体を起こします。
ですが、まるで青みがかった薄暗やみ。部屋いっぱいの冷たい空気に包まれて身体を震え上がってしまいます。
青葉はすぐさまお布団を頭からかぶりなおして丸くなりました。
起きた時間はいつもと変わらないのに、窓から差し込む明かりは薄暗いです。太陽もお寝坊になってきて、おかげで空気もヒンヤリ。
対照的にお布団の中はぬくぬく。まだ出たくありません。
温かいお布団の中はとっても幸せ。ずっとこの中にいたいくらい。
だけど……
「あれ、司令官……さん?」
眠る前まで隣にいた人のことを思い出します。このベッドの持ち主である、青葉のとても愛しい人。
昨晩、青葉は司令官さんのお家にお泊りしました。
同じベッドで眠っていたことを考えると、顔がにやけてしまいます。お布団よりも温かい時間でした。
「あ、司令官さんの匂い……」
お布団には愛しい人の残り香。肌触りも相まって、お布団の中はとても幸せな空間。
ですが、その愛しい人はどこにもいません。ベッドの中は青葉だけ。
薄暗い部屋の中は冷たくて、静かです。ちょっと怖いなんて思ってしまうくらい。
「どこに行ってしまったのでしょう」
青葉の、寂しい気持ちが染み込んだちいさな呟き。
その答えは、音となって教えてくれました。
「あ……音がする。隣から」
静寂に混じって、部屋の外から物音が聞こえました。お布団の中から顔だけ出します。ヒンヤリした空気がやっぱり冷たい。
トン……トン。ジュー……ジュー。コポコポ……。
リズミカルに賑やかに。とっても楽しそうな合奏。それと一緒に漂ってくるいい匂い。なんだかステキなことが待っているような予感を抱かせます。
隣の部屋から漏れ出る光が静かな、彩度の低い寝室とは対照的な鮮やかさを伝えてきました。すごく楽しそうな予感。
まだお布団の外は寒いですが、誘われるように青葉はベッドから這い出ます。
「ふぁ……眠い。さむい……」
お布団に名残惜しさを感じて、大きなあくび。
パジャマから着替えるにはまだ寒すぎるのでそのまま、小さく震えながらのっそりとした足取りで隣の部屋へ。
ガチャリ、冷え切ったドアノブをひねって扉を開けました。同時に青葉を照らす、鮮やかさ。
「おはよう、青葉。よく眠れた?」
――隣の部屋は凄く温かく、にぎやかで、そして明るかったです。
それは部屋に暖房がついていただけではありません。料理をしていただけではありません。電気がついていただけではありません。
愛しい人が……おはようと言ってくれたからです。
「司令官さん……。おはようござい、ます」
むにゃむにゃと眠気にふやけた口と表情で青葉は返しました。
司令官さん。青葉のとっても愛しい人が笑顔で迎えてくれます。
見慣れた私服の上から黒いエプロンを付けた姿。家庭的な格好もすごく様になっていてカッコイイです。ちょっとドキリとしてしまいました。
寝起きの自分を見られるのが恥ずかしくて、寝ぐせを直すように頭をかきます。
「ちょっとそのままでいてね」
見かねた司令官さんが、青葉のそばまでやってきました。エプロンのポケットから取り出した折り畳みの櫛を広げて、優しく青葉の髪を梳きます。
同じ髪に触れる動作なのに、どうして司令官さんにしていただけると、こんなに気持ちいいのでしょう。
思わず目を細めてしまいます。
「……よし、これで大丈夫だよ」
もっと、ずっとと思っても、手早く器用に司令官さんは青葉の髪を整えてしまいました。
物足りないという思いが視線に出ていたのかもしれません。司令官さんがあやすような微笑みで頭を撫でてくれました。
「ちょっと待っててね」
そう言って青葉の髪を梳き終えた司令官さんはキッチンの方に向き直ります。カチャカチャと片手でお料理をしながら青葉に優しく言葉を続けました。
「……だいぶ冷えてきたよね。青葉は寒くなかった?」
「はい、寒かったです。できることならもう少しお布団にいたかったですよ。だけどこんなにいい匂いさせられたら、青葉だって出てきちゃいます」
司令官さんの優しさですっかり目が覚めた青葉。スンスンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎます。
部屋に充満したおいしそうな、司令官さんが作ってくれた朝ご飯の香り。
司令官さんは事故で片腕になってしまったというのに、その不便さを全く感じさせないほど出来上がった料理の見た目が綺麗です。
こんがり焼けたトースト。蕩ける黄金色のバター。色とりどりの瑞々しいサラダは花束のように華やか。カリカリのベーコンと、その上にトロトロ半熟の目玉焼きなんてもう言葉の響きだけで口の中はよだれで一杯。
朝からこんなにステキなものを食べてしまっていいのでしょうか。テーブルに並べられた幸せに目が輝いてしまいます。
「すっごく、おいしそうです」
はしゃぐ青葉のお腹は今にも鳴ってしまいそう。だけど聞かれるのは恥ずかしいので手で押さえます。
「今、スープもいれるからね」
司令官さんがお鍋の蓋を開けると、クリーミーな優しい香りが湯気と共にふんわり広がってきました。
寒い朝にホッとするような、青葉が大好きなこの匂いは……
「あ、コーンポタージュですか?」
「あたり。いつもはインスタントなんだけど、たまには自作もいいかなって」
ちょっとご機嫌にお玉でかき混ぜる司令官さん。口にはしていませんが、自信作なんだなということが伝わってきました。
司令官さんのとっておきに、自然と青葉のテンションは更に高くなります。
「青葉のはコーンとクルトンたっぷりにしてください」
「あはは、可愛いリクエストだね」
小さく笑う司令官さん。興奮のあまりつい口を滑らせてしまいました。
子供っぽいと思ったでしょうか? それとも卑しいだなんて思われてしまったでしょうか?
口にした言葉の恥ずかしさを誤魔化すために、青葉は頬を膨らませて拗ねたように見せます。
「いいじゃないですか、粒々たっぷりだとなんだかちょっと幸せになりません?」
「……なるほど、考えたことなかったよ。青葉は小さな幸せを見つける天才だね」
全くの嘘ではないにしろ、ただの誤魔化しのつもり。ですが予想外に感心したと司令官さんから褒められてしまいました。
「えへへ、そうですか?」
思いがけない言葉が嬉しくて、青葉は表情を緩ませます。
カップにコーンポタージュをよそいながら、司令官さんは優しい表情で頷きます。青葉のリクエスト通り、粒々とクルトンがたっぷり。
「たとえ小さくても、そうやって見つけて……積み重ねていけるのはステキなことだと思うよ」
「ありがとうございます。だけど……」
言葉を区切って、一呼吸。青葉はもう一度テーブルに視線を向けます。
おいしそうな朝ご飯。寒い朝にこんな温もりを感じられるものが食べられるなんて、とても幸せ。
その幸せがあるのは、作ってくれた人がいるから。
何より、大切な人と朝を迎えることができたから。
かじかむような朝の寒さを溶かしてくれるような、暖かい……最初の幸せがあったから。
「青葉には、幸せの土台がちゃんとあるからなんです」
司令官さんからコーンポタージュのカップを受け取ります。ちょっと熱いですが、冷たかった指先にはちょうどいいくらいです。
テーブルに置いて、朝ご飯の出来上がり。
優しい湯気の立ち込める、積み重なった小さな幸せの集まり。
それができるのも……
司令官さんの方へ向き直り、言葉を続けました。
「司令官さんと一緒の朝っていう、大きな幸せの土台があるから、青葉は小さな幸せを重ねていけるんです」
はにかみと一緒に小さく、息を吐きます。安心感に満ちた、暖かな吐息。
あなたと一緒だから……溢れ、漏れ出た感情。
司令官さんはちょっと照れたように、だけどそれを隠すように微笑みを浮かべました。
「じゃあボクも、青葉を見習って幸せを積み重ねていかないとね。青葉と同じで、土台はとっくにあるんだから」
その言葉が示す意味を、青葉はすぐにわかってしまいました。だってそれって、青葉と同じ気持ちだってことですから。
嬉しい気持ちで顔がにやけてしまいそうになり、照れくさい気持ちで顔が赤くなってしまいそうで。
寒い朝のはずなのに、顔がとっても熱いです。
そして、誤魔化すように青葉も微笑みました。
「それでしたらさっそく、青葉がコーヒーを淹れてあげます」
そう言えば、朝ご飯はまだ完成していませんでした。
司令官さんが大好きなコーヒー。それを加えて今度こそ。
「青葉が淹れてくれたコーヒーはおいしいから、嬉しいな」
喜びを口にする司令官さん。でもそれ以上に青葉は嬉しい気持ちで一杯でした。
だって、ステキな朝ご飯に青葉が一品加えられる。それはつまり、あなたのための幸せを、青葉も作ることができるってことですから。
「ちょっと待っててくださいね。朝ご飯が冷めないうちに作っちゃいます」
キッチンの司令官さんの隣に立って、青葉はコーヒーを淹れる準備をします。
寒かった朝は、とっくに暖かくなっていました。
終