夕暮れの商店街、そろそろ店番も終わりだと北沢精肉店の娘である北沢はぐみはのんびりと、だがまるで何かを待っているようにそわそわと一点、商店街の道を眺めていた。
それをはぐみの両親が暖かな表情で見守る。人待ち顔の彼女がぱっと明るい顔になるのは、それから少ししてからだった。
「はぐみ~」
「あ、きたきた! 今半額だよ!」
「いっつも半額だなぁ」
「とーちゃんとかーちゃんに許可はもらってるからだいじょーぶ!」
バットとエナメルバッグを背負ったユニフォーム姿の彼に、はぐみは彼のためにコロッケを自分で揚げていく。普段は店番だけしかしない彼女が許可をもらっている唯一の客が彼だった。
「どーぞ!」
「ん……! うまっ!」
「やった!」
最初は失敗も多かったはぐみも、今ではこうして美味しいと言ってもらえるコロッケが揚げられる。そんな成長にはぐみも彼も太陽のような晴れやかな笑顔を浮かべた。
近所の家に住んでいる彼がちょっと待ってろ、と一旦自宅に帰っていくのを見送ってはぐみもエプロンを外してから母親にシャワーくらい浴びなさいと言われほんの数分だけ浴びて、苦笑気味の兄に髪の毛を乾かしてもらってから飛び出した。
「お待たせ」
「ううん」
はぐみは前日に松原花音に選んでもらった服にしっかりと着替えて、汗を流し私服姿になった彼と手を繋いだ。
目的地まで少しの距離を歩き、川沿いのライトアップされたピンクの花たちにはぐみは目を奪われていた。
「わぁ……!」
「夜桜は、またお昼と違った風情だよなぁ」
「うんうん! キレイだなぁ……!」
感嘆の吐息をみせるはぐみの元気な横顔を見下ろし、彼はキョロキョロと視線がせわしない彼女とはぐれないようにと手を繋ぎなおす。指と指が絡まる恋人繋ぎに、はぐみも少し肩を弾ませてから、おずおずと握り返した。
「え、えへへ……恥ずかしいや、やっぱり」
「ま、まぁ、確かに」
まだまだ恋人同士というものに慣れていないはぐみと彼はお互いを見つめて照れ笑いをする。こうして手を繋ぐのすら、できるようになったのはつい最近のことだった。
ほんの少しの甘さと熱い頬をまだほんの少し寒い春風が撫でていく。ライトアップされた桜の木から花びらが舞い、はぐみは近くにきたそれを片手で捕まえる。
「とれた!」
「相変わらずすごい動体視力してんな」
「えーできるでしょ?」
「いやむずいし、夜桜はさらにむずいだろ……っと」
ひらひらと舞い散る花びらを捕まえようとしたが、寸前で風に乗って逃げられてしまって彼は何も残らなかった手のひらをじっと見つめた。同じボールを見極めるスポーツをするもの同士、そこから話題はスポーツの話になっていく。
「来週ね、強いところと練習試合やるんだよ!」
「お、来週はヒマだ。じゃあ応援行こうか?」
「ホント!?」
「ホントホント、その代わりに……そうだな、俺の試合の応援も頼もうかな」
「言ったね?」
それはつまり今年はレギュラーを取る、という宣言でもあるためはぐみが瞳を輝かせる。ソフトボールチームのエースで四番というはぐみと中学時代は野球部で四番ライトだった彼、高校では一年でレギュラーにはなれずに衝突したこともあったが、今ではお互いにお互いのことを応援できるようになっていた。
「これは活躍しないとだね」
「目指せ……じゃあ四安打四打点完封で」
「条件厳しいよ!?」
頑張れ四番でエース、と彼は少しだけ意地悪く微笑む。
それなら中学と同じ打順同じポジションねとはぐみに言い返されてしまい、苦笑いをしてしまう。二年生で四番はなぁ、と少しだけ弱気になった彼にはぐみは暖かな手を彼の手に重ねていく。
「いけるよ絶対!」
「はぐみ」
「だって毎日毎日練習遅くまで頑張ってるの、はぐみ知ってるもん!」
商店街を通る野球部の誰よりも遅く北沢精肉店の前を通る彼、いつも家の前で素振りをしているし、雨でも泥だらけになって練習をしている彼を、はぐみは見てきた。だからこそ、はぐみは強い言葉で、確信に満ち溢れた言葉をかけていく。
「大丈夫!」
「……ありがとな。けど、ちょっと恥ずかしかった」
「あ……! ご、ごごめん!」
彼の言葉でようやく、周囲の人に微笑ましい目を向けられていることに気付いたはぐみは耳まで真っ赤にしながらぱっと手を離した。だが、繋いでいた方の手を彼は素早く捕まえ、再び指の間に自分の指を通していく。
「こっちは……ダメだ」
「……うん」
散りゆく夜桜を、はぐみは彼の手に包まれる自分の手を少し気にしながらまた歩いていく。楽しいことをすること、ソフトボールを全力ですること、バンド、そのどれとも違う胸の高鳴りに戸惑いつつも、はぐみはそれが恋をしたということなんだと、誰かを好きになるという感情なんだということを確信していた。
「はぐみね、キミが応援してくれたら、すっごくすっごく頑張れるよ」
「こっちこそ。はぐみが応援してくれるから、頑張れてるんだ」
「一緒!」
「一緒だ」
笑い合い、桜をスマホのカメラに収めて見せ合い、また笑みを零す。夜のライトと桜という幻想的な景色を二人で分かち合っていたが、彼がスマホの画面に現れる時間がすっかり夜遅くなってしまったことで、帰らなきゃと呟いた。
「……え、もう?」
「ほら」
「ホントだ、あっという間だ」
こんなに時間があっという間だと思ったことはないとはぐみは寂しそうに笑った。だがその顔に彼の表情も苦しそうに変わってしまったことで自分がわがままなことを考えたせいだと慌ててしまう。
「ご、ごめん!」
「いや……同じ気持ちだったから」
「おんなじ……」
「はぐみと、もっと一緒にいたい」
月明かりに照らされたその表情は、はぐみの胸を痛いくらいに締め付けた。だが、これは恋の痛みであることを、相談して知っていた。儚いほど、狂おしく相手との時間の一秒一秒が貴重で、永遠であってほしくなるということも。
「は、はぐみのウチ、おいでよ!」
「へ……え?」
「とーちゃんもかーちゃんも、兄ちゃんも家に連れてこいって言ってたもん!」
「え、ま、今から?」
「一緒にいたいから!」
真剣な表情で、まるでここぞという時の打席に立ったような瞳の色で、まっすぐ彼を見た。今日、また明日と手を離したら後悔する。この気持ちが二人にあるのだから、そのまま恋人として更に一歩踏み出したい。はぐみはそんな想いを彼にまっすぐ伝えていく。
「はぐみね、キミのこと本当に好きだもん!」
「……そんなの」
「そうだよね、キミもはぐみのことが好き、だから……」
けれど、と彼は戸惑いを浮かべるのを遮り、はぐみはいつもの自分のように悩み事にも、思いっきり全力でぶつかる。自分の気持ちを全力で伝えることにした。かつて弦巻こころにもらい、あかりに渡したものを。
──ハロー、ハッピーワールド! は、世界を笑顔にするものそのために必要なものはまっすぐ夢に向かう勇気。それを彼にも伝えていく。
「は、はぐ……み」
「ほら……ここじゃ恥ずかしいからさ」
元気に目を細める彼女とは違う、女性の仄かな色気すらも感じる微笑みをされ、彼の顔はライトアップに照らされ真っ赤になる。
後はもう、拒絶することもなく彼ははぐみに連れられるまま、北沢家にやってきた。途中ではぐみの兄にどうせ持ってないだろうととあるものを手渡されたせいでお互い意識しすぎてしまったが、二人は一緒に長い時間を過ごすという幸せを感じていた。
「なんか?」
「うん?」
「昔ははぐみの方が妹っぽくてさ、俺が引っ張んなきゃって思ってたのに……いつの間にかはぐみに引っ張られること多くなったなぁって」
「えへへ! 成長してるでしょ?」
「とっても」
けれどやっぱりはぐみに桜は似合わない、と彼は苦笑もした。咲いてすぐ散る桜ではなくはぐみは一年中強く咲いている印象が強かった。
彼女は太陽だ。いつもいつまでもみんなを明るく照らす、太陽のような存在だった。
「ねね!」
「うん?」
「背番号は一番だよね!?」
「あのねはぐみ……高校は基本的にポジションで番号つくから」
「え、そうなの?」
「プロは違うけど」
小さな子どもの頃からの夢を語り合う二人に桜の花びらが優しく舞っていく。あの憧れのスター選手のように、背番号一番を背負って打席に立つ。そんな夢を恋人同士の約束として、確かな今へと繋いでいくのだった。