バンドリ! 恋愛短編集   作:黒マメファナ

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【奥沢美咲】放っておけないキミが好き

 静かな空間だった。都会の真ん中だというのにその一室はその喧騒も忘れ去ったような静寂の中にあった。

 夜闇にあっても光の海の如くビルや街の明かりが眩しいのだが、それをカーテンで遮り、室内の暖かな光が彼女の横顔を映し出していた。

 

「おっそいなぁ……連絡も来ないし」

 

 スマホを見ながらその顔は決して明るいものではなかった。

 アルバイトはもう終わっている時間だろう、なのに一向に帰ってくる気配がない。ほんの少しだけ心配になってしまい、彼女は肩にギリギリ付かないくらいのまっすぐ伸びた黒髪の毛先を指に絡めた。

 ──電話をかけてやろうか、とも考えた彼女だったが、迷惑だったらどうしよう、という思いが手を止めさせる。

 

「早く帰ってきてよ……バカ」

 

 机に突っ伏し、眉根を寄せる彼女の悪態を吐く相手は、この部屋にはいなかった。出掛ける前、ほんの些細なことで喧嘩をしてしまったせいで、帰ってこないのか、それとも、事故にでも遭ったのか。

 彼女の胸中は、不安と後悔で息ができなくなっていた。こんなことなら、喧嘩なんてしなければよかった。普通に、笑って行ってらっしゃい、と言えればよかった。そんな想いが涙となって、机に丸い雫を落とした。

 

「た……ただいまー……」

「──っ!」

 

 ガチャリ、と鍵が開き、控えめな声を上げた瞬間、彼女は身体を起こし、慌てて涙を拭いた。後悔していたとは言え、素直に泣いてしまったことや帰りが遅くてずっと待っていたことを悟られたくなくて、ソファに座り、近くにあったクッションを抱きながら黙々とスマホを触る。

 

「うわ……み、美咲……まだ起きてたんだ」

「起きてちゃ悪い?」

「いや、悪くないけど」

 

 遅いから心配した、帰ってきてくれないかと思った……等々、去来していた想いではなく、彼女、奥沢美咲の口から出たのは、そんな本心とは程遠い、意地っ張りな言葉。ひとつ年上の彼は、そんな美咲の言葉の持つ意味が、朝のことを怒っているのだと思い込み、目を逸らした。

 悪いのは自分だから、素直にごめんと言えればいいのに、それができないのが彼の欠点でもあった。

 ──それどころか、更なる悪手を積んでいく。

 

「まだ、怒ってるの?」

「まだ? ふーん、今朝のことはアンタにとって、もうそんな過去の、どーでもいいことなんだ?」

「別にそういう意味じゃ──」

「──そう思ってないと出ないでしょ、まだ、なんて」

 

 もう怒ってはいなかったのに、そう言われては怒りが再熱してしまう。おざなりな言葉で処理されたという事実が、美咲の眉を吊り上げた。

 

「今日はここで寝る。アンタは広~いベッドで寝てれば?」

「美咲……だからあれは」

「いい、もう言い訳でも弁解でも、アンタの顔も見たくない」

 

 本当は、そんなことが言いたかったんじゃない。仲直りがしたくて帰りを待っていたし、そのための準備もしたのに。美咲はままならない自分の感情にまた、涙が出そうになるのを必死に堪えていた。

 きっかけはくだらないこと、美咲本人ですら思うほどくだらないことだった。前から約束していた予定を、多忙だった彼が忘れて、アルバイトの予定を入れてしまい、美咲が文句を言った。たったそれだけ。

 だがたったそれだけのことを、口に出してたったそれだけ、と言った彼に、美咲は思わず声を荒げてしまった。前から彼は、少し短絡的で嘘をつくのと謝ることが苦手で、どこか子どもっぽいところがあるとわかっていたのに、美咲はそこを批難してしまった。

 

「……そうかよ。悪かったな、帰ってきちゃって」

 

 そう言って寝室に消えていく彼を見送り、美咲は堪えていた雫でクッションを濡らした。もしかしたら、このまま、別れてしまうんじゃないか、漠然とした恐怖が堪えていた感情の上にのしかかり、あっという間に決壊してまう。一度決壊してしまった感情は、美咲の心にぽっかりと空洞を創り出した。

 

「バカ……バカ……」

 

 顔を埋め、せめてこの弱々しい自分の嗚咽が届かないように、そう耐えていると、その頭に優しく、大きな手が乗せられた。

 

「……なに、ってかもう寝にいったんじゃ」

「フロもメシもまだなんだし、ただ着替えを取りに行っただけです」

 

 見られた、という恥ずかしさでまた悪態に変わってしまった言葉に美咲が後悔していると、彼はそんな強がりでいじっぱりな彼女に背を向けて冷蔵庫を開けた。牛乳を取り出し、コップに注ぎながら、暗がりで彼女にただ一言、素直じゃないよな、美咲は、と笑った。

 

「うるさい、だいたい──」

「──ごめん」

「アンタは……って、へ?」

「ごめんって、言ったの……あれは、俺が、悪かった」

 

 暗がりで表情は見えない。けど彼のことだから唇を尖らせて、斜め下を見ながら言っているのだと、美咲にはわかった。

 同時に、たったそれだけの言葉で、本当になにもかもがどうでもよくなり、美咲は噴き出した。

 

「ふふっ……あはは」

「うわ、笑われたら泣くんだけど……マジで」

「ごめんごめん、はは……もういいって、ホントは、怒ってないから」

「え、マジ? 謝り損?」

「それは怒っていい?」

 

 なんで? と、理不尽さを感じた彼は、再び美咲のソファの隣にやってきた。上体を起こした美咲を見つめ、今度はハッキリと、ごめん、と黒髪に手を置き、そっと撫でた。

 

「バカ」

「待ってくれると思ってなくて」

「浮気でもしてた?」

「俺にそんな度胸、あると思う?」

「ない」

「……まぁ、そうなんだけど、即答されるとそれはそれで」

 

 実際に、浮気なんてしようと思ったこともしたこともない彼を信頼している言葉なのだが、複雑な思いに駆られる。一方で、浮気なんてしたらアンタの荷物全部ほっぽりだしてやる、なんてことを言いだす美咲を敵に回すことなんて一生ないんだろう、という思いもあった。

 

「あ、そうだ……モノで釣ろうとか、そういうのじゃないけど……仲直りにって買ってきたものがあったんだ」

「その前置きはいらない」

「そ、そっか……」

「素直に仲直りの証に、でいいと思うんだよ、あたしは」

 

 先程まで彼が美咲の頭を撫でていたはずなのだが、逆に美咲が彼の頭を撫でる。優しい、それこそ後悔や不安、怒り、素直になれなかった反動により、いつもよりも数倍甘く、優しい声色で美咲は彼に微笑みかけた。いつもはフラットで素直に笑うことの少ない彼女のする優しい微笑みは、彼にとってまるで聖女のような錯覚を起こさせていた。

 

「で? 何を買ってきてくれたの?」

「プリン、美咲がよくコンビニで食べる、プリン……なんだけど」

「……ふっ」

「あー、今鼻で笑ったな!?」

「いやだって、プリンて」

 

 コンビニのビニール袋に包まれたプリンと、プラスチックのスプーンを前に、美咲はいつもするような苦笑いを見せた。

 しかし、結構悩んだのに、という言葉が実に彼らしいな、という安心感もあった。

 

「あーあ、でも、アンタと思考が被るなんて思わなかったよ」

「被る?」

「うん、ってか冷蔵庫開けた時に気付いてくれるもんだと思ってた」

 

 そう言って、美咲は冷蔵庫の中から白く四角い箱を取り出した。その中にあるものが何か、彼にはすぐにわかった。

 いつも、恋人になった記念日やお互いの誕生日には欠かさずに買っていたものなのだから。

 

「はい、ケーキ……あたしも、ごめんって意味を込めて」

「み、美咲……」

 

 彼がすっかり忘れていた予定、それが、記念日の予定だった。詳しくは決まっていなかったのだが、どこか出かける、というような話を立てていただけに、美咲はそれに対して、あたしはちゃんと予定開けといたんだけど、と文句を言ったのが始まりだった。

 

「ん、おいしい……って、どしたの?」

 

 だがそんな遺恨はすっかり水に流し、紅茶とケーキで二人は今日の予定、記念日を小さく解消する。

 だが、いつもの雰囲気に戻った美咲は、彼がじっと自分を見つめてくることに怪訝な表情を浮かべた。

 

「いや……目、腫れてるから」

「あ……いや、もう気にしないでいいよ。仲直りもできたしさ」

「美咲……」

 

 あ、これはやばい雰囲気だな、と思ったが、拒絶する理由もなかった美咲はそのまま彼の雰囲気に流されることにした。

 六月の温い風が、アイスティーの氷をカランと鳴らした。まだ夜闇の風が運んでくる清涼感は、冷房が必要なほどではないのだが、二人は汗を流すほどの熱に息を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんかさー、こーゆーの、久々じゃない?」

「確かにな、久々だよな……二人でお風呂なんて」

「だよねぇ」

 

 湯煙に包まれた浴室に、二人の声が響く、しっとりと髪の毛を濡らした美咲が、しまったなぁ、という風に二度目の風呂に苦笑いを浮かべた。

 お互いに少し忙しい時期もあって、久しぶりだったのは二人で風呂に入ることだけではなかったのだが、誤魔化した彼に合わせるように頷くことにした。

 

「ってかさぁ、床はやめよって言ったし、キスマつけんのもやめよって言ったじゃん?」

「……言ったっけ?」

「ホント、バカ。こうなると全然、見境なくなるんだから」

 

 そんな見境のない彼に背中を預けながら、湯船につかる美咲は目線を自分の胸元にある赤黒い点に向けた。盛り上がるとキス魔の気があるカレシのクセを散々知っていながらも止められない自分へ向けたため息とともに明日着る服考えないと、と彼の肩に頭を乗せて湯気に満ちた天井を見上げた。

 

「で? 明日ホントにでかけてくれる?」

「明日は流石に忘れない……と思う」

「いやそこは確信しようよ」

 

 幾らなんでも今夜した約束を明日の朝忘れるわけはないだろう、と美咲はツッコミを入れながらも安堵していた。

 そもそも、今日の明日で予定が入ることはないという安心感も、それを助けていた。

 

「どこ連れてってもらおうかな~」

「やっぱりハンドメイド展とか、その辺?」

「それもいいけど……うーん、無難なデートとか?」

「それって、遊園地とか水族館とか、ショッピングとかってこと? でもなんで?」

 

 彼の疑問も当然のことだった。美咲は無難なデートコースを嫌がる傾向にあり、そういったレジャー施設は避けている。その理由はとてもシンプルなものでもあるのだが。

 

「いつもは知り合いに会うからって」

「たまには……いいじゃんか」

 

 

 行く先で知り合いに、彼と楽しんでいる姿を見られるのが、美咲は恥ずかしくて仕方がなかったのだった。

 そんな想いを汲んで、彼も付き合い始めの頃は不満を持ちながらも、彼女の言う通り、そういったデートは避けていた。

 

「──そうやって、照れてばかりじゃさ……これからずっと付き合って、結婚してもそれじゃダメだし」

「え?」

「なんでもないっ」

 

 そんな小さな呟きを聞き逃した彼は、再び、なんだよ、と訊くのだが、彼の限界が来るまで美咲は頑として教えることはなかった。

 

「はぁ~、のぼせたぁ……」

「ごめん、ついあたしの感覚で長風呂しちゃって」

「マジか、美咲すごい……」

 

 寝間着に着替えた二人は寝室で、僅かな明かりの中、ベッドに腰掛けた。彼はのぼせてしまったことであまり意識していなかったものの、美咲としては、こうして全く同じタイミングで寝室に入ることが少なかったため、やや緊張気味に、まぁね? と頷いた。もしかしたら、もう一回、そんなことも考えると中々ベッドに潜ることもできずに、美咲が固まっていると、彼は疲れたー、と仰向けに寝ころんだ。

 

「バイトでなんかあったの?」

「なんかあった……ってか、朝のせいかさ、あんまり集中できなくて、それで余計に疲れちゃった、って感じかな」

「……ごめん」

「そういう意味じゃないって」

 

 彼が仰向けになり、枕に頭を預けたことで漸く美咲もその隣に身体を預けた。

 すると、彼は美咲、と甘えた声を出した。寝る時にくっつきたがるのは、美咲ではなく彼の方だった。

 

「はいはい、じゃあ今日はもう寝るってことね?」

「まだなんかあった?」

「……うっさいバカ」

 

 まるで期待しているみたいだ、と自分の思考していたことの恥ずかしさを理不尽な罵倒で彼にぶつけ、彼の求めるままに、二の腕の上に頭を乗せ、彼に抱きしめられる恰好を維持していく。

 

「……実は、さ」

「ん?」

「俺、もしかしたら、このまま別れちゃうんじゃないか……って思ってた」

「そっか」

「うん」

 

 電気が消え、しばらくしてからそんな弱音を聞いた美咲は、そっと彼の唇にキスをした。不安を拭うように、分け合うように、そして美咲は大丈夫、と口にした。

 

「あたしは、多分……ずっと傍にいるから。バカだし、放っておけないし、デリカシーもなんもないけど」

「……ひどいね」

「けど、あたしは、アンタが好きだから……そこは安心していいよ」

 

 背中に手を回して、撫でると、彼は言葉通り安心したように、肩の力が抜けていった。

 年上の威厳や先輩らしさなんて何一つない彼の胸の中で、美咲はそっとまた、優しく微笑んだ。

 

「今日は、寝るまでこうしてあげる……いちおー、あたしの方が年下だってこと、偶には思い出してほしいんですけどね?」

「わかってる」

「わかってるかなー? ホントかなー?」

「うるさいな……」

「あー、はいはい拗ねない拗ねない。別にヤとは言ってないから……ね?」

「うん」

 

 子どものように高い声で、もう半分寝ている彼が頷く。それが最後の会話となり、やがて彼女の頭上からは、寝息が聴こえ始めた。

 美咲を優しく包んだまま、まるで甘えるように添えられた手に、美咲はどうしようもなく、愛おしさを感じていた。

 

「もう……でも、そんなとこが、好きになっちゃったんだよなぁ」

 

 誰に訊かれても、変なの、珍しい、そんなことを言われる美咲が彼に惚れてしまった決定的理由。

 そんな瞬間を垣間見た彼女は、寝ている彼から離れることなく、逆に身体を寄せて、眠りについた。

 ──喧嘩して、仲直りをして、それを一生のうちに何回繰り返すかわからない。その中で、彼女たちは、いつまでも二人でいることの意味を問い続けるのだから。

 いつまでも、また、おはよう、と言い続けて、おやすみと言い続けるのだから。

 

 

 

 

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