芸能事務所のバックバンドや機材係として活動していた大和麻弥は、新結成されたアイドルバンドの臨時のドラマーとして呼ばれた。
そんななんでもないはずのきっかけが、彼女の始まりだった。
「大和、おつかれさん」
「あ、どうも」
「なんかの収録?」
「いえ、今日は機材を少し」
「まだやってるんだ、そっちも」
「本当はコッチが本業で雇われてる身でしたから……申し訳なくて」
気にする必要ないと思うけどねと缶コーヒーを片手に笑う彼に、麻弥はそうっスね、と力なく笑った。
デビューは苦い記憶になってしまったけれど、だんだんとリリースイベントや小さな仕事をこなして、認知が上がってきた。だからこそ麻弥はふと、ここにいていいのだろうかという思いに駆られてしまうのだった。そんな小さな、けれど大きくなっていく不安から逃げる時、麻弥はいつも同じ場所にいた。事務所の小さな休憩所。いつも三つ上の彼がやってくるこの場所に。
「あなたに会えなくなるのは、嫌なんです」
「……事務所ではやめてくれ」
「……そうですね、すみません」
堂々と彼はジブンのカレシなんです! そんなことが言えたらどれほどよかったのだろうと麻弥は力のない笑みを自嘲的にしていく。
思い切って白鷺千聖には打ち明けたら、驚きつつもいいんじゃないかしらと微笑んでくれた。そもそも暗黙の了解としてアイドルは恋愛をしてはいけないというものがあるが、別に事務所はおおっぴらに禁止をしてるわけではないのよというありがたくも腹黒い言葉を聞き、麻弥はこの想いを捨てきれずに、胸にしまっていた。
「話題になってたよ」
「はい?」
「大和のこと、シンデレラだって」
「……シンデレラ、ですか」
「そう。裏方で誰にも注目されなかった灰かぶりが、魔法に出逢って、誰からも認められるヒトになる。大和にとってパスパレは魔法だったんだな」
臨時の代役として抜擢され、そのまま正規メンバーへ。今では生来の性格が持つイベントでのその対応の丁寧さと男性にも女性にも接し方の変わらない身近さ、そしてなにより目を引くのはメンバーの中で唯一の楽器経験者だったという、経験と技術力。それらが合わさりファンも多いのだった。
だが麻弥は、そんな称賛の言葉たちを否定していく。
「それは……良い方ばっかり見過ぎです」
「え?」
「ジブンは、そんなにキラキラしてないですから」
対応が丁寧だと言われるが、それは千聖には到底敵うはずがない。彼女は顔を覚えられるようにリピーターの特徴や話した内容をスマホにメモし、暗記している。ファンにとって認知されているという事実はその人物にとっての優越感、満足感を満たすものだから、これからもファンでいてくれるために努力を惜しまない千聖の姿を見て、自分が丁寧だと言われるのは我慢できなかった。
「ジブンのいいところはみんなが持ってます、ジブンだけじゃない」
身近さは若宮イヴの最大の特徴でもあった。思わずハグをしてしまいそうになりスタッフに止められた経歴を持つ彼女は、飾らない素顔で接していく。
他の特徴もそうだった。演奏技術も唯一の楽器経験者とも言うけれど、経験を全て置き去りする氷川日菜の技術には麻弥が追いつけないと感じるには十分なものだった。
なにより日陰でうずくまっていた灰かぶりがそれでも現状を変えようとあがいた結果、魔法をかけられ、それは一時的で解けてしまったとしても、一つ残したガラスの靴から返り咲くというストーリーは、麻弥に当てはまるものではない。
「それは彩さんみたいな子にこそ相応しいんです。努力して、努力してお披露目ライブの最中で魔法が解けてしまっても、その努力は残って……今はちゃんとパスパレといえば丸山彩、ッスから」
「……大和」
「ジブンなんてせいぜい、編集される前のシンデレラッスよ」
その言葉の意味がわからずに首を傾げた彼に、麻弥は解説を始めた。
シンデレラが今のカタチになる前と言われているロードピスの物語はもっと突拍子のない話だった。エジプトの女奴隷で、肌の色の違った少女はたまたま主人に踊っているところを見られてサンダルを送られる。そのサンダルを隼が持っていってしまい、隼が落としていった先にいたのがファラオだった。
ファラオはこれを神託とし、サンダルにぴったり足の合う女性との結婚を宣言し、ロードピスは見染められ結婚した。
「ロードピスと一緒です、ジブンはなんにもしてないのに、千聖さんに言われるがままパスパレのメンバーになって、そうしたらなんでか人気が出ただけ、ただそれだけ……」
「それだけじゃ白鷺千聖も、推薦はしなかったんじゃないかな?」
「そうッスかね……」
毛先を指で弄りながら、麻弥はやはり自嘲した。パスパレのメンバーはみんな前向きな人物ばかりで、いつもいつも前を見ている。夢に向かう力、夢を現実にする力。それがアイドルに必要だと痛感させられる。だから麻弥はここで、アイドルではない自分を創り出し、心を守っているようだと彼は感じた。
「あーでも、あなたが居てくれてよかったです。ジブンはこうして吐き出さないとやってけないスから」
「あ、おい」
これ以上彼に迷惑をかけるのはやめよう。そんな気分だった。前は頑張るんで見ていてくださいと息巻けていたのに、だんだんと言えなくなる自分を見られたくなかった。見守っていて、愛してくれる彼に申し訳ないという気持ちで、立ち上がった。
「──
「……え、あ……あの?」
だが、立ち上がろうとした手を引かれ、麻弥は視界が黒くなったことに戸惑った。機材の油と汗の匂い、そして、彼の匂い。いつもは風呂に入ってからなと近づけさせてすらくれない彼が、麻弥を包んでいた。
「俺は、麻弥のなんなんだよ」
「……恋人、っス」
「そうだ、恋人だよ。あの日麻弥を応援するって言ったのは、ただキラキラしてるところを見たいからじゃない。大和麻弥の全部が好きだから、今度は俺が麻弥の裏方として支えてやるって意味なんだよ」
「……でも」
「泣けよ……俺の前なら、泣いてもいいから」
──限界だった。麻弥は堰き止めていたものを吐き出すように、彼の服で涙を拭っていく。涙とともに溢れた愛を唇に乗せて、そっと重ねて、彼からの愛情をねだっていく。謙遜も自嘲もなく、傲慢に、強欲に。
「午後から……サボりませんか?」
「大和……」
「ジブンは、傷心中っスから……一晩かけて、癒してほしいです、なんて……フヘヘ」
「どこでそんな誘い方覚えてきたんだよ」
「えーっと、千聖さんから……ってこれはやっぱりヒミツです。怒られちゃいますから」
もしかしたら、いつも大人びた雰囲気を持っている千聖にも自分のように甘えて、誘惑する相手がいるのだろうかと、ふとアドバイスを思い返し、すぐにその相手に思い至ってしまったが故に、麻弥はこれ以上の思考を打ち切った。
おおっぴらには禁止にされていないということを知ってる理由も、全て説明がついてしまうことも、麻弥は考えるのをやめることにして、今は目の前の彼を頷かせるために言葉と唇と舌を重ねていく。
「そうでした。これからは麻弥って呼んでほしいです」
「……わかったよ」
「フヘヘ、いっぱい、名前で呼んでくださいね……恋人なんですから」
いずれ麻弥は、自分のアイドルとしてのアイデンティティに目覚めていく。けれどそうあるほどにどうしようもなく、どこかで甘えたいという欲が出る。その度に麻弥はまた彼がいつも休憩をする場所にやってきては、甘いひと時を、時にはひと時では済まない時間を、過ごしていくのだった。