付き合い始めて、恋人としての順調な毎日、順調に続いていく、幸せの積み重ね。しかし、そこで彼ら、彼女らはふと気づく時があるのだ。
──どうして、自分のことを好きになってくれたのだろう。自己肯定感の低さか、あるいはこれまでの異性経験の無さか、とにかくふとした時に不安になってしまうのだ。
「あー、遊んだねぇ」
「そうだな」
すっかり夕暮れとなった帰り道、今井リサはいつもの茶髪をそのまま降ろした状態で彼と手を繋いで歩いていた。夏休み、ということもありプールに行き、子どものようにはしゃいで、いつもよりも露出が多い、ということでドキドキはしながらも、久しぶりにデートを満喫したという満足感がリサの胸を躍らせていた。
「そういえば、予定立てた時は全然乗り気じゃなかったクセにさ、めちゃくちゃ楽しそうだったね」
「乗り気じゃなかった? 誰が?」
「……へ?」
その言葉に二人はきょとんとした顔を合わせた。
──七月半ば、アルバイト先であるコンビニの休憩室でくつろいでいた彼に、クセのある茶髪を指に巻きながら、リサがプールに行こうよ、と提案した時、彼は確かに生返事をしたはずなのだ。
普段はお姉さん然としていて、頼りがいのある人物として彼女の通う学校でも、アルバイト先でも知られるリサの乙女な表情、だが彼はそんな彼女の方は見ることなく、スマホゲームに心を奪われたまま、そんな記憶があった。
「そこで、ああいいな! なんて言えるわけないだろ」
「言ってよ、そこはさ」
冷めている、という印象は最初からあった。冷めているけれど、人を良く見て、何も言わずにフォローしている姿に、リサは惚れたのだから。だが、告白をしてOKを貰ったものの、その態度は一切崩れないところに、彼女は時折、泣きそうな気分に襲われていたのだが、どうやらそれは彼なりのスタンスらしい、と半年を過ぎた恋人関係で初めて気づいたのだった。
「アタシ、自分だけが見て欲しい、ってばっかの、重い女なんじゃないか……ってずっと思ってたのに」
「重い? リサが? まぁ確かにな」
「……重いんだ」
独占欲や嫉妬はする方だという自覚はあった。だがそうハッキリと口に出されるとショックだとリサは沈んでしまう。
──だが、そこで自分を見て欲しい、なんて、言えないにしろ思っていたことは事実だったため、黙るしかなかった。黙って耐えていれば、デートはしてくれる。食事においしい、とも言ってくれるし、流石の彼もデート中はスマホを触る回数も少ない。だから想いは通じ合っている、そう考えることで、なんとかリサは平常心を保ち続けてきた。彼は、それを指して、重い、と形容したのだった。
「バカだな、そんなんで泣きそうになることないだろ?」
「……だって」
プールの塩素で少し引っかかる髪を優しく撫でる彼になら、言ってもいい、そんな甘えた気持ちがリサの中に出てきた。
「アンタは、アタシのどこが好きになったの……?」
「そんなこと外で聞くか、恥ずかしい」
「ゴメン……」
「ここで話すのは恥ずい……だから、ウチでゆっくり話すか」
「え」
落ち込んだところで、リサは思いもよらない急展開に汗を掻き始める。ウチに、家、つまりは彼の部屋に上げてもらうということで、初めてのことにリサは心臓が縮み上がるような感覚がした。
「親ならいないから安心しろ……紹介なんてしてみろ、お祭り騒ぎが始まるからな」
「い、いない……いない」
つまりは、という妄想がリサの頭の中を駆け巡った。二人きり、部屋、恋人同士、それが意味することがなんなのか、わからない年ごろではなかった。
「お、おじゃまします」
「おう、コーヒーでいいよな」
「うん」
そこから僅か数分、ごく普通の一軒家に案内され、そわそわとリサは周囲を見渡した。整理整頓された、どこか事務的で無感情な印象の伝わる部屋、その壁や一部の棚にある、とあるガールズバンドグループのポスターとCDがリサの目に留まった。
「……これ」
「ん? ああ、Roseliaの」
「なんで」
興味がないものだと思っていた。ライブに誘ってもいつもの如く生返事、そして予定が空かない、と断られてきた彼女にとって、彼の部屋に自分たちがいることに疑問を感じるのは当然だった。
「カノジョが有名人だってなら、そのくらいの興味はある」
「そんな素振りなかったくせに」
「見せるわけないだろ」
そっぽを向いた彼の表情は伺い知ることはできなかったが、どうやら気になっていることを気付かれるのが恥ずかしかったらしい、ということが伝わり、リサもふにゃりと幸せそうに顔を緩めた。
「そっか、ふふ……そっかぁ」
「なんだよ」
「ううん、なんでもない」
急激に紐解かれていく彼の感情に、リサはこれまで抱えていたモヤモヤとした感情を全て吐き出した。あまり表に出てくることのないけれど、その実、リサが考えていた以上に自分のことを中心においてくれる彼への気持ちが、高まっていった。
「……それで」
「うん?」
「好きになった理由……だっけ、知りたいの」
「……そうだった」
「忘れてたのか、この短時間で」
彼がジロリと睨んでくるのを、いや~、わ、忘れてないよ~? と躱しながら、言外に続きを促していく。
色々とスッキリした今でも、それは知りたい。自分がどうして想いを抱えたまま、こうしていられるのか、自分がどうして恋人として彼の傍にいられるのか、知りたかったのだった。
「……カッコよかったから」
「へ?」
その理由は、リサが予想だにしなかったことだった。あまりに驚いたため、間抜けな声が部屋で静かに響いた。
彼は、リサの反応にだから言うのが嫌だったんだ、とベッドに転がった。顔を伏せているため表情を察することはできないが、照れていることは容易に想像できたため、リサは新鮮な彼の反応に思わず噴き出した。
「ふふっ、あはは、カッコよかったんだ、どこが?」
「どこって、バイトとかさ……色々だよ、色々」
「うんうん」
「笑うなよ……とにかく、特に理由なんてないってこと! 俺が言いたかったのはそれ」
「特に、か」
特に理由なんてない。理由なんて全て後付けで、ただ琴線に触れたから傍にいたいと思った。この場合はリサも彼も、アルバイトでの仕事への姿勢が、それに当てはまるのだが。そんな感慨と共に彼が普段使っているであろう手元のクッションを抱きしめていると、リサ、と彼の優しい声に振り返り、その触れ合いを受け入れた。
「でも、俺の態度のせいで……泣かせて、悪かった」
「ん……うん」
くしゃ、と撫でられ、後ろから抱きしめられ、リサは充足感に目を閉じた。言葉のない、けれどそれは恋人の語らいと呼ぶには相応しい、甘く切ない時間だった。
「……プールの匂いする」
「ちょ、嗅がないでよ」
「でも、リサの匂いってさ、なんか、安心する。あったかい」
「……バカ」
バカ、と言われて、少しだけ傷ついたように彼は唇を尖らせた。
だが、その罵倒が悪い意味を含むものではないことがわかっていた彼は、少しだけ考えたあと、思い切った提案をした。
「まだ髪ゴワゴワだし……風呂入ってけよ」
「お、お風呂?」
「つか……泊ってけよ」
「え……えっ!?」
彼の一言にリサは今度こそ耳まで真っ赤にするくらいに恥ずかしがり、大きな声を上げた。
確かにいない、というのは聞いていたが、泊れるくらい……翌日までいない、というのは聞いていなかったための驚きだった。
「……いいだろ、別に」
「ダメじゃ……ダメじゃないけど、一回、一回だけ、家帰ってもいい?」
「お前……いいけどさ」
こうして、彼の渾身の誘いは、まさかの一旦帰宅という予想外の結果に落ち着いた。パジャマとか、コンタクトとか、着替えとかほしい、という彼女らしい理由のため、彼も許したのだが。
一旦リサが帰った間に、彼はお風呂に入ることにした。万が一にも一緒に入る、なんて所業はできそうにはないという理由と、髪がゴワゴワだとぼやいていた彼女を早く手入れをさせてあげようという配慮だった。そうしておいて、帰る際に彼はリサに家の鍵を手渡した。
「これは?」
「流石に独りだと鍵閉めないと危ないからさ、入ってる間に戻ってきたら困るだろ」
「なるほど~……アリガト」
信頼、それとさりげない優しさ。その二つにリサは思わず赤面してしまった。
彼の趣味らしいウサギのキーホルダーのついた鍵を片手に戻ってきたとき、丁度彼が髪を拭いている時だった。
「おかえり」
「……たっ、ただいま……」
「どうした?」
「なんでもっ、なんでもないから……あはは」
初めてのカレシ、初めてのカレシの家、そして、初めて男性の家に泊まる。初めてづくしの二人きりにリサの緊張、そして突き付けられる覚悟は彼女の余裕を奪っていた。
また、薄い半袖のシャツから見える腕、肩甲骨、そして短パンから見える足、チラリと見えた腹からもわかる筋肉も、リサにとっては意識をしてしまう原因だった。
「お風呂、いい?」
「いいけど……大丈夫か?」
「う、大丈夫……だもん、行ってくる」
直視できないまま、彼の横を通りぬけて……そして少ししたころ、未だ玄関にいる彼に恐る恐るといったように話しかけた。
「お風呂……どこ?」
「だろうと思った」
「だって……ハジメテ、だし?」
その上目遣いとトーンに彼はやめろ、とやや固い声を出し、お風呂への道案内をして彼は部屋へと戻っていった。
「……ハジメテ、ってなんだよ……どっちの意味だよ、バカ野郎」
虚空に消えるその言葉は、リサが聞くことはなかった。
夕焼け空はだんだんと紺色を経て、静かな夜の闇を引き連れていく。自分の家が、彼女一人いるだけでまるで落ち着かない、そんな気持ちに襲われていた。
「あ、お風呂ありがと~」
「おう、今から乾かす?」
「うん」
待つこと一時間、しっとりとした髪をタオルで拭きながらやってきたリサに、彼はドライヤーを手渡した。一度仕切り直して、それがお互いに覚悟を決める時間になったせいか、開き直ったようにリサと彼は二人だけの時間を順調に過ごしていた。
じゃあちょっと席外すわ、と部屋から出ていった彼を見送りながら、リサは冷静に周囲を眺めた。
「……今日、一緒に寝るのを提案する。それで、コレを……使う」
そう言って、リサが化粧ポーチからとあるものを取り出す。万が一彼が持っていない、ということが原因で生殺しに遭うのを防ぐ、もしくはそのまま高まり、持っていない状態で一線を越えないために、一度家に戻った道すがらで買ってきていたのだった。
「半年過ぎてるんだもん、おかしくないよね……ないよね?」
羞恥心とわずかな恐怖心がブレーキをかけそうになるが、自問自答とゴリ押しで頭の片隅に追いやっていく。彼からも、リサからもそういうことを口に出さなかっただけに、家に誘われたのをリサはチャンスと捉えていた。ここで恋人として一線を越えて、今よりも深まった関係に発展しようと、目論んでいた。
「……ベッドの近くの棚からすっと出す。ベッドの近くの棚からすっと出す……落ち着け、落ち着けよ俺」
──そして、奇しくもそれは彼も同じだった。プールの帰り、勇気を出して帰りに家に呼び、予め買っておいたソレを取り出す。頭の中では完璧に行われたシュミレーションも、実際に相手が自分の部屋で髪を乾かしている、という事実に、脆くも儚く崩れていく。
「ココで臆したら俺は一生童貞……きっと、リサだってわかってるはずだ」
リビングで自分にそう言い聞かせる。その姿は彼が普段外に見せている、フラットさからはかけ離れたものだった。
黙っていればカッコいい、という灰髪の後輩が放った言葉を信じた結果、引くに引けなくて半年、もうリサにはカミングアウトしたついでに、もっと深く繋がりがほしい、と彼は考えていた。
「ねー、髪乾かし終わったよ~」
「おう……そっか」
「今なら、嗅いでもいいよー、なんて」
ぎこちない会話をしながら、部屋へと戻っていくとリサはベッドに座った。そして、彼の膝の間に座り、背中を預けながら、スマホを触り始めた。
自然と覗き込むかたちになった彼は、リサの下ろした髪から香るシャンプーの匂いと、緩い胸元からチラリと見えた、ワインレッドに慌て、何事もないかのようにスマホを取り出した。
「……俺んちのシャンプーの匂いじゃ、ないのな」
「そんなことしたら、バレちゃうから」
「そっか、明日同じ時間だっけ、バイト」
「そーゆーコト、でもそっちは、一緒に行こうね」
「いいけど」
SNSを追いかけながら他愛のない会話をするリサ、そして、スマホゲームよりも恋人との他愛のない会話よりもその恋人の胸元に視線が向かってしまう彼、という構図が十分ほど続いたところで、リサは彼にキスをした。そして、ニヤっと笑い、襟を指で引っ掛けて見せた。
「女の子って視線に敏感だからさ~、アタシ以外には気を付けなよ?」
「……お前、わざと」
「そういうとこ、好きだよ……あはは」
それから先のことを、リサはあまりよく覚えていなかった。だが、朧げな記憶の中で、彼の名前を呼びながら、伝えた気持ちは、愛してる、ずっと一緒だ、という言葉で返ってきて、幸せだったことは、リサの胸の中にずっと残っていた。
──そしてそれ以来、二人の関係性が少しだけ、変わったこと。
「んっ、も、バカぁ……」
「好きな時にしてもいいって言ってたのリサだし?」
「お、覚えてないんだってばぁ~」
リサの部屋で、彼に後ろから抱きしめられ、髪に顔をうずめられるリサがいた。
下ろした髪が特にお気に入りらしく、バイト終わりに視線がそっちに向くことにリサは少しだけ、思っていたのと違う、という想いとそれ以上に、そんな変なところがあるのに微塵にも好き、という気持ちが消えてないことで、気付いたことがあった。
「アタシは、アンタだから好きになったんだよね……こーやって困った甘えんぼなトコも、カッコよくなっちゃえるところも、全部含めて……アンタなんだから」
完璧な人間はいない。恋人にしたいと思った相手にも当然、欠点は存在する。だが、その時になって、気付くことができるなら、二人の関係はより深くまで進むことになるだろう。
──美点も欠点も含めて彼、彼女ならば、その欠点も全て愛している。リサは彼にそんな想いを抱いて、共に過ごしていくのだった。