【倉田ましろ】特別をくれたキミに
「え、ましろ、マジであの月ノ森に?」
「う、うん……」
とある喫茶店、通っているところとは少し離れた知り合いのいない場所で倉田ましろは下を向きながら頷いた。
相手は中学では同級生だった男子高校生であったが、進路を詳しく訊きそびれてしまっていたし、ましろ自身としては自分の進路なんて……という思いがあり、こうして再会したのは夏が来てからになってしまっていた。
「馴染めてるの?」
「どうだろ……」
「お前がそーやって濁す時は大体、ダメな時って決まってんだよなぁ」
「……そうです」
しゅん、と下を向くましろに彼はまぁまぁ、と宥めていく。
月ノ森は幼稚舎から大学まで一貫されている伝統のお嬢様学校。しかもそこには財政的にも才能的にも豊かな人材が揃っている、という話を聴いたことのある彼は、そこに彼女が混じっている、ということがイマイチ信じ切れていなかったのだから、馴染めてないというのはある種のましろはましろだ、という安心感もあった。
「でもなんでまたあんなとこに」
「……笑わない?」
「そんな笑われる理由なのかよ?」
首を傾げた彼女に、彼は少しだけ苦笑い気味にそう質問を投げ返していく。それだけ確固たる意志があるならいいのだが、中学三年間でましろの
「笑われるかもしれない理由……だから、言わない」
「……の、割には今回はえらく頑固だな?」
彼女に色々な部活を紹介したことを思い出しながら彼は、笑われるかもしれないから、自分には才能がないからとそのすべてを諦めてきた過去とは何かが決定的に違うことに気付いいていた。
「わ、笑わない……?」
「どんだけお前の月ノ森生活には笑いが潜んでんだよ」
「だって……」
臆病で、一言目はもうやめる、二言目にはだって、と続く彼女の変化を如実に感じていた。世界は彼女には優しくはない。花を見つけられない蝶々に、生きる術を説くことはできないのだから。
「と……特別が、ほしくて……」
「特別……」
「うん。月ノ森で……私もなにか特別なものを見つけられたら……って」
それが倉田ましろを傷つけ続けたものであり、同時にアイデンティティでもあった。何よりも普通な自分が、才能のない自分が嫌で嫌で仕方がなかった彼女が求めた場所が、月ノ森だった。
だけど最初の内は挫折の連続だった。どこの部活にもスペシャリストがいる。周囲はお金持ちだったりで、何の賞を取っただとか、コンクールの話だとか、そんなことばかり。何も持たない彼女にとって、その環境は特別なものを見つける以前の問題だった。
──彼女たちに出逢うまでは。
「バンド?」
「うん。バンド始めたんだ……香澄さんたちに憧れて」
「あ~、ポピパの」
「知ってるんだ」
そりゃそうだろ、と彼は地元発祥のアマチュアながら人気を誇る五つ……更に最近増えたもう一つのバンドを挙げていく。
どれもプロに匹敵する実力があると言われるバンドたちに彼女は夢にまっすぐ、目指したいという気持ちにさせられたんだということを知った。
「そっか。ましろは、特別なものを見つけられたってことかな?」
「……そう、なのかな?」
「もっと自信持てよ。バンドの花形、ボーカルとして歌うなんて、カッコいいじゃんか!」
「ありがとう……」
少しの寂しさがあった。まるで子が親離れをするような、寂寥が彼の胸を覆っていた。もう中学のように手のかかるましろではない。もう自分には何もないんだと癇癪を起すましろではない。それがいいことであるはずなのに、彼の胸を焦がしてしまう。
夏休みに会いたいと言われたのも、自分がいなくなったことで漸く音を上げたんだなと高を括っていたことが、なにより彼自身の心に傷をつけていた。
「それじゃあ、
「……え?」
「なにやってんのかなーって心配してたから、ハナシ聞けてよかった。頑張れよっ」
「え……あ……!」
髪のセットが崩れるかというくらいの乱暴さで頭を撫で、男女の関係としては非常に中途半端だった三年間に区切りを付けようとする。
──だがそれを、ましろは許さなかった。待ってと立ち上がった彼の手を掴み、引き留める。
「わ、私が……呼んだんだから、か、勝手に……勝手に帰らないで、よ……」
「けど」
「まだ、行くところはあるから」
「は?」
驚く彼にましろは、んっ、と頬を膨らませたままスマホを見せる。それはつい最近公開された特撮ヒーローものの劇場版のビジュアルポスターだった。
本来ならばメンバーの二葉つくしが幼いきょうだいを連れていく予定に便乗する形で観に行く予定だったものの、つくしに用事ができてしまったせいで流れていたのだった。
「……んで?」
「観たいもん」
「独りで観に行く……度胸はないか」
「……そうだけど」
じろりと上目遣いで彼を睨んだ彼女は、夕方のやつだから、とまた席につき残っていたオレンジジュースのストローに口をつけ、座れという視線を彼に送った。
怒っている時の彼女の扱いには細心の注意を払うべし……そう心得ている彼はゆっくりとまた席に着く。
「まだ用事あるし……それに、あの言い方で別れるのは……なんか嫌」
「なんか嫌って……おいくら──」
「ましろ」
「……ましろ」
「なんかって言うのは、なんか火山から噴き出る煙で、雷が鳴って、太陽が隠れちゃう……そんな感じ」
「わからん」
ズバリと言われ、ましろは少しだけ落ち込む。独特過ぎる世界観の持ち主でもある彼女の表現だけは彼はついていけないものがあった。詩を紡ぐのは得意で、先生に褒められたものの活かし方がわからずにいたのだが、それを漸く活かせる場所を見つけたことで、言葉で表現するということに多少、抵抗感がなくなっていた。
「モヤモヤして、晴れないってのはわかった」
「うん。でもね、ただ曇るんじゃなくて……こう、マグマみたいなんだ」
「マグマ……うん、なんとなくわかった、かもしれない」
「ほんと?」
自分の独特な世界を持つましろの言葉をなんとなく、関わってきた時間でニュアンスをとらえた彼にましろは、実はね、と自分が今何をやっているのかを話していく。自分の話をすることが苦手だったのに、バンドという出逢いは思いのほか彼女をいい方向に進めていることがわかった。
「なぁましろ」
「なに?」
そろそろ映画館に向かおうというところで、彼に名前を呼ばれましろは見上げるようにして返事をする。
彼は四ヶ月ほど会わなかっただけですっかり飛び立ってしまった彼女に、もしかしたら自分だけがそんな気持ちを持っていて、世話をしてくれる人以上の感情はないのかもしれないと思いながら、言えなかった気持ちを言葉にしていく。
「好きだ」
「そっか……え、あ……いま、なんて……?」
「二回も言わせんな。好きだって言ったんだよ」
「すき……すきって、恋愛的な……あの、好き、だよね……?」
そうだよ、とそっぽを向きながら彼は口から出してしまったその気持ちにやや後悔をしていく。最初は妹のようだった。世話をすることで、なんとか自立してくれたらいいとそれだけを考えていた。
──それがいつしか、女性としての魅力にあふれていく彼女を、捕まえたいと思ってしまっていた。誰かの元に飛び立つくらいなら、自分という籠の中に閉じ込めてしまいたいと。そんな気持ちから出発した恋心だった。
「そ、それってさ……私と、付き合いたい、ってこと?」
「そ、そりゃあ」
「キスとか……その、えっちとか、したいってこと?」
「えっ……え……そ、そりゃあ、付き合えたら」
この気持ちは間違ってるかもしれないけれど、とましろは自信なく前置きしながら彼に自分の想いを伝えていく。
とは言っても、ましろ自身もその気持ちに気付いたのはついさっき、倉田と呼ばれた時だったのだが。
「価値がある……特別になりたいって、言ってたでしょ?」
「言ってたな、だから月ノ森に行ったって」
「うん……でもさ、キミはずっと、私がどんなに逃げても何があっても傍にいてくれた。こんな私の面倒を見てくれた」
「だな」
「だからね……私にそういう価値を見出してくれたキミが、私も好き。ずっとずっと、一緒にいたい」
思わぬ告白の返事に、彼は驚きからやがて喜びの表情へと変わった。
──両想いだったのだという歓喜に、ましろも口許を綻ばせていく。だがこの出発点はいずれ、大きな諍いを引き起こすことを、彼女は感じていた。
価値を見出してくれたから、多分彼女は言葉にしたほど、彼のことを想ってはいなかった。けれど今まで自分の傍にいることで自分を特別な場所に置いてくれた彼から、離れたくはなかったのだった。
「とりあえず、今日は映画見て……帰ろっか」
「そうだな……まだ付き合って一日目だもんな」
「うん」
けれどその時までには、二人でまた別の特別を見つけられたらいい。
なによりきっとその時には、今よりももっと、自分の特別を見つけられているとましろは未来の自分に賭けていったのだった。
──その特別がこの脆い恋を、強く結びつけられたら、と。