広町七深は悩んでいた。端から見ればとてつもなくどうでもいいことを、真剣に悩んでいた。梅雨のさなかではあるもののすっきりと晴れたその日、彼女はコンビニエンスストアにやってきていた。
「むむむ……悩む」
七深の手元にはおまけつきのお菓子と、そして激辛、と名前のあるスナック菓子と普通のスナック菓子の二つを見比べて難しい顔でうめく。その葛藤には今日は先日のライブ成功を祝っての小さな打ち上げが開かれる予定であった。
「とーこちゃんが言うには、お菓子を持ち寄るもの……らしいけど」
──ななみならさ、いいカンジのお菓子、買ってこれるっしょ!
なんとも無責任で曖昧な言葉でバンドメンバーである桐ヶ谷透子に託されたことも七深が悩む原因の一つではあるが、ここで透子が求めているのはどちらなのかということに頭を捻ってしまうのも、彼女の特異性を表していた。
「ん~、わざわざ私の名前出したからには、私の好みで選べばいいのかな? それとも、フツーっぽいものを選ばないといけないのか……む、難しい」
特にボーカルでもある倉田ましろは極端に……透子が称するには舌がお子様、らしいことも七深の頭の中には重要な位置づけがなされていた。つまり自分の好きな味であり辛味やクセのある苦味のようなものも苦手、ということでもあるのだから。
「なにかお探しですか」
「あ、えっと……って、なんだ~、キミか」
「お、なんだとは失礼だな、七深」
そんな悩める七深に手を差し伸べた、というよりもただ単純になにをやってるんだという呆れ交じりの感情を乗せて声をかけたのは彼女にとって知り合いに位置づけられる同年代の青年だった。
「呼び捨てはやめてーって言ったよね?」
「はは、広町さんって呼べば満足?」
「うん」
「うわ、友達とはフツー下の名前で呼び合うもんだろ」
「……と、友達じゃないし」
嫌われたもんだなと笑う彼に対して、七深はほっといてと冷たく言い放ちまた両手にスナック菓子を置いて悩み始める。だが、放ってはおけないとばかりに彼はいっそ両方にしたらどうだろうかと言い始めた。
「知ってるよ、それはストーカーだよ」
「違う、たまたまコンビニでアイス買おうとしたら見たことあるヤツがいて、そいつがブツブツ悩み事口から吐き出してただけ」
「そーゆー言い訳か」
「はぁ?」
彼女は彼のことが嫌いだった。幼い頃に父の絵を店のインテリアにと買った家があった。そんな親同士の会話に連れ回された中学時代の七深が出会ったのがその店のオーナーの長男だったというだけの知り合い。けれど七深が普通ではない才能を持つことに目を輝かせてくる、普通でいたい自分にとっては邪魔な存在というだけだった。
「連れない。そんなにフツーになりたいのか」
「なりたいよ。独りは嫌だもん」
普通にならないと友達ができない。自分に友達ができないのは普通じゃないからだと半ば意固地になりながら
「でも、七深って隠し事下手だよな」
「ヘタ?」
「だってその友達、わざわざお前指名でお菓子買わせてるんだろ?」
「う、うん」
「絶対面白がってるな」
ずばり、と言った具合に透子の心理を当ててみせる彼に、七深はやっぱりそうかなぁと肩を落とした。薄々は感づいていることだった。そもそも、八潮瑠唯は幼稚舎の頃の七深を覚えていた。そして他のメンバーは他のメンバーで、どこかで彼女の特異性に気づいているフシがあった。
「あーやっぱダメだったのか」
「ダメじゃないだろ」
「なにが?」
「七深がフツーじゃなくてもいいってヤツなんだし」
「そんなわけないよ、だって……」
弱いものは群れていられるなら弱い方がよかった。そんな七深の心にある弱者になりたいという願い。独りを怖がる彼女が……けれどもなんでもこなせてしまう彼女ができないものは、どうしても手に入るものではないことを彼は知っていた。
「みんなと違う、っていうのは、それだけ……悪いことなんだよ」
「それは、そうなのかもな」
彼は思い当たるフシがあるとばかりに遠くを見つめた。当たり前のように自分とは違ったものを排斥していいわけがないと大人になればすぐわかるのに、現実は強く、出る杭を打ち沈めようと槌を振り下ろしてくる。
「だからさ、七深の言葉がずっと支えになってるんだよ」
「……なんか、トクベツなこと言った?」
「いいや、
──ねぇ、イタリアってさ、どういう国? 暑い? 寒い? どんな食べ物があるの?
すぐさまそれらの質問を撤回させてしまった彼女だったが、その一瞬だけ目を輝かせ素の表情を見せてくれた彼女は満天の星のようにキレイだった。
だから七深が普通でないことを知り、
「変なの……」
「いいや、この気持ちはフツーだ」
「え?」
「つい最近まで、確かに変な気持ちだ、七深にしか抱かないこの気持ちはなんだろうって考えてた」
「……それで?」
その気持ちがフツーだってわかったんだ。歌うように、よくぞ訊いてくれたとばかりに笑う。七深はそれに対しての知的好奇心、中身のわからないドキドキに思わず彼を見上げてしまう。それこそが、彼の術中だったということに気づくこともなく彼はおまけ付きのお菓子でも悩んでいたお菓子でもなく自分に、広町七深の視線を独占していく。
「好きだ」
「──は?」
「七深のことが、好きなんだ」
「なんで?」
「なんでだろうな。わかんないけど、これだけはわかるんだ」
唐突な告白に、七深は目を白黒させてしまう。脈絡も動機もなにもわからないという中で、だけど彼の声と握られた両手だけは確かな熱を持っていた。
それが、まるで伝染してしまったかのように七深は自分自身も熱を帯びてしまっていることに気づいた。
「私は、フツーじゃない、んだけど……」
「七深にとってはそれでフツーだろ?」
「もっと……フツーの子がいいと、思うけど」
「七深がいい、いや七深じゃなきゃ嫌だと思ったんだ」
「どうして?」
「あの時の質問の答えを、言いたいから」
それは、七深の閉じかけていた門の隙間を縫うような言葉だった。彼女にとって、その質問はよくなかったと断じられるものだった。だが彼にとっては、自分を理解してくれるんだという喜びだった。だからずっと考えていた。彼女の質問の答えを、七深と話せる時間を求めていた。
「……ヤダ」
「え?」
「それだけじゃ……嫌だからさ、別の条件も付けていい?」
「なに?」
「フツーの恋人っぽいことも、したい」
デートをしたり、手を繋いだり、そういった特別な関係らしいものにも七深には密かな憧れがあった。恋人同士になったら普通はデートをする。手を繋いだり唇を重ねたり、その人としかしないことをする。そんな普通の恋はできないと諦めすらあった彼女は、与えられた熱に心臓を期待か、また別のものかわからないが跳ねさせていた。
「ま~、キミのこと、嫌いってゆーほど嫌いじゃなかったし」
「それはよかった」
「だって、友達は……なんか嫌だったからね」
その気持ちもまた、突き詰めると彼と同じ結論に至るということを七深はまだ知らない。だが、知らないなら知っていけばいい、そのために知ってもいいんだという普通に縛られない自由さに七深はあの頃と同じ星空のような輝きを目に灯した。
「で、やっぱどっちも?」
「このタコスがオススメ」
「お~、おいしそ~。じゃあ三つかな、多いかな?」
「いいんじゃない? 七深の好きなようにすれば」
「んーじゃあ、キミも連れていこうかな」
「はは……冗談だよな?」
「え?」
強制的に連行され早速、
「離れたくなかったから」
「ええーだからってここに連れてくるの?」
「うーん、やっぱフツーじゃなかったのか」
「七深、恋人が一緒にいるにしても限度があると思うんだ」
透子がその言葉に賛同したようにうなずきながら、ってかイイ感じに買ってこれるっしょとは言ったけどまさかそうなるとは思わなかった、と漏らした。それは驚きというより、七深に選ばせたら面白そうという期待を斜め上で裏切ったことに対する笑いをこらえるような表情に近かった。
「七深ちゃんに訊いたんですけど、お、お父さんイタリア人なんですか?」
「すご、ハーフ?」
「そうだね」
「道理で目鼻立ちが日本人離れしているのね、合点がいったわ」
あっという間にバンドの打ち上げだったはずの空気を彼に持っていかれて少し納得がいかないという表情をしている七深に、透子がイイ感じじゃんと笑いかける。七深は少しだけ顔を上げて、少しだけ迷ってから透子に訊くことにした。
「私って、フツーじゃないじゃん?」
「んー、そうだなぁ」
「なんで、フツーじゃないのに、友達なの?」
「ぶはっ! え、ちょ、あははは」
大真面目な質問だったのに、と七深が眉を上げ、透子はゴメンゴメンと心にもない謝罪をする。笑いのツボが一旦収まったところで、透子はまた彼の方を見た。実家でもあるイタリアンレストランの店を紹介していて、つくしが何かを考えるような仕草をしているという状況を俯瞰しながら、思ったままの言葉を伝えていく。
「フツーじゃないから、かな?」
「……え?」
「いやいや、つかフツーって感じのヤツ、ここにいねーし! ルイだってあんなんだし、ふーすけだってなんだかんだで、面白いヤツじゃん。シロに至っては特殊! 特殊すぎていつもいて飽きねーっての?」
「飽きない……わかんない」
「いーんだよななみはそのまんまで、だってそれが、あのカレシが好きになったななみなんだし、モニカの広町七深なんだから」
「とーこちゃん」
ちょっとクサい語りしちゃったかなと歯を見せて笑う透子もまた、自分が普通ではないことを知っている一人だった。
個性的で、それゆえに一つの音楽を創り上げていける。それが自分のいる場所なら、七深はよし、と立ち上がり未だつくしとましろに囲まれる彼を独占するために、友達との時間を過ごすために輪の中に飛び込んでいった。