──祭りに来てくれよ。アタシの太鼓を見ててくれよなっ! 宇田川巴のそんな快活で明瞭な誘いを受けた彼は、まだまだ祭りというには明るすぎる空、商店街に賑やかな出店がやってきていた。
いつも彼女と出かける場所も祭りという行事によって飾りつけられ、まるで違う場所に来てしまったような不安感が一瞬、彼の胸に生ぬるい湿気を含んだ風と一緒に吹き付けられた。既に人も多い。ここで巴が自分を見つけてくれるのは至難の業かも、と苦笑いをした時、後ろから名前を呼ばれ、振り返った。
「よかったー! 来てくれたんだな!」
「まぁね? それより巴、そのカッコ……」
「どーだ、カッコいいだろ?」
彼の眼前にいた巴はサラシを巻き、法被を着ていた。肌色が多く、どこかセクシャルな印象すらあるはずなのに、彼女の雰囲気は色気はあるものの、カッコいい、という圧倒的な印象に塗りつぶされていた。
元々、和太鼓をしていた経験からバンドでもドラムをやっているということは耳にしていた彼も実際に法被を身にまとい大人に今年も頼むよ、と信頼される巴に彼は、目を細めた。
「どうした?」
「いや……やっぱり巴ってカッコいいんだなって」
「そ、そっか? はは、あんまりそう面とむかって褒められるのは苦手だな……」
頬をかきながら巴はそれじゃあまた後でな、と彼に手を振った。彼女はそんなやり取りにほんの少しの引っかかりを感じたものの、それはやがて彼女にとって一年で一番のイベントを前にして、テンションが上がり霧散していった。
彼も見ていてくれる、という喜び、その中にはその後驚かせてやろうという算段があった。
「あの子はカレシかい?」
「そーなんです、って言っても付き合い出してそんなに経ってないんですけど」
バイト先で出会った彼と恋仲になったのはつい最近。男勝りな口調と態度で、時には何度も友人や幼馴染に、男なら放っておかないという趣旨の言葉をかけられてきた彼女にとって、初めていいなと思えるのが彼だった。そんな彼をもっと喜ばせたいという一心で、巴は彼を商店街へと誘ったのだった。
──そしてそんな彼女が思考を巡らせていたそのころ、彼はとある集団に見つかり、後ずさっていた。
「あー、いた!」
「う、ひまり……それに花音さんに彩さんまで」
「こんにちは!」
「偶然だね?」
巴と彼と同じバイト先で働く、かわいらしい年の近い女性三人に声を掛けられ、彼は逃げられないのだなと溜息をついた。その態度に髪をお団子に纏めた上原ひまりが誰かの髪を少し淡くしたようなワインレッドの浴衣の袖を揺らしながら、なにその態度はと頬を膨らませた。
「だってここで会うとは思わなかったし」
「だからって逃げ腰なのはひどくない?」
「ま、まぁまぁ、落ち着いてひまりちゃん、ね?」
一つ年上の松原花音と丸山彩がひまりを宥めていて、改めて巴を含めたこの四人の仲の良さを再確認していた。逃げ腰になってしまったことを謝った彼は、ひまりの機嫌を保つために何か奢らせてくれと頼んだ。
「んー、じゃあわたがし!」
「あ、釣られちゃうんだ」
彩が余計なツッコミを入れるが、彼としてはこれ以上ひまりに絡まれないためには必要な出費だと判断し、サイフの紐を緩めた。ついでなので彩と花音にも提案し、二人にもわたがしを購入した彼だった。
黄色の浴衣姿の花音と、パステルカラーの花柄をした浴衣の彩、そしてひまりに囲まれた彼は、その華やかで姦しい空間に少しだけ疲れたように息を吐いた。
「まったく、いつも巴の太鼓が終わったらみんなでお祭り回る予定なんだからっ」
「巴が言ってたよ」
「そうだよ! そんな巴を貸してあげるんだからねっ?」
「貸すって……まぁいいや、わかったよ」
結局、和太鼓の音色が聞こえるまで、彼はひまりに振り回され続けることになった。ひたすらにひまりの幼馴染というものがいかに大切かという愚痴、そんな巴が選んだという彼が少し頼りないという印象への愚痴、巴と接する時の注意点をありがたく聞いていたのにも関わらずいつのまにか巴の愚痴に変わっていることに彼は再び溜息で処理することにした。
商店街の外れ、少しだけ喧騒から遠い、月明りの他は心許ない街灯のみに照らされたその下で、宇田川巴は彼と再び待ち合わせていた。スマートフォンを触り連絡を確認していた彼がふと巴の方へ目線を向け、そして驚いたような顔をした。
「……どう、かな?」
「……びっくりした」
「だろ? 実はさ、アタシもこれ……初めて、なんだよな」
そうなんだ、と目を見開いた彼に巴は少しの不満が胸に溜まっているのがわかった。それの元は、上から見えた、彼がひまりや花音、彩に囲まれている姿。
彼のことなら遠目でもわかる自信があった。だから最初に彼を発見できたし、上から見下ろして、腰に手を当てたひまりに詰め寄られる姿を見つけることもできた。巴と仲良くなる過程で幼馴染で、特にいつも一緒にいるひまりと仲良くなることがある種の必然に近いということは、頭ではわかっているけど気持ちがその納得とは真逆の感情を生み出し、巴の心臓を傷めるほどに鼓動させていた。
「巴、その浴衣──」
「──ああ、いい! 何も言わなくて……アタシなんかよりひまりや、先輩たちの方がキレイなのなんてわかってるよ」
「え、巴?」
「かー、しまったなぁ、アタシは甚平の方がよかったか? カッコよくビシっと決めた方が──」
「巴、泣いてるの?」
「──っ」
暗がりで見えなかったが、巴の両目からは大粒の涙が零れて、アスファルトと夜闇の黒に吸い込まれていっているということを、彼は彼女の涙声から気付いた。どうして、と思ったものの、じわりと染みてきた巴の言葉から、それは先程のひまりや花音、彩とのやり取りを見ていたということだということにも、気付いた。気付くことができた。
「あのさ、巴」
「……なんだよ」
「確かに巴のこと、さっきはカッコいいって言ったよ。法被着ていつもみたいに笑う巴はカッコよかった……けど、それはその時の巴なんだよ、今の巴は、少なくとも僕の目には一番キレイでかわいいって思えるよ」
「……あのな」
「ん?」
「少なくとも、ってのはないほうがきゅんとするな」
「あ、そっか」
そう茶化しながらも彼の気持ちに巴はさっきまで痛かったはずの刺すような胸の痛みが、甘く蕩けてしまいそうな締め付けられるような痛みに変わった。初めての感覚に、なんだ、どっちにしろ痛いんじゃんかと内心で苦笑いを浮かべ、なぁ、と彼の横にぴったりと寄り添った。
「コレさ、歩きにくいんだよ」
「うん」
「だから……」
「そうだね……手、繋ごうか」
「あ……」
吸い込まれるように、右手が彼の左手の中へと吸い込まれていく。紺色に波紋のような模様があしらわれた浴衣の胸元と、普段は下ろしっぱなしにしているワインレッドのアップにした結び目を少しだけ気にしながら、巴は歩幅を合わせる彼に連れられていく。
「わたがしでも奢ろうか?」
「ひまりに奢ってたやつか」
「……巴はどこから僕を見てたの?」
「あ、え、あ……た、たまたま! そう、グーゼン見えちゃってさー! いやデレデレしてんのかー、アタシというものがありながらーって思っただけ……で」
「嘘が下手」
「う、うるさいなぁ!」
半眼であからさまについた嘘を即座に看破され、巴は顔を赤らめた。自分はサバサバしている方だと思っていただけに、まさかここまで嫉妬や不満に感情が揺さぶられるとは思ってもなかったという戸惑いもあった。だがそれ以上に、彼があっさりとそんな女々しい自分を受け入れてくれたことに巴は少しだけ疑問を感じた。
「別に、巴以外の女の子に興味ないし」
「……なんでだ? アタシよりかわいい子なんているだろ、ひまりなんてモロかわいいタイプだし、彩さんや花音さんだって」
「僕は、巴が一番だと思うってだけだよ」
「お、お前っ、そんな恥ずかしいことよく……ああもう!」
巴はかわいくてもキレイでもカッコよくても宇田川巴なんだから、そこに対した違いを感じないと真顔で宣言してみせた彼の方が巴にとってはカッコいいと思えて仕方がなかった。いつもは頼りない印象があるくせに、ここぞという時にはこうして巴が眩しいとすら思えるほどのカッコよさで照らしてくれていた。
「調子狂うなぁもう」
「それより、僕としては巴を妬かせたお詫びがしたいよ」
「それじゃあ……アタシはスパーボール掬いがいいな!」
「また子どもっぽいことを言い出すね」
「どっちが一番取れるか勝負しようぜ!」
快活で明瞭な声で、歯を見せて笑う巴に彼はいいよと微笑みを浮かべた。
──そこの店主からは幾ら巴ちゃんとそのカレシだからってそんなにあげられないからね、と怒られるほど、お椀には溢れんばかりのスーパーボールを乗せ、二人で笑いあうのをひまりや幼馴染たちは見かけて、通り過ぎていった。二つだけ多かった巴の分をもらい、畜光することのできるソレを見た巴の妹、あこが喜ぶことになるのだが、それはまた別の話である。