天気が良いってだけで憂鬱になるってのは、きっと寝不足なんだろう。
一向に晴れない気分でそんな事を考えるけど、面白くもなんとも無い。
ガタガタと揺られながら眺める、四角く切り取られた青空はやっぱりくすんで見えた。
俺は
仮面を付けてる筈なのに、それと判る程に。
「……お疲れ様。こっちも終わったし、帰るわよ」
リリスが短く言い、レイニーちゃんは言葉を飲み込んだ。
隣では、メアリーちゃんが俺と同じ歩幅で歩いてくれていて、リリスとレイニーちゃんがそれを挟むように並ぶ。
まるで、俺を守ってくれるように、歩調は俺に合わせて、ゆっくりと。
そんな仲間の気遣いに気付くことは出来たけど、嬉しくもないし、楽しくもなかった。
屋敷に帰り、ウォッカを呷った俺は無言で部屋に戻り、そのまま就寝した。
人間じゃ無い癖に、人並みに眠れる事すら腹立たしかった。
「どーしたコラァ! 辛気臭いツラしやがって! そういう時は呑んどけ!」
朝飯食ってぼーっとしてたら、いつの間にか俺はタイラーくんとジェシカさん、それとリリスにお嬢様と言う
俺は確か、レベッカちゃんの出勤の見送りで付いてきただけの筈なんだが。
「うるせーし
昼前からハイテンションで酒を浴びる妖精さんに負けじと怒鳴り返すが、当然のように俺の話なんざ聞いちゃいない。
人がジメジメと暗く落ち込んでるってのに、なんなんだこの野郎は……!
「アンタは
リリスが妖精さんの反対側で特製
日中からウォッカを飲む気は無いらしい。
……一応言っとくけど、
「おう、なんだか分からんが、グチグチ悩んでても仕方が無いぞ? 塞ぎ込むくらいなら、酒呑んで発散しちまえ!」
悩みなんかなさそうなオッサンに、悩みの解決法を云々されても説得力が無い。
いや、これで実は現役のベテラン冒険者だしクランマスターでもあるグスタフさんだ。
悩みのひとつふたつ無いとは思えないが、言われてみればそんな素振りを見た事はない。
それが、上に立つものの責任って奴なんだろうか。
「で? ウイスキーとか言う火酒はいつ出来るんだ? いや急かす気は無いけどな?」
かぱかぱとウォッカを喉の奥に放り込みながら、明らかに急かしてくるオッサン。
……このオッサンはホントに悩みなんか無いのかも知れない。
「俺に言うなって、
俺が振ると、オッサンの視線がリリスの方へ転がる。
そういやこのオッサン、俺にはやたら絡んでくるくせに、リリスにはなんと言うか、普通の対応だ。
というか、仮面つけてるのに良く見分けが付くもんだ。
あ、飲み食いの最中は外すよ、流石に。
「ウイスキーもブランデーも、目処は立ったけど造るのは領都に顔出して、その
リリスが答えると、オッサンの
そんな全身で判るほど気落ちするなよ鬱陶しい。
……んん? 領都?
「え? リリス、お前さん、モンテリアに行くの?」
理由が有る事は知っている。
例の、
だけど、報告も実演も、ブランドンさんで出来るんじゃないの?
リリス印の「学習」も済んでるんだし。
「誰がセッティングすると思ってるのよ。霊脈に繋げる方法、まだ私達しか知らないでしょ? 領都に行ったら向こうの
なるほど、リリスが居ないとまだ出来ない作業があるのか。
「そっか、うん。あんま無茶すんなよ、頑張れ」
さり気なく他人事風に言って目を逸らす俺の頬を、リリスが力いっぱい抓り上げる。
「ア・ン・タ・も! 行くのよ! なんで自分は動かなくて良いと思ってるのよこの馬鹿ちゃん!」
ふえぇ?
なんか怒られるのは良いとして。
俺は降参の仕草をしたけど解放して貰えないので、已む無く自力でリリスの手から逃れ、頬を擦りながら問う。
「いや、俺が行っても役に立たないでしょうが。何で俺も行くの?」
正直、こうして普通のフリして振る舞うのもキツイのに。
「あのね……。ウチのクランで開発したモノを見せに行くのに、なんでクランの
割と精一杯の抵抗は、リリスの溜息から始まる正論で潰される。
「設計の私と、造ったレイニーちゃんは当然だけど、責任者のアンタが来なきゃ、話が始まらないでしょ」
責任者ぁ?
面食らって周囲を見渡せば、視界の中ではタイラーくんもジェシカさんもご丁寧に腕組みまでして、うんうんと頷いている。
朗らかにエールを楽しんでいるお嬢様の笑顔を通り過ぎて終点のグスタフさんまで、俺と目が合うとしっかりと頷いている。
「そりゃお前、自分トコのメンバーが領主様に何か届けるのに、クランマスターが同行しないのはちょっとなあ」
いつもは陽気なグスタフさんまで、なんか真面目な顔してそんな事を言う。
えー。
「いやぁ、だってウォッカの時は、ブランドンさんが報告してくれたじゃん」
なんとなく無駄だと
そんな風に唇を尖らせる俺の頭を、後ろから誰かが
「阿呆。酒の時はまだ製法が確立してない試作品、って言い訳が立つから、俺が出向いたんだ。実際、大量生産は目処が立ってない状況だったしな」
頭を押さえながら振り向けば、ヒョロノッポのブランドンさんが俺を見下ろしている。
「液体石鹸なんかは現状の技術の派生。銭湯はどっちかと言えば商業ギルドの管轄。だが、あの魔道具は完全に、お前のトコのモンだ。其処に俺が首突っ込んだら、権利を横取りしようとしてる様にしか見えないだろうが」
頭の中に浮かんだ屁理屈じみた逃げ道は、先に全部潰された。
ヤな野郎である。
「まあ、領都に行くなら、ついでだから俺も行くぞ。報告する事も溜まってきたし、
基本の操作を知っているブランドンさんが晴れやかに言う。
今までは簡単な連絡なら領都のギルド経由で出来ては居たらしいが、本当に簡単な連絡だけだし、間にギルドが挟まるので連絡にはどうしても手間が掛かっていたのだとか。
「間に誰か挟まるのは
あの領主様だったら、自分用のPC欲しがりそうだな、なんて思いながらも、一応事務職みたいな人が間に挟まるだろうと仮定して文句を言う。
「あの『妙なモノ』
形の上では、な。
俺の文句を潰す言葉は、俺も思ったことだった。
それだけに、ぐうの音も出ない。
それに、まあ、酷く不純な動機だが、俺の気分転換には、なるかも知れない。
そう思うけど素直に返事できない辺り、流石は俺だ。
「あー、もう、判ったよ。俺の負けだ負け。んでリリスさんよ、出向くのは良いけど、準備は出来てるのかい」
ジョッキしか無いから、それを退かすだけで妙な被害を出さずに済むのは計算済みだ。
「そうだな、そっちの準備が出来次第出たいから、聞いときたいな」
俺の言葉尻に乗って、ブランドンさんがリリスに視線を向ける。
当のリリスは、考え込むように唇に指を添えると天井を見上げる。
「んー、一応こっちと同じモデルが4台、これはもう用意出来てて、領主様向けにちょっと豪華に仕上げた1台を用意しなきゃだから……」
視線を転がしたけど、此処にはレイニーちゃんは居ない。
そんな事も忘れるくらい酔ってたのか、それともまだ駄目なのか、俺は。
「ついでにお土産も用意したいし……。そうね、2日貰えるかしら? そうしたら、グスタフさん、明日少し時間貰えるかしら?」
考え込んでいたリリスは何かを思いついたように顔を綻ばせると、その顔をこちら、というかグスタフさんに向ける。
向けられてすぐは何の事か判らないと言う顔のグスタフおじだったが、「お土産」と言う単語と自分が呼ばれていると言う事から何かを察したらしい。
「おう。明日は1日空けとくぜ!」
だが、リリスの一言から何事かを察したのは酒樽の妖精だけではなかったらしい。
「おい。それは重要な案件だな。俺も立ち会わなければならんだろう、領主様にお届けするモノだからな」
「ふむ。そうなると、俺も本気を出すべきか。リリス、イリス。俺も立ち会うぞ」
バカ二人が実に真面目くさった顔で何か言っている。
お前らは単に呑みたいだけだろうが。
ウチのメガネは兎も角、仕事しろギルマス。
ハンスさんにチクるぞ。
まあ、要するにリリスが思いついた土産ってのは酒なんだろう。
ウイスキーの醸造を早めるのか、それともブランデーなのかは判らんけど。
「良かったなあリリス、
こんだけ引き連れて
そんな事を考えてしまった俺は、自分がその「馬鹿な」奴らを文字通り殲滅した事を思い出してしまい、誰にも見えないように唇を噛んだ。
晴天続き。
気持ちは思ったほど晴れない。
朝っぱらから、憂さ晴らしのように棒振り剣術もどきに汗を流し、苛立ちを募らせて帰宅。
ひとっ風呂浴びて、さてどうしたもんかと半裸で
そしてリリスとメアリお嬢様に攫われるように冒険者ギルドへ行き、そして。
「これこそ、俺がいる意味無いだろうが……」
酒造所で、村長のカイくんの輝く笑顔に迎えられ、なんだか居心地の悪さを味わいながら小声で毒づく。
「それ言ったら、此処に居る半数は居る意味無いでしょうが」
やはり小声で、楽しそうにリリスが返してくる。
「ホントだよ……リリスとグスタフのオッサンとが居れば十分じゃねぇか。……なんだこの
呆れ声を押し殺しもせず、俺は見回す。
ウチことノスタルジアからは俺、リリス、タイラーくんとジェシカさん、レベッカちゃんと、そしてお嬢様。
……普通にウチの
今度真剣に勧誘してみよう。
そして、ご意見番のグスタフさんと、冒険者ギルドからブランドンさんとハンスさん。
お前ら、トップとナンバー2が冒険者ギルドを空けてどうすんだ、仕事しろ。
本日のカクテル用の
……あいつも実は呑兵衛だったか。
油断出来んな。
子供たちは今日はヘレネちゃんを連れて薬草採りに。
ヘレネちゃんも良い息抜きになればと思ったけど、子供たちに取られてしまった。
残念。
「大きいテーブルを用意していて良かったです。ところでリリスさん、言われた通り各2樽用意しましたが、熟成どころの時間じゃないですが……大丈夫なんですか?」
会議室っぽい部屋に通されながら、カイくんがリリスに声を掛けている。
「ああ、うん、時間は魔法でなんとかね。まだ魔道具に落とし込めてないから、流通には乗せられないけど……まあ、こんなのが出来る予定ですよ、って言うデモンストレーションだから」
流通に乗せられない、って所でがっかり顔を隠せないカイくん。
酒好きばっかりか、この近辺は。
ゴブリンなのに
いや、酒好きでも常識人なんて腐るほど居るからな! 悲観するには早い!
そんな事を思った俺の視界に溢れる酒好き駄目人間ども。
一瞬で希望が粉砕された、そんな気分になってしまう。
新たな悲劇に落ち込む俺を含む一同の前に、大男の腕で一抱えもあるような樽が4つ、運び込まれてくる。
想像してたよりだいぶ小さな樽だけど、実際はこんなモンなんだろうか?
しかし、幾ら小ぶりとは言え樽は樽。
流石にテーブル上には乗せられず、専用に作られたであろう木製の台に数人がかりで乗せられていく。
樽のフタ部分……今は横倒しになっているので完全にこっちを向いているそこには、見慣れた気のする栓が設えてある。
あれだろ? 捻ると酒が出てくる蛇口だよな?
蛇口じゃない? 似たようなモンだろ、うん。
興味本位で伸ばした俺の手は、リリスに力いっぱい叩き落される。
「
手の甲を押さえて悶絶する俺を厳かに無視して、一同はそれぞれ席に着く。
一部同情の眼差しを感じるのは、多分あれだ、興味は惹かれたけど俺の有様を見て手を出すのを踏みとどまった数名だろう。
同情に免じて、名前は伏せといてやるよ、ギルマスと妖精さん。
そして逸る約3名(ギルマスと妖精とメガネ)を前に、リリスが滔々と酒の説明をしたり……あれ、わざと焦らしてるだろ。
何故か俺まで手伝って時間進行の魔法を樽に掛ける羽目に陥ったり。
まさかリリスさん、俺にも酒造りさせるために時間魔法覚えさせたんじゃなかろうな?
……どう考えてもそれ以外の理由が無いな。
そして急造とは言え、10年程度の熟成度のウイスキーとブランデーが完成した訳で。
酒飲みどもは待望の、かも知れないが。
本来は10年は待たなきゃこれと同じようなのは出来ないんだってこと、絶対に忘れんじゃ無いぞ?
最低でも3年だっけ?
「ホントはこの2樽、ブレンドと言うか、混ぜて分けて、味を均一化したいんだけどね」
ウイスキーの樽に手を添えながらポツリと呟かれた一言が気になって、俺が目で問いかけると、リリスは腕組みして答える。
「樽ごとに味が違うのよ。だから、熟成が済んだ樽は、ブレンドして味を均一化させるの」
俺は知らなかった事実に、へぇと素直に感心する。
元が同じ様なものなら、同じ様な味になるモンだと勝手に思い込んで居たのだ。
まあ、敢えてブレンドしない方法も有るとかで、だったらそれで良いじゃんという俺と待ちきれない酒飲みメンズ、一部女性。
基本凝り性のリリスは何とも言えない顔で溜息を吐き散らすと、軽く首を振って肩を竦める。
東洋人顔だけど整っているお陰か、妙に様になるな。
小娘だけど。
そんな感想を浮かべる俺を置き去りに、飲み比べしようと浮かれるグスタフおじ他数名と、片方は領主様へのお土産だと怒るリリス。
ふと疑問に思って、ブランデーも同じなのかと問えば、もっと複雑だと目眩のするような返答が返ってきた。
「まあ、試作品って事で許して貰いましょう」
まあ、それでも10年熟成ともなればそこそこの等級に匹敵するらしいのだが、細かいことは判らない。
「そこそこって事は、あれか? X.O.とか?」
俺がにわか知識でそれっぽいこと言ってみたが、返ってきたのは非常に冷ややかな目だ。
「幾ら何でもそんなレベルには届かないわよ。ブレンドするとは言え、凡そ20年以上の
にわかで知ったかぶると恥をかく、いい例になってしまった。
「ちゃんとブレンドまでして造った訳じゃないから断言出来ないけど、良いとこV.S.O.P.かしら」
俺に説明していたその言葉を、いつの間にか全員が固唾を飲んで聞いている。
「おい、リリス。そんじゃあ、そのブレンドとやらをすれば、もっと味が良くなるのか?」
同じ事を思った俺だったが、グスタフさんが言語化してくれたお陰で俺はそれを口にする事はなく、他人から発せられたお陰というべきか、思い至る事が出来た。
「ブレンドの目的は味を良くする、って言うのとは違うのよ」
味が良いかどうかは個人差なのでどうしようもない。
だが。
「ウイスキーもだけど、さっきも言った通り、樽ごとに熟成具合にばらつきが有るから混ぜることで均一化する、って感じね。ホントは基準になる味があって、それに近づけるために同じ年の樽どころか、年数の違う樽と混ぜて整えるんだけど」
リリスが切った言葉の続きは、各々が思い至った筈だ。
まず基準となる味が無いし、ブレンドするにも魔法で熟成させた2樽だけ。
「まあ、試作だし、これを基準として呑んでみて、次はこれと似たのを造るのか、もっと変えて行くのか、その辺を決めていけば良いんじゃないかしら」
全員が注視していることに気付いたリリスは顔を上げると、にっこりと微笑んだ。
この顔は、人を突き落とす時のやつだ。
「どうせ、本格的にやるには最低でも5年は見積もりたい所だし」
どうせリリスの事だから、時間魔法を局所的に使用できるような魔道具を考えているんだろうけど、そんな事は少しも表情に出さない。
まあ、まだ構想すら出来てるか怪しいし、そんなもん軽々しく言えないのは判る。
単に驚かせたいだけな気もするけど。
そんな事を思ってる間に、全員にグラスが配られている。
どうにも思考が重いのは、きっと酒気の所為だと自分に言い聞かせる。
グラスに注ぎながら軽口を叩きあったり、流石に今回は咽なかったタイラーくんを見て舌打ちしたり、
馬鹿話に乗って笑い飛ばしてみたりしてみても、気分は晴れないし、窓から覗く空はやっぱりくすんで見えた。
お土産にPC……これ、パソコンって呼んで良いもんだろうか? パーソナルなのは良いとして、これはコンピュータ……では有るのか?
パーソナルじゃないコンピュータってのはどんなだ? って聞かれたら返答に困る。
なにせこの世界には今の所存在しないからなぁ。
そもそも、現代で普及してるPCなんて、一昔前の同じ名前の製品と比べたら個人向けの性能を超えてるんだよな。
リリスはモバイル端末も考えているようで、そんなのまで繰り出したら何処からがパーソナルなのか、ちゃんと説明できる自信がない。
「そんなの簡単よ」
俺が悩んでいることを打ち明けると、リリスは鼻で笑った。
「霊脈接続型演算装置、これをコンピュータと称します、で良いじゃない」
ははあ、元は日本語訳したら電子計算機になるんだっけか。
結局計算で全てを行う電子機械で、この世界でも基本は変わらない。
電力の供給も霊脈を通じて行うので、じゃあ霊子計算機なのかと言えばそれも違う。
正確には霊力というか魔力と言うか、霊脈から頂いたエネルギーを電力に変換して動作させているだけだ。
だから、霊脈
苦しい言い訳に聞こえるけど、それは置くとして。
「パーソナルの部分はどうする? いっそ省く?」
どうせこの世界に無かったモノなのだから、いっそ「これがコンピュータです」で良いような気もするんだけど。
「いいえ? 個人で使用する為に設計されたものなので、パーソナルコンピューター、頭文字を取ってPCと言います、で良いじゃない」
この説明には、成程と思ってしまった。
まあ、丸め込まれてるとは思わなくもないけども。
俺は溜息を
上等な馬車を用意してくれたらしく、思いの外クッションの効いたソファはありがたい。
リクライニングは無いし、そもそもの路面のガタツキは結構有るけど、思った程ではない。
リリス曰く、それなりにサスペンション機構を備えているらしい。
荷車にはそんなもの無いから、PC保護の目的で出発前に何やら魔法を掛けていた。
いつ覚えたの、そんな魔法。
客車は2台、2頭立てでのんびりと走る。
体感で20キロ出てるかどうか、って感じだが、急ぐ理由も薄いし馬にへばられても困る。
何が困るって、そうなったら俺に客車を引かせそうな身内が目の前にいるからだ。
こちらの客車は俺とリリスの2人だけだ。
もう一台にはブランドンさんとレイニーちゃん。
それに、荷車含むそれぞれに御者が1名づつ。
都合7名の旅路である。
「ウォルターくんが張り切ってたわね。7人分の、6日プラスアルファの食事を作るって。子供達も楽しそうに手伝っていたし」
自分の事のように楽しげに、リリスが声を弾ませる。
アルバレインとモンテリアとを結ぶ街道は基本的には一本で、リリスは以前もこの道を馬車に揺られて居たのだが。
単に方向が逆だからなのか、それとも街を離れて旅をするのが楽しいのか、何にせよ無邪気で可愛らしいものだ。
「ホントはお嬢様も連れて来たかったな。あの子こそ、たまには街を離れてみるのも良い気分転換になっただろうに」
自分の屋敷――アルバレインの
通常なら過剰戦力だと思うのだが、なにしろ面倒臭い事にキナ臭いどころじゃないレベルで真っ黒な貴族サマがまだ街に居座っているのだ。
貴族って言うくらいだから自分とこの領地なり何なり有るんだろうから逃げ帰れば良いものを。
まあ、俺があの街に居着く前から居たらしいし、何かしらトラブルが合った所でプライドが有るから簡単に逃げ出す訳にも行かないとか、そんな事情も有るだろう。
あの冒険者崩れどもにしても、知らぬ存ぜぬで通して終わらせるだろうし。
子飼いは、あの馬鹿どもだけじゃ無いだろうしな。
まあ、そんな訳で何かしら嫌がらせも有るだろうから残る、と言う事なのだ。
それこそ、銭湯の方にも何やらちょっかい出してるって話も有るらしいしな。
商業ギルドのアランさんからこっそり教えて貰った話だけど。
「まあ、臭いモノがまだ街に残ってるし、ウチの
リリスの声に、お嬢様の……不死姫の笑顔が重なる。
……何事も無ければ、それが一番良いんだけど。
「なあ、リリス」
俺は車窓からくすんだ空を見上げ、ぼんやりと口を開く。
「俺は、人を殺しちまった」
返事には
どうせ無視か、キツイ言葉しか返ってこないだろう。
「気にしなくて良いわよ」
だから、その柔らかい言葉を脳が受け付けるのに時間が掛かった。
「此処は
俺はぽかんとした目を、リリスに向ける。
「でもね? 貴方はキチンと覚悟を示してくれたわ。だからもう良いの。貴方がそれを望まないことは私も知っているし」
見たこと無いほど、儚げで、触れれば壊れそうなリリスが其処に居た。
傷つくことは判っていた。
なのに、ほんの些細な疑念から、試すような真似をしてしまった。
リリスはまっすぐに、イリスを――イリスの中にある「井原賢介」の魂を見詰める。
イリスは
イリスが余りにも当たり前に自分を受け入れる様子に、初めこそ喜びを感じていたが、時間が経つにつれ。
周囲に溶け込み、街の風景の中に少しずつ溶けるように馴染んでいく様子を眺めるにつれ。
仲間が増える度、イリスの笑顔は咲いた。
だが、自分に向く笑顔が減った様な気がして寂しく、そして焦れた。
――私の、私だけのもの。
浅ましいと自覚しつつ、リリスは歯噛みした。
イリスは優しい。
頼めば、大抵の事はしてくれるだろう。
それが度を超えた時、それでもイリス――賢介はリリスを許すだろうか?
思えば浅はかな、幼児のような嫉妬心から発生した悪戯。
盗賊達を殺した時も、イリスは困りはしたものの、怒りはしなかった。
「お前がやったことは、俺がしたも同然だ」と、受け入れてくれた。
周囲に吹聴するどころか、頼りにしている筈のタイラーにも一言の相談もしなかった。
映像転写を何度しても、嫌がりはするが結局一度も拒否はしなかった。
挙げ句、魔法の転写の際には失敗し、一度は肉体とのつながりを失ったというのに、不満は言っても本気で怒りはしなかった。
それなのに、それほど受け入れられているというのに、疑念は晴れなかった。
だから。
一度も、ハッキリと口にはしなかった筈だ。
それが、「彼」にとって最大の禁忌と知っていたから。
だけれども、言外にそれを促した。
クランの為だと。
仲間に迫る危険を遠ざける為だと。
――もしかして私は、「彼」に嫌われたかったのだろうか?
だが「彼」は受け入れて、頷いて。
リリスの意志通りに、その手を血に染めた。
些細な疑念だった。
その筈だったのに、それを抑える事が出来ず、のみならず
結果、「彼」は蹲り、立ち上がることが出来なくなってしまった。
――私の所為だ。
暗く淀んだ瞳で微笑む「彼」の
取り返しのつかない事をした。
仲間達はきっと、リリスを許さないだろう。
だけど。
暗い瞳になってしまったけれど、それでも。
それでも、「彼」は私を怒りもしないし、責めもしなかった。
私の手だけを汚れさせる訳には行かない。
そう言ってくれた事を覚えている。
それだけで、十分だったのに。
――強欲な私は、「彼」の行動を欲してしまった。
結果なんて、判っていたのに。
「貴方は私に応えてくれた。もう大丈夫。貴方は、もう傷つかなくて良いの」
リリスが、泣いている。
身を乗り出し、まっすぐに俺を見て。
懸命に
馬車が揺れた。
バランスを崩したリリスを抱きとめる。
「バァカ。それでお前が泣いてたら意味無いだろうが」
やっと、俺は自分がどれほどリリスに心配掛けていたかに思い至る。
悪戯好きで自分本位だけど、俺を含めて、仲間達が出来て。
リリスなりに、守りたい気持ちが湧くのも判る。
そして、その中に俺が含まれている事に、俺は気が付いていなかった。
なまじ力が有るばかりに、リリスと並んで歩いているとは言え、俺の心は俺が思う以上に弱いというのに。
「
リリスを胸に抱えたまま、もう一度車窓から空を見上げる。
罪悪感からは暫く抜け出せそうに無い。
手を汚した血は、どれくらい洗えば落ちてくれるだろうか?
だけど、いつまでも愚図愚図しても居られない。
俺が俯いていたら、リリスが泣いちまう。
「俺は、何処までもお前と一緒だ。心配すんな」
罪も汚名も、傷も痛みも、何でも幾らでも呑み込んでやる。
リリスの頭に手を載せ、ゆっくりと撫でる。
「そうじゃないのよ……この馬鹿ぁ」
リリスの手が小さく、俺の胸を叩く。
ささやかな、痛みとも言えないような。
これを、俺は忘れないでいよう。
きっとこの先、俺がいよいよ人間で在る事を辞めても。
リリスが居れば、何処ででも、どうとでもやっていける。
ガタガタと揺られながら眺める、四角く切り取られたくすんだ空が、やけに眩しくて目が痛かった。
手を汚しても、共に歩く。