遠き暁   作:Bingo777

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第一話 それまで①

 暦の上で立秋を過ぎても、夏は続いていた。

 湿気が肌にまとわりつく東京の残暑に比べると、北海道の北西に位置する積丹(しゃこたん)半島は日中こそ暑いが風は乾いていて過ごしやすく、朝晩は肌寒いほどだった。

 

 半島の海と陸の輪郭をなぞるように伸びる国道は、しばしば連続するトンネルと丘陵を駆け踊るワインディングロードが続く。仕事ではなくプライベートで、味気ないレンタカーのセダンではなくオープンカーで走れたなら、きっと良い思い出となるに違いなかった。

 

 地元で『積丹ブルー』と呼ばれる深く澄んだ海の青が冷えているのは、早朝であるばかりではないだろう。沖縄のような熱帯の青ではなく、もっと濃い青だ。海の色とは、もしかしたら空のそれと相関があるのだろうか。山岳写真家がヒマラヤ山頂付近で撮った画の空とはまた違う青さだが、故郷の空とも東京のそれとも違う。

 

 そんなことを考えながら長いトンネルを抜けると——息をのむ輝きを見せる海が視界に飛び込んできた。

 

「ぼちぼち島武意しまむいだろ。寄り道して少し撮って行くぞ」

 

 そこに助手席から、ぼそりと退屈そうな声がした。シートの背もたれを倒して寝ていたとばかり思っていたコウさんは、とうに定年を迎えた齢だが再雇用で働き続けている。つまるところ、仕事が好きで楽しくて仕方ないのだろう。

 

 仕事というものは、長く続けていると『生き方』になる。

 それを喜ぶべきか嘆くべきかは分からないが、報道カメラマンという仕事に限っては後者なのかもしれない。

 

 俺たちは台風で濁流が渦巻く川でも、正視に堪えない悲惨な事故現場でも、噴煙を上げる火口でも、カメラのファインダーを挟んでしまえば、それらを画として捉えてしまう。レンズを通して眺める全てに対して、無意識に画の出来栄えを計算する生き物だ。

 

「いまから撮れ高の心配っすか? 例のネタは政治部の同期から聞き出した社長賞モンですから、心配いりませんよ」

 

「保険ってのは掛けとくもんだ。どうせ撮影したって、データは荷物にもならねえ。文化部の連中に回して経費の足しにするのも悪かねえだろ。おい、火ィ貸せ」

 

「出張予定に計上してない後だし経費の申請は、総務から止めろって言われてますけどね。あと、このクルマ禁煙です。」

 

「……なんで禁煙車なんか借りたんだよ」

 

「今のご時世、喫煙可のレンタカーは軽トラしかないんスよ。俺だって我慢してんです」

 

「世知辛れェな、まったく。昔は良かったぜ」

 

「その点だけは同意っすね」

 

◇ ◇ ◇

 

 最寄りの駐車場にクルマを停め、二時間ぶりの煙草を堪能した。

 スマートフォンで社内メールを確認しつつ、島武意(しまむい)について軽く予備知識を仕入れながら周囲を見回すと数台のキャンピングカーと、ピンク色の地元ナンバープレートのバイク、そして俺たちのレンタカー以外は誰もいなかった。

 

「退職金がもっと多けりゃ、ああいうので旅暮らしってのも悪くないかもな……おい、いま何時だ?」

 

「五時ちょい過ぎっすね。光源的に、ぼちぼち良い頃合いかと」

 

「だな。何て言ったっけ? あの、オモチャのヘリコプター」

 

「ドローンっすか?」

 

「それだそれ、そのドロンも試しに使って見せろ。先、行ってるぞ」

 

「無理言って借りてきたんですから、三機全部はナシですよ……って、大荷物なんスから少しは持ってくださいよ!?」

 

「年寄りにゃデリケートな精密機械は荷が重いんだ。ほれ、光源変わっちまうだろ。さっさとしろ」

 

 都合の良い時ばかり年寄りぶるコウさんはカメラマンとして大先輩であり、俺の師でもある。賞と名がつくものには縁がないが報道業界では顔も広い。偏屈で口が悪く、人付き合いも悪いせいか還暦を過ぎても未婚だった。

 

「おい、なにグズグスしてやがんだ!」

 

「いま行きますよ!」

 

◇ ◇ ◇

 

 島武意(しまむい)海岸は急峻な斜面と、岩肌が剥き出しになった崖に囲まれた入江だ。船以外の方法で入るには、明治時代に手掘りで通したという細いトンネルを抜ける以外にない。現在は鉄製の波板とコンクリートで補強されているが、その下には手作業で岩を削った跡が遺されているのだろう。江戸後期に始まって明治期にピークを迎えたニシン漁は、こんな辺鄙な場所にも巨富をもたらしたらしい。

 

 幅が二メートルのトンネルは照明がなかった。出口から差し込む陽光だけが頼りの道行は七十メートルほどだが、やけに長く感じるのは両肩に食い込む大荷物のせいだけではない。足元は微妙に傾斜し、壁から染み出る水のせいで湿った空気には息苦しさを感じた。

 

 無事にトンネルを出られたことに安堵のため息をつき、頬に触れる風を感じて顔を上げると——スマートフォンの画面で見たものと寸分違わないが、それ以上の景色が広がっていた。




本作はラヴクラフト作品の傑作「インスマウスを覆う影」のオマージュとして、
また
TRPGの「クトゥルフの呼び声」をご存知の方にはシナリオの導入部として
ご利用いただける仕立てにしております。
間を置かずに投稿いたしますので、お楽しみいただければ幸いです。
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