遠き暁   作:Bingo777

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第二話 それまで②

 入り江を巡る風がかすかに潮香を運び、広がるのは澄み渡る海。波打ち際から離れ、深くなるにつれて色濃くなっていく繊細な青の階調は朝日に照らされ、目をとらえて離さない。

 

「おい! ボサーっとしてねえで機材持って海岸降りろよお前!」

 

「コウさんは上の展望台から撮るんですかー!?」

 

「こういう遠景は広角レンズで撮りてぇだろ!? ドロンにゃ出せねえ味ってやつだ!」

 

 トンネルの出口から右手に進むと展望台があり、左に進むと海岸まで降りられる階段があった。遠景は年寄りに任せ、三十路を過ぎても職場では若手に分類されてしまう俺は海岸へ降りることにした。

 

 海岸に降りる階段は丸太で土留めされているだけで、段の高さもあいまって相当な苦労を強いるものだった。バリアフリーという概念の意義を痛感したが、降りるほどに磯の匂いも強くなって、最後は子供のように駆け出してしまった。

 

 波打ち際に辿り着くと、白い砂浜かと思っていたのは波に洗われた小さな丸石だった。若干当てが外れた気持ちで石の擦れる硬質な音を聞きながら荷物を降ろし、両手の親指と人差し指で作ったフレームで風景を切り取って、画を考える。

 

 撮影したものは素材にすぎない。最新のデジタル編集で、いくらでもトリミング可能だ。だから、撮影はおおよそでも構わない。見せたいものが映っていれば用は足りる。今の技術なら、何もない空に鳥を飛ばすことくらい造作もない。なあ君、現場に行く意味は、今や限りなく無価値に近づいているんだぜ。

 

 脳裏に浮かぶのは自称・映像職人の同僚の言葉だった。

 薄暗い編集ブースに籠ってモニタの青白い光を浴びてばかりいる、いけ好かない奴だ。現場が無価値であるものか。

 

 報道とは、その場所に立ち会うことに価値と意味がある。真実は人の数だけ存在するが、事実はひとつきりだ。来て、見て、撮る。カメラマンが存在する理由はそれで十分で、それ以上は余計だ。撮ったものに誰がどう価値をつけるのかは、俺の仕事ではない。撮ったものに対する責任を負う必要がないのと同じように。

 

 両手の指で作ったフレームで景色を覗き込むのは、俺が現実世界に対して無責任な状態になるという、心理的なスイッチを切り替える意味もある。その最中、不意に視線を感じてフレームを水平ではなく斜め上に滑らせると——城のような高さ二メートルほどの石垣。そして、その上に腰かけている少女の姿があった。

 

 見た感じは高校生だろうか。体格に合っていない、黒革のごついライダースジャケットの内側に白いタンクトップ。細身のデニムの足元は安物のスニーカーという格好だ。栗色の髪はざっくりしたショートカット。将来性を感じさせるのに、やけに子供っぽく見えるのは、恐らく大きな目に隠そうともしない好奇心を湛えているせいだろう。

 

「お兄さん、お仕事で来てんの? なんか、プロみたいな機材ケースだね」

 

「ああ……まあ、仕事だし、プロっちゃプロ、かな」

 

 彼女の第一印象は俺を『おじさん』と言わなかった事で非常に良いものだった。正直に言えば、嬉しかった。

 

 だが。

 

「今の時間がね、一番きれいなんだよ。誰かから聞いたの? 上にいる人?」

 

「テレビの人? それとも雑誌とか新聞の人? いつ出るの?」

 

「どっから来たの? やっぱり東京? 向こうは暑いの? それは何?」

 

 などと質問攻めにされるのには閉口した。人懐っこいと言えば美点だが、馴れ馴れしいと言えば欠点だ。第一、年頃の娘は見ず知らずの中年を警戒するものと相場が決まっている。

 

 それなのに、この娘ときたら俺が三脚にカメラを設置したりタブレット端末と撮影ドローンを無線接続する作業をしている間、今時の子なら大して珍しくもないだろうに興味津々といった風で手元を覗き込んできた。

 

 飛行ルートを設定されたドローンが静かなモーター音と共に飛び上がる様に『ひゃわあ』と奇声を上げ、挙句に搭載カメラの映像をタブレットで受信する段になると何度も俺の肩を叩きながら耳元で見せろと大騒ぎだ。

 

「見たい! あのラジコンってカメラついてるの!? ねえ、見せてよ!!」

 

「ちょ、おい! 落っことして液晶割れたら怒られちまう、見せるから叩かないでくれ!」

 

「あっ……ごめんなさい、つい」

 

「いいよ。ほら、画面には触らないでね」

 

 タブレットを手渡すと、彼女は表示されている映像と飛行するドローンを交互に見ながら瞳を輝かせていた。

 

「なんだか、あたしが飛んでるみたい……バイクよりフワっとしてるね!」

 

「ああ、駐車場にあったバイクは君のか?」

 

「うん。昔のやつらしいけど、速いよ」

 

「ピンク色のナンバーなんて初めて見たよ。あれは何ccなんだい?」

 

「125ccだけど、聞いて分かるの?」

 

「いや、正直何が125ccなのかも知らないくらいだ」

 

「実はあたしも良く知らないんだよね!」

 

 ドローンは周囲をゆっくり回る五分ほどのルートを設定してあったので、その間に彼女からいくつか話を聞いた。名前は深緒(みお)で、近隣の学校に通っているという。バス通学ではなく、そのバイクで通学しているそうだ。

 

「バイク通学ねぇ……三無い運動の時代は遠く過ぎにけり、か」

 

「それ知ってる。バイク乗ると暴走族になるからダメってやつでしょ?」

 

「よく知ってるなあ。それだよ」

 

「うちの爺ちゃんが同じこと言ってたもん……あ、やば。そろそろ家に戻ってお弁当作らないとチコクしちゃう!」

 

「自分で作ってるのか?」

 

「うん。ウチ、お母さん居ないから。もうそろそろ父さんが帰ってくる頃だし、行くね。ラジコンありがと!」

 

 翌日の筋肉痛を確信できる階段を軽々と上って行く彼女の後姿に自分の年齢を感じ、その次に自分たちの朝食を買えそうな店の有無を尋ねるべきだったと後悔した。

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