遠き暁   作:Bingo777

4 / 8
第四話 それから②

 今回の出張は往復も含めて四日を予定していた。場所も場所なので宿にはまったく期待せず、車中泊も視野に入れて準備していたが、豊網(とよあみ)村にも宿と呼べそうなものが一軒だけ存在していた。

 

 もっとも、古ぼけた板壁の家で部屋だけ貸すという民宿もどきだ。それでも、腰を落ち着けられるのは有難い。部屋の防音など考慮されていないので、あまり大声で取材内容を語ることはできないが。

 

「お客さん、なァんにもない所ですけど、こっちに越してくるんですかァ? そりゃあまた……はぁ、写真と油絵ですか。ええ、ここいら景色だけなら悪かないですねェ。ニシン岩ですかァ? ちょうど窓から見えますよォ。ほら、あの魚の頭みたいにシュっと尖がってるでしょう?」

 

 片手にポット、反対側に急須と湯呑に饅頭を載せた盆を持って来た女将の老婆は会話に飢えていたようで、コウさんの言葉を疑いもせずあれこれと語ってくれた。

 

「そうそう、漁協で預金口座を作るときに伺ったんですが、明日は餅まきがあるそうで。私の故郷だと丸餅ですが、こちらは何の餅なんですか?」

 

「こっちも丸餅だねぇ。アンコ入ってるから美味しいよォ」

 

「それは楽しみですねえ。ところで、その『ゐどら様』のお祭りはお参りできるんですか?」

 

 彼の口から『ゐどら様』という言葉が出た途端、柔和な笑みを湛えていた老婆の顔から表情が消えた。弛んだ瞼を持ち上げ、白く濁った目で俺たちを睨みつけると無言のまま部屋を出て——戸口で立ち止まり、ぼそりと言った。

 

「余所もんが首ィ突っ込む話でねェ。明日の餅だけにするが、あんたらのためだァ」

 

◇ ◇ ◇

 

 老婆の言葉には拒絶というより、警告の響きがあった。だが、明治大正の頃ならともかく令和の日本において、信徒や地縁・血縁が無い者を拒むような宗教行事は極めて稀だ。何より、今夜の祭事はこの地域の権力者である豊網氏の姿を抑えられるチャンスだ。

 

 茶請けの饅頭をすっかり温くなった茶で流し込んで、湯呑を座卓に戻した俺は言った。

 

「聞くまでもないことですが」

 

「当たり前だ。ババアの験担ぎで仕事放り出せるかよ」

 

 さすがは親父殿、と軽口を挟もうとしたが——コウさんは目をすがめてニシン岩を眺め、独り言のような小声だが『そんなもん、偶然に決まってる』と吐き捨てた。

 

 何が偶然なのかは、触れてはいけないように思えて聞けなかった。

 やけに長く感じた数瞬の沈黙があって、彼はこちらに視線を戻すといつもの悪人顔で「おい、ちょっとこれ調べろ」と、ひどく読みづらいメモを寄越した。

 

「なんですかこれ、読めないスよ」

 

「チッ、今の連中はレコーダ頼みで速記も知らねえのかよ」

 

「ソッキ? 漁協の人が言ってたやつですか」

 

「違げぇよ。まあ、それも調べたいが他にもある。書き直してやるから、インターネットで調べられるんだろ?」

 

 高性能で手軽なボイスレコーダが普及する以前、記者は取材相手が話した内容を一言一句漏らさず手書きでメモを取る必要があった。そのために考案されたものが速記という技術らしい。コウさんはポケットの中に、ちびた鉛筆と紙を忍ばせて会話しながら気になった単語を書きつけていたようだ。

 

「こんなのはお前、嗜みってやつだ。俺らの世代じゃ隠し芸にもならねえよ……で、どうだ。何か分かったか」

 

 メモに書かれていた内容をノートPCで検索した結果は、こうだ。

 

・豊網の先代当主について

・豊網村の歴史について

 

 信じ難いことに、ネット検索で一切ヒットしなかった。かつて地方自治体として存在し、現在も少数とはいえ住民が生活している場所について、何ひとつ情報が出てこない。思えば、このネタを同僚から教えられた際に手渡された資料の地図にも——豊網の名は手書きで加えられていた。

 

 普段気付かないが、検索サイトの結果表示には規制がある。事実、隣国ではそれが横行している。それなのに、どうして自分たちの利用する検索は自由だと信じられるのか。

 

「ま、思った通りか。出張前に俺もやってみたけど、なんせホレ、キーボードが慣れなくてなあ……間違った方法で調べてんじゃねえかとも思ったけどよ。おい、ババアの耳が遠いかどうかも分かんねえだろ。騒ぐなよ」

 

「でも、これは……どうして、どうやって」

 

「俺に聞くな。それを調べんのが仕事だろ」

 

・ソッキ(アイヌ語か?)について

 

 これはヒットした。『ソッキ』とはアイヌの言葉で『寝床』を意味する単語だ。しかし、これに『人』を意味する『アイヌ』を足すと別の意味になる。

 

「アイヌソッキ……人魚によく似た生物……か」

 

「大学で少しだけ民俗学を齧りましたけど、八百比丘尼やおぴくに伝承に近似したものが北海道にまであるとは思いませんでした。肉を食えば長寿って、そのまんまですよ」

 

「へへへ。思いがけず学術的な取材にもなってきたな。長寿と豊漁のソッキ様か。カルト染みてきたじゃねえか。こいつは、何がどうでも見たくなってきたな」

 

「ええ。パパラッチみたいな覗き仕事は主義じゃありませんが、ここは四の五の言ってられませんよ」

 

「だが、どうやって船を手配するか……協力してくれそうな宛てもねえ」

 

 白いものが混じった無精ひげの顎をじょり、と擦って唸る親父殿だが、ここは仮の息子として良いところを見せたい気持ちになった。

 

「問題ないスよ。ドローンの設定変えて、到達距離を伸ばせますから。たまには今時の連中ってのも役に立つとこ見せますよ、親父殿」

 

「ケッ、だったら見せてもらおうじゃねえか。口だけだったら承知しねえぞ」

 

「たぶん、三機のうち一つか二つは水没して回収できないでしょうけどね。一緒に怒られてください」

 

「へへっ、撮れ高次第だな……おい、冗談だから捨て犬みてえな顔すんなよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。