お兄ちゃん、いつもありがと。
いつも、ぶっきらぼうなことしかしてなくて、ごめんね。
本当は、お礼を言いたいんだけど、恥ずかしくて言えないんだ。
あの日、あの大人のいっぱいいる中で、啖呵切って、連れ出してくれたお兄ちゃんの背中は、とても大きくて、優しくみえました。
お兄ちゃん。いつか、貴方の隣に私が立てたら……いいな。
その日は弦太朗が家にいる以外は何も変わらない日常だった。いつものように、起き抜けから元気なひなが牛乳を飲んでいた。そして、空が低血圧でフラフラしながら、居間にやって来る。
「おう。空。飯出来てるから、早く食っちまえよ」
「………うん。ありがと。お兄ちゃん」
半ば意識はぼーっとしていたが、好きな兄の手前、見っともない姿を見せるわけにはいかないと、空は何とかそう受け答えをする。すると、心配そうな表情をした弦太朗が、空の額に手を伸ばし、当てて来た。
「どうした?顔色悪いけど……」
優しく、耳に心地いい彼の声、額に触れられた手から感じる彼の温もりに、空は心臓の鼓動が早くなり、全身の血が沸騰したかのように、熱くなる。次第にその血が、顔に集まってゆくように、錯覚する。
「だ、大丈夫だから。あんまり……おでこ触らないで」
「お……あぁ。悪い。デリカシーと配慮が足りなかったな。……こら、ひな!ジョジョ立ちしてんなよー」
「ねちゅをあやつる、もーどだー!」
「叔父さん、許してあげてください。幼稚園で流行ってるんですよ。ジョジョごっこ」
「しゅたーぷらちな!」
空はその様子をぼーっと眺めながら、毎朝食べているシリアルを皿によそり、牛乳を注いだ。穀物とドライフルーツの硬い食感を味わいながら、手近にあったリモコンに手を伸ばした。時間は7時50分。もう少しでニュース番組の占いコーナーの時間だ。
空はリモコンでテレビを付けた。緩やかに点灯する液晶画面。だが、画面の中の様子はいつもの様子と違っていた。空は特にそれを確認することなく、テレビを消した。
仕方なく、何も見ないでご飯を食べようとすると、来客を告げるチャイムがなった。空は渋々、玄関に向かった。
扉を開けると、そこにいたのは、スーツ姿の男だった。男は頭を下げ、一礼すると、手帳のような物を見せて来た。それは警察手帳だった。
空が何事かと思い、驚いていると、男は礼儀正しく、挨拶をして来た。
「突然お邪魔してすみません。警視庁の氷川誠と言います。小鳥遊さんのお宅でよろしいでしょうか?」
そう訊ねられ、空が固まった。男の人で、しかも赤の他人に話しかけられるのは彼女は苦手だったからだ。
固まる空を見て、男は困った表情を浮かべる。
「ん?どうした。空」
そこに弦太朗が顔をのぞかせた。リーゼントをしていない、普通の状態で。
氷川は、安心した表情を浮かべた後、すぐに真面目な表情に戻し、弦太朗に話しかけた。
「警視庁の氷川誠といいます。突然お邪魔して申し訳ありません。あなたは、如月弦太朗さんでよろしかったでしょうか」
「はい。そうすっけど、警察にお世話になるようなことしたかなぁ?」
首を傾げて弦太郎は考え出した。空はそれを見て、思わず吹き出してしそうになったが、氷川の表情を見て、それをこらえた。
すると弦太朗は何かを感じ取ったのだろう。氷川に質問をした。
「氷川さん、もしかして祐理姉ちゃんになんかあったんですか?」
予期しなかった質問に空は驚いて弦太朗を見る。そして直後に氷川を見ると、悲しげな表情で頷いた。
「ブラジル近郊の森で、飛行機が墜落。乗客乗員合わせて、行方不明。・・・・・・機体の状態から、死亡の確率が高いとのこと……です」
震える声で氷川がそう言った。空は何を言っているのか、理解するのに数分を要した。だが、弦太朗はすぐにどういうことか、理解したのか、氷川に掴みかかった。
「どういうことだよ!おいっ!」
弦太朗は鬼のような形相をしていた。氷川は怒りをぶつけられても仕方ないと思いながら、険しい表情で業務的な内容を告げた。
「詳しいことは……私の口からは言えません……詳細な内容、事故当時の状況は後日、外交官が述べますので……申し訳ありません。失礼します」
氷川がそう言うと去って行った。残された弦太朗が悔しそうに拳を玄関の大理石に打ち付けていた。空にはその光景が何処か滑稽で、夢の中で起こっているかのように感じたが、それが現実であることを、後に嫌という程知ることになる。
一週間前までは一緒に住んでいた小鳥遊邸は今や、小鳥遊家親族一同が集まり、今後のことについて話し合っていた。
そんな様子を弦太朗は少し離れたキッチンの壁にもたれかかった状態で見ていた。
祐理側の親族である弦太朗は発言する必要はないと考えてのことだった。
弦太朗本人としては、参加したかったが、余計に話をややこしくするのが明白なため、自らそれを自粛していた。
「結局、まともに話せもしなかったな」
口をついて言葉が出た。自分らしくない弱気な発言だな、と弦太朗は思ったが、それも仕方ない、と思っていた。
「まだ、泣けるほど心の中、整理がついてねえもんな」
もしかしたら、何食わぬ顔で玄関から入って来るかもしれない・・・・ぼろ雑巾のような信吾を伴って。もしかしたら、ブラジルの奥地で気に引っかかって生きているかもしれない。
そんな淡い期待をこの一週間していた。何度もブラジルに飛んで行って手ずから、祐理達を探し出したいと考えた。だが、そんなことをしに行って、もし空や美愛、ひな、祐理の忘れ形見に何かあったらどうするんだと、賢吾達に言われ、思いとどまっていた。
弦太朗は少し、落ち着いた様子で小鳥遊家親族のやりとりを眺める。だが、殆どは右から左へ言葉を受け流すだけだった。
「弦太朗さん。お久しぶりですね」
「あ、おばさん!」
ただ眺めている弦太郎に声をかけてきたのは、数少ない如月家側つまり、祐理の親族であり、祐理と弦太朗の叔母にあたる人物。佐原よし子だった。
若干の疎外感を感じていた弦太朗にとって、知り合いに会えるのはなんとも、頼もしかった。
「昔のあなただったら、何も考えずにあそこに突っ込んで行ったんでしょうけど、見ているだけということは、少しは・・・・成長したみたいね」
「そりゃ、俺ももう大学生だからよ。それに、あれは小鳥遊家の問題だ。おいそれと、首はつっこめないよ」
弦太朗がそう言うと、よしこはふふふ、と優しく笑った。
昔から口うるさいところはあるが、基本的に優しいこの人を弦太朗は好いていた。そのため、口調も優しげなものになる。
同時に、祐理が苦手だったことも思い出しながら。
「うーん・・・・・・吾郎じいここに来るっていうからしばらくまってようかな」
「お義父さんがここに?じゃあ、私もここに残ります。少し話したいことがありますし」
そう言って、キッチンのイスに座る。
弦太朗は、よし子と何か話をしようとするが、ふと、聞き流していた小鳥遊家側の話し合いの中で聞こてえきた「空ちゃん達をどこに住ませるか」という言葉に弦太朗は自然と近寄り、聞き耳を立てていた。
しばらくその会話を聞いているうちに、弦太朗はその拳を固くに握り締めていた。そして、次の瞬間には、勢いよく部屋を飛び出していった。
「弦太朗さん!」
よし子の声をバックに、弦太朗は子供部屋に突っ込んでいった。
最悪の事実を告げられてから、一週間は途切れ途切れでしか覚えていない。
結局、祐理と信吾の遺体は見つからず、書類手続き上、死亡扱いにされた。それに関して弦太朗が外交官に切れて、アフリカに捜索しに向かいそうになったところを、賢吾やユウキに止められたことを境に、そこからの出来事は空の中には残っていなかった。気づけば、いつの間にか、リビングの窓際で美愛を抱きしめていた。
「義兄さんも気の毒だよな……」
「本当よね……」
小鳥遊の親戚がリビングのソファーやその周りに集まり、親族会議を開いていた。その内容は今後の空と美愛、ひなの暮らす場所を決めるものだった。
空はぼーっとその光景を眺めていた。話している内容は自分達に聞こえないように、極めて小さな声で話していた。だが、今の空にはその内容など、到底どうでもよかった。そのため、会話の内容を詳しく聞こうとする気力も特にわかなかった。何故なら、二人の妹とずっと暮らせると思っていたからだ……。
「結論を出そうか」
親族の纏め役である、信好が、静かにだが、威厳のある声でそう呟いた。空はゆっくりと顔を上げる。
「三人のこれからが決まったから、静かに聞いて欲しい」
そう言うと信好は淡々と三姉妹の割り振り先を告げた。
「ひなは真弓叔母さんのところ。美愛は私の家に、空は全寮制の中高一貫校にー
「ちょっと待って下さい!」
空がその采配に意義を申し立てた。それを予想していたのか、信好は表情を崩さず、空を見た。
「私達、三人一緒に暮らしたいんです!」
それは、当たり前の願い。両親を一度に失った少女には、血肉を分けた、二人の妹が唯一の肉親だからだ。その願いを信好は首を振って否定した。
「何も地球の裏側まで行くわけじゃない。会おうと思えば、何時だって会えるだからー
「絶対離れたくありません!」
空はその手で、二人の姉妹を抱きしめた。そして、確固たる決意を込めた目で大人達を見る。今の空には、その誰もがとても怖く感じていたが、姉妹が離れ離れになるのを防ぐにはこの手しかないと、思い、必死に反抗する。
信好は、困ったな、と言いながら、頭を掻くと、わがままを言わないでくれ、と言った後に綺麗事をそのまま述べた。
「これが、お前達がなに不自由なく、暮らせる唯一の方法なんだ。別々にしたのには、その理由がある」
三人がバラバラになるのは、今の空にとって、死刑宣告に等しいことだ。空は生まれて初めて、大勢の大人に反抗する。
信好は、少し怒気を含んだ口調で空を窘めた。
「空、私たちは同じ小鳥遊家の人間を養護施設に入れたくないんだよ。だからー
今まで黙っていた美愛が空に釣られて懇願する。その目は夕陽を受け、潤んでいたが、空と同じ目をしていた。
「お願いします!私達、何でも言うこと聞きますから!だから、お姉ちゃんとひなと一緒にー
「いい加減にしないかっ!!」
信好の怒号が部屋中に響き渡る。その声に、空と美愛は、ひっ、と息を呑んだ。
信好が何かを言おうとしたその時、一人の男が空達を庇うように立ち塞がった。
前髪をポマードで固め、それ以外の髪を全て後ろで束ねた、リーゼントヘアー。そして、その目は鋭く怒りに燃えていた。
「いい加減にするのは、あんたのほうじゃねぇか?おっさん!」
立ち塞がったのは、我らがヒーロー。如月弦太朗だった。
弦太朗は信好の胸ぐらを掴んだ。そして一気に自分の顔の前に引き寄せる。
「世間体なんか気にしてる場合かよ!?どうして空の美愛の気持ちを汲んでやれねえんだ!」
彼は珍しくその爽やかな顔を怒り染め、叫んでいた。その叫びにはありったけの感情が込められていた。
「家族が一緒に住むのは当然のことだ!それを無理矢理引き離そうとすんなんて、一体どいう考えしてやがる!」
「な、君は........祐理さんの従兄弟か!君には関係ないはずだ!大体、ひなはともかく、空や美愛とは血がー
今の弦太朗に何を言っても無駄だろう。おそらく彼は、むちゃくちゃだがどこか、道理の通っていることを何も考えずに言えてしまうのだから。反論するのが、無理だ。とは、賢吾の談。
「それがどうかしたのかよ!血がつながってるから家族なのか?ちげぇだろ!一緒に飯食って、一緒の屋根の下で暮らす!それだけで十分家族だろ!」
弦太朗は突き放すように、信好の胸ぐらから手を離すと、自分の喪服の襟を掴んだ。
その目は一瞬だけ、悲しみに染まる。
「俺は親父もお袋もいねえ。ちっちゃい頃に死んじまったからな。だから、こいつらの気持ち、わかるんだ」
「そうか・・・・・・だが、これは小鳥遊家の問題だ。こどもを育てたこともない、ましてや、成人もしていない君に、何もいう資格はー
「資格ならある!」
自信満々に言い切る弦太朗に、誰もが首を傾げた。おそらく大半は、こいつ何を言ってるんだ?と呆れと驚きの入り交じった反応が多かったが。
「俺はこいつらと曲がりなりにも、一週間近く過ごした。それでこいつらがどう思ったがわからねぇ。けど、少なくともあんたらよりも、こいつらの気持ちがわかる!」
「わかっただけで、何になる!君には子供を育てる大変さがわかる-
「しるか!散々話し合って出した結論……アンタ達が話し合って出した結論は、全部あんたらの都合で考えただけじゃねえか!そんなやつらにこいつら預けるくらいだったら、三人まとめて、養護施設に入れた方がまだましだ!
その発言に誰もが凍りついた。息を呑む音さえ聞こえてくる。誰しも息をせずに、弦太朗を睨む。弦太朗はその視線に物怖じせずに、自分の後ろにいる空達を見た。
小さな体で、二人の妹を離れないように抱きしめるその姿は、弦太朗に覚悟を決めさせるには、十分だった。
(家族は決して離れちゃ行けない・・・・・・だっけか、姉ちゃん。確かにそうだな)
「でも、養護施設に送るのは、なんか教師を目指している身としてはなんとなくいただけないからよ」
弦太朗が幼い頃に、祐理が良く言っていた言葉を思い出す。祖父に引き取られ、まもなくの頃、祐理から教わった言葉だ。その意味を自分なりに理解しながら、養護施設がダメなことを告げた。
(こんな奴らを離れ離れにさせても、養護施設に送っても、誰もこいつらを守ってやれんなくなる。だから・・・・)
「・・・・・・決めた!こいつら全員俺が引きとる!」
考えた瞬間、弦太朗はその決意を告げた。その瞬間、水を打ったように周りは静かになった。数秒ほどたって、信好は怒った口調で弦太朗を問い詰める。
弦太朗は後ろを向くと、涙目になっている空の前にしゃがみこんだ。そして、その頭を撫でながら、笑顔で問いかけた。
「うちに来いよ。三人とも」
驚いているのか大きな瞳をさらに大きく見開いた空と目が合う。
「家はボロっちいし、飯は男飯だし、トイレはひとつしかねぇし、俺にデリカシーも配慮もねぇけどよ、それでもいいなら、来ないか!」
そう言って、腕を大きく広げる弦太朗。その表情はだれが見ても安心してしまう。空は、大粒の涙をポロポロと零し、美愛は眠る幼子と泣き出す姉を引っ張って勢いよく抱きついて来た。それを抱きとめると、ぽんぽん、と頭を撫でた。
信好が、プルプル震えながら、響き渡るように唸るように言葉を紡いだ。その言葉の端々に怒りが込められている。
「君は、自分の行っている意味がどういう意味か、わかっているのかね?」
信好が冷静な怒りと共に、問いかけて来る。弦太朗はそれを聞いて、立ち上がると手にしたフォーゼドライバーを突きつけた。この程度のことで、彼は怖じけ付くような玉ではない。
「ああ!あんたらよりは、三人まとめて引き取る大切さは、わかっているつもりだぜ!」
高らかに宣言すると、腰にフォーゼドライバーを装着。変身をした。
弦太朗の姿が変わったことに驚く小鳥遊家親族とよし子。彼らをよそに、フォーゼはウィンチ・モジュールを起動させ、空達と自分をぐるぐる巻きにしてしまう。
「おじさん!?何をするんですか?」
「お兄ちゃん!?まさか
「おう!しっかり掴まっておけよぉおお!」
何をするのか、二人が理解した時にはもう既に遅かった。右腕のロケット・モジュールを起動させた瞬間、ブースターから勢いよく炎が吹き出す。それを地面に垂直にし、勢いよく小鳥遊家から飛び出してゆく。
この時のことを空は後にこう語る―「生きてるって、素晴らしいな」
と。
予想だにしない逃走方法に、その場にいた誰しもがあっけに取られていた。ふと、誰かのため息が聞こえて来た。一斉に、その方向に全員顔を向けた。
「ワシがいない間に、随分と啖呵を切れるようになったもんじゃ。弦の字」
ため息の主は年老いた男だった。子ども部屋にあった椅子に腰をかけお茶を飲んでいた。
あまりの緊張感のなさに、信好がイライラした口調で問いかけた。
「あなたは、どこの方でしょうか?」
「わしか?わしは如月吾郎。祐の字・・・・祐理と弦太朗の親代わりじゃよ。葬式に出られんですまんかった。なにせ、パリ・ダカールレースがあまりにも、長引いてしまっての」
老人はまるで、好きなことをはなす子供のように、目をキラキラさせて話していた。
信好は、祐理の親代わりという話を聞いて、なるほど、と頷くと、さきほど逃げ出した弦太朗のことについて訪ねた。
「それでは、あなたはさきほど逃げた少年のことも知っていられるのですか?」
「ああ。もちろん。弦太朗はワシの孫じゃからの」
そういった後で吾郎は、じゃが、と言ってから言葉を区切る。そこで茶を一口飲んでから、言葉を口にした。
「わしは弦太朗のしたことは間違ってはおらんと思う。ただでさえ両親を亡くして、心細いというのに、さらに姉妹を引き離そうとするなぞ、到底、身内としては考えられんわい」
老人の的を得た発言に、その場にいた親族は言葉を詰まらせる。信好は幾分か冷静になったのか、静かな口調で老人に反論する。だが、老人はその男の反論に言い返した。
「しかし、経済的な理由で........」
「ならば、他の家から援助をしてもらっても三姉妹全員を引き取るのが筋というもんじゃろう?」
その意見によし子が一人、頷いていた。それ以外は誰しも黙りこくってしまう。
信好もその意見には、グゥの音も出ないようだった。
「経済的な理由は誰しも抱える問題じゃ。じゃが、そんなことを考えるよりも先に考えるのは、この娘達の未来じゃないのかの?親を無くすということは、何よりもの心の支えを失ったのと同じことじゃ。しかも、そこから、さらに姉妹を引き裂けば、彼女達の心は傷ついたままになるじゃろう」
老人は周りを見渡してから、言葉を続けた。
「うちの弦太朗は、そんな人の心の機微にここぞというときだけ、機敏になる。恐らく、何も考えずに無鉄砲に引き取ると言ったのじゃろうが、ワシはこの場にいる誰よりも肝が座ってると思うよ」
そう言って老人は空の彼方を見た。空には弦太朗が逃走した時に出来た飛行機雲ならぬ、ロケット雲が出来ていた。
「じゃが、弦太朗はまだ学生。御仁がたには、あんな若造が大事な親族の忘れ形見をそだてるなど、もしくは、何か特殊な性癖の持ち主では?と疑う方もいらっしゃるだろう」
そう問うと、殆どの親族が頷いた。
吾郎は、やはり、と言ったふうに、表情を和らげると、弦太朗の人となりを説明した。
「おそらく資金的な問題も多々あるとおもう。まぁ、弦の字のことじゃ。変なとこでわしに似てる部分があるからの。一度、やる、と言い出したら、あの子達を育てるために、大学を中退してでも、あの子達を養養おうとするじゃろう」
そこで一旦言葉を区切った。ふと、よし子をみると、吾郎の話に思いっきり頷いていた。吾郎は苦笑いを浮かべた後で、提案を持ちかけた。
「・・・・・・ワシが弦太朗の後見人となって、三姉妹の面倒をみようとおもうのじゃが、どうかの?」
その提案に親族は互いに顔を見合わせた。そして口々に不安を口にした。三人もこの老人に養えられるのか、や、不良に子育てが務まるのか、などのだ。
吾郎は、深々とため息をつくと、自分の通帳を開いて男に渡した。男はその通帳を開いた。そこに書かれていた金額は、もはや普通の人が貯められるような金額ではなかった。それを見て、何も言えなくなる男。吾郎は得意げな表情で語った。
「わしは、若い頃からずーっと、工具箱一個で生計を立ててきての、生活に最低限必要なお金のみ使ってたら、いつの間にかこんなに集まってたんじゃよ。まぁ、このぐらいあれば、子ども三人ぐらいは余裕でやしなっていけるじゃろ?」
工具箱一個で稼いできた、という発言に誰もが首を傾げた。吾郎の話を補足するように、よし子が説明した。
「ああ、この人、レーシングマシンのチューニング技術の腕前に関しては、世界でも名前が知られてまして。それで、契約金と備品購入金、成功報酬を各地のサーキットで整備する度にもらってるんですよ」
それを聞いた瞬間、小鳥遊家の面々は黙ってしまう。まさか、こんなに凄い人が、自分の身内にいるとは、思わなかったからだ。
「ははは。いやぁ、趣味の延長で仕事をしとるだけじゃしの。転校ばかりで、祐の字には特に迷惑をかけた。その迷惑をかけたお礼と思えば、あの子達に使って貰った方がいい」
そういった吾郎は優しく笑っていたが、その目からは涙がこぼれていた。
「それで、小鳥遊家の皆さん。うちの孫に、あなた方の息子さん・弟さんの大事な、娘さんの面倒を見させては貰えないでしょうか!勿論、そちらが提示する条件も呑ませて貰います!この通り!」
そう言って、吾郎は土下座をした。男は慌てて、吾郎に駆け寄った。
「吾郎さん!立ってください!わたし達も、そこまで言われて、断れません」
信好の言葉に、小鳥遊家の親族は頷いた。
「あなたのお孫さんの熱意、あなたのお孫さんに対する信頼。それを聞いていたら、なんだか私達よりも、貴方達の方が、あの子達を幸せにできそうなきがしてきました。お恥ずかしい限りですが、よろしくお願いします」
男がそう言って、膝をついて頭を下げてきた。その後ろで、親族も頭を下げた。
吾郎は涙を目に浮かべたまま、立ち上がった。
「ありがとうございます。では、親族の語らいを邪魔するのも、無粋。老いぼれは、ここらで退散します」
そう言って、去ろうとする吾郎をよし子が引き止めた。
「お義父さん、少し話たいことがあります。みなさんと一緒にね」
そう言って、よし子は小鳥遊家の女性陣を見る。女性陣は無言で頷いた。
「たまには、親族どうし、ご飯でも食べましょう。空や美愛、ひなはいないですが、悲しみを吹き飛ばすくらいに、飲んで、食べましょう」
男の言葉に吾郎は照れくさそうに笑って、リビングの方に向かっていった・・・・・・。