間違いなく、俺の全力だった。磨き抜いた技術を駆使し、魔法という補助で底上げし、あらん限りの力を尽くした、現時点で俺が出せる最高の一撃。リニスさんであろうと倒し得るという自信があった、自負を持った、誇りを賭した、全身全霊にして全力全開の拳。
「もしかして、これで打ち止めですか? まだほんの少しは時間がありますよ?」
俺の拳撃を受け止めてなお、彼女は平然と二つの足で立ち続ける。手もつかず膝も折らず、よろめきすらしない。
ダメージなど欠片もなかったと主張するように、平気な顔で話しかけてくる。何事もなかったかのように、平生に。
彼女は宣言通り、魔法は使わなかった。防御魔法は最初の一枚だけ。射撃も砲撃も拘束も、身体強化系統の魔法も一切発動していない。動かないという明言通りに、威力を流すような動作もしなかった。
おそらく、リニスさんの体内で渾々と湧き続け、体外にまであふれている魔力が影響しているのだろう。莫大なまでの魔力が体表面を理不尽なくらい強化し、内部機能も異常なくらい引き上げている。
いや、理不尽な『くらい』とか異常な『くらい』とか、そんなあやふやな表現は適していない。あからさまに理不尽で、わかりやすいほど異常なのだ。
身体の外に漏れている魔力が拳撃の速度を低減させ、身体の内に漲っている魔力が威力を吸収した。よってダメージはゼロ、無傷、継戦能力に支障なし、身体機能に影響なし、戦闘継続待ったなし。
俺の魂を込めた一打は、まったくの無駄だった。
「あ……りえ、ないだろ……。いや、おかしいって……。こんな……ここ、まで……」
全身の血が凍りついた気がした。左腕の怪我の痛みすら、もはや感じない。
笑顔のまま、顔色一つ変えずに俺を見つめるリニスさんから俺は遠ざかるように一歩、また一歩と後ずさる。俺の意思とは無関係に、足が彼女と距離を取る。
投げ上げられていた杖は正確にリニスさんの手元まで落下した。回転していた杖を事もなく右手でキャッチする。
ご褒美と称された無防備無抵抗な時間も終了。認めたくはないが、俺の心を折るという彼女の目的は、異議の余地なく果たされた。
「徹のそんな弱々しい顔は初めて見ますね。なぜでしょう、このような趣味はなかったはずなのですが……感情が昂ぶるのを抑えきれませんっ……」
右手では頑丈な杖が折れるんじゃないかと思うほど強く握り締め、左手は歓喜か愉悦に打ち震える身体を抱き締めている。紅潮した顔で、どす黒い狂気を瞳に灯して、口から
「は、は……どうしろってんだよ……こんなの」
戦況は劇的に変化した。いや、俺自身変化したことを、認めたくなかっただけなのだろう。
それでももう、目を逸らすことはできない。立場は確定した。
狩るものと狩られるもの。強者と弱者。そして――
「どうするもなにも、簡単ですよ。私の手を取るだけでいいのです」
――勝者と、敗者。
「ぅ、あぁぁぁっ!!」
リニスさんの姿が遠くなり、小さくなった。彼女のすぐ正面の床が二箇所、爆ぜて細かな砂礫が散乱している。
彼女が離れたのではない。俺が『襲歩』まで使って緊急離脱したのだ。
あのままリニスさんの目の前にいたら、頭がどうにかなりそうだった。錯乱してもおかしくはなかった。
「はっ、はぁっ……はっ……っ」
これは逃亡じゃない、逃走じゃない、敗走じゃない、壊走じゃない。負けたから主戦距離を離れたんじゃない、勝つために一度間合いを確保したんだ。この行動は、消極的な敗北宣言ではない。勝利のための積極的な意思表示だ。
そうやって弱い自分を必死に騙して、ぼろぼろと剥がれ落ちていく心を守るために必死に言い聞かせた。
もう、持っている手は全部出し切った。勝てる見込みなんて、勝利への道筋なんて、もう見えない。なら俺は、何のために距離を取ったのだろう。その理由を直視できず、目を覆った。今の俺に、どれだけのことができるのだろう。その返答は受け止められず、耳を塞いだ。
もうなにも考えたくなかった。
「どこへ行くのですか? まだ諦めていないなんて、そんなおもしろいこと言いませんよね? ねぇ、徹……ねぇ?」
視界から、リニスさんの姿が消失した。残ったのは、俺が『襲歩』を使った時に跳ね上がった床の破片と、彼女がいた空間の周囲三メートルほどを埋め尽くす砂煙。
様々な視覚情報が脳に届いたと同時に、背後から彼女の声がした。
振り向く暇も与えられぬまま、背中に衝撃が走る。
「ごぶっ……っが、あ……っ」
鈍い音と鋭い痛みが、後背部から発した。
肺が圧迫されて声はくぐもる。背は
「そんな声出さないでください。私が……私じゃなくなってしまいそうですっ……」
耳元後方で聞こえたはずの彼女の声が、今度はなぜか正面で聞こえた。俺の後ろから前まで回り込む時間なんてなかったというのに。
風を切る音が、複数回鼓膜を震わせた。
「っ……あっ、ぐ……っ。おっ、ぇ……」
腹部へ痛打が数発、数えられないほどの速度で叩き込まれた。
胃の内容物が食道を
「あなたを傷つけるのが……辛いのに、悲しいのに、苦しいのに……っ! どうしてっ、どうしてこんなに……」
腹を打たれたことで、自然と俺の頭部は突き出された。
彼女は身を屈ませ、膝のばねで跳ねる。その勢いのまま、俺の下顎を右の掌底でかち上げた。
「……胸がうち震えるの……っ」
頭が跳ね上がる。内臓器官の損傷と、口内を切ったことによる血液が口元から溢れた。頭の動きに追従するように、口から溢れる血は幾筋かの線を引く。
意識は朦朧として、視界はぐらぐらと揺れている。なのに、視界の下端に映るリニスさんの表情は、いやにはっきりと見えた。
リニスさんの瞳にはもう、以前までの優しい色はなく、すべて
彼女の表情は、セリフは、行動は、あべこべだ。目的だけが一貫していて、それ以外に統一性はない。
「ぉごっ、ぁがっ……」
身体の各所から噴き出る俺の血を、リニスさんは浴びる。鬼神の如き形相で、彼女は俺を打ち据えた。
暴力や絶望、神経を
でも俺には、俺のぼやけた目を通した彼女の姿はとても脆くてか弱くて、切ないほどに繊細で、痛みに耐えて涙を流しながら杖を――拳を振るっているように見えた。
「手が、足が、身体が、心が……震えて、震え続けて止められないのです……っ。これは哀しいからですか? それとも……愉しいから、ですか……?」
「俺……には、少な……っとも……愉し、そうには……見えな……」
頭を打ち上げる一撃で床から浮いた俺に続くように、リニスさんも床から足を離す。
フィギュアスケートの演技のように跳びながらスピンした。長くしなやかな彼女の足が閃く。
「止めてください、徹……。これ、とめて……っ!」
リニスさんの、顔を返り血に濡らしながら嗤う表情と、頬を涙で濡らしながら助けを求める表情が、俺の霞む視界の中でだぶった。どちらが現実の彼女の表情か、俺にはわからない。
遠心力が乗ったリニスさんの蹴撃は俺の左側頭部を捉えた。床から足が離れて踏ん張りが利かない俺は、トラックに撥ねられるよりも盛大に吹き飛ぶ。仮に足が地面についていたとしても、この威力の蹴りを受けて弾き飛ばされずに耐えられたとは思えないけれど。
波に呑まれる木の葉のように、天も地もわからないような状態。ぐるぐると回転しながら吹き飛んでいることを、遅まきながら知った。
時々視界に入る壁が、コマ落ちしたように俺に近づいてくる。そろそろ壁に激突するかな、とぼんやりとした頭で考えていたが、その瞬間は訪れなかった。
腰に固いものが触れている感触がする。頭を動かす気力もないので右手で触って確認すれば、どうやら鎖状の形を成している。
これはリニスさんの拘束魔法だ、と理解するのを待たずに、強い力で引っ張られた。
「離れないでくださいよ……逃げないでっ……っ! 私の
そんなこと言うんなら攻撃しないでくれよ、と脳内でぼやく前に、彼女は追撃を叩き込む。
鎖によって引き戻された俺に、リニスさんは双手による掌底を放った。打撃というよりは、大砲を同時に二発発射されたような印象だった。
「ーーーーッ」
もはや、俺の声帯は言語すら発声することができなかった。
リニスさんに打ち抜かれた俺の身体は一直線に壁際へと追いやられ、今度こそ激突した。
背中を強かに打ちつけ、少なくない量の血が吐き出される。ダメージの余波で右目は霞み、左目は赤く濁った。頭を蹴られた時にできた傷から流れた血液が左目に入ってしまったのかもしれない。
目の影響も深刻だが、深刻なのはそれだけじゃない。全身だ、満身創痍にも程がある。
左腕は負傷して自由に動かせず、リニスさんへ『発破』を放ってから右手も痺れている。鋼鉄製の装甲板を素手で殴りつけたような感覚だったので、なんらかの支障を
脚部にも打撃が数発被弾していたようで、壁へ叩きつけられた衝撃が決定打になった。足も思うように動かない。
脳を激しく揺さぶられたことで感覚が鈍麻しているが、身体の中にも随分悲惨な被害を受けている。何と言っても吐血が収まらない。鼻から抜ける鉄臭さと、どろねばっとした舌触りがとても不愉快だ。肺の調子もどこかおかしい。深く息を吸い込むことができず、浅く速い呼吸になってしまっている。酸素を渇望する心臓がどくどくどくどくと、けたたましく抗議していた。
「徹……本当に、私は……あなたを……っ」
リニスさんの悲痛な叫びが聞こえた気がした。放った言葉の続きは、あまり想像したくない。
赤く濁る左目は諦め、ぼやけるが一応役目は果たしてくれる右目を、声がした方へ向ける。
後半戦開始のゴング代わりになったリニスさんの魔力爆発によりぶち抜かれた壁の、ちょうど対角線上に彼女がいた。壁の向こうの暗闇を、彼女が背負うような構図になっている。
視界がぼやけていることもあり、その暗闇にリニスさんが呑み込まれていっているようにも見えた。ぼやけているが故か、もしくは錯覚か、それとも実際に彼女が闇に沈んでいるのか、俺の淀んだ意識では判断しかねた。
打突の時には身体のどこかに吊り下げていたのか、または頭上に放り投げていたのか、再び杖を手にしたリニスさんは湿っぽい声音で呟く。
「すぐに追いかけますから……向こうに着いても、動かないで待っててください……。私もすぐに、すぐに
杖が横一線に払われた。
周囲から刺々しい魔力の気配がする。動かすだけで軋んで痺れるような痛みを発する首を回し、確認してみれば、数多の魔法が展開されている。まるで無数の星々に囲まれているようだ。
俺から少し空間を空けて、網の目状に拘束魔法が張り巡らされている。俺が逃げたりできないようにするためだろう。既に俺は満足に動けないほどずたぼろであるが、念には念を入れたというところか。
その鎖で編まれた巨大な網の内側には、これまた必要以上の数の射撃魔法が待機している。霞む右目では数えること叶わないが、たとえ常態だったとしても数える気は萎えていただろう。禍々しい魔力の気配と、視界を満たす光の粒で、だいたい数量は悟れる。
視線の先、リニスさんの正面には一際大きな魔力の球体が、おそらく三つ浮いている。砲撃魔法の前兆、準備段階に発生する魔力球と推測する。
ただ、俺の記憶と食い違いがある。片目のため距離感に自信はないが、俺の目測が正しければ、リニスさんの砲撃前の魔力球はもう一回りか二回りほどサイズが小さかったはずだ。魔力が跳ね上がった恩恵か、砲撃まで魔改造が為されているらしい。
大きかろうが小さかろうが、射撃魔法一発で致命傷の俺からすれば、どちらにせよ過ぎたる火力だと言わざるを得ない。
圧倒的な魔力に物を言わせて押し潰すようなこんなやり方は、省力主義のリニスさんらしくない。まあ、この一連の戦闘が始まってから彼女らしさなどというのは、消えてなくなっているけれど。
「お墓を用意することはできそうにないので……せめて散り様くらいは派手に、華やかに行います。私からの、せめてもの手向け……です」
「はっ……。感激、の……極みだよ……。涙が、出そうだ……」
リニスさんは右腕を上に掲げる。彼女の手のひらに握られている杖が強い光を幾度か放った。それは、待機させている射砲撃が発射されるまでのカウントダウンにも、暴力的なまでの魔力圧に抵抗する杖状デバイスの足掻きにも思えた。
「抗わなければきっと、痛みはありません。なにかできるとは思えませんが……念の為、障壁など張らないでください。それでは……お別れです、徹。ありが、とう……ござ、い……ましたっ。さようなら、私の、
最後に彼女の口元が動くのと、頭上に掲げられた杖が振り下ろされたのは、ほぼ同時だった。
空気を切り裂く音、空間を焼く音。俺へと迫る射砲撃魔法の発射音に、彼女が最後に呟いた声は掻き消された。
「これ、が……結末か」
彼女の力は圧倒的だった。言うまでもなく、抗う術もなく、絶対的だった。
もとから魔力量も優れていて、魔法の扱いにも長けていて、交戦距離にも不得手はなく、肝が冷えるくらいに戦略にも通じている。その状態ですら、勝ち負けの天秤は贔屓目に見たとしてもぎりぎり釣り合っているくらいだった。それすら接近戦であれば、という注釈付きで、全体の戦局を俯瞰すれば俺の完敗だった。
だというのに、彼女は突如、正体不明のロジックで大量の魔力を手にした。
パラメーターは総じて上昇。強化されたのは魔法だけに留まらず、単純な魔力だけで俺の攻撃を無効化するほど身体能力を向上させる無敵っぷり。頼みの綱のハッキングも結果として弱体化の憂き目にあい、機動力に関しても俺を上回る。
手持ちのカードはすべて切った。俺の手札はゼロだ。勝ち目も同じく、だ。
「こんな終わり方……あって、いいのかよ……」
もはや、為す術がなかった。
「勝たなきゃ、いけなかったのに……」
死ぬのが怖くないわけじゃない。怖くない人間なんているわけない。
でも、それ以上に、こんな結末になることのほうが怖かった。
プレシアさんは娘をその手に取り戻すためにアルハザードへ旅立ち、フェイトとアルフはこのまま取り残される。彼女たちが守ってきたシナリオのまま進んでしまう。それどころか、俺が半端に首を突っ込んだせいでリニスさんまでここで骨を埋める覚悟を決めてしまった。彼女がどのような感情を抱いて、俺とともに泉下の客となることを良しとしたのか察することはできないが、これでは無駄に死人を増やしただけだ。状況を悪化させただけだ。
「だめ、だろ……こんなの……っ。許されるわけ……ないだろッ!」
傷だらけの身体に鞭を打ち、背後の壁に右手をつき、へたり込んだ体勢から起き上がる。
「痛い……痛い、なあ……」
もう、立つだけでも、辛い。
膝はかくかくと笑い、今すぐにでも折ってしまいそうだ。壁に手をついていなければ立ち続けられないほど平衡感覚を失っている。地面が揺れていると思うくらいに頭がぐらぐらとして気分が悪い。左目は視力を失い、右目もピントが狂っていて彼女の姿をぼやけて映す。口からは止め処なく血が溢れて、もうこの味と匂いに慣れてしまった。
戦うどころか、歩くことさえできはしない。
でも、それでも俺は。
「諦めたく、ないっ……」
諦めたくない、諦められない。
みんな、みんな幸せを望んで頑張ってきた。努力してきた。ただ、平穏な生活を家族とともに安らかに過ごしたいという、そんなちっぽけな幸せを望んでいるだけなのに、必死の頑張りも懸命な努力も決して報われることはない。
不条理だ。理不尽だ。非合理だ。無慈悲だ。
しかし、それが世界の理だ。この世は悲劇で満ち溢れている。運命の輪だ。抗うことは許されない。
それでも俺は、諦めたくない。親と子が引き離される運命なんて、認めたくない。
今の俺になにができるかはわからない。おそらく、なにもできないだろう。
だとしても、もしかしたら俺が抗ったことでリニスさんになんらかの心境の変化を与えることはできるかもしれない。その変化が、『最善』を目指す切っ掛けの一助になってくれれば、なにかが変わるかもしれない。今のままでは、なにも変わらないことは確かなのだから。
「せめて、最期の最期まで……死ぬ瞬間まで、悪足掻き、しようか……」
視界一面に余すところなく、彼女の魔法が
障壁を張ったところで役に立たないのは既に実証されている。回避できる足も、空間もない。
魔法群の命中精度が悪いことを祈りつつ、何秒魔法を展開したまま維持できるかわからないが残り少ない魔力を絞り出し、魔力付与を全身にコーティングした。
魔力を振り絞った脱力感に耐えるため、胸の真ん中あたりをぎゅっと握り締める。不意に、右手に小さく固い感触と、確かな温もりを感じた。
「巻き込んじまったことに、なるんだろうな。……悪いな」
リニスさんの魔法群が迫る。
どうやら信じてもいない神様に祈ってもご利益はないらしい。リニスさんの魔法は莫大な魔力を練り込んでいて、かつ、コントロール性にも秀でているようだ。魔法群は俺に直撃させる軌道の砲撃と、逃げ道を塞ぐように回り込む魔力弾の二手に分かれた。足が生きていたとしても、回避することは不可能だったというわけだ。
どこまでも用意周到な彼女に、思わず笑みがこぼれる。その笑みも、血で濁っていたけれど。
――結局、なにもできなかったな……――
俺の意識は断線する。
眼前は白く染まり、耳は音を捉えない。痛みどころか身体の感覚すら感じなかった。
死の間際にして、脳裏をよぎるのは大切な人たちの顔。人との繋がりが希薄だった俺にも、こんなに大切に思える人たちがいたんだなと再認識させられる。
そして最後に、最愛の姉の姿が現れた。自分も辛かっただろうに、そんなことおくびにも出さずにいつも俺を守ってくれた姉の姿。もう家族の体温を感じることも、声を聴くことも、恩を返すこともできないのだろう。
フェイトたちには威勢のいいことを言って期待させ、リニスさんには罪という重荷をさらに背負わせることになった。
家族が引き裂かれる運命に納得ができなくて許せなかったから頑張ってきたけれど、結局は引っ掻き回しただけだった。
気づいていたはずなのに、わかっていたはずなのに。自分にはそんな大それたことを成すだけの力なんて、ありはしないことに。
全力を振り絞った。渾身の力を出し切った。それでも俺では、彼女たちの世界には届かなかった。
白の世界が、徐々に濁り始める。世界の色が暗く、黒く淀んでいく。きっとこのまま汚れて、沈んで、腐っていくのだ。
そう思って、とうとう俺は、諦めた。もういいだろう、誰も見ていないのだ。強がりは捨てて、いいだろう。もう終わりなのだ。諦めてしまっても、いいだろう。
――……様。……るじ様、我が主様……――
瞼を閉じかけた寸前、どこかから音がした。それはなぜか耳に馴染みのある、優しい声。
――まだ……終わって……おり……ません。……主様の願いは、夢はまだ終わっておりません――