そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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もう、残滓すら見えなかった

「まさか……そんな、どうやって……。あなた程度では防ぎきれるわけがっ……? あなたは、徹……です、か?」

 

「……は? 俺が俺以外のなにに見えるっていうんだ」

 

 狼狽(うろた)えて激昂(げっこう)するように声を張り上げたリニスさんは、次第に勢いを弱めて最後には本人確認までしてきた。

 

 魔力の質や量が一変したことで、俺だと気づかなかったということなのだろうか。だとしても、この空間には俺とリニスさんしかいなかったのだから、わざわざ訊いてくる必要性はないように思う。

 

 いまいち腑に落ちず、疑問に首を傾げた。

 

 ふわり、と俺の頬を何かが掠める。こそばゆく感じ、反射的に手で払う。

 

 払い除けたことで、ようやくわかった。リニスさんがこれほど驚いている理由、誰何(すいか)してきた理由に。

 

「空色の、髪……?」

 

 頬を撫で、今は手に触れているそれは、ついさっきまで俺の懐で包まっていたエリーの髪色と同じ、空色の長い髪。雲一つない青空をそのまま毛髪に閉じ込めたような、鮮やかで(まばゆ)いスカイブルー。

 

 それが今俺の手中にあって、頭皮は突っ張っているような感覚がする。まるで自分の髪の毛をひっぱられているような、そんな感覚。

 

 いや、いい加減現状をしっかり受け止めるべきだろう。

 

「な……ん、だこれは?! どうなってんだよ!?」

 

 俺の髪が伸びて、色まで変わっていた。色はエリーと瓜二つ。長さはエリーほどはなく、腰よりも少し下程度だ。

 

 喉から発される声も自分のものと思えないほど高く、透き通っている。

 

 よくよく確かめてみれば、変わった部分はいくつもある。というよりも、変わっていない部分を探す方が困難だ。

 

 髪を払った手のひらは俺のそれよりも薄く、指は細く長い。視線を上らせていけば、腕も細くなっていた。元からあまり太いほうではなかったが、それでもトレーニングはしていたのだ。多少筋肉で隆起していた。今も皮膚の下には引き締まった筋肉を纏ってはいるが、それでも細くなったことに違いはない。

 

 変化は当然、髪や腕だけでなく声も、全身にまで生じている。なんと表現すればより適切なのかわからないが、強いて言うのなら、身体構造が女性側に寄っている。

 

「ま、まさか……」

 

 女性側に寄っている。自身の変化をそう結論付けた時、背筋にぞくり、と寒気が走った。

 

 間違いなく、俺の精神は男のままだ。そんなこと、そんな不可思議な現象があるわけない。あってたまるか。

 

 自分にそう言い聞かせながら、右腕を動かす。向ける場所は心臓の真上。胸の中心よりわずかに左に逸れた場所。

 

「あ……ある……」

 

 あった。あってしまった。胸部には、母性の象徴とも言われる、柔らかくも弾力のあるそれが。

 

 胸に何かが当たったという感覚と、柔らかいものに触ったという感触を同時に感じた。そしてすぐに手を離した。ただひたすらに驚いたのだ。

 

 寒気と動悸はまだ治らない。どころか激しさを増して押し寄せてくる。

 

 右手を腹部の真ん中あたりに添えて、徐々に手を下ろしていく。もうお腹の時点で、以前の自分の身体の感触とは明らかに異なっているが、重要なのはそこではない。

 

 おへそを通り過ぎ下腹部に差し掛かった。

 

「な……ない……」

 

 なくなってしまっていた。男の男たる所以(ゆえん)が、綺麗さっぱりと。

 

「え、エリーっ! これ、どうなってんの……」

 

 胸元に手を当てて、おそらくこの奇怪な現象の一因になっているエリーに助けを求める。

 

 ネックレス状態だった時に胸元にエリーがいたので、つい癖で手をやったが、エリーはそこにはいなかった。代わりに手に柔らかいものが触れて、自分の身体ではあるもののどぎまぎした。

 

『私もこのような経験は初めてです。ですが、魔力の流れを鑑みるに、おおよその見当はつきます。正しいかどうか、自信はありませんが』

 

 エリーの姿は、宝石状態も人型状態も視界に捉えることができない。しかし頭の中で、はっきりとエリーの声がした。

 

 その声に(すが)るように、続きを催促する。

 

「自信がなくてもいいから、なにかわかるんなら教えてくれ」

 

『はい。恐らく、心と身体が一体化したのでは、と愚考します』

 

「一体化……?」

 

『現在、主様が身体を動かしていますが、私にも微かにではありますが動かしている感覚があります。加えて、私の魔力が主様の全身を巡り、満たしています。これは主様と不肖私が心も身体も繋がり、一つとなったからである、と推察します』

 

 エリーは落ち着き払って淡々と自分の解釈を述べるが、セリフのそこかしこに嬉々とした声音が見え隠れしていた。一緒に戦う、という相棒らしいことができるようになって、テンションが上がっているのだろうか。一緒に戦おうとは思っていたが、だからってこんな物理的な意味だとは。

 

「な、るほど……。まあ、そんなことも……ある、のか? たしかにエリーの魔力を自分の中に感じるし……」

 

 身体の異変にばかり気を取られて気づかなかったが、エリーにそう言われて実感した。

 

 心の奥の方から流れてくる自分の魔力。その魔力に同化するようにエリーの力が渾然一体(こんぜんいったい)となっていて、全身を循環している。

 

 自分以外の存在が自分の身体の中に、心の内側に入っているというのに、不快感は一切ない。どころか、なによりも近くにエリーの温かみを確かめることができて、気が休まるくらいだ。

 

 実際言う通りになっているのだから、エリーの考察は正鵠(せいこく)を射ているのだろう。

 

 しかし先の説明ではまだ解き切れていない部分も残っていた。

 

『言うまでもありませんが、主様の魔力の性質も関係していると思われます』

 

 俺のもやっとした気持ちを悟ったのか、エリーは補足の説明に入る。

 

 もしや、こうして考えていることまでエリーに筒抜けなのだろうか。そうだとしたら、かなり心を強く持ち、理性を働かせておかなければいけない。

 

『もともと人間と、身体と心を重ねる、というような機構は、私にはありません。それでもこうして一つになれたのは、主様の特殊で特別な魔力性質があってこそ……なにより、私と主様の間に強固なツナガリ()があってこそだと、私は確信しております』

 

 エリーの言う魔力性質とは、十中八九、俺の無色透明な魔力のことだろう。

 

 いつかに教えられたことだが、魔法を使うのに魔力の色は関係ないらしい。魔導師個々人のリンカーコアで生成された魔力にはなぜか色が付いていて、色が付いている魔力を運用して魔法を発動させているため魔法にも個々人の色が反映される。その際、色は魔法の性能に左右しない。色がある、ただそれだけのことだそうだ。

 

 しかし、俺の場合少しばかり毛色が異なる。

 

 色が因由(いんゆ)しているかどうかは定かでないが、俺の魔力は俺以外のそれに対して拒むことをしない。

 

 俺が受けた傷を治癒魔法で治療してくれた二人の魔導師が言っていた。自分の身体に魔力を通すように、(いささ)かの拒絶反応も示さなかった、と。

 

 肝要なのは、相手から自分に送られる魔力を抗拒(こうきょ)しないだけではなく、自分から相手に魔力を送る場合にも適応されるということだ。それにより、魔法の術式やデバイスにも抵抗されることなく魔力を送り込むことができ、結果としてハッキングという戦闘手段が生まれた。

 

 違う魔力に対して拒絶しないという、良く言えばなんでも受け容れる、悪く言えばなんにでも侵入する特性。エリーとの一体化は、この辺りに主因があるのかもしれない。

 

 そういったロジックに根差して一体化という現象が発現したのかもしれないが、俺はエリーが言うような可能性を信じてみたい。相互の間に絆や繋がり、信頼感などという感性を基盤とした曖昧な、しかし確然とした感情があったから起きた、ある種の奇跡のようなものだと信じたい。自分でも夢見がちな甘い考えだと自負してはいるけれど。

 

「……ああ。そういう……目に見えない感情を大事にしてもらえてるのを、俺は嬉しく思うよ」

 

 こんなに温かい気持ちにさせてくれる相棒を、とても愛おしく感じた。

 

『主様の心からのお言葉、痛み入ります。もういっその事、主様との繋がり以外はすべて断ち切りたいと思っています』

 

 ただ、向けられる敬慕かなにかの念が、とても強くてひたすら重いことが気掛かりではある。

 

「あ、ああ……。それで、だ。俺とエリーが一つになった理由ははだいたいわかったとして、なんでこう……えっと、身体構造が……」

 

『女の身体になった理由、でしょうか』

 

「ど直球だな……なるべく遠回しにしようとしてたのに。結局はそういうことだな」

 

 俺とエリーの心身がシンクロし、魔力を共有したのはとりあえず得心がいった。

 

 しかし、同一化するのであれば、わざわざ身体を変質させる理由はないだろう。もとの男の身体のままでも問題はなさそうに見える。

 

『主様の体質が、私を受け入れすぎてしまわれたのです。過度に受容し、魔力的な比率も高い私に外見が合わされたのだと思われま』

 

「つまり、なんだ……俺は流されて男を捨てたのか……」

 

『そう言ってしまうと少々語弊があります。全てを受け入れて包み込む主様の優しさに、厚かましくも私が甘えてしまったのです。主様に出来得る限り近づきたいという私の気持ちが強く影響を与え、深く繋がり過ぎてしまった。主様の性別が反転してしまわれた素因は私にあります』

 

 落ち込んだように、エリーは声を沈ませた。

 

 エリーは説明したことでどこか気落ちしてしまっているが、俺はかえって納得できてしまった。それなら仕方ないな、と認めることができてしまった。

 

 その場の流れとか雰囲気で女性体となったわけではなく、無意識下であったにしろエリーの望みを受け入れてこの結果になったのだとしたら、それは男冥利に尽きるというものだろう。近づきたいという真摯で純粋な好意を向けられているのだ、疎ましく感じるわけなどない。

 

「それなら別にいい。気持ちを抑え込まずに、もっと素直に甘えていいんだ。相棒なんだから、俺にやってほしいこと、エリー自身にやりたいことがあれば、気兼ねなく相談してくれ」

 

『ああ、主様……もったいなきお言葉……。主様の寛容なお心遣いに、幸せな気持ちで私の胸は張り裂けんほどにいっぱいです。ここまでのお言葉を掛けて頂き、これ以上の何を求めると言えるのでしょう。いえ求め出せば浅薄の極みに至る私の欲望は止め処なく溢れてしまいますがかといって繋がったばかりで重いお願いをしても主様に引かれてしまうのは必定であれば最初は乙女チックでたわいない行為から徐々に時間をかけてエスカレートさせて主様の理性の(たが)を少しずつ緩めていくのが本道。なれば、私のすべき事は…………っ!』

 

 突如心から溢れてくる感情の奔流に圧倒されてしまい、俺はエリーに話し掛けるタイミングを失った。手の施しようがないほど舞い上がっている様子なので、落ち着くのを見計らって声をかけようと思っていたら、中途半端な部分で言葉を区切った。

 

 唐突に空気が変わる。

 

「なんだ、どうした?」

 

『失礼します、主様。邪魔が入りました。御身、お借りいたします』

 

「お、おお……?」

 

 エリーが言うや否や、魔法が発動する感覚。術式は防御魔法だ。

 

 透き通る空色の盾が、俺の斜め上に展開した。展開された直後、爆発音と衝撃が空気を震わせる。

 

 障壁を叩いたのは暗褐色の魔力弾、十数発にも及ぶリニスさんの射撃魔法だ。魔力弾は障壁にぶつかって爆ぜ、盾の端に触れて軌道が逸れ、俺に降り注ぐことはなかった。

 

 全弾を防ぎ切ると、空気に溶けるように障壁は消えた。

 

 射撃魔法を放った張本人。遥か前方で杖を構えるリニスさんが、開口する。

 

「本当に、まったく……っ、もう。徹は次から次へと、予想外で、想定外な……こと、ばかり……」

 

「これについては俺も想像の埒外だった。でも、エリーのおかげで命が繋がって、希望が繋がったんだ。難しいことなんて考える必要はない、その事実さえわかっていればな」

 

「ふ、ふふ……っは。窮地に陥り、命の危険に……晒されて、強大な力を手に……入れる、なんて。そんな……運命的なまでのご都合主義が、あるのですね」

 

「ご都合主義、ね。そう言われても仕方ないとは思うけど、案外そんなに単純でもないよ。これでも割と、綱渡りなんだ」

 

「……私たちには、徹が言うような細い綱さえ……っ、ありませんでしたよ。……はっ、ぁ……」

 

「り、リニスさん……? どうか、したのか……?」

 

 彼女が不意によろけた。たたらを踏むように体勢を持ち直したが、どこか足元が覚束ない。

 

 リニスさんから溢れ出る魔力は寸毫(すんごう)(かげ)りを見せていないし、それほどハードに動いたわけでもない。魔力や体力を大きく削るほどの行動を取ったとは思えない。

 

 しかし、彼女を一見しただけで平常な状態でないことは容易く察することができる。

 

 熱に浮かされているような言動も散見されたし、顔だってずっと紅潮したままだ。時折苦しげな様子が垣間見える。額には汗が浮いているし、左腕は胸の中央を押さえていて呼吸も荒い。先まで俺に向けられていた杖はすでに下ろされ、床に向けられている。杖を持つ右腕がとても重たそうだった。

 

 明らかに、身体に変調を(きた)している。

 

 考えてみれば当然だ。

 

 リニスさんの身に、原理は分からないが途轍もなく強大な魔力強化がついと為された。その強力無比な魔力の代価に、彼女は何を支払ったのか。

 

 元から強かった人が更に強くなった。俺はそこまでしか考えていなかった。代償が、副作用が、ないと考えるほうが不自然だ。

 

 彼女の身になにが起きているのだろう。細く脆い身体の内側で、なにが。

 

「私は、いつも通りですよ。ええ、いつも……通りです。っ、それより、徹のその姿……融合(ユニゾン)でも、したのですか? そうだとすれば、危険な程に……主従の力関係がアンバランスな、ようですが。徹の名残は……その鋭い(まなじり)くらい、です。そのような姿でも……私は好きですが、デバイスに乗っ取られる寸前のようにも……思えます」

 

「ゆにぞん……? 乗っ取り……?」

 

 リニスさんは汗を首筋に垂らし、空元気に微笑みながら(うそぶ)く。俺の知らない単語を使って尋ねてきた。

 

 未知の専門用語にどう返答すべきか逡巡(しゅんじゅん)していると、ぐずぐずした俺を見兼ねたのか、エリーが助け舟を出してくれた。

 

 いつもより気持ち早口に、エリーが説明してくれる。

 

『彼奴の言う融合(ユニゾン)とは、融合型デバイスを指していると思われます。融合型デバイスとは文字通りに、術者とデバイスが融合して戦闘を行うというもので、特徴として髪色や瞳の色……虹彩が変色することなどが挙げられます。彼奴はその特徴から推考し、主様と私が融合(ユニゾン)した、と考えたのでしょう』

 

『そうなのか……。ん? だとしたら俺とエリーは、その融合(ユニゾン)状態と言えるんじゃないか? 共通点は多いように思えるけど』

 

 発声してしまうとリニスさんへの返答と勘違いされてしまいそうなので、心の内で念じ、エリーと会話する。実際にやってみて初めて知ったが、口頭で会話するより意識下での会話のほうが、心身が繋がっているせいもあってかレスポンスが早い。最初からこれを使っていれば良かった。

 

『先にもお伝えしましたように、人と重なることができるような機能は私の中には存在していません。精神と身体が一つになるという結果自体は似ていますが、辿った経路が融合(ユニゾン)とは根本的に違います』

 

 俺とエリーの状態も融合状態か、それに酷似した状態のように感じ、訊いてみたが、エリーは力強く、半ば意固地なくらいに否定する。一応俺相手ということで言葉使いは丁寧なままだが、声には鬼気迫るような迫力があった。

 

融合(ユニゾン)はシステムという基盤があり、プログラムに則って術者とデバイスが一つになります。ですが主様と私は心を通わせ、信頼により繋がったことで一つとなっております。心と身体の奥深く、リンカーコアにまで届き絡み合う程、深く繋がっております。術者とデバイスという主従関係ではなく、私を対等の存在と認めてくれた主様だからこそ成し得ることができた偉業です。分かり辛ければ、便宜的に和合(アンサンブル)とでも呼称しましょう。ですから、だから……融合(ユニゾン)とは、全く違っていて……融合のように、術師を……主様の身体を乗っ取って、暴走するような真似は……私は、絶対に……っ』

 

『ああ、そういうことか。なるほどな……まったく』

 

 エリーが伝えんとしている気持ちが、遅まきながら理解できた。今の俺たちの状態、エリーが名付けてくれたところの和合(アンサンブル)と、融合(ユニゾン)とは隔絶された違いがあると言い張る理由が、ようやく俺にもわかった。

 

 リニスさんが俺を見て放ったワードが鍵なのだろう。『危険』とか『力関係』、『アンバランス』や『乗っ取る』などの不穏当な単語。()(はか)るに、融合状態における危険性について述べていたのだ。

 

 融合状態はその構造上、行使する魔術師と行使されるデバイスの肉体と精神が――デバイスの場合はそれに類似該当するものが――重なり、一体化する。融合状態の利点とは、術師とデバイスが一つになるところにあり、リニスさんやエリーの言葉を汲み取れば、欠点もそこにある。

 

 それこそが『力関係』。術者の能力とデバイスの性能が均衡せず、『アンバランス』になり、デバイス側に力の天秤が傾けば、肉体の主導権はデバイスが握ることになる。こういう展開が融合型デバイスには少なからずあり、『乗っ取る』とはこういう展開のことを示しているのだろう。

 

 だからエリーは恐れたのだ。リニスさんが『乗っ取る』などの発言をしたことで、エリーは慌てて融合とは違うということを証明しようとした。聴いてて心が張り裂けそうになるような痛々しい声で、必死に否定しようとした。

 

 エリーが否定した理由。それももはや簡単な話だ。

 

 既に、俺の身体を『乗っ取る』ことで魔法を行使しているからにほかならない。エリーと話している時にリニスさんから向けられた射撃魔法、両手の指では数えられない量の魔力弾を防ぐ際、エリーは俺の身体を乗っ取って防御魔法を発動させた。

 

 もちろん、俺はその行為を『乗っ取り』だとは思っていない。緊急性が高く、言葉を交わす時間を惜しんだエリーが気を回し、障壁を展開して防いでくれたのだと捉えている。

 

 褒めこそすれ、その行いは(とが)められるようなものではない。

 

 俺が身体の主導権を手離したのは防御魔法を発動させるのに必要不可欠だったごく短時間のみで、射撃魔法の雨が止んだらすぐに身体の権限をこちらに返した。肉体の権限をエリーが掌握していた時間は最小限に抑えられていた。

 

 それでも、俺の身体を乗っ取ったことに変わりはない。エリーはきっと、そう考えているのだろう。

 

 だから俺たちが置かれている状況を、融合とは別物にしたかった。融合状態であれば間違いなく術師を『乗っ取る』行為だが、融合状態とは違い、和合(アンサンブル)という新種の状態であれば乗っ取り行為に当て嵌まらない。機械的なプログラムではなく、心が繋がったことによる一体化であれば、魔法を使うのも信頼の裏返しと言い逃れることができる。

 

 なるほど、上手い(つくろ)い方だ。事実を織り交ぜて説明することで見事に論点をすり替えている。実に俺好みの思考法だ。

 

 リニスさんには手厳しい言い方をするエリーだが、俺にはとても素直に接している。そのエリーがこうまで誤魔化そうとした理由。

 

『見損なってくれんなよ。そんなこと言われなくたって、お前への信頼は揺るがないよ。お前との絆は、そんなに壊れやすいものじゃない』

 

『あ、あるじ……さま』

 

 俺に疑われたくなかったから、なのだ。信用してもらえなくなる、絆が絶たれる、繋がりが途切れるのを、エリーは何より恐れた。一途にひたむきに、ただそれだけを想ったのだ。

 

『あんまり見縊るな。たぶんエリーが思っている以上に、知られたら引かれるくらいに俺はお前を信じていて、頼りにしている。全幅の信頼を置いているんだからな』

 

『……せ、僭越でっ、不躾なことを、私はっ……。失礼、しました……』

 

『まったくだ。自信を持って堂々と胸を張れ、相棒』

 

『はいっ。もう……大丈夫です。心配をおかけしました』

 

『調子が戻ったんならそれでいい。ところで、どこでユニゾンデバイスとか知ったんだ?』

 

『私もどこで情報を得たのか、その経緯はよくはわかりません。恐らく遠き過去に実物を目にしたか、もしくは情報に触れたかと。ともあれ、主様のお役に立てて恐悦至極に存じます』

 

『そ、そんな感じなんだ。まあ……助かったからいいや』

 

「徹……どうかしましたか? まさか、融合暴走が……」

 

「あ、いや、ごめん、大丈夫。ちょっと相談してた」

 

 いくらエリーと意識を交わす速度が速いとはいえ、長々と会話していたら沈黙したままになる。リニスさんが気を揉んでいるような声音で俺に再度話しかけてきていた。

 

 集中の針をリニスさんへと合わせ、答える。

 

「相棒に確認したら、融合(ユニゾン)とは本質的に違うんだとさ。新しい型式、和合(アンサンブル)と呼んでくれ」

 

「アンサンブル……。では、その姿は身体の支配権を奪われているわけではなくデフォルトで、正常に機能している状態である、と?」

 

「深く繋がりすぎた感は否めないけど、だいたいそんなところみたいだ」

 

「……っ、副作用や、制限時間も……」

 

「ないんじゃないか? 少なくとも今のところは、だけど。なにせ、ついさっき初めて使ったからな。正直なところわからない、ってのが本心だ」

 

「そう、ですか……っ。……は、ふふ」

 

 俺の返答を受け、リニスさんは顔を伏せた。苦しそうに肩で息をして、胸のあたりを強く押さえている。

 

 どくん、と心臓が脈打つように、魔力の波が彼女を中心として広がっていく。その波は床を走り、壁にぶつかる。そこかしこから不安を煽るように、みしみしと軋む音が聞こえた。

 

「本当にもう……。無茶苦茶ですよ……徹は。何が、違うのでしょう。私たちと、何が、違っていたんでしょう……。私たちは、何が、間違っていたんでしょう……」

 

 二度、三度と魔力の脈動は繰り返される。リニスさんの付近の床は、脈を打つたびに亀裂が刻まれていく。

 

 リニスさんが穿った壁の穴と、俺とエリーが和合(アンサンブル)で一つになった時に開けられた穴から彼女の魔力が飛び出ていく。魔力の波が排出される際に穴の端を削り取っていき、徐々に暗闇の口が大きくなっていた。

 

 長い空色の髪と服の裾が魔力の波ではためく。

 

 心臓を鷲掴みにされているような圧迫感と息苦しさを感じた。

 

『主様、細心の警戒を。彼奴はもう、人としての境界線を踏み越えています』

 

『警戒してなかったわけじゃないけど……より一層、注意しとく』

 

 一際強烈な魔力波が放たれる。それはもう床を舐める波ではなく、大気を震わせる衝撃だった。

 

 暗褐色の魔力の球体がリニスさんを中心に広がり、強固なはずの床材を砕き、巻き上げた。

 

 俺が『リニスさんの姿』を最後に見たのはその瞬間。崩れそうな自分の身体を両手で抱き締め、激甚(げきじん)な痛みや感情から耐えるような姿だった。次の瞬間には砂煙に呑まれていた。

 

 砂煙の向こうから、彼女の声がする。

 

「こっ……ぇ、だけの、魔……給が、っても……殺しきれるか、ぁかりませんが、もう後には、退()け……せんっ。背後は崖、数歩先も崖……なら、ば……」

 

 リニスさんのものとは思えないほどに不明瞭な声。上下に音が揺れ、一語一語振り絞るように発されていた。

 

 だが――

 

 

 

「私は、突き進む」

 

 

 

 ――その一言だけは、鋭く俺の耳を貫いた。

 

『エリーッ!』

 

『――っ、把握しております!』

 

 全身が粟立った。心臓を握り潰されたかのように、眉間に刃物を突き立てられたかのように錯覚した。それほどに殺意が込められたプレッシャーを浴びたのだ。

 

 咄嗟に相棒の名を叫ぶ。

 

 以心伝心どころか一心同体故か、やってほしいと願ったことをエリーは即座に理解した。瞬時に行動に移す。

 

 俺は魔力を足に注ぎ込んで全力でその場を飛び退る。エリーは大量の魔力を圧縮し、それを余すところなく練り込んだ障壁を構築した。

 

 魔法が展開した直後、大音響とともに障壁に衝撃が走る。エリーの桁外れの魔力が込められた障壁に、たった一回の衝撃でひびが入った。

 

 すぐさま二度目の衝撃。防御魔法は耐久限界を超え、破砕した。

 

 光がステンドグラスを透過するようにきらきらと輝く障壁の欠片の向こうから、黒ずんだ茶色の魔力を纏った腕が伸びる。

 

 間一髪のところで伸ばされた腕を振り切り、俺は背後に空いた風穴から縦長の塔の外に出た。

 

 足場用の障壁を足元に作り、立つ。

 

 エリーが障壁を展開させて時間を稼いでくれていなければ、あの腕に捕まっていたところだった。あの凶悪な鈍い輝きを放つ鋭い爪に、串刺しにされるところだった。

 

 手から視線を上げていき、襲撃者を見やる。

 

 瞳に生気はなく、灯っているのは杳々(ようよう)とした昏い光。口からは血肉を求めるように、伸びた糸切り歯が顔を覗かせる。

肩に触れない程度だった彼女の髪は腰に届くほどになり、その身から溢れさせて陽炎のように揺らめいていた魔力は暗褐色に染まっていた。放出され続ける暗く変色した魔力の鎧は、鎧の内側の身体を傷つけている。濁った魔力は少しずつ服を焦がして炭化させ、肉を裂いて血を啜る。

 

 外見だけでこれほどの変化が生じている。身体の中は、どれほど蝕まれているか想像もできない。

 

 痛みを伴わないわけがない。熱いだろう、辛いだろう、苦しいだろう。拷問に等しい責め苦だろう。

 

 なのに、もう彼女は眉一つ動かさない。神経が焼き切れているかのように、感情が、心が、魂が欠落したかのように、なんの反応も示さない。

 

 これでは、俺へと殺意を向けるだけの、機械仕掛けの人形だ。

 

「リニス……さん。あんたは……なんの為にっ、そこまでッ!」

 

 俺の問いに、リニスさんだったものは杖にて返答する。

 

 周囲の空間から赤黒く濁った魔法が形成され、俺に向けて射出された。

 

 彼女の魔力はもう、残滓すら見えなかった。

 


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