そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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歓喜と狂気に満ちた真紅の眼光

 ハッキングのためには彼女に近づいて抵抗されないよう組み伏せなければいけないが、この時点で和合(アンサンブル)を解除しては出端から計画が頓挫する。なので組み伏すところまでは和合を維持し、押さえ込んでハッキングが可能となってから解除することとした。

 

『あまり変わった様子はありませんね。彼奴が何を考えているか読めません』

 

『魔力の流れは?』

 

『そちらも先ほどより変化なしです。膨大な量の魔力が彼奴の身体に流れ込んでいるだけです。変わりありません』

 

『その状態で変わりないってのが空恐ろしいな……。でも特に変化がないのなら、近接戦に弱いのも変わりなしだろう。攻めるぞ』

 

『はい、いつでもどうぞ』

 

 数メートル先に立つ彼女を注視する。俺が攻めるため、前傾姿勢にかすかに身じろぎしたのを見て、黒の彼女は構えを取った。

 

 リニスさんだった時と同様、杖は右手に持つ。杖の下部ぎりぎりを握り、右腕は身体の後ろにまで引き絞る。左手は開いて前方に突き出した。

 

 構えからして、俺の接近に合わせて杖による迎撃の打突を見舞う算段だろう。カウンター狙い、待ちの姿勢だ。

 

 隙がない綺麗なフォーム。その中に飛び込むのはかなり勇気がいるが、これしきで怯えてはいられないのだ。なんせ、計画の最終段階では和合を解いて彼女に触れなければいけないのだから。

 

「……ふっ」

 

 俺は短く息を吐き、踏み込んだ。

 

 得物は引き下げられている右腕にある。あの構えなら突き以外にない。

 

 突きは振り下ろすものより身体に到達する速度は速いが、軌道は一直線な上に有効範囲は狭い。しかも腕を伸ばして繰り出すため、回避できれば相手は自然と重心が前に傾き、身体は伸びる。

 

 さっそくチャンスが訪れた。俺はそう思った。

 

「なっ……!?」

 

 浮かれて油断した心の隙を狙い澄ますかのように、彼女の左手の杖(・・・・)が俺の顔面に突きつけられる。まるで手品のように、右手にあった杖が左手に移動していた。

 

 それは一瞬だった。俺が踏み込んで攻撃範囲に入る、その一瞬早く、彼女は右手に握る杖を手首のスナップだけで前に突き出されている左手へと投げて持ち替えたのだ。

 

「くそっ……」

 

 ほんの一~二歩分くらいしか空いていない距離。それだけの空間があれば俺がそうしたように、少なくとも一歩は踏み込むことができる。

 

 しかし、杖を振るうには適さないと、そう考えていた。だから右腕を奥に引いて突きの態勢で俺の攻撃を待つことにしたのだろうと、そう考えていた。

 

 そんな見込みも甘かった。

 

 彼女は肘を曲げて、半歩程度踏み込み、狭い空間から可能な限りの加速を生み出した。

 

 大振りな一打ではない。命中させることを念頭に置いている。コンパクトに纏められた、シャープな一突き。

 

『もう、近接戦もアジャストすんのか、対応早すぎるだろ……』

 

『これは主様が彼奴の格闘技術を軽んじていた結果かと』

 

『正論で返さないでくれ……っ』

 

 踏み込んだ足の膝を曲げ、上半身を後方に逸らすことで回避する。

 

 だが、まだ終わらなかった。俺が姿勢を下げたのを認めるや否や、彼女は左腕を再度閃かせる。西洋の剣術フェンシングのように、片手で素早く杖を繰る。

 

 相変わらず頭部をしつこく狙う打突を躱すため姿勢を傾け続け、最初の一撃から数えて四発目に、とうとうバランスを崩して転倒。尻餅をついた。

 

 無防備になる瞬間を待っていたかのように、大きく足を踏み出し、引き絞られた右腕から掌底を放つ。

 

『エリー!』

 

『心得ております』

 

 俺は顔の前に両手を重ね、エリーは障壁を展開する。

 

 黒の彼女の掌底はエリーが張った障壁を砕き、俺の手のひらに打ち込まれた。

 

 障壁のおかげで勢いは減衰されたはずだが、それでもかなりの重さがある。衝撃で押し戻された手甲が口元にぶつかり、唇を切った。

 

 とはいえ、負った傷はそれくらいのもので、大した怪我はせずにすんだ。このまま手を掴んで引き摺り倒そうとするが、彼女はそれを許さない。

 

 身体を捻り、右腕を押し出す。当然右手に接している俺はその斥力(せきりょく)を余すところなく受け、弾き飛ばされた。

 

『砲撃、来ます』

 

『ああ、もう……。エリー、障壁頼んだ』

 

『承りました』

 

 もののついでとばかりに、彼女は杖を輝かせて追い討ちを走らせた。

 

 エリーは半球状の障壁を展開。魔力を注ぎ足して強化、維持する。俺はというと、やられっぱなしは癪だし長々と砲撃を撃たれ続けるのは分が悪いので、妨害のために誘導弾を射出した。

 

 作り出した誘導弾、合計四発のうち二発は防衛展開された魔力弾に墜とされたが、一発は障壁に遮られ、残り一発が弾幕を()(くぐ)って彼女の脇腹に突き刺さった。

 

 思えばこの一発が、彼女に直撃した初めての射撃魔法である。先の五十発も加えて五十四発中一発しか当たらないとか、どれだけシュートリザルト悪いんだ。

 

 ともあれ、彼女の砲撃照射は停止した。エリーが張ってくれた障壁は焼け焦げて耐久限界に達していたが、なんとか持ち堪えていた。俺が放射を浴びなかったのも障壁が頑張ってくれていたが故である。

 

 俺は大した傷を負わずに済んだが、困ったことがまた一つ増えてしまった。掌底で弾き飛ばされたことと空中で砲撃を放たれたせいもあって、彼女からかなり離れてしまったのだ。目測にして、二十メートル以上。いやはや、困った。

 

『さて、主様。当初あった位置的アドバンテージもこうして消えて無くなってしまったわけですが、どうなさいますか?』

 

『…………』

 

 たった一つ有利であった距離まで失えば、返す言葉もないというものだ。

 

 エリーの一言一言はとても鋭く辛辣で、俺の心を抉っていく。

 

『相手の実力を見誤った結果がこれです』

 

『エリー……わかってるから。俺だってわかってるから』

 

軽挙妄動(けいきょもうどう)はお慎みになり、深慮遠謀(しんりょえんぼう)を徹底して頂きたいです。このままでは遠からず、深い手傷を負われます』

 

『ちょ、ちょっと……言い過ぎだと思うんだ……。俺だってさ、俺だって、わざとこんなことしたんじゃないんだぞ?』

 

『一秒に満たない時間であっても油断すれば、故意であろうと過失であろうと傷を負うのです。今回は幸運にも命に関わるものではありませんでしたが、致命傷と成り得ることもあるのです。不注意や慢心が理由では、主様も死に切れないでしょう。いやそんなこと私がさせませんが私が守りますが。……こほん。とりあえず、私も精一杯お役に立てるよう努めますが、主様に注意して頂かなくてはどうしようもないのです』

 

『…………』

 

『ご理解いただけましたか?』

 

『はい…………』

 

 こんな真正面からお説教されたのは、かなり久し振りだ。相棒という立場に加え、親愛の情が先に立っているからとはいえ、非常に手厳しいお言葉の数々だった。

 

 自他共に認める豆腐メンタルでは、許容範囲を超えそうだ。足が震える。彼女からの攻撃ではなく、エリーからの口撃が足にきている。正直、今ちょっと泣きそうである。

 

 そんな俺を見兼ねてか、エリーが念話を発した。

 

『礼を失した発言の数々、申し訳ありません。ですがこれも、主様に傷ついて欲しくないからなのです。ですから、そのような表情はやめてください』

 

『エリー……っ』

 

『興奮してしまいます』

 

『お前ってやつは』

 

 エリーの慰め、かどうかは議論の余地を残す言葉を受けて、折れかけた心は芯を取り戻した。

 

 最後のセリフは全てを台なしにしていたが、エリーの言うことは基本的に筋は通っている。不注意、慢心、油断、軽視。それらのせいでアドバンテージも失ったのだ。より一層の警戒を心に刻む。

 

 へこみそうになった気を取り直し、彼女を見遣る。

 

 彼女は左手に持っていた杖を回転させながら上に投げ、右手でキャッチした。

 

 なんてことはない一幕。だが、なぜかその光景は俺の目に焼きついた。

 

 さっきのシーンが他のシーンを想起させる。疑問やかすかな違和感を感じた場面を抜粋していく。

 

『エリー……彼女の魔力の流れは、本当に変わっていないか?』

 

『はい。先ほど報告した通り、変化はございません』

 

『なあ、その魔力の流れって内側を指しているのか? それとも外側か?』

 

『内外で言えば外です。解析した彼奴と魔導炉の魔力波長からどれほどの量の魔力が彼奴に流れ込んでいるかを、私の魔力を散らし、魔力がどれだけ押し退けられたかを元にして簡素ではありますが算出しております』

 

『ってことは、内側は……』

 

『調べる術が皆無です。体内の魔力の流れを調べようと思えば専用の機材を用意するか、それこそ主様のハッキングくらいしか方法がないかと。それがどうか致しましたか?』

 

『……エリー、魔力が人間の記憶に干渉することってあると思うか?』

 

『今ひとつ質問の意図を汲み取れませんが……絶対にない、と断言はできないかと。魔力が通る管は血管よりも細く多く張り巡らされていると言われております。手や足はもちろん臓器にも、果ては脳内にも、です。この魔力の管が記憶の蓄積をしている側頭葉、記憶や学習に関して重要な働きを担う海馬、長期間忘れずに保存している大脳新皮質にまで伸びているとすれば、魔力によってなんらかの影響を与えるやもしれません。側頭葉に電気的刺激を与えると昔の記憶を体感しているかのようにまざまざと思い出した、という実験結果もあります。魔力と記憶が関係する、などと言いますとどこか因果関係は薄そうに思われますが、実際のデータから擦り合わせて推測しますと(あなが)ち奇抜に過ぎるとも言えないでしょう』

 

『そ、そうか、ありがとう。……やけに詳しいな』

 

『魔力については私の中の、人体については主様の記憶を引用しました。主様は博学ですね』

 

『いや、俺はその辺りは大分うろ覚えだったんだけど』

 

『主様の意思で上手く引っ張り出せないというだけで、脳にはしっかりと蓄積されています。私がした事といえば、引き出しの中に雑多に詰め込まれた情報を選び取ったに過ぎません』

 

『そうか……』

 

 魔力が記憶に干渉する可能性は、必ずしもゼロではない。

 

 これはあくまでエリーの推論でしかないが、事実を下敷きとして丁寧に推し測っている。推定の情報も突飛なものではなかったし、ある程度信頼に値する仮説ではあるだろう。

 

 この仮説が正しいとすれば、彼女の変化(・・)についても説明がいく。厄介の度合いが一段階引き上げられることになるけれど。

 

『そろそろ質問の意味を答えて頂きたいのですが……。一体何の関係があってこのような話を今するのですか?』

 

『もしかしたら……リニスさんの知識や戦術が今の彼女に組み込まれたかもしれない』

 

 近接戦闘においては杖で払うとか振り下ろすなどという単調な攻撃方法に終始していた黒の彼女が、(とみ)に動きを洗練させた背景にはなにかがあると、俺は見ていた。

 

 俺が動いた瞬間を見計らうように杖を持つ手をスイッチ。浮き足立ったところで更に追撃、出の早い攻撃で体勢を崩させ、威力の高い一撃を見舞う。思考を誘導し、行動を予測させて思い込ませ、自分のテリトリーに誘い込み、刺す。この一連の流れは、どうしようもなくリニスさんの手法を彷彿とさせた。

 

『な、なぜ事態がここまで進んでから……』

 

『そこはわからない。魔導炉の魔力を取り込んでいる時間が長くなっているから魔力の侵食が進んでしまったのか、それとも近接戦闘で形勢が悪かったから戦術に関する知識をリニスさんの身体の中で求めたのか……。とにかく、これまではまるで傀儡兵のような単調さが目立っていたのに、急に臨機応変な動きをするようになった。魔導炉の魔力が関係しているという根拠はまだないんだけど』

 

『……恐らく、主様の懸念は正しいかと』

 

『確信はないんだぞ? どうしてそう言える』

 

『主様と繋がっている私が……主様の記憶から情報を引用できたからです。同様に、魔力という線で繋がっている『奴』が、『泥棒猫』の脳に侵入して知識や技術、知恵や戦術を抜き出せない道理はないでしょう』

 

『なるほど……そういうことか。こうなると戦いが長引けば長引くだけ不利になるな。リニスさんの巧みな戦運びに魔導炉の膨大な魔力が噛み合えば、本格的に手出しができなくなる。完全にリニスさんの知識を占有される前に、魔導炉からの魔力を切り離さないといけない』

 

『…………』

 

『あと……へこむなよ、エリー。お前と黒の魔力は違う。お前の使い方は共有で、向こうは悪用だ。性質も方向性も全く違うんだからな』

 

『はい……ありがとうございます。主様のお心遣いは優しくて温かくて……私、大好きです』

 

『ば……馬鹿なこと言ってんな。難易度がさらに上がったんだぞ。ハードからベリーハード……いや、ベリーハードからインフェルノくらいに上がってる』

 

『それかルナティックですね』

 

『それだけ調子が良いんならもう大丈夫だな。そろそろ行くぞ』

 

 舌舐めずりしながら、黒の彼女はこちらの挙動をつぶさに見つめている。

 

 推定二十メートル以上。この距離をいかにして潰すか。難題はまだ残っている。

 

『彼奴の方から近づいてくることは……ないですよね』

 

『そりゃあ、ないだろうな。俺に接近戦で打たれまくった記憶もちらついてるだろうし』

 

 黒の彼女がいくらリニスさんの戦術を参照しているとしても、それだけで絶対的有利を手に入れることはできない。

 

 一つの策が通じたからといって次も同じ策を講じて、それが功を奏する可能性は低い。同じトリックに何回も引っかかる間抜けはそういない。重要なのは仕掛ける罠の質ではなく、罠をいつ仕掛けるかなのだ。

 

 相手の考えを誘導する動作と、わざとらしくないタイミングで張られるトラップ。経験に裏打ちされたセンスと、淀みなく連動させる手際の良さ。すべてが揃ってこそ、打ち合いの最中に、相手を陥穽(かんせい)に陥れることができる。

 

 ただどうすればできるかだけを、マニュアルを見ながら実践しているような状態の黒の彼女では、近接戦闘に不安が残る。俺を一度近接戦で追い返すことができたが、彼女から接近してこないだろうことは簡単に想像できた。

 

『となれば彼奴の取る行動は……』

 

『エリーの予想通りだと思うぞ』

 

 黒の彼女は杖をこちらに向ける。底冷えしそうな暗い光が、彼女の足元で輝いた。

 

 空間が丸く切り取られたかのように、黒い球状の魔力弾が彼女の周囲に浮かび上がる。

 

『遠距離射撃で封殺する気だろうな。そら来た』

 

 一定の大きさになったものから順次、射出された。前もって大量に待機させていない分、弾幕としてはまだ薄い。

 

 弾道を見極め、直撃コースの魔力弾だけを両手の手甲で殴り飛ばす。

 

 一つ一つが強力で、かつ弾速も早く、量まで多い彼女の魔力弾だが、俺の拳を覆う青みがかった銀色の手甲はそれらに押し負ける気配すら見せずに弾く。さすがはエリーお手製のバリアジャケット。安心感と安定性が違う。

 

『主様、障壁を使わないのですか? 弾幕対策の『浮鏡』、でしたか? そちらの方が楽に対処できるのでは』

 

 わざわざ拳で打ち壊すという非効率的な行動を疑問に思ったのだろう。

 

 俺としても地味に神経を使う行為は即刻やめたいところだが、ちりっと小さく火花が散るように、脳裏に不安が(よぎ)るのだ。

 

『たしかにこのくらいの数なら『浮鏡』で余裕を持って潰せるとは思うけど、リニスさんの戦術を部分的にでも獲得したのなら、楽観視はできない。保険ってとこだな』

 

『保険……?』

 

 エリーの様子では、まだいまいち理解しきれていないようだ。それでもじきに気付くだろうから、これ以上の説明は不要だ。百聞は一見に如かず、とも言う。実際に体験したほうが早い。

 

『ああ、保険だ。早速使う機会が訪れた』

 

 押し寄せる魔力弾を拳で弾き続けていると、一発の弾丸が目に留まった。俺の身体からは逸れる軌道。それでもその一発に注意を払う。

 

 そのまま突き進めば俺の背後に流れる一弾は、急遽途中でかくんと折れて軌道を変える。注意していたこともあり、慌てることなく打ち払う。

 

 俺がわざわざ面倒な対処法を選んでいる理由がこれだ。

 

『魔力弾の中に誘導弾を混ぜていた、ということですか……。主様は、彼奴がこういう手を打ってくるだろうとわかっていたのですね』

 

『リニスさんなら単一の弾種だけで攻めるなんてしないだろうと思って、一応警戒しておいただけだ』

 

 今度は右に飛び退く。さっきまで俺がいた空間に黒色の砲撃が突き刺さった。おそらく誘導弾で冷静さを取り除いたところに砲撃を入れる、という流れを狙っていたのだろう。

 

 段階を一つ引き上げたエリーの魔力出力でも砲撃を完全に防ぎきることはできない。なにも考えずに障壁で楽をしていたら、もしかしたら足を(すく)われていたかもしれない。

 

 なのはやフェイトのように、直感や反応速度が鋭敏であれば急に射撃魔法の種類を変更されても対応できるのかもしれないが、俺はどこまでいっても理詰めで動く人間だ。悪寒にも似た寒気から及ぼされる勘に従う例外もあるとはいえ、根本的には事前にいくつもパターンを予測しておかないと即応できない。

 

 考えていた流れ通りに事を運べなかった黒の彼女は魔力弾をメインに据えた弾幕から、誘導弾や砲撃も数多く取り入れた乱撃へと変移させる。外角から抉りこむように狙う誘導弾の軌道からは苛立ちのようなものも垣間見えた。

 

『打ち落とすだけじゃ間に合わなくなってきた……。機動力で撹乱しながら突っ込む』

 

『了解しました』

 

 種々様々な射撃魔法が密集した空間から、高速移動術『襲歩』で離脱する。

 

 一時的に魔弾の雨を凌げたが、一時の休息も(まま)ならないまま照準器代わりの杖が俺を行く先を追ってきた。

 

『主様。単純なスピードだけでは、この量を振り切ることはできないかと……』

 

『向こうのレスポンスは良好だからな。わかってるよ。でも……俺が持ってるのは単純なスピードだけじゃないんだ』

 

 どっしり構えて固定砲台と化すかと思いきや、彼女は俺の動きに存外センシティブな反応を見せた。

 

 あれだけの反応速度なら、きっと次からは『襲歩』といえど簡単には振り切れない。俺が構えを取っただけで行く方向を読んで魔力弾をばら撒くだろう。

 

 ならば、その反応速度を利用させてもらう。左側へ足を踏み出した。

 

 俺は再度眼前に接近する射撃魔法の群れを一瞥し、左から回り込む形になるようにさっきと同じく『襲歩』の構えを取る。彼女は一度見た『襲歩』の移動速度、距離を考慮に入れて即座に魔力弾と誘導弾を射出した。

 

 素晴らしい迎撃だ。一見しただけで高速移動術のスペックを把握して反撃に取り入れている。そのまま突き進んでしまったら、躱しきれずに防御に徹することになる。

 

 魔力はもちろん、各種魔法の適性、相手の魔法を見定める観察眼もある。だが、策の読み合い腹の探り合いだけはもう少しお勉強が必要なようだ。

 

「相手が何を考えているかを読むことも、戦術。予想に反した動きを取るのは王道も王道だからな。これでも俺は、相手の裏をかくのが得意なんだ」

 

 踏み出した左足に重心を移して軸足とし、身体の向きを変えて切り返す。バスケットボールで言うところのジャブステップと要領は似通っている。

 

 殺到していた射撃魔法の大半はあらぬ方向へと飛んでいく。ぱらぱらと飛来する魔力弾数発だけを打ち壊し、さらに彼女との距離を詰める。

 

『これでも、って主様はどの口が仰るのですか。常に人の想像を超えていますよ。斜め上だったり、斜め下だったりと』

 

『斜め下って……想像したものより悪かったってことかよ……』

 

『主に魔法の適性などですね』

 

『俺もうすうすわかっていたのに、あえて傷口を広げにかかったな……。そんな注釈いらねえよ』

 

 直線で結べば、彼女まで十五メートルを切った。一気に懐まで飛び込んでしまいたい気持ちを抑え、丁寧に詰めていく。

 

「…………ッ」

 

 施した策の(ことごと)くが不発に終わったことでフラストレーションが募っているようだ。身体に纏わりついている黒い魔力が一拍、どくんと脈動した。固く噤んできた彼女の表情にもごく僅かながら変化が生じる。

 

 これで調子を崩してくれれば重畳だったが、そこまで甘くはなかった。地味で地道な行程が俺を待っていた。

 

 『襲歩』による高速接近をブラフに掲げて大多数の射撃魔法をやり過ごし、時々飛んでくる魔力弾に関しては少数であれば拳で、数が増えれば障壁を展開して凌ぐ。これらを繰り返し、ようやく残り七〜八メートル程まで接近を果たした。

 

『相手を手玉に取れている間だけは、主様は本当に楽しそうな顔をしていらっしゃいますね。性格が歪んでいらっしゃることに、愛するパートナーながら少々複雑な思いです』

 

『嫌な言い方するんじゃない。それに性格の悪さなら、エリーだって引けは取ってないぞ』

 

『あら、お揃いですね』

 

『嬉しくないな……』

 

 目の動きや身体の向き、足運びや重心の掛け方で予測を(あざむ)き、『襲歩』で接近した。何回もそのフェイントに騙されて引っ掛けられたことで、何を警戒すればいいか判断がつかなくなり、彼女は『襲歩』をみすみす見逃した。

 

 俺は視線誘導で目を横に向けた彼女の死角に潜り込む。

 

 手に魔力を込めて、言う。

 

「やっとここまで戻ってこれた。これで終わりにしよう」

 

 彼女の左腕を掴み、足をかけて引き倒す。起き上がられる前に馬乗りになった。

 

「……ッ。…………ッ!」

 

「たぶん、ちょっとくらいは痛かったり気持ち悪かったりすると思うけど、我慢してくれよ」

 

 彼女に触れられるくらい近づくという第一目標はクリア。抵抗されないようにするという第二目標の成否は、エリーの頑張りにかかっている。

 

 魔力に物を言わせて強度を増した拘束魔法を可能な限り、出せるだけ出した。後は和合(アンサンブル)を解き、俺のハッキングが完了するまでエリーが拘束魔法に魔力を供給し続けてくれれば、第三目標も完遂される。

 

 ハッキングの準備のため、彼女の胸の真ん中に手を置く。その身体は、熱かった。

 

 心臓は血管が破裂してしまいそうなほどばくばくと強く律動している。黒色の魔力の衣が包まれている全身は、見るのも辛い有様だ。火傷のようになっていたり、切り付けられたような傷もある。傷口からこぼれ出す血液が、本来は赤黒いだけだった魔力に黒みを与えていた。着ていた服も大部分が焼けたかのように灰になっており、目を向けることすら(はばか)られるほどあられもない姿だ。

 

 彼女の瞳は爛々(らんらん)と血走って、瞳孔は猫のそれを思わせる縦長になっている。口からは人間の肉など容易く喰い千切れそうな鋭い牙が、唾液に濡れてぬらぬらと光を放っていた。伸びた髪を乱れさせ、組み敷かれた状態でも、俺の首筋に牙を突き立てんと頭を近づける。

 

 以前のリニスさんの面影など、もはや微塵も感じることができない。外見もそうだが、中身はもっと変質してしまっている。たとえ魔導炉からの魔力をシャットアウトしても、リニスさんはリニスさんのままで帰ってこれるのだろうか。

 

 不安が一塊の波となって押し寄せるが、どちらにしても動き出さなければ状況は好転しない。目を閉じて集中し、勇気を奮い立たせる。やらなければ、変わりはしないのだ。

 

 最後にエリーに声をかけ、和合を解除してハッキングに取り掛かろうとした、その時だった。乾いた音が聞こえた。仰向けで床に寝転がらされ、拘束魔法の鎖で手足を縛られた上にマウントされている彼女から聞こえた音だった。

 

「……く、はは……。……かはは。……に合っ……」

 

 あれほど暴れていたのに、今では身じろぎ一つせずにいた。振り乱したせいで顔にかかった髪が目を隠す。よく見れば口元が微かに動いていた。

 

 何を考えているかまったくわからないが、それでも一つわかることがある。

 

 彼女は、(わら)っていた。掠れた声で何かを呟いて、嗤っていた。

 

「なんだ、なんて言ったんだ……?」

 

「……くふ、かははは……。……に……た。……に合ったっ……ッ!」

 

『主様っ! 離れてくださいっ!』

 

 和合(アンサンブル)を解除する寸前、エリーが切羽詰まった声音をあげた。

 

 エリーの勢いに押されて黒の彼女から手を離し、俺は前傾だった上半身を起き上がらせる。そのまま離れようとしたが、俺ができたのはそこまでだった。

 

 彼女が頭を動かす。顔に掛かっていた髪が横に流れ、双眸が見えた。

 

 光を放っていた。比喩やイメージなどでは決してなく、実際に彼女の瞳は光芒を連れていた。どこまでも紅く、どこまでも黒い、血よりもおどろおどろしい色彩。歓喜と狂気に満ちた瞳が、俺を射抜いた。

 

「……に合った、間に合ったッ!」

 

 雄叫びが耳朶(じだ)に触れると同時に、俺は漆黒の壁に正面から叩きつけられた。身体の前面に痛みを感じたかと思えば、いつの間にか吹き飛ばされていた。

 

 ホールの中央付近までノーバウンドで弾き飛ばされ、何度か床を削ったが勢いは緩まず、手で床を引っ掻くようにしてブレーキをかけ、ようやく俺の身体は停止した。

 

「おい、なんだあれは! どうなってる!?」

 

『落ち着いてください、主様。冷静にならなければ、分かるものも分かりません。クールダウン、そこからです』

 

『くそ……! はぁっ……すまん、取り乱した』

 

あれ(・・)では仕方ありません。何が何だが分からないのも……』

 

 俺が飛ばされた方角を見やる。

 

 部分的に光が閉ざされているような、真っ黒の空間。漆黒のカーテンの奥にあるはずの壁も見えず、内側にいるはずの彼女の姿も見えない。ただ、そんな空間にあって、吹き飛ばされる間際に見た深紅の眼光だけは俺にまで届いていた。

 

 目の前の光景を見て、ようやくわかった。俺がぶつかったのは壁ではない。壁と見紛うほど圧縮された高密度の魔力の波。それをぶつけられたのだ。

 

 だが、判明したのはそこまで。何によって吹き飛ばされたのかはわかっても、彼女が再び変異した要因についてはまるでわからなかった。

 

 狼狽(ろうばい)する気持ちを必死に抑え、状況の把握に努める。エリーの言う通り、頭の中は冷静にしておかなければまともな考えは生まれない。

 

 原因も詳細も不明な状況を呑み込みきれずにいる中、耳に覚えのある声がした。二つの声音が重なっているような音。そして、無理難題を乗り越えて気を良くしたような哄笑。

 

 その声と同調するように漆黒の幕は取り払われた。ぐるぐると渦を巻いて、姿を現した彼女の身体に吸い込まれる。

 

「かははっ、やっと……やっと支配できた! こんのくそ女っ、いっちょまえに抵抗なんかしやがって! そこそこ具合はいいから許してやるけどな」

 

 爆発の前からとでは比較にならないほど表情は様々な色を見せ、荒っぽい言葉遣いでよく喋る。ベースとなっている声はリニスさんのものだが、それと重なって女の子の声が残響していた。

 

 彼女の周囲に漏れていた黒の魔力は跡形なく消え去り、代わりに浴びせられるプレッシャーは倍増した。魔力を完全にコントロール下に置いた、ということなのだろう。緩んでいた蛇口を締めたようなイメージを受ける。

 

 瞳の虹彩と瞳孔、輝きは変化したが、それ以外は爆発の前後でさしたる変容はない。魔導炉からの魔力供給を受け始めたあたりで大きく鋭くなった牙もそのままであるし、長く伸びた髪も特段の変わりはない。

 

 だが、決定的に変質している。外見ではなく内面が、リニスさんという存在が本質的に捻じ曲げられている。

 

「誰だよ……お前は。お前はいったい……なんなんだ」

 

 彼女の気分は際限なく上がっていく。リニスさんの身体で、顔で、そんなセリフを吐いてほしくなくて、ついに俺は問う。何者で、どういう存在なのかを、問い(ただ)す。

 

 昂ぶる感情の余韻に浸っていたところに水を差す形となったが、一頻(ひとしき)り笑った彼女は特に気にした様子もなく、俺に笑顔を向けた。

 

 外見の印象や雰囲気は変わっていてもリニスさんの顔で作られた笑顔のはずなのに、その表情はとても恐ろしく思えた。凄惨な微笑みだった。

 

「俺が誰かなんて、もうあんたも知ってんだろうが。ちまちました魔力を撒いてたじゃん。あれで探ってたんだろ? 鬱陶しくてかなわねぇよ。なんかジメジメしてて陰気だしよぉ。聞いてくれりゃ答えっからさ、この魔力()いてくれよ」

 

 気楽に、なんなら困ったようなボディランゲージまでしながら彼女は話す。放たれる威圧感と砕けた話し方との差が著しくて、逆に気持ちが悪かった。

 

『……無礼千万極まります。このぐつぐつと煮え(たぎ)る感情はどこに向ければよろしいでしょうか』

 

『情報を聞き出したい。堪えてくれ』

 

『むぅ……それが主様の望みであれば……』

 

 彼女は俺の質問にちゃんと答えたわけではないが、おそらくは想像通りの事態になっているのだろう。

 

「リニスさんは魔導炉からの魔力を取り込んでいた。つまり、お前はその魔力の意思……みたいなものなのか?」

 

「やっぱりそのあたりまでは予想してたか。でもそれじゃあ百パーセントの正解とは言えねぇな」

 

「それは、どういう意味だ?」

 

「おっきいくくりで言やぁ、たしかに魔導炉だ。ただ、この俺の意識は魔導炉としてのもんじゃねぇ。細かく言うとだ、俺の意識は魔導炉の中心部に使われている部品にあるんだわ」

 

「魔導炉のコア……部品?」

 

「おいおい、あんたは考えなかったのか? 魔導炉から作られてるただのエネルギーに……なんつったらいいか、人間的な人格が目覚めるわけねぇじゃんか」

 

「…………」

 

 言われてみて初めて、俺の持っている価値観が世間一般とずれていることを気付かされた。

 

 どういったプロセスを経ているかは知らないが、魔導炉は科学的かつ機械的に魔力を生成しているにすぎない。魔力を作る工程の中に、人間的な意識を持つ要素なんてありはしない。

 

 なのはの教師役兼相棒のレイハや、フェイトの片腕のバルディッシュは人格があるが、それはインテリジェントデバイスとして製作されているからだ。インテリジェントデバイスは魔導師の手助けができるように人工知能が搭載されている。意図せずして人格が作り上げられたわけではない。

 

 レイハやバルディッシュ、エリーのような存在が近くにいたために、魔力の集合体には自我が宿るのでは、と無意識的に頭に刷り込まれていた。

 

 エリーの、ような、存在。

 

「ま、さか……お前は……。いや、お前も……?」

 

『…………っ』

 

「気づいたか? 頭の回転は悪くねぇのな。ここの魔導炉の性能ってばすげぇだろ。いいこと教えておいてやるよ。すげぇことの裏には、たいてい何か隠されてるもんなんだぜ。ここの魔導炉にはな、使われてんだよ……亡き世界の遺産が。あんたらの言う、ロストロギアってのが」

 

 背筋に氷柱でも差し込まれたかのように、全身が凍りつく。この女性の身体は全体的に肌が白いが、今は青白くなっていることだろう。

 

 彼女は端整なリニスさんの顔に、にやりとした黒い笑みを刻む。爆ぜるように笑い声を上げた。

 

「かははッ! その顔たまんねぇよ、最ッ高だぜ! 長々と解説した甲斐があるってもんだ! くく、かははッ……。いやいや、悪い悪い。自己紹介が遅れちまったな。ディザスターエンブレム、レッドアイ、ヘルファイア等々、数多くの痛い名前で呼ばれてきてっからどれも名乗りたくはねぇんだけど、仕方ねえから一番気に入ってるので名乗るとするよ」

 

 両手を広げて慇懃無礼(いんぎんぶれい)に礼をすると、高らかに宣言した。

 

「クリムゾンジェム。ロストロギアをやっとります。名前が長けりゃどう略してもいいぜ、好きにしな。冥土の土産に命名権を持たせてやるよ」


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