そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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ピリオドは打たれた

「残念だが……よく知りもしない奴に愛称をつける趣味はないんだ。それに冥土には少なくともあと六十年くらいは行く予定がないから、土産なんか必要ない」

 

 リニスさんが取り込んだ黒の魔力。その正体は、魔導炉に根幹部に使われているロストロギア、本人曰くクリムゾンジェムなる代物。

 

 思えば、いかに過剰な魔力を供給されているとしても、術者の意識が乗っ取られるなど普通は考えられないことであった。魔力自体は単なるエネルギーでしかなく、そこに生物的な意思は介在しない。膨大な魔力の奔流によって術者の気が昂揚したり、あるいは度が過ぎればおかしくなったり、術者の精神が磨り減ったり、もしくは死に至る可能性はあっても、意識が別の存在と()り替わるなどあり得ない。

 

 その事実を、遅まきながらようやっと再認識することとなった。

 

「なかなかあんたも愉快じゃねぇの。俺に勝てるだなんて、本気で思っちゃってんのか? あんたも『この女』みてぇにどっかから魔力引っ張ってきてるっぽいけど、完全に魔力の出力で押し負けてんぜ?」

 

「押し負けている、か。そいつ本来の魔力はもっと凄いんだけどな、俺に合わせているせいで出力を調整してるんだよ。それに、勝つ必要はない。リニスさんを取り戻すだけで目標は達成する」

 

「だぁかぁらぁ、そんなこともできねぇっつってんの。あんた、射撃魔法苦手だろ?」

 

 彼女の、クリムゾンの意識がこうして表出しだしたのはつい先程からだ。だが、口調や表情など全てを支配できていなかったというだけで、やはりこれまでの戦闘を行っていたのはクリムゾンだったのだろう。戦闘中、俺が射撃魔法を使う頻度が少なかったことを彼女が知っていることが、その証左だ。

 

「……それがどうした。たしかに苦手ではあるが近づけば俺の領分だし、一応使えることは使えるぞ」

 

「かっはっは! 届かねぇな……その程度じゃあ、今の俺には届かねぇよ。この女と俺の本体との波長はほぼシンクロしてんだ。さっきまでとは格段に魔力を送りやすいし、この女の身体も自在に操れる。あんた程度の射撃魔法なんて、もはや豆鉄砲みたいなもんだぜ」

 

『彼奴めっ……主様を(あざけ)(おとし)めるのも大概に……っ』

 

『エリー、冷静にな。お前が言ってくれたことだろう』

 

 エリーの猛々しく燃える怒りの炎が、和合(アンサンブル)の絆を伝って俺の心まで届けられる。その熱量の大きさに、(けな)されている俺のほうがかえって落ち着いてしまった。

 

 俺がエリーを(なだ)める中、クリムゾンは見ているこちらまで釣られてしまいそうな程、実に愉快げに話を続ける。これまではずっと魔導炉として働いていたからか、お喋りするのが楽しくて仕方がないというようなテンションだ。

 

「あんなもん、いくら受けても痛くねぇよ。気には(さわ)るかもしんねぇけどよ。かははっ! 悪いなぁ、怒らないでくれよ? 根が正直者でよぉ、思ったことが口から出ちまうんだ」

 

「……気にしないさ。いっそ清々しくて好感を持つ。苦手だってのは事実だし、射撃魔法が有効打にならないっていうんならその時は接近して殴りつけてやるよ。お前でも、俺から打撃を受けた時は苦しそうにしてたよな」

 

「は……はぁ? あんなの全然痛くなかったから。もう、全然、まったくだぜ。あんなもん、まるで……あれだ、例えるなら…………」

 

「例えるなら?」

 

「……ぜ、全然痛くなかったし!」

 

 顔を真っ赤にして両手をぶんぶんと振り回しながら、もう一度同じことを言った。どうやら例えは出てこなかったようだ。あまり賢くはないらしい。

 

『心拍が微増しました。……主様』

 

『お前が考えているようなことはなにもない。ときめいてなんていない、大丈夫だ』

 

 リニスさんの理知的な顔でそんな振る舞いをされると、激しすぎるギャップのせいで頭がどうかしそうだ。

 

「とにかく、あんたに勝機はねぇよ。この女、なかなかいいモン持ってんだぜ」

 

「っ!」

 

『主様……』

 

「際立って何か得意な分野があるってわけじゃねぇけど、魔法の適性は軒並み安定してる。悪くねぇ。おつむもそこそこいい」

 

「……なんだ、そっちか」

 

『…………』

 

『……ご、ごめんなさい』

 

 思考をすっ飛ばして言葉が吐き出されてしまった。エリーの沈黙に心が痛む。

 

「そっちってなんだ、どっちだよ。そこそこだけど、あんたなんか比較にならねぇくらいには凄ぇんだからな」

 

 リニスさんの素質と努力の賜物を実際に手に取って感じて、その評定が悪くないなどと言うとは、随分な上から目線だ。あるいは、上昇志向が強いのか。

 

「俺の魔力と、この女の魔法適性値。合わさったら最強だぜ。無敵だぜ。あんたなんかじゃあ、絶対に近づけねぇ。ずたぼろになるまで撃ちまくって、骨も残らねぇほど焼き尽くしてやる」

 

「笑わせんなよ、まるで虎の威を借る狐だな。他人の威光を自分のものかのように振り(かざ)す。お前が持っているのは単なる魔力だけだ。それを形にして撃ち出すのは、リニスさんの力。お前のものじゃない」

 

 俺とエリー、リニスさんとクリムゾンは似ている。ロストロギアを自分の中へと取り込んでいる状態など、そっくりだ。

 

 ただ一点、明確に異なる部分がある。それは互いの認識、心の繋がりだ。

 

 彼女たちは、お互いに利用し、利用されている関係だ。利害という点においてしか、繋がりがない。

 

 俺とエリーは、そこが違う。心を通わせ、思い遣り、信頼し合って、足りない部分を補い合っている。相互依存にも似た危うい共生関係。

 

 そんな俺たちだからこそ、できる事もある。単純な力で押し負けていたとしても、彼女たちに勝る可能性を秘めているのだ。

 

「クリムゾン……お前じゃ俺たちには勝てないよ」

 

「……はぁ。くっだらねぇな、そういう感じ。夢とか希望とか、やる気とか使命感とか……明るい未来に満ち溢れています、みたいな空気。かはは、ほんとくだらねぇ。もう、ほんっと……羨ましい」

 

 彼女は忌々しげに眉を(ひそ)め、心底うんざりした風に息を吐いた。それでも強者であるという自負からか、斜に構えて嘲笑する。しかし、どこか俺だけに向けられているものではないように思えた。

 

「手早く(しま)いにしてやるよ。安心しろ、恐怖する暇もねぇから。来世で教訓にしろ。戦いってのは、数が多いほうが制するんだぜ」

 

「それじゃ俺も教えてやる。魔力の多寡(たか)が決定的な勝敗に繋がらないってことをな……」

 

「かはは、言ってくれんなぁ……。俺がどんだけの数の戦を体験して、どんだけの数の人間の死に様を見てきたと思ってんだ。俺のその経験から弾き出された結論は、(いくさ)ってのは攻撃の密度で決まる、ってことだ」

 

 彼女はゆっくりと歩きながら喋り、右手の手首を柔軟させるように回して杖をくるくると弄ぶ。じきに足を止め、半身(はんみ)に構えたまま杖を俺に向けた。

 

 口元は(いびつ)な笑みに(かたど)られ、瞳は血のような光を(たた)えている。薄く開いた唇の奥に覗く牙が、やけに白く見えた。

 

「目に焼き付けろ! 戦争ってのはなぁッ、敵を押し潰すだけの弾幕がカギなんだぜ!」

 

 杖の先端が鈍く輝く。クリムゾンがリニスさんの身体を操作して魔法を行使する。

 

 彼女の背後の壁が見えなくなるほど展開される魔力弾の量。本人が『戦いのカギ』と豪語するだけはある。まさしく、弾丸の壁。

 

『これはっ……』

 

『一度離れて機会を窺うのが最善かと……』

 

『この距離では躱す隙間がない……仕方ないか』

 

 (おびただ)しい数の魔力弾を一度に展開する手際にも驚くが、展開したその全てを一度に射出させる判断もまた驚く。魔力を出し惜しみや使い渋ったりしない。射撃魔法程度に費やされる魔力など歯牙にもかけない、という強気が(うかが)えた。

 

 魔力弾は隙間を埋めるように、さながら壁のように配置されて押し寄せる。今の位置取りでは視界いっぱいに覆い尽くされていて、逃げ場は見当たらない。しかし、隙間を埋めるという構成上、魔力弾全てが俺を目指して飛来しているわけでもない。

 

 障壁の張り方次第でどうにかすることもできそうだが、ここは一度退く。『弾幕』やら『攻撃の密度』やらと息巻いていた気炎がこの程度の火力とは思えない。

 

「ちぃっ! 逃げんなよ! 俺に勝つとかほざいてたろうが!」

 

「真っ向勝負ならパワー負けするだろう。それに……なにも考えてないわけじゃないんだぞ」

 

 進むほどに魔力弾と魔力弾の間隔が広がり、所々に空白が目立ってくる。その空白の部分に、魔力弾とは動き方が異なる弾丸がちらりと見えた。

 

「やっぱり仕込んでやがったか。いい性格してるな」

 

「褒めてねぇだろ、それ」

 

「当然褒めてない」

 

 一つ一つの魔力弾が接触しそうなくらいに密集させていた理由は、逃げ場を与えないことと、その裏に違う魔法を隠すためだったのだろう。

 

 俺の動きに反応して角度を変えている弾は、おそらく誘導弾。隙間が小さくて数は明白ではないが、少なくないことは断言できる。彼女ほど豊かな魔力があるにもかかわらず展開させる量を少なくする理由など、コントロール性くらいしか思い当たらないからだ。

 

 (ひしめ)いている魔力弾に対して障壁を工夫して防いでも、後を追いかける誘導弾は耐えられない。つまり、最初から弾幕を囮にした二段構えの策だった。

 

 クリムゾンは、一見あほの子のように見えるがそれは喋り方だけで、案外そこまで頭は悪くないのかもしれない。

 

「なんだよもう、さっきから! この女の戦術、ちっとも使えねぇじゃんか!」

 

『……どうやら泥棒猫の頭を覗き見てあの方法を使ったようですね。勝手にやり方を盗んでおいて、責任だけは泥棒猫に押しつけるとは……。盗人猛々しいとはこのことです』

 

『…………』

 

 一度距離を取り、安全に魔力弾の壁を避けるために大回りして回避する。

 

 視界が開けたところで接近を図ろうとしたが、足を止める。彼女の力量を甘く見ていた。

 

「教えてやっただろうが、適性値は並よりかはマシだって! 振り切れると思うなよ!」

 

 大回りしたとはいえちんたらやっていたわけではない。足の速い魔力弾を躱すのだから、それなりの機敏さで動いていたつもりだ。

 

 なのに、魔力弾の壁はやり過ごせたが、誘導弾の群れは俺にターゲットを合わせたままだった。

 

「なんて誘導性能だよ……ストーカー気質なのか?」

 

『主様はそのことについて言えないかと……』

 

「あんたがそれを言うなよ! あんたの誘導弾なんかもはや粘着質じゃねぇか! ちょこまかちょこまか動いてたから俺なんか、これもしかして生きてるのかな……? とかって思ったんだぞ! 撃ち落としたとき、なんか悪いことしたなぁ……ってちょっと落ち込んだんだからな!」

 

「変わってるな、お前も」

 

『…………』

 

 敵であるクリムゾンと意見が被ったのが複雑なのか、エリーは重たい沈黙の殻を背負った。

 

 彼女は彼女で、言い方は棘があったり乱暴だったりするが、部分的に優しい色が滲んでいる。クリムゾンがきつく当たるのは人間に対してのみなのかもしれない。

 

「誘導性は一歩ゆずるけど、その分速度と威力はこっちのが上だからな! 全然負けてねぇから!」

 

「お前は勝ち負けのことばっかり、うるさいな」

 

 いくら基本的な性能が一回り二回り高かろうが、結局命中させられなければ魔法としての意味はない。

 

 追尾性能が良ければ優秀な射撃魔法であると、そんなに簡単には言い切れないことを彼女に証明する。

 

「こんなものはダンスと同じ、要はステップだ」

 

「はぁ? あんたなに言ってんの?」

 

 クリムゾンの人を小馬鹿にしたような声には言葉を返さず、実際に見せつける。

 

 上半身を右に傾け、一弾が軌道を逸らしたら反対側に鋭く切り返す。次に迫る誘導弾が俺の動きに合わせて左へ舵を切れば、くるりとターンして背中越しに回避。足元で着弾する一発は床を蹴って手をついて前方回転。胸の辺りと太腿付近を狙う二つの凶弾は、先の勢いそのままに前方宙返り。お腹の高さで平行に三発並んで着地の隙を狙っているものには、地に足がつくと同時に開脚するように姿勢を落とす。地べたに座り込んでいるところを上から落ちてくる誘導弾には、後ろへ転がって回避。

 

 無理がありそうな弾には障壁を張って逸らしたり、両手の手甲で弾き飛ばしたりもするが、基本的にはステップと姿勢制御で躱す。

 

 重心さえぶれさせなければ体勢は崩れないし、この女性の身体は大変柔軟性に富んでいるので非常に動きやすかった。胸部に二つついている弾力のある塊と空色の長い髪には少し意識を取られたけれど。

 

 身体を振ったことで乱れた髪を手で撫でつけ、あんぐりと口を開いているクリムゾンに見せつける。ただできることならば、リニスさんの顔でそんな間抜けな表情はやめてもらいたい。

 

「は、かはは……。ありえねぇ……」

 

「現実だ。受け入れろ」

 

「昔……すっげぇ昔のことだけど、これによく似たシーンが何回かあった。俺の記憶の中でも多数の誘導弾に集中攻撃されて死なねぇ奴は割といたけど、どいつもこいつも障壁や盾かなんかで防ぐか、剣とか拳で破壊するかのどっちかだったぜ。誘導弾を全部躱そうとなんて考えて、実行して、しかもほとんど成功したやつなんか初めて見た……あんた、やっぱおもしれぇよ」

 

「そうかい。まあ、俺より長く生きているお前でも、知らないことや見たことないものなんてたくさんあるってことだ」

 

「あぁ……まったくだ。まだ知らねぇこと、いっぱいあんのになぁ……。かはは、誇っていいぜ。あんたを超えるのは、馬鹿でけぇハンマーで誘導弾も俺の使用者も一緒くたに叩き潰したやつくらいだ」

 

 誘導弾も術者も一緒に潰すとは、どれほど巨大なハンマーなのだ。

 

 クリムゾンの冗句という可能性もあるが、仮に本当だとしたら恐ろしく巨大な生物、もしくは物体であることだろう。少なくとも、人間ではないことはたしかである。

 

「それはなんていうロボットだよ……」

 

「ロボット? いや、機械では……なかったぜ、たぶん」

 

 思わず呟いた俺のセリフは、クリムゾンには通じなかったようだ。

 

「あんたとはもうちょっとお喋りしたいとこだけど、あんま時間がねぇんだよな……。そろそろ詰めに入るわ」

 

「…………っ」

 

 クリムゾンは杖の柄の半ばを握ると前に突き出して床と平行に寝かせる。左手を亀裂が目立ってきた先端の球の部分に添え、瞑目した。

 

 お前の言うお喋りは戦闘行為を指すのか、などと突っ込んでやりたかったが、軽々しく口を挟めない迫力が彼女から醸し出される。

 

 クリムゾンのセリフを裏返せば、さっきまでの戦闘はウォーミングアップとさえ取れてしまう。弾幕を信条としている節がある彼女にしてはあまりに薄過ぎると感じていたが、やはりまだ余力は残していたようだ。

 

『主様、身体強化を上限まで掛けてください』

 

『どうした、やっぱり何か来るのか?』

 

 張り詰めた空気の重さに気圧され、浮き出た汗を拭っているとエリーが深刻そうな声色で忠告してきた。

 

 俺は忠告に従って限界ギリギリまで全身の魔力付与を高め、言葉の深意を問う。

 

『彼奴の魔力の動きを把握できなくなったのです。恐らく、先程までとは桁が違うものが来ます』

 

『最大限警戒はしておくけど、そんなに危ないことなのか?』

 

『彼奴の動向を察知する為に周囲に散布していた私の魔力が、どんどんこちらへ押し戻されているのです。これは、押し退けられた分だけ彼奴の周囲には彼奴の魔力が充満している、ということになります。可燃性ガスが広がっていると考えて頂ければ、その危険性も感じられやすいかと』

 

『……爆発の前段階。大規模な魔法の……構築』

 

『その通りです。火花が生じれば爆発するのと同様に、術者の操作一つで魔法が発動します』

 

『でも、規模の大小はあっても、大概の魔法はそうやって作られるものじゃないのか?』

 

『今までの規模とは桁違いなので、改めて進言致しました』

 

『……なるほど。エリーがわざわざ再三に(わた)って言うくらいなんだもんな。それなら……わざわざ待つこともないよな』

 

 正義の味方の変身シーンをじっと待つ悪役の流儀には共感しないでもないが、俺はそこまで気高いプライドを持ち合わせていない。戦っている相手が動かず静止しているのなら、そんなチャンスは見逃さない。

 

 射撃魔法を展開、即座に撃ち出す。タイプは比較的単純な直射型、数は三十。現状に合わせてスタンダードな術式に手を加え、狙いは粗雑だが、その分速さと威力にリソースを振った。

 

 空気を切り裂きながら三十の兵隊は彼女へ吶喊する。

 

「そう急かさないでくれよ、すぐ見せてやっからさ」

 

 魔法の準備に集中している今ならば、この程度であっても邪魔くらいは、うまくいけば戦闘行動に支障をきたすレベルのダメージが期待できる。そう見込んだ俺の目論見と射撃魔法は、真夏のアスファルトに放置した氷よりも儚く、そしてすばやく溶けた。

 

『……エリー、お前はこれをどう推察する?』

 

『…………一つ例えるならば、主様』

 

『よし、言ってみろ』

 

『隕石などが地球の重力に引き寄せられて突入する際、大気との摩擦で燃えるという現象が発生します』

 

『うむ、落下物が落下方向の空気を圧縮すると温度が急上昇する、とかなんとからしいな。それで?』

 

『はい。それと……似たような現象が……発生した、のか』

 

『つまり、あれか。あいつの周囲の空間に俺の魔力弾の侵攻を妨げるくらいに魔力が満たされているせいで空気が圧縮されているのと同じような状態になり、その抵抗で魔力弾が削られて消えた……と』

 

『不肖、そう拝察致します……』

 

『そんなんアリかよ……』

 

 そもそもは俺の適性値から作り出された魔力弾だといっても、術式は組み換えたしエリーの魔力によるブーストだって受けている。なのに、殆どは分厚い魔力の層に掻き消され、一番近くまで攻め入ったものも弾道が逸らされた。

 

 彼女に直撃させることはもちろん、近づけることすら至難というのはなんてたちの悪い冗談だ。

 

 更なる手を考えるが、あの光景を見てからだとどうしても物怖じしてしまう。射撃魔法による攻撃方法をすべて試して、その(ことごと)くが彼女に届かなかった場合、それはもう俺の遠距離火力では通用しないということの証明に他ならない。

 

 クリムゾンの立場からすれば、視界の隅をうろつく目障りなハエみたいなものという扱いになる。邪魔なことは邪魔だし不愉快には思うだろうが、害を成すものではない。その気になれば意識から外すこともできるだろう。牽制としての効果もなくなる。

 

俺にとってみれば、戦術の一つが根本からへし折れるのだ。はったりでもなんでも、相手の動きを誘導したり阻害することができなくなるというのは相当な痛手。なにより、感情という面において、かなりのショックがある。

 

歴然たる力の差を、まざまざと見せつけられている気分だ。尻込みもしてしまう。

 

『っ……くそ、ふざけんなよ……』

 

『……出力が、不足している……。しかし、これ以上は……』

 

 結局、効き目がなかった直射型の魔力弾を散発するしか、俺にはできなかった。

 

「待たせちまって悪ぃな、暇してたみてぇで。でも……これならあんたも血眼になって楽しんでもらえるんじゃねぇかな!」

 

 クリムゾンは閉じていた瞼をばちっと開き、左手は細くくびれた腰に、右手の杖は肩に乗せる。刹那、魔法の展開時の光でホールが包まれた。

 

 革新的な手段を考案できずに手を(こまぬ)いている間に、彼女はとうとう下拵えを済ませてしまった。

 

 この術式は言うなればコース料理だ。全体として見れば幾層かに分かれていて、俺に近い一層目(一品目)から順に射出(提供)して、追い込んで(味わって)からお命頂戴(お会計)、という形なのだろう。俺一人を始末するには随分豪勢な魔法群で、そしてお高い代金だ。

 

 最前面にはさっきのと同じくらいか、それ以上に分厚く、幅も広い魔力弾の壁。二層目には誘導弾が敷き詰められている。三層目は数だけなら四発だが、しかし巨大な四発だ。杖の先端に位置して術者からの魔力を吸収して大きく膨らんでいくのを何回も見た。砲撃魔法の巨大な魔力球である。

 

 三層目までは数は多いが、それでも単発だった。射出されても、防ぐか躱すか、あるいは壁や床に着弾させればそれで終わり。残弾数が減っていくのが視認できる分、終わりが見える分、まだ気が楽だ。

 

 しかし、四層目からは毛色が変わる。四層目には槍状の魔力弾を射出させる発射体、フォトンスフィアがずらりと並ぶ。五層目には一際大きなフォトンスフィアがクリムゾンの傍らで編隊を組んでいる。あの図体のでかい発射体は小型の砲撃を吐き出すだけではなく、僅かばかりではあるが誘導性も有している厄介な代物だ。

 

 そして、五層目の砲撃用フォトンスフィアから一歩程退いた位置で杖を握るクリムゾンが最後列、第六層目となるのだろう。命中精度、破壊力、速射性、それらすべてが高水準をマークしている砲撃を自ら放つことで、仕留める。

 

 射砲撃魔法の集大成ともいうべき、大規模術式。

 

 もはや個人戦闘で行使されていい領域の魔法ではない。これはもう、戦争じみている。

 

 これまでの、ただ数を都合しただけのゲリラのような弾幕ではない。正しい秩序で道理に沿って、理論的で効率的にオプティマイズされた、軍隊のような魔法群。

 

 スマートに勝つためのお賢いものではなく、暴力的で圧倒的に蹂躙し敵の息の根を止めることを目的とした、力の塊。

 

「うぁ……これ、は……」

 

 息が詰まる。空気を吸い込めない。

 

 目の前の光景は自分の錯覚なのではないかと、疑いそうになった。錯覚なのだと、思いたかった。

 

 指先はじんじんとして感覚が鈍麻して、足にはどうにも力が入らない。心拍数は天井知らずに駆け上がり続け、容赦なく息苦しさを与えてくる。視界は窄まり、周囲から暗闇が足音を立てずに忍び寄ってきているように感じられた。

 

『……凄まじい、としか表現の仕様がありません。自分の語彙(ごい)力の(とぼ)しさに辟易(へきえき)します……』

 

 何もかも投げ捨てて、叫喚しながら逃げ出したくなる。それだけのプレッシャーと、目前にちらついた死の実感だった。

 

 俺一人であれば、恥も外聞もなく遁走している。そうしなかったのは、ひとえにエリーの存在を近くに感じられていたからだ。

 

 自分の中にエリーの体温を知覚すると、わずかばかりの落ち着きと、この上ない安心感と、立ち向かうだけの勇気が湧いてくる。

 

 エリーの声が、臆病な心を支えて、背中を押してくれるのだ。

 

『シャレにならないっていうか、一周回って笑えてくるっていうか……。エリーが言ってた「桁違い」ってのはこれのことか』

 

『少し、異なります』

 

『ん、どういう意味だ?』

 

『想像していたものより、之繞(しんにゅう)をかけて没義道(もぎどう)な所業です』

 

『わかりにくいな……噛み砕いてもう一回』

 

『思っていた百倍くらい大変そうです』

 

『うむ、わかりやすい。わかりやすくなった分、深刻さが増したけどな……。まあ、やるしかないなら……精一杯やるだけだ』

 

 エリーとのやり取りで、ぶれて崩れそうになっていた決心を持ち直す。いつの間にか、身体はいつもの調子を取り戻していた。

 

 俺は不意に、なのはやフェイトの気持ちを理解できた気がした。まだ幼くて身体も小さい少女たちが、今まで縁遠かった本物の戦いという恐怖を体感してなお、それでも誰かのために戦えるその理由を。

 

 勿論言うまでもなく、本人たちの純粋で直向きな想い()るところは大きいのだろうが、それだけではやってこれなかったはずだ。常に(かたわら)に寄り添って、いつも自分の味方をしてくれて、どんな苦境に陥っても助けてくれる『相棒』がいるというのは、何よりも心強い。

 

「くく、かはは! これが俺の、正真正銘の本気だ! ここまで血が沸き立つのは何百年振りかわからねぇんだっ、すぐにくたばるんじゃねぇぞ! せいぜい派手に踊って、俺を楽しませろ! 血肉を晒せ! 殺戮開演(ショータイム)だ!」

 

 クリムゾンは肩に乗せていた杖を、勢いよく前方に振り下ろす。その動きに合わせ、付近の大気の流れすら変えてしまいそうなほどの質量が動き始める。

 

 巨大な蛇が大口を開けて迫ってくるような迫力があったが、不思議と恐れや怯えといった感覚はなかった。

 

『かなり無茶するけど、フォロー頼むぜ。相棒(・・)

 

『私の全力を以って、全霊を尽くします』

 

 床を爆ぜさせながら、駆ける。進行方向は左。正面から迫る射砲撃の壁を直角な軌道で回避する。

 

 出し惜しみはしない。出端(でばな)から『襲歩』による高速移動。

 

「もうそれの移動距離は把握してんだ! 同じ手が何度も通用すると思ってんなよ!」

 

 『和合(アンサンブル)』による基礎能力向上に加えて魔力付与による身体強化、重ねて『襲歩』による高速移動。これだけやっても押し寄せる魔力弾の波から抜け出せない。外側へ移動した分、比較すれば弾幕が薄くなってはいるが、それでも充分な弾数が俺の進行方向に向けられている。

 

 最大限度の限界ぎりぎりまでエリーから魔力の供与を受け、魔力付与にも力を回しているので、おそらく魔力弾や誘導弾の数発程度ですぐさま致命傷になったり、継戦能力に問題が出たりはしない。最も意を用いていることは、それらの魔力弾を受けて動きが鈍ったところに砲撃を叩き込まれることだ。

 

 足を止めたら、機動力が鈍れば、すぐに一撃必墜の閃光が煌めくだろう。

 

 要するに、たとえ魔力弾の一発といえど簡単に食らってはいられないのだ。用心するに越したことはない。

 

「…………わかっていたよ、そんなことは」

 

 弾幕から抜け出せないのは、射砲撃の壁が横に広いこともそうだが、『襲歩』を何回も見たクリムゾンが移動距離を既に記憶していることが主因だ。

 

 しかし俺としても、これだけでは回避しきれないと思っていた。

 

 彼女は言動こそあほの子に見えるが、これでいて戦いに関しては存外(さか)しい。これまでに幾度も戦を経験しているのなら、観察眼やセンスだって必然的に磨かれる。『襲歩』のタイミングや移動速度、移動距離を把握するのも時間の問題となるだろうと、そう思っていた。

 

「だから……ここからは未知の領域に入る」

 

 右足を軸足にして行った『襲歩』。当然、左足は前に突き出されている。そこから次は、先に接地した左足を軸として更に『襲歩』を繰り出す。インターバルはなし。連続で使用する。

 

 『襲歩』を見切られて技の直後を狙い撃ちにされるのなら、いっその事継ぎ目をなくしてしまえばいい。身体に流した魔力をコントロールして姿勢を制御し、両足交互での『襲歩』。

 

 何度か二回、三回くらいの連続使用はしていた。ならば、二十回〜三十回の乱用もできない道理はない。普通の移動では間に合わないというのなら、これから全て、この移動技術を使う。

 

「先なんて読めやしないぞ、お前にも……俺にもな」

 

 二度目の使用で、魔力弾の壁を完全に振り切る。

 

 背後で轟音が空気を叩く。大量の魔力弾がホールの壁に着弾したのだ。

 

 手応えを感じる。これならまだ、なんとかできる。そう思いながら視線を彼女に向ける。

 

「たったそんだけで俺を出し抜いたつもりかよ。こりゃ笑いは笑いでも失笑だぜ」

 

 まだ多数残っている弾丸の奥に、クリムゾンの姿が見えた。突きつけられた杖の照準は、俺の身体が向いている方向の先。

 

 技後硬直の隙がないとわかれば、最高速に達した瞬間を狙い撃つ作戦に切り替えてきた。

 

 『襲歩』の到達距離と速さ、あとは技の出だしの瞬間さえ分かれば逆算は可能。そこまでわかれば、最高速に乗った時の方がかえってタイミングが合わせやすく墜とされやすい。

 

「安心してくれていいぞ。飽きさせは……しない」

 

 なまじ速度が上がれば動きは直線的に、単調になる。しかし、そこに拍を外す挙動を混ぜてやれば、一気に様変わりする。

 

 精緻な力加減と姿勢の制御。前方に傾けながら後方にも重心を残す、絶妙な比率。

 

 『襲歩』のバリエーション。前進する力を抑えた、緩急の差(チェンジオブペース)。経験を重ね、限界速度が上がり、この移動技術を知り尽くしたからこそ会得に至った速度の強弱の使い分けだ。

 

 クリムゾンが予測した速さを大幅に下回ったため、彼女自らが放った砲撃は俺の前方を右から左に通過した。

 

 彼女は小首を傾げて攻撃を外した理由に考えが行き着くと笑みをこぼした。綺麗で純粋な微笑みではなく、手荒に扱っても壊れないおもちゃを手に入れたというような、子供特有の無邪気な悪意を思わせる黒い笑顔。

 

「へぇ、いいじゃん。面白いぜ、すぐに終わったらつまんねぇからよ」

 

「っ……さいですか。期待に添えたようでなによりだ」

 

『主様、後方から敵弾多数です』

 

 エリーから着意の喚起を受け、背後に一瞥(いちべつ)を投げる。

 

 魔力弾の着弾で巻き上げられた土煙を背に、誘導弾が漆黒の尾を引きながら接近する。誘導弾はさっきの弾幕の第一波で魔力弾に紛れていたのだろう。

 

 数は二十に満たない程度。程度というか、もう感覚が狂ってきてしまっているが一般的にはかなり多い。ただ、待機状態で出撃を待っている射撃魔法の数からすると、まだかわいい数だ。

 

「ゆとりはやらねぇぜ! ほら、もういっちょ持ってけ!」

 

 クリムゾンは追加で、待機させていた射撃魔法を解き放つ。

 

 後方からは誘導弾、右側からは波状弾幕の第二波。息つく暇もありはしない。

 

『くそ……好き勝手に撃ちまくりやがって、トリガーハッピーが……』

 

『主様……お身体は大丈夫ですか?』

 

『ああ、悪い。まだ大丈夫だ』

 

 接近することを許さない射砲撃魔法の連射。今はまだ攻め入る機会は(きざ)しも見えないが、いずれ必ず来るはずと信じてひたすら耐え凌ぐ。

 

 円形のホールの反対側にいる彼女へ、壁に沿うような形で反時計回りに進む。

 

 誘導弾に対処するには、他の魔法が気になってしまう。障壁で防ごうと思えば足が止まるし、ステップで躱そうとすると魔力弾が邪魔になる。壁などに着弾させて爆発させた方が手っ取り早く片付く。

 

右側から迫る弾幕は緩急をつけて調子を外すことで対処できるが、後ろから追尾する誘導弾は破壊できない。立ち止まれば誘導弾を撃ち落そうとすれば逆に弾幕で蜂の巣。かといって真後ろから多数の弾丸が迫っていては、振り切ることも容易ではない。

 

「こんなもんで沈みはしない……」

 

 一度左へ壁寄りに足を踏み出し、重心を掛ける。背後は振り向かず、気が利く相棒の声を待つ。

 

 クリムゾンのと言うべきか、リニスさんの素質と言うべきかは議論の余地があるが、ともかく、彼女が放つ誘導弾は性能が高い。威力は無論、速度と追尾性能の両立を果たしている。

 

 本来であれば追尾性能は高ければ高いほど好ましいが、相手の動きに速やかに反応して弾道を修正する感度の良さは、時として利用できる。

 

『誘導弾、かかりました』

 

 エリーからのゴーサインが出た。

 

 重心を身体の左側から、全身の筋肉を稼働させて右側へと切り替える。バランスが乱れそうになるが、魔力による体勢の微調整と身のこなしでカバーした。

 

「ぶっちぎってやる……っ!」

 

 慣性が左前方へ向いている中、強制的に右側へ『襲歩』を使って身体を運ぶ。ハイスピードを維持したままの、鋭利な切り返し(クロスオーバー)

 

「んくっ……っ」

 

 身体がばらばらになりそうなほどの、急な方向転換による反動。身体の数カ所で骨が軋み、軸足とした左足の足首と大腿部に痛みにも似たかすかな違和感が走った。

 

 エリーの魔力による副次的効果で身体の基礎能力は向上しているし、魔力付与も絶えず展開している。身体は丈夫になっている。

 

 しかし、それらの効能により速度も等しく上昇していた。等倍された速度により、身体の耐久力を底上げしていても無理な挙動を取れば大なり小なり負担がかかる。

 

 少し頭はぐらぐらするし、内臓が微動したのか大変気持ちも損ねたけれど、期待していただけの成果はあった。

 

「どんなマニューバしてんのさ、あんた。身体が空中分解するぞ。かはは、俺好みのクレイジーさだぜ」

 

 最初にハンドルを取り舵に切ったことで壁に接触したのが四発ほど。残りの十六発は、性能が高いといえどさすがに直角的な機動についてこれず、俺の前方に躍り出る。

 

 俺はそれらを後ろから、直射式の魔力弾の連射で撃ち落とす。

 

「そろそろ……突っ込んで行っても……」

 

 誘導弾を片付け、クリムゾンを見やる。

 

 無抵抗にやられるばかりでは癪に触る。いい加減攻勢に転じたいところだが、まだその機会は訪れないらしい。

 

 数を減らした一層と二層の射撃魔法二種の後ろにあったはずの砲撃用の巨大な魔力球が二つ、見当たらなかった。

 

 確認すると同時に、エリーの声。

 

『主様、挟撃です!』

 

『抜かった……。あの球、動かせたのかよ……』

 

 弾幕と誘導弾に注意を傾けすぎたことで、ホールの壁を沿って左右に回り込んでいた砲撃用の魔力球に気づくのが遅れた。

 

 両側から挟むように砲撃が放たれる。タイミングを同期させるように、第三層目に残されていた二発も射出。

 

『サイドへの退路が……』

 

『……絶たれた、か』

 

 前方からの砲撃は俺を狙ったものではない。二つとも俺の横を通過する軌道だ。あくまでも本命は、左右からの二弾。

 

 しかし、逃げ場がない。身体の勢いは前方に流れたままだ。

 

 射撃魔法ならともかく、砲撃では一発で沈みかねない。少なくとも戦闘を続けるのか難しくなるほどの傷を負う。

 

 そのことは術者であるクリムゾンも良く理解している。一発で勝ちがほぼ確定するのだから、左右からの砲撃二発共を当てにくることはない。前後の緩急(チェンジオブペース)でタイミングをずらしても、どちらか一発は速度を緩めたタイミングで、もう一方は通常のタイミングで狙いにくる。

 

 拍を外すことができないのなら、もう一度切り返し(クロスオーバー)で方向転換すれば躱せるが、それもできない。無駄撃ちに思える前方からの二弾は、回避の手段を潰すための布石だった。

 

 たった四発。されど、要点を的確に突いた四発。

 

「なぁ、次は? 次はどうすんの? かはは!」

 

 勝利を確信しているものでも、自分の力を慢心しているものでも、俺を軽んじているものでもない。ただどんな演技を見せてくれるか、どんな奇抜な技を見せてくれるかを楽しみにしているような、笑い声。どこまでも悪魔的で、それでいて自分の欲望に忠実な子供っぽさを感じさせた。

 

「絶対に、あの余裕を奪ってやる……」

 

 クリムゾンは、高速機動中の俺ではすぐに停止できないと考えている。ここまでスピードが出てしまっていては惰性によって足元が滑り、制動距離が長くなるだろうと。

 

 俺としても、加速中のデメリットについて何も考えていなかったわけではない。もう既に考案自体はしていたのだ。

 

「目に物見せてやるよ……」

 

 着地の瞬間、『襲歩』の技術を逆向きに使う。前に突き進もうとするエネルギーと同じエネルギー量を床にぶつけて、元々持っていた勢いを相殺させる。速度をゼロに戻すというバリエーション、急制動(オフセット)

 

 俺の身体はその場で急停止する。床から伝わる衝撃が全身に伝わる。じんと脚に熱が籠っているのが実感できた。各部に走った違和感は、解消されずに残留している。

 

 エネルギーを押しつけられた床は大きな亀裂を作って破片を撒き散らした。

 

 俺の両側すれすれのところを二つの砲撃が対向して通過。前方の二箇所、手前と奥で左右からの砲撃二発が交差する。

進んでいたら確実に巨大なエネルギーの塊に貫かれていた。その光景を想像すると肝が冷えるが、これで致命傷となる魔法がまた一つ減ったのだからオールオッケーである。

 

『主様、お見事です。ですが、いつまでも動かずにいると格好の的にしかなりません』

 

『わかってるよ。今すぐここを離れる、から……』

 

 エリーの言う通りだ。せっかく無理して砲撃をやり過ごしたのに、じっとしたままでは他の射撃魔法の標的にしてくださいと喧伝するようなもの。この場からは早々に離れて攻め入る隙を窺うのが、現状取るべき最善の選択。

 

 だが、頭では理解していても身体が運動命令を無視する。電気信号を受諾しない。

 

『……主様? どうなされたのですか?』

 

「くそっ……なんで、なんでこんな時に!」

 

「あんたさぁ……無茶しすぎなんだよ」

 

 荒い呼吸は意にも留めず、震える脚を殴りつける。気合を入れても魔力を込めても、脚は鉛のように重たい。動かし辛く、動いてもとても鈍い。

 

 そんな俺の様子を見ていたクリムゾンは、やれやれとでも言いたげな仕草で話しかけてくる。

 

「魔導師ってやつはさぁ、別になんでもできるってわけじゃねぇんだぜ。俺たちはあんま使ってねぇけどよ、飛行魔法ってあるじゃん?」

 

「……なんの話がしたいんだ」

 

「まぁまぁ、いいから聞いとけって。んで、その飛行魔法だけどよ、あれだって物理法則とかをスルーしてるわけじゃないんだぜ? そもそも魔法ってのは物理法則とかって小難しいもろもろを数字に表して計算、そっから上書きすることで望んだ作用を発動させてんだ」

 

「魔法のプログラムの仕組みや意味については知ってる。要点だけ掻い摘んで話せよ」

 

「おぉ、理解できてんのか。意外に賢いんだな。まぁ、気長に聞いてくれ。あんたにとってもその方がいいんじゃねぇの?」

 

「…………」

 

「んじゃ、続けるな。そうやって物理法則を書き換えて空を飛ぶっていう作用を生み出してる飛行魔法だけどな、書き換えた『空を飛ぶ』って作用以外は、物理法則はなんも変わんねぇの。そっからの動き、加速したり、高いとこまで上がったり、地面すれすれに下がったりとかは飛行魔法のプログラムの範疇(はんちゅう)なんだけどよぉ、その時受ける慣性? 重力? だったっけか。それらにゃあ、一切変わりはねぇの。上空まで上れば気圧の変化を受けるし、急旋回すれば速度のぶんだけ術者には負担が掛かるってわけだ」

 

「はいはい……お前の言いたいことは大体わかったよ」

 

「察しがいいじゃん。こんなにいっぱい喋れんのなんて久しぶりだからよ、せっかくだから最後まで喋らせてもらうわ。飛行魔法みてぇな円を描く機動でも術者には相当な負荷がかかるわけ。なのにあんた、最高速は飛行魔法以上のもん出してんのに、直角に曲がったり、急に止まったりしちまってんじゃん。魔導師っつっても、万能じゃねぇ。魔導師はどこまでいっても魔導師であって、魔法使いじゃねぇんだ。魔力の後押しで早く動けても、そん時の負担は絶対に身体に積もってく。好きなだけ好きなことできるってわけじゃねぇよ。原因はそれだ。無茶をしすぎた。あんたの身体は、限界のラインを越えたんだ」

 

 常人ならもっと早くに身体が壊れててもおかしくはねぇけどな、と付け足して、彼女は乾いた声で笑った。

 

 予兆はあった。脚にぴりぴりと刺すような不快感や、違和感はあったのだ。魔力には余裕があっても、心拍数が上がっていた。脚に疲れが溜まっていた。

 

 長時間の戦闘は、確実に体力を(むしば)んでいた。

 

「っ…………」

 

 強く、歯を噛み締める。

 

 出し惜しみしていては、すぐに魔力の壁に押し潰されていた。全力を尽くさなければ、どう足掻いでも太刀打ちできなかった。

 

 それでも彼女には追いつけなかった。手が届かなかった。追い縋ることもできなかった。彼女の背中は、遠過ぎた。

 

 ならば、他にどのような方法があったというのだろうか。

 

 望んで苦しい選択を選んだわけではない。万死の苦境の最中にあっても、努力と閃きで生存と微かな勝利の光が差し込む道を見出し、突き進んできただけだ。その過程で身体に負担が重なり、限界を迎えた。

 

 他にもっと効率のいい方法があったとは思えない。生き残るにはこの道より他はなかった。言い切るだけの自信はある。

 

 だがこの道も、結局は尻すぼみに収束して、ついには途切れる。

 

 まるで、最初から望んだ結末を迎えることなど不可能だったのだ、と現実を突きつけられているかのようだ。

 

 フェイトに親をなくすという悲しい思いをさせたくない。プレシアさんに愛する家族と別れさせたくない。リニスさんに自ら死を選ばせるような辛い選択をさせたくない。笑顔で一緒にいさせてあげたいという望みは最初から、現実を直視できていなかった泡沫夢幻の浅はかな願いだったと、そういうことだったのだろうか。

 

『主様……主様! 終わりを悟るにはまだ早すぎます、諦めるにはまだしていないことが多すぎます! 動けないのなら、動けないなりの戦い方があるはずです』

 

『もう、無理だろ……こんなもん。唯一の可能性が機動力による撹乱だった。そこから隙を突くってのが作戦だった。脚が死んだら、戦力は半減なんてものじゃない。可能性は(つい)えた』

 

 力の差は埋められない。はっきりと認識した時、脚だけではなく全身に力が入らなくなった。石のように身体が重い。心を折られて、再び立ち上がる気力も起きない。

 

 ピリオドは打たれた。

 

 そう諦める俺に、エリーは言葉を投げかけ続ける。

 

『そのような事ありません! 主様はいつだって、逆境の中で起死回生の策を打ち出し、乗り越えてきたではないですか! 足が動かない、機動力を失ったなどというのは、数多くあるうちのファクターの一つでしかないのです。身体が限界に達したから可能性が潰えるのではありません。諦めてしまったその時にこそ、可能性は潰えるのです』

 

 エリーの凛とした勇猛さが、俺の乾いて冷たくなった心に響く。

 

 しかし、無情にも相手は待ってなどくれはしない。

 

「こんだけ時間やっても、あんたはもう動けねぇみてぇだし、終わらせるか。あんたも疲れたろ。いやほんと、よくやったぜ。認めてやるよ、あんたの頑張りは。正直ここまで持つとは思ってなかったくらいだぜ。楽しい時間を過ごさせてもらったわ、ありがとよ」

 

 クリムゾンは罅が至る所に刻まれた杖を振るう。

 

 黒い魔法体が、一際輝きを強めて小揺るぎした。ちょうど銃弾の装薬に火が入ったような印象である。

 

 掛け値なしにこれまでで最大規模の攻撃。方をつけにきたのだろう。

 

 暗い色の魔法群が起動シークエンスに入ったのをぼんやりと見詰めていると、もう一度、エリーの声が聞こえた。

 

 悲壮な覚悟を言の葉に込め、放つ。

 

『主様……心より慕い、愛する我が主様。私は主様の盾であり鎧。主様の矛であり槍。私の全ては主様の御為にあります。このような言い方、主様は好ましく思わないでしょう。けれど、私を魔力を作り出す道具として扱わなかった主様だからこそ、この方と共に在りたいと、そう思えたのです。相棒と呼んで頂けたことが、私はとても嬉しかったのです。相棒であるのなら、負担を一方に押し付ける訳にはいきませんよね』

 

『エリー……なに、を』

 

 意識は確固としているのに、身体の感覚だけが遠ざかっていく。力が入らない感覚とはまた別種のものだ。

 

『主様をこのような場所で死なせるわけにはいきません。お疲れになったのでしたら、少しお休みください。バトンタッチ、です』

 

『待て、エリー……待て!』

 

 脚の重みや、不快感、違和感などもまるっきり完全に消失している。これはつまり、身体の支配権が百パーセントエリーに移され、俺は意識だけが浮遊した状態なのだ。

 

 こうなってしまえば、俺からはなにもすることができない。外見がエリーに引っ張られていることからもわかるように、俺にはもとから持っている権限が少ないのだ。感覚が切断されているということは身体を動かすことは無論叶わない。すなわち、痛みも俺には届かない。

 

 エリーの狙いは、俺を苦痛から解放すること。

 

 俺の意見を聞かずに取ったエリーの独断専行を(いさ)めるために思念を送ろうとするが、そこにクリムゾンの声が重なった。

 

「……俺もじきにそっち行くからよ、またやろうぜ。……じゃあな。せめて派手に送ってやんよ! 一度言ってみたかったんだよなぁ……一斉射、てぇッ!」

 

 待機したままだった第一層目の直射型、第二層目の誘導型各射撃魔法。残っていたこれらが全て撃ち放たれる。続いて四層目、五層目のフォトンスフィアも火を噴いた。

 

 速度のある直射型は正面からまっすぐ、誘導弾は一度天井近くまで上がってから振り下ろす形。フォトンスフィアから大量にばら撒かれる槍状の魔力弾は速射に重きを置いているようで誘導性はないらしく、直射型射撃魔法の後を追うように直進する。小型の砲撃を吐き出す巨大な発射体は、他の足の速い魔法の射線上に乗らないよう外側へ弧を描く。

 

 千にも届こうかという弾丸の豪雨。光は黒い弾丸に覆われて失われた。

 

『これが、主様が受けておられたプレッシャー……なのですね。泣いてしまいたくなるほどの恐怖や痛みや苦しみに耐えて、気丈に振舞っていたのですね。今なら、それがどれほど偉大なことかよく理解できます……』

 

『代われ、エリー! お前が受けることはない!』

 

『申し訳ありません。その命令は承りかねます。主様の窮地を救うことが私の使命です。それに……』

 

 エリーは俺の身体を操り、両手を正面に向ける。周囲に生み出されたのは球状に圧縮された魔力粒子と、無数の射撃魔法。迎撃の構え。

 

 迫る『黒』から目を逸らさず、一歩も退かなかった。

 

 微笑みながら、口を開く

 

「守ってもらうだけでは、あなたの相棒は務まらないから……」


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