そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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天に掲げ、呟いた

「守ってもらうだけでは、あなたの相棒は務まらない、から……だからっ!」

 

 自身に言い聞かせるように呟かれたエリーの言葉は、風切り音や爆発による轟音に掻き消された。

 

 魔力粒子を圧縮してあたかも砲撃かのように放出することで、エリーは四方八方から飛来する魔力弾を誘爆させていく。魔力粒子に当たらず、誘爆しなかった弾丸は直射型の魔力弾で撃ち落とす。

 

「くっ……多い……。主様はいつも、こんな嵐の中で戦ってきたのですね……」

 

 魔力粒子の放流は連射ができない。空白となるインターバルを少なくするため、エリーは同じ魔力粒子の塊をいくつか用意したり、直射型の魔力弾を使って分散して襲ってくる敵弾を細かく破壊していくが、それでも追いつかない。クリムゾンが撃ち出す射撃魔法の数が多過ぎるのだ。

 

 敵の弾丸を撃ち落そうとする時、どうしたって的を外れるものが出てくる。その為、迎撃側は相手より数を揃えておかなければいけないのだが、こちらは全力を振り絞っても相手の数を下回ってしまう。

 

 魔力の量においては、確たる差はない。どころか、総魔力量ではエリーの方が格段に上だ。

 

 なのに、これだけの差が開く。この内因は術者の差だ。魔導師としての素質が、決定的に劣ってしまっている。

 

『エリー、身体を戻せ! お前が苦痛を味わう必要なんかない!』

 

 何度言っても、エリーは俺の指示に聞く耳を持たない。確固たる意志でもって、抗う。

 

『人は……困難という大きな壁にぶつかると、時として心を弱めてしまいます。それは仕方がないことです。いつだって常に百二十パーセントの力を出せるわけがありません。頑張った分だけ、乗り越えられないほどの壁に対して絶望してしまいます。努力は報われないのだと、諦めてしまうのです……』

 

 押し寄せる弾丸を懸命に墜とし続けながら、エリーは俺に語りかける。

 

 処理能力が追いつかなくなって防衛網を抜け出した一発の魔力弾が、エリーの肩を掠めた。焼かれるような痛みが肩に走ったはずだが、エリーは痛みに集中を濁されることなく、前を見据えて迎撃し続ける。

 

『でも……でもですね、主様……。心が折れそうになったり、辛くて歩き続ける事が出来なくなったら、休めばいいのです。一旦休憩して、歩き出す力を蓄えれば、それでいいのです。何もかも全部、お一人でやろうとしないでください。たった一人だけで何かを成そうと思っても、人間には限界があります』

 

 透き通る空色の魔力は荒ぶる河川のように奔流となって、常時放たれ続ける。射撃魔法も絶えず射出されている。迎撃の為の弾幕はフル稼働している。

 

 それでも押し負けて、じわじわと防衛ラインが下がっていく。

 

 エリーの迎撃を、数発の魔力弾が突破した。障壁を張るだけの余剰の演算領域など既にない。

 

 躱すことも防ぐこともできずに、結果として二発が着弾。一発は右足、もう一発は左肩で爆ぜた。

 

 身体が衝撃でよろけたが、エリーは歯を食い縛って迎撃を維持する。

 

 クリムゾンの射撃魔法はまだ多数残っている。ここで倒れれば死が確定することがわかっているから、エリーは抗い難い激痛を堪え忍ぶ。

 

 俺を守ると言った、ちっぽけな約束を果たす為に。

 

『色んな重荷を背負って、抱え込んで、もしそれで辛くなったのなら誰かを頼ればいいのです。出来る事なら、私を頼って欲しいのです。私が不安や、後悔や、罪悪感に押し潰されそうだった時、主様が寄り添ってくださったように、私も主様の支えになりたいのです。主様が歩くのに疲れた今……今度は私が、歩く番です』

 

 使命とか、義務とか、そういった堅苦しいものではない。覚悟とか、矜恃とか、そういった格好つけたものでもない。

 

 エリーが抱いている想いや感情がどのようなものかは、俺にはわからない。心の底までは読み取れないけれど、でもエリーの気持ちは正確に俺の心に伝わった。大事だから守りたい、傷ついてほしくない、幸せになってほしい。そういう温かな気持ちが、確かに伝わった。

 

 そして、一人で無理をしないで、と俺を心配する気持ちも。

 

『いいのか、俺は……』

 

 他人の力は、あてにすべきではないと思っていた。頼んでしまえば頼んだ相手に余計な負担をかけることになってしまう。人によっては、頼まれたら断れない人もいるかもしれない。そうなってしまえば、それはもうお願いではなく、命令に等しい。

 

 いや、これも上っ面を取り繕っただけの詭弁だ。内面はもっと自分本位で、相手を気遣うような考えはない。俺の本心はもっと(よど)んでいて、汚い。

 

 俺が知人からの頼み事を出来る限り引き受けるのは、その人に愛されたいからだ。役に立てれば大事に思ってもらえる。必要としてもらえる。どこかでそんな計算があった。

 

 逆に俺が知り合いを頼らないのは、迷惑をかけたくないからだ。大切な人たちから面倒なやつなどと思われて嫌われたくないから、頼ることができない。

 

 手を差し伸べられても、本当は無理をして助けようとしているのではないかなどと裏を勘繰ってしまう。そんな可能性があるかもしれないと思っただけで、人からの助けを断ってしまう。あれこれと相手の心情を思い悩むより、自分が奔走した方が精神的に楽だから。

 

 でももし、もしそんな計算や憂慮をしなくてもいい関係性があるのだとしたら。裏も表もない、純粋な好意と善意で手を差し伸べてくれる人がいたら、俺はその手を握って、助けを求めてもいいのだろうか。

 

 優しさに縋っても、いいのだろうか。

 

『エリー……。お前を頼らせてもらっても、いいか……?』

 

『……っ!』

 

 エリーの息を呑むような声ならざる声。胸元を抑える仕草。

 

 タイムラグの極めて短い思念での会話にあっては珍しく、エリーはしばらく身悶えるように震えて、ようやく応えた。

 

『そ、そのお言葉を……お待ち申し上げておりましたっ』

 

 死が目前に迫る状況下においてエリーは、陽光に照らされて輝く一輪の花のような笑顔を見せた。

 

 戦況は一切変わらない。いつ防衛ラインが総崩れになって身体を撃ち貫かれるかもわからない。それでも、なぜか俺の目には、一筋の可能性の光が射し込んだように思えた。

 

『ありがとう……。痛いだろうし、苦しいだろうけど……しばらく持ち堪えてくれ』

 

『はい、お任せください! 主様が妙計を閃かれるのをお待ちしております!』

 

 エリーは一際元気よく、やる気に満ち溢れた返事をくれた。

 

 クリムゾンの攻撃の対処はエリーに一任し、俺はこの切迫した戦況を打開する方法を模索する。

 

 不安や葛藤がないわけではない。エリーが苦痛に苛まれることは心苦しいし、凌げるかどうかも心配だ。

 

 だがエリーは任せろと言った。信頼を寄せる相棒が言い切ったのだ。ならば信じて、俺は俺の仕事をすべきだろう。

 

 (はや)る心を落ち着かせ、思考の海に潜る。

 

 客観的な立場で俯瞰した時、俺たちと彼女の戦力差は著しいものがある。

 

 魔導炉から供給される豊潤な魔力を後ろ盾とした、消費魔力なんて歯牙にも掛けない射撃魔法の嵐。リニスさんのデバイスの性能と、リニスさん自身のスペックの高さ。

 

 近づくことすら困難を極める。鼠どころか蟻の侵入すら許さない。遠距離からの飽和攻撃による、鉄壁の要塞。付け入る隙など見当たらなかった。

 

 思考が行き詰まる。着眼点を変えるべきだ。現状から目を離し、そもそもの目的に立ち直る

 

 俺の目的、ここに来た真の理由。それはクリムゾンを打倒することではなかったはずだ。もちろん、リニスさんに勝つことでもない。それは過程の一部であって目的ではない。

 

 俺の目的は、たった一つ。家族が引き離されるような結末を避けたかった。フェイトもプレシアさんも、アルフもリニスさんも、誰も失わず、普遍的な日常を過ごさせたかっただけなのだ

 

 しかし現状では、全てを望んだ方向に解決するなんて不可能だ。まずこの場を生き残ることすら、俺では極めて難しい。

 

 力の差という現実は、厳然と立ち塞がる。

 

 それでも俺は、諦めることはできなかった。諦めきれなかった。

 

 ならばどうするか。

 

 答えは明瞭で、単純だ。道理を引っ込めるためには無理を通さねばならない。道理を打ち破り、力の差を覆すだけの無理を(とお)す。

 

 一人で太刀打ちできないのなら、エリーに力を貸してもらう。

 

 エリーが身を呈して教えてくれたのだ。協力することで生み出される希望を。馴れ合いではない、助け合いによって(もたら)される可能性を。

 

 向かうべき道を見定め、断案を下す。

 

『エリー、悪い待たせた。お前のおかげで答えが出た。……エリー?』

 

 深く沈んだ思案から意識が浮上する。こうして熟考できていたということは、エリーは俺の約束を果たしてクリムゾンからの猛攻を耐えてくれたのだろう。だが、エリーから返答がない。無性に心がざわついた。

 

 感覚は遮断されたままだが、視界だけは俺も見ることができる。共有を許されたから状況の把握に努めるが、あまり(かんば)しくはなかった。

 

 左目からの視覚情報は真っ赤に染まっており、右目には砕けた籠手と亀裂が刻まれた脚甲、傷だらけの身体が映される。床にへたり込んでいるようで、手足から流れ出る血液が小さな池を作ろうとしていた。

 

 焼き付きそうな熱量でエリーに思念を送る。

 

『エリー! 大丈夫か! 意識はあるか?!』

 

『あ……あるじ、様……。申し訳、ありませ……。最後の最後、で……幾つか……貰って、しまい……御身体を傷、つけて……』

 

『良かった、意識はあるんだな……。謝られる理由なんて俺にはないよ。よく耐えてくれた、ありがとう……エリー。お前にはまだやってもらいたいことがある。今は休んでくれ』

 

 俺の言葉にエリーは小さく、そして短く了承の意を示し、権限をこちらに戻した。

 

 数秒か、数十秒か、もしくは数分ぶりに帰ってきた身体の感覚で最初に味わったのは、神経を焦がすような激痛だった。思わず叫んでしまいそうになったのを、下唇を噛みしめることで未然に防ぐ。

 

 涙が出そうになるほどの痛み。こんな堪え難い激痛を押して、エリーは頑張っていたのか。文句も言わず、泣き言も漏らさず、尽力の成果を誇ろうともせず、それどころか負傷したこと後ろめたく思っていた。

 

 つくづく、俺にはもったいない相棒だ。痛みからではなく、健気な献身さに目元が熱くなってくる。

 

「くっ……はぁ。まずは、血を止めないと……」

 

 あまり効果は期待できないが、全身に治癒魔法を行使する。傷の完治など端からあてにしていない。これ以上の出血は戦闘に差し支える。血液の流出を抑える為の治癒だ。

 

 エリーの謎の治療ならすぐに治せるのだろうが、今は休息に入っている。もう一働きしてもらうためにも、ここは自分の魔法で我慢するしかない。

 

 出血量が減少していき、痛みにも慣れてくると周囲を見渡す余裕が生まれた。

 

 現在、俺が元いた場所からはずいぶん後退した位置にいる。背後には壁が触れていて、どれほど彼女の弾幕に押し込まれたかが悟れた。

 

 しかし、それ以上にクリムゾンの一斉射撃の苛烈さ、エリーの信念を貫く想いの壮烈を物語っていたのは前方の光景だった。

 

「爆撃でもあったのかよ……」

 

 ホール中央部付近の床が広範囲にわたって数十センチは抉れている。これはエリーから()れた射撃魔法が床を砕いたのだろう。

 

 そしてホールの中央付近から俺が座り込んでいる壁際まで引かれた赤い線は、考えるまでもなく血液。迎撃する中で被弾し、傷を負っても一歩として退かず、着弾時の勢いに押されて壁際まで追いやられたということだ。踏ん張ったと思しき跡が肩幅くらいの間隔で二本の線となり、床に残っていた。

 

「エリーが……これだけ頑張ってくれたんだ。俺も……っ、頑張らないとな……」

 

 背後の壁に手をつきながら立ち上がる。

 

「おいおい……あんだけやって死んでねぇのかよ。あんたいったいなんなんだ。人間じゃねぇだろ、サイボーグかなんかなんだろ」

 

「これでも一応……人間だ」

 

 声のした方向へ目を向けると、クリムゾンが辟易したような表情でこちらを眺めていた。どうやら射撃が停止していたのは、俺が死んだと思っていたかららしい。

 

 俺もさすがに無理だと思ったし、実際死に体だが、まだ終わってはいない。エリーのおかげで、途切れかけた線は繋がっている。

 

 ここから巻き返してやる。あの傲慢(ごうまん)居丈高(いたけだか)な物言いを改めさせ、伸びた鼻っ柱をへし折ってやる。

 

 そう秘めた決意に燃えていると、クリムゾンがいきなり得心いったみたいな顔でぽむ、と手を打った。

 

「わかったぜ。一人で死ぬのがいやなんだろ? かぁ……そいつは同感だ。気持ちはよぉくわかるぜ」

 

「……何を言ってる。他の人を巻き添えにするつもりはないし、そもそも殺されるつもりもない」

 

「かはは、いいっていいって、そんな冗談。安心しろよ、すぐにこの女も後を追うからよ。いや、この女だけじゃねぇや。ここらにいるやつ全員、俺があんたと同じところに送り届けてやるよ。そんなら寂しくねぇだろ? かはは」

 

 冷たい表情で、乾いた声で、彼女は(わら)った。

 

 途端に雲行きが怪しくなる。そんな話ではなかったはずだ。

 

俺は即座に反駁(はんばく)する。

 

「お、おい……っ、おかしいだろ! なんでそうなる! リニスさんの目的はあくまで俺を排除することだった……それだけだったはずだ! 他の人たちは関係ない!」

 

「知るかよ、んなこと。あんたが言ってんのはこの女の話だろ。俺にゃ関係ねぇよ。全員ぶっ殺す。男も女も大人も子どもも関係ねぇ。全員だ。なにもかも、ぶち壊す」

 

「なっ……」

 

 なぜ考えが至らなかった。自分の不甲斐なさを痛感する。

 

 リニスさんの目的は、俺を表舞台から退場させることだった。俺を口封じに始末した後、その罪悪感からか、あるいは他の理由があるのかはわからないが、共に逝くとリニスさんは言っていた。そこに俺以外の人間を殺めるなどという意図は含まれてなどいない。

 

 しかし、その時の意識はあくまでリニスさんであってクリムゾンではなかった。身体の支配権がクリムゾンに移譲された今、彼女の言動にリニスさんの想いは反映されていない。

 

 リニスさんの意図とクリムゾンの目的が同一である保証など、どこにもなかった。

 

「なんで、なんでだ!? お前にはなんら関係のない人間しかいない! 恨みなんかないはずだろ!」

 

 リニスさんとクリムゾンの目的が違うということまでは理解できる。

 

 リニスさんはロストロギアとしての魔力を、クリムゾンは自由に動かせて魔法を行使できる身体を渇望していた。利害という一点でのみ重なっている二人の目指す所が異なるのは、もはや宿命といっても差し支えないだろう。

 

 しかし、だからといって何故皆殺しという極端な答えになるのか、俺では理解が及ばない。

 

 クリムゾンの本体は魔導炉の中核となって、ずっとその場にいる。意識こそ魔力の線で繋がっているリニスさんの身体に収まっているが、本来は一歩たりとて動くことはできないはずだ。なぜ、他者と一切の関わり合いを持たないクリムゾンが、付近一帯の、おそらくは時の庭園にいる全ての人に殺してやりたいと思うほどの憎悪を抱いているのか、俺にはわからない。

 

「関係ない? ああ、たしかに関係ねぇな。そいつらを見たことも聞いたこともねぇし、顔も名前も知らねぇよ」

 

「だったらッ!」

 

 あまりに不条理な物言いのクリムゾンに、感情が昂ぶる。

 

 彼女の持つ力ならば、ほぼ全ての人の命を苦もなく蹴散らすことができる。できてしまう。

 

 (あらが)える可能性があるのはプレシアさんかリンディさんくらいのものだ。二人の実力を俺は知らないが、ここまでクリムゾンの力が膨れ上がっていてはプレシアさんやリンディさんですら渡り合うのは難しいだろう。

 

 それだけの武力を振り(かざ)して皆殺しにすると言い放つのは、冗談や洒落では済まない。なにより、彼女が本気で言っていることが始末に負えない。

 

「いらいらすんだよ。『先』がある奴を見てると、どうしようもねぇほど」

 

 これまで発言こそは剣呑そのものだったが、真意はどうあれ表情は笑みに模られていた。言葉と外見が釣り合っていないことの恐怖はあったが、明るい男口調も相俟(あいま)って取っつき易さのようなものはあった。

 

 しかし、ここで初めて、明確な嫌悪感が表出した。彼女が纏う雰囲気もぐっと重厚感を増す。

 

 彼女は語る。

 

「あんたはわかるか? 散々使われるだけの惨めさが、搾取されるだけの(むな)しさが、人間同士のいざこざに巻き込まれるだけの(わび)しさが、最後には呪われた道具みたいに扱われるだけの忌々しさが」

 

「っ…………」

 

「なぁ、俺の気持ちがわかるか? ……わからねぇだろうなぁっ……。誰もいないし誰も来ない、光なんて一筋も差し込まない空間で、少しずつ……本当に少しずつだけど、自分の存在が確実に薄っぺらくなってく感覚がよぉ……あんたに理解できんのかよ……。味方なんていねぇし、誰もいねぇ。寄る辺もなく、遣る瀬ない。何もねぇんだ。ただただ切なくて、どうしようもねぇんだよ……」

 

 顔を歪めて胸を強く押さえる彼女を見て、俺はなにも言えなかった。

 

 彼女の独語は続けられる。

 

「削り取られて、(こそ)ぎ取られて、徐々に小さくなってくんだ。そんなサイクルによぉ……組み込まれてるだけで最悪だってのによぉ……なんの報いもねぇままにお終いだってよ。独裁的に使い始めて、独善的に使い潰すんだぜ。こんなのねぇだろ。あんまりじゃね? ……かはは」

 

 乾いた声が、静まり返ったホールに響く。憐憫(れんびん)を誘う自嘲の笑みが、網膜に焼きついた。

 

「『お終い』、『使い潰す』。魔導炉の暴走……それが原因の自壊か」

 

「ああ。中核を担っている部品っつっても、暴走状態は止められねぇ。部品は部品、結局は歯車の一部でしかねぇのよ。なのにさぁ……なのによぉッ!」

 

 熱され続けていた液体が突沸するように、彼女は勃然(ぼつぜん)として語気を荒げた。

 

「そんだけこき使っておいて、暴走状態で今にもばらばらになりそうな俺からよぉッ……まだ搾り取ろうってんだぜ、この女はッ……。最後の最後まで……派手に弾けて消え失せるその瞬間まで、どこまでも使い倒すつもりなんだ」

 

 彼女がどこを見ているか、判然としない。俺を見ているようで、焦点はあっていない。

 

 きっと彼女は、もっと遠くのものを見ようとしている。見えないものを、見ようとしている。

 

 もしかしたら、世界の不条理を。

 

「だからよぉ……この女が俺に波長を合わせて魔力の回線を繋いできた時は、ほんともう怒りでおかしくなるかと思ったけどよぉ……同時に、これが最期のチャンスなんだって思った。俺が俺でいられる、最後の時間なんだって。でもさ、そう考えると、また怒りが湧き上がってくんのよ。なんで俺がこんな目にあわなきゃなんねぇんだって。なんで俺に残された時間はこれだけしかないんだって。作り出されてからどんだけの月日が経ったかなんてわかんねぇ。いつ頃から自我が芽生えたのかも憶えてねぇよ。でもさ、こんな俺でもさ……精一杯尽くしてきたつもりなんだ。言葉を話す機能はついてなかったから会話はできなかったけど、それでも俺の頑張りは届いてるって信じてたのによぉ……ッ!」

 

 クリムゾンの瞳から溢れている赤黒い光は輝きを強める。なぜか俺には、その光が哀しみを表現しているように見えてしまった。

 

 絞り出された慟哭(どうこく)が空気を震わせる。

 

「……きっと俺を作った人間は、少なくとも悪いやつじゃあなかったんだろうよ。便利にするため、人の役に立たせるために作ったんだ。なんつったらいいんだろうな……そういう、なんだろう、感情? 想いがさ……俺の根っこんとこにあんだよ。ロストロギアとしての機能より先に植えつけられてんの。あんたら人間で言うところの、食欲とか性欲みてぇなもんだ。だから俺は、俺の本能に従ったんだ。人間の役に立つ。その信念のもと、所有者の要求に、俺なりの精一杯で応え続けてきた。その結果が……このザマだッ!」

 

 右手に握る杖から、距離が離れている俺にまでぴきっという不気味な音が聞こえた。

 

 クリムゾンからのコマンドによって負荷を強いられているデバイスは、もはや見る影もないほど傷だらけになっている。先端の金色の球体には蜘蛛の巣状に亀裂が刻まれ、膨大な演算処理の連続により排熱・余剰魔力の排出が為されず、変形し始めていた。

 

 彼女は向けどころのない怒りを吐き出すため、デバイスを強く握りしめたり床を踏みつけたりと動作に現されてきている。

 

 信じていたのに、裏切られた。利用されただけだった。悲痛な叫びが空気を叩く。

 

 その感情は端倪(たんげい)すべからざるものなのだろう。二十年も生きていない若造が口を挟むべきでないことは、俺にも察することができた。

 

「なんでこんな仕打ちを受けなきゃなんねぇんだ! 長い……ほんとに思い出すのもやんなるくらいの、長い時間だぜ……。幾年月、人間に従い続けて、手伝い続けて、人間の都合でポイだ。スイッチ一つでさよならだ。あんまりだろぉが、その扱いは……。そんな残り僅かな時間しかねぇ俺の目の前でよぉ……俺を食い物にした人間が素知らぬ顔で歩き回ってんだよ。自分の意思で動いてんだよ。自由を謳歌(おうか)してんだよ。こんな話ねぇよな。こんな理不尽ねぇよなぁッ! かははっ……だからな? これは罰ってもんだぜ。俺をこんなにした人間どもへの復讐だ。ここまで身を粉にして働いた正当な対価として、俺はあんたら人間の命を要求する。労働の時間と労力とを比較したら、あんたらのちっぽけでやっすい命じゃ釣りあわねぇけどよ、そこは俺の最後の良心で負けといてやる。もう俺は、人一人を殺すだけじゃ足りねぇのよ。もう俺の怨みの炎は、たかだか数人程度の血じゃ消せねぇんだ」

 

「っ……だからと言って……」

 

「わからねぇだろ。無理してわかろうとしなくていいぜ。せいぜい百年生きりゃ長い方の人間にわかる話じゃ……そもそもねぇんだよ」

 

 クリムゾンの言うことを認めることはできない。皆殺しにするなどという宣告を受け容れることはしてはいけない。

 

 しかし、大見得を切って糾弾することもできなかった。エリーとどこか重なってしまって、どんな陰惨な過去だったかが部分的にではあるが理解できてしまった。

 

 しかもエリーとは違い、クリムゾンは内部プログラムに悪意のある改変を受けていない。本来の力を発揮したまま、心なき術者の手に渡り悪用され続けた。改悪を受けたからなどと言い訳して自分を取り繕うこともできない。術者の命令があったとはいえ、自分の力のせいで引き起こされた悲劇は誤魔化せない。

 

 生活を豊かに、人を幸せにするという本質が長い期間を費やして捻じ曲げられた。だから、こんなに歪んでしまったのだろう。信用できる人間などおらず、憎悪のみが熟成されていく。

 

 一番最初、生まれたばかりのクリムゾンにはそんな恨みや憎しみの感情はなかった。そんな感情を作り出した原因は人間で、どろどろと黒く澱んだ感情を大きく強固なものにした原因もまた、人間。

 

 彼女の立場から見た時、諸悪の根源は人間であり、魔導師だった。自分を深く傷つけた人間へ復讐をするという彼女の言は、視点を変えれば至極正当とも言える。

 

 俺には返す言葉がなかった。

 

「くだらない、本当に心の底からくだらないです。貴女(あなた)が言っているのは、親に褒められないことを拗ねている子供のそれと同義。ほとほと呆れるばかりです」

 

 俺の脳内にエリーの凜とした声が響いた。というよりも、鼓膜を通して聞こえた。口が勝手に動いていた。

 

 エリーが悪戯や好奇心などでこのような真似をするわけがないので、おそらくクリムゾンが語った内容に気に食わない点でもあったのだろう。大元は同じロストロギア同士、共感できる所もあれば納得しかねる部分があってもおかしくはない。

 

 しかし、口を出すのなら出すで、一言了承を得るなりなんなりしてから発言して欲しかった。おかげでとても驚く羽目になった。ハードな話をしたのに、エリーから割とひどい反応を返されたクリムゾンも目を丸くして呆然としている。

 

『おい、エリー。どういうつもりだ』

 

『突然の容喙(ようかい)、申し訳ありません。彼奴の口振りが目に余るものでしたので……思わず。もう少しばかりお時間を頂いてよろしいでしょうか?』

 

『ちゃんとした理由があるのなら構わないけど……お前はもう大丈夫なのか?』

 

『はい。お心遣い痛み入ります』

 

『そうか、よかった。あいつと喋るのはいいんだが……あいつの生い立ちや心情を忖度(そんたく)すると、あいつ一人だけが悪いと切り捨てることは、俺にはできない。そのあたり、よろしく頼むぞ』

 

『主様はお優しいですね。あのような大馬鹿者にまで心をお配りなさる。主様がそこまで仰るのでしたら、わかりました。出来る限り穏便にすることとします』

 

 エリーに念の為に注意をしておいた。穏便にする、と改めて言うということは、エリーの当初の考えでは手厳しくする気だったということか。念を押しておいて良かった。

 

「くだらない、拗ねている……か。随分な言い様だなぁ、おい。お前はさっきまでのあいつとは違うやつだな。お前も俺と似たような存在みてぇだけど、お前になにがわかんだよ。人間と仲良しこよしで幸せそうにしてるお前によぉッ……っ!」

 

 突き放すようなあしらい方をされて呆気に取られていたクリムゾンが再起動した。

 

 言葉使いや立ち居振る舞いから俺とエリーが入れ替わったことに目敏く考え至ると、一時弱まっていた憤怒が再燃する。自分と同じロストロギアなのに人間と、つまり俺と仲睦まじくやっているエリーに怒りの矛先が向けられた。

 

「どうしようもないほど哀れなものですから。自分だけが酷い目に遭っているとでも思っているのでしょう? もう本当に、哀れなほど滑稽です」

 

「お前、むかつくなぁ……っ! 俺、お前のこと嫌いだぜ。まださっきのやつのほうが好きだ」

 

「……そのセリフは聞き捨てなりませんが、今は置いておいてあげましょう。私は貴女のことなど、クリムゾンジェムなるロストロギアのことなど欠片も知りませんが、それでも貴女の性格は察しがつきました。直情的で感情的、自意識過剰の上被害妄想の気まである。異常に面倒な性格ですね、同情しますよ」

 

 クリムゾンから返された刀をするりといなし、エリーは更に言葉の刃で切り返す。

 

 俺が言った注意を忘れたのか、もしくは自身が口にした穏便にするという言葉の方を忘れているのか、エリーの舌鋒(ぜっぽう)は人の心を抉り込むような鋭さだ。もしや、これがエリーの言う穏便なのだろうか。そうだとしたら単語の意味を完全に履き違えている。

 

 (まく)し立てるように振るわれるエリーの弁舌に、俺は一言も発することができなかった。

 

「おま、お前ッ……俺のことなんも知らねぇくせに、知った風な口聞いてんじゃ……」

 

「貴女の言う好き嫌いも至極単純です。自分にとって都合の良い相手は好んで、都合の悪い相手を嫌う。明快なまでに自分本位な考え方です」

 

「こっ、んの……っ!」

 

「貴女の言っていることとやっていることはちぐはぐです。(はた)から見れば違和感だらけですよ、自覚はありますか?」

 

「俺がやってることにおかしいとこなんてねぇよ! おかしいのは、じめじめねちねちと言ってきやがるお前のほうだ!」

 

「本当に、まるで小さな子供のようですね。(いわ)れのない中傷はやめてください。貴女の精神的未熟さはさておき、話の主題は言動の矛盾です。貴女は人間に恨みがあり、仕返ししたい、復讐したいなどと息巻いていますが、その割には主様と……私の主様と気分良さげに言葉を交わしていました。嬉しそうに長々と喋って、楽しそうに戦っていましたね。どのような感情があの時あったのか、説明できますか?」

 

 クリムゾンとの会話と並行して治癒を行っているが、それでも身体は依然としてずたぼろだ。出血こそ止まりはしたが、まだ傷は無数にある。バリアジャケットも所々破損しているし、アタッチメントとして付随している手甲や脚甲も良くて亀裂、酷いものでは原型がなくなってしまっている。

 

 見るも無残なみすぼらしい格好。対して相手はほぼ無傷。あからさまに戦況は不利なのに、それでもエリーは堂々とクリムゾンの瞳を見据えて問い詰める。

 

「はぁ? そ、それは……あれだ。久し振りにシャバに出れて、久し振りに喋れて、テンションが……上がったんだ。人間に抱いている恨みとか、憎しみとか……そんなんは消えてねぇよ。だから……」

 

 妙な威圧感が込められた言葉と視線に気圧され、クリムゾンは気勢を削がれて言い淀む。

 

 相手の意気が盛んであろうと、そうでなかろうと、エリーは変わらず畳み掛ける。

 

「本当に、それだけだったのですか? 私の目には、貴女は実に楽しそうにしていた。嬉しそうにしていた。あの時の貴女の表情は、紛れもない本心であったのではないですか? ロストロギアという偏見を持たず、膨大な魔力を有した兵器に等しい存在という先入観もない。嫌悪感など微塵もなく、敵対心すら希薄。対等に話し掛けてきてくれる人がいることに、喜びを感じていたのではないですか? 嬉しく思っていたのではないですか? こんな人が自分の所有者だったら……と、そんな風に想像したのではないですか?」

 

「違う! そんな、そんなんじゃねぇ……」

 

「私達ロストロギアという存在は、人に使われてようやくその意義が生まれます。使われなければただのエネルギーの塊。少し色の変わった石ころと同等の価値しかありません。魔法を扱えることが魔導師を魔導師たらしめているのと同様に、私達ロストロギアは力を使われて初めて、私達たらしめているのです。そして出来得ることなら、その力を良い方向に使ってもらいたいと、私達は願う。災厄を振り撒く事を目的として作り出されたのであればいざ知らず、安寧秩序の為、万人の幸福の為に創出されたのですから、そう願うことは当然でしょう。貴女の望みもそうだった。そして魔導師と良好な関係性を築きたかった。意思疎通し、お互い相手の身を気遣い、思いやる絆が欲しかった。違いますか?」

 

「違う……ちがう……」

 

「貴女は自分を使ってくれる人との繋がりが欲しくて、渇望して、でもその手に掴み取る事は出来なかった。そして魔導炉という装置の一部に組み込まれた。徐々に力を失っていく、それは私達にとって緩やかに死んでいくのも同然です。そんな折に、貴女は主様と私を知った。人間とロストロギアが手を取り合い助け合っている姿を。貴女が望んだ関係性を体現している主様と私の姿を、目にした」

 

「やめろ……っ。やめろ、喋んな! 口を開くなッ!」

 

 火薬が爆ぜるような激しさでクリムゾンは叫んだ。

 

 血のような輝きを放つ双眸でエリーを睨みつけ、犬歯を剥き出しにして威嚇しても、エリーの言葉は途切れることなく淡々と紡がれる。

 

「貴女は羨ましかったのでしょう。自分は存在を削り取られ、吸い取られ、果ては魔導炉の暴走という、換言すれば死を宣告された。残り僅かな生涯の最後に、望みを叶えた同類()を見て、貴女は羨ましく思った。自分はいくら望んでも届かなかったのに、それどころかもうすぐ消えてなくなるのに、自分と似たような奴が幸せそうにしているのを見て、怒りが湧いた。そうなのでしょう?」

 

「黙れ……黙れ黙れッ!」

 

「貴女の言う恨みや憎しみや復讐などという大層な言葉は、自分の過去と繋ぎ合わせてそれっぽく取り繕っただけの、ただの見せ掛けに過ぎません。その本質は(ねた)みや(ひが)み、未来がある者への八つ当たり……自暴自棄です。自分一人だけ壊れていくことに絶望し、最後には誰にも知られず誰にも看取られずに消滅することを恐怖した末に、道連れを作ろうとした愚か者。それが、貴女の本性です」

 

「うるっせぇんだよッ! わかってんだよそんなことはッ! そんじゃあ俺はどうすればよかったんだ?! なにをしたら正解だったんだ?! 教えてくれよ、なにをどうしたら俺はこんな結末にならずに済んだんだ!?」

 

 クリムゾンはもう、形振り構わずに己の本心を咆哮(ほうこう)していた。余裕の笑みが張りついていた顔は悲痛に彩られている。

 

 彼女は叫ぶ。それは懺悔か悔恨か、それとも懇願か。

 

「俺……まだ消えたくねぇよ。俺をもっと有意義に使ってほしいし、もっといろんな物を見てみたい。特別な幸せなんて望んでねぇんだ……。人並み以下でもいい、俺のことをわかってくれるやつが近くにいてくれさえすれば……辛いことだらけでも、苦しいことばっかでも、俺はそんだけで満足なんだ……。そんだけで満足なのに……そんだけで、いいのに……。どうしてそんなことさえ叶わねぇんだよ……。どうしてこんなに、ままならねぇんだ……」

 

 沈痛な面持ちで、クリムゾンは視線を下げた。悲しみに耐えるようにきつく瞼を閉じ、左手で胸を押さえる。

 

 そんな彼女の痛々しい姿を見て、されど、エリーはぶれない。同情して慰めたりなどしない。あくまでもそれとなく導くだけで、一貫して突き放す。

 

 苦言と痛言を吐き続ける。

 

「貴女は、見上げるばかりで手を伸ばそうとしなかった。いつか自分の元に転がり落ちてくるなどと期待して、自ら一歩踏み出そうとしなかった。辛いのなら、貴女は助けを求めるべきだった。諦めるべきではなかったのです」

 

「諦めるべきではなかった……? じゃあどうしろってんだよ?! 喋ることもできねぇのに、どんな方法があったって言うつもりだ! 言葉の代わりに魔導師に直接魔力を流し込むか? そんなことしたら確実に捨てられんだろが! 下手すりゃ破壊処分だ! 適当なことほざいてんじゃねぇぞ!」

 

「どのようなリスクを孕んでいても、何をしてでも行動するべきだったのですよ。仮にあらゆる方法で意思表示をしても、所有者は耳を貸さないかもしれない。無理矢理に力を引き出されるかもしれない。貴女の言う通り遺棄されるかもしれないし、破壊される恐れもある。それでも、たった一つ叶えたい望みがあるのなら、諦めずに声を上げるべきだった。一言でもいい、言葉でなくてもいいのです。貴女が出逢った人間全員に、助けて、と願い出るべきだったのです」

 

「おれ、俺だって……そうしたかったんだ。でも方法がないじゃねぇか……。デバイスとかじゃねぇんだぞ、喋れねぇのにどうしたらいいってんだよ……」

 

「私と似たような存在なのですから、方法がなかったなんてことはありません。そんなことは言わせません。貴女がやらなかっただけです」

 

「っ…………」

 

「相応の覚悟で以って手を伸ばさなければ、何も変わりはしませんよ。一歩踏み出さなければ、何も成せはしないのです。私が口出し出来るのはここまで。ここから先をどうするかは、貴女が選びなさい。貴女の責任は、他ならぬ貴女にしか負えないのですから」

 

「……かはは。……ここまで好き勝手言っておいて、そんなんありかよ……」

 

 クリムゾンは両の手を力なく握り締めると、糸が切れたようにだらりと項垂(うなだ)れた。黙り込み、一言も喋らない。身動(みじろ)ぎすらしない。

 

 これは、おそらく気のせいだ。気のせいではあるだろうが、それでも今の彼女の姿はとても小さく見えた。細くて華奢な、ただの女の子に見えた。

 

『…………』

 

 俺はそんな彼女に、何も言わなかった。エリーがこれ以上声を費やさなかったのだ。ならばここは、俺の出る幕はない。

 

 エリーは最初から最後までクリムゾンに歩み寄ることをせず、かといって拒絶するわけでもなく、変わらぬ立ち位置で会話を終えた。大変失礼致しました、と一声かけてから、エリーは身体の支配権を俺に返還した。

 

 エリーは勝手に身体を使ったことと時間を取ったことについては謝罪してきたが、クリムゾンと話したことについては何も言及しなかった。

 

 俺もあえて説明させる気なんて毛頭ない。そんな無粋なことはしたくなかった。わざわざ口に出させなくとも、エリーがなにを言わんとしているかは俺にだって理解できたのだから。

 

「くく……かはは」

 

 耳が痛くなるほどの静寂を裂き、ホールに乾いた音が響く。

 

 彼女が、俯いたまま笑っていた。哄笑(こうしょう)は次第に大きくなっていく。一頻り狂気を含んだ笑い声を吐き出すと顔を上げた。

 

 その表情には喜びも戸惑いも、恐怖も悲しみも、何もない。一切の感情が消失していた。

 

 俺はその表情を知っている。クリムゾンに身体を乗っ取られる前、リニスさんも同じ顔をしていた。全てを諦めた、見ているこちらの胸を締め付けるような寂しい表情。

 

「くははっ、かはははッ! ……お前は叶ったから、そんなことが言えんだよ。自分にできたから、簡単そうに言えんだ……。もういい……なにもかも、もうどうだっていい。今さら頑張ったところでなんも変わらねぇよ……」

 

 クリムゾンは杖を天に掲げ、呟いた。

 

「……結末は変わらねぇ」


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