そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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最近怖くて感想を見れない。上達のためには批判された方がいいのはわかってるのに、見るのが怖い。話を書く手まで止まってしまう。メンタル弱すぎる。
最後まで書ききったら全部読ませて頂きます。すいません。


一つの決心を、心に刻んだ

 杖の先端付近の空間が歪曲していく。光を屈折させるほどの魔力があの周辺に集まっているのだ。

 

 見れば槍状の魔力弾を放出していたフォトンスフィアがどんどん小さくなり、彼女に近づいている。この準備動作は大槍を投擲する魔法のそれだ。なのはと戦ったフェイトも使い、クリムゾンがまだリニスさんの身体を完全に支配しきれていなかった時に使った、圧倒的な破壊力を誇る魔法。

 

 しかも今回はそれだけに(とど)まらない。前に使った時は巨大な魔力球数個のエネルギーを集めて放っていた。しかし今、彼女が作り出そうとしているのは誘導性を有した小型の砲撃を射出する発射体に、槍状の魔力弾をばら撒くフォトンスフィアのエネルギーをも収集、凝縮している。

 

 控えめに計算しても前回より威力が増すのは確実だが、こんな状況でも幸運なほうなのだとポジティブに受け取るべきだろう。

 

 エリーの決死の奮戦によって、待機状態にあった直射型と誘導型の射撃魔法は全部撃ち尽くされている。もしそれらが余っていたら、クリムゾンが生成する大槍は更に増強されていたところだ。

 

 とはいえ、前回の大槍ですら防ぐ手立てはなく、俺とエリーは死に物狂いで回避に専念したのだから、これ以上強大になったとしてもさして変わりはないとも言えた。

 

 どうしたものかと呆然に彼女を眺めていると、周囲から軋むような音がしていることに気づく。その音は時間の経過とともに音量を上げていく。常識を超えた魔力圧に耐え切れず、建物自体が悲鳴を上げ始めたのだ。

 

「そろそろ決着(けり)……つけようぜ。状況は親切なほどシンプルだ。俺はお前を……今は違うのか。俺はあんたを殺して、その後魔導炉がどでかい花火になるまでここらに入ってきてる人間どもを殺して回る。死にたくないし周りの人間も殺されたくないってんなら、あんたは俺を殺すしかねぇ。これが最後だ。最後の一合だ。ちょろちょろ逃げ回んなよ、白けるからよぉ……」

 

「クリムゾン、お前はそれでいいんだな?」

 

「……なんだよそれ、意味わかんねぇよ。俺はもう、期待しねぇって決めたんだよ。なにをしたところでもう手遅れだ。魔導炉の暴走だって止めらんねぇ。俺はここで、なにも残せないまま消えるんだ。なら感情的に好き勝手八つ当たりさせてもらうぜ。あのむかつくやつの言ってた通りになぁ」

 

「……そうか、わかった。受けて立つ。先に一つ、お前に教えてやるよ。……未来は不変ではない。やろうと思えば、勇気を持って足を踏み出せば、なんだって変えられるんだ」

 

 俺の返答を受けたクリムゾンの反応は、楽しげに笑うでもなく、正面対決に喜ぶでもなく、ただ静かに目を伏せることだった。これまでのように会話を楽しむ様子も、戦うことに対しての気分の高揚も、もう見受けられない。

 

 俺は痛い思いをして快感を覚える(たち)でなければ、命懸けの戦いに率先して飛び込む趣味もない。人を殴って悦に浸るほどの下衆ではないつもりだし、血を浴びて昂ぶるようなバトルジャンキーでもない。互いの命運が賭け皿に乗せられた状態で、心の底から無心で楽しめるほど無責任でも無思慮でもなければ無神経でもいられない。

 

 自身の技術向上を図るための模擬戦であればともかく、本気の死闘など御免(こうむ)る。今はそのポリシーを超える大事な願いや約束があるから戦えているが、本来であれば絶対にしたくない。

 

 けれど、やり方も話し方も乱暴だが、戦いの渦中にありながら無邪気に笑っていたクリムゾンの顔が頭から離れないのだ。そんな彼女の姿を見て、釣られて俺も疼いていた。一度のミスが命を落とす要因になりかねない戦いを繰り広げ、精神が研ぎ澄まされるのを感じて、自分が高められているのを実感してどこか楽しんでいたのも事実なのだ。

 

 クリムゾンは陰惨な自分の境遇から目を背けていただけなのかもしれない。悲惨な現実から逃げていただけなのかもしれない。

 

 それでもあの瞬間だけは、陰鬱極まる現状を忘れて楽しんでいたのだ。

 

 あの笑顔が偽物であるはずがない。嘘や演技であるはずがない。でなければ人の心を突き動かせるわけがない。

 

 最初はリニスさんを正気に戻すだけでいいと考えていた。しかしクリムゾンの存在を知ってしまった以上、捨て置くこともできない。

 

 リニスさんと同じような表情を、なにもかも諦めてしまった悲しい表情をするクリムゾンをなんとかしたいと、そう思ってしまった。

 

 そのおかげで、或いはそのせいで、まだ大槍への対抗策を確立していないにも(かかわ)らず彼女の提案を呑んでしまったのだけれど。

 

『主様っ! あの魔法に対して搦め手なしの正面突破は余りに無謀です! 正々堂々の真っ向勝負では勝ち目はありませんよ?!』

 

 予想はできていたが、エリーからの猛反発を受けた。

 

 エリーの懸念はもっともであるが、しかし、その内容は正鵠(せいこく)を射ているとは言い難い。俺とクリムゾンとの取り決めを正確に理解できていない。

 

『別に正々堂々の一撃勝負をしようなんて言ってないし、俺もしようなんて思ってない。あいつに考えなしに突っ込んで行けば即玉砕は目に見えてる』

 

『は、はい? しかし彼奴は……』

 

『クリムゾンが言ったのは、これが最後の一合、ちょこまか逃げるな、の二つだ。互いの手の内を見せて、互いに打ち合ってどちらが最後まで立っているか、みたいな少年漫画の王道的展開はない』

 

『それは……確かにそうですね。彼奴もはっきりと口にしてはおりませんでした……』

 

『相手にはそれとなく意図が伝わるが、明確な言葉を使わない言い回しをしていたからな。あいつも案外心理戦ってものをよくわかっている。はたしてリニスさんの知識から得た狡猾さなのか、それともあいつ由来の策略なのか』

 

『そ、それならばこれまで通り足を使っての撹乱という流れに……』

 

『いや、中央突破で行く』

 

『なぜですか?! あの大槍は一級の魔導師複数名による大規模儀式魔法でも対抗できるかどうかという代物です! 無礼を承知で申し上げますが……あれを受けて凌ぎ切る手段は、主様の手札の中にはありません。お考え直しください。彼奴の挑発に乗ることはありません』

 

『挑発に乗ったわけでも、思考放棄したわけでもない。考え抜いた末の決断だ。短期決戦を望んでいるのはあいつだけじゃない、俺だって同じ……。足がな、回復しきってないんだよ』

 

『……っ』

 

 エリーの言う、機動力を駆使して大槍を回避するという選択には、先がない。

 

 身体への負担を考慮せずに高速機動を多用した結果、俺の足は限界を迎えた。図らずもしばしの間休憩を与えることができて息を吹き返したが、それでもやはり虫の息だ。限界は近い。

 

『全力を出せるのは一回、よくて二回。それ以上は動かない。大槍の回避に使ってしまえば、そこからは的になるだけだ』

 

『でも……ですが、だからと言って策を弄することもせず、正面から吶喊(とっかん)では……』

 

『たしかに正面から突っ込む。だけど、なにも手を講じずに突撃するつもりはない。たった一つだけ、勝機がある』

 

 彼女が投じる大槍の破壊力は知っている。影響を及ぼす範囲は大槍の本体だけにとどまらず、その周囲数メートルにまで至る。圧縮された魔力が漏れ出している分だけで、人の身体を粉々にしかねない。

 

 そんな代物が直撃すれば、骨の一欠片も髪の毛一本すらこの世から消え去るだろう。無策で正面から対峙するなど愚にもつかない。

 

 そう考えれば、一見対処法などないように思える。防御魔法で防ぐこと叶わず、相殺しようにも俺の射砲撃魔法では夢のまた夢。エリーが使った魔力流の最大出力による放出でも、威力を低減させることはできない。身体にガタがきているせいで回避という選択肢も潰えている。

 

 なるほどかなりの難題だ。クリムゾンの繰る魔法は、一個人が繰り出していいレベルではない。取れる手立てなどないように思える。

 

 しかし、ここに盲点があった。

 

『尋常ではない魔力圧の大槍。俺たちにとってこれがネックになり、同時にこれが生き残るための鍵になる』

 

『どういう、意味なのですか?』

 

『大き過ぎる力故の初動の遅さ。そこを突く』

 

 あの大槍を生成する工程は単純だが、単純だからこそ一つ一つのプロセスが肝要になる。

 

 弾を吐き出し尽くして術者の周囲に漂ったままの発射体を()り集め、凝縮・圧縮することで、あの大槍は構成されている。他の魔法とは密度が違う。

 

 それ故に強力、しかし、それ故に扱いも難しい。すべての作業に細心の注意を払わなければいけない。圧縮する際にも、作り出した大槍を維持する際にも、そしてそれを相手に投擲(とうてき)する際にも。

 

 見ていた限り、フェイトもクリムゾンも、大槍の発射シークエンスには自らの手を動かしていた。それがコマンドになっているという可能性もあるが、手を動かしたほうが扱い易いという理由が大きいと見える。巨大とはいえ一つの遠距離攻撃を放つために手を動かしていては、タイミングが相手に丸分かりだ。ノーモーションで放つのが一番なはずなのにそうしないのは、術の規模の大きさ故に不可能だからと考えるのが自然だ。

 

 これらの事柄から、術者自らが集中して魔法の操作をしなければ危険が伴う、と読み取ることができる。

 

 撃ち放つにも、術者が丁寧に慎重に行わなければならないほどのエネルギーが込められた大魔法。当たれば万物を消し飛ばす。速度も充分ある。効果範囲も広い。

 

 しかし、使用されている魔力が大き過ぎるために、投擲し終える最後の最後まで気が抜けない緻密な作業。術者自身の安全を確保するには、どうしても時間がかかる。

 

 畢竟(ひっきょう)するに、あの魔法唯一の弱点は発射までの遅さにあり、唯一の好機もそこにある。

 

『防げない、撃ち落とせない、躱せない。なら、(せん)を取ればいい。大槍を放つ前に肉薄して取り押さえる。後は計画通りに動きを封じてハッキングで侵入、クリムゾンとリニスさんを繋ぐ魔力線を断ち、切り離す』

 

『お言葉ですが……それは近づくことができれば、です。主様の計画には方法論が欠けています。どうやって彼奴との距離を埋めるのですか? 主様が動いた瞬間、彼奴はモーションに入るでしょう。私たちはホールの端、対して彼奴は反対側です。この広大なホールのほぼ両端、離れ過ぎています。間に合いません』

 

『うん、間に合わない』

 

『……そんなあっさりと。主様自ら言うのですか……』

 

 俺の考えの欠陥が、距離だ。力を溜めた上で『襲歩』を使い、さらに魔力のブーストを加えて踏み込んでも、開いてしまったクリムゾンとの空間は一歩では潰せない。どう頑張っても確実に二歩、接近時に少しでも体勢が崩れればそれ以上に時間と足が浪費される。接近速度にも不安が残る。

 

 ただでさえぽんこつと化している俺の足だ。姿勢の維持は困難だし、踏み込みも満足にできるかわからない。俺の予想では、半ばを超えたくらいで彼女の大槍に消し飛ばされる。

 

 間に合わない。足りないのだ、今のままでは。

 

『だから、もう一段階引き上げる』

 

『っ……。それは、主様……』

 

『無策で突っ込む気はないって言っただろ。エリー、頼む』

 

 計画を実行に移すための最後のピース、それはエリーとの和合(アンサンブル)状態をさらに深くすること。

 

 現在のコンディションでは身体能力的にも魔力の出力的にも、実現は難しい。ならば、底上げする他に手はない。

 

 不確定要素も潜在する状況において、この計画は成功確率に富んだものとは言い難い。俺の判断や姿勢制御にミスがあるかもしれない。エリーが魔力出力量の調整を誤る可能性もある。俺が予想もしていなかった策を、クリムゾンが講じていることだって考えられる。突発的な変調、偶発的な異常。俺たちにはどうしようもないところから、俺たちの戦況に関わってくるかもしれない。リスクを数え上げたらきりがない。

 

 計画の欠陥は彼我の距離だけではない。まさしく穴だらけの作戦だ。こんなお粗末な素案を示されたら、俺だったら絶対に突っぱねる。弾が五発入ったリボルバー式の拳銃でロシアンルーレットをするほうがマシだ。命をベットして、こんな分の悪いギャンブルをするなんて、正直言えば俺だってしたくない。

 

 だからといって、やめるわけにはいかないのだ。取れる手段が複数個あって、その中から最善を一つを選んだんじゃない。消去法で潰していって、最終的に残った作戦がこれだったのだ。他の手段など、用意されていない。他に道はない。

 

 背後には引き返せず、左右は崖、前方は濃霧、足場は今にも崩れそうなほど不安定。俺たちの現状を例えるならばこんなものだろうか。

 

 先は見えないが、道が一つしかないのなら前に進むしかない。立ち止まっていることも、ゆくゆくは死に繋がっているのだから。

 

『……主様、どうかご再考をお願い致します。これ以上は本当に危険です。主様に害のある副作用が出る恐れが高過ぎます。後遺症のリスクも……いえ、後遺症で済めば幸いなくらいです』

 

『エリー、認めてくれ。他に方法がないことは、賢いお前ならもう分かってるだろ?』

 

『分かっております……。しかしこれはトレードオフです。よくお考えを……最悪、主様の人格が……』

 

『お前に酷なことを強いている自覚はある。でもなエリー、時間がないんだ』

 

『いや……やですっ。……私、私はっ……』

 

『エリー……』

 

『ーーお願いします……主様。どうか……おねがい……』

 

『……頼む』

 

『っ…………。わかりました、出力の引き上げに移行します……』

 

『悪い。ありがとう』

 

 一つ段階を引き上げるだけで、出力の制限をたった一つ取っ払うだけでもリンカーコアにかなりの負荷がかかっていた。エリーがここまで俺の意向に食い下がったということは、相当に危うくなるのだろう。身体的にだけでなく、精神的にも。エリーの反応を見れば、どれだけ危険な行為なのかがわかる。

 

 エリーには負担と心配をかける事になってしまったが、それでも望んだ結末を掴み取るには通らなければならぬ道だ。俺には、エリーを頼るしかできない。

 

 心の準備を整えて、出力引き上げ実行の合図を待つ。

 

『それでは……始めます。最初は気が狂いそうなほど苦しいと思いますが、安定するまで落ち着いて、気を静めてください。一番いけないことは、力の波に意識を流されてしまうことです。これだけは決して忘れず、留意してください』

 

『わかった。じゃあ……やってくれ』

 

 身の内に到来するであろう衝撃に備えて、手を固く結んで(まぶた)を閉じる。

 

 魔力の制限解除の寸前、エリーが呟く。

 

『何があっても、私は主様のお側についております。どこへ旅立っても、必ず……貴方の隣に』

 

 エリーの声が脳に届き、どういう真意か考えようとした瞬間、それは訪れた。

 

「がっ……っ! ぁっく……ぅおアァッ』

 

 身体の中心で何かが爆発したみたいだった。血管が一気に倍以上広がったような錯覚。心臓は破裂しそうなほど跳ね上がる。

 

 業火に包まれたかのように全身が熱い。視界はちかちかと白く点滅し始めた。

 

「くっ、はっ……アァッ!」

 

 身体の中で魔力が暴れ回っているのがわかった。抑えようにも抑え(がた)い。この暴れ馬の手綱を握るなんて俺には到底できそうにない。

 

 手足の感覚が遠ざかっていく。これがエリーの言っていた魔力の波というものなのか。猛り狂う魔力の奔流に流され、意識が飲み込まれそうになる。

 

 俺では御し切れない。弱音を吐きそうになった時、身に覚えのある温もりを感じた。

 

「主様、お気を確かに。自分の意思を強く持ってください」

 

 抱き締められているような柔らかい感触と(ほの)かな体温。俺の熱い身体に触れるその温度はとてもひんやりとして、心地よかった。離れようとする意識を、エリーの手が身体の中へと引き戻す。

 

 ここはエリーが統治する空色の世界ではない。であればエリーは自分の肉体を持てないので、俺を抱き締めることはできないはずだ。つまり、これは頭の中に直接イメージとして送り込まれている感覚に過ぎない。

 

 だが、たとえイメージであっても心強いことに変わりはない。事実、押し寄せていた漠然とした不安はどこかへ消えていた。

 

「無理に抑え付けようとしてはいけません。抗わず、受け入れるのです。人の身では受容できない量の魔力ですが、この魔力も私の一部であることに変わりはありません。主様であれば出来るはずです。全身に余すところなく行き渡らせ、浸透させてください」

 

 エリーの助言に言葉で返すこともできず、頷くことで返事をする。

 

 深くゆっくりと呼吸をして、血液を通して酸素を循環させるのと同じ様に、全身に魔力を送り込む。二〜三度ほどは心臓が強く律動を刻んでいたが、だんだんと身体に馴染んできた。

 

 苦痛と不快感の峠を越えると、そこには別世界が待っていた。

 

 なんでもできてしまいそうな全能感。人知を超越した力を手にしているという優越感。

 

 そして、そんなことを欠片でも思ってしまった自分がとても気持ち悪かった。自分の欲望の為にエリーから力を借りたわけではない。

 

 浮ついた意識を頭を振って持ち直す。目の前を揺れた長い髪は、全体が空色に輝いていた。

 

『エリー、心配かけた。おかげでなんとかなったよ、ありがとう』

 

『いえ、私は……。それより、主様。可能な限り早く終わらせてください』

 

『やっぱり長時間続けるのはまずいのか』

 

『はい。時間と共に魔力が主様のリンカーコアを侵食し、そこから全身に伝わり(おか)される事になります。いずれ、主様は主様でなくなってしまう。未だ主様のお身体と人格に些かの変調も来さずに残存しているだけで驚くべきことなのです。悪影響が現出する前に、事を成してください』

 

『……ああ、わかった』

 

 エリーの言う悪影響は、実を言えばすでに出始めている。ふわふわとした陶酔感(とうすいかん)、力を手にした愉悦感(ゆえつかん)、努めて押さえつけなくては溢れてしまいそうになる利己心(りこしん)意馬心猿(いばしんえん)の苦しみが、俺の中にはなかった妄念(もうねん)が、心を掻き乱す。

 

 集中を妨げる煩悩を頭の中から払い出すため、視線の先の吸い込まれそうなほど黒い大槍に傾注して紛らわす。

 

 クリムゾンの周りからはフォトンスフィアが一掃され、全エネルギーが大槍に収斂(しゅうれん)されていた。どくんどくんと脈打つように、少しずつ体積が小さくなる。一点の破壊力をさらに強化するため、密度を高めているのだ。

 

 あいつは戦艦でも墜とすつもりなのだろうか。

 

「かはは……。あんた、今自分がなにしてんのかちゃんと理解してっか?」

 

 人に向けるには過剰すぎる魔法を携えたクリムゾンが話し掛けてくる。

 

「そう言うお前こそ、何をしてるのかわかってるのか? その漆黒の槍は何に使うつもりだよ」

 

「はぁ? あんたに使うに決まってんだろ。あの世への優先特急券だ。一直線に天国まで送り届けてやるよ」

 

「届けていらないよ……」

 

「そんなことより、あんたの話だ」

 

「……俺にとっては『そんなこと』で済まないんだけどな」

 

 こちらを見るクリムゾンの目つきに鋭さが増した。ぴりっとした緊張感が伝播する。

 

 離れていても、双眸に宿る黒い炎の火力が強まるのがわかった。

 

「ちゃんとわかってんのか? あんたのソレ(・・)はもう、ロストロギアから魔力を受け取ってるなんてもんじゃねぇんだぜ。あんたはすでに、身体の半分くらいはロストロギアだ」

 

「……? まあ、エリーと身体を共有してるわけだからな。人間としての定義から外れてきてる実感はある」

 

「違う、そうじゃねぇ。そういう意味じゃねぇんだ。そりゃあ、あのいけすかねぇロストロギアと一体化してる時点で、人間か人間じゃないかで言えば化け物だけど」

 

 項目は『人間』か『人間ではない』の二つではなかったのか、という不躾な口は挟まずに飲み込んだ。

 

「今のソレは次元がちげぇんだよ。さっきまではロストロギアの魔力を調整してあんたに送り込んでいた状態だった。でも今は、あんたの存在自体がロストロギアに寄っている。喰われかけてんだよ、あんた」

 

「それを言うならお前だって同じなんじゃないのか。リニスさんの身体を乗っ取って自分の物にしようとしてるんだろ?」

 

「あんたからすりゃ似たようなもんだろうよ。でもぜんぜんちげぇ。身体の支配はできてっけど、この女はまだ諦め悪く抵抗してきやがる。俺の魔力を身体の隅から隅まで通せてねぇんだ。魔力を使ってこの女の知識を見たり、魔法を使うことはできる。それでも根っこの本質は変えられねぇ。この女が諦めて手放さない限り、俺は人間の身体を上から操ってるだけだ」

 

 いまひとつクリムゾンの言っている意味を咀嚼(そしゃく)しきれない。

 

 俺とエリー、リニスさんとクリムゾン。この二組は似通っている。リニスさんはプレシアさんの使い魔であるという些細な点はあるけれど、その程度は本当に些細な誤差だ。

 

 魔導師とロストロギアという同一の関係。魔導師側で魔法適性などの素質が違ったり、ロストロギア側でエネルギーの総量が違ったり、魔導師とロストロギア間における信頼や絆の有無など、細かなところで差異はあれど大部分は通じている。

 

 クリムゾンの言う違いは、少なくとも俺にはないように感じられた。

 

「何が言いたいんだ。俺はエリーから魔力を借用し、お前はリニスさんの身体を徴用している。都合が悪いのはむしろそっちなんじゃないのか?」

 

「人道的とか倫理とか小難しい話でなら、そりゃ俺のほうが悪いだろうよ。でもな、やべぇのはあんただぜ。あんた、身体の感覚とかちょっと変わったように感じてんじゃねぇの? それの正体はな、頭のてっぺんからつま先まで魔力で覆われてるとか、そんなちゃっちぃもんじゃねぇ。骨とか筋肉、血管とか神経、細胞にまで、あいつの魔力が伸びてんだよ。隙間なんてないくらいにぎゅうぎゅうに魔力を注ぎ込まれてんだ。俺が言ってんのはそういうこと。あんたは今、半分くらい魔力エネルギー体なんだよ」

 

「……それはそんなに危ないことなのか?」

 

 首を傾げてクリムゾンに尋ねる。

 

 問われたクリムゾンは察しの悪いお馬鹿()に苛立ったのか、髪をぐしぐしと乱暴にかきむしった。

 

「わっかんねぇかなぁっ……。この女は抵抗していても俺に操られてんだぜ? それなのにあんたは身体ん中に受け入れちまってる。人間としての本質さえも霞んじまってんだ。陰険で陰湿で陰気な根暗野郎がもし裏切ってあんたの身体を乗っ取ろうとすれば、数秒もかからずにあんたは消える。わかるか? 今のあんたの身体は、野望や悪意を抱いたロストロギアにはこれ以上ねぇほどの苗床なんだよ」

 

「…………」

 

「人間としての肉体がありながら、身体には魔力の線が張り巡らされてんだ。半分人間で、半分エネルギー結晶体。この都合の良さが人間にはわからねぇのかなぁ」

 

 存外に丁寧なクリムゾンの説明により、彼女が何を言わんとしているのかは理解できた。

 

 人間としての実体は保ったまま、ロストロギアとしての特性や利点も兼ね備えている。肉体の半分が魔力で構成されているということは大概の無理は効くだろうし、人間としての身体が残っている以上魔法も使える。

 

 それは確かに便利なのだろう。百パーセント共感できると言っては過言だが、想像することはできた。

 

 ふと気になってエリーに意識を傾けたが、エリーは何も語らず黙していた。俺とクリムゾンの会話はエリーにも届いているだろう。それでも慌てず騒がず取り乱さず、己の役目である魔力の調節に専心していた。

 

 その様子に、俺は思わず笑ってしまいそうになった。

 

 つまりは、そういうことなのだ。考えるまでもなかった。答えは既に、出されていた。

 

「なるほどな、よくわかった」

 

「はぁ、やっと理解したのかよ……あんたはもっと頭の回転速いと思ってたぜ」

 

「その評価はちょっと買い被りすぎだけどな。なんか釈然としなくて理解が遅れた」

 

「釈然としねぇって……なんでだよ。自分で言うのもなんだけど、俺にしちゃあわりかしうまく説明できた自信はあったんだぜ。まぁいいけどよ。そんなら喰われねぇうちに戻しとけよ。あんただって半分ロストロギアなんて状態で死にたかねぇだろ。待っててやっから」

 

「いや、その必要はないんだ」

 

「早めにすませ……は? 俺の言ったこと理解したんだよな?」

 

「理解した。とてもわかりやすかった」

 

「そんならなんでッ!」

 

「なのに釈然としなかった。その理由がやっとわかった。前提がな、間違ってたんだ」

 

「前提……?」

 

 クリムゾンの忠告通り、普通に考えれば危ないのかもしれない。乗っ取ろうと画策すれば、俺の人格や意識、存在は一瞬で消滅するのかもしれない。

 

 でもそれは、『野望や悪意を抱いたロストロギア』なら、という前置きが入っている。その注釈が理解を阻んでいた。

 

 エリーならそんな真似、絶対にしない。その確信と信頼が根底にあったからこそ、自分のこととして考えることができなかったのだ。

 

 無意識下であってもこれほどエリーを信じている自分がいる。驚きと共におかしさが込み上げた。

 

 我慢しきれず、頬が緩む。

 

「エリーは、俺を乗っ取ろうなんて絶対しない。なにも危ないことなんてなかったんだ」

 

 詳説すれば時間の経過によって俺の状況は悪化するのだろうが、それはエリーの意思とは無関係だ。望まぬ結果にならぬよう、エリーは尽力してくれている。

 

 恐れることなど、なにもなかった。

 

「なんだよそれ、全幅の信頼ってやつか? ……かはは。……どうやったら、あんたらみたいな絆が築けんだ。傷つけるしかできない凶器と、利用することしかできない人間の間で、どうやったら……。俺とあんたらで、何が違うってんだ……」

 

 クリムゾンは左手をぼうっと眺めて、力なく握った。

 

 エリーが、申し訳ありません、と一言俺に囁く。意図を察して、俺は了承した。

 

「何も。私と貴女は、何も変わりません。ただ……私は手を伸ばし、貴女は躊躇した。その一点が、違うだけです」

 

「そうか……そうかよ。俺も……ちょっと勇気出してたら、違ってたのかな……。お前みたいに……満ち足りた気持ちで力を使えたのかな。もう、なにもかも遅ぇけど……。俺も……」

 

 エリーはクリムゾンに言葉少なに語り、そしてまた戻った。

 

 クリムゾンは左手を胸元にやり、目を伏せる。少しして、瞼を開いて顔を上げた。

 

「……俺も、あんたみたいな人が欲しかったよ……」

 

 クリムゾンはそう呟いて、笑顔を見せた。その声は彼女らしからぬか細い声で、掻き消えてしまいそうな小さな音だったが俺の耳まで確かに伝わった。

 

 その表情と声は、胸に突き刺さり、心に響き、網膜に焼きついた。

 

 かなりの距離がある。いくら身体能力が人間離れしていても、遠くのものを見通すには限度がある。それでも、確かに見た。彼女の目元に輝く透明の液体を。

 

「…………余計な欲を、出すな。ただでさえ、難しいんだから……余計なことは……」

 

 心の内だけでは止められない。実際に口に出して、自分に言い聞かせる。

 

 リニスさんを取り戻すという目的のためには、クリムゾンを打倒しなければならない。リニスさんを取り返し、協力を仰いでプレシアさんの翻意(ほんい)を促す。そうしてようやく未来が繋がる。誰もが笑っていられる結末を迎えることができる。

 

 その為には、余計なことは考えるべきではない。時間も労力も割くべきではない。初めからゆとりも余裕もないのだから、こんなところで自分からさらに難しくするなんて愚かだ。ここで体力を消費したことが原因で、どこかで何かが崩れる可能性だってある。すべてが台無しになるかもしれない。

 

 余計なことをすべきではない。頭では理解している。

 

「だからって、納得はできないよな……」

 

 人間の感情と損得の勘定は別物だ。感情は数字では計れない。論理や理屈ではどうにもできない。

 

 俺は彼女のことを知ってしまった。過去を、境遇を、人となりを知ってしまった。悲しげな表情を見て、真情の吐露を聞いてしまった。

 

 このまま何もせず見捨てて切り捨てるなど、俺にはできなかった。

 

 行動しなければ、必ず後悔する。全部上手くいっても、このままでは素直に喜べないと思うから。

 

 だから俺は、一つの決心を、心に刻んだ。

 

 構えを取り、全神経を集中させる。限界まで力を溜め、爆発させる時を待つ。

 

 俺が動きを見せたことで、クリムゾンも動き始めた。右手をゆっくりと後方に逸らす。それに合わせてずずっ、と大槍も後方に移動する。

 

 弓の弦が引かれるような気配と似ている。緊張を与えられ、解き放たれるのを待っているのだ。あそこから、絶大なる破壊が(もたら)される。

 

しかし、投擲するのに時間が必要だろうと見た俺の推測は間違っていなかった。後方に引くだけでも相当にかかっている。これならいける。

 

 集中、集中だ。意識を集中させ、力を集約させる。ここまでお膳立てしても『襲歩』ではなお、届かない。速度を重視すれば距離が届かず、距離を伸ばそうと思えば時間が足りない。推進力がいる。

 

「できるだろ、今なら……。ここでできなきゃ、男じゃないッ!」

 

 推進力が不足しているのなら、足せばいい。幸いにもその心当たりはある。

 

 全身の力を一点に集めて放つ神無流奥義『発破』を足から放つ。並行して、生み出されたエネルギーをロスすることなく効率的に前方へと向かわせる、高速移動術『襲歩』。二つの技の同時使用。

 

 魔力によって強化された身体能力も上乗せされた超人的加速は、堅固なはずの床をガラスのように粉砕した。生み出されたエネルギーは前方一点のみを目指し、俺を押す。

 

 踏み込みなどの表現では足りない。高速移動でもまだぬるい。まさしく、正真正銘文字通りの爆発。音速を超え、衝撃波を撒き散らしながら彼女の元へと突撃する。

 

 複合奥義『爆轟(デトネーション)』。

 

 空気抵抗を考慮して魔力を進行方向に円錐型に展開しているが、それでも空気の壁は厚く身体の末端が裂ける。

 

 分厚い空気を押して進む。空気が圧縮され、とんでもない熱量が発せられた。

 

 俺自身、かなりの速さが見込めると推測していたが、ここまでの速度が出るとは思いも寄らなかった。

 

 踏み込んだ瞬間に、間に合う、とそう確信した。杖が振り下ろされ、大槍が投擲される前に彼女を取り押さえることができると信じて疑わなかった。上手くいく、そう思っていた。

 

「あんたらを見てるだけで辛ぇよ……。もう、消えてくれ……」

 

 油断では、なかったろう。準備は万全整えていた。クリムゾンの魔法の出端(でばな)を突くという策は、考え得る限りで最善の手だったはずだ。

 

 だが、失念していた。見ていたはずだったのに、あの魔法を使ったフェイトが事前に何をしていたかを失念していた。

 

 フェイトはなのはにフォトンランサーによる斉射を行い、その後撃ち尽くした発射体を集めて大槍を作り出した。発動に時間がかかり、隙も大きい魔法だ。普通であれば逃げられる。そうされないための対処法をフェイトは講じていた。魔法を発動させる前になのはに拘束魔法を仕掛けていた。拘束魔法で時間を稼ぎ、発動させていた。

 

 教え子であるフェイトが大規模魔法の弱点を把握していたのだ。ならば、講師役のリニスさんが知らないわけがない。リニスさんの頭の中の知識を掌握しているクリムゾンが、知らないわけがなかった。

 

 とても強固な物体にぶつかる衝撃と、動きを阻害する硬い感触が全身に走る。

 

「こ、拘束魔法……っ!」

 

『ご丁寧に速度を削る為の障壁まで設置しているとは……迂闊でした』

 

 タイミングは完璧だった。クリムゾンの手が後ろに引き絞られた瞬間に駆け出した。間に合っていたのだ、順当にいっていれば。

 

 しかし彼女に届く前に俺は静止する。俺の身体を食い止めたのは多重展開された障壁。俺の身体を縫い止めたのは、設置型のバインド、鎖状の拘束魔法。

 

 身体に乗った速度と振り撒かれる衝撃波によって幾つかの壁と鎖は破壊、突破したが、強固な障壁と網の目のように張り巡らされた拘束魔法により推力は失われ、とうとう停止した。

 

 彼女までは十メートルを切っていた。目測、五メートルないし六メートル。目と鼻の先まで辿り着いたのに、この五メートルがあまりにも遠かった。

 

「これは俺のワガママなんだろうよ。八つ当たりだってこともわかってんだ。でも、でもよ……あんたらを見てると、俺にももしかしたらあんたらみたいな幸せな未来があったんじゃないかって、考えちまうんだ。そんなありもしねぇ『もしかしたら』が、頭にこびりついて離れねぇ。辛くて、苦しくて、悲しくて……どうしようもなく苛つくんだ。あんたらには申し訳なく思ってる。けどよ、もう俺にもどうにもできねぇ。あんたらを見てるだけでずきずきと痛むんだ。見せつけられてるみてぇで爆発しちまいそうだ。だから消えてくれ……。俺の前から、俺の中から……消えてくれ」

 

 後ろに引き絞られたクリムゾンの右腕が動き、頂点に到達する。下手に近づいた分だけ大槍は間近だ。放たれた瞬間に蒸発するのはもはや自明。

 

 死という概念がすぐ近くまで這い寄ってきているのに、もう打つ手がない。

 

 クリムゾンとの間にはまだ数枚の障壁。左右には魔法陣が展開されており、そこから幾条もの鎖が伸びて俺の身体を拘束している。

 

 進化ならぬ深化を遂げた今のモードなら、鎖を力尽くで振り払って破壊することはできるが、やはり多少の時間がかかる。その間に大槍が俺の身体を食い破って消し炭にする。

 

 身体能力が全体的に向上したおかげで『爆轟』を使った後でも、死に体ではあるもののまだ足は生きている。

 

 しかし、全身に負荷がかかるあの複合技をもう一度は使えない。次使おうとすれば確実に身体のどこかで力のひずみが生まれ、不発に終わる。過負荷に足が耐え切れなくなるか、足への負担を気にし過ぎて他の部位が悲鳴をあげるか、どちらにせよ自滅することになる。

 

 オーバーヒート寸前の足では、できて『襲歩』が関の山。魔力のブーストをフル稼働させて突っ込めば拘束魔法は引き千切れる自信があるが、頑丈な障壁までは破れない。

 

 このシチュエーションでも回避だけならおそらくなんとかできる。『襲歩』で拘束魔法を振り払い、サイドへ逃げれば大槍を避けられる可能性は高い。だが、死へのカウントダウンがほんの数秒巻き戻されるだけにしかならない。躱したところで先がないのはこれまでと変わらない。

 

 動作の起こりを押さえる『不動』なら、と一瞬よぎったが即座に否定。これも不可能だ。俺の射撃魔法は弾速が遅いが、さすがにこの距離であればすぐに当てられる。しかし直線距離であれば、だ。正面には障壁が(そそ)り立っている。直射型は使えない。誘導型で迂回させてはタイムロスがありすぎて間に合わない。

 

 防御など考えるだけ愚かだ。人に防げる性質の魔法ではない。

 

「まだ……まだ、なにかある筈だ……なにかっ……」

 

『…………私の身命を(なげう)ってでも、主様だけは……』

 

 加速する思考回路が幾通りものパターンを提出するが、そのどれもが否決される。脳内で無数にシミュレーションするが、結果は全て同じだった。ルートによって一手二手の違いはあっても、死に帰結する。

 

 八方塞がりの頭打ち。思案投げ首、手詰まりだった。

 

 クリムゾンの腕が後方から真上を越えて、とうとう前方へと傾く。

 

 脳が認識する映像は、いやに遅かった。彼女の手の動き、はためく服、なびく髪、杖の亀裂の一筋一筋までをも鮮明に捉える。彼女の頬を伝う透明な雫の煌めきまで、鮮明に。

 

「あんたは、ここに来るべきじゃなかった」

 

 時間が遅延し、灰色に染まった世界で、クリムゾンの言葉はなぜか俺に届いた。

 

「あんたは、あの金髪幼女と一緒に……管理局の船に残っとくべきだったんだ。身の程もわきまえずに厄介事に手ぇ出したから、こんなことになんだよ……。下手に望みに手を伸ばしたから、こんな結末になったんだぜ……。もう……なにもかも遅ぇけどよ」

 

 筆舌に尽くし難いクリムゾンの表情。絶望や失望、失意や諦観、哀惜や悔悟で彩られている。様々な感情が入り混じり、彼女の魔力と同じように、それ以上に、黒く(よど)んでしまっていた。

 

「フェイトと残ってたら……死なずに済んだ、か。たしかに……そうなんだろうな……。引っ掻き回して事態を悪化させることも、なかったんだろうな……」

 

 俺は動くべきではなかったのかもしれない。

 

 ここで俺が()とされれば、クリムゾンは身の内に(わだかま)る感情と破壊衝動に突き動かされるがまま、その圧倒的な力を周囲にぶつける。宣言していた通りに、時の庭園にいる全ての人に大きすぎる力を向けるだろう。管理局の魔導師さんたちはもちろん、クロノだって、なのはやユーノも含まれている。時の庭園の主人たるプレシアさんだって、おそらくはクリムゾンの衝動の標的になる。

 

 俺がここに来なければ、こんな事にはならなかったはずだ。

 

 アースラの一室でフェイトだけを庭園に転移させておけば、きっとプレシアさんとリニスさんの策は成功していた。作戦の要である魔導炉はリニスさんが死守し、プレシアさんは魔導炉とジュエルシードの魔力を使って、帰る者未だ無きアルハザードへ旅立っていた。

 

 きっとリニスさんのことだ、主人であるプレシアさんには黙ってフェイトを通し、母と娘が話をする場くらい(もう)けていたことだろう。最後の会話を交わし、お互い満足はしないもののそれなりの踏ん切りをつけて別れられるような算段くらいはつけていたはずだ。

 

 プレシアさんとリニスさんはアリシアを伴って形骸化した希望の都を目指し、フェイトとアルフは管理局に同情されながら手厚く保護される。

 

 プレシアさんとリニスさんが描いた、不幸にはならない絵図。最低限の幸福と、最小限の不幸。歪んだ家族愛の形。幸せと断言はできないが誰も明確な不幸にはならない、そんな終焉。晴れ晴れとはしないが、鬱屈とした気持ちにもならない。リスクとリターンが見合った位置で手を打った、お利口な幕の閉じ方。

 

 そんな、中間より少し上、くらいの終わり方が俺は気に食わなかった。最大限まで幸せを求めず、ある程度の不幸を許容した考えに賛同できなかった。だから、俺は抗った。

 

 みんなが何の心配も気掛かりもなく、笑って過ごせる毎日が欲しくて力を尽くしたつもりだったが、その結果がこのザマだ。俺が中途半端に戦えるだけの力をつけてしまったばかりに、結果としてリニスさんは魔導炉から魔力を引っ張らなければならない状況になり、眠っていた鬼を起こすことになってしまった。

 

 このままでは、一人として余さず全員が全員、不幸になる。やはり俺はあの時、フェイトの手を取るべきではなかったのだろうか。

 

 あの場の事は、数分前のことのように克明に思い出せる。だからこそ、要らぬ考えも巡らせてしまう。

 

 シーンが切り替わるように、照明が絞られた薄暗いアースラの一室の光景が、記憶が、脳裏に映写された。

 

 伸ばされた白くてしなやかなフェイトの腕。思わず絡ませてしまった指の細さと柔らかさ、子供特有の高めの体温。ほんのりと赤く染まった頬と、かすかに伏せられた瞳。通った鼻筋と濡れた唇。暗がりでも燦然(さんぜん)と存在を主張する艶やかな金の御髪。主から魔力を受けて修復されたバルディッシュの光沢と輝き。金色の光を放つ魔法陣。初めて目にした珍しい術式。時の庭園へジャンプする感覚。

 

 フェイトについての情報が少々厚いようにも思えるが、このようにまざまざと憶えていた。

 

「これ、か……」

 

 数時間前の出来事を回顧して、光明が射し込んだ。

 

 実現可能なのかはわからない。しかし、手を(こまぬ)いては死を待つばかり。僅かでも希望があるのなら、手を尽くすべきだろう。

 

「最後の最後……死ぬ瞬間まで、俺はみっともなく足掻く。クリムゾン、諦めない強さってやつは未来を変えるんだ。それを知らないって言うのなら俺が教えてやるよ」

 

「なんとでも言え。なにをしてもあんたの死は揺るがねぇ」

 

 最後の一歩を、ここで使う。クリムゾンへと近寄るのではなく、サイドへ回避するのでもない。真後ろへ。

 

 『襲歩』の勢いと魔力による相乗効果で、身体に絡みついていた鎖を無理矢理引き千切って破壊する。そのまま流れに逆らわず後退、数メートルさがって着地する。

 

 地に着いた衝撃で膝を折りそうになった。とても熱く、小刻みに震える。これで足は使い果たした。また当分の間動かすこともままならないが、不安はない。

 

「離れたところでどうにもならねぇよ」

 

 クリムゾンの腕が振り下ろされた。発射シークエンスを万全に済ませた大槍は、数瞬後には前進を始める。術者を守るために前進して距離を取った後、安全装置を外された致命の魔法は内部に圧縮された魔力を撒き散らしながら敵へと突き進む。

 

 普通に考えれば、事ここに至って後退することになんの意味も必要性も見出されないだろう。それでも俺にとって、新たに生み出されたこの数メートルという距離は重要かつ重大な意味を持つ。

 

 俺はあの時(・・・)、しっかりと視ていたはずだ。

 

 記憶の底を(さら)って、求めているものを浮かび上がらせる。思い出せれば、今の俺なら可能なはずだ。コードさえ正確であれば、多少強引にでも実行はできるはずなのだ。

 

『主様、もう……っ!』

 

『エリー、準備しといてくれよ』

 

『な、なにを……』

 

『クリムゾンを拘束する準備だ。ここからは一瞬だからな』

 

『もう……手立てはありません。なんとか主様だけは御守り出来るよう尽くしますが、どうなるかはわかりません。……私は、主様と短い時間でも一緒にいられて……幸せでした』

 

『まだ、こんなところで終わらせない。辞世を詠むにはまだ早いぞ』

 

 空間の一部を切り抜いたかのような真っ暗闇の大槍が迫る。あまりのエネルギー量に大槍の周囲が歪んで見えるほどだ。

 

 巨大な漆黒の槍は目の前を覆い尽くす。黒以外に一色もなくなった。

 

 大槍の影響範囲の先端が俺の胸部あたりのバリアジャケットを食んだ。エリーの魔力で丹念に編み込まれたバリアジャケットを、かくも容易に溶かす。

 

『私も志半ばで主様を死なせたくなどありませんでしたが、奇跡が起きなければ生き残ることなど到底……』

 

『奇跡なんてない。神様なんて存在しない。諦めない心と(たゆ)まぬ努力が、いつだって道を切り開くんだ』

 

 俺の視界一面が光で満たされた。

 


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