そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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夕暮れに大粒の雨が降る

「リニスさん、疲れてるところ悪いんだけど、魔導炉のデータを借りていいか?」

 

 ハグしたままでいた俺とリニスさんだったが、しばらくして離れた。リニスさんの疲弊が相当なものだったので今は体勢を変えて、腕の中で休ませていた。

 

 組んだ足の上に横を向いた格好でリニスさんが座り、倒れないように彼女の細い身体に腕を回して固定する。丸まって目を細める姿はまるで猫のそれだった。

 

 休んでいるところを邪魔するのは心苦しかったが、あまり悠長にもしていられない。プレシアさんが何か行動を起こすかもしれないし、なにより待たせている子がいる。

 

「データ……ですか? 構いませんが、なにをするんですか?」

 

 身体をこちらに預けながら、リニスさんが上目遣いに尋ねてくる。

 

 そんな仕草を自然とこなすリニスさんに思うところでもあるのか、服の内側に戻ったエリーがぷるぷると振動した。

 

 リニスさんとの話が終わって一休みしている時に、エリーのこれまでの頑張りに感謝の意を表した。最初は片手間に相手をされているようで不満だったのか不機嫌そうな光を放射していたが、俺がエリーの獅子奮迅粉骨砕身の働きを褒め讃え、気持ちを伝えようとぐっちゃぐちゃに撫で回したらとても喜んでくれたようですぐに機嫌を直してくれた。ぽわぽわとした光を漏らして、さらにひし形の宝石までもとろとろしてきた気がしたのでそのあたりで感謝を表すのは抑えておいた。

 

 そのすぐ後はなにを話しかけてもまともに反応を示さず、やたら粘度の高い魔力粒子と光を滲み出していただけだったが、今は素面(しらふ)に戻っているようだ。

 

「プロトコルを教えて欲しい。魔導炉にハッキングする。知っていたほうが手っ取り早いと思ったんだ」

 

「魔導炉に、ですか……。徹でしたら可能でしょうし、私も万が一を想定して念の為に裏口(バックドア)を設置していますから、やろうと思えば容易でしょうけど、疲れた身体に鞭を打ってまでやる意義は大きくないかと」

 

 またも服の内側でエリーが振動する。たぶん『疲れていることを分かっているのなら主様の上からどけ』などと言いたいのだろう。相方思いの相棒である。嬉しい限りだ。

 

 エリーの反発を知らないリニスさんは続ける。

 

「魔導炉の暴走はプログラムをいじったくらいではもう止められません。時間稼ぎくらいはできるでしょうけど、根本的な解決には……」

 

「いいんだ。魔導炉はなのはに吹き飛ばしてもらうことでなんとかする。でもその前に、やることがあるんだ。やらなきゃいけないことがあるんだ」

 

「暴走を食い止める以外になにがあると?」

 

「約束がある。迎えに行くって約束がな」

 

 驚きからか、リニスさんは目を見開いた。呆れたように小さく笑う。

 

「本当に徹は手の施しようがないほど諦め悪いですね。まさか、ここまでとは想像していませんでしたよ。徹の(うた)う最善の結末……みんなが笑っていられる世界には、魔導炉のロストロギアも含まれるんですね」

 

 今度は俺が驚く番だった。

 

 魔導炉を稼働させる道具として取り込んでいるはずのクリムゾンに、リニスさんがすぐに思い至るのは意外だった。実際に面と向かって会話したわけでもないリニスさんが、ロストロギアに人間のような意思や人格が存在している、などという考え方を持っているとは思わなかったのだ。

 

 俺が不思議に感じている気配を察知したリニスさんは説明を加える。

 

「魔導炉の魔力を自分の中に取り込んで、その膨大過ぎる魔力の濁流に飲み込まれて……意識が沈んでいくときに感じた幾つもの辛く悲しい記憶。あれはきっと、私が感じたものだけではないと思ったんです。一人きりの孤独、誰にも知られずに消えていく恐怖、自分のものを他人に奪われる悲憤(ひふん)、助けなんて望めない絶望。私にのしかかってきた感情は、あまりにも大きくて重くて濃かった……。自業自得で自由を失った私では抱けない密度の……黒い悲しみ。長い期間を経なければ、あそこまでの感情は生まれませんから……」

 

 胸元に手を当てて、リニスさんは瞑目(めいもく)した。

 

 短時間だったとはいえ、一つの身体に同居していた自分とは違う心。その異なる存在に、どのような想いを寄せているかは、俺には知りようがない。けれど、悪感情を抱いているようには、少なくとも俺には見えなかった。

 

「ロストロギアの魔力を搾取していた私がこんなことを言うのは……筋違いです。烏滸(おこ)がましいことは自覚しています。道理なんてないことも分かっています。それでも、お願いします。徹……あの子を助けてあげてください」

 

「言われなくてもそうするつもりだったよ」

 

 俺の返事に、リニスさんは安心したように口元を(ほころ)ばせた。どうやって助けるかなど手段や方法は何一つ口にしていないのに、リニスさんはこれでもう大丈夫だとでも言いたげに安堵の溜息をつく。

 

 背中に回した俺の左腕に身体を傾け、リニスさんは俺の右手を、もともとざっくりと開いている上に戦闘と黒の魔力によって更に肌蹴(はだけ)てしまっている胸元に引き寄せた。

 

「ちょっ……なにをっ!」

 

「唇まで重ねたのに、今更何を慌てることがあるんですか?」

 

「こっ、の……」

 

 不意に訪れた地肌への接触に俺はどきまぎしてるのに、リニスさんはクールに流し目まで送ってきた。

 

 たしかに地肌どころか粘膜に接触したが、それとこれとは話が別だ。心臓が跳ね上がるのを止めることはできない。

 

 俺と彼女との間に動揺の差がありすぎて少しならず悔しいが、悲しい(かな)、手のひらから送られてくる情報を率先して脳みそが収集してしまう。これが男の(さが)なのか。

 

 柔らかな二つの膨らみと天鵞絨(ビロード)を凌駕する滑らかさの肌、火照ったように熱い体温。手のひらを通じて伝わる心臓の鼓動は、意外なほど早かった。

 

「……案外、リニスさんも緊張してる?」

 

「にゃっ! んっ……こほん。な、なんのことでしょう」

 

 尾骶骨(びていこつ)から伸びているリニスさんの尻尾が山形(やまなり)に持ち上がった。

 

 これはどういう気持ちだったっけ、と脳内エンジンを検索。鷹島さんとの雑談がヒットした。

 

『にゃんこも尻尾で気持ちを表現してるんですよ! そういうところはわんちゃんと同じなんですけど、わんちゃんと違って右に左にぱたぱた激しく動かしているときは怒っているんですっ。逆に嬉しいときや喜んでるときは尻尾をぴん、と伸ばすので、そんなときはめいっぱい可愛がってあげてください! あとおもしろいのがですねっ、ちょっと前うちの子がなってたんですけど、ぎくってしたときは尻尾を真ん中くらいまで上げて、先のほうは垂らすんです! すごくかわいくてですねっ……』

 

 以前、俺に懐く珍しい猫、ニアスの様子はどうか、という旨の話を教室で鷹島さんに振ったところから膨らんだ雑談だ。正直話の中身よりも、猫をにゃんこ、犬をわんちゃんと呼ぶ鷹島さんに興味が湧いてしまっていたのだが、内容までよく憶えていたものである。

 

 ちなみに聞いたのは昼休みだったのだが、猫談義は途切れることなく昼休みの時間まるまるを費やした。暗記系の科目には強くない鷹島さんだが、猫に(まつわ)ることになると驚嘆に値する知識の深さがあったので強く印象に残っている。

 

 ともあれ、鷹島さんからの情報を頼りにすると、現在のリニスさんの心境は『ぎくっ』としているらしい。つまりは。

 

「図星か」

 

「あ、当たり前でしょう……。こんなこと、経験ないんですから……」

 

「お、おお……」

 

「女の子に言わせないでくださいよ……もうっ」

 

 俺の追及にリニスさんが赤面しながら白状した。大人ぶった建前がなくなった分、初心(うぶ)な反応が深々と心臓に突き刺さる。

 

 そんな青臭いラブコメに耐えかねたエリーが、これまでにない光度で発光した。早く話を進めろ、という意味合いだとは思うのだが、その裏にもっと強くて激しい意図が隠されている気がした。

 

「そ、それでリニスさん。これに一体なんの意味があるんだ?」

 

「そ、そうでしたね……えっと」

 

 話の腰をエリーが折ってくれたおかげで本題にすんなり戻ることができた。お互いまだ余所余所しさというか、ぎくしゃくとした雰囲気が残っていたけれど。

 

 そんな雰囲気を払拭するかのように、仄かに頬に赤みを差しながらもリニスさんが咳払いした。

 

「私のほうに魔導炉へのラインがありますから、そのラインを経由してハッキングを仕掛けてください」

 

「そんなことしたら、リニスさんにもハッキングの不快感があるんじゃ……」

 

「この場から可及的速やかに実行しようと思ったら、それしか方法はありません。デバイスの余剰メモリーに残った履歴からも跳べるとは思いますが……」

 

 リニスさんは苦笑いを(たた)えながら、視線をとある方向に向けた。そちらを確認すれば、中間から真っ二つに分離した杖が転がっていた。

 

 失念していた。俺がクリムゾンに放った一撃によって、図らずも粉砕してしまったのだった。

 

「あはは……あのような惨状ですので、ちょっと厳しいかと……」

 

「本当にごめんなさい」

 

 どうしよう、高価なものだったとしたら、いや高価であることは性能を(かんが)みればもはや論を()たないが――弁償となると到底払える気がしない。

 

 ちらと顔色を伺うと、視線に気づいたリニスさんがこちらを見た。一度小首を傾げて、あることに気づいたように目を開き、にやりと意地悪げな笑みを浮かべた。

 

「いずれ私の愛機を壊した代償を支払って頂かなければいけませんね」

 

「本っ当にごめんなさいお金はないんです」

 

「ふふ、冗談ですよ」

 

「リニスさんっ!」

 

 笑顔でそう快く許してくれたリニスさんが、俺には天使に見えた。

 

「身体で支払ってもらいますっ」

 

「リニスさん……」

 

 輝くような笑みで死刑宣告を受けた。毛並みの美しい尻尾が、俺には悪魔の尻尾に見えた。

 

「それらの詳細は今後詰めるとして、今は魔導炉への侵入です。さあ、早くしてください。待っているはずですから、あの子が」

 

「ああ……うん。わかった」

 

 気が重くなる事案が発生してしまったが、後回しにして切り換える。

 

 暗くて冷たくて、誰もいない世界でクリムゾンが待っているのだ。早く行かなければいけない。

 

 疲労が抜け切っていないリニスさんに負担をかけるのは(はばか)られるが、()むを得ない。リニスさんの提案した手でやらせてもらう。

 

「そんじゃ、行くよリニスさん。ちょっと違和感はあると思うけど、我慢してくれ」

 

「あの子が苦しんでいるのは私の責任でもあります。これぐらいでは(あがな)いきれません。……それに、徹が私の中に入ってくるのは暖かくて、胸がきゅぅってして……慣れれば気持ちいいですし……」

 

 精神を鎮めて右手に魔力を集め、ハッキングに意識を傾ける。

 

「……集中、乱れるっての……」

 

 ただ最後のセリフは俺に聞こえないように(ひと)()ちて欲しかった。

 

 身体の中心に集まった血液を頭に流すようなイメージで演算を開始し、右手から魔力を流して再びリニスさんの中へと潜り込む。

 

 クリムゾンとリニスさんの繋がりは断ち切ったが、それとは別にリニスさんが魔導炉にアクセスした形跡があるはずだ。その足跡を辿れば、魔導炉のプログラムに跳べるはず。

 

 そう考えてリニスさんの中を注視して進むが、予想外の障害が一つあった。

 

「んっ……はぁっ、ひゃぅ……ん、ぃっ」

 

 経由点(リニスさん)が思考にノイズを与えてくるのだ。

 

「リニスさん、その声やめて。ハッキングに集中できない……」

 

「そんなっ……こと、言われても……。はっ、はぁ……っ。徹が、私の大事なところで好き勝手動くのがっ……悪いんですよ」

 

「語弊を誘引する言い回しもやめてくれ」

 

「でも、事実ですし……んっ、はぁっ……」

 

「…………仕方ないか。リニスさん、終わるまでしばらく我慢しててね」

 

 すぐ近くでこんな淫靡(いんび)甘美(かんび)な声を漏らされると、とてもではないがいろいろ持ちそうにない。それにさっきからエリーが怒りに打ち震えるようにバイブレーションし続けている。エリーの堪忍袋の緒も俺の理性と同様、長くは持ちそうになかった。

 

 協力してくれているリニスさんには悪いが、このままでは終わりが見えないので強硬策に打って出させてもらう。

 

 彼女を支えている左腕を少し上にずらし、左手の中指と薬指を艶かしい溜息を吐くその口腔内に突っ込んだ。これで少しでも色っぽい声が緩和されることを期待する。

 

「と、とおりゅっ(徹っ)こぇ(これ)……っ」

 

「もうあんまり時間も、魔力的なスタミナも余裕がないんだ。これもクリムゾンのためだと思って割り切って」

 

こぇ(これ)……やくぃ(逆に)ぁずぃれす(まずいです)っ……んぅ」

 

「え、なに? 文句は後で聞くから、ちょっと静かにお願い。喋ろうとするたびに舌が指に当たってこそばゆい」

 

 リニスさんはもごもごと抵抗していたが、集中を掻き乱す声は多少静かになった。

 

 指先に感じるぬるりとした熱さ舌の感触もかなり集中を阻害するが、声よりかはマシだ。左手の感覚を意識して遮断し、ハッキングに神経を注いだ。

 

「……見つけた」

 

 リニスさんのリンカーコアの中で魔導炉へのアクセスラインを発見すると、それを足場として魔導炉へのプログラムにジャンプする。

 

 これまでに色んなものハッキングは使ってきたが、それらのどれとも形式が異なっていた。分類すると一番似ているのはアースラの情報集積システムだが、違う部分も多い。

 

 ほぼ未経験のシステムだし、ハッキングの対象が手元にいないというのは初めてだが、手がつけられないほどということはない。侵入してから書き換える時間が勝負の防御・拘束魔法、情報量の密度が高い上に緻密で丁寧な処理を必要とするリンカーコア、暴れ狂う魔力を抑え込みながら武装解除を行ったジュエルシード(エリー)。これまでの経験を応用すれば、遠隔(リモート)での作業であっても難しくはない。

 

 電脳の海を泳ぎ、目当ての地を探す。その過程で魔導炉の暴走を減速させられそうな、食い止められそうな箇所には細工をする。

 

 進むうちに、目的の区画を発見した。侵入を妨げる防壁を突破して、踏み込む。

 

 分厚く重たい扉を開けると、圧倒的な圧力の空間が広がっていた。それは情報量の圧力であって、膨大な魔力の圧力でもあった。

 

 その圧力の中心にある物体、暗めの赤色をした球体。これがクリムゾンの本体なのだろう。

 

 魔力を送り、クリムゾンと繋がりを作る。(とみ)に、引き寄せられるような感覚。エリーの空色の世界に(いざな)われる時と同じように、意識が身体から浮き上がってクリムゾンの世界へと移動する。

 

 目を開けば、そこは時の庭園のホールではなかった。エリーと同様、この世界もクリムゾン固有の色で満たされている。戦っている時に見た血のような赤黒い色ではない。視界いっぱいに広がるのは夕暮れ。どこか郷愁(きょうしゅう)の念を抱く、鮮烈なまでに美しい、茜色だった。

 

「よぉ……ちょっと遅かったんじゃねぇの? 待ちくたびれちまったよ」

 

 この世界を彩る色に見惚れていると、耳に馴染みのある口調が背後から飛んできた。

 

「こっちもごたごたしてたんだ。待たせて悪いな。迎えに来た、クリムゾン」

 

 (かえり)みながら返事をする。

 

 そこには、この世界と同じ茜色の髪を持った少女が立っていた。姿を定める因子がどういうものなのかはわからないけれど、エリーとはまた(おもむき)が異なる体躯と格好をしていた。

 

 フェイトよりも少し高い程度の背に、細いからだつき。肩に届くくらいの長さの茜色の髪は無造作で、顔に前髪がかかっていた。

 

 ロストロギアから生じる人の姿というのは全員美人で統一されているのか、髪で縁取られた小さな顔は端整そのものだった。

 

 性格とリンクしているように、その双眸は勝気につり上がっている。つんと上を向いた鼻は小生意気さを(うかが)わせ、色づきのいい唇はニヒルな笑みを形作っていた。男勝りな性格はともかくとして、成長すれば外見だけは間違いなく美女になるだろう風貌。

 

 幻想的で近寄り難い印象を醸し出していたエリーと比較すればラフな服装にも思えるが、クリムゾンの口調や性格からすれば気合が入っているように見えた。トップスは肩がざっくり開いたピンクに近い淡い赤色のパーカー、インナーには幾何学模様が描かれた薄地のシャツ。ボトムスは裾の長いパーカーの下に隠れるような灰色のショートパンツ。そこから覗く、白くて細い生足がとても眩しい。足元はワインレッドを基調として、黒のラインが入ったハイカットのスニーカー。言葉遣いに活発なイメージがあるクリムゾンにぴったりだった。

 

 パーカーのポケットに手を突っ込んでいたクリムゾンが気まずそうに目を伏せ、身体を(かたむ)ける。外気に晒している細い足をもじもじとすり寄せ、気恥ずかしそうに白い肌を赤く染めながら口を開いた。

 

「あ、あんまじろじろ見てんじゃねぇよ……。なんか……目つきがエロい」

 

「ち、違う! そんなつもりで見てたんじゃない! ただなんか、世間慣れした感じの服装で可愛いなって思って観察してただけで……」

 

 じとっとした眼差しを俺に向け、ぽっけに突っ込んだ手でパーカーの裾を下に伸ばす。伸縮に富んだ材質なのか、クリムゾンはパーカーをふとももの中程まで伸ばして足を隠した。

 

 露出した肌を隠すことには成功しているが、丈の短いショートパンツまで隠してしまっていて、おかげで下に何も穿いてないように見える。思わぬ眼福に(あずか)った。

 

「……ほんとかよ。足ばっか見られてた気がすんだけど……」

 

 衣服に対する純粋な考察を深めていたところのクリムゾンの発言だったので、心の内を読まれたのかと本気で思った。

 

「そそそんなことはない。決して……誓ってもいい」

 

「どもってるし、仰々しく言うほどに怪しくなるぜ。まぁ、そっちはあんたの顔を立てて脇に置いといてやるよ」

 

 それよりも、だ。クリムゾンはそう言って、俺に歩み寄る。手を伸ばせば届くという距離にまで近づくと足を止めた。

 

 歩いた時の揺れで茜色の頭にはパーカーフードが被さり、顔は見えない。クリムゾンがどこを見ているのか、どんな表情をしているのか、わからなかった。

 

「あんたはどうやって……俺を助けてくれんのかな」

 

 顔を下げたまま、少女は呟いた。

 

「あんたが俺んとこまできてくれたおかげでこうして面と向かって話ができてるわけだけど、現実世界では俺の本体は魔導炉の中だ。ロストロギアを配置してるだけあって、俺の本体の周りは分厚い装甲板で覆われてる……」

 

「ああ、そうだな。ハッキングでお前のところまで侵入する時も堅固なプロテクトがあった。内部情報面でもあれだけ警戒してたからな。物理的な警戒も同じくらい、いや、それ以上に用心してると考えるべきだ」

 

「……厄介なのはそんだけじゃねぇ。巨大な魔導炉を稼働させてんだぜ? 俺がじかに確認したわけじゃねぇけど、どうせ発生する魔力圧に負けねぇように頑丈な設計になってんだろうよ」

 

「魔導炉の規模と生成される魔力量から推測するだけでも、相当な強度はあるだろうな。俺の射撃魔法じゃ確実に中核まで穿孔(せんこう)できないし、エリーに手伝ってもらっても困難だ。俺がやろうと思えば、魔力付与で強化して装甲をべりべり剥がす感じになるんじゃないかな。なんにしたって魔力以上に時間がかかる」

 

「かはは、野蛮なやり方だ。でもそんなんじゃあ、あんたが死んじまう。忘れてんのか? 魔導炉は暴走してんだぜ? 水が詰まった風船を割るみてぇに、傷つけた外殻から魔力が溢れて爆発する。頭悪い乱暴なやり方で装甲板を剥がそうと傷つけた瞬間、あんたが吹っ飛んじまうよ」

 

 俺が挙げた方法に、クリムゾンは俯いたままからからと笑う。肩を揺らして声だけは楽しそうにしていたが、華奢な身体は不安で心細くて、今にも潰れてしまいそうに見えた。

 

「せっかく提案したのに野蛮だとか頭悪いだとか乱暴だとか、随分な言い様だな」

 

「正直なところ、こいつ馬鹿なのかなぁ、って思ったよ俺」

 

「あまりにあんまりな評価だ」

 

「実際問題、あんたじゃどうしようもねぇよ。いや、普通の人間にはどうしようもねぇんだろうけどよ……。魔導炉の装甲板を撃ち抜いて、貫いて、発生するだろう爆風も吹き飛ばすくれぇの火力なんてあんたにねぇことは……戦った俺が一番知ってる」

 

「…………」

 

 製作者の手綱から離れてオーバーフローした魔導炉は、プログラムをいじった程度ではもう止まらない。魔導炉を中核まで破壊してクリムゾンを取り出そうにも、おそらく外装に亀裂が入っただけで大爆発を起こす。近づいていたら高温の爆風と衝撃波を諸に受けるし、かといって離れてしまえば装甲板を貫くだけの火力を俺では用意できない。仮に装甲を吹き飛ばす火力を用意できたとしても難点はある。少し離れたくらいでは爆風と衝撃は確実に襲いかかってくるし、いくらクリムゾンが囲われている防壁が強固なものといっても、外殻を破壊するほどの火力では防壁の中に幽閉されているクリムゾンまで消し炭にしかねない。

 

 難しい。とても難しいのだが、一つだけ策を思いついていた。しかし、この策を実際に行おうとするのはかなり抵抗がある。閃いた作戦の一番のネックは、危険な目に晒されるのは俺だけではないこと。にも(かかわ)らず、成功するかはわからない。

 

 事ここに至って、俺は踏ん切りがつかずにいた。

 

「もう……いいよ。俺はもう、満足できた」

 

 一つ溜息をついて、夕焼け色を背にする少女は小声で呟いた。

 

「なに言ってるんだ、まだなんとかできる。俺も考えるから……」

 

「いいっつってんだろうが……。こんなとこで時間食ってる場合じゃねぇんだろ、あんたは。他のロストロギアが動いてる気配もする。手遅れになる前に、あんたはあんたのやらなきゃいけねぇことを……しに行けよ」

 

「待てって……もう少しだけ待ってくれ。一応考えはあるんだ、それを煮詰めていけばきっとなんとか……」

 

「できねぇんだろ、それ」

 

 肩を掴んでクリムゾンを説得しようとしたが、短い言葉で切り返される。言葉が少ないだけに、心臓に深々と突き刺さった。

 

 怯んだ俺に、少女は続けて浴びせる。視線は依然、合わせようとはしてくれない。

 

「命がけの死闘を繰り広げたんだぜ? あんたの性格は俺にもよくわかってんだよ。あんたは、一度人の事情に踏み入っちまったら途中で投げ出すことができねぇ。でけぇ問題を抱えてたら一緒に背負おうとする。その問題を解決する時、あんたは一つでも方法があるんなら諦めないで全力を尽くす。そんなあんたが実行に踏み切れない理由は……自分一人では解決できねぇってことだろ。他のやつに迷惑がかかるんだろ」

 

「っ…………」

 

 心臓を鷲掴みにされたような気分だ。クリムゾンは気付いていた、俺という人間を見抜いていた。

 

 俺が考えた解決法は、なのはに魔導炉を破壊してもらうというものだった。魔導炉のスペックデータを盗み見た限り、魔力を最大まで溜めたなのはの全力全開の砲撃であれば、装甲を撃ち貫くだけの火力になる。

 

 だが、気が進まなかった。爆発の威力や規模というのがどれほどのものになるのか想定できなかったのだ。

 

 砲撃を放ったなのははもちろん、なのはの近くにいるはずのユーノにも危険が及ぶ。爆風と熱、衝撃波が牙を剥く。なのはやユーノが負傷するかもしれない。そんなことを想像するだけで吐きそうになるが、もしかしたら死傷する恐れまである。それがゴーサインを出すのを躊躇(ちゅうちょ)させていた。

 

「あんた一人でどうにかなるってんなら早々に取りかかってるはずだからな。そうしねぇってことは、仲間の手が必要で、仲間にまでリスクを背負わせることになるってこと。そうなんだろ?」

 

 クリムゾンはここでようやく顔を上げた。俺を(あお)ぎ見て、穏やかに微笑んだ。俺は今どんな顔をしているのかわからなかったが、クリムゾンの表情を見て、ひどい面をぶら下げていることはわかった。

 

「そんな顔すんなって。あんたは俺みてぇな、今日会ったばっかのロストロギアにまで肩入れするくらいのお人好しの大馬鹿だ。そんなあんたなら仲間が傷つくところなんて見たくはねぇだろうなって、性根が腐ってる俺でもわかる。だから……もういいんだ」

 

「もういいって、そんなわけないだろ……。お前が自分で言ったんじゃないか……もっと色んなものを見たいって、もっと自分がいたことをみんなに憶えておいて欲しいって……もっと、自分の力を人の役に立たせたいって……っ!」

 

「かはは。恥ずかしいセリフをよくもまあ憶えてくれてるもんだな。たしかに、その気持ちはまだ持ってる。なくなってねぇし、薄れてもいねぇよ」

 

「じゃあ投げるようなことを言うな。諦めたような顔するなよ。無様でも見苦しくても、もっと足掻いて……」

 

「俺、言っただろ。満足だって」

 

「なにも変わってないのに、どこも好転してないのに、満足だなんて嘘つくなよ!」

 

「嘘じゃねぇよ。嘘じゃ、ねぇんだ……」

 

 小さな手をパーカーのポケットから出すと、クリムゾンは俺の服を掴んだ。決して強くない力で服を握り込むクリムゾンの手は、震えていた。

 

 顔は逸らさず、俺の目をじっと見ている。口元は笑顔のまま強張(こわば)らせて、瞳は不自然なほどに輝いていて瞬きをしない。それがどういう意味を持っているのか、わかってしまうのが辛かった。

 

「外の景色を見てみたい。持て余してる俺の力を人の役に立たせたい。もっと、もっと生きて……いたい。あんたが取り戻させてくれた気持ちは、まだ俺の中にあるんだ。でもなぁ……どうしてだろうな、満足しちまったんだよ」

 

「やめろ、言わなくていい……」

 

「あんな口約束破ったってあんたにはなにも損はねぇのに、破られても俺はもうなにもできねぇのに、あんたはほんとに約束を守ってここまで来ちまった。俺に乗っ取られるかもしんねぇのにのこのこ入ってきて魔力を繋いで、のんきにお喋りして、馬鹿みてぇに真面目に俺を助けようとなんてしてる。そんなことでよぉ……満足、できちまったんだ。自分でも情けねぇぜ。俺はちょっと優しくされたくらいで(なび)いちまうような、こんなちょろい女だったのかよ」

 

 少女の笑顔に(ほころ)びが生じ始めた。微笑を(たた)えていた口は歪み、下唇を噛むことが多くなる。瞳に反射する光は輝きを増すばかりで、目元に溜まるばかりだった。

 

 声をかけようにも俺の声帯は指示を聞かず、音を発しない。空気がもれるだけだった。なにを言えばいいかも、わからなかった。

 

「全部が全部、うまくはいかねぇよ……そうそう都合よくはできてねぇんだ。なにかを守ろうとしたらなにかを切り捨てないといけねぇし、なにかを得ようとしたらやっぱりなにかを見捨てないといけねぇ。そんでこの場合、見捨てて切り捨てるべきは……俺なんだ」

 

「助けるって……言っただろ。なんとか、するから……」

 

「こうやって俺に手を差し伸べてるのだって予定になかったんだろ? じゃあ、俺のことは諦めるべきなんだ。俺のことは……忘れるべきなんだ。これはどう考えても回り道で寄り道だぜ……余計な力を使ってる。あんたの魔力だってもう限界に近いんじゃねぇの?」

 

「そんなことはない……まだまだ余裕、だ。女の子一人くらい背負える……。だから、忘れるべきだなんて言うな……」

 

「約束を守ってくれて、ありがとな。この世界に来てくれて……嬉しかった。最後に誰かと話せて楽しかった……っ。こんな、俺でも……一応人格としては女の子だからなっ、最後におめかしできて、それを見てもらって……可愛いって言ってもらえて……よかった。頭まで気が回らなくて髪ぼさぼさだったけど……かはは。お、俺って……ガサツ、だからなぁ……っ。うっぁ……っ」

 

「クリムゾン……っ」

 

 最後の最後で、少女は耐えきれなかった。瞳に溜まった涙が一雫、零れ落ちる。

 

 唇を噛み締めても、手を握り締めても、一度決壊してしまえばもう止められない。ぽろぽろと、夕暮れに大粒の雨が降る。

 

 クリムゾンはふたたび顔を伏せた。それでも小さな手は俺の服を掴み、涙は落ちていく。

 

「これはっ、違うから……。嬉しくて、泣いてんだよ……。消えちまう最後に、あんたに逢えて、あんたと言葉を交わせて、あんたと楽しい時間を過ごせたから……嬉し、くっ……」

 

 必死に嗚咽(おえつ)を我慢して、声を押し殺している姿はとても痛々しかった。

 

 少女の言葉が嘘であることは、すぐにわかった。想いをひた隠し、願いを飲み込み、本音を偽っているのがわかった。

 

 だから俺は、クリムゾンの小さくて脆そうな身体を抱き締める。消えてなくなってしまわないように、この手に抱き留める。

 

 クリムゾンが言ったことは、真理なのかもしれない。なにかを得ようと思えば、なにかを捨てなければいけないのかもしれない。人の身で何もかも手に入れようとするのは傲慢(ごうまん)なのかもしれない。

 

 後々自分の首を絞めることになる可能性はある。本来であればいらぬお節介は焼くべきではない。

 

 それでも俺は諦められない。目の前で(つい)えようとしている命を見過ごすなんてできなかった。動かずに静観しているなんて俺にはできなかった。後悔する道は選びたくない。

 

「もう、いいんだクリムゾン。我慢しなくていいから、俺のことも気にしなくていいから……お前の本当の気持ちを教えてくれ」

 

「やめて……やめろ、離せっ。……だめだ。あんたを困らせたく、ない。迷惑かけてまで、生きていたくない……っ。最後に幸せな時間をくれただけで、俺は……っ」

 

「お前の本音を聞かせてくれ。正直な望みを言ってくれ。見栄や意地も張らなくていい。虚勢も強がりもしなくていい。無理も心配もいらないんだ。これまでお前は一人きりで頑張ってきたんだ。だからもう、弱みも泣き顔も見せていいんだ。誰かを頼っても、いいんだ。もう一度言う。聞いてくれないのなら、何度だって言う。お前の本当の気持ちを教えてくれ」

 

 少女の腕が、俺の背に回された。きゅっと力が入る。ぴったりと寄り添って、俺のお腹に顔を押しつけた。

 

「ぅぁっ……。……あ、あんたと、一緒にいたかった……っ。あんたと外の世界を……見てみたかった。あんたとっ……生きて、みたかった……。消えたくねぇよ、徹っ……助けてっ……」

 

「初めて俺の名前……呼んでくれたな。任せとけ。俺はお前を迎えに来たんだからな」

 

 パーカーのフードを払って、茜色の頭に手を置く。

 

 見上げてきたクリムゾンの顔は涙で濡れてくしゃくしゃになっていた。数十年か数百年、もしかすればもっと長い年月をクリムゾンは過ごしてきたのかもしれない。だが、縋り付いて目を腫らして、声をあげて涙を流すクリムゾンの姿は外見相応の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 一頻り、枯れるまで涙を流すと無言で一歩下がり、パーカーの袖でぐしぐしと顔を拭く。まぶたを泣き腫らしてはいたが、勝気な瞳には光が戻っていた。

 

「でも……っく、任せとけって、どうすんだよ……。あんたじゃ、魔導炉の外装は」

 

「ん?」

 

「だから、あんたじゃ魔導炉の……」

 

「んんっ、よく聞こえなかった」

 

「このっ……! やっぱ性格悪りぃぜ、()は」

 

「はい、よくできました」

 

「……話戻すぜ。変わった力はあっても基本性能がへっぽこの徹じゃ、魔導炉の外装を貫くだけの火力が足りてねぇ。そこんとこどうすんだよ。事態はいっこも好転してねぇんだぞ」

 

 クリムゾンは腕を組んで斜に構え、直球でひどいことを言う。普段であれば俺のナイーブなメンタルにひびが入ってもおかしくはなかったが、クリムゾンが頬を赤らめて目線を逸らしていたのでダメージは限りなく小さかった。それでも少なからず、ぐさりときたが。

 

「俺、言ったよな。辛かったら頼ればいい、一人では荷が勝っているっていうのなら手を借りればいいって」

 

「あぁ。偉そうに俺に説教してくれやがったな」

 

「随分元気になったな……お前。棘が鋭すぎるよ」

 

「おかげさまで。あんた相手に気を張ってもしゃあねぇことに気づいたわ。んで、どういう意味だよ」

 

「俺一人では難しいから、俺も手を借りることにした。頼ることにした」

 

「ちょ、あんた……それってもしかして」

 

 一人で無理をすることはない。それを俺は、エリーのお陰で気づくことができた。

 

 もちろん一人でなんでもできればそれに越したことはないのだろう。しかし、俺にはそこまでの力はない。

 

 なのはのような砲撃は撃てないし、ユーノのような魔法に関する知恵もない。フェイトのように優雅に空を舞うことなんて土台不可能で、アルフのようなサポートもできない。クロノやリニスさんのようにあらゆる魔法をそつなく器用にこなすことも、俺にはできない。

 

 天賦(てんぷ)の才能とか、恵まれた素質とか、豊かな魔力とか俺にはない。それを悔しく思ったことは幾度もある。俺にもそんな抜きん出た天質があれば、彼ら彼女らの十分の一程度の天稟(てんぴん)があればと、そう願った。願って、求めて、羨んで、僻んで、嫉妬した。

 

 才気迸る者たちの戦場で足手纏いになりたくなくて、必死で頭を回して策を弄した。

 

 それでも、届かない。

 

 生まれ持った資質の壁は俺の行く手を塞ぐ。努力を怠らない彼ら彼女らは遥か遠く、どこまでも高みにいた。

 

 だから限界まで無理をした。素質や才能や努力の差を埋めるには、それ以外に方法はなかった。

 

 でも、それは少し違うのだと、エリーが教えてくれた。俺が動けなくなった時、途方もないほどの苦痛を味わうとわかっていながら俺の前に出て守ってくれた。神経を擦り減らし、凶悪な弾丸の群れと相対し、その身を業火に()かれてさえ、ただの一声の悲鳴すら漏らさず、ただの一歩として退かなかった。自分のせいで誰かが傷つくことはとても辛くて悲しいことだということを、エリーは身を呈して気づかせてくれた。

 

 一人で頑張ることは決して悪いことではない。視点を変えれば美学とも言える。

 

 だが、無理や無茶を正当化することはできない。俺が傷つくことを悲しむ人がいる。家族以外でも悲しんでくれる人がいる。実際口にしてくれたのはエリーだけだけど、なのはだってそう思ってくれているかもしれないし、もしかしたらまだ他にもいてくれるかもしれない。ならば、そう簡単に無理をしてはいけないのだろう。

 

 俺一人の力など高が知れている。俺だけで対処できないのなら、仲間に手を貸してもらえばいい。羨ましく思うほどの才気に富んだ仲間が、俺にはいるのだから。

 

「魔導炉はなのはに任せる。クリムゾン……自分の未来を全部俺に(たく)すなんて、お前は嫌がるだろ。俺も手伝う……だから、自分の未来は自分で切り開け」

 


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