そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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大切だから、助けたいから

 意識がクリムゾンの世界から出て、現実に回帰する。疲労感で重くなった身体は気怠く、魔力の過剰使用でリンカーコアには疼痛が居座っていた。血が混入したからか、それともエリーとの和合(アンサンブル)前に痛撃を受けたからか、左目がとても熱く痛んだ。

 

 重たい瞼を開けば、広大なホールが飛び込んできた。物はなかったが小綺麗に整備されていたホールはリニスさんと俺の激戦と死闘によりあちらこちらに瓦礫が転がり、天井には崩れ落ちるのではと不安になる程大きな亀裂が刻まれている。分厚い壁にはどでかい風穴が口を開かせ、床はそこかしこに穴が穿たれていた。

 

 冷静になってから観察すると、惨憺(さんたん)たる光景に変わってしまったものである。この惨状を作り出したのが俺とリニスさんの二人、エリーとクリムゾンを含めても四人であるということに、ちょっとした恐怖すら覚える。これだけの損傷を受けてなお、未だに倒壊せず(そび)え立つ塔の強度はさらに計り知れないものがあった。

 

 お邪魔している建物へ及ぼした深刻な被害も重要だが、いかんせん今はさらに優先度の高い事象がある。クリムゾンをいつまでも不安定な状態で待たせるわけにいかない。すぐに準備に取り掛かることとする。

 

 難題も残っているが、差し当たってはリニスさんの助力を取り付けることだ。

 

 魔導炉へとハッキングするための足掛かりとして協力してくれていたリニスさんから右手を離す。リニスさんに触れていた右手には、いやに熱い体温が残っていた。

 

「クリムゾンを解放する算段がついた。そこでリニスさんにも手伝ってもらいたいことがあるんだけど……リニスさん?」

 

「……ぁ、っは……ゃ、っ……」

 

 声をかけるが反応がなかった。いや、反応がないというと語弊がある。小さくても声は漏れていたし、身体はぴくぴくと動いている。全くの無反応とは言えないのだが、しかしこれを返答と取るのはかなり無理がある。

 

 もしかして戦闘の疲労で寝てしまったのかと思い、リニスさんの顔をのぞき見る。

 

「…………うわぁ」

 

 結果的に、リニスさんは起きていた。起きてはいたが、こんな状態であるのならまだ眠っていてくれた方が俺としてはありがたかったかもしれない。

 

 リニスさんは脱力して、魔導炉にハッキングする前と同様、俺の左腕に(もた)れかかっていた。瞳は酒に深く酔っているかのようにとろんとして焦点が定まっておらず、顔から大きく肌蹴た胸元までは逆上(のぼ)せたみたいに赤くなっており、しっとりと汗ばんだ肢体に服が張り付いている。淫靡(いんび)な吐息で俺の集中を阻害していた口には俺の左手の中指と薬指が突っ込まれたままだった。リニスさんは口に挿入された異物をのけようと自分の手を俺の左手に運んでいるが、その力は抵抗と呼ぶにはほど遠く、まるでもっと深く挿し込んでくれとせがんでいるようにも見えてしまう。口の端からは透明な液体が垂れてしまっており、俺がリニスさんの胸の中央から手を離して体勢を変えたことで、かすかな粘りを持つその液体は胸元の深い山間へと吸い込まれていった。寒くはない、どころか彼女の体温からすれば熱いくらいだろうに、全身はぴくぴくと小刻みに震え、両足はもぞもぞと内股に擦り合わされている。戦いの過程か、魔導炉からの魔力の仕業か、どちらにせよリニスさんのしなやかな足を包んでいた黒タイツは伝線して、ところどころで生足が顔をのぞかせていた。黒タイツと白い地肌のコントラストはとても目を惹く艶やかさがある。

 

 とりあえず総評としては、リニスさんが大変なことになっていた。

 

「ちょっと、リニスさん。なに一人で遊んでんの。真面目なところなんだから、しっかりしてくれよ」

 

「らって……とおりゅ、ぁ……」

 

 身体を揺すってもう一度話しかけたら、今度は言葉のようなものをリニスさんが口にした。舌足らずで不明瞭だったのでなんと発言したのかはわからなかったが。

 

「あ、抜くの忘れてた。ごめんね。ハッキングは終わったし、魔導炉への経路は把握したからもう大丈夫だよ。協力感謝」

 

 彼女の吐息を封じていた左手の指を口から引き抜く。指とリニスさんの口内を繋ぐ銀色の糸が、ぬらぬらと妖しげに光っていた。

 

「と、とおるが……っ、私の中を掻き回しながら、同時に……口まで(もてあそ)ぶからでしょうっ」

 

「リニスさんにハッキングしたのは魔導炉に侵入するためで元々はそっちから提案してきたし、口に指突っ込んだのはリニスさんが変な声出して集中させてくれなかったからだ。俺だって本当は手荒なことはしたくなかったよ」

 

「……はぁ、私は汚されてしまいました……プレシア」

 

「リニスさんの被虐趣味はひとまず置いとこう。本題に移りたい」

 

「人をあっさりとマゾヒスト認定しないでください。そんな趣味はありませんでした」

 

「過去形になってる!? 微妙に認めちゃってるよ!」

 

「それより、あの子はどうなりましたか。助けられたんですか?」

 

「リニスさんが切り出すのか……なんか釈然としないけど。とりあえず、ここからは真面目な話だから(よだれ)は拭いてくれ」

 

 いそいそと口元を拭うと、リニスさんは居住まいを正して向き直った。

 

 俺は咳払いを挟み、説明を始める。

 

「まず、クリムゾンの本体を取り出すためには魔導炉を破壊する必要がある。これが大前提になる」

 

「それについては異論はありません。保守点検用のどのルートを選んでもロストロギアにまでは通じていません。魔導炉の分厚い外壁を吹き飛ばしてあの子を救い出すほかに、私も思いつきませんから。ですが……」

 

「わかってる。その分厚い外壁をぶち抜くのを誰がするか、だろ? その人選はもう決めてるんだ。なのはに頼むつもりでいる」

 

「なのは、ちゃん……フェイトの友達になってくれた、あの子ですか。私もやろうと思えばできたでしょうが、今はデバイスもありませんし、疲労困憊もいいところですからね……難しかったでしょう。いい判断だと思います。確かになのはちゃんの砲撃魔法の腕と威力なら破壊できる可能性もありますが、しかし、暴走状態の魔導炉では成功確率の概算が出せません。魔導炉と、その場に残留する魔力諸共吹き飛ばさなければ術者が危険ですし、威力が強すぎてもそれはそれでかえって困ることになります」

 

「なのはの砲撃の威力が強すぎればクリムゾンごと消し飛ばすかもしれないってことだろ。そこはまあ……一応考えてる。問題は、魔導炉を撃ち抜くなのはに、いかに危険な目に遭わせないか、だ。そのために、リニスさんにやって欲しいことがあるんだ」

 

「はい、私にできることであればなんなりと」

 

「しんどいだろうことは分かってるんだけど、それでも可能な限り安全に、ついでに成功確率も上げときたいんだ。なのはが破壊する中核付近の区画だけでもいいんだけど、魔導炉の中に蓄えられている魔力を減らして欲しい。……できる?」

 

「大変手間がかかる上に至難ですが、そんな頼まれ方をされては……難しいからできないなどと足蹴にすることはできませんね……。魔導炉に関わるあらゆる権限はプレシアから私に委譲されています。魔導炉にアクセスし、庭園内への魔力の供給量を操作すれば一時的には可能かと。ただ、短時間しか効果は維持できませんよ?」

 

「それでもいい。短時間でも魔力圧が下がるのなら、その瞬間にタイミングを合わせればいいんだ」

 

「……なにか考えがあるようですね。わかりました。準備に取り掛かります」

 

「合図はこっちで出す。待っててくれ」

 

「では、その手筈で」

 

 相変わらず俺の膝の上から動こうとしないリニスさんは、お腹の上で手を組んで瞑目した。自分の作業に入ったのだろう。

 

 リニスさんとの話はついた。次はなのはとユーノに作戦を伝えなければならない。心拍数が上がり、口が渇く。なぜかとても緊張してきた。

 

 いくら可能な限りの安全策は講じるといっても、現場に近いなのはとユーノには少なくはないリスクが生じる。俺は二人を信頼しているし、自惚れではないが二人からも信頼されているという自負はある。そう心の内で信じていても、実際に大役を任せた時二人からどう思われるかと考えたら、決心が鈍りそうになる。

 

 なのはとユーノなら、立場的なものや年齢の差などで、俺から危険な役目を押し付けられても断れないのではないだろうか。危ないしやりたくないと思っても、いやだ、とは言えないのではないだろうか。

 

 それではもはや、お願いではなく命令になってしまう。

 

 ネガティブな想像は歯止めがかからず、ぐるぐると俺の頭をかき回す。

 

 暗い方向にばかり進む思案を巡らせていると、ぺちっと頬を(はた)かれた。痛みはなく、触れると表現したほうが的確かもしれない。

 

 この場には俺とエリーと、リニスさんしかいない。宝石の形状に戻っているエリーでは自分から俺に触れることなどできない。考えるまでもなく、俺の頬を叩いたのはリニスさんだった。

 

 俺の左腕に背中を預けたまま、リニスさんは右目だけを開いていた。横目に俺を見て、呆れのような色を(にじ)ませた溜息をはいた。

 

「端末代わりのデバイスがあればもう少し作業が楽だったんですけどね。誰かさんが壊してしまったせいで、自分でやらなければいけません。鉛でもくくりつけたように思い身体で、疲れ切ったリンカーコアに鞭を打って、自分でやらなければいけません。はぁ、大変です」

 

 冗談めかしてはいるが、リニスさんは俺を(なじ)ってきた。もう決着をつけたのに、その話を蒸し返す必要がどこにあるのだ。

 

「……デバイスを壊したのは悪かったよ。でも今はそんなこと言っても仕方ないだろ?」

 

「徹にはなにか秘策でもあるのでしょうけど、方法は結局教えてくれていませんし」

 

「…………教えたら、変に心配するかもって思ったんだ」

 

 ここまできて、わざわざ気分と空気を悪くする理由がわからない。

 

 だんだんと苛立ちが(つの)ってきた。

 

「おまけに女の子にあんなことをしておいて平然と喋ってますし、座り辛いですし、腕も硬いですし」

 

「それはまた話が別だろ! ハッキングについては不可抗力だし、それに俺の膝に無理矢理座ったままでいるのも、俺の腕を勝手に背凭れ代わりに使ってるのもリニスさんだっ」

 

 リニスさんがなにを考えているのかがわからなくなった。

 

 デバイスの件に触れたかと思えばブリーフィングの不備をして、次は俺に対する不満を口にする。脈絡がなさすぎる。

 

 フラストレーションが堪忍袋の緒を少しずつ切っているが、しかし俺としてはこんなところで(いさか)いの種を()くつもりはない。なにか俺に含むところがあるのなら、ここで解消してもらうべきだろう。

 

「さっきからなんなんだよ、リニスさん。なにか文句があるのなら今のうちに……」

 

「それでも私は、徹を信頼しています」

 

「え、な……は?」

 

 俺の言葉を、リニスさんは途中で(さえぎ)った。もう俺の脳みそでは処理しきれないほど一貫性のない会話だ。

 

 どっかで頭でもぶつけたのだろうか、と本気で心配になってきた俺に、リニスさんは言う。

 

「今すぐにでも眠ってしまいたいほど疲れているのは本当ですし、長年愛用していたデバイスのことを心のどこかで引き摺っているのも事実です。魔導炉に閉じ込められているあの子を砲撃からどうやって守るのか、その方法を聞かされていなくてちょっとだけ不安と不満を感じてもいます。座りかたを工夫して足の間に私の身体を入れて優しく腕で抱き締めてくだされば、筋肉のしなやかさと硬さ、そして熱さをもっと味わえるのにと、正直、憤懣(ふんまん)()る方ないです」

 

「最後のは……絶対に必要だったのか? 省いてもよかったんじゃないか?」

 

「ですが、私は徹を信頼しています。敵であって、死闘まで演じた私がこれだけ信頼しているのです。今日まで一緒に戦ってきた仲間が、徹を信頼していないわけがないでしょう?」

 

「っ……。なんで……そんなこと」

 

「見ていればわかりますよ。徹はなにをそんなに臆病になっているんですか? 徹はこれまで仲間の子たちから頼りにされてきたのでしょう? 外から見ていれば一目瞭然ですよ。頼りに、というのはなにも戦うことに関してばかりではありません。精神的な支えになっているということは、大きな信頼の裏返しです。うだうだと悩む前に、本人に言ってみればいいのですよ。人は……自分が頼りにした分だけ相手から頼られたいものなのですから」

 

 徹は怖がりですね。リニスさんはそう悪戯っぽく微笑んだ。

 

 途端、重りが外れたみたいに胸が軽くなった。頭もどこかすっきりとする。

 

 俺は考え過ぎていたのかもしれない。考えてからしか動けないのは性分だが、それでもいくら考えたって仕方がないこともあるのだろう。

 

 こうして背中を押してくれる存在というのは、俺にとってはとてもありがたかった。

 

 取り敢えず、なのはとユーノに頼んでみる。話はそこからなのだ。

 

 だが、俺にはその前にやることがあった。

 

「座り心地悪いとか背凭れが硬いとか言うんなら降りてくれ、リニスさん」

 

「ちがっ、あれは悩んでしょぼくれている徹を励ますために……」

 

「俺だって身体重いし、魔力も限界まで使ってしんどいし、疲れてるし」

 

「それも冗談ですっ!嘘ですから、そんな意地悪言わないでくださ……なに左手外そうとしてるんですか! 私離れませんよ、離れませんからっ」

 

 リニスさんの背中に回していた左腕を動かしたら、思いの外過敏に反応して腕をぎゅっと抱き締めてきた。膝の上から下ろされると思ったのか、両手で抱き締めて動こうとしない。両目を固く閉じて小さく(うな)ってすらいた。

 

 演技とはいえ嫌味を言われた仕返しにやったのだが、その必死な抵抗が胸にぐさりときた。なんだろうこのかわいい生物は。

 

 左腕は解放してくれそうにないので、そのままでなのはに念話を送る。

 

『なのは、そっちは今大丈夫か? 傀儡兵に襲われたりしなかったか?』

 

『あ、徹お兄ちゃんの声、戻ってる……。うん、こっちは大丈夫なの。全部倒しちゃったみたいで、一つも見てないよ。徹お兄ちゃんのほうこそ、もう大丈夫?』

 

『こっちも大丈夫だ。リニスさんとの戦いも終わった』

 

『そっか、勝ったんだね』

 

『勝ったっていうか……まあ、いろいろあったからな。無効試合みたいなもんだ。そっちが無事ならよかったよ。あと……あのな、なのは。俺……お前に言わなくちゃいけないことが、あってだな……』

 

 エリーに人を頼る大切さを教えてもらって、リニスさんに背中を押してもらったのに、ここぞというところで言い(よど)んでしまった。流れでぱっと言ってしまえればよかったのに、一度詰まってしまうとかえって切り出し辛い。

 

 何度もシミュレートしただろう。まずは、そうだ。断ってもいいということを先に伝えておくのだった。

 

『え? な、なにかな。徹お兄ちゃんがはっきり言わないなんて珍しいの。そんなに大事なこ……! も、もしかして……っ!』

 

『なのはがいやだなって思ったら、俺のことは気にせずに……断ってくれてもいいからな。なのはの気持ちが大事だから』

 

『にゃっ! えっ、えと……わた、わたしは……い、いいんだけど……。せ、せけんてい、とか……あの、年の差とか……』

 

 忘れていた。なのははああ見えて存外賢い子なのだ。

 

 こちらの戦闘が終わり、俺は手が空いた。なのはは魔導炉の付近で待機している。この状況から推察して、魔導炉の機能を停止させるか、もしくは破壊することに思い至ったのだろう。自分にその役目が回ってきたのだと、理解したのだろう。

 

 俺から直接言われる前に勘付き、しかも、年上の俺が幾つも歳が離れた年下のなのはに危険で重大な役目を丸投げすることで、周りからなにか悪口でも言われるのではないかと心配までしてくれている。周囲からの見る目を気にかけてくれている。

 

 人を気遣える優しい子に育っていることに、こんな時なのに嬉しく思ってしまった。

 

 だが、俺の一方的な都合でなのはの力を借りるのは、もしかしたらこれが初めてなのだ。最後まで口にしなくても伝わる仲間の絆は(とうと)ぶべきだろうが、最初くらいははっきりと自分の言葉で伝えたい。察してもらうなんていう相手任せなことはしたくなかった。

 

『待ってくれ、なのは。俺から言わせてほしい。それに俺は今更世間体なんて気にしない。なのはじゃなきゃ駄目なんだ』

 

『にゃぁっ! でで、でもっ、このタイミングで……ぁぃのこくっ、はく……はえんぎが悪いのっ』

 

 途中魔力の出力がぶれたのか、それとも思念が弱かったのか、声がいまいち聞き取り辛かった。だが最後の『縁起が悪い』は俺の脳内までしっかり届いた。

 

 たしかに大仕事の前に意気込みを語るというのは死亡フラグみたいだが、そんなものは信憑性に欠けるジンクスと同義だ。はっきりと口にしないほうが後悔してもやもやしそうだ。気にする必要はない。

 

『でも、俺は言わずに後悔したくないんだ。聞いてくれ、なのは』

 

『は……はいっ! き、聞きますっ、徹お兄ちゃんの告白っ……ずっと忘れないように胸にきざみこみます!』

 

 告白とはまた大袈裟な言葉を使ってくれたものである。肩の力が抜けてしまった。なのはなりに俺の緊張を解そうとしてくれたのかもしれない。

 

なのはのおかげで胸の(つか)えが下りた。自然に言葉が口をついて出る。

 

『なのはの力を借りたいんだ』

 

『ひゃい! 喜ん……え? と、徹お兄ちゃん……今なんて言ったの?』

 

『だから、俺じゃ魔導炉を壊せないから、なのはの力を貸して欲しいって』

 

『……告白は?』

 

『さっきしただろう。力を借りたいって。格好はつかないけど、なのはの力を頼らせてくれ』

 

『徹お兄ちゃんがわたしを頼ってくれてる……。嬉しいのに、嬉しいはずなのに……複雑なの……』

 

 なのはは俺が言わんとしていることを理解していると思っていたのだが、色()い返事ではないようだ。

 

 頭の中を駆け巡っていた暗い想像がフラッシュバックする。体感気温ががくっと下がったような感覚がした。

 

 頬に触れたリニスさんの手の温度を思い出し、めげずにもう一度確認する。

 

『だ、だめか……? やりたく、なかったら……こ、断ってくれても、構わないんだ。あ、危ないし……怪我をする、かもしれないし……』

 

 なのはに届く俺の思念による発声は、それはもうめちゃくちゃ震えまくっていることだろう。

 

 自分でも思っていなかったほどショックが激しかった。念話でこの有様なのだ、面と向かって話していたらこの程度では済まなかっただろう。声が出ない可能性まであった。

 

『ち、違うの! あんまり違わないんだけど、違うの! あたしが勘違いしてただけなの!』

 

『本当に大丈夫なのか? 無理してるとか……』

 

『なにをすればいいかは知らないけど、あたしができることならやりたいよ。だって、徹お兄ちゃんがあたしを頼ってくれることって……ないんだもん。いつも一人で無茶するから……。徹お兄ちゃんだけが無茶しなくていいように、あたしもがんばる。……徹お兄ちゃんの力になりたいの。手伝わせてほしい!』

 

『そうか……ありがとうな、なのは。やってほしいことっていうのは単純なんだ。なのはの砲撃で魔導炉を吹っ飛ばしてほしい。単純だけど、危ない。できそうか?』

 

『うん、まかせて、徹お兄ちゃん。今なら……この時の庭園の上から下まで貫けそうな気がするの……』

 

『そ、そこまでの威力はいらないぞ……』

 

 なのはの声がとても冷たい。冗談とかを言っているトーンではなかった。やろうと思えば本当にできそうな迫力が、(よわい)九才の少女から発せられていた。

 

 後で合図をする、と言ってなのはとの念話を切る。次はユーノに繋ぐ。

 

『兄さん。なのはになにか言ったんですか? きょとんとした顔をしたかと思ったら急に頬を染めて星を散らしたように瞳を輝かせて、その少し後にはハイライトが消え失せたんですけど……』

 

 念話を接続してすぐにユーノから質問された。

 

 ちょっとした行き違いはあったようだが、基本的には俺がなのはに頼み事をしただけである。別段時間をかけて(つまび)らかに説明する必要はないだろう。

 

『なのはには魔導炉絡みで一つお願いをしたんだけど……そんなに情緒不安定なのか。……今はどんな感じだ?』

 

『念入りにレイジングハートの調子をチェックしています。鬼気迫るものがありますよ。正直、近づきたくないくらい怖いです』

 

『たぶん……集中してるんだ、きっと。ほっといてやってくれ。でだ、ユーノにも頼みたいことがあるんだが』

 

『兄さんはこっちにいないからそんなに他人事でいられるんですよ……。それで頼みというのはなんですか?』

 

『えっと……魔導炉を破壊しようと思ってだな……』

 

『はい、わかりました』

 

『それで悪いんだけどなのはの援護を……って早い! まだ全部喋ってないぞ!』

 

 頼み事の導入部で既にユーノから了承を頂けてしまった。あまりの快諾っぷりにこちらが狼狽(うろた)えてしまう。

 

 ユーノは至って冷静に、平常通りのトーンで俺に返してくる。

 

『破壊と聞けばだいたいはわかりますよ。僕では魔導炉を破壊するだけの魔法は使えないので、なのはがそれを(にな)うんですよね』

 

『あ、ああ……そうなる。だからユーノには……』

 

『なら僕の役目はなのはの補助、ですよね? 魔導炉の破壊時に及ぼされるだろう爆発や、イレギュラーな事態への対処。その他、出来る限りのフォローをします。任せてください』

 

『いや、めちゃくちゃ危険なんだぞ? 他に手があるかもしれない。わざわざ魔導炉に風穴を開けなくたって、機能停止にするだけならもっと考えれば安全な方法があるかもしれないとか、そういうことは思わないのか?』

 

 俺の我儘に付き合ってくれるとの了承は取り付けたが、それでは俺の気が済まなかった。

 

 クリムゾンを助けるためには魔導炉をぶち抜くしか手立てがないが、魔導炉の暴走状態をどうにかすることについては考察していない。こんな手荒な真似をしなくてもなにか手段があるのでは、と疑問を抱くのが通常だろう。なにせ、一番のリスクを引き受けているのは現場にいるなのはとユーノの二人なのだから。

 

 なのに、二つ返事で快諾してくれる。ユーノだけではない、なのはもそうだ。疑いの一つも寄越さずに、疑惑の色も滲ませずに、協力すると言ってくれる。

 

 その信用と信頼がどこから生じているのか、俺にはわからなかった。

 

『僕が言われたのは、魔導炉の暴走状態への処置です。暴走状態さえなんとかすればいいのですから、破壊まですることはないでしょうね。わざわざ危ないことがわかってるほうに手を伸ばすなんて、しないほうがいいのかもしれません』

 

 『そこまでわかってるんだったら反論しろよ。なんでそのまま鵜呑みにするんだ。俺にはわからない。なんでそんなに気軽に言えてしまうんだ』

 

『兄さんがそうすべきだと判断したからです。僕だってあからさまに理不尽で筋が通らないお願いなら多少反論しますけど、兄さんの頼みというのはそういうものではありませんから。兄さんの頼み事は、いろいろ思索して試行錯誤した末の結論だと思います。兄さんは……あまり僕やなのはを頼ろうとは、してくれませんからね……。危なそうなことがあれば僕たちが気づかないうちに、そっと遠ざける。遠ざけることができなければ、間に入って一人でなんとかしようとしてしまう。大切にしてくれていることは実感します。それは純粋に嬉しいです……とても、嬉しいです。ですけど、守られてばかりでは……もう嫌なんです。僕は兄さんの後ろで守られたいんじゃない、隣に並び立って苦労を分かち合いたいんです……仲間ですから。僕はなのはやクロノみたいに特別高い能力を持っているわけではありませんが、それでも頼ってほしいんです。兄さんからの頼み事を引き受ける理由として、これではまだ足りませんか?』

 

『…………』

 

 否定できようはずもなかった。

 

 大切な人を助ける理由なんて、本当に単純なものだ。大切だから、助けたいから。それ以外に理由なんていらないのだ。

 

 傷ついてほしくない、痛い思いをしてほしくない。そう考えているのは俺だけじゃなかった。

 

 俺が抱いていた漠然(ばくぜん)とした不安や恐怖は、丸ごと全部杞憂だったということだ。俺の仲間は、(なり)は小さいがこんなにも頼りになる。嫌がられるかもなどと心配するのは、それだけ相手に失礼だった。

 

『いや、充分だ。ありがとうな、ユーノ』

 

『ちゃんと気持ちを言葉にできて、僕としてもいい機会でした。それで、作戦はすぐにでも?』

 

『まだ少しだけ準備がある。なのはにも言ったんだけど、後から合図をする。あと、いくらなのはの砲撃でも魔導炉を破壊する際の爆風まではかき消せないだろうから、防御には念を入れてくれ』

『了解しました』

 

 これでユーノとの作戦会議も終わったと気を抜きそうになったが、大事なことを伝え忘れていた。念話を切られる前に急いで付け加える。

 

 俺の注文に、ユーノは疑問符で返してきたが事情を話すと承諾してくれた。若干呆れられたというか、苦笑いのような声音だったのが気にかかったけれど。

 

 ともあれ、これで不安と懸念が()い交ぜになった下拵えは終了。あとは、行動に移すのみである。

 

 

 

 

 

 

 念話を終えた俺はもう一度魔導炉のシステムに入り込む。一度リニスさんを経由して魔導炉へとジャンプしたので、アクセス経路は把握している。リニスさんの助力は乞わずに直接魔導炉に侵入した。

 

 魔導炉のシステムにハッキングした理由は無論、クリムゾンに会いに行くためだ。魔導炉への対処のあれこれはすべてリニスさんに任せている。そちらに対して憂慮すべきことなどなかった。

 

 記憶している情報群の脇をすり抜けながらスムーズにクリムゾンが待つエリアにまで到達する。最後の防壁をこじ開ければ夕暮れの世界が出迎えてくれた。

 

「クリムゾン、算段がついた。仲間も快く手を貸してくれた。あとは俺たちが頑張るだけだ」

 

「……あんたのオトモダチは命知らずばっかかよ、信じられねぇぜ……」

 

「命知らずとは心外だな。優しい子たちばっかりなんだ」

 

「なるほど、ちょうどあんたの性格で釣り合ってんだな」

 

「なにが言いたいこのやろう」

 

 俺の前方数メートルあたりで座り込んでいたクリムゾンは、かははと小気味よく笑いながら立ち上がる。てこてこと歩み寄ってすぐ近くまで来ると手を腰に当てて(しな)を作った。

 

 大人の女性がやればどきっとくる仕草だが、あまり発育が進んでいるとは言えないクリムゾンの体型ではおませな女の子にしか見えない。思わず噴き出してしまいそうになった。

 

「おい、なに笑ってんだよ」

 

「いや、なんでもない。うん、かわいいかわいい」

 

 見た目以上に背伸びしようとしている姿があまりに微笑ましく、思わず茜色の頭をかいぐり撫で回してしまった。

 

「やめろ、撫でんなっ。あとその生暖けぇ目もやめろっ。馬鹿にされてる気分だ!」

 

 つんつんと反抗期真っ只中みたいに尖った性格のクリムゾンは、やはり俺からの子供扱いに反発した。喧々(けんけん)と言葉では抵抗するが、意に反して手を払おうとはしない。そんなクリムゾンの様子は、多少なり心を開いてくれたようでとても嬉しかった。

 

「もういいだろっ、離せ! もうさっさと本題に入れよ」

 

「そうだったな。すまんすまん」

 

「っ…………」

 

 言われた通りに手を離して説明を始めようかと口を開きかけたが、クリムゾンの顔を一瞥(いちべつ)するとどこか(かげ)りができていた。

 

 試しに、少女の頭に手を戻す。

 

「……なんだよ、離せっつったろ」

 

 口では反抗的なことを言うが、心なし頬が緩んでいた。どうやら近づいたこの距離感を俺が好ましく思っているのと同様に、クリムゾンも憎からず思ってくれているようだ。

 

「こうしてると安心するからさ、このままで話させてくれるか?」

 

「しっ、仕方ねぇなぁ……あんたがそこまで言うんならそのままでも許してやるよ。俺はほんとはいやだけど!」

 

 接しているのといないのとではクリムゾンの表情と機嫌が大きく違うので、頭の上にぽむっ、と手を乗せたまま状況説明に入ることとした。

 

「おそらく、魔導炉の装甲板は貫ける。信頼するに足るだけの素質を持ったなのはが……仲間が自信を持って俺の頼みを受けてくれた。攻撃担当を守ってくれるやつもいる。成功確率と安全性を上げるためにリニスさんも力を尽くしてくれている。あとは、魔導炉の装甲を焼き尽くすだけのエネルギーを秘めた砲撃からお前の本体をどう守るか、だが……」

 

「……俺を散々利用していたあの胸糞悪い女が、今度は助けてくれるって? かっ、冗談だろ。信じらんねぇな。なにか裏があるに決まってんぜ……」

 

 腕を組んでクリムゾンは眉根を寄せてそっぽを向いた。不快感を隠そうともせず、唇を噛んでいた。

 

 リニスさんを信用できないというクリムゾンの気持ちはわからないでもない。自分の力を勝手に無理矢理使われていれば、嫌悪感の一つくらい持って(しか)るべきなのだろう。それだけのことをリニスさんはしたのだ。仲良くやれなどと軽々しく口にはできない。

 

「魔導炉は暴走させたからしゃあねぇけど、ロストロギアの力を失うのは惜しいとかって考えてんじゃねぇの? 充分ありえる話だぜ?」

 

「クリムゾン、リニスさんのことをすぐに信じろとは言わない。でも、せめて今だけは疑わないようにしてほしい。全員で協力して事にあたらないと、成功するものもしなくなってしまう」

 

「なんだよ、あんたはあの女の肩を持つってのか?! あの女は俺の力をむしり取っていったんだ! こんなところに独りにしてんのにっ、あの女はッ! ……もしかしたら……あんたも利用されてんじゃねぇの?」

 

「待てって、ちょっと落ち着け。リニスさんにもリニスさんなりののっぴきならない事情ってものがあったんだ。だから許せとは言わないけど、少しだけでも……」

 

 クリムゾンは目を伏せ、頭の上に置かれたままの俺の手を取った。両手で押さえて、動かせないように握り締めた。

 

「あの女のせいで俺はこんなことになったのに、あの女が悪いのに……。徹は俺の味方だと思ってたのに……っ」

 

 声は小さく(しぼ)んでいき、覇気や負けん気は消え失せていた。目元には大粒の涙までたくわえている。寒空に捨て置かれたみたいに、クリムゾンの身体が揺れる。

 

 精神的に脆い面が、クリムゾンにはあるのだろう。依存と換言してもいいほどの弱さだが、少女のこれまでの人生を振り返れば致し方ないという思いも抱いてしまう。それだけ報われない生涯を送ってきていた。簡単に人間を信用できないまでに、クリムゾンの性格は歪められてしまっている。

 

 出会う人間皆が皆優しいとは、もちろん限らない。性根が腐った人間だっている。悪事を働く人間もいる。大勢いるのだろう。

 

 だから俺は、クリムゾンに信じてくれとは言えない。最終的に自分を守れるのは自分しかおらず、負わなければいけない責任だってその本人にしか背負えないのだ。

 

 クリムゾンは俺のことを多少信用してくれている。もしかしたら、俺が詭弁を弄して言い包めれば、リニスさんに抱いている不信感を覆い隠せるかもしれない。手練手管に言葉巧みに説き伏せれば、嫌悪感を塗り潰して誤魔化せるかもしれない。

 

 しかし、それでは意味がないのだ。

 

 信じるか信じないか、疑うか疑わないか、その判断まで他人に任せてしまってはいけない。自分の行動の全てを他人に任せてしまっては、それはもう操り人形と同じだ。いいように利用されていた過去をなぞるだけになってしまう。

 

 本人の意思でどうすべきか決めさせなければいけない。ならば、俺のすべきことは判断するに足るだけの材料を提示することだ。

 

「クリムゾン、先に言っておくぞ。俺はお前の味方だ」

 

「そ、そうだよなっ。ごめんな、徹。俺、ひどいこと言った。あんたのことまで疑ってるみてぇなこと……」

 

 俺の言葉に安心したように口元を綻ばせ、片手を離してパーカーの袖で目元を拭った。まだ少し潤んだままの瞳でまっすぐに見つめられると言い淀んでしまいそうになるが、固い決心でもって口を開く。

 

「でも同時に、俺はリニスさんを信じている。あの人の味方でいたいと思っているんだ」

 


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