そんな結末認めない。   作:にいるあらと

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ほんの少しだけ、心が痛かった

 口にしてから、言わないほうが良かったのかもしれないという一抹の後悔が胸中を()ぎった。

 

俺が言っていることは、お前を傷つけてきた人間を見逃せ、というのと同義だ。

 

 恨みがある、憎しみがある。長期間に渡って自分の存在を削り取られていくという感覚は誰にとっても恐怖だろう。そのような死にも等しい苦痛を実際に味わってきたクリムゾンには、拭いきれない怒りがある。

 

 俺がある程度の信頼を築けていたとしても、苦痛と恐怖を与えてきた張本人を信じる、味方でいたいなどと言ってしまえば、クリムゾンはどう思うだろうか。裏切られたと、そう思うのではないだろうか。

 

 隠し切れず、堪え切れない怒りであっても、時間が癒してくれることもある。この場は要らぬ火種は起こさず、クリムゾンの意見に同調して機嫌を取るのが最善なのかもしれない。耳触りの良い言葉を並べて言いくるめ、難局を乗り切ってからゆっくりと氷解させていくのがベターなのではないかと、考えてしまう。

 

 それでも俺は、真正面から切り出した。俺の言葉でクリムゾンは傷つくかもしれない。だとしても、嘘で誤魔化したり(へりくだ)った態度で顔色を伺ったりする関係は嫌だった。

 

 俺とクリムゾンは対等なのだ。上も下もない。主人も従者もない。対等であるが故に、言われた本人にとって苦になるかもしれなくても、はっきりと口にする。

 

 伝えたい気持ちがある。知ってほしい想いが、ここにあるのだ。

 

「は……なんだよ、それ。意味わかんねぇよ! やっぱあんたも他のやつらと同じだ! 都合のいい時だけ味方面して嘘つくんだろ! あんたも俺を便利な道具として使おうと思ってんだろ!」

 

 クリムゾンは俺の手を強く振り払った。目を固く閉じて顔を背ける。大声を張り上げて、自分の身体を抱くようにクリムゾンは自身の肩を掴んだ。

 

「お前が辛い境遇にあったのはわかってる。リニスさんがお前の力を無理矢理使っていたことだって紛れもなく、覆しようのない事実だ。それはわかってる……。けど、俺の話を聞いてくれ」

 

「やだっ、いやだっ! 嫌いだ! あんたは……あんただけは、俺たちみてぇな存在を受け入れてくれると思ってたのにっ……」

 

 暴れるクリムゾンの腕を持って顔を見れるように正面に向ける。しかし、少女は俺を見ようともせず、頑なに瞼を閉じて拒否する。腕を突き出して俺から距離を取ろうとする。

 

「クリムゾン、俺を見ろ。話を聞いてくれ……」

 

 エリーはクリムゾンのことを幼いと評していた。それは戦い方や、話し方についてもそうだが、エリーが言及していた点は特に考え方だった。

 

 俺の周りにも幼い子は何人かいるが、みんな年相応以上に大人びている。外見と中身がそぐわないほどに達観したところもある。クリムゾンはその誰よりも、物の見方捉え方が幼い。

 

 自分にとっていやな事・物は、決して受容しようとしない。排除しようと躍起になり、遠ざけようと必死になる。

 

 それは自分本位で短絡的な考え方なのかもしれない。他人の意見を聞き入れられないのは本人にとっても、コミュニケーションにおいても非常に問題がある。

 

 クリムゾンの態度や性格をそのまま捉えたら難があると言わざるを得ないが、これまで受けてきた仕打ちを考えるとあまり強くは言えない。

 

 自分にとって都合の悪いものを遠ざけようとするのは、自分の心を守るためだ。自分が傷つくことを避けるためだ。

 

 助けはない。救いもない。光の届かない、冷たい牢獄。そんな世界に閉じ込められていて、自分の存在も神経もすり減っていく中、自分を自分たらしめている心を守るために必要なことだったのだろう。痛みを拒絶することが、なによりも大事だったのだ。

 

 目を閉じて、聞く耳を持たず、自分を必死に守ろうとするその姿は、辛い現実から目を背けようとしているようで、哀れだった。

 

「嫌いだ! あんたなんて嫌いだ! 人間なんて大っ嫌いだ! 力ばっか求めて、なんでも利用しようとする。信じた俺が馬鹿だった……っ! 嫌いだ……。魔力に執着する人間も、魔力しかない自分も……嫌いだ。やっぱり人間なんて、信じないほうがよかっ……」

 

「聞け、クリムゾン。俺の目を見ろ、話を聞け」

 

「やっ……」

 

 少女の慟哭(どうこく)を遮り、頬に手を添えて無理矢理にこちらを向かせる。

 

 言わせたくなかった。痛みに耐えてきた自分自身を(さげす)む言葉を、戸惑いながらでも一歩踏み出した勇気を(けが)す言葉を、言わせたくなかった。

 

 顔を寄せ、逃げられないように手で押さえる。目線を逸らそうとしてもさせなかった。

 

 クリムゾンのしてきた痛みに対する拒絶は、正しかったのだろう。悲劇の連鎖の渦中にあったこれまでであれば、己を守るために拒絶することは正しい選択だったのだ。

 

 しかし、これからはそうも言っていられない。一人ではできないこともたくさんあって、他人と協力しなければ成し得ないこともたくさんある。そんな時に自分の都合を貫いて他人の意見を突っぱねていれば、立ち行かなくなる。

 

 この少女は、目の前で唇を噛み締めて震える少女はこのままではいけないのだ。この窮地を解決してお終いじゃない。

 

この少女には、『これから』があるのだから。

 

「今から、リニスさんたちの話をする。それを聞いて信用するもしないも、俺を見限るのも……判断してくれ。このまま、悲しいままで終わりなんて……嫌なんだ。お前が選んだ道が間違っていたなんて、思ってほしくないんだ……」

 

「……わかった、きく。……最期にあんたを、信じてみる……」

 

「ありがとう」

 

 腰を落として背の低いクリムゾンに目線を合わせ、気持ちが体温と一緒に伝わってくれるように手を顔に添えたまま、真っ向から話をした。

 

 リニスさんのこと、リニスさんの主人のプレシアさんのこと。フェイトのことも、アルフのことも、リニスさんに(まつ)わる人の話をクリムゾンに説明する。そして、プレシアさんの娘、アリシアのことも。

 

 どういう事件があり、どういう経緯(いきさつ)で魔力を求めていたのかを話した。流れでエリーと俺の出逢いや関係性、リニスさんたちとどう関わっているのかにも言及した。

 

 リニスさんたちの感情の全てを理解できているわけではない俺がクリムゾンに話してもいいのか、リニスさんたちの事情に土足で踏み入っていいものか懊悩(おうのう)はした。しかし、クリムゾンも無関係というわけではない。クリムゾンは、リニスさんやプレシアさんたちが叶えんとしている願いの、あえて悪く言えば被害者だ。だから喋ってしまっても構わないという理由にはならないが、少なくともクリムゾンには自分がなぜ魔力を作り出す機械の一部にされていたのか、聞く権利はあると思った。

 

 止むに止まれぬのっぴきならぬ事情があるからといって、リニスさんたちのしたことを正当化しようという考えは俺にはない。クリムゾンが苦しんだことは確かなのだから、正当化などできようはずがない。

 

 クリムゾンにリニスさんたちについての話をしたのは、ただ知っておいてほしかったからだ。魔力を必要としているのは同じでも、自分の欲のためではなく、家族のために魔力を必要としている人間もいるということを。黒く(よど)んだ欲望ばかりではなく、純粋で直向(ひたむ)きな願いのために魔力を必要としている人間もいるということを、クリムゾンには知っておいて欲しかった。

 

「……だとしても、俺は許せない」

 

 話を聞き終わったクリムゾンの一言目が、これだった。

 

 許せない。たった一言。そのたった一言はとても重く、とても鋭く、俺の胸に突き刺さる。

 

 どれほどの事情があろうと、それは彼女たちの内輪の問題で、身内の問題なのだ。その輪の外にいるクリムゾンにはいたって関係ない。そんな無関係な事情によって苦しめられていたことなど、クリムゾンにとって斟酌(しんしゃく)する余地などないのだろう。

 

「……理由があったのは……わかった。大事なことだったってのも、理解はした……。でも、俺はやっぱり……許せねぇ。あの女は……信用できねぇ」

 

「そう……か」

 

 クリムゾンが下した判断が善なのか、もしくは悪なのか、俺にはわからない。リニスさんたちの行いもクリムゾンの言い分も、視点を変えればどちらも非情であるし、視点を変えればやはりどちらにも合理性がある。個人の感情について他人がとやかく口を挟むこと自体、そもそもおかしいのだろう。

 

 クリムゾンが出した結論に、異議異論など出せるべくもなかった。

 

 クリムゾンを魔導炉(監獄)から解放し、かつ実働担当のなのはとユーノをなるべく安全にするためには、リニスさんの協力は不可欠だ。しかし、クリムゾンがリニスさんを信じられないと、どころか疑わしいと疑念を抱いている以上、強行はできない。不和を有したまま実行したら、全員が一丸となって全力を尽くさなければいけない作戦に亀裂を生じさせる恐れがある。何が起こるか予期できないのだ。信じてもいない相手に、己の命運は賭けられない。

 

 リニスさんが担っている役割は重要である。なのはとユーノに降りかかる危険の割合を減らすことはなによりも優先すべき事柄だ。リニスさんには辞退してもらって俺が役割を代わろうにも、俺は俺でやらなければいけないことがある。手が回らない。かといってクリムゾンの意志を無碍(むげ)にもできない。今から新たな策を練るというのも現実味に欠ける。

 

 どうすればいいか、どう動くべきかわからず、俺は二の句が継げなかった。

 

 自分を苦しめた人間の内情を語られるというのは、クリムゾンにとって辛いことだったろう。なのに黙って最後まで聞き続けてくれただけでも足れりとするべきだ。

 

 残念ではあるが、後悔はない。人間を信用できないという答えをクリムゾンが出したことについて、不平はない。こちらの想いが伝わらなかったわけではなく、想いを受け取り呑み込んだ上の結論だったのだ。クリムゾンへの不満はない。

 

 ただ、少しだけ。ほんの少しだけ、心が痛かった。

 

「ちゃんと考えて答えを出してくれて……ありがとうな。もうちょっと何か手がないか考えてみるから……クリムゾン?」

 

 礼を述べつつ、頬に添えていた手を離そうとしたが、クリムゾンの小さな手がそれを(さまた)げた。払おうとすれば容易く振り払えるくらいにほとんど力なんて入っていなかったが、柔らかな感触と体温は確かに感じられた。

 

 クリムゾンに視線を向ける。言いだそうとするが決心がつかないみたいに、唇が開いたり閉じたりを繰り返す。覚悟を決めたのか大きく息を吸い、開口した。

 

「でも、あんたのことは……信用、する……ことにした」

 

「え、な、なんで……いきなり」

 

 突然の転換に俺は動揺を隠せなかった。

 

 慌てる俺に、クリムゾンは続ける。

 

「あの女は、やっぱりすぐには信用できねぇし……許せねぇ。でもあんたは違う……徹は違ったんだ。あんたの話を聞いて、同類の青いやつがあんたを助けてる理由がわかった。気持ちも……わかった」

 

 リニスさんたちの話の流れ上、辻褄(つじつま)が合わないというか、説明し辛い点があったので俺の話をちょくちょく挟んでいた。リニスさんたち本人がいないのに知った風な口調で彼女たちのことを一方的に喋るのが後ろめたかったという理由もある。

 

 その中でエリーとどういうふうに出逢ったか、それからどのような出来事があったのかを簡単に説明していた。話の本筋からは逸れる、いわば添え物的な気持ちで挿話していたのだが、クリムゾンはそちらに関心を持ったようだ。

 

「同類の青いやつがなんであんたにあそこまで、戦闘中に痛みを肩代わりしてまで尽くしてんのかわからなかったけど……わかったんだ。あの青いやつは……徹の献身と覚悟に惚れてんだろうよ」

 

「献身とか覚悟とかっていうと表現がオーバーな気がするぞ……。好意を持ってくれてるのは自覚してるけど……。でもな、お前もエリーも言うんだけど俺はそんな善人じゃない。俺は、最初あいつを助けるつもりなんて微塵もなかったんだ。暴走さえ止められればそれでよかった。でも頭に流れ込んできたイメージに感化されて、助けを求められた気がして、プログラムをぐちゃぐちゃに書き換えることができなくなったから結果としてエリーを助けることになっただけだ。あの時、本当なら俺個人の感傷なんて無視して暴走状態の停止のみを優先させるべきだった。失敗していたら何千何万って命が……いや、それこそ星一つまるごとっていう規模で被害があったのかもしれないんだからな」

 

「そこだ、そこなんだよ。あんたのおもしれぇところはさ……」

 

 エリーの呪いの輪を破壊した時の本音を聞いた後で、クリムゾンは柔らかく微笑んだ。俺の手のひらに頬を擦り付けるように寄せる。まるで懐いた猫のようだった。

 

 クリムゾンの急激な態度の軟化に、俺は置いてけぼりをくらっていた。

 

「ちゃんと理解できてんだよな……あんたは。自分の気持ちとか感情とかぜんぶ取っ払った客観的な見方もできてんだ。上から事態を眺めて、リスクとかも含めてどうするべきか考えて、考えた末に導き出した一番真っ当な策を蹴り倒しちまう。そんで効率は悪いし骨が折れるほうを選んだんだろ、青いやつを助けるために」

 

「助けるためって……俺は……」

 

「助けるために苦労を負った、なんて恩着せがましいことをあんたは言わねぇだろうけどな」

 

 反論しようとしたらクリムゾンに先んじて回り込まれた。

 

「本来の目的を果たしつつ、自分の気持ちにも正直でいる。どっちも絶対に成し遂げるって覚悟に惹かれてんだよ、あの青いやつは。献身に報いたくて、覚悟を共有したくて、青いやつはあんたと一緒にいるんじゃねぇかな。そんで、それは今回も一緒だ……。俺なんか見捨てちまったほうが早ぇのに、手っ取り早く終わらせられんのに、あんたはそうしようとはしねぇんだ……。だからこそ……底抜けにお人好しで、愚かさの極みみたいなあんただからこそ、信用できる……。あの女を信じることはできねぇ。だから俺は、あの女を信じてる徹を信じるよ……」

 

「クリムゾン……」

 

「助けようと、してくれてんのに……っ、ひどいこと言って……ごめん、なさいっ……」

 

 俺の手で目元を隠す。涙を見られたくなかったのだろうが、温かい液体が手に触れているし、手を伝って下に落ちてしまっているのですぐに気づいてしまった。

 

「気にしてない。嬉しいよ、ありがとな」

 

 クリムゾンはまだ、リニスさんを信じることはできない。事情を知った後でも恨みも怒りも消えてはいない。許すことはできない。それだけの仕打ちを受けてきたのだから当然だろう。

 

 でも、少女はもう一度人を信じようとしてくれた。俺を信じてくれて、許し難いリニスさんのことは俺を通すことで最低限信用してくれている。

 

 クリムゾンはまた一歩、俺たちに歩み寄ってくれたのだ。随喜(ずいき)の念に()えなかった。

 

「うっとうしいって、思うかもしんないし……めんどくさいって思うかもしんないけど……俺のこと、見捨てないで……」

 

 精神年齢が幼くてもしっかりと自分の意志をもって考えることはできるみたいだが、やはり脆い性格をしているのは変わらないようだ。強気な態度はどこに飛んで行ったのか、クリムゾンは退行でもしてしまったようにさらに幼い喋り方になってしまっている。このメンタルの弱さは俺を凌ぐものがある。

 

「見捨てないから大丈夫だ、安心しろ」

 

「ほんとか? 俺、徹にいっぱいひどいこと言ったのに……」

 

「あんなもん、俺からしたら『ひどい』のカテゴリーに入らない。俺の友達に何人かぼろくそに言ってくるやつがいるから慣れてるんだよ」

 

「さっきのよりひどいとか、それ友達って言っていいのかよ……」

 

「時々俺も疑問に思うことはある」

 

 真顔でそう返すと、クリムゾンはきょとんと目を開いてから破顔した。湿っぽい空気を拭い取るための冗談だと思ったのだろうが、先に述べたぼろくそに()き下ろす友人の筆頭が親友()戦友(レイハ)なので、俺からすると少々笑えない冗談である。

 

 決して受けを狙ったわけではないが、ともあれクリムゾンの涙の意味を変えることができたのなら重畳の至りだ。

 

 目元は赤く充血してしまっているし声もまだ不安定に揺れているが、それでもしっかりとクリムゾンは俺の目を見据える。瞳には生気が戻り、一本芯が通ったように己の足で直立した。

 

「あんたの作戦を聞かせてくれ。俺にもやらなきゃいけないことがあるんだろ」

 

 クリムゾンはその小さな身体に見合わぬ鋭い眼光で、話の流れを主旨に引き戻した。俺の手を握ったままという格好でなければ相当にクールだったろう。

 

「ああ、大事な仕事がある。だから、よく聞いてくれ……」

 

 実のところ、俺の策はまだ未完成だった。魔導炉を破壊するためになのはを頼り、なのはのフォローをしてもらうためにユーノの助力を得て、作戦全体の安全性と成功確率を少しでも向上させるためにリニスさんにも協力を()うた。しかしまだ、クリムゾンの本体である暗赤色の小さな球体を守る算段はついていなかったのだ。

 

 俺がわざわざクリムゾンの怨敵とも言っていいリニスさんの件を持ち出して衝突したのは、(わだかま)りを可能な限り解消して作戦に全力を尽くせるようにしたかったという理由だけではない。意見をぶつけ、本音を晒し、鬱憤(うっぷん)をぶち撒けさせたのは、お互いに信頼を強固なものとするためだ。

 

 疑念があっては成し得ることなど到底できない高み。その高みにまで到達する必要があるのだ。

 

 だから、俺は。

 

「……俺を、取り込め」

 

 

 

 

 

 

「戻りましたか、徹。こちらはもう準備万端ですが、そちらはどうですか?」

 

 ハッキングに集中するために閉じていた瞼を開く。

 

 見ればいつの間にかリニスさんは俺の膝の上から移動していた。三メートルほど離れた位置でなにかと争っている。リニスさんの手元を注視してみると、そこには空色に輝く美しい宝石、エリーがいた。澄み渡る青空のように清々しいクリアスカイブルーが特徴のエリーだが、今はえらくどろどろと淀んでいて、何がどうなったのかリニスさんに突撃している。いくら観察しても、いくら考察しても、全くもって状況が飲み込めなかった。

 

「この石っころ、少しは丸くなったかと思っていましたがやはりまだ暴れん坊ですね。器量が足りていません、心が狭いんですよ。挙句に私を攻撃する始末です、困ったものです」

 

 やれやれ、と困ったようなジェスチャーをした。そんな仕草が癪に障ったのか、エリーは空色に洞洞(とうとう)としたグラデーションを加えてリニスさんの頭部めがけて突進する。俺と会話していても相変わらずリニスさんは抜け目なく、額を狙ったエリーのチャージをするりと躱した。

 

 一方からの言い分では埒があかない。

 

「エリーが理由なく人に危害を加えるわけないだろ……。エリーになにしようとしたんだ、リニスさん」

 

 俺の問いかけに対する二人の反応は対照的だった。

 

 エリーは欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するように、ともすればいっそ(くら)みそうなくらいに煌々(こうこう)と光を放ち、リニスさんは不満げに頬を膨らませ、腕を組んでじとっとした目を俺に向ける。

 

「あら、真っ先に私を疑うんですね、徹は。その扱いの差は不公平なのではないでしょうか。今更この石っころに思うところなんてありません。私は石っころに()なにもしてませんよ」

 

 『今更』とか『石っころ』などというリニスさんの失礼な言い様で、エリーの機嫌が損なわれるのではとどきどきしながらちらりと見たが、当の本人は『どうかしましたか?』みたいな光を返す。これはリニスさんからの呼称を認めているのか、それとも他人からどう呼ばれようと自分には関係ないと割り切っているのか、どちらだろうか。俺としては前者であることを望むばかりだが。

 

 エリーに対しての棘の多さは目に余るものがあるが、口の悪さを省けばリニスさんの言ももっともであった。どちらか片方に立った物の見方は改めるべきだ。

 

「ごめんごめん。でも何もしてないのにこんな(いさか)いじみたことにはならないだろ。最初になにがあったのか教えてよ」

 

「そうですね……まず私が頼まれた役割の準備を終えて暇を持て余していた時に、徹の身体に怪我が残っていないか(いじ)って……いえ、精査してまして」

 

 序盤から雲行きが怪しくなった。

 

「目を瞑っているところをまじまじと近くから見るのは久し振りでしたのでまず目で堪能して……こほん、視診しまして」

 

「…………」

 

「次に打撲していたりしないか、筋繊維が痛んでいないか、身体を酷使していたので筋肉は張っていないかなど手触りを楽し……んんっ、触診したり強張った筋肉をほぐしたりしてまして」

 

「………………」

 

 もうこの段階でリニスさんが悪であると断じるだけの証拠が揃ってしまっている。だが、現時点では医療行為が主目的で、彼女の好奇心を満たす不埒な行為は副産物的な位置にあるのかもしれない。そう言い訳される恐れもある。

 

 実際に、全身に残っていた小さな傷、擦過傷(さっかしょう)打撲痕(だぼくこん)は綺麗さっぱりなくなっているのだ。心なしか身体も多少軽くなっている気がするあたり、触診やマッサージをしていたというのも(あなが)ち嘘ばかりではない。

 

 一見間抜けに思えるが、なんとも巧妙な言い逃れである。

 

「この辺りでその石っころはぴかぴかと光って診療の妨害をしてきましたね。まったく、触診を変な方向に勘違いするなんて言語道断です。人口呼吸(マウストゥマウス)(はや)し立てる子供と同じですよ」

 

「……………………」

 

 リニスさんは大袈裟な手振りで溜息をつく。

 

 空色の光の明滅が徐々に早くなっている。俺以外には割と無関心なエリーが、いけしゃあしゃあとのたまうリニスさんに段々と苛立ってきているようだ。

 

 しかし、万能型の魔導師たるリニスさんは主人(プレシアさん)のフォローのためか、それとも単に彼女の趣味嗜好(性癖)故か、医療の道にも精通しているようだ。医療行為であると断言されるとなかなか反論し辛い。

 

 今すぐ医療関係者に土下座しろと判決を下したいが、確たる証拠がない以上、沈黙するほかなかった。

 

「それで……エリーがリニスさんに攻撃しようとしたのはどの時だったんだ?」

 

 この言い方ではまるでエリーが悪いように聞こえてしまいそうだが、中身は違う。

 

『いつエリーがリニスさんの魔の手から俺を救い出してくれたんだ?』俺の質問の副音声はこうである。

 

「決定的に邪魔をしてきたのは、そうですね。味わおうと……いえ、舌で触診しようとした時です」

 

「やっぱりあんたが悪いんじゃねえか! ほとんど誤魔化せてねえよ!」

 

 エリーめちゃくちゃ働いてくれていた。グッジョブ過ぎた。なんならもう少し早めに行動を起こしてくれていても良かった。

 

 判決はリニスさんの黒で固まった。意識がない人にそんなことをするんじゃありません、という旨の説教をし、エリーに謝罪させてリニスさんは赦免(しゃめん)とした。

 

 俺の貞操の危機を救ってくれたエリーを褒めに褒め、リニスさんのせいで脱線した本題に戻るため床に腰を下ろす。リニスさんとのやり取りから一変して上機嫌なエリーは、瓦礫や砂埃のカーペットを器用に自身の魔力で払い除け、座る場所を作ってくれた。

 

 医療行為(意味深)(あんなこと)を仕出かしておいて、リニスさんはなおも俺の膝に座ろうとしたが、それは押し退けた。床にぺたりと倒れこんだリニスさんは愕然と俺を見て、次第に涙目になる。背後に見える尻尾は元気を失いだらりと伏せられた。

 

 数十秒前の説教を憶えているのならそんな顔は出来ないはずだが、とてもショックを受けている様子だったので少し可哀想になり、仕方なしに俺のすぐ近くの左隣、エリーが綺麗にしてくれた床をぽんぽんと叩く。

 

 悲しみに暮れていたリニスさんはぱぁっ、と表情を明るくさせ、俺の隣にぴたりと寄り添った。ネックレスの台座に戻ったエリーが文句を言いたそうにしていたので、手で押さえて(こら)えてくれるよう頼み込む。

 

 ちょん、と背中に何かが当たる。確認すれば、ふわふわつやつやとしたリニスさんの尻尾だった。垂直に伸ばされ、左右にゆっくりと振られていた。彼女の頭に視線をずらせば、耳は前を向いている。鷹島さんから半ば強制的に叩き込まれた猫知識によれば、この動きは『嬉しいとき』だったはずだ。この人は、今がどんな状況なのかちゃんと理解しているのだろうか。

 

 (かたわ)らに位置取ったリニスさんは俺の足に手を乗せて、目を細めていた。大変魅力的ではあるが、そこまで落ち着いているのもどうかと思わなくもない。戦っていた時の怜悧で聡明で、日本刀のように妖しげに煌めく凜としたリニスさんにはおそらくもう見れないんだろうし会えないんだろうなあ。まあ、あの臨戦態勢のリニスさんはとても怖いので、あれと比べれば今の方が断然いいのだが。

 

「リニスさんはもう準備出来てるんだったよな」

 

「はい。魔導炉からの魔力供給ラインの設定変更は手間ではありますが、難しくはありませんから」

 

「じゃあ……そろそろなのはとユーノに合図を送る」

 

「…………」

 

 隣に座るリニスさんが、無言で俺に視線を送る。言いたいことはだいたい察しがついている。クリムゾンのことだ。

 

「心配しないでくれ。クリムゾンの身を守る術はちゃんと用意してあるから」

 

「徹を疑っているわけではありませんよ? ただ何も知らされないままというのはどうしようもなく不安といいますか……」

 

「気持ちはわかるけど、我慢してほしい。先に言えばさらに心配を(つの)らせそうだからさ」

 

「……心配を募らせそうなことをしようとしているのですか? 言うまでもないだろうと思って言っていませんでしたが、徹のことも心配しているんですよ?」

 

「……あはは、なんと返せばいいか……まあ、ありがとう。でも、大丈夫だ。リニスさんがやっていたことから着想を得たからな」

 

 まだリニスさんの瞳には不安げな色が残っていたが、聞き出すのを諦めたように息を吐いて、ふわりと微笑んだ。その優しい瞳と微笑の意味は、俺にはわからなかった。

 

 リニスさんは左頬に手を添えて、誤魔化すように悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「私から着想を得た、ですか……なんだか舐めるように見られていたようで、少しいやらしいですね」

 

「なにを言っとるんだあんたは」

 

 彼女が本気で真意を隠そうとすれば、俺程度では計りかねる。探ろうとするだけ徒労に終わる。

 

 本心は悟れないが、この冗談は俺をリラックスさせようとしてくれているのだろうと思う。ならば、それに乗っておくべきだろう。肩の力は、たしかに抜けた。ついでに気も抜けてしまいそうだった。

 

 くすくすと笑うリニスさんは視線から外し、胸元のエリーを見やる。なのはとユーノにゴーサインを送ればそこからはノンストップだ。その前に、エリーには先に謝っておこう。

 

「エリー、今回お前は休憩だ。エリーはよく働いてくれてるからな、休んでいてくれ」

 

 服越しにエリーに手を当てる。自分だけ何も出来ないことを嘆くように、光量が落ちた光を放った。不承不承といった印象ではあるが納得はしてくれたようだ。

 

 そして言っておかなければいけないことが、もう一言。

 

「あと、エリーにとってあまり面白い光景ではないと思うんだけど……了承してくれ」

 

 その確認には今ひとつ要領を得なかったのか、台座に腰掛けたままエリーはかたかたと揺れた。理解はできていないけど言うことは聞きます、みたいに短くぱぱっ、と点滅する。

 

 相棒を差し置いてやることではないと俺も自覚はしているが、こればっかりは俺にも手がなかった。全て説明はできないが、せめて先に謝っておこうと思ったのだ。

 

 後からたらふく怒られて叱られる未来が既に目に見えているが、それでもこれが俺なりの誠意だった。

 

 念話でなのはとユーノにも連絡を取る。始めてくれ、という俺のセリフになのはは『チャージが完了したらまた教えるね』と、ユーノは『こっちは任せてください!』と、どちらも頼りになる返事をくれた。

 

 向こうは万全の様子だ。二人とも声にも気負ったトーンはなかった。どちらかといえば俺のほうが落ち着きがないくらいだった。

 

「そろそろやるか……」

 

 さて、俺も動き出さなければいけない。初めて行うことはやはり毎回緊張する。

 

 だが、大丈夫だ。なんとかなる。俺一人で全て背負っているわけではないのだから。

 

右手を胸の真ん中に当て、呟く。

 

『……クリムゾン』

 

『かはは! 待ってたぜ、徹! 感度良好だ、いつでもこい!』

 

 脳内からクリムゾンの声が響く。メーターが振り切れているかのような底抜けの明るさだった。

 

 お互い特段意識せず、されど声は重なり一つとなる。心が繋がり、響き渡る。

 

 ――和合(アンサンブル)――


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